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(回答先: 太平洋戦争 投稿者 中川隆 日時 2019 年 12 月 23 日 00:40:24)
市川崑 ビルマの竪琴 (日活 1956年)
原作:竹山道雄(中央公論社版)
脚本:和田夏十
監督:市川崑
撮影:横山実
音楽:伊福部昭
製作: 日活
公開
1.「ビルマの竪琴 第一部」(1956年1月21日公開、61分)
2.「ビルマの竪琴 第二部・帰郷篇[3]」(1956年2月12日公開、83分)
1956年 (EN)、ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジョ賞受賞。1957年、アカデミー外国語映画賞にもノミネートされた。なお、現存するのは「第一部」「第二部」を編集した「総集編」である。
市川崑の述懐[4]によると1956年の1月公開が決定していたが、ビルマロケの許可がなかなか下りず、急きょ国内撮影分のみを63分の第一部として製作し、それを公開した。[5]その後、1956年1月に水島役の安井昌二のみが同行して一週間のビルマロケを行った。現在でもシュエダゴン・パゴダなどに、撮影当時の面影をみることができる。市川と日活の当初の約束では、2月に完全版の総集編(当然第一部とは中身が一部重複する)を封切る予定だったが、会社側は「すでに第一部のポジを何十本も焼いていてもったいない」とクレーム。このため、封切り時点で「総集編」と「第一部+第二部」の上映が混在し、「総集編」は都市部での限定公開、それ以外の地方は「第一部+第二部」の上映だった。このことが禍根となり、市川崑は日活を辞めたという。なお、本作はカラー撮影の予定があったが、機材がロケに適さないという経緯でモノクロに変更された。
なお、井上隊がパゴダの仏塔に入る場面は現地で撮ったフィルムをスクリーン・プロセスで合成した。また、後半のクライマックスで涅槃像の中に水島が潜んで竪琴を鳴らし、井上隊が気付くシーンは、美術の松山崇が仏像(大臥像)を制作し、小田原の公園で撮影した。
出演者
水島上等兵 - 安井昌二
井上隊長 - 三國連太郎
伊東軍曹 - 浜村純
小林一等兵 - 内藤武敏
馬場一等兵 - 西村晃
牧一等兵 - 春日俊二
高木一等兵 - 中原啓七
岡田上等兵 - 土方弘
中村上等兵 - 花村信輝
川上一等兵 - 千代京二
大山一等兵 - 青木富夫
橋本一等兵 - 伊藤寿章
清水一等兵 - 小柴隆
永井一等兵 - 宮原徳平
松田一等兵 - 加藤義朗
阿部上等兵 - 峰三平
三角山守備隊隊長 - 三橋達也
兵隊1 - 深江章喜
兵隊2 - 成瀬昌彦
兵隊3 - 天野創治郎
兵隊4 - 小笠原章二郎
兵隊5 - 森塚敏
脱走兵 - 佐野浅夫
ビルマの老僧侶 - 中村栄二
物売りの老婆 - 北林谷栄
その亭主 - 沢村国太郎
村落の村長 - 伊藤雄之助
踊る少女 -
村落のビルマ僧 -
年若いビルマ僧 -
竪琴を弾く少年 - 長浜陽二
ムドン駐屯英軍将校 -
ムドン駐屯通訳官 -
英軍陣地の将校 -
『ビルマの竪琴』(ビルマのたてごと)は、竹山道雄が唯一執筆した児童向けの作品。第二次世界大戦でのビルマを舞台とし、日本兵をモデルとしている。多くの版元[1]で重版した。
1946年の夏から書き始め童話雑誌「赤とんぼ」に1947年3月から1948年2月まで掲載された。ビルマ(現在のミャンマー)を舞台としている。市川崑の監督によって、1956年と1985年に2回映画化された。各国語にも訳されている。
出家し僧になった主人公の水島上等兵が竪琴を奏でる場面があるが、現地の上座部仏教では、出家者(僧侶)は、戒律により音楽演奏は禁じられている。そのため、後年大阪人情喜劇の会が制作した舞台演劇「ミャンマーの唄声」(出演:岸田敏志、曾我廼家八十吉、紅萬子、稲田慎太郎、副島新五他)では、「水島はあんなに好きだった音楽を捨ててまで僧になった」という設定となった。
著者はこの物語は空想の産物でありモデルもないが示唆になった話はあると記していたが、20数年後に武者一雄が著作した本が出版され宣伝された後に水島上等兵のモデルは、ビルマで終戦を迎え、復員後僧侶になった群馬県利根郡昭和村の雲昌寺前住職 中村(武者)一雄と言われるようになった[2]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%81%AE%E7%AB%AA%E7%90%B4
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