ソレイマニ将軍殺害の大きすぎるツケ 伊東 乾 2020/01/06 https://www.msn.com/ja-jp/news/world/ソレイマニ将軍殺害の大きすぎるツケ/ar-BBYDJBC?ocid=ientp © JBpress 提供 米軍による空爆で死亡したイランのソレイマニ将軍を追悼し喪に服すイラン国民。写真は1月3日、テヘランで米国への抗議デモを行った人が手に持っていたソレイマニ将軍の写真(写真:新華社/アフロ) 1月3日、イラン・イスラム革命防衛軍「コドス」の司令官として国際的に知られる、ガセム・ソレイマニ将軍(1957-2020)がバクダード国際空港で暗殺されたとの報道がありました。本稿は発表直後にベルリンで記しています。 空港内を車輛で移動中、米国の放った無人飛行機、つまりAI駆動の軍事用ドローンが、具体的にはReaper「死神、首狩り人」と呼ばれるリモコン兵器ですが、車列に対してロケット弾を3発発射。 これによりイラン・イスラム、シーア派武装組織「カタイブ・ヒズボラ」の最高指導者、アブ・マフディ・アル・ムハンディス氏ら4人の指導者を含む、合計8人が殺害されたと報じられました。 とりわけソレイマニ将軍は国際的な知名度を持ち、日本でいうなら「乃木大将」「東郷元帥」「山本五十六」といったイメージに近い、アイドル的なイランの国家英雄です。 彼を狙い撃ちした今回の暗殺は、実質的に米国のイランへの「宣戦布告」ないし「作戦行動誘引」のための挑発行動と考えることができるでしょう。 ソレイマニ将軍は2018年7月、トランプ大統領を名指しで「もしアメリカがイランを攻撃したら、我々は米国の所有するすべてを破壊するだろう」(https://www.bbc.com/japanese/44977157)と警告した、恐るべき胆力と勇気をもった人物です。 これに先立って米国のドナルド・トランプ大統領は、イランのロウハニ大統領に宛てるとして「決して、二度と、再びアメリカを脅したりするな(NEVER, EVER THREATEN THE UNITED STATES AGAIN)と大文字で書くツイッター(https://twitter.com/realdonaldtrump/status/1021234525626609666)を公開、それに対する公然たる反論がソレイマニ氏の表明でありました。 事実トランプ氏は上記に続けて「さもなくば、イランは人類がかつて経験したことのないほどの苦しみを受けるだろう(OR YOU WILL SUFFER CONSEQUENCES THE LIKES OF WHICH FEW THROUGHOUT HISTORY HAVE EVER SUFFERED BEFORE.)」と恫喝しました。 さらに、「アメリカはイランの痴呆的な暴力と死の発言を黙ってみている国ではない。首を洗っておけ(WE ARE NO LONGER A COUNTRY THAT WILL STAND FOR YOUR DEMENTED WORDS OF VIOLENCE & DEATH. BE CAUTIOUS!)」と大衆揺動的なセリフを並べています。 ソレイマニ将軍の軍人らしい簡潔な表現と極めて対照的と言わねばなりません。 後年、この日付や「バクダッド事件」が「サラエボ事件」のような重要項目として高校生が暗記する歴史の年号などにならなければよいが・・・と思います。 非常にリスクが高いと思われるポイントを列挙しておきましょう。 最初に、いまこのタイミングでこの攻撃が行われたのは、2020年秋に米国大統領選挙があることが最大の理由であること。 この攻撃は、米国側に言わせれば最新鋭兵器を用いた作戦行動ですが、イラン側としては遠隔操作の卑怯な暗殺、「テロ」行為以外のなにものでもなく、国家の英雄を卑怯な方法で殺害されたイラン側が、烈火のごとく怒り狂って、戦端を切る可能性が考えられること。 それを含めて、米国側は織り込み済みであること。 また、イスラムが敵と見做した場合、仮に戦争が拡大しイランが制圧されたとしても、戦後、大統領職を退いた後にも、ドナルド・トランプ氏らへの復讐、暗殺は計画され続け、「トランプタワー」など、彼の名のついた施設で無関係な人が犠牲になる可能性も懸念されること。 