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ベトナム戦争、ニクソン・ドクトリン  隠れたものが見えて来た”会談”、そして愚劣なピエロ
http://www.asyura2.com/18/senkyo246/msg/490.html
投稿者 影の闇 日時 2018 年 6 月 18 日 15:45:49: HiXvZf/FmwPNU iWWCzIjF
 

半世紀近く前の「ニクソン訪中」前後の状況を知っている人であれば、今回の「トランプ・金正恩会談」を巡る状況をみて、強い既視感に捉われたでしょう。


北朝鮮を中国に置き換えれば、日本政府の姿勢は丸で瓜二つ、判で押した様に同じものだからです。

即ち「日米共同声明」(1969)で、自国の安全と朝鮮半島及び台湾海域の安全保障を結び付けて、周辺地域への軍事干渉を公然と表明する一方、「四次防」(第四次防衛力整備計画)を策定し、世界有数の軍事費を持つ大国へと躍り出ようとする。 斯かる軍事力強化のターゲットが中国であり、これは岸政権以来の「中国敵視」への回帰を意味するものでした。 だからこそ中国は”日本軍国主義の復活”を訴えて、警鐘を乱打したのです。 今日から見ても、その反応は故無しとしない。 何故なら、日本の軍事外交路線の出発点にあったのが「台湾出兵」(1874)と「江華島事件」(1875)、即ち朝鮮と台湾だったのであり、軍事的プレゼンスの増大を目指す矛先は、何処よりも先ず、この地域に向かったのだから。


他方「日米共同声明」は、その直前の「ニクソン・ドクトリン」の具現化を意味するものでした。  「アメリカは今後、アジアにおいては後方に下がる、前に出るのはアンタ等」−というのを受けての、日本側の態度表明だったのですから。
そうして、日本を押し出す一方で、その舌の根も乾かぬ内に、それまでの態度を180度変えて「対中接近」に踏み出す。 いわゆる”ニクソンショック”と呼ばれる「訪中声明」(1971.7)で、その言葉通り、日本政府は激震に見舞われます。 まさしく、二階に上って梯子を外されたかの如く、呆然と、為す術も無く、右往左往、効果的な対応は丸で出来ず、折からの、中国の国連代表権を巡っても後手後手に回って、貧乏クジを引く役回りになり、結果的に、佐藤政権の外交的無能を曝け出すことになったのです。


今回にしたところで、アベがやってることは、”栄作じゃなくて無作”と嘲笑された大叔父の政権末期の轍を踏まないこと、兎も角出ずっぱりにして、自らの無能、無策を糊塗し、あたかも”世紀のイヴェント”に参加している感を醸し出すことー無駄に繰り返す「日米会談」の本当の意味はそこにしかないのです。 無論トランプにしても、前のめりになってる「会談」のエクスキューズとして、丁度都合が良い、その都度経済的な利益も引き出せるのだしね。 いや日本にとって「拉致問題」は重要だから、と言う人はこの男の政治サギに引っ掛かっているのです。 この男が登場して以降の「拉致問題」は変質し、対北のハードルを最大限に上げる為に、捏造されたものになったのだから。

 
 さてその「訪中」発表当時、政府部内から”アメリカの裏切り”と怨嗟の声が上がったそうですが、自分達の政治オンチ、国際政治への無知ぶりを晒したに過ぎません。 何故ならば「ニクソン・ドクトリン」とは、マッキンダーやスパイクマン等の、所謂「海洋地政学的戦略」の破綻を自ら認めたものであり、大戦後の主たるターゲットである中国への明確なシグナルだったからです。 今後中国を軍事的なターゲットとしない、という。 
従って米中友好関係の樹立と、引き換えに、地政学的戦略で”橋頭堡”とする半島からの撤退は必然的な流れでした。

実際、71、72年より、ベトナム、韓国からの段階的撤退が始まったのですが、この時、待ったを掛け、正面から立ち塞がったのが軍部でした。


特に軍事的敗退が決定的になったベトナムとは異なり、休戦協定や「国連軍」等、それなりに現状が固定されていた在韓米軍の場合、韓国内の政治不安も手伝って、遅々として進まず、業を煮やした米国支配層(東部エスタブリッシュメント)の意を受け、「在韓米軍の全面撤退」を公約に掲げたJ.カーター氏が登場しますが、この時示した軍部の反発は異様と言えるものでした。 予想以上の抵抗に出会い、大統領として、「地上軍の撤退」に限定して実施しようとした時、「在韓米軍」のトップが真正面からそれを批判するという、前代未聞の造反劇に見舞われたのです。 
カーター氏は直ぐにその司令官J.K.シングローブを解任し、撤退に踏み切ろうとしますが、その時、ペンタゴン(国防総省)の奥の院から登場し、大統領の前に立ちはだかったのが、その力は大統領をも凌ぐと言われた、伝説的な軍事戦略家A.マーシャルでした。
彼が豪腕をもって大統領の施策を阻止し、結局、撤退は棚上げされた形になったのです。

 後に、自ら起草した「アジア2025」(1999)の中で、彼は、朝鮮半島に執着したのは誤りであったと、自己批判しておりますが、この時軍部が示した朝鮮半島への強い執着こそが、今日まで引き続く、北東アジアの様々な問題を引き起こしたのです。 軍事戦略的には最早意味の無くなった極東への軍の居直りと居座りーそれを正当化する為の数々の謀略とテロ・破壊活動、昨年の「金正男暗殺事件」まで、今日北朝鮮がやったとされる事件の殆どが米国の情報・工作機関、及び日韓のその手先(手下)によるものです。


 何より「日本人拉致」、辛光洙事件の様に、明らかに南北共同のミッションとしか思えないものも含まれているので一概には言えませんが、北朝鮮は、恐らくは知らぬ間に、韓国特殊機関が仕掛けるこの「謀略」にしてやられたのです。 期待した人材や技術者はやって来ず、タダの普通の人、しかもどうやら(意に反して)強引に連れて来られたらしいとなれば、自分達はハメられたかも?自分達側の工作員だと思っていたのが相手側のダブルスパイだったのでは? ー薄々感付いたからこそ、その舞台をヨーロッパに変えたのだと思われますが、一連の事件を通して垣間見えるのは、表向き敵対してはいても、共通の利害(例えば対日本)へは協同するという暗黙の了解が南北間には在る、ということです。 後に、北朝鮮が「拉致」を認めて謝罪した際、処罰したのが「対南工作の責任者」だったのはそういう意味でしょう。

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この投稿は、過去に書いた「70年代が分かれば現在が分かる」シリーズの一環として、書いております。 下に関連するスレッドを載せておきますので、併せて読めば我が論旨はより理解して頂けるかと思います。

70年代が分かれば現在が分かるー(その5)2つの「拉致事件」
http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/133.html
70年代が分かれば現在が分かるー(その4)田中角栄と朴正熙(2)
http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/131.html
田中角栄と朴正熙(3)「太陽政策」の源流
http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/132.html

 

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