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ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 Op. 3, No. 6, RV 356
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/918.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 20 日 17:57:55: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ヘンデル オラトリオ 『エジプトのイスラエル人』 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 21 日 17:28:27)

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 Op. 3, No. 6, RV 356



♪ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 Op. 3, No. 6, RV 356 / ロベルト・ミケルッチ(vn),イ・ムジチ合奏団



ヴィヴァルディ:協奏曲集 作品3 「調和の幻想」(全12曲) イ・ムジチ合奏団、ミケルッチ
https://www.youtube.com/watch?v=ikCOMbPVrno&list=PL6PHeC5f0TTf3MLvnMDu640JxbmsRvEMy
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-13689] koaQ7Jey 2020年2月20日 18:00:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-212] 報告

イタリア - クラシック音楽 一口感想メモ
アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678 - 1741)


大バッハも大いに研究したイタリア・バロックの大作曲家。
他の同時代のイタリア作曲家と比較すると、輝かしくも複雑で陰影を秘めており、曲の放つ魅力は断然優れている。メロディーセンスもある。


ヴァイオリン協奏曲
作品3 12曲の合奏協奏曲集『調和の霊感』

第1曲
3.0点
素朴でオーソドックスな中に瑞々しい感受性が感じられて素敵。特に2楽章はロマン派の音楽のように感情的である。

第2曲
2.5点
短調で劇的な雰囲気を一応楽しめるが、あまり面白い曲と思わなかった。

第3曲
2.8点
長調と短調を混ぜた構成で工夫は感じるが、曲の良さにはいまいち繋がっていないと思う。

第4曲
3.5点
短調の曲。バロック的な感情的でなくシンプルな短調の響きの美しさをおおいに発揮している。活気があり、バランスが良いため楽しめる。

第5曲
3.5点
1楽章の単純明解な楽しさと、2楽章の大変美しい叙情性の対比が聞き物。3楽章も悪くない。

第6曲
3.3点
短調の魅力を発揮しているが、単純さの中に神がかり的なものを見せるヴィヴァルディの天才が今ひとつきれいに発揮されていない気がする。中間楽章の叙情性は美しい。

第7曲
3.5点
5つの楽章からなり、それぞれ大きく異なる雰囲気のため、バラエティと起伏に富む感じが楽しい。それぞれは素朴ながらも全体として豊かな音楽という印象が強い。

第8曲
3.5点
2楽章が魅力的。同じフレーズの繰り返しが産む美と憂愁の世界が素晴らしい。1楽章や3楽章も短調の美と躍動感を両立して素晴らしい。

第9曲
2.8点
全部の楽章において、雰囲気は悪くないのだが単純すぎて情報量が少なく、物足りなさが残る。

第10曲
3.3点
2楽章は単調だがなぜか楽しめる。3楽章は分厚い音の積み重ねが聴いていて楽しいし、変化もあって楽しめる。

第11曲
3.0点
3楽章のフーガはもの珍しい気分で聴ける。フーガでもヴィヴァルディは華やかなである。4楽章は訴えかけるようなソロが楽しい。

第12曲
3.3点
伸びやかな雰囲気が印象的。後年の協奏曲に通じるものをそれとなく感じる。密度は平均より高いが、もう一つ突き抜けないものがある。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/イタリア

2. 中川隆[-13688] koaQ7Jey 2020年2月20日 18:10:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-211] 報告

『調和の霊感』(L'estro Armonico)作品3 は、アントニオ・ヴィヴァルディが作曲した全12曲からなる協奏曲集。

1711年にアムステルダムのエティエンヌ・ロジェ(英語版)より出版された。
トスカーナ大公子フェルディナンド・デ・メディチに献呈されている。
ヴィヴァルディの協奏曲のうちで最初に出版された。

この協奏曲集はヴィヴァルディの様々な意図がある。例えば、

曲の配列においても、長調→短調→長調……となるような工夫がなされている。

但し、長調でこの曲集を完結させるという意図があり、第10・11・12番は短調→短調→長調となっている。

独奏楽器はヴァイオリン4台のもの、ヴァイオリン2台のもの、ヴァイオリン独奏のものがそれぞれ4曲ずつある。

チェロは独奏に加わることもあるが、多くは通奏低音と同じ旋律を演奏する。

ヴァイオリン4部、ヴィオラ(楽譜の上では2部に分かれているが実際には異なる音を演奏することは少ない)、チェロ、通奏低音からなる伝統的な協奏曲の編成を使用しているが、もはやコレッリのもののように独奏楽器はトリオ・ソナタの形式をしていない[1]。

ヴィヴァルディはソロ楽器の技巧的な楽想とリトルネロの対比による急・緩・急の3楽章からなる協奏曲で有名であるが、作品3は初期の作品であり、新旧様式が混在している[2]。

同様の様式を持つ協奏曲にはすでにジュゼッペ・トレッリの合奏協奏曲集作品8(1709年)や、ジュゼッペ・ヴァレンティーニの合奏協奏曲集作品7(1710年)があるが、ヴィヴァルディの作品3およびそれに続く協奏曲集はオランダのロジェから出版されたために国際的な名声を得、テレマン、ハイニヒェン、バッハらがヴィヴァルディの様式を採用した[1]。


コレッリの影響

ヴィヴァルディはこの協奏曲集において、コレッリのコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)に似た作品を残している。第1番、第2番、第4番、第7番、第10番、第11番がそれである。

