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ロベルト・シューマン 交響曲第4番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 08 日 14:47:49: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 07 日 21:41:01)

ロベルト・シューマン 交響曲第4番



フルトヴェングラー指揮 シューマン 交響曲第4番


Schumann - Symphony No.4 (Century’s recording : Wilhelm Furtwängler)





Wilhelm FURTWÄNGLER
Berliner Philharmoniker
Studio Recording, Berlin, May 14, 1953


1953年
14 May 1953 BPO Jesus Krist Church(DG studio version)
Schumann: Sym.No.4
●5月14日 シューマン/交響曲4番 BPO イエスキリスト教会 DGスタジオ録音


SP/PR: DG LVM72361-3('53)
LP/PR: DG LP16063(53/09)
CD: DG(JP)POCG3791(97/08)DG457722-2(98/01)


>>>This CD is my favorite CD.
▼スタジオ盤とは思えぬほど熱気あふれる演奏。私はこの演奏をCD時代になって初めて聞いたが、このうねるような終楽章には圧倒された。ベートーベンやブラームスの交響曲ばっかり聴いている私が唯一良く聞くイニシャルB以外の作曲家の作品。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm


ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル

DG。1953年5月14日、イエス・キリスト教会での録音。不滅の名盤である。
OIBP化。国内盤POCG 3791はライヴ録音の「マンフレッド」序曲とカップリング。


惜しむらくは、なぜか、第1楽章と第2楽章との間にスペースが開いている。
(CDの時間表記がマイナス何秒となる。)
フルトヴェングラーがこの曲を録音した際に、1度もカットさせなかったことは夫人の回想録の証言するところだから、これはレコード会社の編集によるものかもしれない。しかし下のルツェルン祝祭管とのライヴ盤のCDでも相当な間が開いているので、もしかしたらフルトヴェングラー・パウゼなのかもしれない。だとすればCDのトラック間のマイナス時間表記を無しにすべきだろう。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm


ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1953年録音/グラモフォン盤) 


フルトヴェングラーが亡くなる前の年の演奏です。「シューマンの4番と言えばフルトヴェングラー」と言われるぐらい有名な録音です。


比類無いほどにロマン的で情熱的な演奏ですが、とにかく凄いのはオーケストラがまるで生き物のように自由自在。楽器の音が全くせずに音楽そのものしか感じさせません。


この曲の第1楽章は中間部がとても鳴りにくく、しばしば演奏に失望することが多いですが、フルトヴェングラーの場合は情熱が迸るように立派に鳴り渡ります。


第2楽章のロマンも最高。当時のベルリンフィルのコンサートマスター、ジークフリート・ボリスの奏でるヴァイオリン・ソロは甘いポルタメントを効かせて耳がとろけるようです。過去最高の演奏と言えるでしょう。


第4楽章も極めてドラマティックであり、中間部の付点リズムの生命力も他の指揮者とは次元が異なります。


既に50年以上も昔の録音ですが、いまだに最高の演奏であり続けています。
モノラル録音ですが、フルトヴェングラーの録音の中でも最も音質の良い一つなので鑑賞には全く差支え有りません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/op120-0c49.html



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Symphony No. 4 in D Minor, Op. 120 Furtwängler Luzerner Festpielhaus Orchester






Das Luzerner Festpielhaus Orchester
Wilhelm Furtwängler


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Symphony No. 4 in D Minor, Op. 120 Furtwängler Schweizerisches Festspiel orchester






Schweizerisches Festspiel orchester
Wilhelm Furtwängler
Live


1953年
26 Aug. 1953 Lucerne Fes. Orc.(private arc.)
Schuman: Sym.No.4
●8月26日 シューマン/マンフレッド序曲 ベートーヴェン/英雄 シューマン/交響曲第4 ルツェルン祝祭管 ルツェルン音楽祭 Private archive(W.Staempfli所蔵=audite以前に発売のもの) バーゼル・スイス放送局(audite)


CD/PR: SWF961-2('96)ElaborationELA904-5('97)M&ACD1018(98/03)Audite91441(KIGC-27=17/12)


▼1993年仏フ協会総会ではじめて公表された録音。
Prof.J.Staempfliがバーゼル・スイス放送をエアチェックしていたという録音は、53年としては音質に不満が残りドロップアウトも多いものの、晩年は枯れた演奏が多い巨匠としては両曲共相当に燃えており、この録音の価値は高い。 シューマンはともかく英雄の52年BPO盤で枯れた演奏を見せていたのは「本当の巨匠」ではなかったとすら思わせる貴重な録音。
96年初出の仏フ協盤に続いてM&Aから98年市販盤が登場。これを「正規盤」とする意見もあるが実態は不明。M&Aは協会盤とは全く別のルートから入手したテープを使っている−としている。
英雄とシューマン4番も初めてオリジナルから聞くことができるようになった。
開演前の拍手やインターバルを含めた完全版。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm



ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ルツェルン祝祭管弦楽団
1953年8月26日、ルツェルン、クンストハウス、ライヴ録音。
同日の「英雄」とカップリング。Elaborationレーベルの海賊盤で持っていたが、ようやく正規盤が出た。DG盤同様に素晴らしい演奏である。1年に1度音楽祭期間中ぐらいしか共演していないオケなのに、この自在な操縦ぶりはさすがである。


なおこのCDも第1楽章の一番最後の音と第2楽章の間がだいぶあいている。これがいわゆる「フルトヴェングラー・パウゼ」なのかどうかがイマイチよくわからない。ただ、第4楽章主部の直前はフルトヴェングラー・パウゼが結構長めにとられている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm


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ロベルト・シューマンの交響曲第4番ニ短調作品120は、妻クララの22歳の誕生日1841年9月13日に、誕生日プレゼントとして彼女に贈られた。作曲はその直前3か月間で行われた。


2人の結婚は1840年9月12日(ロベルト30歳・クララ20歳)なので、クララにとっては結婚してから2回目の誕生日になる。初演は、そのクララの誕生日から3か月後の1841年12月6日に行われ、10年後1851年に改訂され、現在は改訂版が多く演奏されている。


全体構成、楽想、規模ともシューベルトの交響曲第4番ハ短調『悲劇的』の影響が見られる。


作曲年次としては、第1番『春』に次ぐ2番目の交響曲であるが、改訂後の出版年次(1854年)により第4番とされた。
作品番号は120が与えられたが、これは改訂版に対してであり、初版の作品番号は正確には存在しない。


作曲の経緯


初稿


1840年9月にクララと結婚したシューマンにとって、翌年1841年は、交響曲を2曲そして序曲など作曲活動が順調に進んだ年となった。まず1月から2月にかけて第1交響曲を完成し、3月に序曲、スケルツォとフィナーレ作品52、4月から5月にかけてピアノと管弦楽のための幻想曲(後に改訂され、ピアノ協奏曲の第1楽章となる)を立て続けに作曲する。さらに6月から、後に第4番とされたこのニ短調交響曲の作曲に取りかかり9月9日に完成し、9月13日の妻クララの誕生日に彼女にプレゼントした。

初演は、3か月後の12月6日、序曲、スケルツォとフィナーレとともに、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により行われた。しかし、メンデルスゾーンの体調不良のため、代わりにコンサートマスターのフェルディナント・ダーヴィトが指揮したことや、これら新作発表に加えて、クララとリストの二人のピアノ演奏もこの演奏会で行われたため、聴衆の目がこの二人に集中したことなどから、結局、初演当日のプログラム表記が『交響曲第2番』であったこのニ短調交響曲は、十分な評価を初演時に得るには至らず出版は見送られた。


シューマンは「この曲は第1番より決して劣るものではない」と自信を持っていたが、結局、この初稿に基づく版(後述)が出版されたのはシューマン死後の1891年である。


改訂稿


初稿の10年後、1851年に交響曲第3番『ライン』を完成したシューマンは、ニ短調交響曲の改訂に取りかかり、数日で完成させた。オーケストレーションもかなり書き換えられたが、本人がヨーゼフ・ヨアヒムへの手紙に「それが主目的じゃなかった」と書いているように、元の構成はほぼそのまま活かしながらも全体としての統一性をより高める変更を取り入れ、楽章毎の区分をなくして全曲休みなく続けて演奏されるようになったことが最大の相違点である(ただし、2003年にブライトコプフ社から出版されたジョン・フィンソン校訂版においては、第1楽章と第2楽章の終止線がいずれも複縦線に置き換えられており、アタッカの扱いとなっている)。


改訂後のこの作品をシューマンは「交響的幻想曲」と呼んだこともあり、後述する自筆譜にはそのタイトルをつけようとしたが、それを消して結局現在のタイトルにしたことが残されている。


改訂版は1853年12月30日にデュッセルドルフにおいてシューマン自身の指揮によって初演され、翌1854年に出版された。シューマンは初演について、「以前の作品より充実していて、効果十分だった」と書いている。この曲の楽譜には正式な献辞はないが、シューマンは自筆譜をヨアヒムに贈っている。


シューマンの死後、その楽譜の編集に当たったヨハネス・ブラームスは初稿の優位性を主張して、クララと意見が対立したといわれる。結局ブラームスの尽力で初稿版は1889年10月22日にケルンでフランツ・ヴュルナーの指揮で再演され、ブラームスとヴュルナーの校訂版として1891年には出版されるのだが、ヴュルナーは自筆に従った校訂を、ブラームスはシューマンによる最終稿の要素を取り入れた校訂を主張し、最終的には部分的に最終稿を採用する形でまとめられたため、厳密な意味での初稿版ではない。


現在では改訂稿が一般的に演奏されるが、このヴュルナー版(1891年版と表記されることもある)や後に出版された1841年の初演版による演奏や録音もある。


楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2(初稿:C管→改訂版:B♭管)、ファゴット2、ホルン4、トランペット2(D管→F管)、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部。


楽曲構成


前述したように楽章区分はなく、全曲は休みなく続けて演奏されるが、ここでは便宜上4つの楽章に分けて述べる。各楽章で共通する主題が使用され、全曲の有機的な統一性を高めていることが特筆される。


第1楽章 かなり緩やかに (Ziemlich langsam) − 生き生きと (Lebhaft)


速度・表情の指示はドイツ語による。ニ短調。序奏付きの自由なソナタ形式(提示部反復指定あり)ともいえるが再現部が存在せず、ほぼ提示部−展開部−コーダという構成になっている。 3/4拍子で始まり、緩やかな序奏の動機が示される。第1主題を予告する動機が繰り返されて速度を速め、主部に入る。

主部は2/4拍子。第1主題は半音階的に上下し幻想的な響きを持つ。第2主題に相当するものは認められず、主部は第1主題の変形や展開によって形成されている。3本のトロンボーンの和音により展開部に入る。展開部では第1主題を扱うが、やがて新たな主題が現れ、確保される。さらに流麗な旋律が続く。これが繰り返され、高まるとコーダとなり、流麗な旋律が勝ち誇ったように奏され、第1主題と新たな主題で締めくくられる。


第2楽章 ロマンツェ かなり緩やかに (Ziemlich langsam)


イ短調。3/4拍子。三部形式。オーボエとチェロの独奏により、第1楽章第1主題に基づく中世ロマンス風な旋律を奏し、弦が第1楽章序奏の主題を示す。中間部はヴァイオリン独奏が3連符で流れるような旋律を奏でる。


