http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/700.html
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(回答先: 「認知の歪み」が諸悪の根源だった _ 医療少年院で精神科医が受けた衝撃 投稿者 中川隆 日時 2019 年 9 月 18 日 08:17:12)
パーキンソン病患者の幻覚体験 _ 伝説の遭難者 yucon氏の体験について
伝説の遭難者yucon氏の体験について(1) 2018年06月07日
https://hagarie.naturum.ne.jp/e3087346.html
前回、
「新潟親子遭難事故について」の記事
https://hagarie.naturum.ne.jp/e3086142.html
を書いたところ反響があったので、数年前にネットを騒がしたyucon氏の遭難に関しても一応記事を書いておこうかと思います。
このyucon氏の遭難に関しては、多くの失敗を犯している形ですので逆にここから色々な事を学ぶ事が出来ます。特にアウトドア初心者の方には是非読んで貰いたい内容です。これをアウトドアを楽しむうえで役立てて頂ければ幸いです。
★yucon氏について
yucon氏のプロフィール
登山暦:2011年から死亡する2013年11月まで
年齢:当時40代前半
性別:男
本名:川崎
彼はパーキンソン病を患い途方に暮れていた時に"山"に出会いました。その病の進行と闘いながら死亡するまでの間、山を登り続けました。しかし、そんな身体で山登りをする事は自殺行為であり推奨できるものではありません。誰かが止めていればこんな結末にはなっていなかったでしょう。またパーキンソン病の影響か幻覚症状があり、遭難記のどこまでが本当にあった事で、どこまでが彼の幻覚かという議論が未だにネット上では続いています。
yucon氏は"ヤマレコ"という登山系SNSのヘビーユーザーであり、遭難後もその遭難記事をヤマレコにアップした事により一躍、有名人となった方です。リアルでも山雑誌に取材されたり講演会に呼ばれたりしたようです。
そして、今回紹介する遭難から1年後の冬、御在所岳で再び遭難。救助されたものの翌日に病院でお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。
★遭難時の装備等
遭難発生日:2012年07月16日(月)〜 2012年07月22日(日)
天候:ほぼ晴れだが5日目に雷雨に襲われる
装備:
・食糧(カップ麺、マッシュポテト2人前、バランスパワー4本)
・飲料水(ハイドレーション2ℓ、炭酸ジュース500ml、水500ml)
・野球帽、モンベル半袖ジップアップシャツの下にナイキドライフィット長袖Tシャツ
モンベルパンツ、アンダーにメンズタイツ。
・バーナー、コッヘル、ガスボンベ、
・25,000分の1地図、山と高原地図、コンパス、ホイッスル
当日忘れた装備類:
・雨具、ビニールシート、ツエルト、バックライト付きリストウォッチ、ヘッドランプ、GPS
★どのように遭難したか
今回は
yucon氏のヤマレコの記事やBlogの記事
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-210149.html
http://yucon.hatenablog.com/entry/2012/07/28/030725
あとアウトドア雑誌「山と溪谷2013年8月号」から遭難の内容を抜粋、加筆、修正を行なって記事にしています。
※ヤマレコの記事とBlogの記事、山と溪谷の記事で微妙に内容が違います。今回はBlog側の記事を参考にしています。
1日目:2012年7月16日(月)
まず今回遭難が起きた御池岳の地図を紹介します。
