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加計学園問題を丹念に取材した『悪だくみ』で大宅壮一賞を受賞したノンフィクション作家・森功氏による渾身のレポート(文藝春秋5月号掲載)を一挙全文転載します。
— 文春オンライン[文藝春秋] (@bunshun_online) 2018年5月15日
前川喜平氏を呼びつけた首相補佐官の正体――「官邸官僚」の研究 #和泉洋人https://t.co/89Vr8pGEC2
前川喜平氏を呼びつけた首相補佐官の正体――「官邸官僚」の研究 霞が関の常識を覆す“新型官僚”が跋扈している
http://bunshun.jp/articles/-/7373
2018/05/15 森 功 文春オンライン
平穏だった国会が財務省の文書改ざんの発覚を契機に炎上し、今も沈静化する兆しが見えない。与野党攻防のテーマは「いつ、何のために、誰の指示で公文書を改ざんしたのか」だ。それは、明確な犯罪行為に対するすこぶる単純な疑問の解明というほかない。
だが、その解明がなかなか進まない。原因の一つは、文書改ざんの動機が「忖度」という目に見えない内心問題にすり替えられ、「指示」系統がはっきりしないからだ。
「まさか首相自らが、公文書偽造という犯罪を指示するわけがない」
そう信じている国民感情も理解できなくはない。が、反対に誰の指図もなく、官僚が自ら犯罪に手を染めるのも不自然だ。そんな「忖度」問題に触れるにつけ、一連の森友・加計問題におけるもう一つのキーワードを思い出した。「総理のご意向」である。
高級官僚を動かしているキーパーソンの一人
「総理が自分の口からは言えないから、私が代わって言う」
加計学園の獣医学部新設を巡り、当時、文部科学事務次官だった前川喜平(63)にそう迫ったとされるのが首相補佐官の和泉洋人(64)だ。
和泉首相補佐官 ©共同通信社
2016年9月9日、和泉から官邸4階にある自室に呼び出され、国家戦略特区での獣医学部設置について早急に対応するよう、圧力をかけられた――こう告発する前川とともに昨年7月、国会に参考人招致された和泉は、前川との面会の事実は認めたものの「(総理に代わって云々とは)言わなかったと思う」と言葉を濁していた。
今の安倍晋三政権は、政権ナンバー2である官房長官の菅義偉と副総理兼財務大臣の麻生太郎に支えられているという。が、その実、霞が関の官僚抜きではとても政策の立案や行政の執行がおぼつかない。
一強と持て囃されてきた安倍政権の政策を実現する官僚たちを従え、指図してきたのは誰か。事実上、高級官僚を動かしているキーパーソンが存在する。そのうちの一人が、首相補佐官の和泉である。加計問題で評判になったように、文字どおり首相や官房長官になり代わり、ときに中央省庁の幹部たちを呼びつけ、直接指令を飛ばしてきた。総理の影が官房長官の菅なら、和泉は影の影とでもいえばいいだろうか。いまや霞が関最強官僚の一人といっていい。
一口に霞が関のキャリア官僚といっても、入省時の立場により、すでに序列ができているのは、よく知られている。外交官試験のあった外務官僚は別格として、国家公務員総合職T種合格者の人気は、財務省を筆頭に、総務省や警察庁、経産省などに集中し、試験の上位者が入る。財務官僚は、試験の成績トップ10でなければ出世できないといわれる。
今の内閣では元秘書官らが重用される傾向が強い
霞が関の序列は、現実の政府内にも如実に表れる。たとえば政権に最も近い首相秘書官は、財務、外務、警察、経産、防衛の5省庁から派遣される。また官房長官に直結する官房副長官や副長官補は、警察や総務(旧自治)、厚労(旧厚生)など、旧内務省系の出身者が抜擢されることが多い。官僚の最終ポストと評される特別職の官房副長官だった石原信雄は旧自治省、古川貞二郎は旧厚生省の出身で、現在は元警察官僚の杉田和博が務めている。
つまり同じ霞が関のキャリア官僚でも、官邸という権力中枢に近づけるのは、ごく一部のポストに限られ、なかでも今の内閣では、第一次安倍政権時代から首相の信頼の篤い元秘書官らが重用される傾向が強い。今や「首相の懐刀」と評される筆頭秘書官(政務担当)の今井尚哉はその最たる例だし、元経産官僚で、一次政権で内閣広報官を務めた長谷川栄一も、再び内閣広報官に起用され、首相補佐官を兼務している。
首相官邸 ©文藝春秋
彼らのように、出身省庁を離れているが、官邸を根城に絶大な権力をふるう、従来の「官僚」像とは異なる存在を、本連載を始めるにあたり「官邸官僚」と呼ぶことにする。なかでも和泉は、典型的な官邸官僚といえる半面、他の側近たちとは異質でもある。
