http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/105.html
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日本人はネアンデルタール人の生き残り?
諸説あり・縄文人はどこから来たのか=北方説・南方説 - 動画 Dailymotion
https://www.dailymotion.com/video/x6gnb0k
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最もネアンデルタールに近いのは日本人? 免疫システムに残る人類の歴史 2016/02/22
http://sciencenews.co.jp/2016/02/22/post-1042/
多くの人を悩ます花粉症。その原因は免疫システムの暴走だが、免疫システムの一部がネアンデルタールからの「プレゼント」だと判明した。
免疫に重要な役割をもつTLRの遺伝子
花粉症対策にかかる費用もバカにならないが……
とうとう今年も花粉症の「季節」がはじまった。2月にはいると首都圏でもスギ花粉が観測されはじめ、ドラッグストアでは対策商品の陳列に余念がない。
花粉症を含めたアレルギーは、もともと体に侵入した細菌やウィルスなどから体を守る免疫システムが過剰に反応しておこる。
花粉症も大変だが、生物が生きていくには欠かせないシステムである。この免疫に関わるいくつかの遺伝子はネアンデルタール人とデニソワ人からの「プレゼント」だったと今年の1月に明らかになった。
遺伝学の科学誌「The American Journal of Human Genetics」で独の研究チームが発表した。日本人の遺伝子の中にネアンデルタール人が「潜んで」いる。
ヒトはネアンデルタール人を滅ばして今の繁栄を築いた。独・マックスプランク研究所のJanet Kelsoのチームは現代人の遺伝子の中に、ネンデルタール人やデニソワ人との交配によって残り続けている「彼ら」の遺伝子をさがしていた。
人類の進化でエポックメイキングな最近の発見といえば、ヒトが絶滅させたと考えられているネアンデルタール人と人間が交配していたことと第3の人類デニソワ人の発見だ。
この3種は50万年前に共通祖先から分かれたと考えられ、ネアンデルタール人はヒトより数十万年前にアフリカを出て主にヨーロッパに広がった。
研究チームが目をつけたのがTLRの遺伝子。これまでの研究データもとにピックアップした。TLR(Toll Like Receptor)は細胞の表面にニョキニョキと生えているタンパク質。免疫で非常に重要な役割を果たす。
体を外敵から守るには、まず外敵の侵入を関知しなくてはならない。この防犯センサーの役割を担うのがTLRというタンパク質なのだ。
体内に侵入した細菌や菌類、寄生虫の一部がこのTLRにくっつくとセンサーが作動し、外敵をやっつける細胞が集まったりと、さまざまな免疫システムが動く仕組みだ。
ネアンデルタール人の遺伝子を最も多く持つ日本人
ネアンデルタール人
我々日本人のご先祖さまである
複数あるTLRのうちTLR1とTLR6、TLR10は染色体上に隣接している。ネンデルタール人やデニソワ人の3つのTLRを含む領域を現代人と比較する。
ヨーロッパ人と東アジア人、アフリカ人など現代人の14集団のこの領域を調べると7つのタイプに分類された。このうち2つがネンデルタール人由来、ひとつがデニソワ人由来だと判明する。
理論的にはヒトより数十万年先にアフリカを出て、中東を経由してヨーロッパに広がったネアンデルタール人の遺伝子は、アフリカに残った祖先由来のアフリカ人には存在しない。
調べると、確かにアフリカ人にはネンデルタール人由来のTLRを含む領域がほとんどみられなかった。
このように、現代人のTLRを含む領域のゲノム配列を詳細に調べ比較してネンデルタール人とデニソワ人由来だと突き止めた。
そして、機能が非常に重要性なので、数万年という自然選択を受けてもほとんど変わらずに高頻度で残っていたと考えた。