こうした点を押さえたうえで、ポイントごとに背景を確認してみたいと思います。 ソレイマニ将軍の業績 米国も欧州もソレイマニ将軍を「テロリスト」と名指しし、またCNNのようなメディア(https://www.cnn.co.jp/world/35147580.html)も21世紀に入ってからのソレイマニ将軍の軌跡として様々な軍事行動や襲撃を列挙し、多数の米兵の命を奪った仇敵であるとしています。 しかしソレイマニ氏は軍人ですから、責任ある地位にある彼の元で犠牲者が出るのは、実は当然のことにすぎません。 米国の全軍事行動は、大統領が最高司令官ですから、トランプ氏は全世界で多数の人命を奪った首謀者ということになり、立場を変えればテロリスト以外の何者でもないと見えて当然です。 イランでは国民的に愛されるソレイマニの足跡を簡単に追ってみましょう。 ガセム・ソレイマニ(トルコ系の人名「スレイマン」のペルシャ語称と思われます)少将は1957年3月11日にイラン南東部のケルマーン州ラバル郡に生まれたと伝えられます。 1980年9月に始まった「イラン・イラク戦争」は、いまだ冷戦末期にありながら、表向きは米ソ両大国が一致して「サダム・フセイン」率いる“イラク軍”をバックアップして作り出された、極めて複雑怪奇な軍事衝突でした。 これに先立つ1978年1月、イランでは親欧的なバーレヴィ王朝を打倒する、ホメイニ師を指導者とするイスラム・シーア派による「イラン・イスラム革命」が発生。 革命時、ソレイマニ氏は21歳でしたが、23歳で発生したイラン・イラク戦争時には革命防衛隊中尉として戦闘に参加、勇敢に敵陣に潜入して偵察行動を行い情報を得て戦争を勝利に導き、次第に知られていくようになります。 30歳であった1987年、冷戦体制化でイラン・イラク戦争は長引いていましたが、ソレイマニ氏は革命防衛隊第41師団の司令官に任命されます。 これに先立つ1986年末には米国ロナルド・レーガン政権で「イラン・コントラ事件」が発覚、いわば代理戦争する双方と米国が「ビジネス」していたことが暴露されるなど、この戦争の政治的な底意が明らかになるとともに、ホメイニ氏率いるイラン側、とりわけイラン民衆は一貫して抵抗を続けます。 イランの米国タンカーに対する攻撃への報復として、米軍はイランの油田2か所を空爆しますが、これが直接の引き金となって1987年10月19日、「ブラックマンデー」として知られる史上最悪の株価暴落を引き起こします。 疲弊する米ソ両大国の前でホメイニ師のイランは抵抗し続け、ついに1988年8月に停戦が発効、89年にホメイニ師が死去したのち90年にイラン、イラク間の国交が回復します。 祖国を支えた司令官、とりわけ米ソ両大国に屈しなかった英雄として、ソレイマニの名はイランはもとより、国境を越えてシーア派圏のイスラム、さらにはイスラム世界全体に知られるようになっていきます。 イランの東郷元帥
このキャリアを見るとき、東郷平八郎を思い出さざるを得ません。といっても昨今の若い世代には「東郷平八郎」などと言ってもピンと来ないかもしれません。 元帥、海軍大将であった東郷平八郎(1848-1934)は、日露戦争時の「連合艦隊司令長官」として日本海海戦でバルチック艦隊を殲滅させ、結果的に日本を最後発の先進国に押し上げた国民的英雄として慕われ、アイドル的な人気を誇りました。 東郷は幕末、薩摩藩に下級武士の子として生まれ、いまだローティーンの14、5歳で「薩英戦争」に従軍、18、9歳で西郷や大久保の元、戊辰戦争を戦いました。 明治4年から11年まで、つまり23歳から30歳までの青年期に英国留学、国際法を基礎から身につけ、また英国海軍の「サイレント・ネイビー」の精神ないし美学をのちのち血肉化させていきます。 20歳のソレイマニがイラン・イスラム革命でホメイニ師の元で戦ったように、20歳の東郷は函館戦争などで明治維新を戦った。 いわば「少壮にして建国革命に参加し、祖国を勝利を導いた英雄として30代以降司令官となる」非常によく似たキャリアを持っているように思われます。 東郷のパーソナルヒストリーをもう少し追ってみましょう。 1877年の西南戦争には、東郷は在英のため参加できませんでした。