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グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 03 日 01:08:56: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 02 日 00:59:54)

グスタフ・マーラー 交響曲第9番



ブルーノ・ワルター指揮 マーラー 交響曲第9番


Mahler: Symphony No. 9, Walter & VPO (1938)






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Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra


Rec. 16 January 1938, at Großer Musikvereinssaal, in Vienna (Live Recording)


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Mahler: Symphony No. 9, Walter & ColumbiaSO (1961)



Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra


Rec. 16, 18, 28, 30 January & 2, 6 February 1961, at American Region Hall, in Hollywood


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交響曲第9番(ドイツ語名:Sinfonie Nr. 9)ニ長調はグスタフ・マーラーが作曲した交響曲。『大地の歌』を含めると、10番目の交響曲となる。交響曲第10番が未完成のままマーラーが死去したため、この曲が完成された最後の交響曲となった。
マーラーが『大地の歌』に「第9番」と銘打つことを恐れたため、続いて作曲されたこの曲が第9番になったという逸話については、大地の歌#「第九」のジンクスの項を参照のこと。


交響曲第8番、『大地の歌』とつづいた声楽・歌曲との融合から、マーラーはこの曲では再び純器楽路線に立ち戻っている。4楽章構成、第1楽章がソナタ形式に従って書かれているなど、古典的な交響曲としての要素を持つ。その一方で、両端楽章にテンポの遅い音楽を配置し、調性的には、第1楽章はニ長調であるが、第1主題が常にこの調と結びついていて、展開部などでも移調されないこと、最終楽章がこれより半音低い変ニ長調で書かれているなど、伝統的なスタイルからの逸脱も多い。


この曲は、なんらの標題も用いられていないにもかかわらず、全曲が「別れ」や「死」のテーマによって貫かれていることが印象づけられる。その理由として、終楽章の最後の小節に、マーラー自身が ersterbend(死に絶えるように)と書き込んでいることがある(後述)。


また、この曲でマーラーは、過去の自作、他作から多くの引用をしており、これらが過去の追想や別離の気分を高めている。引用は、これまでのマーラー作品でも部分的に見られたものであるが、第9番では、それが体系的といえるほど多用されている。


引用の手法も単純でなく、ひとつの素材が変形されるなかで、引用された音楽との間で多様な連関を想起させるものとなっており、同じ進行の繰り返しを徹底的に避けるマーラーの作曲技法とひとつに重なっている。こうした手法は、後の1960年代後半から1970年代にかけて流行したコラージュ音楽の発想の原型とも見られている。


この引用を含めて技法的には、これまでの諸作品の集大成であることを超えて、新たな境地を開こうとする意欲が認められる。多くの場合、音楽とテーマの普遍性、独自性、書法の大胆さ、表現の崇高さなどにおいて第9番はマーラーの最高傑作と見なされている。


このため、演奏・録音機会が多いだけでなく、後述するように、指揮者やオーケストラがなんらかの節目や記念的な行事の際の演奏曲目としてしばしば採り上げられる。


第9番の「完成度」


マーラーの最高傑作とされることも少なくない第9番であるが、マーラーの死によって、自身で初演を果たすことはできなかった。交響曲第8番までの自作については、初演に向けた練習の過程や初演後に楽譜に手を入れることが常であったため、もしマーラーがもう少し長生きして第9番を初演できていたら、第9番はさらに改訂された可能性がある。


とくに第4楽章については、オーケストレーションが薄く、マーラー独特の念入りな指示が少ないことから、後で手を加えるつもりがあったとの推測も成り立つ。


アルマとの関係


この曲が作曲された1909年の夏には、妻アルマは病気のためマーラーの休暇先のアルト・シュルーダーバッハに同行していなかったといわれている。第9番の自筆譜には、アルマへの呼びかけの言葉が書き込まれていることから、この時期、マーラーとアルマの関係に亀裂が生じ始めており、マーラーのアルマに対する個人的な感情が音楽に影響を与えたという解釈もある。


ただし、アルマが建築家ヴァルター・グロピウスと出会うのは1910年の夏で、曲が完成した同年4月より後のことであり、この「三角関係」を第9番の内容に直接結びつけることはできない。


作曲の経過


1908年9月19日、プラハでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して自作の交響曲第7番を初演。10月27日、ミュンヘンで再演。
10月21日、ニューヨークに戻り、ニューヨーク・フィルハーモニックを初めて指揮。12月8日には同オーケストラを指揮して交響曲第2番を演奏する。


このシーズンからアルトゥーロ・トスカニーニがメトロポリタン歌劇場に登場して、ワーグナー作品などマーラーが得意とするレパートリーを採り上げ始めた。
このため、マーラーは心中穏やかでなく、活動の中心を歌劇場からニューヨーク・フィルに移し始めた。エンリコ・カルーソーがマーラーのカリカチュアを描いたのはこのころである。


1909年2月にベドルジハ・スメタナのオペラ『売られた花嫁』をアメリカ初演。
4月にヨーロッパに戻り、パリに滞在。オーギュスト・ロダンの彫刻のモデルになったり、アルフレード・カゼッラやエドガー・ヴァレーズに会ったりしている。


第9交響曲の作曲


同1909年夏、トブラッハ(現イタリア)近郊のアルト・シュルーダーバッハで交響曲第9番を作曲、2ヶ月間でほぼ書き上げた。この地にアルマは同行しなかったという。


ブルーノ・ワルター宛の手紙に、この曲についてマーラーは「小さな一家にとって非常に好ましい財産になるだろう。」と述べ、「それは狂ったように大急ぎで、あわただしく、ほとんど書きなぐられたので、とても他人には読めないだろう。今年の冬には何とか暇がとれて、総譜の清書ができるとよいのだが」と書いている。


10月以降はニューヨークに楽譜を持ち込んで仕上げにかかり、翌1910年4月1日、同地で浄書が完成した。


この間、9月末から10月初めにかけてオランダ旅行し、自作の交響曲第7番を指揮。10月8日から12日にかけてパリで再びロダンのモデルとなっている。


ニューヨーク・フィルとの蜜月


1909年から1910年にかけてのシーズンでは、マーラーはメトロポリタン歌劇場ではほとんど指揮せず、代わりにニューヨーク・フィルとの演奏会を44回も持った。
このなかで、自作の交響曲第1番や、リヒャルト・シュトラウス、フェルッチョ・ブゾーニ、クロード・ドビュッシーらの作品、セルゲイ・ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ラフマニノフ自身のピアノによる)などを演奏した。


1910年3月5日、メトロポリタン歌劇場特別公演でピョートル・チャイコフスキーのオペラ『スペードの女王』の新演出を上演。その後ヨーロッパに戻る。


同年4月17日、パリ・トロカデロ宮で自作の交響曲第2番を指揮。
ドビュッシーやポール・デュカスが聴きに来るが、アルマの回想録によると、彼らは第2楽章の演奏途中で出て行ったという(ドビュッシー研究家のフランソワ・ルシュールは、この証言を「到底信じられないような情報」と評している)。
6月、交響曲第8番の初演(9月)に向け、練習にとりかかる。このころ、病気療養中のアルマが建築家のヴァルター・グロピウスと出会う。