まず比較的権力に遠い国交省出身という点がそうだ。それでいて、首相肝煎りの国家戦略特区構想や国立競技場の建設をはじめとした重要政策を担ってきた。また沖縄の基地問題に奔走し、首相の東南アジア外遊にまで同行している。その動きは水面下なので見えづらいが、加計学園で見せたようなかなりの強権を振るっている。
1953年5月18日、神奈川県横浜市生まれ。和泉洋人は両親や親戚が政官界出身者の多い高級官僚の世界において、父親がタクシー運転手というごく普通の家庭に育った。自他ともに認める愛妻家で、「今朝は玄関先で女房と2回もキスして出かけてきた」などと平気で話すのだそうだ。半面、官僚っぽいエリート臭さがなく、他の女性にもずい分モテるらしい。
神奈川の進学校として名高い栄光学園中・高等学校に進み、76年3月に東京大学工学部都市工学科を卒業して旧建設省(現国交省)に入った。省庁によって多少の違いはあるが、中央官庁のキャリア官僚はトップの事務次官を目指す。が、和泉は初めからその座を諦めざるをえなかった。理由は東大時代の専攻にある。
最終ポストは局長止まり
一般に霞が関の中央官庁では、東大法学部の卒業組である事務系官僚が次官に昇りつめるケースが多い。が、建設省と運輸省の流れを汲む国交省では、理系の技官もトップになれる。国交省のキャリア組は、法学部出身の事務官と工学部出身の技官が存在し、さらに技官は土木技官と建築技官に大別される。
旧建設省系の技官は、同じ東大工学部でも専攻により、道がわかれるわけだが、次官になれるのは、入省時に土木系の道路局や河川局に配属された者とされる。和泉は入省後、住宅建築技官として住宅局に配属されたが、これはいわば傍流扱いで、入省時から最終ポストが局長止まりとされてきたのである。
「東大の都市工学科は、昭和39(64)年の東京五輪招致が決定し、そこに合わせて新幹線や高速道路の建設を進めて日本の骨格をつくろうという発想から新設されました。高山英華(えいか)が教授で丹下健三が助教授、あとは建設省の役人が講義をしていました。僕はその1期生で、和泉君とはずい分歳が離れているけど、根っこは同じです」
そう話す上野公成は、和泉と同じく、東大都市工学科から建設省住宅局に入り、のちに自民党参議院議員に転身した。入省したての頃から和泉をよく知っている。66年東大卒業の上野は和泉の10年先輩にあたり、後輩を手放しでほめる。
小泉政権で官房副長官を務めた上野公成 ©文藝春秋
「僕らの時代には就職先として役人になりやすく、9人が国家公務員になった。なかでも建設省は入りやすくて8人もいました。しかし、いざ建設省に入ると、なかなか思うようなところへ行けない。同じ理科でも電気や機械だとデータ処理に強みがあるけど、都市工学科は専門性がない分、自分の才覚で省内の政策を切り抜けていくより仕方がない。専門的な固定観念がないから、才覚さえあれば突き抜けるし、雑魚みたいな役人で終わることも多い。和泉君は突き抜けたね」
さらなる飛躍は小泉政権時代
官僚人生における和泉の最初の転機は、83年の群馬県高崎市への出向だった。入省8年目の29歳。官僚はたいてい若い頃に地方自治体勤務を経験するが、和泉は都市計画部次長として高崎市に赴任した。その人事をおこなったのが、先の上野だ。こう語った。
「高崎は僕の生まれた町で、市長から誰かいい人がいないか、と頼まれてそれまでも建設省から何人か送り込んだ。和泉君もそのうちの一人でした。彼は要領がいいというか、頭の回転が速いから、すぐに溶け込んでいろんなことができたようです」
高崎市への出向は、国交省内でもなかば伝説的に語られている。元同僚の一人が話した。
「住宅局や都市局は地方の行政と直接つながっていますから、都市計画部への出向はまれな人事ではありません。ただ高崎というところは、中曽根康弘や福田赳夫、小渕恵三という首相経験者を輩出してきた群馬の中心。というより日本の政治の中心に近く、彼がそこに出向したのは大きかった。そこから政治とのつながりができ、本省に戻ってからは、上野さんも国会議員になって後ろ盾として機能していったのです」
和泉は98年、住宅局住宅生産課長に就任した。この時点で将来の住宅局長を約束されるポジションに就いたといえる。
そんな和泉がさらに飛躍したのは、小泉純一郎政権時代だ。省庁再編後の01年1月、国交省の住宅局住宅総合整備課長となった和泉は、翌02年7月、内閣官房都市再生本部事務局次長に抜擢される。このときに和泉を引き上げたのも、小泉内閣で官房副長官を務めていた上野だった。当人がこう打ち明ける。
和泉は小泉政権においてさらに飛躍した ©文藝春秋
「あの頃は、バブル崩壊後に塩漬けになった土地をどうにかしなければならなかったが、流行りの地方分権で自治体に任せれば任せるほど動かなかった。なにより自由な都市計画を立てなければならない。しかし、当時の都市計画法では固すぎたのです。それで、新たに都市再生法という法律をつくりました。霞が関の各省が反対できないよう、計画地域を閣議決定事項の内閣の政令で決める。すると国交省も農水省も反対できません。僕が小泉政権で官房副長官になり、音頭をとってその都市再生法をつくった。そのために事務局次長に和泉君を呼んだのです」