実はこのネアンデルタール人由来のTLR1とTLR6、TLR10遺伝子を最も多く持つのが日本人。どの集団よりも高く、約51%が持っていた。
花粉症の最大の要因にTLR1とTLR6、TLR10が直接関与するわけではないが、免疫システムを通して人類の壮大な進化を想像し、内なるネアンデルタール人を思うことで少しは症状が軽くなるかもしれない(そんなことはありません)。
取材・文 山下 祐司
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2017-01-04 ネアンデルタール人 日本人について
http://www.m-a-p-s.biz/entry/neanderutarujinnihonjin
ネアンデルタール人と 日本人について書いてみました。私たちが生きていくためには欠かせないシステムである免疫のいくつかの遺伝子はネアンデルタール人とデニソワ人からの「プレゼント」だったことが明らかになりました。
最もネアンデルタールに近いのは日本人?免疫システムに残る人類の歴史
日本人の遺伝子の中にはネアンデルタール人が「潜んで」いる。
今年もしばらくすると2月に入り、暖かい地域ではスギの花粉が観測されはじめ、薬局やコンビニでも花粉対策商品の陳列に大忙しになる事と思います。
しかし、この花粉症を含めたアレルギー反応というのは、体内に侵入した細菌やウィルスなどから体を守るための免疫システムが過剰に反応して起きているといわれています。
この私たちが生きていくためには絶対に欠かすことのできない大切なシステムである免疫。この免疫に関わるいくつかの遺伝子はネアンデルタール人とデニソワ人からの「プレゼント」だったことが明らかになりました。
遺伝学の科学雑誌「The American Journal of Human Genetics」でドイツの研究チームが『日本人の遺伝子の中にネアンデルタール人が「潜んで」いる』と発表し話題になっています。
ヒトはネアンデルタール人を滅ぼして今の繁栄を築いた
ドイツ・マックスプランク研究所のJanet Kelsoのチームは研究で、現代人の遺伝子の中に
、ネンデルタール人やデニソワ人との交配によって残り続けている「彼ら」の遺伝子をさがしていました。
人類の進化において少しショッキングな近頃の発見といえば、ヒトが絶滅させたと考えられているネアンデルタール人と人間が実は交配をしていたとされる事実と第3の人類デニソワ人の発見でした。
この3種は50万年前に共通祖先から分かれたと考えられ、ネアンデルタール人はヒトより数十万年前にアフリカを出て主にヨーロッパに広がったとしています。
研究チームが目をつけたのがTLRの遺伝子で、これまでの研究データをもとにピックアップすると、TLR(Toll Like Receptor)遺伝子は細胞の表面にニョキニョキと生えているタンパク質のことで人間の免疫システムの中で非常に重要な役割を果たしています。
体を外敵から守る為には、まず外敵の侵入を関知しなくてはなりません。この時この防犯センサーの役割を担うのがTLR遺伝子というタンパク質なのだそうです。
体内に侵入した細菌や菌類、寄生虫の一部がこのTLR遺伝子にくっつくと体内のセンサーが発動し、外敵に攻撃をしかける細胞が集まったりと、さまざまな免疫のシステムが動く仕組みになっています。
複数あるTLR遺伝子のうちTLR1とTLR6、TLR10は染色体上に隣接しており、ネアンデルタール人やデニソワ人の3つのTLR遺伝子を含む領域を現代人と比較してみたそうです。
ヨーロッパ人と東アジア人、アフリカ人など現代人の14の集団のこの領域を調べてみると7つのタイプに分類され、このうち2つがネアンデルタール人由来、ひとつがデニソワ人由来だと判明します。
理論的にはヒトより数十万年先にアフリカを出て、中東を経由してヨーロッパに広がったネアンデルタール人の遺伝子は、アフリカに残った祖先由来のアフリカ人には存在しいていませんでした。