初演と出版


初演
1912年6月26日、マーラーの死後、ウィーンにて初演。
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による。
なお、マーラーの完成された交響曲がウィーンで初演されたのも、今日の版図におけるオーストリアで初演されたのもこれが唯一であり、大部分はドイツ初演である。


出版
1912年、ウィーンのウニヴェルザール出版社から出版。
1969年、ウニヴェルザール出版社から国際マーラー協会による「全集版」出版。


楽器編成
ピッコロ 1、フルート 4、オーボエ 4 内コーラングレ持ち替え 1、小クラリネット 1、クラリネット 3、バスクラリネット 1、ファゴット 4 内コントラファゴット持ち替え 1
ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、チューバ
ティンパニ 2人 (6個)、バスドラム、スネアドラム、トライアングル、シンバル、銅鑼、グロッケンシュピール、鐘 3
ハープ
弦五部 (16型)


楽曲構成


古典的な4楽章構成をとるが、両端楽章は通例に反して緩徐楽章となっている。各楽章ごとのテンポは緩−急−急−緩という流れとなっており、これは、緩−急−緩のフランス風序曲の形式に倣っているともいわれている。また、マーラーの交響曲でよく見られるレントラーが第2楽章に用いられている。


第1楽章 Andante comodo
アンダンテ・コモド ニ長調 4/4拍子 自由なソナタ形式


チェロ、ホルン、ハープなどが断片的に掛け合う短い序奏(譜例1)によって曲は開始される。ここでは、シンコペーションと歩むようなリズムが扱われ、全曲を統一する有機的な素材となっている。


シンコペーションのリズムには、マーラーの心臓の鼓動、不整脈を表すという解釈がある。
これに続き、第2ヴァイオリンがため息のように2度下降する動機を奏する。これが第1主題(譜例2)で、この動機は、前作『大地の歌』の第6楽章「告別」の結尾で歌われた「永遠に」(ewig)という音型の引用によっている。この動機は、自作の歌曲(『さすらう若者の歌』)や交響曲(交響曲第3番第4楽章、交響曲第4番第3楽章など)で見られるもので、他の楽章でも現れ、統一的に用いられる。

この主題を中心として歌うような曲想が続くが、ホルンの2度下降動機からニ短調に転じ、管の和音と共に第1ヴァイオリンが半音階的に上昇する主題を奏する。これが第2主題(譜例3)である。

この主題が悲痛に高揚した後、ヴァイオリンの高音部に2度下降動機が再び出る。もう一度高まって、金管に半音階的に下降する動機が繰り返される(譜例4)と、提示部の変奏的かつ発展的な反復となる。第1主題、第2主題ともに発展し、「死の舞踏」を思わせる。ハープの印象的な動きに導かれ、金管の半音階的に下降する動機が発展し、情熱的に呼びかけるような主題が弦と金管に現れて盛り上がる。この主題(譜例5)は、自作の交響曲第1番の第4楽章、第2主題からの引用であり、この楽章ではいわば第3主題のような役割を果たす。ここで初めの頂点に達するが、音楽は暗転し、展開部に入る。

冒頭と同じテンポになり、静かで暗い雰囲気の中、序奏が回想される。これに引き続き、しばらく第1主題が暗く扱われるが、ハープの響きから気分を整えて第1主題の変形が現れる。


ここではヨハン・シュトラウス2世のワルツ『人生を楽しめ』が引用され


(マーラーは自筆譜のこの部分に
「おお若き日! 消え去ったもの! おお愛! 吹き消されたもの!」
と書き込んでいる)、


さらにベートーヴェンのピアノソナタ第26番「告別」との関連も示唆される。


穏やかな曲想が続いていくが、徐々に動きを見せ、テンポはアレグロ・リゾルートとなり、金管の半音階下降動機や第3主題、トランペットのファンファーレ(交響曲第1番、交響曲第7番第1楽章などからの引用)が重ねられて力を増す。トライアングルが動きを遮るように強音でトレモロを出すが、序奏の歩みのモティーフがティンパニによって強打され、音楽はさらに凶暴さを増し、狂おしくなっていく。頂点で第3主題が強烈に吹奏され、輝かしいクライマックスを築くが、急速に落ち込む。


ここから曲はテンポを落とし、第2主題に基づいて陰鬱な気分で進む。変形された第2主題の情熱的かつ不気味な展開が続いたあと、2度下降動機や半音階的に下降する動機が静かに奏されていくが、次第に落ち着いてきて再び第1主題の変形が現れる。ここから3度目の頂点へと高揚してゆく。第1主題が高揚していき、第3主題が叫ばれると、それに続き「より動きをもって(Bewegter)」と指示される部分に入る。大きな起伏を持って何度も頂点を築き、第1主題が輝かしく叫ばれるも、不協和な響きのなか引きずられていくように落ち込む。


それに続いて「最大の暴力で(mit höchster Gewalt)」と指示され、銅鑼が強打され、トロンボーンのシンコペーションがすべてを遮るように吹き鳴らされる。歩みのモティーフがティンパニによって強烈に打たれ、もう一度シンコペーションが吹かれた後、葬送行進曲風の経過部となる。


ここでは序奏の変形を扱っているが、歩みのモティーフが鐘によって奏されることで、初めてこれが葬列の鐘を模したものであったことが明かされる。


こののち、「最初のように(Wie von Anfang)」と指定された再現部となり、第1主題がかなり自由に再現し、高まった後、第2主題が暗示される。


ここで曲は一転して、「突然著しくゆっくりと、そして小さく(Plötzlich bedeutend lamgsamer(lento) und leise)」と指示された、各楽器の掛け合いによるカデンツァ風の部分となる。もう一度第2主題が姿を見せるが、荒々しさは消えており、ハープの動きによって導かれる第3主題も残照のようなホルンの響きに変わる。フルートが高いところから次第に降りてきて、静かになった後、コーダに入る。


コーダでは、独奏ヴァイオリンと木管の対話から2度下降動機が柔らかく繰り返されて、最後に弦の高いフラジョレットが楽章を結ぶ。


第2楽章 Im Tempo eines gemächlichen Ländlers. Etwas täppisch und sehr derb


緩やかなレントラー風のテンポで、いくぶん歩くように、そして、きわめて粗野に ハ長調 3/4拍子


付点リズムを伴う序奏のあと、3つの舞曲がABCBCABAという順序で入れ替わり現れる。
Aは弦のトリルを含む民族舞踊的な旋律であるが、ファゴットの音階的に上昇する動機や木管の2度下降動機が絡む(譜例6、7)。指示通りレントラー風に進んでいったあと、Bを導く。


Bはホ長調で速度を上げて活気づく(譜例8)。時折2度下降動機をはさんでかなり土俗的で諧謔的な雰囲気になる。付点リズムの動機も挟み、曲は一旦暗転しかけるが、すぐに穏やかになり、Cを導く。