特に第7番は、コレッリの作品6の協奏曲と非常によく似ている。
この作品3以外でもヴィヴァルディは、コレッリに似た作品を残している。


各曲について

第1番 RV 549
4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ニ長調。3楽章形式。

第1楽章 - 導入部の終わりの部分でチェロのソロが加わる。ソロ―トゥッティが頻繁に繰り返される楽章である。

第2楽章 - 平行調であるロ短調に転調する。スピッカート用法を用いる。

第3楽章 - ヴァイオリン・パートは8分の9拍子、伴奏パートは4分の3拍子という奇妙な楽章。楽章のほとんどが8分音符で形成されている。中間60小節〜63小節に小規模な転調があり、最終部90小節〜98小節にかけても転調がある(どちらも短調への転調)。最後はユニゾンで華やかに終わる。


第2番 RV 578
2つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ト短調。

緩・急・緩・急の形をとっている4楽章形式の協奏曲(コンチェルト・ダ・キエーザ)。
この作品と第11番の2曲は、17世紀末に現れた2つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲である。


第3番 RV 310
ヴァイオリン協奏曲 ト長調。3楽章形式。

第2楽章は平行調であるホ短調に転調する。


第4番 RV 550
4つのヴァイオリンのための協奏曲 ホ短調。

これも第2番と同じ緩・急・緩・急の形をとっている4楽章形式の協奏曲である。
この協奏曲はコンチェルト・グロッソからソロ・コンチェルトへの移り変わりを顕著に示している協奏曲の1つである。


第5番 RV 519
2つのヴァイオリンのための協奏曲 イ長調。3楽章形式。

第1楽章 - 冒頭の音型はリトルネッロ主題として楽章の中で生かされるが、すべてイ長調で登場するという珍しい形をとっている。

第2楽章 - 美しい12小節のカンタービレで、通奏低音はや休止。

第3楽章 - リトルネッロ主題8小節からなる。2つのヴァイオリンがソロを交代で受け持ち、その後にトゥッティを繰り返す。なお1楽章と同様、第4トゥッティ以外はすべてイ長調である。


第6番 RV 356
ヴァイオリン協奏曲 イ短調。3楽章形式。

この曲はコンチェルト・グロッソへと発展した古典的な独奏楽器と合奏のための協奏曲の中で最も古い。この曲は少し難しく編曲されて、主要ヴァイオリン学習教本に載っており、特に第1楽章はヴァイオリンを学ぶ上で重要な曲目となっている。

第1楽章 - リトルネッロ主題は3つの動機よりなる。全体的にイ短調が支配的であり、転調はあまり行われていないと言ってよい。

第2楽章 - 14小節のカンタービレ。前半、後半の2部に別分かれ、後半は前半の自由な変奏の形式をとる。

第3楽章 - トゥッティ楽節はホ短調-イ短調-ハ長調-イ長調の調性で再現される。終結部付近ではソロとトゥッティの交代が頻繁に行われる。


第7番 RV 567
4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ヘ長調。
5楽章形式とも解される協奏曲。


第8番 RV 522
2つのヴァイオリンのための協奏曲 イ短調。3楽章形式。

第1楽章はアレグロ。第2楽章は下属調であるニ短調でシチリアーナの旋律。第3楽章は活発な曲である。
J.S.バッハはこれを「オルガン協奏曲第2番イ短調 BWV 593」に編曲した。

第9番 RV 230
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調。3楽章形式。

第1楽章 - 美しい旋律を歌うアレグロ。第1トゥッティと第2トゥッティの旋律が重要な役割を演じている。第3トゥッティでは第1トゥッティの動機がロ短調で再現される。第1楽章としては短めで、2分弱で終了となる。

第2楽章 - オスティナート・リズムが楽章を支配している。ソロ部では通奏低音は休止。

第3楽章 - 第2トゥッティのトレモロ音型がその後のトゥッティに転調して出る。従ってトゥッティにあまり工夫がされていない分、ソロは毎度違う演奏が聴かれる。


第10番 RV 580
4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ロ短調。

J.S.バッハはこれを「4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調 BWV 1065」に編曲した。

第1楽章は4本のヴァイオリンがソロ・パートを次々と交代していく形式である。
第2楽章はラルゴ。終止形はロ短調ではない。
第3楽章も第1楽章と同様の特徴を持つ。


第11番 RV 565
2つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ニ短調。
3楽章形式、または5楽章形式と解されるコンチェルト・グロッソ。

J.S.バッハはこれを「オルガン協奏曲第5番ニ短調 BWV596」に編曲した。
第4楽章はシチリアーナ。J.S.バッハはこれにはほとんど手を加えていない。
第3楽章のフーガ(フガート)はバッハに似た雰囲気を持つ。

第1楽章 - Allegro。2つのヴァイオリンによるソロが続いた後、チェロのソロが始まる。

第2楽章 - Adagio spiccato (e tutti)。わずか3小節の楽章であり、全員が同じリズムで演奏する。

第3楽章 - Allegro。最初にチェロがフーガ(フガート)の主部を演奏し、次にヴィオラ、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンというように入っていく。最後の部分ではヴィオラが大活躍する。

第4楽章 - Largo e spiccato。スピッカート奏法で演奏するシチリアーナ。ソロの部分は第1ヴァイオリンだけが担当し、ほかは8分音符で刻むのみである。トゥッティは伴奏に多少の変化が現れる。