第3楽章 スケルツォ 生き生きと (Lebhaft)


ニ短調。3/4拍子。ABABの形式。スケルツォ主題は第1楽章序奏の主題に基づく。中間部は変ロ長調。第2楽章の中間部と同一の素材である。第3楽章と第4楽章が休みなく続く構想は初稿でも同様であるが、大幅に改訂されている。


第4楽章 フィナーレ 緩やかに (Langsam) − 生き生きと (Lebhaft)


序奏付きの自由なソナタ形式(提示部反復指定あり)で、再現部で第1主題が再現されない。序奏は4/4拍子。第1楽章第1主題を扱いながら金管の響きで壮大に盛り上がる。主部はニ長調、4/4拍子。第1主題が決然と示されるが、これは第1楽章展開部で新たに示された主題である。第2主題は穏やかな旋律。金管の警告的な響きで展開部となり、第1主題をフガート的に展開する。再現部は第2主題のみが再現する。コーダでは速度を速めた歓呼となる。


初稿の特徴


初稿では、各楽章の速度指定にイタリア語を用いていた。


Andante con moto - Allegro di molto
Romanza: Andante
Scherzo: Presto
Largo - Finale: Allegro vivace


第1楽章の序奏は、改訂版と異なり主調の属和音(イ長調)・強拍から始まる(改訂版では主調・弱拍(3拍目))。さらに序奏後半には、サラバンド風のエピソードが登場する。なお、主部の展開部ではトロンボーンによる動機がソロで奏でられ(改訂版は2本のソリ)、弦楽器は休止するため、この動機が詠唱のように響く(同様の例はマーラーの交響曲第3番で見られる)。


第2楽章には、当初ギターを用いようとして撤回した形跡が残っている。また、チェロは始めソロだったが半プルトのソリに修正している。


第3楽章では、当初8小節にわたるファンファーレの後にスケルツォに入るようになっていた。このファンファーレはチャイコフスキーの交響曲第4番第1楽章の序奏に似ている。この序奏は結局削除され、自筆譜の一番下にはトランペットによるもう一つのファンファーレが書かれている。しかし、この部分は最初のものを含めて出版譜には採用されておらず、録音でも取り上げられていない(例外として、ゲオルク・シュメーエとベルリン放送交響楽団とのCDは上記の第2のファンファーレをホルンと組み合わせて採用している)。


第4楽章は主題の後半4小節が違っている。提示部の繰り返しもないため、全体の演奏時間も少し短い。第1楽章も同様である。全体は約24分かかる。


オーケストレーションの変更・改訂


他のシューマンの交響曲と同様に、かつては様々な指揮者が様々なオーケストレーションの変更を行っていた。マーラーによるものがよく知られているが、他の3曲の交響曲の大幅な改変に比べるとこの曲での改変はあまり目立たない。このマーラー版の録音としてはチェッカート、シャイー(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との新盤)、スダーンのものが存在する。


またセル、クレンペラー、クーベリック(バイエルン放送交響楽団との新盤)、ロジェストヴェンスキーはマーラー版とは異なった手法でかなり過激な変更を行っており、第1楽章展開部のクライマックスやコーダでは金管による派手な補強が施されている。クーベリックはシューマンの交響曲全集を2回録音しているが、この曲の旧盤や他の3曲ではほぼ原典通りに演奏しているのに対し、この曲の新盤のみスコアを大幅に改変している。


https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第4番_(シューマン)
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-13910] koaQ7Jey 2020年2月08日 18:57:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-582] 報告

クナッパーツブッシュ

Schumann: Symphony No. 4 - Vienna Philharmonic Orchestra/Knappertsbusch (1962) [PSEUDO STEREO]


_____









Wiener Philharmoniker
HANS KNAPPERTSBUSCH, conductor
Recording: Musikverein, Vienna, December 16, 1962



ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウイーン・フィル(1962年録音/Altus盤) 

クナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルのライブ盤はどうしても外せません。
評論家の福嶋章恭さんが最高の演奏と述べておられる演奏です。
確かに余りのスケールの大きさに度肝を抜かれますし、これはフルトヴェングラーに対抗し得る唯一の演奏だと思います。

但し、クナ特有の大きな間の取り方や、時に最強奏する金管がまるでワーグナーを感じさせてしまい、シューマネスクな演奏という点ではやはりフルトヴェングラーのほうが上かなと感じるのです。

これまでは海賊盤でしか聴くことができませんでしたが、Altusから正規録音盤がリリースされました。モノラルですが音質は極上の素晴らしさで、演奏の凄さが改めて認識されます。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/op120-0c49.html

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Hans Knappertsbusch Schumann Symphony No. 4









München Live 1962.6.1


 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
 ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)
 録音:1962年1月6日 ミュンヘン、コングレスザール(ライヴ)
 旧CD=セブンシーズ(KICC2374 1995.1.7)

 シューマンの4番は、他に2種(56年ドレスデン、62年ウィーン・フィル)録音(いずれもライヴ)があります。
「両端楽章の遅いテンポとスケールの大きさ、濃厚な幻想性は19世紀風であり、英雄的な気迫が圧倒的である」〜宇野功芳、レコ芸95年3月号の月評より
https://www.hmv.co.jp/en/news/article/1912251014/

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Schumann Symphony No.4 Hans Knappertsbusch 1956




ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン
1956年11月4日ライヴ。

冒頭から素晴らしい音色、フルトヴェングラーのようなうねりだが、しかし主部に入ると、がぜん「クナ的」になる。(所々クナ・パウゼ − フルトヴェングラー・パウゼとは質が違う − がある。)
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm





2. 中川隆[-13909] koaQ7Jey 2020年2月08日 19:08:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-581] 報告

ブルーノ・ワルター

Schumann sinf n 4 Bruno Walter NBC Symphony Orch 1940


NBC Symphony Orch.
Bruno Walter
(live rec. 02.03.1940)


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Schumann:Symphony#4-Bruno Walter & Mozart Festival Orchestra(Paris)1928



Bruno Walter
The Mozart Festival Orchestra(Paris)
1928
Warning!Unedited Direct Playback From 78's with Side-Breaks

ブルーノ・ワルター指揮パリ・モーツァルト・フェスティヴァル管弦楽団
GRAMMOFONO。1928年SP復刻盤。「幻想交響曲」とカップリングされている。
その「幻想」同様、ワルターには向かない曲だ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm

3. 中川隆[-13908] koaQ7Jey 2020年2月08日 19:25:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-580] 報告

アーベントロート

Schumann - Symphony n°4 - RSO Leipzig / Abendroth


Rundfunk-Sinfonie-Orchester Leipzig
Hermann Abendroth
Radio recording, Leipzig, 31.III.1956

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Schumann: Symphony No. 4, Abendroth & LeipzigRSO (1951)


___










Hermann Paul Maximilian Abendroth (1883-1956), Conductor
Leipzig Radio Symphony Orchestra (MDR Leipzig Radio Symphony Orchestra)

Rec. 13 February 1951
4. 中川隆[-13907] koaQ7Jey 2020年2月08日 19:39:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-579] 報告

カール・ベーム

Schumann: Symphony No.4 In D Minor, Op.120 Karl Böhm Wiener Philharmoniker









Wiener Philharmoniker
Karl Böhm


カール・ベーム指揮ウィーン・フィル
DG。1978年録音。ベーム唯一のシューマン録音である。

ゴッツイなかにも、晩年のベーム特有の懐の深さがあり、3〜4楽章のブリッジ部分など意外なほどロマン的である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm


カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1969年録音/オルフェオ盤)
 
ベームには約10年後のグラモフォン盤も有りますが、これはザルツブルグでのライブ録音です。音質は年代相応ですが、幾らか高音に硬さを感じます。60年代のベームにしては意外に解放感があり堅苦しさを感じません。

ウイーン・フィルのしなやかな美しさも魅力です。シューマンの音楽に本来ベームの資質は合わないような気もしますが、ウイーン・フィルの音が中和させているように思います。終楽章の序奏で管のピッチが合わないのはご愛嬌ですが、続く主部のシューマン・リズムの味わいが忘れさせてくれます。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/op120-0c49.html


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Schumann - Symphony n°4 - LSO / Böhm


London Symphony Orchestra
Karl Böhm
Live recording, Salzburg, 10.VIII.1975


5. 中川隆[-13906] koaQ7Jey 2020年2月08日 20:03:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-578] 報告

カラヤン

Schumann “Symphony No 4” Herbert von Karajan • Wiener Philharmoniker, 1987


Wiener Philharmoniker
Herbert von Karajan
1987

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル
DG。1987年ライヴ録音。
やや豊かすぎるくらいのオケの音をしっかりと締めているあたりはさすがである。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm



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Schumann - Symphony No.4 - Karajan, Staatskapelle Dresden (Live 1972)



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シューマン: 交響曲 第4番 ニ短調 作品120 カラヤン 1957





Herbert von Karajan
Berliner Philharmoniker
1957年4月25, 26日

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル
EMI。1957年4月、グリューネヴァルト教会での録音。

このSACD盤の解説によると、ヴァーグナーが通常12インチ(30cm)のLPだったのに対し、シューマン第4は単独で10インチ(25cm)のレコードとして発売されたという。SACDの表ジャケットはヴァーグナーのLPのもので(写真左)、内側ジャケット写真がシューマン第4のものである(写真右)。

モノラルなのにカラヤンの録音は分離が良い。フルトヴェングラーはよく

「何でカラヤンの録音ははっきりとティンパニが聞こえるのか」

とレッグにクレームをつけていた、という話をどこかで読んだ覚えがある。しかし、この曲に関して言えば、フルトヴェングラーのDG録音のような渾然一体となった音こそがふさわしい。もちろんそれは録音だけのせいではなく、この時期のカラヤンの指揮そのものの特徴でもある。(これに対し、最晩年のウィーン・フィルとの録音はフルトヴェングラー的な音を指向している。)
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm
6. 中川隆[-13895] koaQ7Jey 2020年2月09日 04:21:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-567] 報告

チェリビダッケ

シューマン: 交響曲 第4番 ニ短調 作品120 チェリビダッケ 1986






Sergiu Celibidache
Münchner Philharmoniker
1986年9月20日

セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル
EMI正規発売。1986年9月20日ライヴ録音。
正規発売第1弾の中ではチェリに最も向いている曲だと思う。
 チェリは唯一カラヤンに出会った際に、3時間も大議論をして、

「フォン・カラヤンさん、フルトヴェングラーの指揮するシューマンの交響曲第4番第3楽章から終楽章へ移行する時、音楽的に本当に何が起きたのか、貴方には夢想だにできないでしょうね。貴方には何もお分かりになってないので。」

と言ってのけたらしい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm


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Schumann - Symphony No 4 - Celibidache, MPO (1986)


Munich Philharmonic Orchestra conducted by Sergiu Celibidache
Live: Tokyo, Showa Women's University Hitomi Memorial Hall - 14 October 1986

セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル
Altus。1986年10月14日、昭和女子大学人見記念講堂でのライヴ。

このコンビによる初来日時のライヴで、FM東京が放送用に録音したものである。
上記EMI盤の翌月なので、解釈としてそう違いがあるわけではない。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm

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Schumann - Symphony No 4 - Celibidache, MPO (1988)


Munich Philharmonic Orchestra conducted by Sergiu Celibidache
Live recording: 20 April 1988, Philharmonie am Gasteig, München




セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(1988年録音/EMI盤)

遅いテンポによるいかにもチェリビダッケらしい演奏です。

第1楽章は柔らかい響きでスケールが大きいのは悪くないのですが、情熱の高まりが感じられないのが気に入りません。

第2楽章の深々としたロマンの香りは魅力的です。ヴァイオリン・ソロも味わい深いです。

第3楽章は遅いテンポで暗くロマンティックな雰囲気に満ちていて良いと思います。

極端に遅い第4楽章冒頭のブリッジ部分はユニークですが違和感を感じます。
主部も遅いテンポで聴いていて段々もたれてくるのも事実です。
但し、最後は普通にアッチェレランドして終わります。一貫性の無さを感じないでもありません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/op120-0c49.html
7. 中川隆[-13894] koaQ7Jey 2020年2月09日 04:45:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-566] 報告

ロジャー・ノリントン

Schumann Symphony No. 4 - Sir Roger Norrington conducts The Tapiola Sinfonietta



Tapiola Sinfonietta conducter by Sir Roger Norrington.
Recorded live at the Espoo Cultural Centre, Finland, 13 September 2019.