Cはヘ長調で穏やかなもの(譜例9)。2度下降の動機によっており、Aの要素も顔を出す。若干暗い影を落としかけるも、また穏やかになり、つづいてBが再現する。

Bが展開風に扱われ、またもや暗転しかけるが、再びCとなる。2度下降動機が大きく歌われ、第1楽章の面影も見せるも、Aが再現する。


Aは次第に暗い影を深刻に落とし始め、死の舞踏の様相すら呈し始め、楽章のクライマックスを導く。陽気な動機と陰気な動機がぶつかり合い、狂乱状態となったあと、Bが再現する。


Bが収まると、序奏の素材に導かれてAが再現し、暗い影を落としつつも次第に穏やかになってゆき、静かに楽章を結ぶ。


第3楽章 Rondo-Burleske: Allegro assai. Sehr trotzig


「ロンド=ブルレスケ」アレグロ・アッサイ きわめて反抗的に イ短調 2/2拍子


「ブルレスケ」とは「道化」を意味する。
草稿には作曲者自身の「アポロにいる私の兄弟たちへ」の書き込みがある。


おおまかにABABC(中間部)Aという構成。トランペットの信号音とAの断片による短い序奏のあと、力強くAが開始される。
Aは多声的で、自作の交響曲第1番第3楽章及び第4楽章との関連が指摘される(譜例10)。

Aのリズムを持って移行することによって、2/4拍子でユーモラスな副主題の役割を果たすB(譜例11)が現れる。

この両者がフゲッタ的に組み合わされて曲は進行し、レハールの『メリー・ウィドウ』や交響曲第3番第1楽章からの引用を交えながら、快活だが皮肉な雰囲気で曲は進む。


Aの盛り上がりの頂点でシンバルが打たれ、Cが導かれる。ここでは、回音(ターン)音型を含むなめらかな動機とホルンの6度跳躍上昇の動機が組み合わされるうちに雰囲気が一変し、ニ長調でトランペットが柔らかく回音音型を奏する(譜例12)。

クラリネットなどを主にして、徐々にAの動機が皮肉な調子で戻ってくるが、ハープの動きでCと頻繁に交代する。大太鼓の弱音のトレモロによってAが支配的となり、完全にAの動機が帰ってきたあと、速度を上げて狂おしく盛り上がり、最後はストレッタ的に急迫する。


第4楽章 Adagio. Sehr langsam und noch zurückhaltend


アダージョ。非常にゆっくりと、抑えて 変ニ長調 4/4拍子
基本的には2つのエピソードを持つABABA+コーダの形式だが、同様な繰り返しが避けられており、絶えず表情が変化しているため、形式感は判然としない。交響曲第3番の終楽章もアダージョであり、構成的にも対応が見られる。2つの主題に基づく変奏曲とする解釈もある。


第3楽章で見られた回音音型(ミ・ファミレ♯ミ)を含む、弦の短い序奏(譜例13)で始まる。


ここでは、ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』から「愛の死」が引用されていると見られる。また、ブルックナーの交響曲第9番の第3楽章冒頭主題との関連性も指摘されている。

ヴァイオリンの主要主題(譜例14)は2度下降動機で始まり、回音音型に至るもの。各声部で回音音型が繰り返される。ファゴットの低いモノローグを挟んでホルンが主要主題の前半を歌う。

第1のエピソードは、高弦と低弦によって、ファゴットのモノローグが拡大されたような音楽が奏され、薄明るい印象を残す。ヴァイオリン独奏や木管に2度下降動機が現れる。


ホルンが再び主要主題を出して、弦楽によって感動的に高まるが、次第に重苦しくなる。再び独奏ヴァイオリンと木管が現れて緊張が解ける。


第2のエピソードは、ハープの単純なリズムのうえに木管が淋しげに歌う。


弦、金管が加わってきて、主要主題となり、大きくクライマックスを築く。ここでは主要主題はほとんど形を失って、回音音型で覆われる。そしてヴァイオリンの高音に、第1楽章冒頭動機のシンコペーションが反復された後、再び主要主題が詠嘆的に大きく形を変えて再現する。


この後もう一度大きなクライマックスを築くが、徐々に主要主題は形を変え、断片的になっていく。


ヴァイオリン(譜例15)が『亡き子をしのぶ歌』第4曲(「太陽の輝くあの高みでの美しい日」、譜例16)を引用する。その後、回音音型が導かれ、徐々に力を失い、休止のあとアダージッシモのコーダに入る。

最後の34小節は、コントラバスを除く弦楽器だけで演奏される。回音音型を繰り返しながら浮遊感を湛えつつ、「死に絶えるように」最弱奏(ピアニシシモ)で終わる。


最後のヴィオラの音型は、ソ・ラ♭・シ♭・ラ♭(移動ドでファ♯・ソ・ラ・ソ)となっていて、これは同じく「死に絶えるように」と書かれた交響曲第7番第4楽章の最後、クラリネットの音型と同様である。


死に絶えるように
この曲の第4楽章、最後の小節にマーラーはドイツ語で ersterbend(死に絶えるように)と書き込んでおり、このことが第9交響曲全体を貫く「死」のテーマにつながっている。 しかし、この ersterbend の語が使われているのは、必ずしも第9番のこの部分だけではない。他に次のような例がある。


1.交響曲第2番、第4楽章「原光」の中間部、オーケストラの間奏部分。


2.交響曲第4番第3楽章の最後に、Gänzlich ersterbend(完全に死に絶えるように)と書かれている。同時に、イタリア語のmorendo(こちらは「だんだん遅く、弱く」という音楽上の発想記号として使われる)も書き込まれている。


3.交響曲第7番第4楽章の最後。morendoも書かれている。このクラリネットの音型は、第9番第4楽章最後の音型と同様のもの。


4.『大地の歌』第6楽章「告別」の最後に、Gänzlich ersterbendと書かれている。


このように、第9番だけが「死ぬように」終わっているわけではない。
とはいえ、第2番の場合は楽章の途中である。
第4番、第7番の場合は、中間楽章の終わりであって、いずれもその後につづく最終楽章で「天上」を描いているという解釈もなされている。
全曲の終わりで、第9番とほぼ共通した使われ方をしているのは『大地の歌』である。


この発想表示や大地の歌#「第九」のジンクスの逸話などから、マーラーは迫り来る死の恐怖におびえ、あるいはこの恐怖と闘いながら作曲したという劇的なイメージが作られるが、「死」は、第9番に限らずマーラーが生涯を通じて追求してきたと同時に、20世紀初頭の芸術各分野で一般的に採り上げられる主題であったこともまた事実である。


レコーディング


初レコーディング
この曲の初めてのレコーディングはブルーノ・ワルターが1938年1月16日にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した演奏会のライヴ録音で、戦前期におけるウィーン・フィルとの最後の共演盤であった。


