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「公文書管理 迫られる対応 全ては菅直人氏から始まった
5/14(月) 7:55配信
平成23年3月、東日本大震災の緊急災害対策本部と原子力災害対策本部の会議であいさつする菅直人首相(右から2人目)。当時の2会議の議事録は「ない」ことになっている=首相官邸(桐山弘太撮影)
安倍晋三政権に痛撃を与える公文書問題をめぐっては官僚への罰則強化も浮上している。しかし、歴史資料となる公文書をいかに正確に作成し、保存する仕組みを作るか、という視点から見直しを追求しないと、日本の公文書管理制度はますますいびつなものになりかねない。
ある事務次官級経験者は「公文書に関する認識と対応が、日本は外国と逆になっている」と指摘し、「きっかけは薬害エイズ問題だろう」と挙げた。
薬害エイズ問題は、非加熱の血液製剤を治療に投与されたことで多数のHIV感染者やエイズ患者が出て、当時の製薬会社や厚生省関係者らが刑事事件に問われる事態に発展した。
このときに評価を上げたのは、平成8年1月に厚相に就いた菅直人氏だった。
菅氏はブログで、厚生省の「官僚が先輩の失敗を隠すために資料を隠ぺいした」(昨年10月28日付)のを「見つけ出し、公表し」(今年3月24日付)たとしている。菅氏の“活躍”は行政文書公開への世論の関心を高め、13年の情報公開法制定につながったことは間違いない。
一方、公文書管理法が施行されたのは、公開法より10年も遅い23年4月1日だった。外国では公文書の作成、保存の基準やルールを定めた上で公開のルールを決めるのが、日本では「とにかく公開する」ことが優先された形だ。
また、管理法は施行の出足からつまずいた。前月11日に東日本大震災が発生し、東京電力福島第1原発事故も起きた。当時は菅内閣。同法施行日の閣議で当時の蓮舫行政刷新担当相は「関係省庁においてしっかりとした文書管理を行ってほしい」と述べ、その後も政府の会議で文書管理の徹底が確認された。
ところが、野田佳彦政権の24年1月、震災関連の15会議のうち「原子力災害対策本部」「緊急災害対策本部」など10会議で議事録がないことが判明した。原子力災害対策本部を含む3会議は議事概要もなく、議事概要だけは同年3月になって急遽(きゅうきょ)、整備された。議事録はないままだ。
野田首相は同年1月の衆院予算委員会で、議事録未作成について「まことに遺憾に思う。意思決定の過程や実績が把握できる文書の作成は国民に対する説明を果たすためにも極めて重要である」と釈明した。一方で「公文書管理法は議事録の作成まで求めているものではない」とも強弁した。
菅氏は、今年4月7日のブログで自衛隊のイラク派遣日報問題に触れ、「政府に対する責任追及を恐れて『無(な)いことにする』という対応をしたのでしょう。日報が見つけられなかったことを含め、安倍政権の責任です」としている。しかし、民主党政権が議事録の未作成を“正当化”した時点で、公文書管理は恣意(しい)的な運用になっていた。
官僚の側からは「最初から『なかった』『会わなかった』として文書を作らなきゃいい」という“論理”が出ている。そうならないようにするための取り組みは全政治家の責任だと自覚すべきだろう。(今堀守通)」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180514-00000043-san-pol
> ところが、野田佳彦政権の24年1月、震災関連の15会議のうち「原子力災害対策本部」「緊急災害対策本部」など10会議で議事録がないことが判明した。
これって「民主党政権だったから」という問題なのでしょうか?
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