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Symphony No. 4 in D Minor, Op. 120 (1851 Revised Version) Norrington Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR









Conductor: Roger Norrington
Orchestra: Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR

ロジャー・ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団
ヘンスラー。2004年9月1,3,7,9日、シュトゥットガルト、リーダーハレにおける2004年ヨーロッパ音楽祭でのライヴ。
ノリントンはロンドン・クラシカル・プレイヤーズとともに「第3・第4」を録音しているが、今回の全集では第4番は1841年の初稿を採用している。
分売2枚で、ノリントンによる演奏に先立っての解説も収録されている。演奏の大きな特徴は、弦楽器の人数を緩徐楽章では約半分にしていることである(14-14-12-10-8を8-8-5-5-4)。
なお、この年の同音楽祭でノリントンは同時にメンデルスゾーンも演奏しておりそれらもCD発売されている。(緩徐楽章での弦の半減、および解説収録という点は、メンデルスゾーンでも同じ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann.htm


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Symphony No. 4 in D minor Op.120 Norrington London Classical Players









Orchestra: London Classical Players
Conductor: Roger Norrington

ロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ
EMI。輸入盤。1989年録音。

古楽器によるシューマン演奏の最初の録音か。ホルンの音色が良い。
のちのシュトゥットガルト放送響との全集では1841年版を録音している。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm
8. 中川隆[-13893] koaQ7Jey 2020年2月09日 04:51:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-565] 報告

クラシック音楽 一口感想メモ
ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810 - 1856)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/シューマン

前期ロマン派を代表する作曲家。文学的で濃厚なロマンティックさと、巨匠的な気品や風格の感じられる作品を書いた。時代によりジャンルが偏っているのも特徴。

大作曲家だが、もっさりしていて音を重ねすぎのオーケストレーションも、ピアノ書法も難あり。その点で室内楽は欠点が目立たない気がする。

同じリズム動機を積み重ねる所など、大作曲家である割にはどうも分かりにくくて地味なところがある。

管弦楽曲

交響曲第1番 変ロ長調『春』 1841
4点
祝典的な雰囲気を持つ明るく溌剌とした1楽章や四楽章。つい聞きいってしまう絶妙なロマンチックさを持った雰囲気が素晴らしいアダージョ。ピリッとした効果的なスケルツォ。どの楽章も素晴らしい傑作。

交響曲第2番 ハ長調 1845-46
3.0点
トランペットの輝かしい動機は印象的。なだらかな弦の動きの序奏はいいが本編はシューマン特有のしつこい繰り返しが気になる。めまぐるしく音が動くスケルツォは上手い。ベートーベンのように気品がある三楽章のアダージョはなかなかよくて聞き入ってしまう。四楽章は高揚感を持ち盛り上げてはいるが音を重ね過ぎで、しかもしつこいせいだと思うが、曲に入り込みにくい。

交響曲第3番 変ホ長調『ライン』 1850
3.5点
1楽章はやや単調ながらも主題に魅力があるので悪くない。二楽章のまさにライン川のような豊かさで美しい自然を感じる名旋律は素晴らしい。穏やかな三楽章と荘厳な四楽章も高揚感がある五楽章はあまり印象的なフレーズとキレがなく、まあまあ。

交響曲第4番 ニ短調 1841
4点
どの楽章も音楽として活き活きとしており、深刻とか悲しみとかでない短調の響き自体もつ音楽としての美しさが1,2,3楽章で見事に使われている。スケルツォのトリオは魅力的。四楽章の晴れやかで力強い高揚感は見事にその前と内容的に繋がっている。

序曲、スケルツォとフィナーレ ホ長調 Op.52 1841
3.3点
どの楽章も明るく前向きな雰囲気がいいのだが、交響曲と比較すると奥ゆかしさに欠ける。フガート風に開始する3楽章が一番規模が大きくて高揚感を楽しめるので、良いと思う。

4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック ヘ長調 1849
3.8点
とても面白い曲。4つのホルンが大活躍で、掛け合いの様子をウキウキした気分で楽しめ、聴き終わった後に、「ああ、楽しかった〜」という感想になる。

序曲『メッシーナの花嫁』 1850-51

付随音楽『マンフレッド』 1848-49
3.3点
音が分厚くて、劇的な説得力に満ちているという点でなかなか聴き映えがする。ブラームスに影響を与えて彼が交響曲を書くきっかけとなったのも納得。

序曲『ジュリアス・シーザー』 1851

序曲『ヘルマンとドロテア』 1851
3.0点
ラ・マルセイエーズのメロディーが軽快に活用されている部分とドイツ的な分厚さが交錯する面白い曲。

歌劇『ゲノフェーファ』(Genoveva)序曲 1847-50
3.8点
堂々としていて聴き映えが素晴らしい序曲。特別なことをしている感じではないが、ドイツらしい序曲としてかなり良い出来映えと思う。


協奏曲

ピアノ協奏曲 イ短調 1841
5.5点
前期ロマン派ピアノ協奏曲の代表作。後期ロマン派のような崩れがなく、まとまりと品がよく巨匠的な響き、3楽章がバランス良くすべて名作。

序奏とアレグロ・アパッショナート ト長調 Op.92 1849
3.3点
序奏が良くて、この後の展開への期待を高める度合いが半端ない。しかし、主部のアレグロは残念ながらその期待に応えられるほどではなく、平凡な作品になってしまっている。

序奏と協奏的アレグロ ニ短調 Op.134 1853
3.0点
独奏ピアノの素晴らしさ、基本的な音楽性の高さを楽しめる。彼のピアノ協奏曲が好きな人が、もう一つのピアノ協奏曲を求めて聴く対象として、ある程度満足出来る。ただしメロディーの魅力はだいぶ落ちる。長いカデンツァもあり、十分楽しめるものである。

チェロ協奏曲 イ短調 1850
3.5点
交響曲やピアノ協奏曲のようなまとまりと巨匠性を感じない。しかし、単一の楽章のように書かれていることで独創的な奔放さが表現されていること、妙に頭から離れなくなるメロディーにより、特異な魅力を放っている。このため、いかにも不器用なチェロの扱いも逆に魅力の一部になって成功している。

幻想曲 ハ長調 Op.131 1853
2.5点
パンチの効いた強烈さがある音楽が続き、最後の数分間は感動的な雰囲気を作って終わる。支離滅裂というか、曲全体を通して作者が何がしたかったのかよく分からない。

ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 1853
2.5点
1楽章はベートーヴェンの協奏曲と似た品があるが、ぱっとしないまま終わる。2楽章と3楽章も雰囲気は悪くないし、夢の中の妄想が膨らみすぎて現実と乖離したような病的な感じがどことなく感じられ、マニア向けには価値のある曲ではあるがぱっとせず一般的にみていい曲とは言えない。

合唱

オラトリオ『楽園とペリ』 1841-43
4.0点
冒頭の天国的な美しさが非常に印象的。分かりやすいメロディーと説得力のある劇的な音楽のオンパレードであり、長いオラトリオを全く飽きさせない。内向的な文学性の高さと外面的な音楽としての質の高さのバランスの良い両立を非常に高いレベルで実現している。最後は大変感動的に締めくくられて強い余韻を残す。作曲時までの集大成的な作品と考えられるシューマンの代表作の一つ。

レクイエム 変ニ長調 1852
4.0点
晩年の作品で作品番号は一番大きな数字。冒頭から強いインパクトと充実感があり引き込まれるし、40分の間それが持続する。レクイエムらしい死者を悼む感情も込められていて感動できる。シューマンの音楽と管弦楽伴奏の合唱曲の相性の良さに驚く。彼の天才性が生きている。もっと長生きしてこのような曲を書いて欲しかった。

ミニョンのためのレクイエム 1849
3.5点
ロマン派の濃厚で純粋な美のあるレクイエム。15分以下の短さもよい。ただし、全体に雰囲気が似た曲が続き、曲の集合体という感じがあまりしない。まあ統一感があるとも言えるかもしれない。いい曲であるが、永く記憶に残る圧倒的なものはないと思う。シューマンらしい品格とロマンがあり、しなやかで清浄で敬虔の音楽は、聴く前の予想の範囲を超えてはくれない。


室内楽

3つの弦楽四重奏曲 1842

第1番 イ短調
3.3点
ドイツ的な太い芯があり巨匠的な風格のある曲調。耳に残るメロディーは無いと思うが、風格を楽しみながら十分に楽しく聞ける。シューマンが向いていると感じるのは、作曲者の力の入れ方が自然と音楽的な力になっていると感じるからのようだ。

第2番 ヘ長調
3.3点
シューマンと弦楽四重奏の相性は割と良いようで、この曲も四重奏のサイズにあった生きの良さや柔らかさや切れを生かした音楽になっている。ただ、これはという出来の良い楽章はないので、シューマンの標準レベルに留まっている。

第3番 イ長調
3.8点
親密さや優しさを感じる1楽章と3楽章が秀逸。特に3楽章はゆったりと心を歌いながら演奏されるメロディーにかなり感動できる。4楽章は主題がいつものシューマンであるが、間に挟まれる間奏部分が素敵である。

ピアノ五重奏曲 変ホ長調 1842
4.0点
どの楽章もシューマンらしいロマンを内部に秘めていながら、品の良さに満ちているし、心地よくて室内楽の楽しさにも溢れている名品。

ピアノ四重奏曲 変ホ長調 1842
4.0点
五重奏の方が僅かに上かもしれないが、こちらの曲も同じくらい素晴らしい。どの楽章もアンサンブルを楽しめて、シューマンらしい巨匠性のあるロマンチックさをもった充実した音楽を楽しめる。

ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 1847
3.8点
いかにも典型的なドイツ中期ロマン派の室内楽である。堅固な構築性とロマンチックなメロディーや雰囲気を両立しており、どの楽章も効果的な内容でありバランスがよい。ピアノ三重奏で問題になる音のバランスの悪さも全く気にならない。最終楽章の高揚感が自然に実現されるのはやはりいいものである。ドイツロマン派室内楽の名作の一つに挙げられる。