第5楽章 - Allegro。これも第1楽章と同じく、2つのヴァイオリンによるソロが続いた後、チェロのソロが始まる。16分音符が多い活発な曲で、華やかに終わる。

第12番 RV 265
ヴァイオリン協奏曲 ホ長調。第3楽章形式。

J.S.バッハはこの作品をチェンバロ用とオルガン用に編曲した。(協奏曲第5番ハ長調 BWV976)

https://ja.wikipedia.org/wiki/調和の霊感

3. 中川隆[-13686] koaQ7Jey 2020年2月20日 18:27:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-209] 報告

アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678年3月4日 - 1741年7月28日)は、ヴェネツィア出身のバロック後期の作曲家で、ヴァイオリニスト。カトリック教会の司祭。とくに多数の協奏曲の作曲家として知られる。

イタリアのヴェネツィアに生まれ、オーストリアのウィーンで没した。サン・マルコ大聖堂付きオーケストラのヴァイオリニストで、理髪師の父親からヴァイオリンを学ぶ。10歳より教会附属の学校に入り、25歳で司祭に叙階される。赤毛であったことから、「赤毛の司祭」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれるようになった。

司祭になった年に、ヴェネツィアのピエタ慈善院付属音楽院 (Pio Ospedale della Pietà) でヴァイオリンを教えはじめ、1年後にはヴィオラ・アッリングレーゼ(Viola all'inglese:仏語版、Lyra viol:英語版)も教えはじめる。

後に宮廷の「楽長」にあたるフルタイムの「合奏長」ではなく、パートタイムの「協奏曲長」として、多くの器楽曲や、時には宗教曲までピエタに提供し、リハーサルする義務を負った。

一方、オペラ作曲家としての名声も次第と揺るぎないものになり、ヴァイオリンのヴィルトゥオーソとしての演奏旅行の他、オペラ上演のためにヨーロッパ各地を回った。

彼の残した作品は死後長らく忘れられた存在であったが、20世紀に入り多くの作品が再発見され、再評価されることになった。

作品は、四季をはじめとして500を超える協奏曲、52の現存するオペラ(ヴィヴァルディ自身は94のオペラを作ったと書簡に記している)、73のソナタ、室内楽曲、シンフォニア、オラトリオ(現在自筆譜が残っているのは勝利のユディータのみ)、宗教音楽(モテットなど)、カンタータ、など多岐に渡る。

「写譜屋が写譜を行っている間に、協奏曲の全パートを作曲できる」と豪語していた彼は速筆の多作家であり、その荒れた筆跡は残された自筆譜で確認できる。

ヴィヴァルディは特に急・緩・急の3楽章を持ち、主に第1楽章において全奏による繰り返しと独奏楽器による技巧的なエピソードが交替するリトルネッロ形式をもつ独奏協奏曲の形式を確立した人物として知られる。

ただし実際にはヴィヴァルディが独奏協奏曲の考案者というわけではなく、ジュゼッペ・トレッリらはヴィヴァルディ以前に独奏協奏曲を書いているが[2]、ヴィヴァルディの作品は国際的に有名になり、多くのドイツの作曲家がヴィヴァルディの形式で協奏曲を書くようになった[3]。古典派の協奏曲はヴィヴァルディなしには考えることができない[4]。


ヴィヴァルディは書こうと思えば高度に対位法的なフーガなどの音楽も書くことができたが、より直感的で透明な音楽を主に書いた[5]。この親しみやすさによって第二次世界大戦後のバロック・ブームはヴィヴァルディの再発見という形で進められた[4]。


その一方でヴィヴァルディの作品はどれも同じという批判的な意見もあり、たとえばルイージ・ダッラピッコラは「600曲の協奏曲を作曲したのでなく、1曲を600回作曲したにすぎない」と言ったとされる[6][7]。

イーゴリ・ストラヴィンスキーも、おそらくダッラピッコラの言葉によって「同じ形式をあんなにくりかえしくりかえし作曲できた、退屈な男にすぎない」と言っている[8][9]。

皆川達夫は、個人的な好みとしながらも「ヴィヴァルディの音楽の品のなさが耐えられない」と言っている[10]。

通常リオム番号(RV番号)で楽曲が整理されるが、この他にパンシェルル番号(P番号)、ファンナ番号(F番号)が存在する。ジャンルには偏りが多く、ヴァイオリンのための協奏曲はおびただしく残っているものの、チェンバロのための協奏曲は編曲譜が一曲しか残っていない。



生涯

誕生から幼年期と青年期

1678年3月4日[11]、イタリア・ヴェネツィアのカステッロ区に生まれる。
誕生日は長らく不明であったが、20世紀になって、当時の洗礼記録が教区教会で発見された。

瀕死の状態で生まれたため、助産婦が仮の洗礼を授け、2ヶ月後の5月6日に生家の目と鼻の先にあるサン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラ教会で正式な洗礼を受けた。このことは、ヴィヴァルディが生まれながら病弱であったことを物語っている[12]。

父親のジョヴァンニ・バッティスタは、理髪師(当時の理髪師は簡単な外科医(床屋医者)でもあった)として家計を支えていたが、同時にヴァイオリンの才能に恵まれ、ヴェネツィア旅行案内のパンフレットに名ヴァイオリニストとして紹介されるほどであった[13]。同じブレーシャ出身のジョヴァンニ・レグレンツィらとも親交があり、1685年にはサン・マルコ大聖堂のヴァイオリニストに選ばれた。22歳のときに仕立屋の娘カミッラ・カリッキヨと結婚し、長男としてアントニオを授かる。夫妻はアントニオの他に夭逝した子も含めて男の子4人、女の子5人を授かるが、彼らの中から音楽家は誕生しなかった[14]。