もし留学していなかったら、西郷の元で討死していた可能性が高いと考えられています。 生死を共にするような、非常に濃密な「同志愛」が旧薩摩藩郷士には知られます。 これと形は全くことなりますが、イスラム原理主義、またとりわけ「スーフィニズム」として知られるシーア派の神秘主義には、生死を超えたジハード観があることを想起せざるを得ません。 ローティーンから刀を手にした白兵戦で、殺すか殺されるかという戦闘を多数経験、20歳過ぎからは英国で7年にわたって作戦行動から国際法遵守まで武官のデスクワークを学び、名実ともに明治日本の国際軍事力の中枢を担うべく、西南戦争終了後、愛する薩摩人を撃った長州閥が支配する日本に帰国し、東郷は淡々と職務に精励します。 のちに沈黙の元帥と呼ばれることになる「サイレント・ネイビー」東郷ですが、若い頃は血気盛んで、多弁であったとも伝えられます。 それが30代にして名実ともに日本海軍を背負う立場に就くこととなった。 東郷は明治の立ち上げ期にあった海軍で責任ある立場で職責を全うしていきます。 日清戦争では戦艦「浪速」艦長として豊島沖海戦などを指揮、勝利に導き、戦後はより高位の司令官として艦隊に責任を持つ立場となり、日露戦争では大国ロシアの誇る「無敵のバルチック艦隊」を撃破して国際的に知られるようになりました。 顕著な例として、ロシア帝国の支配に長年悩まされてきたフィンランドでは、一時期、ラベルに東郷元帥をデザインした「アドミラル(海軍提督)・ビール」が売り出されていたという話があります。 もっともこのケースでは「東郷」だけでなく「山本五十六」も、また同じ日露戦争をロシア側で戦った「マカロフ」「ロジェストヴェンスキー」などの海軍軍人の顔もラべルに印刷されて販売されていたらしく、東郷だけが特化されていたわけではないようです・・・。 ともあれ、遠いフィンランドでビールのラベルに顔が印刷される程度に、国際的に知られた日本の軍人であったことは、間違いありません。 伝わる「リベラルな指導者」像 1990年代、米ソ冷戦を背景に無用に巨大化したサダム・フセインのイラクが、冷戦崩壊というグローバル・パワーバランスの崩れの中でクウェートに侵攻したのは、豊かなクウェートに対して多額の負債を抱えていたことが原因の一つでした。 ここから戦端が切られた「(第1次)湾岸戦争」の時期、ソレイマニ氏は故郷ケルマーンの軍事司令官として治安維持に努め、特に東に境を接するアフガニスタンからの欧州向けの麻薬密売の摘発など、軍政に重責を果たします。 詳細は分かりませんが30代、生真面目なシーア派イスラムの指導者は禁欲的な危機管理に務めたであろうことが察せられます。 2000年(1998年とするリソースもあり)、43歳(41歳)のソレイマニ氏はイラン革命防衛隊の特殊部隊であるコドス=エルサレム旅団の司令官に任命されます。 それ以降、今回62歳で暗殺されるまで特殊部隊を率いたことで、欧州連合や米国から「テロリスト」のレッテルを貼られることになるソレイマニ氏ですが、果たしてそのような人物なのでしょうか? 国民的英雄、という以上に国際的にアイドル的な人気を誇る背景には、平和を回復した1990年代以降の、平時の指導者としてのソレイマニ氏の業績も関係しているように思います。 1999年、アクバル・モハマンディらが参加し率いたイスラム革命後イランで最大の反政府民主化行動「1999年7月のテヘラン大学デモ」に際して、ソレイマニ・ケルマーン州司令官は、政府による過剰な言論弾圧が、むしろ軍に影響を与えかねないことを憂慮する書簡を当時のハタミ大統領に送付。 モハマンディも死刑の宣告から15年の有期刑に減刑されますが、リベラルなハタミ政権が崩れると、刑務所内で激化したと思われる看守たちの拷問によって2006年に虐殺されました。 ハタミ大統領自身はドイツなど先進国での勤務経験も長い人物で、サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」に正面から対向して「文明の対話」を提案。 国連にも迎えられ2001年は「文明の対話」年とされましたが、その年の9月11日に「同時多発テロ」が発生しました。文明を衝突させ続けたい人が、先進国側でどうにも後を絶ちません。 リベラルで国民的に人気が高かったハタミの改革は挫折し、2005年には、ソレイマニと同世代で保守強硬派のマフムード・アフマディネジャド(1956−)政権が誕生。モハマンディの拷問死はその翌年にあたります。 開明的で庶民に人気の高かったソレイマニ氏が、故郷のケルマーン州司令官から地域を問わない特殊部隊「エルサレム旅団」に配置換えとなった背景には、別の政治的な意図があったのかもしれません。 没後神格化の可能性