これを調べたら、確かにアフリカ人にはネアンデルタール人由来のTLR遺伝子を含む領域はほとんどみられませんでした。このように、現代人のTLR遺伝子を含む領域のゲノム配列を詳細に調べ比較してネアンデルタール人とデニソワ人由来だと突き止めたのです。
そして、機能が非常に重要なので、数万年という自然選択を受けてもほとんど変わらずに高頻度で残っていたと考えたようです。
実はこのネアンデルタール人由来のTLR1遺伝子とTLR6遺伝子、TLR10遺伝子の3つの遺伝子を最も多く持つのが私たち日本人で、どの集団よりも高く、約51%が持っていたそうです。
花粉症の最大の要因にTLR1とTLR6、TLR10が直接関与するわけではありませんが、免疫システムを通して人類の壮大な進化を想像し、私たちの祖先である、内なるネアンデルタール人のことを意識してみるのも、たまにはいいのかもしれません。
http://www.m-a-p-s.biz/entry/neanderutarujinnihonjin
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とてつもなく古い国・日本 - ねずさんのひとりごと 2017年02月14日
https://vpoint.jp/column/82217.html
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3297.html?sp
多くの方が、現生人類の始祖は、クロマニョン人と思っています。
フランスのラスコーに壁画を残している、あのクロマニョン人です(下記の絵)。
このクロマニョン人が登場したのが、いまから約4万年ほど前です。
Rascow
https://vpoint.jp/column/82217.html
同時期の現代型サピエンスの始祖とされているものには、もうひとつ、支那の北京郊外の周口店にある竜骨山の頂上付近の洞窟から発見された上洞人(じょうどうじん)があります。
この上洞人は、北京原人が発見されたのと同じエリアで発見されたものですが、いまのところ私は、支那は何でもどこかの国で古いものが発見されると、毎度のことですが、必ず「それよりも古いものが支那で発見された」と突然新発見される国ですから、こちらの上洞人が本物なのかどうか、やや眉にツバをつけてみる必要がありそうです。
さて、4万年前のクロマニョン人以降が現生人類であり、これが「新人類」、それ以前の人類は「旧人類」と分離されます。
「旧人類」の代表格がネアンデルタール人で、大体20万年くらい前に出現し、2万数千年前に絶滅したとされる種です。
「旧人類」であるネアンデルタール種は、現生人類よりも頭頂部が低くて、顔立ちはややサルに近いようです。
遺骨から得られたミトコンドリアDNAの解析結果によれば、ネアンデルタール人のDNAは現生人類のDNAとは異なり、一般にはネアンデルタール種と、現生人類は別種であり、混血はできなかったとされています。
最近の学説では、そうともいえないという説も出されていますが、諸説あって、これはこれで今後の研究が楽しみな分野です。
ちなみに、このネアンデルタール人、イラクのシャニダール洞窟で見つかったのですが、その見つかった場所からは、大量の花の花粉が見つかっています。
これはどうやらお葬式をした痕跡だったのではないかというのが有力説で、葬送の際に、遺体を花で埋め尽くしたものであるようです。
つまり、ネアンデルタール種には、きわめて高い知能があった、ということです。
ついでに申し上げると、人類の始祖は
1 猿人(約600万年前?130万年前)
2 原人(約150万年前?20万年前)
3 旧人類(約20万年前?約2万年前)
4 新人類(約4万年前?現代)
と大別されています。
では日本ではどうだったかというと、人骨では、沖縄県那覇市山下町の第一洞穴で、昭和43年(1968)に発見された。子供の大腿骨と脛骨が、約3万2千年前もので、これが国内では最古とされています。
内地では、静岡県浜松市浜北区の根堅(ねがた)で発見された浜北人の、約2万年前のものがあります。