http://turi-yama.moo.jp/yama/2015yama/yama150429.html#top
(※「五目釣りと山旅日記」より転載)
http://turi-yama.moo.jp/yama/2015yama/yama150429.html#top
yucon氏は今回の山行を"土倉岳−御池岳−T字尾根"の周回ルートで計画していましたが、自宅を出発するのが大幅に遅れた為、途中撤退のつもりで家族へ「ノタノ坂、土倉岳、T字尾根、山は登らずに帰ります。帰りは17:00頃」とメモを残し出発することにしました。
しかし奥さんはそのメモを読んで「山に登らないのだったら、このメモは必要がない」として捨ててしまいます。早速この時点でyucon氏が何処の山に行ったのか誰も分からなくなります。
さらに駐車場へ向かっていると道中、土砂崩れにより封鎖されている箇所があり迂回を余儀なくされ、さらに1時間半ロス。駐車場に到着したのは午前10時半。さすがにyucon氏も少し遅いと感じた様ですが、駐車場で別の登山客1人がこれから登るところを見て安心しyucon氏も登山の準備を進めました。
登山準備を済ませて登山口へ向います、林道の段階で山ヒルを数匹確認しており少し不安を感じながらも薄暗い樹林帯へ入って行って行きます。この沢沿いの樹林帯の道は山ヒルの危険地帯です。しかしyucon氏はアルコール除菌スプレー準備しており、それを駆使し、樹林帯を抜ける間際まで山ヒルの被害は無かったようです。
それから稜線に出てから、しばらく休憩した後、左右どちらへ進むのか悩みました。
というのも方角的には間違いなく左なのですが少し進んでみると"侵入不可のケルン"(※1)があり、さらには明らかに人の手によって木の枝で道が塞がれていたそうです。すぐに戻り右方向へ進むと程なく土倉岳山頂へ到着、御池岳の衛星峰「土倉岳」にとりあえずは登頂成功。時刻は13時頃。
時刻も13時と言う事で、このまま御池岳方面を目指しT字尾根経由で下山することに決めたそうです。
その後、土倉岳を北進し痩せ尾根を慎重に渡り、テーブルランドの端にようやく到達。しかしT字尾根経由で下るのにどれくらいの時間がかかるのか分からず、霧が濃いので長居は無用と決め、直ぐにT字尾根の取付き(※2)を探し始めました。
そしてグリーンのテープがいくつも張ってある取付きを発見し下山を開始します。取付きを過ぎた後一旦は違う尾根に乗ってしまった様ですが、この時はすぐに気が付き来た道を戻りました。戻って注意深く辺りを見るとテープや踏み跡があり、それについて行くと正しくT字尾根に乗ることが出来た様です。
順調に下山は進み、後はT字尾根の突き当たりを左へ進めば山行は終了というところで、
駐車場で見た登山者が反対方向から現れました(以後R氏)
R氏「さっきと同じ所を通ったみたいで同じ手拭い見たので拾ったんだ」
R氏の話しでは、T字尾根の突き当たりまで進み、正しく左へ進んだつもりが道迷いになった様で知らぬ間に戻ってきてしまった様です。そして話しの流れでyucon氏はR氏に同行する事となりました。
R氏はyucon氏よりも5歳以上も年上に見え、装備からも察するにベテラン、会話の中でも「旺文社の登山コースは全部制覇した」との事を言っており、それを聞きyucon氏は完全にR氏を信用した様で雑談に夢中になってしまいました。
...雑談に夢中になった結果、二人で迷ってしまいます。
R氏の提案で、沢へ下りて川を下ろうという事になり、yucon氏も一緒に沢へ降りる事に。しかし沢へ降りている最中5mの高さから滑落、2〜3回転しながら沢へ落ちてしまいます。yucon氏は首からぶら下げていた一眼レフが気になり作動確認をし、正常動作したのを確認し安心したそうです。
R氏は滑落したyucon氏に声を掛けて大事に至っていない事を確認すると先行して沢を下って行きました、そしてまた戻って来て一言、