都市再生本部は、01年5月の閣議決定に基づき、内閣総理大臣を本部長、関係大臣を本部員として内閣に設置され、翌02年6月施行の都市再生特別措置法に基づく組織になる。和泉は先輩の上野により、その都市再生本部の事務局という内閣官房組織にヘッドハンティングされた。どんなに頑張っても局長どまりとされていた住宅建築技官が初めて内閣官房という権力の中枢で仕事をし、そこで一定の評価を得たのである。
小泉政権による規制緩和の下、地域を限定する都市再生とは、イコール特別経済区域構想である。ここから和泉は構造改革特区構想を手掛けるようになり、特区の専門家としての現在がある。
「国交省に和泉あり」
馬淵澄夫元国交相 ©文藝春秋
民主党政権で国交大臣を務めた馬淵澄夫も、和泉の原点は「自民党小泉政権の都市再生本部事務局次長」と同意見だ。こう付け加える。
「このとき小泉さんの所属する派閥、清和政策研究会による旧田中派の流れをくむ平成研究会つぶしが始まった。田中派の力の源泉といえば、道路、鉄道、河川などの公共インフラ事業でした。それに代わる政策として、小泉政権下で、都市再生という新しい公共事業、つまり新しい国土交通省の利権の種を提示した。それが和泉さんだったのだと思います。バブル崩壊後の債務整理や金融再生を経ていく過程で、和泉さんが新たな成長産業として、都市集中型の地域再生という旗印を掲げ、小泉さんに仕掛けた。これまで都市計画は自治体に任せてきたが、以来、国がそこに手を突っ込んでいったのです」
六本木の「東京ミッドタウン」や大阪の「あべのハルカス」計画などがそれにあたる。このあたりから、「国交省に和泉あり」と霞が関の他省庁にも、その名が轟くようになっていく。
あべのハルカス ©iStock.com
和泉は04年7月、いったん内閣官房から国交省に戻り、住宅局担当の大臣官房審議官となる。
この間、住宅建築技官の和泉にとってもう一つ、大きな出来事があった。それが05年11月に発覚した耐震偽装事件である。
業界の意を汲み部下を更迭
一級建築士の姉歯秀次が建物の耐震強度の構造計算書偽造を繰り返し、06年12月、東京地裁により懲役5年の実刑判決が言い渡された。この耐震偽装事件は、自民党政権で進めてきたビルや戸建て住宅の「建築確認・検査の民間開放」が誘発したと批判された。従来、地方自治体や公共団体の建築主事がおこなってきた建物の構造検査を民間に任せた結果、耐震性を誤魔化す事態が発生したとされたのである。一連の規制緩和、民間開放事業の歪みともいえた。
耐震偽装問題による一斉捜索で、捜査員とともに警視庁に入る姉歯秀次元一級建築士 ©共同通信社
耐震偽装の原因については、のちに国交省の構造計算システム問題も浮上し、民間検査会社のせいばかりではないのではないかという議論もあったが、事件を境に、国交省は制度の見直しに着手した。07年6月の建築基準法改正や建築士法改正、構造計算適合性判定の導入、それに住宅の瑕疵担保履行法による保険制度の充実などがそれにあたる。そこに直面したのが、当時、住宅局の審議官だった和泉である。事情を知る建築業界関係者が言う。
「建築業界の中でとりわけ問題になったのが、建築物の瑕疵に対する保険でした。国や自治体がマンションの住民などから立て続けに損害賠償請求の訴訟を起こされ、国交省としてすべての建築業者に対し、新たな瑕疵担保責任保険の強制加入制度を導入しようとしました。担当の住宅生産課長とその下の課長補佐クラスがそれを進め、業界にプレッシャーをかけてきたのです」
耐震偽装問題でヒューザー本社へ家宅捜索に入る捜査員 ©共同通信社
自動車でいうところの自賠責保険のような強制の皆保険制度を導入しようとした。だが、これに大手の建築業者が余計なコストがかかると猛反発、住団連(住宅生産団体連合会)として正式に反対したのである。その際に業界が頼ったのが、審議官の和泉だったという。
「和泉さんはわれわれの声を受け入れてくれましてね。驚いたことに、保険制度を進めていた生産課長を飛ば(更迭)してしまいました。課長は国交省を辞め、川崎市の助役になりました。それだけでなく、補佐クラスもいっぺんに首を挿げ替えました。そうして子飼いの伊藤明子(現住宅局長)さんが、住宅局住宅生産課建築生産技術企画官というポストに就いて、保険制度は折衷案に落ち着いた。強制加入ではなく、任意型の保険制度になり、さすが和泉さん、救いの神だ、となったのです」(業界関係者)