幼少時から父親のもとでヴァイオリンに習熟すると共に、父親の幅広い音楽仲間から作曲法などを学ぶ。レグレンツィを含むこれら音楽仲間のうち、誰がヴィヴァルディの教師となったかについては未だ判然とせず、さまざまに推測されている。

庶民階級のヴィヴァルディが、やがて世に出て、さまざまな階級の人と引け目なく交わるには、聖職者になるのがもっとも確実な方法だった。1688年、10歳で当時サン・マルコ大聖堂とサン・マルコ広場を挟んで向かい合って建っていたサン・ジェミニアーノ教会付属学校に入学した。

1693年、15歳で剃髪し、1699年、21歳で下級叙階を得て、1700年、22歳で助祭となり、翌1703年の3月25日に、25歳で司祭に叙階される[15]。彼は「赤色」に因むRossi(ロッスィ)の綽名で呼ばれた父親と同じく赤い髪であったために、「赤毛の司祭」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれた[16]。

ところがヴィヴァルディには、生まれつき喘息と思われる持病があり、特に司祭としてミサの説教に立っている時に発作が起こると、ミサの続行が困難と成ることがたびたびあった[17]。こうしたことから、同年9月にはミサを挙げることを免除され、平服の在俗司祭となった。


音楽院の教師としての活動(1703年から1713年)

在俗司祭となった9月、1346年設立という由緒あるピエタ慈善院付属音楽院 でヴァイオリンの教師として教鞭を執り始めた[18]。キリスト教会が行う慈善事業の一環として、捨て子の養育を目的に建てられた慈善院は、才能のある女子に対して音楽教育も盛んで、ヴェネツィア共和国にはピエタをはじめ、インクラービリ、メンディカンティ、オスペダレットの4つがあり、附属の音楽院が併設されていた。また1704年にはヴィオラ・アッリングレーゼも教えている。1703年以降から1740年にかけて、教師として、また作曲家として器楽曲から声楽にいたる幅広い分野の作品を提供し、そのリハーサルを行なう雇用関係を断続的に持った[19]。

ピエタ音楽院で作曲と合奏の指導を任されたヴィヴァルディは、全12曲からなる『トリオ・ソナタ集』を作曲し、1705年にこれらを「作品1」として出版する。トリオ・ソナタの先駆者として有名なアルカンジェロ・コレッリの影響が色濃く見られるこの作品群は、ヴェネツィアの貴族アンニーバレ=ガンバーラ伯に献呈されている。

1709年の2月にピエタ音楽院との契約が更新されなかったが、その理由のひとつに、当時のピエタの経営状況が思わしくなかったことがあげられる[20]。この年に12曲の『ヴァイオリンソナタ集』を「作品2」として出版する。1711年の9月にピエタ音楽院との契約を更新する。「作品3」として『調和の霊感』が出版される。1713年にピエタ音楽院の合奏長であるフランチェスコ・ガスパリーニ(Francesco Gasparini,1668-1727)が職を辞す[21]。後任が決まるまで、音楽院はヴィヴァルディに宗教曲の作曲も依頼する。同年にオペラの処女作『オルランド・フリオーソ(怒りのオルランド)』がヴェネツィアのサンタンジェロ劇場で初演される。

この時期、基本的に音楽院の音楽教師という立場にいながら、作曲家としてのヴィヴァルディの名はヨーロッパ中に広がり始めていた。

これは、生命力のほとばしりを感じさせる瑞々しい曲想のみならず、合奏協奏曲から更に進んだ独奏協奏曲のスタイルを確立していったためと考えられる。

同時代のドイツ人音楽家ヨハン・ゼバスティアン・バッハも少なくとも筆写譜の形でヴィヴァルディの楽譜を入手していた[22]。
各地で公演されたオペラも次第に彼の名を高めて行った。


オペラ作曲家としての活動(1713年から1723年)

1713年以降、ヴィヴァルディはヴェネツィアのサンタンジェロ劇場をベースにオペラの作曲に精力的に取り組み始め、1718年までの間に10曲を上演して[23]人気を博した。ピエタ音楽院では1716年から[24]1718年までは、「協奏曲長」となっていた。1718年から1720年までの2年間はヴェネツィアを去り、ハプスブルク家領となったマントヴァの支配者、ヘッセン=ダルムシュタット方伯に宮廷楽長として奉職する。同地で3作ものオペラを上演する[25]。1723年7月にピエタの理事会はヴィヴァルディに対してピエタ音楽院のために協奏曲を月に2曲提供すること、旅行中は楽譜を郵送すること、リハーサルを2回ないし3回ほど指導する契約を交わした[26]。音楽院にとってヴィヴァルディは大切な人材であり、必要不可欠な人物でもあった。

この間における作品群は、1712年-1713年ごろに『ストラヴァガンツァ』と題する12曲のヴァイオリン協奏曲集が「作品4」として出版され[27]、1714年に作曲したオラトリオ『ファラオの神モイゼ』(RV.643,紛失)が同年に初演される。また1716年に現存する唯一のオラトリオ『勝利のユディータ』が初演される。

また1716年から1717年に、ザクセン公のヴァイオリニストとして活躍していたピゼンデルが師事しており、彼のためのヴァイオリン協奏曲やソナタをいくつか作曲している[28]。


