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小沢一郎と板垣退助
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2018-01-26 反戦な家づくり
私が子どもの頃は 100円と言えばなかなかの大金で、お使いの帰りに100円札を落としてしまって、泣きながら探し回った思い出がある。
その札に書かれていたジイサンの名前は たしか板垣退助。
「板垣死すとも自由は死なず」 暴漢に刺されたときにそう言ったとか言わなかったとか・・・
伊藤博文が悪者として描かれることが多い一方で、なんとなく正義の味方みたいなイメージで語られる板垣退助。
でも、実際にどんなことをした人だったのか、意外と知らずにあの台詞だけ知っているという人が多いのではないだろうか。
板垣退助は坂本龍馬より一年遅く、土佐に生まれた。
坂本は下士だったが、板垣(そのころは乾)はそこそこエリートの上士だった。
板垣が明治の大物としての権威を身にまとったのは、戊辰戦争での活躍だ。
甲州で新撰組を撃破して江戸に攻め上り、江戸から東北にかけて幕府軍を圧倒して会津を降し、官軍勝利の立役者になった。
政治家としてよりも、軍人としての権威であった点は、西郷隆盛と共通しているのかもしれない。
明治政府が始動してからは、大物政治家として関与するけれども、薩長が牛耳る政権内とは折り合いが悪くなる。
そして今度は 自由民権運動の立役者になっていく。
本心から国会設立を願ってのことだったのか、あるいは薩長の独裁に対しての派閥争いだったのか、板垣退助の本心はわからない。
いずれにしても、板垣という超大物がトップにいたことで、国会開設を願う自由民権運動が勢いを得たことはまちがいない。
自由民権運動を少し勉強してみると、二重構造があったことがわかる。
板垣たち大物政治家の運動と、河野広中や田中正造など地方の郷氏や農民たちの運動だ。
1881年に自由党は結成されたのだが、そこには、津々浦々の民衆に広がった自由民権運動という側面と、10年先に約束された国会開設に向けての勢力争いという側面が 同居していた。
もちろん、両面ともに必要なことではあったのだろうが、現実はそれらは分離し、対立するようになっていく。
なにしろ、ついこのあいだまでお殿様が全権を握っていた世の中で、憲法を作って選挙をやって国会を開け、といって運動したのだから、やはり板垣たちの先見性は、イマドキの政治家の誰と比べたってはるかに凌駕している。
しかもそれが、戊辰戦争のヒーローだったのだから、ひとびとの期待はものすごかったことは想像に難くない。
しかし、板垣の伝記や自由民権運動についての本を読むにつれて、板垣の限界も見えてくる。
政治思想の大きさと、それに反比例する運動論の欠如である。
思想的には民主主義であって、民が主なのだが、運動論においては士族主義であり、民は主ではない。
全国の民権運動を盛り上げて、それをまとめていくという方向ではなく、薩長土肥の大物政治家のなかで、如何に主導権をとるのか、という方向ばかりに目を向けていった。
それがやがて、後藤象二郎にまんまとのせられてヨーロッパに出かけてしまったり、伯爵になってしまったりということになっていく。
とくに、現場で苦闘する地方の同志をほったらかしにして、(おそらくは政府のカネで)ヨーロッパに長期旅行に行ってしまったことは、板垣の圧倒的な権威を一気に失墜させたようだ。
■
私は、こんな両面を持つ板垣退助をみる度に、小沢一郎という存在を思い出してしまう。
もちろん、小沢氏は板垣ほどの圧倒的な権威はもっていないし、逆に政府のカネでほいほい長期旅行に行ってしまうようなこともない。
ただ、当代一の政治思想をもちながら、永田町の運動論から抜け出せない小沢一郎は、まさに現代の板垣退助なのではないかと思えてしまうのだ。
政党支持率は限りなくゼロに近く、得票率も2%に届かない(現代の)自由党。
昨年の総選挙をパスしてしまったせいで、最近の世論調査では支持率の選択肢にすら入らない自由党。
そんな自由党だけれども、身近にいてつくづく実感するのは、熱心な支持者の多いことだ。
生活フォーラム関西などの応援団はもちろん、党支部ですら勝手連のように自主的につくって活動をしている。
自由党の看板をつけた宣伝カーも、自分たちで勝手にカンパを集めて作り、ボランティアを募って走り回らせている。
選挙になっても、事務所の当番から運動員まで、もちろん全員勝手連である。
共産党のような巨大な組織には比較もできないし、社民党のように労組がついているわけでもない。