つまるところ和泉は業界側の意を汲み、政官業の調整役を果たしたということだろう。ただし本来の消費者・住民保護という趣旨からすると、それが骨抜きになった感も否めない。が、建築基準法の改正なども手掛け、格好をつけたおかげで、和泉は業界だけでなく、政府からも評価されたという。
また同じ頃、和泉が住宅建設業者向けに立案したのが、「200年住宅」政策だ。耐震性の高い梁などを使って自由に間取り変更できるという、文字どおり200年の耐久性を謳った住宅建設である。07年、自民党の政策として提言された。この仕掛け人が和泉だった、と先の元同僚が解説する。
「高級住宅なのでこれも業界向けの政策です。和泉さんのうまいところは、ここへ官房長官だった福田康夫さんを巻き込んだこと。福田さんとは高崎に出向していた頃からの付き合いでしょうが、和泉さんは普段特定の法律や政策を担ぐことの滅多にないクールな福田さんを、自民党検討会の座長に引っ張り出したのです」
和泉は07年7月、住宅局長に就任。その2カ月後の9月、とつぜん辞任した安倍に代わり、福田が首相の座に就く。かつて建設省OB上野の引きで小泉政権時代に政権中枢に近い内閣官房都市再生本部入りし、権力の妙味を味わっている。和泉にとって福田政権の誕生は、好都合だったが、肝心の政権が長続きしなかった。
幅広い政治家人脈
だが、やがて省内で次官の目のない和泉が、再び浮上するきっかけが訪れる。09年7月のことだ。福田から首相の座を譲り受けた麻生太郎には、もはや政権を維持する力がなく、民主党政権誕生の前夜といえた。そんな折、和泉は都市再生本部から地域活性化統合本部に改称された組織の統合事務局長に就任する。国交省の別の元同僚はこう分析した。
「このとき誰が和泉さんを引っ張り上げたのか、そこはいまだ不明ですが、彼は民主党人脈もかなりありますからね。異例中の異例人事なのは間違いありません。都市再生本部や地域活性化統合本部の歴代事務局長は事務次官級のポストで、それまで旧建設省事務官出身の審議官が就いてきた。技官の中でも格下の住宅建築技官で事務局長になったのは、和泉さんが初めてです。彼の幅広い政治家人脈がものをいったのはたしかでしょうね」
09年9月、予想された通り総選挙で自民党が大敗し、民主党政権が誕生した。和泉は政権が移っても、そのまま内閣官房の地域活性化統合本部にとどまる。ここから自民、民主という2つの政権に跨る異質の官邸官僚として、本格的に歩み出したといえる。
総選挙の結果、民主党の鳩山政権が発足した ©共同通信社
周知のように民主党の鳩山由紀夫政権は、小泉政権時代の新自由主義政策に異を唱え、次々と政策を変更していく。なかでも構造改革特区構想の見直しは、鳩山政権の重要課題だった。特区の実務を担ってきた和泉はそこに直面する。
その一つが、株式会社による高校経営問題だ。教育の自由化という旗印の下、小泉政権下で進められてきた特区構想である。前文科事務次官の前川が振り返った。
「株式会社立学校はほとんどが構造改革特区で認められた広域通信制高校で、一般の高校をドロップアウトした子どもたちが入学して高卒資格を取っていくというパターン。少子化で高校生の数が減っている中、通信制高校の生徒数だけは微増していますから、それはある意味、社会的な役割を果たしているといえます。しかし問題は株式会社立高校の中身です。生徒にろくすっぽ勉強させず、極めて安易に単位認定をして卒業させちゃう。あちこちで問題を起こしていました。このタイプの学校は米国にたくさんあって、ディプロマミル、卒業証書発行工場というのですが、要するに学費さえ払っていればいいという利益主義です」
幽霊生徒でぼろ儲けしていた学校も
民主党政権は構造改革特区による株式会社立学校問題に対し、改めて評価に乗り出した。特区での規制緩和を全国的に広げていいものかどうか、問題が大きければ制度そのものを廃止すべきだ、という審査だ。
「この株式会社立学校特区評価の担当が和泉さんだったのです。和泉さんの下に財務省や経産省から来た役人がいて、その人たちが主導して評価委員会を運営していきました。われわれ文部科学省の立場としては、株式会社立学校は非常に弊害が大きいから廃止すべきだと主張しました。その証拠をたくさん集め、評価委員会に意見を出すにあたっては、平野(博文文科)大臣の了解までもらっていました。大臣も、廃止すべきだと言い、いっとき評価委員会は廃止に傾いたんです」(同前)
平野博文文科相(当時) ©文藝春秋
株式会社立の通信教育高校は4年制で、国から学校に対して生徒ひとりあたり年間12万〜30万円の就学支援金が出る。それを悪用し、名義を貸してくれる父母に謝礼を支払い、幽霊生徒でぼろ儲けしていた学校もあった。そんな教育特区の廃止は当然に思えるが、そこへ立ちはだかったのが和泉だったという。