この演奏の約2ヶ月後、オーストリアはナチス・ドイツに併合され(アンシュルス)、ユダヤ系だったワルターは財産没収などを受け、苦難の亡命せざるを得なくなる。また、ウィーン・フィルにとってもユダヤ系の音楽家が多かった戦前の黄金時代最後の演奏会となり、ユダヤ系名物コンサートマスターのアルノルト・ロゼーの事実上の引退公演でもある。


日本では太平洋戦争中の1943年にニッチクから発売された。しかし当時は戦時中ということを勘案しても、この曲の真価を理解できる日本人は殆どいなかった。
ワルター自身は嫌な思い出のためか、この録音をさっさと破棄することを願っていたという。
後にワルターは1961年にコロンビア交響楽団とセッション録音を行っている。
なお、ウィレム・メンゲルベルクは、ワルターの解釈に異を唱えていた。


バーンスタインの一期一会
1979年10月4日、レナード・バーンスタインはアムネスティ・インターナショナルの支援を受けて、最終的に当時ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督であったカラヤンではなく、ベルリン芸術週間の決定を受けて、生涯唯一となるベルリン・フィルへの出演(ベルリン芸術週間)を果たし、第9番を指揮した。
この演奏会は放送用に録音されて翌年に日本でもNHK-FMで放送され、その後1992年にドイツ・グラモフォンよりCDとして発売された。
バーンスタインは1985年にもアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団とのライヴ録音を残している。


カラヤンのライヴ録音
カラヤンもその直後、1979年から1980年にかけて第9番をセッション録音し、さらにその後の1982年にもベルリン芸術週間で第9番をライヴ録音している。こちらはカラヤンが生前に認めたライヴ録音として貴重である。


バルシャイの里帰り
1993年4月13日、ルドルフ・バルシャイは亡命以来16年ぶりにモスクワに戻り、モスクワ放送交響楽団を指揮して第9番を演奏した。この演奏は1993年度のモスクワ音楽界一番のハイライトに選ばれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC9%E7%95%AA_(%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC)
 

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コメント
1. 中川隆[-14074] koaQ7Jey 2020年2月03日 01:22:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-755] 報告

Mahler: Symphony No. 9, Barbirolli & BPO (1964)








Sir John Barbirolli (1899-1970), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra

Rec. 10, 11, 14, 18 January 1964, at Jesus-Christus-Kirche, in Berlin



ジョン・バルビローリ指揮ベルリン・フィル
EMI。1964年1月10,11,14,18日、ベルリン、イエス・キリスト教会での録音。1CD。


録音の1年前、63年1月にバルビローリがベルリン・フィルに客演したときの演奏に同団員たちが感動して実現したもの。素晴らしい密度の濃さ、完成度の高さである。

この曲を録音しようとする指揮者は、かなり気合いを入れて取り組むようで、駄盤をさがすのが容易でない。しかし、その中で決定盤となるとやはり、

ワルターVPOの伝説的名盤、
バルビローリBPO盤、
そしてバーンスタインのACO盤及びVPOのLD盤、

ということになるだろう
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm
2. 2020年2月03日 01:40:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-754] 報告

Mahler: Symphony No. 9, Scherchen & VSO (1950)







Hermann Scherchen (1891-1966), Conductor
Vienna Symphony Orchestra

Rec. 19 June 1950, at Großer Musikvereinssaal, in Vienna (Live Recording)


ヘルマン・シェルヒェン指揮ウィーン交響楽団
ORFEO。1950年6月19日、ムジークフェラインにおけるライヴ、モノラル録音。



とにかく、この曲の終楽章はバーンスタイン指揮ウィーン・フィルのLDを一度見てしまうと、ああいう風にやってもらわないと決して満足できない体になってしまう。

 ポイントは、終楽章冒頭、

たーらー、たららら・らーー、らー・らー・らー

の最後の3つの下降音に、きちんと「ふんばりアクセント」をつけることである。これがないと、もう満足できないのである。この3つの下降音形は、終楽章でいたるところにでてくるが、全て同じように「ふんばって」もらいたいのである。

 しかし残念なことに、ワルターやバルビローリあるいはクレンペラーの名盤に唯一欠けているのが、そこなのである。

 バーンスタインも、コンセルトヘボウとの録音、ウィーン・フィルとのLDは完璧だが、世評の高いベルリン・フィルとのライヴでは、そこがイマイチふんばりきれていないのが残念である。

 カラヤンからギーレンに至るまでその他多くの指揮者は、そこはテンポは少し溜めるがアクセントがない。

 その点、アバド、シノーポリ、クーベリック、ノイマンあたりは合格である。ラトルVPOはアクセントはつけているが逆に粘りが弱い(BPOとの新盤は良くなった)。ジュリーニもアクセントはつけているが、他のフレーズも力強くて、あまりアクセントが目立たない。


2002年春、追記

シェルヒェンのライヴ録音(ORFEO)の解説を読んで、「ふんばりアクセント」をつけて感動的に演奏することが、果たしてこの曲に本当に相応しいのかどうか、改めて考え直さなくてはならなくなった。やはりこの曲の最後は「成仏」させるのが正しいのかもしれない。するとワルターやバルビローリが理想ということになるか?

国内盤仕様の解説(許光俊氏執筆)によると、シェルヒェンは次のようにこの曲をとらえていたという。

この曲の中で生じるあらゆる事件はすべて第1楽章で出来してしまうのであって、

この楽章を作曲家にとっての「現実」と見るならば、続く第2・第3楽章は「病的な熱情に駆られての夢想であり憧憬」でしかなく、

最終楽章に至って「希望のない憧れと死の恐怖」に終わる。

 許氏は、この演奏では「第1楽章の表現にもっとも力を傾けているのは明らか」であり、

そこから第2楽章以下のテンションを落としていき、

終楽章の最後は「切れ切れのカンタービレ」にしてしまうことによって、この曲のもっとも核心に触れた演奏になっているのかもしれない、

と書かれている。

そして、「バーンスタインのような演奏は、本来救われるべきではない作品を救ってしまったのではないか?」と問題提起をされている。

 なるほど! もしそうだとするならば、ワルターやバルビローリのような、終楽章冒頭に「ふんばりアクセント」がない演奏のほうが、バーンスタインの演奏よりもこの曲に相応しいということになる。

3. 中川隆[-14070] koaQ7Jey 2020年2月03日 14:40:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-749] 報告
レナード・バーンスタイン指揮 マーラー 交響曲 第9番



ISRAEL PHIL.ORC GUSTAV MAHLER SYMPHONY NO.9


ISRAEL PHIL.ORC. TOUR IN JAPAN 1985
CONDUCTOR LEONARD BERNSTAIN

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G.Mahler : Symphony No.9 (L.Bernstein/Israel P.O) 1985.9.3 Osaka,Japan


1985.9.3 Festival Hall,Osaka
ETERNITIES

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G.Mahler : Symphony No.9 (L.Bernstein/Israel P.O) 1985.9.5 Nagoya,Japan


1985.9.5 Civic Hall,Nagoya
ETERNITIES


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イスラエル・フィル
Helicon Classics(イスラエル・フィルのレーベル)。