アダージョとアレグロ 変イ長調 1849 hrn(vc任意),pf
3.5点
(チェロ版)シューマンらしい夢のような甘さに溢れたアダージョはなかなか魅力的。その流れを受けたアレグロも甘さを残しており、だんだんそれは消えていくが品の良さは残したまま最後まで聴かせる佳曲である。大作曲家が書いた貴重なレパートリーと呼ぶに相応しい曲。

4つのフーガ Op.72 1845 cl,pf
2.5点
短調のロマン的な3曲目は好きだ。他の曲も所々にロマン派らしい感情は感じられるが、全体にはバッハの平均律に似すぎていて客観的で観念的な音楽であり、あまり価値が高く無いように思う。

幻想小曲集 Op.73 1849 vc(vn,cl),pf
3.0点
1楽章は陰鬱な感情が盛り込まれていてもやもやとしている印象である。2楽章はクラリネットの音色の特性の活かし方が上手い。3楽章はシューマンには良くある曲としか思わない。曲集としてのまとまりはある。

ピアノ三重奏曲第2番 ヘ長調 1847
3.0点
ありきたりにならないようにと古典的な型から外れて自由に書こうとした事は伝わるが、あまり成功している印象がない。ただ、3楽章がかなり美しく真心とか親密さのようなものを感じて感動するので、曲の価値は低くない。

幻想小曲集 Op.88 1842 vn,vc,pf
3.3点
いくつかある幻想小曲集の中でも、ピアノ三重奏用であるだけあり、賑やかで華やかであるのが特色。

3つのロマンス 1849 ob,pf,vn,(cl)
3.0点
どの曲もシューマンらしい音楽としての魅力はある。オーボエ音楽としては明るさと陰影を持つオーボエの全てを引き出している感じではないが、ささやかさの中に歌心があり悪くない。1、2曲目ほ旋律は平凡であり、名曲と呼ぶ程でない。3曲目は陰があり魅力的。

ヴァイオリンソナタ第1番 イ短調 1851
3.8点
1楽章が美旋律のオンパレードで素晴らしい。憂鬱さをたたえた情熱的なメロディーで一度聴いたら忘れない。2楽章と3楽章は強い特徴は無いが、1楽章の素晴らしさを壊さない出来にはなっている。全3楽章でコンパクトなので聞きやすい。

ピアノ三重奏曲第3番 ト短調 1851
2.5点
曲としてまとまってはいるが、シューマン独特の執拗な繰り返しがしつこいと感じてしまう箇所が多いし、感激するような場面が無いので、いまいち。

ヴァイオリンソナタ第2番 ニ短調 1851
3.3点
1楽章と2楽章はあまりインパクトがない。3楽章の変奏曲は主題が包み込むような優しさに満ちた感動的なもので素晴らしいのに、短く終わってしまい残念。4楽章は力の入った作品だが主題の魅力は今ひとつ。全体に1番の2楽章3楽章よりはバランスが進歩している気がしたが、メロディーの魅力が足りないと思う。

おとぎ話 1853 cl(vn),va,pf
3.0点
ドリーミーなシューマン節をそこそこ楽しめる。とはいえ、本人としてもできの良い作品という感じではなく、出来合いの曲なのではと思う。特に感動するほどのものはない。

民謡風の5つの小品 Op.102 1849 vc,pf
3.3点
シューマン臭さがかなり少ない普通の曲である。チェロの低音が醸し出す渋い民族的な粘っこさが上手く活かされている。

ピアノ曲

ピアノ曲は初期に書かれた作品が多く、中期以降の成熟には達していないものが多い。また、ショパンやリストと比較して音を想像力で補う必要がある。

初期

アベッグ変奏曲 1829-30
3.0点
デビュー作で、書法に未成熟さは多少みられるものの、独自の世界は既に作られていて、魅力はある。

蝶々 1829-30
3.0点
初期の曲でまだ未熟さが残り、曲は名作といえるレベルに達していないと思う。しかしながら、素朴さの中に潜むシューマンらしい魅力は、既に十分である。

パガニーニの奇想曲による練習曲 Op.3 1832
2.5点
若書きの未熟さとまとまりのなさがどうしても気になってしまう。曲想がバラバラでまとまりがない。

6つの間奏曲 1832

クララ・ヴィークの主題による即興曲 1832-33
3.0点
即興曲という題名だが、実質的には変奏曲である。若書きだが、奥ゆかしさとか、一生懸命な感じがあり好感度が高い。

ダヴィッド同盟舞曲集 1837
3.5点
1〜2分の短い曲の連作。典型的なシューマンらしい香り立つ気品と幻想的ロマンの小品集で、曲が短いので聞きやすい。静かな夢の中のような静かな曲に吸い込まれるように強く心を奪われる。活発な曲は間奏や場面を転換させる曲と最初は思うが、しばらく数10秒聴くとその中に詩情と物語性がある事に気付く。これを繰り返しながら物語が展開している。シューマンの良さが出た曲集。

トッカータ ハ長調 1829-32

アレグロ ロ短調 Op.8 1831
2.5点
ベートーヴェン的と呼んでもいいかもしれない正統派的ながっちりとした力強さがある曲。だが、文学性を感じないせいかあまり印象に残らない。

謝肉祭-4つの音符による面白い情景 1833-35
4.0点
全21曲。シューマンのピアノ曲中で特に華やかでウキウキするような楽しさがあり聞きやすい曲集。最後の壮大な盛り上げ方が最高。

パガニーニの奇想曲による6つの演奏会用練習曲 1833

ピアノソナタ第1番 嬰ヘ短調 1832-35
3.0点
二楽章が素敵。他の楽章も一生懸命頑張っている感が強い。最終楽章は複雑過ぎであり、凝りすぎ。

幻想小曲集 1837
3.5点
発想豊かで美しさのあるいい曲が多い。曲集の最後の締め方がよい。

交響的練習曲 1837
3.5点
前半の普通の変奏曲はあまり面白くない。自由になってからが本領発揮。変奏曲らしい統一感とバラエティーのふれ幅の大きさが魅力。

ピアノソナタ第3番 ヘ短調 1835-36
2.5点
元のタイトルは『管弦楽のない協奏曲』。技巧的で大規模の本格派だが、いい曲という印象はない。

子供の情景 1838
4.0点
有名なトロイメライに限らずどの曲もある程度描写的な分かりやすさがあり、一曲ごとは短いが個別の曲としても独立した良さがあるので聞きやすく楽しみやすい。

クライスレリアーナ 1838
3.0点
この曲をシューマンのピアノ作品の代表作にあげる人が多いが、自分には分からない。それほどロマンチックではないし、単体でいい曲があるわけではないし、発想の豊かさや霊感の強さを感じないのだが。。

幻想曲 ハ長調 1836-39
4.5点
ふわふわとした幻想性と濃厚なロマンチシズムの塊であり、シューマンのピアノ独奏曲の代表曲。一楽章のスケールが大きい冒頭の魅力と第2主題のドラマチックな感傷性など、場面展開が魅力的。二楽章は輝かしく英雄的な行進曲。三楽章は特に濃厚でロマンティクの極みで、深い沈静の中にドロドロとした感傷が満ちている。私はリヒテルの壮大なライブ版音源でこの曲の強烈な魅力が分かった。

アラベスク ハ長調 1838-39
3.5点
夢見るようで、エキゾチックさもあり魅力的な曲。

花の曲 変ニ長調 1839
2.0点
雰囲気だけの曲であまり価値のある曲には聞こえなかった。

4つの夜の曲
2.5点
メジャー曲と比較すると少しレベルが落ちる。

フモレスケ 変ロ長調 1839
2.5点
曲から特別な何かを感じない。いまいち。

8つのノヴェレッテ 1838
3.0点
メロディアスではなく個別の曲に単独での傑作は無い。また外面性、心理的な具体的な内面描写、分かりやすいストーリーもないので分かりにくい。しかし、5分程度の活発な曲を積み重ねると何となく心の冒険が出来るという不思議な曲集。長い最終曲がバラード的な物語あり。

ピアノソナタ第2番 ト短調 1833-38
4点
ロマン派のピアノソナタとして屈指の出来だと思う。ソナタらしい構成感がベースにあり、力強く情熱的ロマンチックさに浸れる。控え目に現れる幻想的場面がまた効果的。最終楽章が弱いが、それでもうまくバランスを取ってまとめてる。

4つの夜曲 1839

ウィーンの謝肉祭の道化 1840
2.5点
長い一楽章が面白くないし、そこそこ長い作品だが全体的にはっとする良さが少なく力作とは言い難い。最終楽章のノリの良さは悪くないけど。


3つのロマンス 1839

1 3.0点
2 3.5点
3 2.5点

二曲目が低音のメロディーを美しく響かせる曲で素晴らしい。最終曲は長くて自由だがいまいち。

4つの小品 1838-3

東洋の絵(6つの即興曲) Op.66 1848 2台pf
2.5点
あまり印象に残る曲が無く、失敗作だと思う。


中期以降

子供のためのアルバム 1848
2.0点
全43曲。面白くない曲が7割以上、名作と言えるのは有名な楽しき農夫と他はせいぜい数曲だろう。鑑賞用には向かない。

4つの行進曲 Op.76 1849
3.5点
4曲とも勇壮で豪快な中にシューマンらしい繊細さもあるという楽しい曲ばかり。シューマンのピアノ曲では名作の部類なのにあまり有名でないのが不思議だ。

森の情景 1848-49
3.5点
後期のピアノ曲集。1曲が2分程度と短い。インスピレーションが強く働いていて、幻想的な夢の中のような世界を現出させている。曲集の中で、有名な「予言の鳥」がやはり耳をひく。文学的な詩情の豊かさはすばらしい。最後は名残惜しく終わり、曲集としてもまとまってる、

色とりどりの小品 Op.99 1836-49
2.5点
未発表の小品集。割と長めの小品が収録。あまりいい曲はない印象。通して演奏すると時間が36分もかかるので、演奏されないのはしょうがない。

舞踏会の情景 1849-51 4手
3.3点
シューマンにしては珍しい、サロン風の上品な音楽。華やかで楽しめる。

3つの幻想的小曲 1851
2.0点
後期の錯乱して幻想的過ぎ、内面的過ぎの印象が強い。

子供のための3つのソナタ 1853
3.5点
短くて平明であり、子供向けの明るく素直な曲調を楽しめる。大人向けのドロドロした所がある曲より、シューマンの歌心が素直に表現されていると思う。とはいえ、それほど簡単な曲でもなさそうに聞こえる。子供向けでも、物足りなさは全然ない。

アルバムの綴り 1832-45
3.3点
短い小品全20曲。長い期間に渡る作品を集めたもので、子供の情景や謝肉祭に漏れた曲も入っているそうだが、そうした主要曲集とのレベルの差は聴いている限りではほとんど感じない。

7つのフゲッタ形式によるピアノ曲 Op.126 1853
3.8点
晩年の隠れた名作。バッハの平均律を意識していると思われる。音が少なくて平明であり、静かで温かみがあり穏やかな気持ちになって、聞きながら物思いにふける異が出来る。