「瀬戸際まで来たとき、和泉さんが平野大臣に直訴したんです。大臣から直に聞きましたが、和泉さんは『廃止すべきだというお考えはよく分かるので将来的には廃止しますが、いきなり廃止すると各方面で摩擦が生じる。だから、段階的にやったほうがいい』と説き伏せたそうです」
当の平野はこう答える。
「教育特区ではだめだというのは、私の持論でしたのでね。文科省としても放置できない。それについて和泉が突然、会いたいと言い出して大臣室に訪ねてきたんです。彼は昔からの付き合いでもあるし、構造改革を推進している立場ですから、面と向かって『止めましょう』とは言わなかったけれど、終焉させる方向については同意してくれた。文科省としても、生徒がいるので卒業させなければならないし、すぐに廃校にはできない。それで学校法人に転換してもらったり、経営を変えて継続してもらったり、ソフトランディングさせざるをえなかったんです」
むろんすぐに制度を廃止する必要はないが、期限を設けて制度変更することは可能だ。前川はこう指摘した。
「平野大臣は、和泉さんから『最終的には廃止します』という言質をもらったと聞きましたが、結局、口約束だけなんです。その後いつ廃止するという条件もなく、今もこの約束は果たされていません」
株式会社による学校経営制度は廃止されることなく、今もある。それでよしとしていいのか。従来の学校法人による私立の学校経営だと、文科省の監督が届きやすいが、株式会社立学校だと、株主の意向が反映されるため、営利目的の教育に歯止めがかかりにくい。そこに問題の根っこがある。
文科大臣経験者の平野もその一人だが、和泉は民主党議員にも幅広い人脈を誇る。野田佳彦政権時代に幹事長を務めた輿石東なども飲み仲間だという。
事実上、事務次官を超えたポスト
この頃、和泉が手掛け、霞が関で話題になったもう一つの政策が、ユネスコへの「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の世界遺産提案である。もともと2000年代に入り、北九州地域で運動が始まり、民主党政権時代を跨いでいる政策だが、和泉はここでも平野を巻き込んでいる。当の平野が語る。
「世界遺産の申請は構造的に文化庁の既得権益になっていたのですが、和泉さんは平野だったらよく知っているので、構造改革、規制緩和をやりやすいと思ったのかもしれませんな。(地域活性化統合本部事務局で)産業遺産も世界遺産として申請しようとしたのだけど、私はそこに乗った。既得権益の打破もあるけど、日本の近代化の歴史として後世に残しておくべきだってことでね」
09年に自民党から民主党へ政権が移り、12年には再び自民党が政権に返り咲く。この間の12年10月、和泉はレイムダック状態だった野田政権において、内閣官房の参与に就任する。以後、古巣の国交省を退官した格好になるが、そこから政権交代した第二次安倍内閣で、首相補佐官の座を射止めた。事実上、事務次官を超えたポストだ。
©文藝春秋
和泉VS文科省、再び
和泉はときの政権に重用され、生き残ってきた。と同時に、権力をうまく使い分け、政策を実現してきたといえる。政策の原点は小泉政権時代の構造改革であり、それを踏襲し、より右傾化した安倍政権にも通じてきた。ただし、それはときに無理筋のようにも映る。
第二次安倍政権では「明治日本の産業革命遺産」を文化事業の目玉政策と位置付け、14年1月、世界文化遺産の推薦候補に決定した。もっとも、その裏では和泉対文科省の熾烈な攻防が繰り広げられていた。当時、文科省の官房長だった前川は、そのあたりにも詳しい。
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「和泉さんの指図で差し替わったのが、文化庁の文化審議会の委員人事です。ユネスコの諮問機関として世界遺産登録の審査をする日本イコモス国内委員会の西村幸夫委員長が、ずっと審議会の委員をやっていたのですが、委員改選のとき和泉さんから『西村を外せ』と言われたんです。理由は明治日本の産業革命遺産に対し、朝鮮人労働者問題や稼働中の施設もあり、日本イコモスが非常にネガティブな対応をしたからでした」
前川が記憶を呼び起こし、歯切れよくこう言う。
「本来、日本政府は文化審議会の世界遺産特別委員会でユネスコ世界遺産に登録を求める推薦案件として、日本イコモスの意見を聞くものです。産業革命遺産は、幕末の松下村塾もあれば、三井三池の炭鉱も入っていて、文化遺産としてもまとまりがなくバラバラ。なのに、イコモスを飛び越えて西村さんを外し、結果的に世界遺産委員会でユネスコの登録を勝ち取ったんです。これを安倍首相の幼馴染で加藤勝信厚労大臣の義姉にあたる加藤康子さんが一生懸命に推し、ユネスコ大使だった木曽功さんも一肌脱いだ。木曽さんと和泉さんとのつながりはそこでできているんです」
木曽は元文部科学官僚で、あの加計学園の理事を務めている。和泉とともに、獣医学部新設に向けて動いた人物でもある。