1985年8月25日、テルアビブ、マン・オーディトリアムでのライヴ録音。
29:27 + 16:43 + 12:07 + 30:15 = 88:32。

順序としてまずコンセルトヘボウとのDG盤を録音したあと、このIPOとのイスラエルでのライヴがあり、それに引き続き9月にIPOとの伝説的日本公演が行われた。

日本での全9公演のうち4公演がこの曲で、なかでも初日3日の大阪・フェスティバルホールと、8日の東京・NHKホールがことのほか凄絶な内容であったという。
このNHKホールには東北大混声の同級生が聴きに行っていて、その話を聞かされたものだ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm



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Mahler: Symphony No. 9 (Bernstein, Koninklijk Concertgebouworkest)





Concertgebouw Orchestra of Amsterdam
Leonard Bernstein

アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
DG。1985年5月29日〜6月3日、コンセルトヘボウでのライヴ録音。
考えうる最高の名演。何も言う必要がない。
29:52 + 17:26 + 11:47 + 29:34 = 88:39
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm

▲△▽▼

マーラー: 交響曲 第9番 ニ長調 バーンスタイン, ベルリン・フィル 1979





Leonard Bernstein
Berliner Philharmoniker Oct.1979

DG。1979年10月、バーンスタイン唯一のベルリン・フィルへの客演。
27:31 + 15:49 + 11:59 + 26:03 = 81:22
1992年発売でセンセーションを巻き起こしたが、完成度の高さという点ではコンセルトヘボウ盤のほうをとるべきだと思う。
2010年初頭、ORIGINALSシリーズOIBP化輸入盤で出た。何と82分4秒が1枚で収まっている(左)。
2015年にはバーンスタイン没後25周年記念でシングルレイヤーSACDが出た(右)。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm

▲△▽▼

Mahler Symphony no. 9 - Vienna Philharmonic Orchestra - Leonard Bernstein


Vienna Philharmonic Orchestra

DG。UNITEL映像DVD。1971年3月、ベルリン・フィルハーモニーでのライヴ。
27:24 + 16:06 + 11:28 + 25:48 = 80:46
この終楽章冒頭を見て聴いて、何も感じない人は、音楽を聞く必要のない人である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm



4. 中川隆[-14069] koaQ7Jey 2020年2月03日 14:56:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-748] 報告

カラヤン


Mahler Symphony No. 9 - Karajan, BPO, 1982 Salzburg Live Recording (SACD)



Conductor: Herbert von Karajan
Berlin Philharmonic Orchestra
Live recording, Salzburg, 1 May 1982. SACD, 2000.

________


Mahler “Symphony No 9” Karajan & BPO, 1982



Berliner Philharmoniker
Herbert von Karajan


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル

DG。OIBP化。2CD。1982年9月30日、ベルリン芸術週間におけるカラヤンには珍しいライヴ録音。

カルロス・クライバーのベートーヴェンの第4番と同じ年に発売されたにもかかわらず、こちらがレコード・アカデミー賞を受賞した(1984年度)が、そんなに良い演奏かぁ? 

のっぺりした感じがする一方、クレンペラーのように悟りきっているわけでもない。
バーンスタインが客演した直後79年11月のスタジオ録音も出ているが私は持っていない。


_______


Mahler “Symphony No 9” Karajan & BPO, 1980



_______


マーラー/交響曲第9番ニ長調/カラヤン (創立100年記念コンサート



(1982年5月1日 フィルハーモニーホール ベルリン・フィル創立100年記念コンサート) 1982年9月23日エアチェック 動画開始後1分51秒くらいでイス?を倒したような音がありますが、放送時のものです。

 カラヤンの交響曲第9番には、79年〜80年のスタジオ録音と82年のライブ録音があります。市販のCDは(海賊版を除き)この2つです、と思います。今回アップしたエアチェックテープは、そのライブ録音の2ヶ月ほど前の演奏会のテープということになります。テープには演奏開始後1分30秒後、譜面?イス?を倒したような音があります。カラヤンさん、瞑っていた目をギョロっと開けて睨みつけたのでしょうか。

 ちなみに82年のライブ録音版のCDジャケット、ガブリエラ・ブランデンシュタイン撮影の、カラヤンの憂えた横顔のジャケット写真、かっこいいと思います。
    
 このCDは1985年4月にF66G 50038/9(410 726-2)発売されましたが、6,600円もしたし、まだ当時は第9番のすごさを知らなかったので、新譜では買わず、数年後に中古で購入しました。1985年から買い集めたCD、ここ数年来はiTunesにインストールして、あらかたヤフオクで売却しましたが、このCDは手元に置く数少ないCDのひとつです。iTunesで膨大な楽曲管理はすごく便利で音質もいい、でもクラシック音楽にCDジャケットは必要ですよね。

 マーラーファン、交響曲第9番の好きな方は聴き比べてみてください。

 エアチェックテープのタイミングです。
 第1楽章28分02秒 第2楽章16分31秒 第3楽章12分52秒 第4楽章25分48秒 計85分00秒
https://blog.goo.ne.jp/tgcy2801/e/3d96d349968463a04259f4bcb7aefee1



カラヤンはこの曲をシェーンベルクの 浄められた夜 と同じ様な後期ロマン派の爛熟した退廃芸術として捉えています。

従って、ワルターやバーンスタインの様な死の音楽とは全く違った曲になっています。


5. 中川隆[-14067] koaQ7Jey 2020年2月03日 17:59:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-746] 報告
マーラー 交響曲第9番二長調 名盤 : ハルくんの音楽日記 2010年6月 1日
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-3ed4.html


マーラーはアメリカからヨーロッパに戻っていた1909年の夏に交響曲第9番を完成させました。そして再びニューヨークへ行った1910年の冬に、この曲の修正にかかりきりになりました。それでもクリスマスには、妻アルマと娘と、家族だけで水入らずの楽しい時間を過ごしたそうです。それはマーラーがこの世を去ることになる僅か5ヶ月前のことでした。

『第9交響曲』の迷信におびえて、9番目の交響曲に「大地の歌」と名づけたマーラーにとって、この曲は本当は10番目の交響曲です。そして、後期ロマン派の巨人が完成させた最後の交響曲となったのです。果たして、この作品は生涯の大傑作となりました。曲の構造は第6番以来のシンプルな4楽章構成です。けれども内容は長い曲の中にぎっしりと詰め込まれています。

第1楽章 アンダンテ・コモード
第2楽章 ゆるやかなレントラー風のテンポで(歩くようにそして極めて粗野に)
第3楽章 ロンドーブルレスケ、アレグロ・アッサイ(極めて反抗的に)
第4楽章 アダージョ 