昨年2013年6月7日、島根県出雲市の砂原遺跡の調査をしていた学術発掘調査団が、同日までにこの遺跡から出土した石器36点について、この石器が約11万〜12万年前の石器であると結論づける結果を発表しました。
年代測定方法に関しては、詳細なデータを公表しているので、これはほぼ間違いのない調査結果です。
つまり、我が国では、分類上「旧人類」の時代とされている時代の石器が発見されているわけです。
そしてそれは、旧人類のうちから、日本には人が住んでいたという証拠なのです。
最近ドイツで発表された研究成果では、ネアンデルタール種はヨーロッパにおいては絶滅種となったけれど、日本においては新人類とゆるやかな混合がなされたのではないかという説が有力です。
つまり、日本人は、もともとネアンデルタール種から進化し、後から入ってきた新人類種とゆるやかに血が混じって、現在の日本人を形成しているというのです。
そして群馬県みどり市笠懸町にある岩宿遺跡(いわじゅくいせき)からは、約3万年前の磨製石器が発見されました。
人の手によって磨きがかけられた石器としては、これが「世界最古」の石器です。
青森県の大平山元1遺跡からは、いまから1万6500年前の土器(これは世界最古の土器です)が発掘されています。
また、2010年5月29日には、滋賀県近江市永源寺相谷町にある遺跡から、縄文時代草創期(約1万3千年前)の国内最古級の土偶が出土しました。
この土偶は、高さ3.1cm、最大幅2.7cmのもので、日本最古の土偶です。
ごらんいただいてわかるのですが、豊満な胸をしており、ひと目で女性とわかるものです。
https://vpoint.jp/column/82217.html
【日本最古の土偶】
首のところに穴が空いていて、説明などによると、この穴を「顔に見立てたのではないか」といわれていますが、むしろコケシ人形のように、この穴に頭部が挿し込まれていたと考えた方がしっくりくる気がします。
そして、福井県若狭町の鳥浜貝塚から発見された漆の木の枝は、約1万2600年前のものであることが確認されました。
漆は、植えただけでは育ってくれない木です。
下草を刈り、毎年手入れをしながら最低10年の歳月をかけて育て、漆を採取します。
日本列島では、
・11万年前には、石器が使われ
・3万年前には、加工した石器(磨製石器)が使われ、
・1万6500年前には、世界最古の土器がつくられ、
・1万3000年前には、人の形をした土偶がつくられ、
・1万2500年前には、漆が栽培され、使われていました。
日本の歴史は、とても長くて古いのです。
そしてその日本において、およそ1万7000年前から約3000年前までが、縄文時代です。
縄文時代の遺跡からは、対人用の武器が見つかっていません。
もちろん、矢じりや石斧は出土していますが、いずれも小さく、対人用の武器としては使えない小型のものばかりです。
つまり、縄文時代、日本には、人が人を殺すという文化がなかったということです。
日本人は、はるか1万7千年の昔から(もしかするともっと以前から)、人が人を殺して奪うのではなく、人が人と協力しあって、食料や生きるために必要なものをつくるという文化を熟成させてきた、ということになります。
古事記では、もろもろの天の神様たちが、最初の男女神であるイザナキノミコト(伊耶那岐命)とイザナミノミコト(伊耶那美命)に、「下界に漂っている混沌を有るべき姿につくり(修理)、固め(固成)なせ」と命じ、天の沼矛(アメノヌボコ)をお授けになったとされています。
これを「修理固成」と書いて「つくりかためなせ」と読みます。
そこでお二柱の神様が天の浮き橋にお立ちになられて、その沼矛で下界をかき回し、沼矛を引き揚げたときに、沼矛の先から滴った潮でできたのがオノコロ島です。
滴った雫(しずく)というのは、球体です。
その球体が、潮でできていて、オノずとコロがる島といえば、それはどうみても地球です。
ちなみに、夜空にかかる大きな橋といえば、天の川です。
そしてお二柱の神様は、オノコロ島に降り立たれ、そこで結ばれて(結い)、日本列島を産みます。
これが「国生み神話」です。
