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あのころ、日本は元気だった。
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2018-08-04 10:25 谷間の百合
また盆踊りの季節になりました。 毎年、この時期になると、わたしはユーチューブで江州音頭、河内音頭、おわら風の盆踊り、郡上踊りなどを見るのですが、見出すと5.6時間はあっという間です。 去年の今ごろのことですが、江州音頭を聴いていたとき、ロックバンド「だれがカバやねん」のなかの「大津city 今恋心」のメロディーが、長い時を経て突然頭のなかを流れたのです。 大津生まれのロックバンドで、関西でしか活躍していなかったと思いますが、当時の小学生でも覚えている子がたくさんいるのではないでしょうか。 メロディーとともに、大津の街や琵琶湖の夕景が眼前に浮かんできて懐かしさに胸が熱くなりました。 そのとき、「だれカバ」のLPがあったのを思いだしたのですが、そのときは探すこともせず過ぎ、年末あたりに地下(床下)から見つかったもののまた時間が流れ、先日になってLP用のプレーヤーを買って漸く聴くことができました。 「大津city、今恋心」やっぱりいい。 懐かしさが元気をくれます。 あのころの日本は元気だった。 でも、あのころを頂点に日本は下降しだしました。 いつの間にか日本は、空気を読み、忖度をし、長いものには巻かれ、黙っているのが利口な生き方だという社会になりました。 いまから思うと、そこから管理社会、統制社会がスタートしていたのかもしれません。 しかもそれは、人が元気をなくしたからというより、そのように仕組まれていたということなのでしょう。 あのころ、世界が大きなカラクリで成り立っていることなど知る由もありませんでした。 日本がこれほど無法で下品な社会になるなどとだれが予想したでしょう。 まして、政治家が平気でうそをつくなんて、、、 アメリカに逆らえなくて苦しい嘘をついた政治家はたくさんいましたが、自分のために平気でうそをつくような人はいませんでした。 あのころ、人々の目には未来が映っていました。 未来は永遠にあるものでした。 先の見えない時代がくるなんて頭の隅にもありませんでした。 わたしにとって世界は、ブラウニングの詩にあるように「すべて世はこともなし」だったのです。 8月は「思い出す」季節です。 お盆や終戦のせいというより、おそらく、炎天下、ジリジリとなくアブラゼミの声に促されるのでしょう。 よく知っている人より、ほんの一瞬袖触れあっただけの人の顔の方をハッキリ思い出すのはなぜでしょうか。 わたしが高校野球を憎むのは、静かであるべき思い出の時間を邪魔されるからかもしれません。 またこの一年、たくさんの人が死んでいきました。 |
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