人気と円熟期(1723年から1740年)

ヴィヴァルディは書簡の中で、ヨーロッパの各都市を旅行したことを述べており、この書簡で窺えるように、この時期はほとんど旅行に費やしている。1723年から1724年にかけてローマを訪れ、同地で3曲のオペラを上演した[29]。なおローマ教皇の御前で演奏したとも述べている。1726年に再びサンタンジェロ劇場の作曲家兼興行主となり[30]、1739年まで断続的に務める。

1728年にトリエステで神聖ローマ皇帝のカール6世に謁見する機会ができ、手書きの協奏曲集『チェートラ』を献呈する。1730年と1731年に、ヴィヴァルディはオペラを上演するためプラハに向かった。1732年から1737年まで、イタリアの各都市でオペラの上演と興行活動を行った[31]。

この時期の作品群では、1725年に『四季』を含むヴァイオリン協奏曲集『和声と創意への試み』が「作品8」として出版された[32]。

1727年に『チェートラ』と題する12曲からなるヴァイオリン協奏曲集が出版される。

1729年には、音楽史上初めてのソロのフラウト・トラヴェルソ(フルートの前身)のための協奏曲集が「作品10」として出版される。

また生前出版された楽譜としては最後となる「作品11」と「作品12」のヴァイオリン協奏曲集が出版される。

なお、作品13はシェドヴィルがヴィヴァルディの名前を騙って出版した曲集にパリの出版社が勝手に振った作品番号である。

1740年のチェロ・ソナタ集「作品14」はヴィヴァルディの真作であるが、パリでおそらくヴィヴァルディの関知しない間に出版されたと思われ、作品番号も作品13にそのまま続けて作品14としている。


キャリアの晩年

オペラ作曲家としてイタリア本土や外国の諸都市では人気が高まりつつあったが、本国ヴェネツィアではナポリ派のオペラがヴェネツィア派のオペラを駆逐し、ヴィヴァルディのオペラ作品に対する評価に翳りが見え始める[33]。

また、1737年から翌1738年にかけて、教皇領のフェッラーラでの興行に次々とトラブルが起きる。1738年には「協奏曲長」の職を辞すも、ピエタ音楽院の求めにより作品の供給は1740年のウィーン行の直前まで続いた。

「ヴィオラ・ダモーレとリュートのための二重協奏曲」の完成後、1740年に予てから抱いていたウィーンでのオペラ興業を決心する。同年秋にグラーツで自作の公演を行った[34]あとの足取りは現在までわかっていないが、ウィーンを目指す中でさらに不運がのしかかった。

一番のよき理解者でありもっとも力のあるパトロンだったカール6世が逝去し、オーストリア国内は1年間喪に服すことになったのである。服喪期間中はすべての興業が禁止されたため、予定していたオペラ『メッセニアの神託』が上演できなくなった。当時は出演者から大道具に至るまで興行主が後で清算する形でオペラの準備が行われていたので、おそらく大変な借財を抱え込むことになったと思われる。

さらに、カール6世の娘マリア・テレジアが帝位を継いだためにオーストリア継承戦争が勃発し、国内の雰囲気も戦争一色となり、老大家に一瞥を与えるゆとりも関心も貴族たちにはなかった。

ヴィヴァルディが埋葬された墓地はのちにウィーン工科大学の構内となり、彼を記念して銘板が設置されている

失意のうちに体調を崩したと思われるヴィヴァルディは、ヴェネツィアに帰国することもかなわず、1741年7月28日にケルントナートーア劇場が用意していた作曲家用の宿舎にて、63歳で死去した。

死因は内臓疾患であるといわれているが詳細は不明である。夏季であったこともあり、旅行者のための簡素な葬礼の後、遺体は翌日、病院付属の貧民墓地に埋葬された[35]。この墓地は後年取り壊され、現在はウィーン工科大学の構内になっている。オペラのほうは、ウィーンの新聞の広告欄に「故ヴィヴァルディ氏作曲」と張り出されて、翌1742年に当初の予定通りにケルントナートーア劇場で上演された。


後世の影響と評価

ヴィヴァルディは大変な蓄財が出来た程、同時代において高い評価を受けた。
ルイ=クロード・ダカンも著作の中で「アルカンジェロ・コレッリに匹敵するのはヴィヴァルディの『四季』のみ」と書いている[36]。

ところが18世紀末から19世紀末にかけて、ヴィヴァルディは全く顧みられず忘れさられた。これはバッハも同様であったが、19世紀末になってバッハが再評価されるとその生涯が調査され、その作品にヴィヴァルディの編曲を参考にした箇所が複数発見された[37]。

20世紀に入り、アルフレード・カゼッラやジャン・フランチェスコ・マリピエロらの尽力で楽譜の整理、校訂が行われヴィヴァルディの作品は復興を果たした。

イ・ムジチ合奏団は『四季』を1955年に世界ではじめて録音し、レコードはこれまでに2500万枚以上という驚異的な売り上げを記録している[38]。これによりヴィヴァルディは一躍有名になり、クラシック・ファンを越えた人気を持つに至った。