R氏「出口は滝だ、だめだこりゃ。もう一度登り返して稜線へ出よう。」
yucon氏「(滑落してまで下りたのに稜線へ登り返すのか、夕暮れも近いのに...)」
そう思いながらR氏に従い登り返しましたが、途中、沢から少し登った所で足を滑らし両膝を岩に強打。かなりの痛みで出血もあり、しばらく蹲っていましたが何とか登り始める事にしました。登る途中もかなりの薮漕ぎ(※3)でR氏に若干遅れてしまいましたが何とか付いて行きました。
やっとの事で稜線に出て暫く進んだところで二人で休憩。
ここでyucon氏はバランスパワー(※4)の4本のうちの2本を食べ、残り2本をR氏に勧めましたが遠慮されます。そしてそこでyucon氏は自分には持病があり薬無しでは身体がもたないことを説明しました。
休憩を終えて再び歩きだした直後、R氏のザックから水筒が落ちて斜面を滑って行きました。まだ見える場所で止まったのにも係らずR氏は諦めてしまったそうです。
そして尾根を目指しているのに、なかなか尾根が現れない。R氏も高度計を確認しながら首をかしげる。尾根に出ないどころか勾配は急になるばかり、焦りと不安が募ります。不安に駆られていると進行上に大きな岩がありR氏は右に巻く(※5)、しかしyucon氏は上手く巻けず岩の左側を直進する事に。
ここで彼らは一旦別れてしまいます。
日は暮れて薄暗さが増して辺りを見回してみると、遥か先にボタンブチらしき所が見えたそうで、立ち止まりながらもなんとか上へ上へと登っていくと山頂直下15m程の所に僅かなスペースがあり、そこで一人ビバーク(※6)することを決意したそうです。
山頂からはR氏の呼ぶ声とヘッドランプを点灯させるのが見えたそうです、yucon氏もバーナーを点火させ合図を送ります。R氏も山頂でビバークをする様で、山頂から10m程東の地面にシートを広げて横になっていたようです。
眼下には雲海が広がり頭上には満天の星空。月明かり、星明かりのおかげで全くの闇夜ではなく、さらにホタルの群れが飛び交う今まで見たこともない美しい光景が広がっていたそうです。それと同時に遥か下の雲海からは雨音が聞こえていました。
しかしながら、不安から眠れずに夜明けが来るのをじっと待つしかなったそうです。
【用語解説】
(※1)"ケルン"とは人工的な積み石の事で通常ルートを示す道標や墓標として用いられる。
(※2)"取付き"とは登り始める地点などを指す言葉、アプローチポイント。
(※3)"藪漕ぎ"とは藪をかき分けて進む事。
(※4)"バランスパワー"とはカロリーメイトっぽい携行食、商品名。
(※5)"巻く"とは迂回する事。
(※6)"ビバーク"とは緊急避難的野営
2日目:2012年7月17日(火)
ここでもう一度地図を確認しましょう。T字尾根の途中から道を外れ、沢を登りボタンブチへ進んでしまい、そこでビバークした状況です。
(※「五目釣りと山旅日記」より転載)
http://turi-yama.moo.jp/yama/2015yama/yama150429.html#top
この日は夜明けから登り始める事にしました。幸いにも雲ひとつない青空。ボタンブチ直下はカレンフェルト(※7)で、崩れやすい岩がゴロゴロしている為、R氏にロープを渡してもらい慎重に慎上へ進みました。途中3回ロープを掛け直し、なんとか山頂へ倒れ込みました。
そこには2月にボタンブチ下のゴロ谷で遭難死したN氏の慰霊碑があったそうです(参照元:山と溪谷 2013年 8月号)
しばらくそこで倒れこんでいましたが、今日が平日で会社へ行かなければならないことを思い出して立上がります。
とりあえず家族へ連絡と言う事で、yucon氏の携帯はバッテリーが切れていた為、R氏から携帯を借り自宅へ電話。しかし留守番電話だった為「危機的な状況は脱したのでこれから下山します」とだけメッセージを入れたそうです。