なんといっても驚くべきは、この曲は長大であるにもかかわらず、どこをとってもおよそ無駄が無いことです。楽想は相変わらず、静けさ、激しさ、怖さ、優しさなどが、次々と表情を変えて繰り返されるマーラー調なのですが、音楽が結晶化されているために少しも停滞する事がありません。長い第1楽章から音楽の深さははかりしれず、生と死の狭間で激情的に揺れ動くマーラーの精神そのものです。第2楽章の素朴な雰囲気と中間部の高揚は心をとらえて止みません。第3楽章の激しさにも大いに惹かれます。この皮肉的な楽しさは、マーラーの現世との最後の戦いだったのでしょう。そして終楽章アダージョでは、とうとう黄泉の国に分け入ってゆくような神秘感を一杯に漂わせています。マーラーは自身の死を既にはっきりと予感していたのでしょう。僕はマーラーの全交響曲の中で、やはりこの曲が最も好きですが、古今の交響曲の中でも、肩を並べられるのはブルックナーの9番しか有りません。

僕はこの曲を一度演奏したことが有ります。もう三十年も前のことですが、大学を卒業した年に、当時交流のあった都内の大学数校のオーケストラによる合同コンサートが開かれたのです。指揮をしたのは久志本 涼さんでした。楽器を始めた時にはまさかマーラーの9番を演奏できるなどとは思ってもいませんでした。この2年前には「復活」を演奏することも出来ましたし、つくづく幸せな学生時代だったと思います。

聴き手として接した比較的最近の演奏では、2008年のパーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送響の来日公演があります。決してドロドロと情念の濃い表現では有りませんが、音楽への共感を深く感じられてとても良い演奏でした。彼のマーラーは是非また聴きたいと思っています。

この曲の愛聴盤はもちろん少なくは無いので全て聴き直すのが中々大変でしたが、順番にご紹介していきたいと思います。


ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1938年録音/EMI盤) 

ユダヤ系であったワルターは戦前からナチスによって様々な妨害を受けていましたが、これはオーストリアがドイツに占領される僅か2ヶ月前のウイーンでの歴史的演奏会です。これが単なる「記録」に留まらないのは、録音が非常に明快な為に、演奏を充分に鑑賞することが出来るからです。ここにはマーラーからその才能を高く評価されたワルターが、同じユダヤ系の師の音楽を命がけで守ろうという強靱な意思の力を感じます。現代の指揮者にこのような精神状態になれというのは無理な話です。真に「鬼気迫る演奏」というのはこのような演奏のことでしょう。


ブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1961年録音/CBS盤) 

あの壮絶な1938年盤と比べると、随分ゆったりと落ち着いた演奏です。「ゆったり」とは言っても緊張感に欠けるわけでは有りませんが、どうしても38年盤の印象が強すぎるのです。時にはかつてのような激しさを垣間見せたりもしますし、細部の表情づけも入念で、やはりワルターだけのことはあります。それをステレオ録音で聴けることは有り難いとは思います。でも、やっぱりどこかで「生ぬるさ」を感じてしまうのですね。 

サー・ジョン・バルビローリ指揮ベルリン・フィル(1964年録音/EMI盤) 

定期演奏会の余りの素晴らしさに楽団員たちが感激して、急遽録音を行うことになったという有名な演奏です。バルビローリのマーラーとしても5番、6番ではニューフィルハーモニアというオケの弱さがありましたが、ベルリン・フィルは最高です。阿修羅のようなバーンスタインが「現世での戦い」ならば、こちらはいわば「過ぎ去った戦いの追想」です。遠い昔を懐かしんでいるかのような風情がたまりません。特に弦楽の扱いの素晴らしさが、そういう雰囲気をかもし出すのだと思います。けれども熱さが無いわけではなく、静けさと熱さが同居する稀有な名演だと思います。


カレル・アンチェル指揮チェコ・フィル(1966年録音/スプラフォン盤) 

アンチェルが「プラハの春」事件で亡命する2年前の録音です。この人のお国もののドヴォルザークやスメタナは最高に好きですが、それ以外ではこれまで心底気に入った演奏はありません。この演奏も中々に立派な演奏ではあるのですが、バルビローリの後に聴くと、弱音部分でのニュアンスや共感度合いでどうしても聴き劣りしてしまいます。弦楽にも硬さを感じます。第3楽章ロンドーブルレスケは切れの良さで楽しめますが、少々健康的過ぎるのが気になります。ということで、アンチェルのファン以外には余りお勧めはできません。

ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮ロンドン響(1966年録音/BBCレジェンド盤) 

知る人ぞ知るマーラー指揮者ホーレンシュタインの演奏は昔LPで聴いた6番が無骨ながらも非常に惹きつけられる演奏でした。この9番では第1楽章冒頭の弦は意外にあっさりと開始しますが、徐々に情念と熱気の高まりを増してきます。やはりユダヤの血を感じます。2楽章は遅く穏やかで、これこそレントラー風です。但し中間部はスケール大きく聞かせます。第3楽章ロンドーブルレスケは無骨の極みで巨大な演奏に惹きつけられます。後半では鳥肌が立つほどです。アダージョも美しく深い演奏です。これはクナッパーツブッシュがマーラーを指揮したらかくやと思わせるような?演奏かもしれません。但しオケにミス、傷はだいぶ目立ちます。

オットー・クレンペラー指揮ウイーン・フィル(1968年録音/TESTAMENT盤)

これはウイーンでのライブ録音です。柔らかい音色や人間味の溢れる味わいは確かに魅力的なのですが、この曲に要求される凝縮力や緊張感に欠ける気がします。録音のマイク・セッティングのせいで、オケが小編成に聞こえるのも気になります。この人の7番のような巨大な超名演と比べると満足し切れないというのが、正直な感想です。クレンペラーには1967年のニュー・フィルハーモニアとのスタジオ録音(EMI盤)も有り、3楽章での遅いテンポによる巨大な表現や終楽章後半は素晴らしいですが、全体としてはウイーンPOの魅力を聴ける、こちらの演奏のほうが良いとは思います。

ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1975年録音/audite盤) 

これは東京のNHKホールでのライブ録音です。クーベリックのマーラーは大抵が速めのテンポで熱く、ユダヤ調のしつこさは無いのに感情に強く訴えかける、という具合ですが、この演奏もやはり同様です。但し、1、2楽章ではまだ少々燃焼不足を感じさせます。3楽章でエンジン全開となって、続くフィナーレではこの世の惜別の歌を感情一杯に聞かせてくれます。


カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ響(1977年録音/グラモフォン盤)

この演奏は昔、LP盤で愛聴しました。遅いテンポでスケールの大きな、いかにもジュリーニの演奏です。けれども、感情の嵐が吹き荒れるような部分でもイン・テンポを保つために、幾らか一本調子な感もあります。2楽章の中間部や3楽章などは、そのイン・テンポが確かに巨大な迫力を生んで素晴らしいのですけれど、ここまで感情の揺れが無いマーラーってのもどうかなぁ、と思わないでもありません。しかし、そこがジュリーニの魅力なのですね。分厚い音の合奏も、さすがにシカゴ響で聴き応えが有ります。

レナード・バーンスタイン指揮ベルリン・フィル(1979年録音/グラモフォン盤) 