第二次安倍政権では、06年当時の一次内閣時代から仕えてきた秘書官たちが再び登用され、重要ポストを占めてきた。だが、和泉はそうではなく、民主党時代の内閣参与からの抜擢だ。それは官房長官の菅の強い推薦があったからだとされる。
水面下で基地問題に奔走
秋田県の農村出身である菅は、神奈川1区選出の自民党代議士、小此木彦三郎の秘書になり、87年に横浜市議に転身した。96年に衆院神奈川2区で初当選し、政権ナンバー2の官房長官に昇りつめる。安倍一強政権における多くの政策を支えてきたのは、言うまでもない。和泉との関係でいえば、小泉政権時代の国交政務官時代からとの説もある。が、そうではない、と2人をよく知る政界通は次のように明かす。
「菅さんと和泉さんの付き合いは、菅さんの横浜市議時代からだと聞いています。菅さんは市議時代、建設省の事務次官だった高秀秀信さんを市長に擁立しました。そのせいで影の市長などと囁かれたものですが、そこにも和泉さんが協力していると思います。といっても、市議時代は中央官庁の和泉さんの立場が上だったみたいで、菅さんが横浜市で進めた道路整備なども含め、若い頃から頼ってきた。とくに国交省の政務官になって以降は、何かにつけ政策を相談するようになり、和泉なくば今の菅はない、といわれるほど、いろんな場面で登場してきました」
菅官房長官 ©JMPA
和泉は他の省庁の官僚にも知己が多い。なかでも財務省事務次官だった故・香川俊介や現金融庁長官の森信親などはともに飲み歩く間柄だ。そこに下戸の菅が加わり、勉強会と称した懇親会を開くこともしばしばあったという。
第二次安倍政権発足後、菅は官房長官でありながら、沖縄の基地問題を担当してきた。表向き沖縄県との交渉窓口は、官房副長官の杉田和博になっているが、その実、水面下で奔走してきたのが、和泉である。
「政府はインバウンドによる観光振興や金融特区の設置、高速道路や港湾整備など、振興政策で県民を懐柔してきたけど、それらを進めてきたのも和泉さん。さらに最近は基地問題に取り組んでいます。辺野古基地建設は、和泉さんが菅さんから託された最大のミッションです」
ある国交省の技官経験者がこう話してくれた。和泉は辺野古基地建設における「影の司令塔」と呼ばれる。
基地に関して影の司令塔が動き出したのは、15年秋口から翌16年春先だ。周知のように辺野古基地の建設については、前知事の仲井眞弘多が埋め立て工事を承認したが、翁長雄志が知事に就任すると、その承認を取り消した。かたや政府は工事承認の取り消しは違法だと反訴し、訴訟合戦に発展する。
最高裁は16年12月、翁長の承認取り消しを違法とし、国が勝訴した。が、実際に辺野古の埋め立てをするには、湾の地形や地層に応じてもともとの工事の設計を変更しなければならず、その都度、知事の承認が必要になる。そこで防衛省の出先機関である沖縄防衛局は逡巡し、基地の建設工事が遅々として進まなかった経緯がある。
「たとえば沖縄防衛局のこれまでの設計では、米軍基地の滑走路を支える土台が50メートルの湾の深さの地層に耐えられないことがわかったのです。断層に空洞があり、そこに砂を入れて地盤を固めなければならないとか、そのためにボーリング調査からやり直す必要があるとか、設計の見直しをしなければならなくなった。それで、業を煮やした菅さんたちが国交省から9人の設計屋を送り込んできたのです」
基地反対派の名護市議、大城敬人がそう説明してくれた。先の国交省の技官経験者はこう言う。
「辺野古では、この件で県側に付け込まれ、埋め立て工事が進まなくなっていました。それで、和泉さんが港湾局長に命じ、港湾局で『チーム和泉』を結成して防衛省に送り込んだのです。港湾局長も菅さんや和泉さんに睨まれたくはないし、なにより政権最大のイシューである基地問題に協力すれば、自らの次官の目も見えてきますから、喜んで従うわけです」
辺野古への移設が計画されている普天間基地 ©共同通信社
週に一度のペースで基地問題を打ち合わせ
和泉が国交省から港湾のスペシャリストを防衛省に送り込んだのは、最高裁判決からさかのぼること1年近く前の16年1月のことだ。国交省港湾局技術企画課技術監理室長だった遠藤仁彦を沖縄防衛局次長、同港湾局海洋・環境課特定離島港湾利用調整官の阿野貴史を調達部次長に据えた。それだけでなく、防衛省本体から彼らに指示を出す役割として、国交省の官房技術参事官の下司弘之を官房審議官、国交省公共事業企画調整課長の松永康男を官房参事官として配置した。
和泉は週に一度のペースで関係者と基地問題を打ち合わせ、「チーム和泉」に指示を出したり、場合によって自ら沖縄入りして計画を進めているという。