さて、日本の東郷元帥ですが1934年、86歳で病死します。逝去直前に侯爵に列し、国葬が営まれ、没後には東京都渋谷区と福岡県宗像郡に「東郷神社」が建立、神格化され崇拝の対象となります。 晩年は元勲扱い、というよりも「イキガミ様」となってしまい、多くの軍事政策について官職無関係に「東郷元帥にお伺い」が立てられ、また東郷が口を出すとろくなことがなかった、とも伝えられます。 しかし、これについては生前、陸軍の「乃木神社」に対抗して海軍が「東郷神社」を、という動きに、「どうかやめてほしい」と本人が懇願したという、真っ当な話も伝えられます。 こういうものはレッテルですから、当人の希望など無関係に、力の政治は動くものです。 1945年の敗戦後、米国は日本の大半の軍神崇拝施設を撤去しましたが、「ロシアを打ち負かした東郷」関連の設備は残しています。政治とはそういうものという典型といえるでしょう。 ソレイマニ将軍は、米国の「遠隔操作機」によるロケット弾攻撃で命を失い、今現在イランは国を挙げての「喪」に服しています。 ジハードの殉教者として、すでに神格化(イスラムは唯一のアッラーに並ぶものなし、ですから、ややこの表現は微妙ですが)は始まっている可能性があります。 ハメネイ師は報復を示唆、イラン側から動きが出て、戦争状態に突入する可能性が懸念されるでしょう。 米国が、この挑発行動でイランが米国に先に手を出すことを狙っているのは誰の目にも明らかでしょう。 2019年12月27日、イラク北部の中心的な油田基地、キルクーク近郊のイラク軍基地がロケット弾で攻撃を受け、駐留していた米国民間人業者1人が死亡、米軍とイラク軍の軍人数人が負傷します(https://www.afpbb.com/articles/-/3261535)。 これに対し米国防総省は、この攻撃をイラクやシリアで活動するシーア派民兵の武装組織「カダイブ・ヒズボラ」によるものと断定。 F15戦闘機を用いた「精密爆撃」でイラク領内の3か所とシリア領内の2か所、合計5か所を報復攻撃(https://www.jiji.com/jc/article?k=2019123000072&g=int)し、ロイター電によれば少なくとも25人が死亡、55人以上が重軽傷を負ったと伝えられます。 イランは米軍の報復を「典型的なテロ」と非難、米国のエスパー国防長官らは、トランプ氏と共に滞在する悪名高いフロリダのゴルフ・リゾート「マールアラーゴ」から、「米国人を危険にさらすイランの行動を米国が見過ごすことはない」などと応じていました。 まるでヤクザのタマトリみたいな表現になりますが、いわば「血のバランスシート」はここでいったん応酬がついたことになっていたのに、今回のソレイマニ暗殺という展開。今度は米国側から先に手を出したことになります。 現地では「なぜこの時期に・・・」との声も聞かれましたが、この攻撃作戦は2020年11月に予定される米国大統領選挙のためのイメージ作りとして、新年早々に話題を提供するために実行された可能性が指摘されています。 年が明けた1月2日の夕方、トランプ氏は相変わらずフロリダの「マールアラーゴ」ゴルフリゾートで、今度は政治任用の側近たちと<大統領再選>に向けた会議を開いてました。 と、そのタイミングに合わせて緊急で別の会議の呼び出しがかかり、トランプ氏は数分間、席を空けます。合衆国大統領を呼びつける緊急会議ですから、軽々なものではありません。 それが「ソレイマニ将軍一行が明日バクダード空港に入るとの情報がある、今度は先手を打って暗殺すべき」という作戦への、許可を求める最高軍事会議であったというのです。 前回選挙では「世界の警察官」としての米国覇権から撤退し、「無駄な軍事支出」を抑制するという意味で、特異な「ハト派」の面もあったトランプ氏は、中東での米国の軍事行動を基本的には縮小、また命令が二転三転するなど、腰が落ち着かないことに定評があります。 