そしてそのあとに、天照大神(あまてらすおおみかみ)様がお生まれになられます。
その天照大神(あまてらすおおみかみ)様の直系の御子孫が、統(す)メル国が、日本です。
ですから天皇のことを、私たちは「スメラミコト」と呼びます。
その天照大神(あまてらすおおみかみ)様の御神意は、国譲り神話に明らかな通り、私たちの国を「シラス国」とせよ、というものでした。
そしてその「シラス」という権威と権力を切り離した統治が、私たちの国では、はるか太古の昔から行われてきたわけです。
権力者による収奪のない日本では、古くから「モノ作り」がとても大切にされてきました。
そのための技術も進歩しました。
勾玉(まがたま)の多くは、ヒスイでできていますが、ヒスイの硬度は6.5で、鉄の5.0よりもはるかに硬いものです。
その硬いヒスイを、まだ鉄さえもなかった時代に、美しく研磨し、穴まで通してできたのが勾玉です。
そしてわたしたちの国では、そうしたモノづくりの技術を、ただ作ることだけに注ぐのではなく、それを修理しながら大切に使うという文化を熟成させてきました。
その「修理しながら」という概念は、人間関係の共同体でも同じスタイルが講じられました。
人間関係が壊れたときは、どちらか一方が殺された、諸外国と異なり、わたしたちの祖先は、一度こわれた関係でも、それをなんとか修理して復す努力が行われてきました。
日本人が、先に謝るという文化をもっているのも、このことによります。
私たちは、とてつもない国、そして誇るべき文化を熟成させてきた国の住人なのです。
https://vpoint.jp/column/82217.html
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日本人はネアンデルタール系種族の生き残り? - ねずさんのひとりごと? 2017年08月31日
https://ameblo.jp/aoiwasi-k135/entry-12306382775.html
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3498.html?sp
なんだか大上段に振りかぶったようなタイトルになってしまいましたが、要するに言いたいのは、「7万年前からが現生人類」というのは「白人種視点での人類史」だということです。
有色人種視点で考えると、特に日本人などは25万年前に生まれた新人類種(ネアンデルタール系)の生き残りからの進化と考えなければ、遺跡の辻褄が合わなくなるのです。
年表
猿人が出現したのがおよそ600万年前、ネアンデルタール系等の新人類種が出現したのが、およそ25万年前といわれています。
この時代の人類は、火や石器を使うネアンデルタール種を筆頭に、猿人から現在の人類に近いものまで、かなり多様な種族があったようです。
ところがおよそ7万年〜7万5千年前に、インドネシアのスマトラ島にある「トバ火山」が大噴火を起こします。
この噴火は地球史上に残る大噴火で、噴煙は世界に広がって、地球気温は年平均で5℃も低下しました。
年平均気温というのは、1℃違うだけで、鹿児島と仙台の気象が入れ替わります。
それが5℃違うということは、日本がアラスカのような気候になり、赤道直下の気候が北海道から樺太にかけての気候になるということです。
これはものすごい変化です。
当然影響はすさまじくて、このとき地球上の人口は、およそ1,000〜10,000人程度にまで減少したといわれています。
地球はひとつの生命体に例えられますが、その地球が怒ると本当に怖いです。
そしてこの大災害を生き残ったごくわずかな人類が進化して、現代人になったとされています。
これを「ボトルネック効果」といいます。
多様な進化を遂げていた種が、急激な個体数の減少によって遺伝的な多様性を失ない、わずかに生き残った種が、その後繁栄して現代の種になっているわけです。
このことは比較的近いこの千年ほどの時代の中にあって、民族的特徴が極めて似通って細目、エラ、耳などの身体的特徴が極めて似通った民族があることでも理解いただけると思います。