「本来、設計変更後の岩礁破砕なども県知事の許可を受けないといけない。ところが、知事はそれを出さない。すると彼らは護岸の浅いところから工事を進めるようになった。厳密には違法行為なのですが、菅官房長官などは後戻りができないほどやれば、県知事は止めようがなくなるんだと豪語しています。そこまで強引にやっているってことですね」(前出の名護市議・大城)
まずは既成事実づくりという、いかにも和泉流といえる。菅や和泉はこうして基地問題に楔を打ち込みながら、今年2月、辺野古基地の建設予定地である名護市長選に臨んだ。
当初、3選目を目指した現職の稲嶺進が有利と目されたが、自公、維新の会推薦の新人、渡具知(とぐち)武豊がおよそ3500票の大差で圧勝した。おかげで安倍政権や自民党陣営は、来る11月の知事選に向け、勢いがついた格好になっている。
名護市長選における自公の勝因は、それまで県民感情に遠慮していた公明党が推薦をしたことなどが挙げられる。また官房長官の菅をはじめ自民党幹事長の二階俊博など、大物国会議員も応援に入り、選挙を盛りあげた。が、その裏で和泉たちが動いてきたのは言うまでもない。
スーチーとのパイプ役
自公が名護市長選に大勝して間もない2月22日、那覇市内のホテル「沖縄かりゆしアーバンリゾート」で「沖縄の可能性と稼ぐ地方創生戦略」という経済セミナーが催された。主催は前沖縄副知事の安慶田(あげだ)光男が代表理事を務める「沖縄経済懇談会」だ。そこに特別講演者として招かれたのが、和泉洋人である。
安慶田は基地反対派の翁長の側近として知られてきたが、昨年教員採用の口利き事件で退職した。そこから翁長と袂を分かち、こうした経済セミナーを開いてきたわけだが、和泉が講師として招かれたのは去年に続いて2度目である。セミナーの際は、いつも菅から祝電が届く。
その様子を知るため当日のセミナーに参加してみた。開始予定の午後5時前、ホテルの会場に和泉が姿を現した。すると、小走りで安慶田が和泉を出迎え、沖縄の経済人に紹介してまわる。知事側近として基地問題であれほど反目していたのが嘘のように、2人は笑顔で接していた。
沖縄の政治家の心情は読みづらいという。半面、和泉にとっては、安慶田やその周囲の経済人とのパイプ作りは、来る秋の知事選における打倒翁長に向けた選挙戦略に違いない。
この日のセミナー終了後、会場で当人に改めて取材を申し入れた。それまでも、再三和泉本人に話を聞きたいと申し込んでいたが、「スケジュール調整ができない」などと断られ続けていたからだ。だが本人に直に掛け合っても、「忙しいので取材は無理」と逃げ回る。その後文書で内閣官房に質問を送っても、回答すらしなかった。
同じ東大卒のキャリア官僚でありながら、「天井は局長」と建設省の入省当初からいわれてきた和泉は、ある意味のコンプレックスをバネにここまで昇りつめてきたといわれる。いまや最強の官邸官僚と評判の和泉は、まさに神出鬼没、安倍政権のあらゆる重要政策に首を突っ込んでいるといって差し支えない。
©文藝春秋
地球儀外交を売り物にしてきた安倍が、最も力を入れてきた東南アジアとの交渉にも、和泉が傍に寄り添い、インド首相のモディやミャンマー国家顧問のスーチーの直接窓口として、パイプ役を果たしているという。インドネシアの新幹線売り込み競争で中国に敗れたように、必ずしも実績があがっているとは言い難いが、菅の代理人としての政権内の信頼は群を抜いている。
国民の従僕たる官僚が、国民の選良たる政治家に仕える
そんな和泉の力の源泉は、やはり人事の動かし方にある。
「国交省では大臣に対する国会レクでも、法務、建設、運輸という3つの分野の次官候補がそれぞれおこなう。その三頭立てから次官が選ばれていく慣習がありますが、和泉さんはそれをえらく嫌っていました」
国交省のある元法務事務官はこう言った。
「最近でいえば、16年6月の事務次官人事。土木系の徳山日出男次官の次が東大法学部卒業の西脇隆俊さんで決まりと見られ、朝日新聞もそう報じていたが、和泉さんは法務系に仕切られては困ると考えたのでしょう。『国交省の人事は法務系のOBが牛耳っていて、西脇に決めそうだ。いまだOBが介入するなんてけしからん』と菅官房長官に直訴したと聞きました。それで、実際に人事がひっくり返ってしまい、結果的に朝日の記事は誤報となったのです」
国土交通省 ©文藝春秋
あげく、徳山の後任次官には、旧運輸省系の武藤浩が決まった。政治主導のトップ人事だと霞が関で評判を呼んだという。
森友・加計問題が安倍政権や国会を揺るがせている中、官邸主導で官庁の幹部人事を決める内閣人事局の存在が話題になった。強大になった官邸の権力が霞が関の官僚を震えあがらせ、行政を歪めているのではないか。そんな指摘がなされてきた。
国民の従僕たる官僚が、国民の選良たる政治家に仕える。それはひとつの官僚のあり方に違いない。が、権力と同化した特定の官僚が国民不在の恣意的な解釈で政策の舵をとるとなると、話が違ってくる。安倍一強政権には、そんな行政の歪みが透ける。
