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(回答先: ベートーヴェン 『交響曲第5番』 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 24 日 16:00:48)
ベートーヴェン 『交響曲第8番』
クナッパーツブッシュは、フルトヴェングラーやトスカニーニと比べても才能が全然違いますね:
Knappertsbusch Symphony No. 8 in F Major, Op. 93 Berlin Philharmonic Orchestra 1952
Conductor: Hans Knappertsbusch
Orchestra: Berlin Philharmonic Orchestra
1952年1月29日、イエス・キリスト教会での放送用録音。
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Knappertsbusch Symphony No. 8 in F Major, Op. 93 Munich Philharmonic Orchestra 1956
Conductor: Hans Knappertsbusch
Orchestra: Munich Philharmonic Orchestra
1956年10月18日、ルガーノでのライヴ
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Beethoven: Symphony No. 8 - Bayerisches Staatsorchester/Knappertsbusch (1959)
Bayerisches Staatsorchester
HANS KNAPPERTSBUSCH, cond.
Recording: Kongreßsaal des Deutschen Museums, München, 14 December 1959
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Beethoven "Symphony No 8" Knappertsbusch 1960
NDR Symphony Orchestra
Hans Knappertsbusch, conductor
Hamburg, 14.III.1960
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交響曲第8番 ヘ長調 作品93
1814年2月27日、交響曲第7番などとともに初演。
7番のほうに人気が集中したのに対しベートーヴェンは「聴衆がこの曲(8番)を理解できないのはこの曲があまりに優れているからだ」と語ったという。
ベートーヴェンの交響曲の中では比較的小規模で、従来の古典的な形式に則っているが、独創的な工夫と表現にあふれている。
なお、ベートーヴェンの 9曲の交響曲のうち、この曲のみ誰にも献呈されなかった。
編成
初演は木管楽器が倍で、楽譜には無いコントラファゴットが 2本も追加されるなど大編成で演奏された。
楽譜
第8番は初演パート譜(ベートーヴェンが現場で指示した修正が残っているかも知れない)がティンパニ・パートなど断片的にしか残っていないため、資料状況は第7番ほど良くない。しかしシュタイナー社による初版がベートーヴェンの交響曲では初めてスコアとパート譜の両方出版されるなど、第7番との共通点が多い。
自筆スコアが今日まで残っている。第1、2、4楽章がベルリンに、第3楽章はクラクフにある(分割された理由は第7番参照)。既述通り初演ではコントラファゴットが追加されていたが、初演に使われたパート譜が失われているので実際にどのような音が演奏されたのか詳細は不明(出版譜にも採用されていない)。コントラファゴットは10年後の交響曲第9番で個性的な方法で使用されることになる。
初演用のパート譜から集成されたスコア(第3楽章の部分だけベルリンにある)に基づいて版下用の筆写スコアをアントン・ディアベッリが新たに作成。出版前に校正刷りをベートーヴェンがチェック出来たのも第7番同様交響曲では初めての事である。12ページ分しか残っていないが、ベートーヴェンの修正指示があるので意向を知る手がかりとなる。
19世紀後半にブライトコプフ社から旧ベートーヴェン全集を出版されて以来、1世紀以上旧全集版(または部分的に改訂された版)が演奏されて来た。
今日でも間違いなく重要な楽譜資料であり演奏にテキスト上の大問題があるわけではないが、全資料を網羅する今日の編集体制とは異なり特定のスコア資料を重用する傾向があるため、テキストが見直された。20世紀末ベーレンライター社からジョナサン・デル・マー(Jonathan Del Mar)校訂の原典版が、21世紀に入ってブライトコプフ社からもペーター・ハウシルト校訂の新原典版も出版された。ボン・ベートーヴェン研究所の編纂、ベルンハルト・アッペル校訂(児島新の他界により引き継いだ)による新ベートーヴェン全集版がヘンレ社から刊行される予定もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第8番_(ベートーヴェン)