子供の舞踏会 1853 4手

朝の歌 1853 全5曲
3.3点
文学的な香気が他の作品以上に濃厚である。朝の全てが寝静まった静寂さと、太陽が昇り始めて世界が活動のような世界を、深い表現で描いている。

天使の主題による変奏曲(主題と変奏)
3.5点
最後の曲ということで力なく辞世の音楽が奏でられる。あまりの気力の無さに聴いていて悲しくなってくる。しかも変奏してもその雰囲気は変わらないのがまた悲しい。

歌曲

リーダークライス 作品24
3.8点
次から次へと顕れる曲の内部エネルギーと、短調と長調が交互に現れることが、心の揺れ動くさまを実に生々しくもロマンチックに描いている。シューマンのロマンチックを原石そのままに表現する美点が見事に現れていて心を捉えて離さず、また聴きたいと思わせる。前半の数曲は面白くなくてがっかりする。しかし、途中からはシューマンワールドの引力に引き込まれていく。

歌曲集「ミルテの花」 作品25
3.8点
陰鬱な雰囲気や、不安定な心情の曲は少なくて、素直な明るい曲が多いのが特徴。とはいえ底抜けな明るさではなく、なにかひっかかるものは常にあるから聞いていて胸に響く重さがあり感動がある。シューベルトのような天上的な近寄りがたさはなく、人間的で文学的なところが良い。3分の2くらいは「美しい曲だ」と感動できる名曲と思う。すごい打率だと思う。有名な1曲目は確かにふっと心をとらえて忘れられなくなる魅力がある。

リーダークライス 作品39
3.5点
暗くてしんみりとした歌が多い。1曲だけでなく多くがそうなので途中で飽きてしまった。終焉とか、人生の悲哀のようなものを噛みしめるような曲調である。シューマンの他の連作歌曲と比較して個人的には感動が薄かった。歌の雰囲気の組み合わせに翻弄される感じが薄い。

歌曲集『女の愛と生涯』 作品42
3.8点
凛とした女性の自恃を感じる音楽である。様々な表情が現れていくが、全体的に感情と運命に奔放されながらも強く生きる心を音楽から感じ取れるのが印象的である。1曲目は序奏という感じで、2曲目で音楽の中に心が入り込んでいき、3曲目からはどっぷりとシューマンの世界に入って心を翻弄されるがままになる。

歌曲集『詩人の恋』作品48
4.0点
夢を見るような精神世界の中に入り込むシューマンの美点が見事に結晶化している。そしてロマンに浸りながらもバランスが良くて巨匠的であるところが連作歌曲としての名作たる所以と思う。様々な曲は表情を煌めく水面のように揺れ動きながら変えていく。それに時間を忘れて見とれるように聴く音楽である。曲調の変化は心に大きな波を立たせる。そして、シューマンらしいロマンと表現のエネルギーの塊の芯だけ削り出して取り出したような音楽であり、心の遍歴そのものの音楽でもある。それがピアノと声楽という形で最善の造形を見せて、良さにため息をつきたくなる。最後のエンディングは最高に感動する。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/シューマン

9. 中川隆[-13758] koaQ7Jey 2020年2月15日 17:32:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-368] 報告
自分という他人( ロベルト・シューマンの場合)2020 FEB 14 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/02/14/自分という他人%ef%bc%88-ロベルト・シューマンの場合%ef%bc%89/

シューマンはクララ・ヴィークと結婚してから歌曲、交響曲、室内楽の年を迎えるが、独身時代の作品群はというとピアノ曲一色である。これを僕は奇異に思っていた。なぜなら、彼は機械による特訓があだとなって指を故障してしまい、右手が使えなくなっていたからだ。ピアニストで身を立てようとしていたシューマンは簡単に気持ちの整理がつかなかったのだろう、チェロや神学の道まで模索し、「ツヴィッカウ交響曲」を試作もしている。であるのに、クライスレリアーナや幻想曲ハ長調みたいな技巧を要する曲をどうして書いたんだろう。しかもピアノ曲ばかり」続々とまるで熱病にかかったみたいに・・・?

その疑問は、しかし、恋する若者の気持ちになってシンプルに考えると解けるように思う。彼は父親フリードリヒ・ヴィークに邪魔されてクララに会えないロメオとジュリエットの事態に直面していた。罵詈雑言を浴びせられ、ツバまで吐きかけられ、ついに名誉棄損で訴えてしまうのだから半端ではない。だが、もっと辛いのは間にいるクララだ。熱いラブレターで恋情をアピールし、ライバルを蹴落とし、自分に目を向けさせなくてはいけない。手紙は検閲される。ならばピアノだ。クララの主題や思い出のパッセージを暗号のように入れこもう、けっして他人にわからないように。そして彼女がそれを弾く。親父も娘の気持ちを察するだろう。素晴らしい曲だと言わせてやろう。見直させて結婚を許してもらおう。

そんなところではないか?その証拠といってしまえるかどうか、勝訴してクララと結婚するとピアノ曲の創作はぱったりと途絶えてしまうのである。シューマンは突発性の男だ。何かにとりつかれると寝ても覚めてもそればかりで、ある日突然、まったく別なものに夢中になっている。気まぐれというレベルではない。1839年の時点では「声楽曲は器楽曲より程度が低い。声楽曲を偉大な芸術とは認めがたい」と述べていたが翌40年には歌曲ばかり書きまくる。声楽の評価に重大な方針転換でもあったのかと思えばそうでもなく、41年は交響曲、42年は室内楽と猫の目のように関心が変転する。

シューマンのこの性格を見ると、フリードリヒ・ヴィークに同情しないでもない。僕もそんな奴とつきあうのは御免だからだ。その気持ちが生じるのはなぜだろう?自問すると意外なことに気づく。自分も突発性の人間だからだ。小学校時代、悪くてあらゆるいたずらをした(と担任にいわれた)。そういう何をしでかすかわからないAと、0.1ミリの狂いも許さない小姑みたいに冷静でうるさいBが僕の中には棲んでいる。アクセル役のAはつまんない邪魔な奴だとBを煙たがっており、ブレーキ役のBは向こう見ずでいい加減なAを軽蔑している。シューマンをつきあいたくない奴と判断しているのはBなのだ。それでわかる。計算づくで尊大でシニカルなマーラーを嫌っているのはAなのだ。


シューマンの内面のふたり、フロレスタン(F)とオイゼビウス(E)がそんなものだったか敷衍するすべはないが、多分にそうだろうと僕は考えている。古代ギリシャでは人間の気質とはフモール(Humor、体液)の産物で四大元素のブレンド具合で変わると考えた。ルネッサンス由来のそうした知識がフランス7月革命を経た自由主義思想に燃えるドイツロマン派革命文学に持ち込まれ、その泰斗ジャン・パウル、E.T.A.ホフマンからシューマンに伝播したことは否定し難い。彼自身がプラトンの対話法を用いてFとEによる音楽評論を試みたともいわれる。同じ人間が今日明日は別人ということがあり得るという考えを彼らは肯定的に許容したわけである。そして、それを上の方から眺めて許容し、両人がお互い鏡になって指摘し合えばもっといい人になれるとヘーゲル流に正当化した。

シューマンは23才のころ兄と兄嫁が亡くなって「気が狂うという固定観念にとりつかれている」と書き、激しい情動の振幅が現れ、それは動と静、激情と慰撫、衝動と耽溺、喝欲と夢想、などの二律背反する気質として音楽にまばらに出現するようになる。ベルリオーズは阿片で狂ったが、シューマンは病気だった。後にイ音の幻聴が現れ死に至るほど精神を病むのは梅毒第三期の症状といわれ、この時点の躁鬱の頻繁な交差がその前兆かは否かは文献を見ないが、立派な躁鬱病ではあろう。しかし彼の理性はしっかりその背反をFとEの役者に当てはめ弁証法的に解決してしまう。E.T.A.ホフマンの「牡猫ムルの人生観」は学識ある猫の自伝だが、クライスラーの自伝とドッペル状態で進行し、ホフマンがそれをまとめる。シューマン、F、Eの関係はその模倣だが、シューマンという人間そのものでもあった。


我が心中の二人は、

A(経験、直観、革命、冒険、新奇、酔狂、気儘、陽気、短気、横暴、帰納、金色、赤色)、

B(論理、合理、慎重、頑固、忍耐、集中、緻密、冷徹、陰気、演繹、銀色、黒色)

が相当する。例外的にビジネスはA、学業はBが優位におこなったが、それ以外で両者は自立してお互いに対して対等に批判的であり、それは子供時分から不変で今後も変わらないだろう。A・Bの対立でもう一段すぐれた人間になったかというとそういうことはない。

ヘーゲルは科学者でなく弁証法は数学的に証明できないから何となく合理性がありそうな後講釈以上のものではない(ということは共産主義しかり)。シューマンにおいてもそれはない。フロレスタン(F)とオイゼビウス(E)がクライスラーと猫ムルの如く交互に主張する独身時代のピアノ音楽にこじつけ以上の形式論理はない。

7月革命のイメージ『民衆を導く自由の女神』ウジェーヌ・ドラクロワ 1830年 ルーヴル美術館所蔵
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/02/14/自分という他人%ef%bc%88-ロベルト・シューマンの場合%ef%bc%89/1280px-eugene_delacroix_-_la_liberte_guidant_le_peuple/


急進的文学集団である「青年ドイツ(Junges Deutschland)」はヘーゲル的発展を政治と文学に求め、その運動はシューマンの評論活動を通じて音楽に波及したが、弁証法に数学的予見性は何らないからそれは新興若手インテリ集団の熱病にすぎなかったことになる。しかし時代のパラダイムとしてはベートーベンを超える者が現れる “必然” があり、シューマンにとってそれは自分である証明をするモチベーションから交響曲第1番「春」が生まれる。そこにクライスレリアーナの終曲の主題を持ち込んだのは、同曲が結婚へ向けての苦境と呻吟の、しかし勝利を勝ち取るエネルギーを注ぎ込んだ産物であり、そして、作曲の新時代のメシアが自分であり、春を告げる交響曲がその子供として産声をあげたのだというシューマンの心象風景の象徴と思う。

にもかかわらずブラームスにベートーベンの第10交響曲の地位を奪われてしまうのだが、そのことがシューマンその人やクライスレリアーナや第1交響曲の価値を些かも下げたとは理解されていない。何故なら二律背反するフロレスタン(F)とオイゼビウス(E)はベートーベンには棲んだかもしれないがブラームスにはないからである。

2/15/2020 | 1:10 AM Permalink
シューマンの音楽は危うい均衡の上に成り立っており、作品としてまとまること自体が奇跡的と感ずる。崩壊した土台に辛うじて立っている。表面的な美しさだけを受け止めることも可能だが、透けて見える断絶の苦悩の深さを感じ取ってこそシューマンは理解できるだろうと私は思います。

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10. 中川隆[-13673] koaQ7Jey 2020年2月19日 11:45:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-248] 報告
シューマンの楽譜と病気の関係 2020 FEB 18 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/02/18/シューマンの楽譜と病気の関係/


シューマンの楽譜を見ていると、大学で初めて憲法や民法を読んだ時のことを思い出すことがある。法文は読み手の呼吸と合わないから意味がすんなり入ってこず、へたくそな文章だと思った。しかし慣れてくるとわかる。『書かれるべきこと』を必要最小限の文字に落とし込み、読み手が勝手に解釈する余地も最小限にするとそうなるのだ。