無理もありません、70歳を過ぎて素人がいきなり軍事司令官役をやらされているのです。 ド素人の老人に、いきなり特定の人物を暗殺する軍事指令を出すような肝が据わっているわけもなく、米国軍人はトランプ氏の操縦法を次第に学習していったのでしょう。 攻撃の前夜、あと数時間しか猶予がないというタイミングで、選挙の会議に頭が向いている73歳のトランプ氏に、米国からの先制攻撃で「2020年初の軍事行動」の成功が選挙対策上に持つ意味などがささやかれたとしても、全く不思議ではないでしょう。 何にしろ、前回選挙ではおよそ米軍覇権に後ろ向きだったトランプ氏は、攻撃許可の命令を出し、作戦が成功するとむしろ嬉々として、それを我が業績として喧伝しているという事実が観測されます。 さてしかし、ここでトランプ大統領が払った対価と代償とは、いかなるものなのでしょうか? トランプ氏自身にはその意識が希薄と思われますが、イスラム指導者の指示は宗教的な根を持ち、個人に対して終生終わることがなくつきまとうことも、再確認しておく必要があるでしょう。 1988年、インド=英国の「イスラム無神論作家」サルマン・ラシュディ(1947-)が発表したムハンマドを冒涜する内容の小説「悪魔の詩(he Satanic Verses」に対して、全世界のイスラム教徒が反対運動を起こします。 「ファトゥーア」は終わらない 中でも決定的だったのは1989年2月、死の直前だったイランのホメイニ師は「ラシュディへの死刑宣告」を宗教指令「ファトゥーア」として発信、イランの財団は数億円に上る懸賞金を「死刑実行者」に与えると発表したことでした。 ホメイニ師は6月に死んでしまい、ファトゥーアは本人しか撤回できないので、「悪魔の詩」著者への「死刑」は永久に残ることとなりました。 これによりイタリア、ノルウェー、トルコなどで翻訳者が襲撃され、重傷を負うなどの事件が続きますが、最悪の結末を迎えたのが日本語への翻訳者でした。 1991年7月11日に筑波大学学内のエレベーターホールで、当時助教授であった五十嵐一氏(享年44歳)が刺殺されているのが発見されました。 左右の首の頸動脈は3センチの深さまで切断され、胸や腹への刺し傷は肝臓に達するなど、確実に絶命させることを目的とした「イスラム式」の殺害方法から、この凶行がホメイニ師のファトゥーアに基づく「処刑」であったことが推察されました。 容疑者として、同日午後にバングラディシュに出国した留学生の名が上がったりもしましたが、結局15年の時効を経て、この殺人事件はいまだ未解決のままです。 暗殺実行犯の可能性を指摘される一つに、イラン革命防衛隊「コドス」すなわちソレイマニ将軍が率いていた特殊部隊の名が挙げられてもいます。 もっともその時期のソレイマニ将軍は故郷の軍政の長で、五十嵐助教授殺人事件と直接の関係があるとは、まず思われません。 イランの宗教指導者が今後、ドナルド・トランプ氏やその関係者を殺害する「ファトゥーア」を出した場合、大統領を辞めようが、どこに隠居しようが、トランプ氏の身体安全は終生脅かされ続けることになるでしょう。 これは彼本人に限らず、トランプタワーなど、実業家としてのトランプ氏の「所有するものすべて」に拡大された場合、相当リスキーな状態も念頭に対策する必要がある状況と言わねばなりません。 既得権益擁護のため、「強い権力者」を演出して、戦闘行動や死刑執行を濫用する政治家は各国にその例が見られます。 しかし今回、確かに「ウクライナ・ゲート」など崖っぷちに立たされて選挙戦を迎えるとはいえ、数分の猶予しか与えられない状況下、ほぼ反射的に攻撃許可を出したトランプ大統領のソレイマニ将軍暗殺は、彼の一生を考えても、かなり短慮であった可能性が指摘できると思います。 「事態の穏便な収拾を祈」って・・・などと本来は記したい局面ですが、率直にそのような可能性が考えづらい、相当悪質なテロ―ルと言わねばならず、残念でなりません。 https://www.msn.com/ja-jp/news/world/ソレイマニ将軍殺害の大きすぎるツケ/ar-BBYDJBC?ocid=ientp
|