でも、なんとか自由党をなくしたくない、自由党が必要なんだという思いだけで、手弁当で駆けつける人たちが全国に相当数存在している。
支持する理由は必ずしも一枚岩では無い。
とにかく「小沢さんたのんます」という人もいれば、「良い自民党」を期待する人もいれば、私のように「日本の独立」を一番の理由にする人もいる。
植民地に自由も民主主義もあり得ないのであって、米国から自立して自分たちでものを決められるようになるべし ということ。
革新やらリベラルやらは、日本の独立という大問題を、ふにゃっと流してしまう。
だからといって、独立を装って独裁を目指す極右はトンデモナイ。
独立してこそ、民主主義のスタートラインに立てる。
小沢一郎さんにしても、山本太郎さんにしても、玉城デニーさんにしても、私の知る自由党の政治家はその視点をはっきり持っている。
私はそう感じている。
ともあれ、地方ではそうやって勝手連が勝手に運動している自由党であるが、そんな動きにもっとも無関心なのが、肝心要の党本部だ。
もっとはっきり言えば、小沢一郎その人である。
無関心なのではなく、彼の目指すところの視野に、地方の勝手連の運動は入っていない。
小沢氏のトリマキが悪いのだという話しもよく耳に入ってくる。
あえてここではリンクは貼らないけれど、昨日も小沢グループでは知る人ぞ知る有名ブログがぶっちゃけ話を書いていた。
私は直接はあまり知らないのでコメントは差し控えるけれども、そういう面もあるのかもしれない。
ただ、「小沢氏は正しいけれどもトリマキが悪い」という論は、無理がある。
正しいとか正しくないとかではなく、小沢一郎の運動論には、永田町から遠く離れた地方での勝手連を大きな組織に育て上げる、という視点がない、ということだ。
永田町の論理の中で、有権者が期待しうる集団を作り上げれば、政権はとれる。これが一貫して小沢氏が言っていることであり、かつ実践していること。
だからこそ、もっとも孤立主義で共闘をいやがる立憲民主の枝野の顔をたてて、接近して引き寄せようとしている。
これ自体は、まったく正しいと思う。
しかし、そうやって手に入れた政権は、実に脆いということも、彼は2度の経験でよくよく知っているはずだ。
何があろうと後押ししてくれる地方の、津々浦々の人々があってこそ、握った政権を活かすことができるのではないのか。
地盤も看板もカバンもないところからそうした組織をつくるのに、肝心の党本部までがそっぽを向いてしまったら、いったいどうすればいいというのか。
おそらく、小沢氏本人は、「俺にだって陸山会が作れるんだから、他の奴だってやればできるだろう」 くらいに思っているのかもしれない。
しかし、すでに支持率0.1%になってしまった現時点から這い上がっていくのだという現実は、自民党の有力者が組織を作っていくのとは桁違いの困難があるのだ。
その視点がすっぽりと抜け落ちている。
それが、小沢一郎が現代の板垣退助だ という所以。
■
それでも、
あと数年で日本の様相は大きく変わるだろう。
オリンピック後の大不況と、アベノミクスバブルの崩壊が、否応なく庶民の生活をどん底に突き落とす。
いまはオイシイ話しと改憲で庶民を煙に巻いている安倍政権は、崩壊した経済をほったらかしにして逃亡するだろう。
ゲシュタポ化した安倍官邸の統制がなくなれば、世の論調も変わってくる。
自民党の政治家も、いろいろな動きが出てくる。
トランプの覇権放棄がより進んで、アジアの構図がガラッと変わっている可能性も高い。
政治の空白は必ず生まれる。
もういちど、板垣退助の出番はある。
それを、どんな状態で迎えるのか。
この国で生活する私らがしっかりと自分たちの手と足と頭で、現代の板垣退助を推し進めることができるのか。
それとも、永田町で繰り広げられる政治劇を手をこまねいて眺めているのか。
最悪の場合は、安倍を上回るファシストが政権に駆け上る可能性も十分にある。
橋下徹だって、今は一歩引きながらチャンスをうかがっている。
ほっとけば、ああいう類が混乱に乗じて、この国を乗っ取ってしまう。
ここからの3年。
地味かもしれないが、それぞれが生活している地方で、確かなつながりを作ることではないだろうか。
自由党のグループだけではなく、他党との連携も、政治家任せではなく、支持者同士が率先してつながり、信頼関係を築いていくことだ。
生活していくこと自体も大変だけど、だからこそ先のことを考えないと、取り返しが付かないことになりそうだ。
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