後に仕事で契約書に遭遇する。契約は訴訟になったらという前提だから書きかたは確立していて、回りくどくて解りにくい箇所は往々にしてその契約の個性ある守りの難所なのだ。法学部という所はいわばそういうややこしい文章の訓練所であり、拙ブログもそうだが、くどいけど念押しまでして正確に伝えることがもはや僕の抜きさし難い習性となってしまっている。そのことは「精読」して下さる読者の方だけがわかる。内容が『書かれるに値すること』だったかどうか?それは、ぜんぜん別なことだ。

シューマンの譜面に一抹のぎこちなさを感じるのは、例えば、トロイメライの旋律と拍節の見かけの不一致とか、第3交響曲の冒頭について書いたこのブログのような箇所だ(シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(第1楽章))。どうしてこうなるかというと、彼は心に浮かんだ楽想を『書かれるべきこと』として「採譜」したのだと思われる。立法者が必要なコンテンツを法律にするのと同じで、そのどちらの作業も英語はコンポーズ(compose)だ。そこだけ切り出せばエンジニアの如くメカニックな作業である。

シューマンは自著

「音楽と音楽家」
https://www.amazon.co.jp/音楽と音楽家-岩波文庫-青-502-1-シューマン/dp/4003350219


の「音楽の座右銘」の章にこう書いている(吉田秀和訳、岩波文庫、230ページ):

作曲をするようになったら、まず頭の中ですっかり作ってしまうこと。そうして、その曲がすっかりできるまで、楽器で弾かないように。心の中から湧いてきた音楽なら、他の人がきいても、やはり同じようにうたれるだろう。もし、君が幸いにも活発な幻想力を天から恵まれていたら、さぞ君もただ一人でピアノの前に釘づけになったように何時間も座り込んで、和声の中に心の内を表現しようとするだろう。
以上は「子供のための小品集」の出版に際して子供に向けて書いた文章だが、彼の作曲法(過程)をうかがうことができる。「心の中から湧いてきた音楽」を和声まですっかり作ってからピアノで弾きなさい(つまり、譜面に書きなさい)と言っている。まさにこうして、ラインの冒頭はあの譜面になったのだろう。

シューマンの音楽はファンタスティックなものであるが、それは心の中から湧いてきた音楽という原石がそうだという話であり、それを採譜する作業にファンタジーがまぎれこむなんてことはあり得ない。そしてその作業の精度と速度は最晩年に精神の変調してをきたしてからもいささかも衰えを知らないということは、

「チェロ協奏曲は1850年10月10日から24日にかけて、交響曲第3番は1850年11月2日から12月9日にかけて、ヴァイオリンソナタ第1番は4日間、同第2番は6日間、ピアノ三重奏曲第3番が7日間と、驚くべき速筆で書かれている。『ヘルマンとドロテア』序曲はわずか数時間で作曲された」(wikipedia)

という事実で実証されている。つまり、それがロジカルに意味するところは、採譜された楽譜を深く研究しそのままを弾けば原石のファンタジーは現れるし、現れるように弾くことが良いシューマンの演奏ということになる。

シューマンは子供のころから晩年に至るまで日記を書き続けている。僕もそうなので想像してしまうが、何かの目的のためというよりは日々の出来事を書き残しておきたいからだ。シューマンは性生活まで書きこんでいるが、べつに何のためでもなくそういう性格なのだ。昨今だとそれって変質狂ですよなんて平気で病気にされかねないが、そんな風潮自体が成熟社会の病気だ。僕は数を数えるくせがあって、階段は縁起が悪い4、13回のステップにならないようにしたりするが、今どきはニュメロマニア(計算狂)なんて病気にされてしまう。高所恐怖症も閉所恐怖症も心療内科に行けばきっと病気だろう。

シューマンにはいろんな普通ではない個性があって、誘因となり得る病名は学者によると躁鬱病、梅毒、統合失調症、結核性髄膜炎、脳腫瘍と多彩である。どれであれたしかに病気だ。しかし、ひとつのことに異常にこだわり執拗に気に入ったリズムくりかえすなどは、そういう症状を生む病気があるかどうかは知らないが、常識的には「性格」であり遺伝的形質と考えるのが自然だろう。ライン川に投身するのは尋常でないが、姉のエミーリエも29歳で入水自殺しておりそれも遺伝かもしれない。彼の「心の中から湧いてきた音楽」は持って生まれたものの投影であり、遺伝的性格の産物であったという考え方は自然に成り立つと思う。

逆に、日本では狂おしい病気が往々にして彼の楽想のファンタジーに関係づけられてしまう傾向を見る。それを言う人はほとんど「心の中から湧いてきた音楽」と「採譜するメカニックな工程」の区別に気づいていない。候補とされたどの病気の罹患者もファンタジーを好む性向になるという科学的論拠は聞かないし、僕の知るドイツ人、英国人のシューマン好きでそんなことを言う人は一人もいなかった。戦前の私小説で「肺をやる(病む)」「吐血する」が一種のマゾヒスティックな美学風に取り扱われたのを思い起こさないでもない(僕はその風情がおぞましくて読まなくなった)。日本病の一環かもしれない。

また、彼の管弦楽法を未熟と見て改定するのは完璧な誤り(error perfectus)である。見た通り、シューマンの「心の中から湧いてきた音楽」を「採譜」する能力は年齢でも病気でも微塵も衰えなかった。ということは、彼のスコアは忠実にその「音楽」を書き取ったものの具現であるはずで、地味に響こうが金管の書法が20世紀の進化した楽器にとって無用にぎこちなかろうが、マーラーやシューリヒトが違う風に書き直すことにソフィスティケイトされたいかなる意義、インテリジェンスも見出すことは僕には不可能だ。同じ意味で、「シューマンの音楽はファンタスティックなものである」と、楽譜に指示のない自己流を “ファンタスティック風に” 演奏する人にも、かけらも関心を持ちようがない。なぜかは彼に代弁してもらおう。

いわゆる華麗なひき方が、達者にこなせるようになろうと心がけないように。ある曲をひく時には、作曲家の考えていた印象をよび起こすよう努めなければいけない。それ以上をねらってはいけない。作家の意図を超えたものは、漫画と同じだ。
(ロベルト・シューマン、上掲書232〜3ページ)


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11. 中川隆[-13313] koaQ7Jey 2020年3月01日 02:05:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[214] 報告
E.T.Aホフマン「牡猫ムルの人生観」 2020 FEB 29 by 東 賢太郎
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序論

世の中は新型コロナで騒然としてきた。僕はウィルスのメカを医師に教わったり本やネットで調べたり、大昔からそういうことが好きであり、その結果で腑に落ちた世界観に忠実に2月から行動してきたのがコロナの一連のブログだ。世間がいまさらになって何を騒いでるかなんてことにはからっきし興味がない。唯一あるとすると、KOVID-19が特異だということだ。ウィルスはこわいし徹底して忌避しているが、それはそれとして、ぎょしゃ座エプシロンの伴星ぐらい知的好奇心を喚起されるものがある。この星に子どもの時からずっと興味があるが行ってみたいとは思わないのと一緒である。

人も物事も、齢65にもなると大事なのは興味あるかどうかだけだ。それは、僕の場合は「特異かどうか」なのだ(特異点さがしこそ僕の本質)。「特異」の意味を定義しておくが、「普通でない」ということだ。ではまず普通とは何か。ここでそれを表す日本語が少ないことに気づく(古語だと「つね」)。英語はcommon、usual、normal、average、ordinaryなど盛りだくさんだが、それらの否定語がすべて、ニュアンスの異なる「普通でない」になる。僕の言う「特異」はそのどれでもないからそもそも特異なのである。では何かというと、ある一点をもって偏差値80以上ほどのスペックが明確にあり、そのことが奇異だという、なにか秘境を見つけたようなワンダフルな特別のエモーションを喚起するものであって、英語はそれに対し、普通の否定形でない独立の形容詞を用意している。それはeccentricだ。
言葉は民族の感性と思考が生む。日本人は普通に重きを置かず西洋人は置く(だから分別する語彙が豊富)が、それはそもそも人間に同じ人はいないというギリシャ的視点からは同質の集団が珍しく、名前を付けて区別する動機があったからで、逆に日本人は人間は(庶民は)同質で、いわば羊が不加算名詞であるに似て、区別する動機がなかったから語彙が少ないのだと思う。西洋はその反作用として「普通でない」ものの普通でなさを細かく認識する語彙も豊富になったという気がするのだ。日本ではそれは「変な」「妙な」「けったいな」で感情的に否定して思考停止で終わってしまい、主知的な観察は放棄してしまう。つまり、根っから異質を嫌うそういう民族だということが語彙で分かる。

eccentric(エキセントリック)を多くの日本人は否定的な形容詞と思っているだろうが、むしろとんがった所を肯定するニュアンスだってある。ところがそれをうまく表す日本語がない、だからそういうことになるのである。僕においてはクラシック音楽は、常人が書けるものではないeccentricな音楽であり、したがって、そう定義した非常にピンポイントな意味において「特異」である。そう書きながら自分で馬鹿だと思うのは、特異な曲しかクラシックとして残らないトートロジーではないかと感じるゆえだ。つまりそれは長い時を経て西洋人が、それもとんがりを「なにか秘境を見つけたようなワンダフルな特別なエモーションを喚起するもの」として愛でることのできる美的素養、教養のある人たちが愛好してきたものだけのクラスターだ。だから「クラシック音楽」というジャンルは一曲一曲、特異を生むわくわくするような秘密があるのあり、僕のような習性の人間には楽譜を解剖してそれを解き明かす無上の喜びの宝庫である。

そのことは音楽だけでなく人間にも当てはまる。クラシックにまつわるすべての人物の内でもとりわけ特異な男がいる。eccentricだがもちろんその言葉のポジティブ・サイドの極だ。作曲家はみなとんでもない男ばかりだが、格別に特異であるのが本稿の掲題ホフマンである。能力というもの泣いても笑ってもアウトプットしたものでしか他人にわかりようも認められようもがないが、この男のそれは質も量も巨大だ。量だけならワーグナーに軍配が上がるが、それは音楽いち教科のこと。ホフマンは三教科で全部80越えだから異質の異能、二刀流どころか三刀流の達人であり、僕にとってあらゆる角度から興味を引く人間の最右翼である。いま邦訳で手に入る彼の小説を片っ端から読んでいるところだ。


(1)法律を学んだ音楽家たち(才能の二面性について)

E.T.A.ホフマン(1776 −1822)は法律家の家に生まれた。彼がどういう人であったはわかりずらい。ケーニヒスベルクの陪席判事、プロイセンのワルシャワ市首席行政官、バンベルグの劇場支配人、ライプツィヒの音楽新聞の評論家、プロイセン大審院判事というところが給金を得るための公の職業であったが、後世は彼をまず幻想文学の小説家として、次にくるみ割り人形、コッペリア、ホフマン物語の原作者として、そして、作曲家ロベルト・シューマンに文学的影響を与えたマイナーな作曲家として記憶している。僕はというと、オペラ、宗教曲、交響曲、室内楽、ピアノ・ソナタが200年後にCDになっている人類史上唯一の裁判官として評価している。大酒飲みでパラノイアであり、反政府の自由主義者としてメッテルニヒに処分されそうになったが、うまく逃れてベルリンで梅毒で死んだ破天荒の男だ。

