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種子法廃止で日本農業を独占ユダヤ資本の餌食にしていいのか
http://yokotakanko.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-cac4.html
2018年7月 4日 太陽光発電日記by太陽に集いしもの
先日、母より毎年育てた野菜の種から野菜を作ろうとして失敗している近所のおばさんの話を聞きました。
高いお金を出して種を買うことに抵抗があるようで、毎年知り合いのうまく実った野菜の種をもらってきては、野菜づくりに挑んでいるようですが毎年毎年実らないので悩んでいるようです。
「多分1代限りのF1種の種をまいているんだよ。」と母に出来損ないの「育たない種」の不思議の理由を伝えましたが、「種をまけば、食物の芽が出て、それが育ち、やがては実りになる。」という当たり前の常識の中で生きてきた母たちの世代にしたら、「わざわざそんな出来損ないの品種を作る意味がどこにあるんだ?」とまったく理解できないようでした。
品種改良の利益を独占するために「F1種」という「子孫を残さない植物」がアメリカにより開発されてから、種を採取する農民はいなくなり、自給自足の存立基盤の大事な一角を失ってしまったといえるでしょう。
農民一人一人と農業資材資本の間に雇用関係はありませんが、種子、肥料、農薬、という農業資材流通の力関係の中で、農民は農業生産で得られる利益の大半を吸い上げられる構造に組み込まれています。肥料も害虫駆除も自力でなんとかできます。しかし種がなければ農作物そのものを作ることはできないわけで、「種」流通を独占的に支配できるということは恐ろしいことだと思います。
現在日本で作られている野菜の実に90%以上が、海外で作られた「子孫を作れない種=F1種」により作られています。F1種は、流通価値を高める見た目の良さ、品質の均質さに特化したもので、表面的には効率よく売れる農作物を作れる魅力あるものですが、自然対応力が弱く化学肥料、農薬なしには収穫を維持できないというもろ刃の剣の品種です。
結果的に、多額の農業資材の購入なくして成立しない農業生産構造に組み込まれ、毎年の種購入、肥料購入、害虫駆除の資材メーカーに利益を吸収されていく構造の中で、日本の農業は補助金なくして成り立たないような脆弱なものに変化していったのではないでしょうか?
安倍政権は、昨年「種子法」の廃止を行いました。都道府県が行っている良質な穀物をつくるための品種改良を国家的に補助し、開発された種子の安価な利用をサポートする法的役割を担ってきた「種子法」をグローバル自由競争の時代に合わないということで廃止してしまいました。
しかし、「種子法」により守られてきた「地域密着の品種開発」と「公的規制」こそが、地域間競争を生み「日本のおいしい米づくり」のベースになってきたわけです。それらの日本の地方のたゆまぬ努力の成果として生まれた宝の品種を、ユダ金に開放する「種子法」廃止・・・これを保守を自認する自民党政権の、さらに熱烈愛国者を自称する安倍政権を推進するわけですから信じられません。
日本の農民が汗水たらして育て上げてきた「日本のおいしい米」の品種にただ乗りして、F1種のような利益独占のための出来損ないの品種に改悪して、独占的に世界市場に売り出し、濡れ手で粟の利益拡大を狙おうとしている強欲ユダ金。そんな連中の餌にするために日本の宝である「おいしい米」の種を開放していいんでしょうか?自民党良識派の再考を求めます。
PS
北海道の人には申し訳ないですが、このまえ静岡の三方ヶ原の特定農家の栽培したジャガイモを食べたらめちゃくちゃおいしくて、市場に多く流通している北海道のジャガイモと雲泥の差がありました。おそらくそのおいしさの違いこそF1種と自然種の違いなんでしょう。イメージ先行で北海道の野菜はうまいという思い込みがある人が多いですが、近代農法で効率化を極め一番グローバルに対応できているはずの北海道の農作物が実は一番おいしくないという真実に気づいている人はどれだけいるでしょうか?・・ここに日本農業の未来を拓くカギがある気がします。
そういえば生産効率を極めた大規模農法で作られた八ヶ岳山麓そばよりも辺鄙な中山間地で細々と作られている茨城県常陸太田のそばのほうが香りが高くおいしい。そうした現実を体感している自分は、信州産という表示には心動かされませんが、数値的合理性、効率性ですべてを飲み込んでいくグローバリズムイデオロギーの壁を崩すポイントを見つけるヒントはそのへんにあるかもしれません。
以下抜粋引用
タネが危ない!「私たちは「子孫を残せない野菜」を食べている〜野口のタネ店主 野口勲さん
http://nextwisdom.org/article/1156/
タネを残すために、私たちにできること
一時期のEUではEU内各国で農作物の共通の価格を維持するために、国に承認されたタネしか売買や流通ができなくなり、各国の政府の審査と認可が必要になりました。イギリスだと1品種あたり70万円の認可料で、特にフランスでは勝手にタネを採って流通させたら罰せられるという状況になった。自家採種したタネを交換した罪で多くの農家が投獄されましたが、最近は緩和されたようです。その理由が、認可された新しいタネの野菜より昔の野菜の方が美味かった、流通する品種が減ることは生物多様性の上で問題であると。
フランスでは4000〜5000人規模の「ココペリ」というタネを交換する団体があり、タネを自由に売買できないので、会員制の組織を作って年会費を払って、カタログに載っているタネを会員が無料でもらえる仕組みができました。育てた野菜は流通させずに自家消費して、採ったタネをまた会に送り返す。そのようなやり方で多様性が維持されています。
植物というものは本来変化していくべきものなんです。生命にとって「変化」は重大なテーマで、環境が変わったら自分も変わらなければ生き続けられない。植物というのは自分で歩けないので、根が生えた世界を生きるしかない。人間にとって神経や脳にあたるような思考する器官、自分の育っている環境を判断する能力は根の表面にあって、根を張ったその土地に合った子供をつくって、それが花を咲かせて、また同じ土地に落ちてまた育っていく。その土地の環境にあった体に変わっていくんです。自家受粉性の植物でも土地が変化すると、土地に合わせてどんどん変わっていきます。だから人間が品種を変えるまでもなく、植物自身が変わっていく力を持っているんです。
私はタネ屋を継ぐ前、手塚治虫の漫画編集の仕事をしていました。彼のテーマ、作品の根幹は生命。命をつなぐこと、地球の環境と生命を持続させることでした。このタネ屋のテーマも同じです。このままだと世界はお金持ちや大企業の思う方向に進むだけであって、その中で私たち個人が生き延びるためには、自分でタネをまいて野菜を育てて、それを食べて、自分でタネを採って、それを自分の子供につなぐしかないと思っています。
それをやるかやらないか、それはあなたがたの問題です。うちはタネを提供するだけです。そして一度買ったタネは二度とうちから買わないでほしい、タネをちゃんと採って欲しい。あなたの土地に合ったタネを育てて欲しい。それが野口のタネの営業方針です。
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