R氏から下山ルートの相談を受け、yucon氏はT字尾根ルートを押します。R氏も反対しません。その時、yucon氏は「R氏はここまで大変なことにしてしまった責任を感じてか私の意見に反対しない」と感じていた様です。
この日の朝は雲ひとつない快晴で迷い様が無い天候だったのですが二人してテーブルランドを彷徨い歩いたものの、なかなか目的のT字尾根の取付きが見付りません。見付からないままその先にある土倉岳の取付きを見つけました。R氏はそのまま土倉岳のコースを押したものの、yucon氏は頑としてT字尾根を押した様です。
その後、やっとの事でT字尾根の取付きを見つけて下って行ったものの、昨夜の雲海の下から聞こえた雨の影響でしょうか、地面はぬかるみ、踏み後は消えてしまっていました。
しかも二人とも会社の始業時間に間に合わせたくて下山を急いでしまいます、さらにこの時点で二人が持っている水分はゼロという状況で、その焦りがミスを誘発。一度下ったルートが間違いであることに途中で気付き登り返したりを何度もする事となりました。
この時yucon氏自身も自分が相当混乱しているのが分かったそうです。
そして事態は思わぬ方向へ。
yucon氏が見えるテープがR氏には見えないという現象が起こり始めます。
脇の石を見ると「T」の字が横を向いて進行方向を指していたので
「ほら、目印があるじゃないですか!こっちへ進めって書いてありますよ」
自信満々で石を指さすyucon氏。
R氏は何も言いません。
しばらくしてまた道が違うことに気付き、
yucon氏「おかしいな、Tの字が横を向いてこっちを指してたのにねぇ」
R氏「いいや、そんな石は無かった」
そんなyucon氏でしたが、R氏も反対意見を言わなかった為、「R氏も自身が狂っていないと主張できる根拠や自信が無いのか強く反対意見を言われない」と感じた様です。
それから、二人はテーブルランドから少し下りたところでモタついていました。yucon氏は体調のこともあり何度もR氏に先行を依頼したものの行こうとしなかった様です。それをyucon氏は「やはりR氏も自信を喪失しているようだ」と感じていた様です。
そしてyucon氏がクマ除けの鈴の様な音が聞こえる為、他の登山者が歩いていると思い声を掛けました。しかし音は近づいてくるものの、その姿は見えない。
何度も叫ぶ。
それをR氏は黙って見ていました。
...しかし結局、その登山者の姿を見る事は無かったそうです。
yucon氏「せっかく道を聞こうと思ったのに!」
それをR氏は黙って見ていました。
その後、yucon氏が長い尾根を下って行ったのにも係らず、R氏は尾根を下らず、留まって様子を見ていたそうです。かなり下った後、尾根違いと分かり急峻(※8)を登り返さなければならず半泣きになるyucon氏。昨晩も殆ど睡眠を取れておらず、その上水分補給も無いこの状況、体力も精神も尽きたのでしょう。
すると遥か上でR氏が正しいと思われるルートを進んで行くのが見えたそうです。
そして、その後R氏の姿を再び見ることはありませんでした。
ちなみにyucon氏は遭難救助され暫く経った後R氏と思われる人物のBlogを発見し、その行動を批判したそうです。R氏と思われる人物はBlog閉鎖、音信不通に。それに対してyucon氏は一言、やはり世の中で一番怖いのは「人間」です。
(参照:外部リンク「yucon氏のヤマレコ-R氏について」)
https://www.yamareco.com/modules/diary/21099-detail-38421
その後も何度もルートミスをしながら、6時間掛けてようやくT字尾根の真中あたりの標高967mのピークに辿り着きます。通常この季節、この天候であれば1時間半で到着するコースです。いや、そもそも実は辿り着いたその場所は標高967mのピークですらありません。随分手前の標高1,010mの場所でした。
標高差100m、水平距離でも100m、6時間掛けてこれしか進めていません。
もはや道迷いでは無く自身の衰弱との戦いです。