バーンスタインがベルリン・フィルを振った余りにも有名な演奏です。当時FM放送からテープへ録音して何度も聴きました。この人のマーラーは必ずしも全てが最高だという訳ではないですが、9番だけは比較を絶する凄さです。壮絶さという点で並び得るのが戦前のワルターのみでしょう。全ての音が意味深く共感に溢れ、生と死の狭間で揺れるマーラーの精神がこれほどまでに音楽になり切っている例は他に決して無いと思います。あとは後年のコンセルトへボウ盤との比較のみです。

 
クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1979-80年録音/EMI盤) 

晩年に入る前のスタジオ録音です。テンシュテットのライブ演奏の凄さを知る者にとっては、もの足りなさが残ると思います。これも普通に素晴らしい演奏なのは確かなのですが、どうしても期待が過大になってしまうからです。それでも部分的には彼らしい表現力に耳を奪われる瞬間は多く有ります。圧倒的な感動までに至らないのが残念です。ロンドン・フィルの力量は例によって、いまひとつというところです。

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1982年録音/グラモフォン盤) 

カラヤンが手兵ベルリン・フィルとバーンスタインの演奏の評判の高さに対抗心を燃やしたとしか思えません。同じライブ盤を3年後に残したのですから。この演奏は美しく、アンサンブルも最高なのですが、およそ「死の翳り」というものは感じられません。余りに健康的だとも言えます。元々俗人のリヒャルト・シュトラウスを得意とするカラヤンとマーラーの生まれ変わりのようなバーンスタインとでは根本的に資質が異なります。マーラーを振って勝負になるはずが有りません。カラヤンがベルリン・フィルを二度とバーンスタインに振らせなかったのも何となくうなずけます。

ロリン・マゼール指揮ウイーン・フィル(1984年録音/CBS SONY盤) 

マーラーと縁の深いウイーン・フィルの演奏だというだけで惹かれてしまいます。戦前ほどの濃密さは無いですが、それでもこの柔らかい音は他のオケとは違います。それでいて現代的なアンサンブルも持ち合わせているので魅力的です。バーンスタインほどテンポに緩急はつけず、ジュリーニほどインテンポではないですが、バランスの良さを感じます。終楽章のみ少々速く感じますが、非常に美しいです。この演奏はウイーン・フィルのマーラーを良い録音で聴きたい方にはお勧めです。


レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1985年録音/グラモフォン盤) 

バーンスタインはカラヤンの邪魔立てを知ってか、それならと「へーん、ベルリンPOを振らなくったっていい演奏は出来るやーい」と、今度はコンセルトへボウと録音を行いました。こうなればマーラー演奏に伝統の有るコンセルトへボウは負けるわけには行きません。かくて両者の意地がベルリンPO以上の演奏が実現しました。スケールの大きさ、完成度ではこちらがずっと上です。3楽章のたたみかける迫力もベルリンPO以上。終楽章の神秘性、寂寥感も最高です。どちらか一つを選ぶなら僕は迷わずにコンセルトへボウ盤を取ります。


ガリー・ベルティーニ指揮ウイーン響(1985年録音/WEITBLICK盤) 

これはEMIへの録音盤ではなく、ウイーンでのライブ演奏です。ベルティーニはケルン放送を振るときよりもずっとオケの自発性に任せている印象で、おおらかさを感じます。最初はかなり手探り状態で危なっかしいのですが、少しづつ調子が上がって行くのがいかにもライブです。2、3楽章もオーケストラにミスも多く、荒い感じがしますが、終楽章では神秘的な雰囲気を漂わせていて感動的です。やはり良い演奏だと思います。ムジークフェラインの響きを美しく捉えた録音も良いです。


クラウディオ・アバド指揮ウイーン・フィル(1987年録音/グラモフォン盤)

 ウイーンでのライブ録音です。弦も管も非常に響きの美しさを感じます。しかもライブとは思えないほどにアンサンブルが優秀で、安心して聴いていられます。3楽章のドライブ感も実に見事です。ただし問題は、この曲の「怖さ」が余り感じられないことです。悲劇性、汚さから離れて、ひたすら美しさに徹した演奏には幾らか疑問を感じます。アバド/ウイーンPOの3番、4番は文句無しの名演奏ですが、この曲の場合は、そこまでの感銘は受けません。ただ、聴き疲れしませんし、何度でも繰り返して聴ける名盤だと思います。深刻なマーラーは苦手だと言われる方には是非のお薦めです。


ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1991年録音/EMI盤) 

EMIへの全集録音ですが、「大地の歌」と同様に日本でのライブ収録です。さすがに手兵のケルン放送だけあって、スタジオ録音と間違えるほどに完成度が高いです。録音も広がりが有り優れています。ユダヤ的な粘着性は余り感じさせない耽美的な演奏ですが、この人の職人的な面が最上に発揮されています。但し、マーラーの死への恐れの心情表現は必ずしも充分に感じられず、終楽章も余り心に深く響きません。むしろ完成度は低くとも終楽章はウイーン響盤の方が感動的でした。

ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル(1995年録音/CANYON盤) 

この演奏には激しさはおよそ感じませんし、全体のテンポも極めて中庸です。けれども、全ての音符に意味深さが込められているので、聴いているとマーラーの音楽が自然にどんどん心の奥底まで染み入って来ます。これは凄いことです。ノイマン晩年のマーラー再録音はどれもが素晴らしいのですが、この9番は、3番、6番と並んで特に優れた演奏だと思います。チェコ・フィルの音は非常に美しいですし、CANYONの録音はもちろん優秀です。


小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ(2001年録音/SONY盤) 

自分は同じ日本人として小澤さんを尊敬しているのですが、サイトウ・キネン・オケについては少々懐疑的なのです。スーパー臨時編成オケで、松本フェスティヴァルでの中心的役割を果たすのは良いとしても、次々と発売されたライブCDにはどうも商業主義を感じずにはいられませんでした。この演奏は東京文化会館でのライブ録音で、もちろん水準を越える出来栄えですが、常設オケのような熟成された音が感じられません。この直後にボストン響を指揮したフェアウェル・コンサートと比べると大きな差が有るように感じます。出来ればボストン・ライブをCDリリースして欲しいところです。


実は、この曲は普通に演奏してくれれば、どの演奏も感動的です。それほど音楽が素晴らしいからです。この曲を演奏して、もしも人を感動させられなければ、その演奏家はマーラーを演奏しないほうが良いのかもしれません。

僕の好みでベスト盤を上げてみますと、迷うことなくバーンスタイン/コンセルトへボウ盤です。それに続いてバーンスタイン/ベルリン・フィル盤です。

この2つはたとえどちらか片方のみだけでも充分過ぎるほど満足できますが、やはり両方としたいです。

バーンスタインが余りに素晴らしいので、その他は随分引き離されますが、バルビローリ/ベルリン・フィル盤は個人的に大好きです。

それ以外はかなり団子状態ですが、マゼール/ウイーン・フィル盤、ベルティーニ/ウイーン響盤、ノイマン/チェコ・フィル盤には捨て難い良さが有ります。そして番外として外せないのは歴史的演奏のワルター/ウイーン・フィル盤です。