こちらは一国の中における社会体制が原因ですが、トパの噴火のときには、これが地球的な規模で起きたわけです。
おもしろいことに、このときのトパ噴火後、ヒトに寄生するシラミもまた、この時期に変種が生まれています。
毛髪に寄宿する毛ジラミと、衣服に寄宿する衣ジラミで、近年の遺伝子の研究によって、この2種が分化したのも、およそ7万年前とわかりました。
このことは、トバの噴火後、急速に寒冷化した地球を生き残るために、人類が衣服を着用するようになったことを示しています。
トバの大噴火によって起こされた地球の寒冷化は、その後約5万年続きました。
その5万年が、地球上の最終氷河期と呼ばれる期間です。
その終わり頃のおよそ1万8千年前、地球気温は最低のレベルにまで冷え込みました。
その理由が姶良カルデラ(あいらカルデラ)の破局噴火です。
これは日本で起こっています。
鹿児島湾には、入り口付近に桜島があり、その内側は、およそ直径20kmの窪地を構成しているのですが、これが姶良カルデラです。
つまり桜島が活火山なのではなくて、鹿児島湾自体が巨大な噴火口だったわけです。
このときの噴火による火山灰は、南九州では30メートル、高知県宿毛で20メートル、鳥取県大山付近で8メートル、京都にも4メートルも降り積もっています。
そして偏西風に乗って世界各地に甚大な被害をもたらしています。
そしてこれによって、地球気温は急激に寒冷化するわけです。
ちなみに火山の噴火というのは、単に火山灰が太陽を隠して寒冷化をもたらすというだけにとどまりません。
火山灰に含まれるガラス成分が肺に入って突き刺さり、アスベストと同じ肺気腫や心不全などの健康被害をもたらして人を死に至らしめます。
実は近年、南九州で、この火山灰層の下から、縄文時代の大集落跡が次々と発見されています。
そこでは世界最古の船造りのための工具や、燻製施設、金属を加工するための炉、縄文ではなく貝殼紋の土器などの遺物遺構が続々と発掘されています。
この人たちは、遺物の状況からみて、造船のみならず、金属加工まで行っていたわけで、極めて高い文化を持った人々であったことがわかります。
しかも彼らは海洋族です。
海洋族であったということは、海を移動する人々でもあったということです。
さて日本列島には、この姶良カルデラ(あいらカルデラ)の破局噴火よりも1万2千年古い、およそ3万年前の世界最古の磨製石器が関東で発掘されています。
場所は栃木県の岩宿遺跡です。
さらに島根県の出雲にある砂原遺跡からは、およそ12万年前の石器が発掘されています。
これはトパの噴火よりも古い時代の遺物ですが、現生人類の誕生が7万年前とすると、砂原遺跡の石器は、現生人類ではない旧人類(新人)の遺物ということになります。
一方、その人々がそのまま日本列島に生き残ったのであろうことは、近年の研究成果で日本人のDNAに、ネアンデルタール系のゲノムが世界で最も多く残されていることで証明されています。
これは昨年、西ドイツの研究チームが発表したことです。
つまり日本人はネアンデルタール系の旧人類が、現生人類と7万年の歳月をかけてゆるやかに結合していくことで現代日本人につながっている種といえるわけです。
日本列島で石器を遺した人々は、7万年前のトパの噴火で多くの命が失われ、また3万年前の姶良の噴火でも、やはり多くの人命を失ったことでしょう。
ところが姶良カルデラの噴火後、およそ千年の間に、地球気温はいまよりもずっと上昇します。
そしていまから1万6500年前には、青森で最古の土器が発掘されています。
なぜ青森なのかといえば、その頃の地球気温がいまよりもずっと高かったからです。
そして姶良カルデラの噴火以降の遺跡は、九州地区から山陰、畿内、関東、東北へと広がりを持ちます。
この時期の日本列島は、寒冷化と温暖化が数百年単位で変化しています。
このことは、たとえば森の木々にしても、森が針葉樹林になったり、広葉樹林に変化したりしているわけです。
このことは、人々の生活環境を劇的に変えていくことを意味します。
そうした環境変化を生き延びようとすれば、当然、着衣や道具類を進化させていかなければならなくなります。