年表

1678年 - (0歳) ヴェネツィアに生まれる。
1688年 - (10歳) サン・マルコ大聖堂近くのサン・ジェミニアーノ教会付属学校に入学する。
1693年 - (15歳) 剃髪して最下級の聖職者となる。
1703年 - (25歳) 司祭となる ピエタでヴァイオリン教師として奉職し始める。
1704年 - (26歳) ピエタで、ヴァイオリンの他にヴィオラ・アッリングレーゼを教え始める。
1705年 - (27歳) 作品1(12曲のトリオソナタ集)がヴェネツィアで出版される。
1711年 - (33歳) 作品3(調和の霊感)がアムステルダムで出版される。
1713年 - (35歳) 最初のオペラ『離宮のオットー大帝』をヴィチェンツァで初演する。
1716年 - (38歳) オラトリオ『勝利のユディータ』を初演。
1718年 〜1720年 - (40歳-42歳)マントヴァでヘッセン=ダルムシュタット方伯の宮廷楽長として奉職する。
1723年 〜1724年 - (45歳-46歳)ローマで3本のオペラを初演、ローマ教皇御前演奏。作品8(四季を含む)出版。
1728年 - (50歳) トリエステで神聖ローマ皇帝カール6世に謁見する。手書きの協奏曲集『チェートラ』を献呈。
1730年 - (52歳) オペラがプラハで上演される。
1735年 - (57歳) 再び「協奏曲長」に任ぜられる。
1740年 - (62歳) 3月21日にヴェネツィアを訪問中だったザクセン選帝侯の為に協奏曲3曲とシンフォニア1曲の作曲をピエタから依頼される。この年の秋にヴェネツィアを発つ。
1741年 - (63歳) 7月28日、ウィーンのケルントナートーア劇場専用の作曲家宿舎で内臓疾患により客死。


作品

著名な作品

和声と創意の試み(Il cimento dell'armonia e dell'invenzione)作品8。1725年に出版された12曲のヴァイオリン協奏曲集

四季(Le quattro stagioni(The Four Seasons)):この作品8のうちの第1番から第4番までを指す。

調和の霊感(L'estro armonico)作品3

1本から4本のヴァイオリン(部分的にチェロも加わる)のための12曲からなる協奏曲集。1711年にアムステルダムのロジェより出版された[39]。いわゆるリトルネロ形式による急速楽章を持つ、急―緩―急の3楽章形式による独奏協奏曲の様式を確立した画期的作品といえる。しかし、部分的にはコレッリ以来の合奏協奏曲のスタイルも含んでいる(例えば7番、11番など)。

後にJ.S.バッハが、この曲集のうち第3番、第9番、第12番をチェンバロ独奏用(BWV978、972、976)に、第8番、第11番をオルガン独奏用(BWV593、596)に、第10番を4台のチェンバロと弦楽合奏のため(BWV1065)に編曲した。


ヴィヴァルディが出版した作品

ヴィヴァルディの協奏曲及びソナタのうちのいくつかは存命中に出版されている。

作品1 12曲のトリオ・ソナタ集(1705年出版)
作品2 12曲のヴァイオリン・ソナタ集(1709年)
作品3 12曲の合奏協奏曲集『調和の霊感』(1711年)
作品4 12曲のヴァイオリン協奏曲集『ストラヴァガンツァ』(1712年-1713年ごろ)
作品5 6曲のソナタ集(1716年)
作品6 6曲のヴァイオリン協奏曲集(1716年-1717年ごろ) 
作品7 12曲の協奏曲集(1716年-1717年ごろ)
作品8 12曲の協奏曲集『和声と創意への試み』(『四季』を含む)(1725年)
作品9 12曲のヴァイオリン協奏曲集『チェートラ 』(1727年)
作品10 6曲のフルート協奏曲集(1729年-1730年ごろ)
作品11 6曲のヴァイオリン協奏曲集(1729年)
作品12 5曲のヴァイオリン協奏曲と1曲の弦楽のための協奏曲(1729年)


以上の作品の初版は、1,2を除いてアムステルダムのル・セーヌ社から出版されており、ヴィヴァルディがヴェネツィアのみに留まらず、ヨーロッパでも名声を得ていたことがわかる。

作品3、4、8、9はすべて献辞つきで王侯貴族に献呈されているが、献辞のない作品5、6、7、10、11、12のうちのいくつかは、出版社がヴィヴァルディの了解を得ることなく出版した可能性が高い。

1730年頃を境に、いろいろ制約の多い出版譜ではなく、筆写譜での流布を好むようになった。そのため、円熟期の作品には作品番号が付されていないものが圧倒的に多い。

以前は作品13が存在するとされていたが、後年の研究でシェドヴィルがヴィヴァルディの名をかたって出版したものであることが判明した[40]。

また、作品14(6曲のチェロ・ソナタ集)は、パリの出版社が勝手に付けた作品番号である。


作品一覧

ヴィヴァルディの作品はかなり膨大で、紛失したものや偽作などが多数含まれる。ここでは比較的知られている作品のみ掲載する。

詳細は「ヴィヴァルディの楽曲一覧」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィヴァルディの楽曲一覧


舞台作品

オラトリオ

ファラオの神モイゼ RV.643(散失)
蛮族の王ホロフェルネスを討伐した勝利のユディータ RV.644


オペラ

エジプトの戦場のアルミーダ RV.699
バヤゼットRV.703
貞節な妖精(忠実なニンフ)RV.714
ダリオの戴冠 RV.719
モテズーマ RV.723
狂気を装うオルランド RV.727
テウッツォーネ RV.736