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2008/10/28 ベートーヴェン 交響曲第8番 の話
以前 「第九」 の話をしたときに ベートーヴェン の 「不滅の恋人」 について書いたけど、 それは 「第九」 にとってあくまでも一つの要因に過ぎない。
※以前のお手紙(2008/10/4)はこちら
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio200810.htm#fromsachio20081004-Beethoven-symphonyNo9
しかしこの交響曲8番に関しては 「不滅の恋人」 との思い出が詰まった個人的な曲だ。
「不滅の恋人」 とは ベートーヴェン の死後に発見された熱烈なラブレターの中で ベートーヴェン が書いた相手に対する呼び名で、 今だに誰なのかは確定していないが最近の研究ではアントニーア・ブレンターノ夫人 であるというのが通説になってる (不滅の恋人は夫のいる夫人だったため ベートーヴェン の死後も秘密が徹底して守られたのだ)。
1812年の7月にその恋人と秘密でボヘミアに温泉旅行をするがその時の思い出が詰まってるのが "8番"だ。
その旅行の前後で、恋人が妊娠したことを知らされ、その喜びに溢れて書かれたのが1楽章と言われる。
イギリスに留学して ベートーヴェン に隠し子がいたという話を聞いたときは腰を抜かしそうになったが、ベートーヴェン は恋人とイギリスに移住することまで考えていたらしい。
喜びに溢れる生命力いっぱいの1楽章。ベートーヴェン の人生で最も幸せだったときの音楽だ。
続いて2楽章もまるで恋人と散歩してるようにうきうきしてる。
専門的な話になるが同じ8分音符や16分音符の音の長さを短くしたり長くしたりして、効果的にその気分を表現してる。
3楽章のトリオでは2人にとって思い出のメロディをホルンが奏でる。
そのメロディは ベートーヴェン のスケッチ帳には郵便馬車のぎょ者のポストホルンのメロディと但し書きがつけられている。
ベートーヴェン は彼女とボヘミアでおちあう前に毎日手紙でやりとりをしていたが、このポストホルンのメロディを聞くたびに彼女から手紙が来た! とわくわくしてたのかも知れないし(あたり前だけど、当時は電話もなく手紙が唯一の連絡手段だったのだ!)、 そして2人で散歩してるときに何度も耳にしたメロディかもしれない。
4楽章はまるで何か急いでるようだ。
ボヘミアで恋人とおちあうために急いで馬車を走らせてる様子かも知れない。
ベートーヴェンはこの温泉旅行の直後リンツで"8番"を完成させるが、その間に突然2人は破局する。ベートーヴェンは絶望的な言葉を日記に書き残している。
4楽章の後半で、音楽が不安気に進行した後、強烈な和声進行と苛立ちのように音楽が発展し最後は聞き方によってはやけくそのように終わるのは その破局が原因なのかもしれない。
この"8番"はもちろん純粋に音楽的な素晴らしい要素でいっぱいだが
ベートーヴェンの個人的な想いが最も詰まってる交響曲であるのもまた事実だろう。
「第九」 を書き上げた後も、ベートーヴェンは自分が一番好きなのは"8番"と言っていたし
この"8番"だけは誰にも献呈していない。
また交響曲完成後もベートーヴェンは珍しくまったく初演をしようとしなかった。
それはこの 8番 は人に聞かせるために作曲したのではないということだ。
「不滅の恋人」? アントニーア・ブレンターノ (1780-1869)
ブレンターノ夫妻とベートーヴェン(39歳)が出会ったのは1810年。
夫フランツはフランクフルトの銀行家でベートーヴェンの経済的後援者となった。ベートーヴェンはブレンターノ家を度々訪れ家族と過ごし、 時には病気がちで伏せる事の多かったアントニーアを隣室からピアノを奏で慰めることも。オーストリア伯爵家の一人娘アントニーアが、 イタリア系豪商の家に嫁ぐも家に馴染めず、また夫は仕事に忙しく家を開けがちで心を病んでいたと言われている。
ベートーヴェンの晩年の傑作と言われる、ピアノソナタ第30番〜32番はアントニーア献呈するために書かれたとも言われ、30番(1820)は娘マキシミリアーネに献呈されている。
詳しくは、ベートーベン研究家の
青木やよひさん の論文
http://www.ri.kunitachi.ac.jp/lvb/rep/aoki01.pdf
を御参照下さい。 <管理人>
http://www.fujioka-sachio.com/fromsachio/fromsachio200810.htm#fromsachio20081028-Beethoven-symphonyNo8
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