また、人は移動できる動物です。
寒冷化が進めば南へと移動し、温暖化が進めば北へと移動します。
ここでヒントになるのが、海洋族であったという切り口です。
海の魚には様々な種類がありますが、魚たちはわずかな海温の変化で、その生息地を変化させます。
最近でも、ほんの30年前には御前崎あたりで捕れていたイシモチが、いまは東京湾くらいまで北上しています。
食用には様々な魚が供されたでしょうけれど、比較的漁がしやすく、食用に量も確保しやすい魚が移動すれば、いまのような土地の所有権などなかった時代のことですから、人々は、魚とともに北上したり、南下したりを繰り返したことと思われます。
また、よりたくさんの魚を得るためには、船造りや釣り針などに常に工夫が必要です。
ここにも知恵が必要になります。
海洋族というのは、海を利用して頻繁な往来を行います。
姶良の噴火のような自然災害がいつ起こるかわからないという中にあっては、子孫たちは、地域的に離れて住むことが行われたことでしょう。
このことは古事記の中にあっても、国産み神話の中で、人々(子孫)が全国各地に広がっていった様子として描かれています。
なぜならそうしなければ、変化する環境を生き残れないからです。
ずっと寒冷のまま、ずっと温暖のままであれば、そのような知恵は必要ないかもしれません。
けれど生活環境が劇的に変化する環境のなかにあっては、子孫の生活拠点をどこに置くかは、とても重要なことです。
さて、3年前の2014年のことですが、現生人類とネアンデルタール人は、6万年前くらいから混血してきたのではないかという説が発表されました。
翌年には、米国の研究チームがDNAの研究によって、鬱病や気分障害や依存症などの精神疾患は、ネアンデルタール人由来のものであるという発表を行っています。
そして上にも書きましたが、昨年には西ドイツの研究チームが、世界でもっともネアンデルタール系のDNAを保持しているのが日本人だという研究成果を発表しています。
これらを総合して考えるとき、日本人は大陸から朝鮮半島を経由して日本列島に住み着いたという説は賛成しかねるものとなります。
なぜなら、いまでもそうですが、いわゆる文明というものは、河川と海の交わる平野部で興っているからです。
人類が内陸部でも生活するようになるのは、ずっと後の時代の、農耕が営まれるようになったおよそ1万年前からのことです。
それ以前は、狩猟採集生活なのですが、いまでも都市の多くが海に面していることが示すように、狩猟だけでなく、海洋や河川からの漁労が人々の生活に欠かせないものであったことは、論ずるまでもないことであると思います。
モスクワは地図上では内陸部ですが、そこはいわゆる水郷地帯です。
北京や南京は内陸部ですが、やはり河川に囲まれた平野部にあります。
人は食べなければ生きていけません。
そして人が生活したのは、その食べ物を得やすいところであったであろうということは、容易に想像できることです。
そしてその食べ物は、野山と海や川にあります。
ということは、森があり、海にも川にも近くて、その川がいわゆる暴れ川ではないところが、人々の生活の場所になったであろうことは論をまたないことです。
実際、縄文時代の遺跡である貝塚は、いずれも海に近い所にあります。
そうであるとするならば、人は海の近くに住み着いて進化したはずであって、山や砂漠地帯での生活を何万年もの長い間送ったとは考えられないし、そのような生活であったと証明する遺跡もありません。
そもそもサルとヒトとを分ける最も大きな特徴は、尻尾と体毛の有無にあります。
尻尾は四足歩行をする際に、頭部の重さとのバランスをとるためのものですから、二足歩行するようになると尻尾は必要がなくなります。
また体毛は、哺乳類が森で生活するのにあたって、肌を守るために絶対に必要な条件です。
ところがヒトの体毛は、サルよりもはるかに薄い。
そして海に住む哺乳類では、繁殖を陸上で行うアザラシ、トド、アシカ類には密生した体毛がありますが、それ以外のジュゴン、クジラ、イルカ等には体毛はありません。