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-3ed4.html

2013年3月 3日
マーラー 交響曲第9番 バーンスタイン/イスラエル・フィルのライブ盤: ハルくんの音楽日記
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-dd80.html


レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(1985年録音/Helicon Classics盤)


僕は、自称ブラームジアーナーとして、ブラームスの音楽を心の底から愛していますが、同じように溺愛しているのがマーラーです。そのマーラーの曲で、どれか一つだけ選べと言われれば、ためらわずに選ぶのが交響曲第9番です。もちろん、アマチュアオケ団員時代に、この曲を演奏したことも影響しているかもしれません。でもそれを抜きにしても、やはり他のどの曲でも無く第9なのです。

その第9交響曲の演奏のなかで一番気に入っているのが、「劇場型」(「激情型」とも)マーラー演奏家として最高のレナード・バーンスタインです。もちろん人によっては、ワルターだ、ジュリーニだ、バルビローリだ、と色々と言われるでしょう。けれどもバーンスタインの洗礼を受けたファンにとっては、とてもとても比べものにならないほどの唯一無二の存在がバーンスタインの演奏です。

そのバーンスタインによるマーラーの第9交響曲については、正規録音として以下の4つの演奏がCD化されています。


1965年12月  ニューヨーク・フィル(スタジオ)
1979年10月  ベルリン・フィル(ライブ)
1985年5、6月 ロイヤル・コンセルトへボウ(ライブ)
1985年8月   イスラエル・フィル(ライブ)

(この他に、1971年3月のウイーン・フィルとのライブも存在しますが、ビデオ収録のみです)

このうち、バーンスタインのマラ9のベスト演奏はどれかと言えば、自分としてはコンセルトへボウ盤(グラモフォン)を上げますが、ベルリン・フィル盤(グラモフォン)を上げる方も居ます。ただ、最初のニューヨーク・フィル盤(CBS)を上げる人は少なそうです。

そんなバーンスタインのマラ9で最近リリースされたのが、最後のイスラエル・フィル盤で、本拠地のテルアビブでのライブ録音です。何となくグラモフォンのジャケット・デザインを彷彿させますが、実際にはイスラエル・フィルの自主レーベル「Helicon Classics」が制作したものです。録音スタッフも全てイスラエル人のようです。

実はこのコンサートの翌月に、彼らは日本でコンサート・ツアーを行なって、マラ9を4度演奏しました。古いマーラーファンには伝説となっているコンサートです。残念ながら僕はそれを聴いていませんが、当時それを聴いた人の話では、空前絶後の凄演だったそうです。その日本のコンサートを想像できるCDとしてはとても貴重だと思います。

さて、肝心の演奏内容ですが、多くのCDレヴューを読むと賛否両論で興味深いです。ある人は「過去の全ての演奏を凌ぐ」と書いていますし、「大したことない」と書いている人も居ます。僕には、そのどれもが本当だろうと思います。少なくとも、書き手にとっては、その人の書いた通りなのです。ですので、これから書く感想も、あくまで僕一人の感想でしかありません。

これまでの演奏と比べて、最もユダヤ的な演奏に感じます。第二次大戦前のウイーン・フィルが、どうしてあれほど甘く柔らかい音を出せていたかと言えば、ユダヤ人が多く在籍していたからだそうです。長い指を持つユダヤ人が弾くヴァイオリンの音の特徴なのですって。イスラエル・フィルにはそれと共通した魅力を感じます。とにかく甘く柔らかく、そして粘ります。それがマーラーの音楽との同質性を感じさせます。それは、ユダヤ系の指揮者と、それ以外の民族の指揮者が演奏するマーラーの確かな違いとも言えます。従って、バーンスタインの指揮したマラ9は全てが魅力に溢れてて感動的です。もちろん、この演奏も同じです。最も顕著なのが第4楽章で、弦楽の息の長い旋律を、粘りに粘って弾いています。こういうのが苦手の人には抵抗が有るでしょうね。でも僕は大好きなのです。魂の没入度では一番かもしれません。バーンスタインの足音がひときわ大きく聞こえますし(笑)。

この楽章を聴くだけでも価値が有ると思います。但し、それまでの楽章について言えば、特に管楽器全体の質とミスがかなり多いのがマイナスです。実演で聴けば気にならないようなことでも、CDで聴く場合は気にならないと言えば嘘になります。ですので、ディスクとして聴く限りは、やはりコンセルトへボウ盤がベストです。恐らく、このCDを聴かなくても困らなかったとは思いますが、聴いたことを後悔はしていません。聴いて良かったと思っています。

もっとも、他の人に「このCDを聴くべきか、聴くべきでないか?」と尋ねられても答えられません。その答えは「その人が聴きたいと思えば聴くべき」でしかないからです。

コメント


マーラーの「第9」は 20代の頃、夢中になって聴いていました。当時は「これこそ、究極の交響曲だ!」と思っていましたね・・・。(笑)

確かに マーラーの行き着いた究極の作品には間違いありません。
しかし、年齢を重ねてくると、ブラームスやブルックナー、また、シベリウスの交響曲を聴く機会が増えているのは事実です。何故でしょうね・・・?      

CDは やはりバーンスタイン/コンセルトヘボウ管盤と ワルター/ウィーン・フィル盤が双璧だと思います。(私としては ワルターの方に思い入れがあるのですが・・・(笑))
投稿: ヨシツグカ | 2013年3月 3日 (日) 22時34分


マーラーは青春時代に一度は熱病にかかりますね。
僕も今はブラームスとシベリウスの方を聴くことが多いですが、マーラーも聴かないわけではありません。むしろブルックナーよりも多いかもしれません。
まだ青春が終わっていないのかも。(笑)
投稿: ハルくん | 2013年3月 3日 (日) 22時49分

こんばんは。
コンセルトヘボウ管弦楽団とのDG盤に続き この盤も聴きなおしましたが
DG盤には演奏も録音も及ばないと思えます。
全体的に「埃っぽい」録音なので、演奏の良さが伝わってきません。

9月3日(来日初日)の実演は彼岸から聴こえてくるような弦の美しさでしたが・・・

バーンスタインならば発売を許可しなかったでしょう(ベルリンも)。
演奏家の生前に発売された盤を尊重するのが演奏家に対する礼儀ではないかと思えます。
投稿: 影の王子 | 2017年5月17日 (水) 20時19分

そうですね。コンセルトヘボウ管とのDG盤の完成度と比べては問題になりませんね。

ベルリンフィル盤に関しては存在意義を認めますが、このイスラエル盤は不要だったかもしれません。

日本公演の感動をそのまま記憶されていたほうが幸せでしょうね。生演奏を忠実にパッケージすることは至難の業です。とくにこの時代では。
投稿: ハルくん | 2017年5月18日 (木) 12時35分

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-dd80.html

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