(敬称略)
※「文藝春秋」では2018年5月号よりノンフィクション作家・森功氏による『「官邸官僚」の研究』を連載中。6月号の第2回では、“総理の分身”とも呼ばれる今井尚哉首相秘書官を取り上げています。今井氏の独占インタビューも同時掲載。
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— うさみ正記 (@usami_masaki) 2018年5月15日
ちょっと長いが和泉洋人についてよく取材しているし、名実共にお友達政権であることがよく分かる。
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— 史爺 (@ck882538) 2018年5月14日
官邸、安倍晋三からの指示無しに官僚が公文書改ざんの大罪を犯すことはあり得ない。
安倍政権では、あり得ないことが平然と行われる。
加計ありきも同じだ
「官邸官僚」と「総理のご意向」
— takashi (@oioiabc2016) 2018年5月14日
胡麻すり議員に飼い犬官邸官僚。
長期政権は腐敗するのか?
中国と同じ一党独裁に近いのに拉致はアメリカ頼み。
ポチの独立は?
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権力と同化した特定の官僚が国民不在の恣意的な解釈で政策の舵をとるとなると、話が違ってくる。安倍一強政権には、そんな行政の歪みが透ける。
— RIE(太郎さんと前川さんファンです) (@rie_music) 2018年5月14日
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前川喜平氏を呼びつけた首相補佐官の正体――「官邸官僚」の研究(文春オンライン) - Yahoo!ニュース https://t.co/3iTrkriLhi 長いけどむっちゃ面白い。この人いろんなところに出てくる。しまいには辺野古の埋め立てにも
— 増田聡 (@smasuda) 2018年5月15日
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— sinwanohate・レイジ (@sinwanohate) 2018年5月15日
「『総理が自分の口からは言えないから、私が代わって言う』
加計学園の獣医学部新設を巡り、当時、文部科学事務次官だった前川喜平(63)にそう迫ったとされるのが首相補佐官の和泉洋人(64)だ。」
前川喜平氏を呼びつけた首相補佐官の正体――「官邸官僚」の研究- 記事詳細|Infoseekニュース https://t.co/CCyldlhPZg ←こういう命令系統の話をマスコミも報道すべき。本人が言ってないなんてのは言い逃れでしか無い。情報を貰いたい記者クラブが周知せず、目立たないから秘書官が悪事を働ける。
— よたろう (@kyosh813) 2018年5月15日
やっぱり👀
— furuna✨ (@3iwa) 2018年5月15日
沖縄の政治家の心情は読みづらいという。半面、和泉にとっては、安慶田やその周囲の経済人とのパイプ作りは、来る秋の知事選における打倒翁長に向けた選挙戦略に違いない。
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読んでて、#ブラックペアン を見ている時のワクワクを感じた。ダークヒーローが持ち合わせている、能力の高さがこの補佐官にはある。マキャベリズム感も。
— 黒みつと白あん (@kuromistusiroan) 2018年5月15日
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クサイと思っていたら、やはり、そうだったのか!
— LadyBhover (@hsywhy) 2018年5月15日
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官邸主導の中身がよく判る興味深い一文。今井尚哉だけではなく、こんな男までが官邸を牛耳っていたのか。★前川喜平氏を呼びつけた首相補佐官の正体――「官邸官僚」の研究/森 功 https://t.co/9vkCVpkJ4i
— 日本国黄帝 (@nihon_koutei) 2018年5月15日
「国民の従僕たる官僚が、国民の選良たる政治家に仕える。」「権力と同化した特定の官僚が国民不在の恣意的な解釈で政策の舵をとる」
— Lem_Lemホイホイ (@Lem_Lem2) 2018年5月16日
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