協奏曲

ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン協奏曲 ハ長調 『喜び』 RV.180
ヴァイオリン協奏曲 ハ短調 『疑い』 RV.199
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 『グロッソ・モグール』 RV.208
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 『1712年のパドヴァの聖アントニオの聖なる舌の祝日のために』 RV.212a
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 RV.230(J.S.バッハがBWV.972に編曲)
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 『不安』 RV.234
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 『ピゼンデル氏のために』 RV.242
ヴァイオリン協奏曲 変ホ長調 『海の嵐』 RV.253
ヴァイオリン協奏曲 変ホ長調 『隠れ里』 RV.256
ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 『春』 RV.269
ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 『安らぎ:いとも聖なるクリスマスのために』 RV.270
ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 『恋人』 RV.271
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 『お気に入り』 RV.277
ヴァイオリン協奏曲 ヘ長調 『聖ロレンツォの祝日のために』 RV.286
ヴァイオリン協奏曲 ヘ長調 『秋』 RV.293
ヴァイオリン協奏曲 ヘ長調 『隠れ里』 RV.294
ヴァイオリン協奏曲 ヘ短調 『冬』 RV.297
ヴァイオリン協奏曲 ト長調 『トゥロンバ・マリーナ風ヴァイオリンで』 RV.313
ヴァイオリン協奏曲 ト短調 『夏』 RV.315
ヴァイオリン協奏曲 ト短調 RV.317
ヴァイオリン協奏曲 イ長調 『ナイチンゲール』 RV.335a
ヴァイオリン協奏曲 変ロ長調 『ポストホルン(郵便屋の角笛)』 RV.363
ヴァイオリン協奏曲 変ロ長調 『カルボネッリ』 RV.366
ヴァイオリン協奏曲 ハ短調 『アマート・ベネ』 RV.761
ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 『アンナ・マリーアのために』 RV.762
ヴァイオリン協奏曲 イ長調 『オッタヴィーナ』 RV.763


フルート協奏曲

作品10として出版された『フルート協奏曲集』に含まれる楽曲である。

フルート協奏曲 ニ長調『ごしきひわ』 RV.428 作品10-3
フルート協奏曲 ヘ長調 『海の嵐』 RV.433 作品10-1
フルート協奏曲 ヘ長調 RV.434 作品10-5
フルート協奏曲 ト長調 RV.435 作品10-4
フルート協奏曲 ト長調 RV.437 作品10-6
フルート協奏曲 ト短調 『夜』 RV.439 作品10-2
フルート協奏曲 ト長調 RV.442
2本のフルート(フラウト・トラヴェルソ)のための協奏曲 ハ長調 RV.533


複数の楽器のための協奏曲

協奏曲 ニ長調 『ごしきひわ』 RV.90
協奏曲 ニ長調 RV.93(リュート協奏曲とも)
協奏曲 ニ長調 『女羊飼い』 RV.95
協奏曲 ト短調 『夜』 RV.104
2つのマンドリンのための協奏曲 ト長調 RV.532
2つのトランペットのための協奏曲 ハ長調 RV.537

2つのクラリネットと2つのオーボエの為の協奏曲ハ長調RV.559 バロック音楽史上最初のクラリネット協奏曲

2つのクラリネットと2つのオーボエの為の協奏曲ハ長調RV.560
ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ヘ長調 『プロテウス、すなわち逆様の世界』 RV.544
『ソロ・ヴァイオリンと遠くのこだま用のヴァイオリンのための協奏曲 』イ長調 RV.552
ヴァイオリン、2本のオーボエと2本のホルンのための協奏曲 ニ長調『聖ロレンツォの祝日のために』 RV.562
ヴァイオリン、2本のリコーダー、3本のオーボエとファゴットとのための協奏曲 ト短調 『ザクセン選帝侯のために』 RV.576
ヴァイオリン、2本のオーボエ、2本のリコーダーとファゴットのための協奏曲ト短調 『ドレスデンのオーケストラのために』 RV.577
ヴァイオリン、オーボエ、シャリュモーと3つのヴィオラ・アッリングレーゼのための協奏曲 変ロ長調 『葬送協奏曲』 RV.579


オルガンのための協奏曲

オーボエ、ヴァイオリン、オルガン、弦とチェンバロのための協奏曲 ハ長調 P.36
ヴァイオリン、オルガン、弦とチェンバロのための協奏曲 ヘ長調 P.276
ヴァイオリン、オルガン、弦とチェンバロのための協奏曲 ニ短調 P.311
4つのオブリガードフルート、4つのヴァイオリン、弦と2つのオルガンのための協奏曲「イン・ドゥエ・コーリ」イ長調 P.226


弦楽のための協奏曲(またはシンフォニア)

弦楽のための協奏曲 ト長調『アラ・ルスティカ(田園風)』RV.151
弦楽のための協奏曲 変ロ長調『コンカ(法螺貝)』RV.163
シンフォニア ロ短調『聖なる墓に(聖墓のそばに)』RV.169


宗教曲・声楽曲

宗教音楽

グローリア ニ長調 RV.588
グローリア ニ長調 RV.589
サルヴェ・レジナ(「めでたし元后」) ハ短調 RV.616
スターバト・マーテル(「母は悲しみにありき」) ヘ短調 RV.621


声楽曲

モテット『まことの安らぎはこの世にはなく』RV 630
カンタータ『黄金色の雨のごとく』RV 686

https://ja.wikipedia.org/wiki/アントニオ・ヴィヴァルディ

4. 中川隆[-13685] koaQ7Jey 2020年2月20日 18:31:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-208] 報告