総合音楽新聞(1808年)

彼の「公の職業」はパンのためで、ライフワークは文学、なかんずく音楽であった。著名な音楽評論家でもあって、Allgemeine musikalische Zeitung(総合音楽新聞)の執筆陣に名を連ねている。この新聞は最古の楽譜出版社として著名なブライトコプフ・ウント・ヘルテル社(https://mag.mysound.jp/post/491)のオーナー、ヘルテルらがドイツを中心とした音楽界の事情を発信するメディアとして立ち上げたものだ。19世紀になると作曲家は楽譜を印刷して収入を得ることで自立の道が開けた。そのため彼らは出版社と運命共同体であり、出版社は新聞に識者による評論を掲載して彼らの新作をプロモートし円滑に売ることができる。その良好な関係がワークするには執筆陣の質的な優位性はもちろんだが、同時に中立性が求められた。同紙が「御用新聞」でないことは、例えば、後に金の卵となる若きベートーベンが1799年の同紙で「モーツァルトの『魔笛』主題による変奏曲」を始めとする初期の変奏曲の変奏技術を同紙の複数の論者に酷評されていることで証明されている。

ところが同じ年のピアノ・ソナタ作品10(第5−7番)のレヴューで評が好転し、彼の作曲スタイルが初めて認知された。その後数年で、彼の初期作品の複雑さが同紙で重ねて議論されるようになり、それなら再演して確認しようという声が上がりだした。その例として1804年に同紙の発起人で主筆のヨハン・フリードリヒ・ロホリッツ(ゲーテ、シラー、E.T.Aホフマン、ウエーバー、シュポーアの友人)が交響曲第2番ニ長調(1803)の再演を求めていることが挙げられる。2番が難しいと思う人は現代にはいないだろうが、当時、初演だけでは専門家にも理解が充分でない “現代音楽” だったことが伺える。かように出版と評論が表裏一体を成して新作の理解と普及に能動的に関与していた。ロマン派に向けて準備していた時代のダイナミズムを感じられないだろうか。

Hoffmann’s portrait of Kapellmeister Kreisler

その最も著名な例だが、E.T.Aホフマンは評論家として今日あるベートーベンの評価に貢献している。それは1808年(上掲写真の年)に同紙に発表した交響曲第5番、コリオラン序曲、ピアノ・トリオ作品70(第5,6番)、ミサ曲 ハ長調 作品86、エグモント序曲の論考であった。それが大きな影響力があったことはベートーベン自身が謝辞を述べたことでわかる。これぞホフマンの審美眼と文筆力のあかしだ。ちなみに本稿掲題の「牡猫ムルの人生観」に登場する楽長クライスラーのポートレートはその際に同紙に初めて登場している。ベートーベンもこの絵を眺めたのだろう。なおクライスラーという空想の人物はホフマン自身の分身、カリカチュアであることは後述する。

ホフマンの音楽はyoutubeで聴ける。廣津留すみれさんに教えていただいたクララ・シューマンのピアノ・トリオも良かったが、もっと前(1809年)に書かれたE.T.A.ホフマンのトリオもこの出来である。

お気づきと思うが、第4楽章はジュピター音型(ドレファミ)を主題としている。ペンネームのE.T.A.を使用しだしたのがやはり1809年であり、その “A” の由来を「Amadeusから」と述べている彼が音楽でモーツァルトへの敬意を示したのがこれだろう。

更に素晴らしいのは「ミゼレーレ、変ロ短調」である。

1809年の作品であるが、ここにもモーツァルトのレクイエムの和声や書法を想起させるものが聴こえる。

これだけの作曲ができる人がプロイセン大審院判事として判決文を書いていたという事実は一応の驚きではあるが、論理的な作業に人一倍すぐれた能力があるという理解でくくれないことはない。しかし、一転して、感性の領域である「砂男」などオカルト文学、幻想文学の作家でもあるという二面性の保持者となると、そのどちらもが人類史に作品が残る水準にあったという一点において非常に異例だ。ワーグナーは楽劇の台本も自分で書いたが、音楽のない指輪物語でどこまで彼の名が残ったかは疑問に思う。

ホフマンに限らず、音楽と法学をやった人は意外に多い。テレマン 、ヘンデル 、L・モーツァルト、チャイコフスキー 、ストラヴィンスキー 、シベリウス 、シャブリエ、ショーソン、ハンス・フォン・ビューロー、ハンスリック、カール・ベームなどが挙げられるが、このことをもって僕は「二面性」と言うのではない。比喩的に極めて大雑把に丸めればどちらも論理思考を要する点で理系的であり、この名簿にロベルト・シューマンも加わるわけだが、同時に、文学者、詩人というすぐれて文系的な資質も開花させる才能を併せ持つのは異例だという意味で二面的なのである。そして、以下に述べるが、名簿の内でもシューマンだけはE.T.A.ホフマンに匹敵する才能の二面性の保持者であった。それが本稿の底流に流れるもうひとつのテーマである。

シューマンがハイデルベルグ大学で法学を学んだアントン・ティボー教授も上記名簿のひとりだろう。同大学は1386年創立。ヘーゲルやマックス・ウェーバーが教授を勤め33人のノーベル賞受賞者を出したドイツで1,2を争う名門大学だ。ティボーはパレストリーナをはじめとする教会音楽の研究家でハイデルベルクを代表する楽団 “Singverein” を創設、運営していた音楽家でもあるが、ドイツの法典を「ナポレオン法典」に依拠させるか否かの「法典論争」の主役を張った法学界の大家である。ローマ法を基盤とする汎ドイツ的な民事法を「一種の法律的数学」とした主張は、キリスト教徒がルネッサンス以来懐いてきたアポロ的理性で諸侯が群立する神聖ローマ帝国に啓蒙の光を投じようという啓蒙思想的、自由主義的なものだ。中産階級市民の子であったシューマンが共鳴しそうな議論だが、しかし、教授は教え子に関しては「神は彼に法律家としての運命を与えていない」と審判を下し、シューマンは20才でライプツィヒに戻ってフリードリヒ・ヴィークに弟子入りする運命になるのである。


(2)フリーランスの音楽家

外科医の娘であったシューマンの母親が息子に法律を学ばせたのは、絶対王政末期から国民国家の揺籃期の当時、ガバナンスのツールである法典の専門家に権力側の需要があったからだ。法学は中産階級が確実に食える実学だったのである。かたや音楽家はミサを書いたりオルガンを弾く教会付きの職人でしかなく、宮廷に職を得てもモーツァルトですら料理人なみの待遇だった。「フリーランスの音楽家」などというものはベートーベンが出現するまで存在しなかったのである。19世紀に大学に通う子弟の家庭は地位も財力も教養もアッパーである。好んで息子を音楽家にする選択肢はなく、息子の方も教会と貴族によるアンシャンレジームに取り入る方が人生は楽だった。かような時代背景の中、神童ではなかったシューマンはピアノ演奏を覚えはしたが、20才まで作曲家になるレベルの訓練を受けていない。
日本語のシューマン本はほとんど読んだと思うが、その彼の思春期について音楽家か詩人かで迷う文学青年のごとく描くのが馬鹿馬鹿しいほどステレオタイプと化している。独語の種本のせいなのか日本人特有のセンチメンタルなパーセプションなのかは知らないがどっちでも構わない。本稿で本当にそうだろうかという反問を呈したい。僕は独語の原書が語学力不足で充分に読めないしその時間もないが、日本語になった充分な根拠があると思われるピースを推論という論理の力を借りて組み合わせるだけでもその反問は成立する。天才的作曲家であったという結果論から推論を逆行するのは学問的にナンセンスで「天才」という思考停止を強いる言葉は危険ですらある。音楽家の道を推してくれた父を16才で失い、20才で法学に挫折して国に帰ってきた青年である。本当に音楽、文学で食っていける自信があったの?というのが自然な疑問であろう。

その証拠に、なかったからピアノに人生を賭け、同い年のショパンにコンプレックスと焦りを覚え(それは評論家の仮面で巧みに隠している)、だからこそ自ら大リーグ養成ギブスばりの機械を作って星飛雄馬みたいに特訓し、ついに指を故障してその道すら断たれてしまったのである。夢見る詩人のシューマンはそんな悩みと無縁だったという類の仮定は否定する論拠はないが、現実性がないという反論を否定する論拠もない。最も身近にいた母は亭主が残したそこそこの遺産を相続したが、息子がそれを食い潰して終わる懸念を強く持ち、だから名門大学に進ませ、彼もそれにこたえるだけのギムナジウムでの優等な成績をあげていた。音楽の道と別の何かとを迷ったとすれば、それは法律家だったに違いない。彼のその道での生まれ持った能力が、その時点での意思に現実性を与えていたかどうかは別としてだが。

そう考える根拠は2つある。まず、彼が作品を愛読して強い思想的影響を受けたアイドルであるE.T.A.ホフマンが、まさにお手本のようにそれに成功した人だったからである。そしてもうひとつは、指の故障でピアニストを断念したおり「一時はチェロに転向することや音楽をあきらめて神学の道に進むことも考えた」(wikipedia)ことだ。彼はハイデルベルグ大学に進む前にまず父の母校であるライプツィヒ大学の法科に入ったが、彼が心酔したもうひとりのアイドル、ジャン・パウルは同大学神学部に在籍して1年で文壇に転身して成功した。法学の道もすでに断たれ自信も指針も喪失したシューマンが作曲でなく神学の道に向きかけたことは、彼にとって何が「現実的」だったかを雄弁に証明してくれる。

現実性がない、という主張は歴史の大局を眺めない人にはピンとこない。時はナポレオン戦争後のウィーン体制下だ。そこで再びパリで革命の狼煙が上がる。靴屋だろうと音楽家だろうと法学者だろうと、シャルル10世がギロチンで斬首かという隣国の暴動に無縁、無関心でいられた人はいない。音楽史というのは戦争、政治力学、貨幣経済によほど鈍感、無知な人が書いているのか、とてもナイーブな、宝塚のベルばらのノリの説が堂々と真面目に信じられている。ウィーン体制が全面的に崩壊するのは1848年だが、その端緒となった七月革命は遠くポーランドにまで飛び火して、蜂起した祖国がロシアに蹂躙され悲嘆したショパンは『革命のエチュード』を書く、それほどの重大事件なのだ。20才のシューマンの精神状態はそのパラダイムに規定されていたという世界的常識に基づいて思考するというインテリジェンスなくして語れないものである。

音大の学生で七月革命とは何だったか正確に知ってそれを弾いている人がどれだけいるか?知らなくても音符は弾けるが、ショパン・コンクールのような舞台で満場を唸らせる演奏をしようというなら、カール・ベームが指揮者の条件とはと問われて「音楽の常識です」と答えたその事を心したほうが良い。その年にショパンと同じ20才だったシューマンが無縁であったはずはない。彼はビーダーマイヤー期の旧態依然たる人々を「ペリシテ人」と名づけて揶揄し、それに対抗する「ダヴィッド同盟」なる彼の革命のための脳内結社を作るが、フリーランスの音楽家に挑むも指を怪我してしまった不安な彼にとって心の要塞のようなものだったろう。『ダヴィッド同盟舞曲集』はもちろんのこと、『謝肉祭』や『クライスレリアーナ』を弾こうという人がそうした常識を身に備えていないというなら、僕には少々信じ難いことである。