つまり、海に近い所で生活するようになったサルが、体毛を退化させてヒトに進化したと考えられるのです。
このことから導き出されることは、ヒトは、海岸付近で生活し、その後、文明を発達させて、草木や虫などから身を守る衣類を用いるようになってから内陸部へと、その生息圏を広げていったということです。
そしてシラミの研究から、ヒトがおよそ7万年前から衣類を用いるようになったということは、人が内陸部に生活拠点を求めるようになったのは、早くても3万年以降のことだし、農耕の始まりが1万年前からだということは、それ以前の人々は主として海洋や大型河川から食を得ていたということができます。
そしてそのことは各地の旧石器、新石器の遺跡の所在地がこれを証明しています。
さらに最終氷河期のピークにあたる1万8千年前といえば、海面がいまよりも140メートルも低かった時代です。
これは、いま大陸棚となっているところは、ほとんど海上に顔を出した陸地であったことを意味します。
黄海から東シナ海、南シナ海、タイランド湾からジャワ海に至る一帯は、実は陸上であったわけです。
そして日本列島は、それら張り出した大陸棚の最東端の海に面した地域でした。
要するにこの時代の人々は、海に面した(つまりいまでいう大陸棚の端)あたりに住んでいたわけで、これがその後の温暖化による海面上昇によって、住んでいた地域が水没し、分断されて行ったと考えられるわけです。
日本列島や琉球諸島から、旧石器が出土するのはこのためで、その時代から海に面していて、水没をまぬがれた地域であるからといえるわけです。
つまり日本列島に住む人々は、大陸や朝鮮半島から「やってきた」のではなくて、日本列島に住んでいた人々はそのままに、海面の上昇に従って住む土地を奪われた人々が、およそ1万年の歳月をかけて次第に支那大陸や朝鮮半島などに「追われていった」のです。
こうした人類史というのは、まだまだわからないことだらけの世界です。
ただひとついえることは、古い人種であるネアンデルタール系の人々は、サル同然の姿形や生活をしていたわけではなく、死者を埋葬するに際して、棺に花をいっぱい入れたり(このことは遺跡によって証明されています)、石器や船つくりや、金属加工まで行う一定の文化水準を持った、まさに知恵のある人(ホモ・サピエンス)であったということです。
そしてトパの大噴火後、現生人類が誕生し、ネアンデルタール系はおよそ2万年前には滅んだとされていますが、どっこいそうではなくて、トパの噴火後も、実はユーラシア大陸の東のはずれにも、大噴火を生き残ったネアンデルタール系の人々がいたわけです。
そして海洋族として人口を増やしていくのですが、地球の温暖化によって島と大陸に分断されていき、大陸側の人々は、好戦的な現生人類種によって次々に殺され、あるいは強姦されて血が混じり、ネアンデルタール系の痕跡がわずかしか残っていないという状況になっていき、一方、海に隔てられた日本や琉球諸島、あるいは南太平洋の島々の人々は、その後7万年の歳月をかけて、現生人類とゆるやかに交配を重ねていって、現在に至っているのではないかと思われるわけです。
実はこのことは、古事記を読むと、どうやらそれらしいことが書かれていることに驚かされます。
国産み神話や神生み神話に述べられている神々のお名前に使われている漢字を紐解いていくと、どうやらそれらしいことが書かれているとしか思えないのです。
たとえば伊耶那岐、伊耶那美の生んだ最初の子である水蛭子(ひるこ)は、海に流したと書かれていますが、これはもしかしたら何万年もの昔に水没して失われた、かつて住んでいた陸地のことであるようにも読めるのです。
火之迦具土神の神語は、その後にあった大きな火山の噴火を意味しているようにも読めてしまいます。
しかし、最近の様々な地球史、人類史は、次第に古事記に書かれた神語の真の意味を解き明かしつつあるような気がしてならないのです。
https://ameblo.jp/aoiwasi-k135/entry-12306382775.html
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