イタリア - クラシック音楽 一口感想メモ
アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678 - 1741)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/イタリア


大バッハも大いに研究したイタリア・バロックの大作曲家。
他の同時代のイタリア作曲家と比較すると、輝かしくも複雑で陰影を秘めており、曲の放つ魅力は断然優れている。メロディーセンスもある。

ヴァイオリン協奏曲

作品3 12曲の合奏協奏曲集『調和の霊感』

第1曲
3.0点
素朴でオーソドックスな中に瑞々しい感受性が感じられて素敵。特に2楽章はロマン派の音楽のように感情的である。

第2曲
2.5点
短調で劇的な雰囲気を一応楽しめるが、あまり面白い曲と思わなかった。

第3曲
2.8点
長調と短調を混ぜた構成で工夫は感じるが、曲の良さにはいまいち繋がっていないと思う。

第4曲
3.5点
短調の曲。バロック的な感情的でなくシンプルな短調の響きの美しさをおおいに発揮している。活気があり、バランスが良いため楽しめる。

第5曲
3.5点
1楽章の単純明解な楽しさと、2楽章の大変美しい叙情性の対比が聞き物。3楽章も悪くない。

第6曲
3.3点
短調の魅力を発揮しているが、単純さの中に神がかり的なものを見せるヴィヴァルディの天才が今ひとつきれいに発揮されていない気がする。中間楽章の叙情性は美しい。

第7曲
3.5点
5つの楽章からなり、それぞれ大きく異なる雰囲気のため、バラエティと起伏に富む感じが楽しい。それぞれは素朴ながらも全体として豊かな音楽という印象が強い。

第8曲
3.5点
2楽章が魅力的。同じフレーズの繰り返しが産む美と憂愁の世界が素晴らしい。1楽章や3楽章も短調の美と躍動感を両立して素晴らしい。

第9曲
2.8点
全部の楽章において、雰囲気は悪くないのだが単純すぎて情報量が少なく、物足りなさが残る。

第10曲
3.3点
2楽章は単調だがなぜか楽しめる。3楽章は分厚い音の積み重ねが聴いていて楽しいし、変化もあって楽しめる。

第11曲
3.0点
3楽章のフーガはもの珍しい気分で聴ける。フーガでもヴィヴァルディは華やかなである。4楽章は訴えかけるようなソロが楽しい。

第12曲
3.3点
伸びやかな雰囲気が印象的。後年の協奏曲に通じるものをそれとなく感じる。密度は平均より高いが、もう一つ突き抜けないものがある。


作品8 12曲の協奏曲集『和声と創意への試み』(『四季』を含む)

1曲目「春」
5.0点
一楽章は大変有名な曲だが、やはり主題が大変に魅力的で素晴らしい。中間の嵐を描写した部分もよい対比になっている。3楽章の伸びやかな主題も魅力的。

2曲目「夏」
3.5点
3楽章の嵐の描写が楽しい。1、2楽章は描写的で楽しいものの、ノリが良くない。

3曲目「秋」
3.5点
3楽章のウキウキする感じが楽しい。1楽章も夏の後に続けて聴くとノリと普通のメロディーの曲に戻って楽しい気分になる。

4曲目「冬」
4.0点
2楽章の有名な雪景色のような甘く美しい旋律が素敵。1楽章はノリノリで楽しい。3楽章のレティタティーボのようなフレーズから始まる美しい短調のソロも楽しい。

その他
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 『ピゼンデル氏のために』 RV.242

フルート協奏曲

作品10の6曲のフルート協奏曲集は史上初のフルートのための協奏曲とのことである。6作中5作は旧作の転用である。

第1番 ヘ長調『海の嵐』 RV.433
2.5点
音階を多用し活発な印象。これが海の嵐を表しているのだろうか。かなりのスピードで演奏が大変そう。

第2番 ト短調『夜』 RV.439
3.3点
6つの楽章がある特殊な楽章構成。3つのラルゴ楽章の夜の雰囲気が素敵。それに挟まっている快速の楽章も効果的。短調が美しい。

第3番 ニ長調『ごしきひわ』 RV.428
3.5点
1楽章や3楽章の活発で伸びやかな中に懐の深さを感じさせる曲や、2楽章の清新で美しく柔らかい曲など、ヴィヴァルディの協奏曲の魅力に溢れている曲。1楽章の鳥の鳴き声の模倣も楽しい。

第4番 ト長調 RV.435
2.8点
活発なヴィヴァルディらしいコンパクトな曲。しかし、ありきたりすぎる。

第5番 ヘ長調 RV.434
3.0点
優美で柔らかく穏やかな曲調。特に2楽章は珍しくドイツ系のよう堅いが哀愁漂う美しさ。どの楽章もフルートのもつ美しさを堪能出来る。

第6番 ト長調 RV.437
3.0点
1楽章のオクターブをトビハネルユニゾンのダイナミックな主題の魅力はなかなか。3楽章の大活躍するフルートがまたダイナミックで楽しい。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/イタリア

5. 中川隆[-17325] koaQ7Jey 2021年8月09日 18:55:42 : m9K9ux4HhQ : NjVDV3VXWUpZN2s=[7] 報告
ヴィヴァルディ『ヴァイオリン協奏曲 No. 6 イ短調 RV 356』


Concerto No. 6 For Violin In A Minor, RV 356
I Musici · Roberto Michelucci








ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 Op. 3, No. 6, RV 356
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/918.html

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