(3)ベートーベンの後継者

その時代においてベートーベンこそ貴族にも教会にもひれ伏さず、群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌う叩き上げのスキルの持ち主だった。難聴だったことで彼の音楽に価値を認めた音楽家はいない。それは楽譜の読めない後世の信者が神殿に奉納した「天才伝説」という聖者の冠であり、モーツァルトの借金伝説と同様のものである。音楽家はまずピアノの即興演奏と変奏の技量で、そして何より名刺代わりの交響曲の作曲で、彼を人生の目標とした。新時代にフリーランスの音楽家として食っていくためにはベートーベンの正統な後継者だというレピュテーションを得ることが出世のパスポートだったからである。20才で法律を捨てて音楽で身を立てる決意をしたシューマンは、名誉もさることながら、それを得るコミットメントを自らに課したのである。

アントン・フリードリヒ・ユストゥス・ティボー(Anton Friedrich Justus Thibaut, 1772年1月4日 – 1840年3月28日)


神童でありティーンエイジャー期に職業音楽家としての特訓を受けたモーツァルト、ベートーベン、ショパン、クララ、リスト、メンデルスゾーンらに比べ、作曲家としてのシューマンの心のありようには別種の立ち位置があるように思えてならない。私事で誠に恐縮だが、都立高校出で受験技術の訓練を積んでいなかった僕は大学で出会った有名難関校出に根本的に違う資質を見たが、ああいうものが20才まで作曲素人だったシューマンにあるように感じてしまう。10代の思考訓練は一生の痕跡を残すが、20を過ぎてからのは必ずしもそうならない。彼が根っからのロマンチストであるなら若くして十分に達者であったピアノでショパンのように詩人になり、交響曲やカルテットは書かなかったろう。しかし、彼はそういう人ではなかったのだ。町名(ASCH)を音化したり、ABEGGの文字を変奏したり、クララの文字や主題をミステリー作家のようにアナグラムとして仕掛けを施す論理趣味があり、バッハの平均律への執着、ベートーベンのピアノソナタ、交響曲のテキスト研究は文学青年の作曲修行などではなく、10代の思考訓練の賜物としての内面からの欲求であろう。その精神が青年ブラームスにも伝わり、ハンス・フォン・ビューローの「バッハは旧約、ベートーベンは新約」の言葉に受け継がれていったのではないだろうか。

ここでもう一つ、背景を俯瞰しておく。興味深いことだが、神学と哲学と法学と音楽はテキスト研究、解釈の方法論の厳格さにおいて科学に比肩する。神学についてあまり知識はないが、科学と神学は中世では同義であり、聖書の厳格なテキスト研究がマルティン・ルターのプロテスタンティズムを生んだと理解してる。音楽と法学は、明白に人間の書いたものなのに、あたかも神の法である科学の如く扱うという姿勢を、少なくともドイツ語圏ではとっていた。それはア・プリオリの法則ではなく、かくあるべしという「心理的態度」に過ぎないのだが、アントン・ティボー教授の「民事法は法律的数学」という比喩に見事に表象されている。後に音楽を数学的に扱う作曲家が現れるのもこの観察に整合的だろう。

音楽先進国イタリアには左様な心理的態度が芽生えなかった。「歌」に理屈はいらないだろうが、さらに本質的な理由として、カソリックが宗教改革と無縁であり続けたことと軌を一にするように思える。それは真にドイツ的な、ドイツ語世界での現象である。シューマンがとった態度を見ると、北イタリアを旅はしたが、ロッシーニを酷評し、オペラ等の歌は器楽の下に見る地点からスタートしている根っからのドイツ人である。アリアのように感じたまま気の向くままに心をこめて音楽すればいいという姿勢は程遠い。彼は評論家としてベルリオーズの幻想交響曲を医学の検体のような眼で眺め、第1楽章の自らによる子細な分析スタンスを「解剖」という言葉で端的に述べている。


(4)シューマンのファンタジーの深淵

一方で彼には、二面性の他方である、先達にはない非常にオリジナルな側面があった。文学からのインスピレーションである。文学者を志しライプツィヒ大学に学んだ父アウグスト、詩作を嗜んだ母ヨハンナから受け継いだ資質だろうが、彼の楽曲が生き残ったのは解剖、解析による堅固で論理的な要素の貢献よりも、その資質による詩的な要素の魅力によるところが多いというのは衆目の一致する所だろう。彼自身も、名人芸を浅薄としイタリア風を否定したが、同時に、規則にがんじがらめの対位法家を糞食らえとしている。「根本的に勉強したあとでなければ規範を軽蔑しないように。これ以上危険な反則はない」と述べている(「音楽と音楽家」38ページ)のに、「わたしはナイティンゲールのように、歌がつぎつぎとあふれてくる。わたしは歌って、歌って、歌い死にしそうだ」(同248ページ)とも書いているのが二面性の裏面だ。理性と情緒。その両方がバランスを時々に変化させながら、後にも先にも類型のないシューマンの音楽というものを形作っている。

『新音楽時報』(Die Neue Zeitschrift für Musik)

彼は評論においても、ホフマンに負けず劣らず理性と情緒を駆使して美文調だが本質を鋭利に見抜く眼で音楽を語っている。シューマンの音楽評論はそのほとんどが、冒頭の「総合音楽新聞」(1798年創立)と同じライプツィヒでシューマン自身が発起人として1834年に創立した「新音楽時報」(Die Neue Zeitschrift für Musik)にて展開されることになる。「総合音楽新聞」の確立したベートーベン崇拝の伝統を受け継ぎ、シューベルトを発見し、ショパンの天才、ベルリオーズの新しさ、メンデルスゾーンの新古典主義を讃えるなど、ロマン派幕開け期の作曲家と作品の評価を高める貢献があったと評されているが、読んでみた僕の感想は、主情的、感覚的な人間と思われているシューマンが公平で客観的な眼を持っていることだ。ここにも二面性が現れている。

同年生まれのライバルでもあるショパンの持ち上げ方は理性を超えているように見えるが、彼の理性は科学のように客観性を内包した性質のものなのだ。シューマンにベルリオーズを称賛すべき何があるのか?「最高の力を持っているのは女王(旋律)だが、勝敗は常に王(和声)によって決まる」と述べている事実がある。そこで彼の幻想交響曲の第1楽章の子細な「解剖」を調べてみると、ブログで僕が「展開部ではさらに凄いことが起こる。練習番号16からオーボエが主導する数ページの面妖な和声はまったく驚嘆すべきものだ。」と書いた第1楽章のその部分に何の反応もコメントもしておらず期待外れだ。彼の称賛は和声も標題も形式も包含した新しい音楽(ノイエ・ムジーク)への情熱からベルリオーズをダヴィッド同盟の同志と見たものだと解するのが説得力があろう。マーラーが「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう」と評価したのと似たスタンスかもしれない。

「新音楽時報」の2019年4月号

「新音楽時報」は一時の中断を経て現在も刊行されているが、19世紀初頭から脈々と続く「ドイツ語世界」での批評家精神は畏敬に値する。批評、評論というものは主観に照らしたその物の形であるが、評者の思考プロセスに一定の普遍性、客観性が備わっていなくては説得力がない。評論にフロレスタンとオイゼビウスという ”二面性キャラ” を登場させ、知的に戯画化した文学的創作(ドビッシーが ”クロッシュ氏” によってそれを模倣しているが)がシューマンの評論を乾ききった理屈の干物にしないばかりでなく、自己の心のうちに潜む対立する2本のナイフによってその物の形をクリアに彫琢する。この手法は敬愛した文学者であるジャン・パウル、E.T.Aホフマンから継承したものであった。

バッハ、ベートーベンに習った「一定の普遍性、客観性」という入れ物のなかに、持ち前の詩情、ファンタジーの泉がこんこんと湧き出ているという様相が僕にとってのシューマンの楽曲の特性だ。


(5)「牡猫ムルの人生観」

『牡猫ムルの人生観』2巻。

E.T.A.ホフマンの長編小説「牡猫ムルの人生観」は学識のある猫による自伝である。ムルは上述した楽長クライスラー(ホフマン自身だ)の自伝のページをちぎって下書きやインクの吸取り紙として使用したが、製本ミスでそれが挿入されたまま両者が交互に現れる形で印刷されてしまったという誠にトリッキーで実験的な構造を持っている。当然ながら、章ごとに場面も人物もガラッと変わるが、その様はミステリーのカットバック手法かと思う程だ。何か深い意図があるか?と思ってとりあえず身構えて読むと、実は単なる印刷の失敗でしたというタネは落語的でもある(それでも捨て猫のムルが引き取られるのがクライスラー自伝の始めに来ているので時間的連続性は担保)。

ジャン・パウル(1763 – 1825)

シューマンは自己の精神の内奥に潜む二面性を知り、まったく同じものをE.T.A.ホフマンに見た。ホフマンはこの小説で自己を楽長クライスラーに投影し猫ムルとの裏表の二面性を描いたが、クライスラーという自分のカリカチュアは、ジャン・パウルが自作に登場させたドッペルゲンガー(Doppelgänger、自己像幻視)である。10代のころジャン・パウル(マーラーの「巨人」の作者)を精読し、その世界に浸りきっていたシューマンは自己像をひとつ提示するのでなく、アポロ的人物(フロレスタン)とディオニソス的人物(オイゼビウス)に分割した。ふたりの対話で評論は書かれるが、実は彼らはそれを記述しているシューマンに対するドッペルゲンガーであり、シューマンは文面に出ないがシャーロック・ホームズに対する記述者ワトソンとして存在している。

同書は「そもそも猫が執筆なんて」というところからホフマンの術中にハマれない頭の固い御仁はお断りでございという軽妙洒脱とハイブロウな粋(いき)がスマートで格好良く、愛猫家の必読書である(ただし岩波の日本語版は絶版だ。独語、英語は入手できる)。そこはソフトバンクのお父さん犬と同様だ、それってアリだよねと楽しんでしまう姿勢がいいねという暗黙知が世間にあるからそのキャラが成り立つのであって、見た者は死ぬと伝わるドッペルゲンガーの不気味さはないが、何せ未完だから本当はどういう構想だったかは謎だ。

フラクタル図形ツリー

シューマンはこれを読んだインスピレーションで「クライスレリアーナ」を書いた。本作は漱石の「吾輩は・・」と歴史的名作をふたつも生んだ偉大な作品ということになる。E.T.A.ホフマンは生涯の業績をマクロ的に見てもお化けのように巨大だが、こうして細部をミクロで見てもやっぱりお化けであるというフラクタル型巨人である。漱石は作中で本作に軽く言及している。知ってるけどパクリでないよというスタンスだが、どう考えてもパクリだろう。それでも上質のパロディではあるから不名誉どころかお見事と称賛したい。ただ、漱石は猫に自分の言いたいことを語らせただけであり、ドッペルゲンガーの闇はない。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/02/29/e-t-aホフマン「牡猫ムルの人生観」/

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