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(回答先: グリーグ 『ペールギュント ソルヴェイグの歌』 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 22 日 15:19:44)
エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグ 『ペール・ギュント』
ビーチャムのグリーグ 『ペール・ギュント』
Grieg: Peer Gynt(excerpts), Beecham & RPO (1955)
エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグ
ペール・ギュント (抜粋)
(00:05) 1. 花嫁の行列の通過
(03:49) 2. イングリッドの嘆き
(08:16) 3. 山の魔王の宮殿にて
(10:33) 4. 朝
(14:43) 5. オーセの死
(20:43) 6. アラビアの踊り
(25:28) 7. ソルヴェイグの歌
(30:48) 8. アニトラの踊り
(34:51) 9. ペール・ギュントの帰郷
(37:56) 10. ソルヴェイグの子守唄
ソプラノ:イルゼ・ホルヴェーク
指揮:サー・トマス・ビーチャム
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ビーチャム合唱協会 (合唱指揮:デニス・エドワード・ヴォーン)
録音:1956年6月5、18、21、29日、1957年4月1日 アビーロード・スタジオ (ロンドン)
▲△▽▼
劇音楽
『ペール・ギュント』(作品23、1875年/1885年、1888年、1891年、1902年改訂)
『ペール・ギュント』第1組曲(作品46、1888年)
5.0点
超有名な「朝」をはじめ、4曲とも有名曲である。
一度聴けば忘れないような印象的で大変親しみやすいメロディーの素晴らしさは、見事というほかない。とにかく楽しくていい曲ということに尽きる。
素朴なオーケストレーションは聴きやすい。
有名曲が多いわけではないグリーグだが、この組曲に最大級の傑作を集められたこと自体が、彼のネームバリュー向上に貢献したとも言えるだろう。
『ペール・ギュント』第2組曲(作品55、1892年)
3.8点
3曲目までは、いかにも第1組曲の選に漏れた2軍の曲集という冴えない感じである。親しみやすいアレンジだが面白くない。
しかし、3曲目で作った雰囲気から入る4曲目のソルヴェイグの歌の透明な悲哀の純粋な美しさに感動させられて胸がいっぱいになり、最初の方の不満は吹き飛んでいく。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/グリーグ
『ペール・ギュント』(Peer Gynt )作品23 は、エドヴァルド・グリーグの代表作の一つで、ヘンリック・イプセンの戯曲『ペール・ギュント』のために作曲した劇付随音楽。
管弦楽のための組曲が2つ編まれており(作品46と作品55)、それらが有名である。
また他にもグリーグ自身の編曲で何曲かがピアノ独奏曲やピアノ伴奏の歌曲に編曲されている。
高名な劇付随音楽の中では珍しく、劇そのものの初演のための作曲である。
作曲の経緯
『ペール・ギュント』はイプセンが1867年に書いた作品である。
元は上演を目的としないレーゼドラマとして書かれたが、その後イプセンはこれを舞台で上演することになった。本来は舞台向きでないこの作品の上演に当たって、イプセンは音楽によって弱点を補うことを考えた。そこで1874年に、当時作曲家として名を上げつつあった同国人のグリーグに、劇音楽の作曲を依頼した。
グリーグは自分の作風が小品向きであり、劇的でスケールの大きな舞台作品には向かないと考えていて、一旦は依頼を断わろうともしたが、報酬と、民族的な題材への作曲に興味を引かれたこともあり、作曲を引き受けた。作曲は同年に開始したが難航し、翌1875年に完成した。
『ペール・ギュント』の舞台上演は1876年2月24日、クリスチャニア(現オスロ)の王立劇場で初演が行われた。音楽の指揮はヨハン・ヘンヌムによる。上演は、イプセンの狙い通りに音楽のおかげもあって成功を収めたが、一方で近代性を備えた風刺的なイプセンの戯曲に対してグリーグの音楽がロマンティックに過ぎることへの批判もあった。
グリーグはその後、再演のたびに改訂を行っており、1885年、1887年から1888年、1890年から1891年、1901年から1902年に改訂されている。
1876年にパート譜のみ出版された後、1908年にドイツのペータース社から出版されたが、完全な形で全曲版がペータース社から出版されたのは1987年である。
編成
ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバル、タムタム、トライアングル、タンブリン、シロフォン、鐘、ハープ、オルガン、ピアノ、ハリングフェーレ(またはヴィオラ独奏)、弦五部、独唱、合唱
組曲版でもおおよそ同じ編成であるが、声楽やオルガン、ピアノなどは省かれている。
構成(作品23)
グリーグが作曲した音楽は全27曲(番号付きの26曲と番号なしの1曲)である。
他にヨハン・ハルヴォルセンがグリーグのピアノ曲を編曲した追加曲もある。
第1幕
1.婚礼の場で(I Bryllupsgården)
第1幕への前奏曲。
(追加曲)花嫁の行列の通過(Brudefølget drager forbi)
ピアノ曲集『人々の暮らしの情景』作品19の第2曲をハルヴォルセンが管弦楽編曲して1886年に追加したもの。
2.ハリング舞曲(Halling)
3.跳躍舞曲(Springar)
第2幕
4.花嫁の略奪とイングリ(イングリッド)の嘆き(Bruderovet - Ingrids Klage)
第2幕への前奏曲。
5.ペール・ギュントと山羊追いの女たち(Peer Gynt og Sæterjentene)
女声による三重唱。
6.ペール・ギュントと緑衣の女(Peer Gynt og den Grønnkledte)
7.ペール・ギュント「育ちのよさは馬具見りゃわかる」(Peer Gynt: 《Pa Ridestellet skal Storfolk kjendes!》)
8.ドヴレ山の魔王の広間にて(I Dovregubbens Hall)
男声合唱が加わる。
9.ドヴレ山の魔王の娘の踊り(Dans av Dovregbbens Datter)
10.ペール・ギュントはトロルに追い回される(Peer Gynt jages av Troll)
11.ペール・ギュントとベイグ(Peer Gynt og Bøygen)
第3幕
12.オーセの死(ノルウェー語版)(Åses døt)
(番号なしの1曲)
第4幕
13.朝のすがすがしさ(ノルウェー語版、英語版)(Morgenstemning)
第4幕への前奏曲。
14.盗賊と密売者(Tyven og Heleren)
盗賊と密売者が交互に歌う。
15.アラビアの踊り(Arabisk Dans)
女声二部合唱と独唱(アニトラ)が加わる。
16.アニトラの踊り(ノルウェー語版)(Anitras Dans)
17.ペール・ギュントのセレナーデ(Peer Gynts Serenade)
ペール・ギュントの歌。バリトン独唱。
18.ペール・ギュントとアニトラ(Peer Gynt og Anitra)
19.ソルヴェイの歌(ノルウェー語版)(ソルヴェイグの歌、Solveigs Sang)
舞台裏の歌手が歌う。
20.メムノン像の前のペール・ギュント(Peer Gynt ved Memnonstøtten)
第5幕
21.ペール・ギュントの帰郷、海の嵐の夕方(Peer Gynts Hjemfart. Stormfull Aften på Havet)
22.難破(Skipsforliset)
23.小屋でソルヴェイ(ソルヴェイグ)が歌っている(Solveig synger i Hytten)
24.夜の情景(Nattscene)
25.ペンテコステの賛美歌「祝福の朝なり」(Pinsesalme: 《Velsignede Margen》)
無伴奏のユニゾンによるペンテコステ(聖霊降誕祭)の賛美歌のコラール。
26.ソルヴェイ(ソルヴェイグ)の子守唄(Solveigs Vuggevise)
女声独唱。
第1組曲 作品46
1891年に編曲された。
原曲の第13、12、16、8曲の4曲を選び、声楽のパートや台詞を省き、楽曲の一部を削除している。
第1曲「朝(ノルウェー語版、英語版)」(ホ長調)
第2曲「オーセの死」(ロ短調)
第3曲「アニトラの踊り」(イ短調)
第4曲「山の魔王の宮殿にて」(ロ短調)
第2組曲 作品55
1892年に編曲、翌1893年に改訂された。
原曲の第4、15、21、19曲の4曲を選び、第1組曲と同様に編曲した。
「ソルヴェイグの歌」では歌唱のパートを器楽に置き換えている。
なお、当初は「アラビアの踊り」の代わりに「山の魔王の娘の踊り」(原曲の第9曲)が入っていたが、改訂時に現行の形に改められた。
第1曲「イングリッドの嘆き」(ト短調)
第2曲「アラビアの踊り」(ハ長調)
第3曲「ペール・ギュントの帰郷」(嬰ヘ短調)
第4曲「ソルヴェイグの歌」(イ短調)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ペール・ギュント_(グリーグ)
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