そこからのまた幻覚が見え始めルートが分からなくなりました。
親子連れや夫婦の登山者を見える。
さらに東西南北全ての方向に目印があり踏み跡があり他の登山者が進んで行くのが見える。
しまいには国道などにある青色の大きな道路案内板が見えたそうです。
T字尾根最高点から30m程下った所で遂に倒れ込みホイッスルを吹き助けを求める。
何度も何度も吹いて「助けて下さ〜い」と叫ぶが誰も来ない。
遥か上の稜線に人の気配がする。
学生のような登山者がこちらを見ており、少し近寄り掛けて躊躇している。
その影に向かって叫ぶがいつの間にか消えていた。
30分ほどしてT字尾根最高点になんとか戻り、登山道脇に倒れ込んでしまいます。
誰か通りかかったら水を貰おう待つが誰も来ません。
自分が居る事を気付かれないように迂回して逃げていく家族連れの登山者がいる。
他にも夫婦やカップル、父子連れの登山者がいる気配がするが誰も助けてくれない。
その後もホイッスルを何度も吹き「誰か助けて下さい!」と呼び掛けたものの反応は無し。
遠くの物陰からこちらの様子を窺がう気配だけがする。
そうなのだ、全て幻覚なのだ。
連休明け平日のT字尾根に一体何人の登山者が訪れるだろう、一人か二人いれば多い方でゼロの可能性の方が高いはず。
ましてや上級者向けのコースに親子連れなどいる訳が無い。
yucon氏も気が付きました。
15時を過ぎ、脱水症状はさらに進行、「水」への思いは募るばかり。幻覚を見つつも川の音のする方へ降りて行きました。降りている途中で「また登り返すのが大変だ」迷っていると、川岸に水量を計測する機械の制御盤の様なものがあり、係員のような女性が機械を触っているのが見えました。さらによく見ると、手前にも係員達の使っているトイレ(便器だけ)やセンサーの様なものまでが見えました。
(※この係員も記事よって女性1人だけだったり女性1人男性2人だったりする)
「急な沢だが降りて水を飲み、係員に自分の存在を知らせ助けを呼んでもらおう」
yucon氏の中でそういう計画が出来上がり斜面を降りて行く事しました。
木にロープを掛け、下の木まで降りることを繰り返しましたが、ついにはロープを掛ける木が無くなってしまいます。しかし下を覗きこむと美味しそうな水が流れている沢が見えた為、そのまま3m以上の高さから落下。全身が痛みましたが何とか上体を起し川の水を手ですくい口へ運ぶ、その瞬間、yucon氏は身体が生き返るのを実感したそうです。
しかし落下の衝撃で身体中が痛み、もはや崖を登り返すことも出来ません。
時刻も16時半を過ぎており夕暮れは目前です。
この日はもう体力の回復を待って、崖を登り返すのは明日の朝からにしました。
もしかしたら水量計の係員が来るかもしれません。そう思いながら辺りを見回すとさっき機械があったところは、ただの木が生えているだけで、どうやら全て幻覚だったようです。
水分補給出来た事で安心したのか、少し眠ってしまった様です。ふと気が付くとまだ幸いにも明るかったものの、寝ている間に顎と首筋の間にヒルを刺されていました。慌ててヒルを剥がしたものの出血は止まらず、タオルで止血しつつも完全に暗くなる前にお湯を沸かしラーメンを食べる事にしました。残る食料はマッシュポテトのみです。
そうしている間にあっと言う間に日は暮れます。
ここは谷間の沢、昨夜のボタンブチとは違い、真っ暗です。
深夜谷底から稜線を見上げると上に人の気配を感じたました。しかもそれは捜索隊で自分を見つけてくれた様です。こちらの存在をアピールする為ガスバーナーを点火し叫びながら、明日の救出を楽しみにそのまま寝てしまいました。
【用語紹介】
(※7)"カレンフェルト"とは石灰岩が林立した地形の事
(※8)"急峻"とは傾斜が急で険しい場所の事
3日目:2012年7月18日(水)
この日、yucon氏は昨夜見た捜索隊が来てくれるのを、ただひたすらに待つ事にしました。
しかし夕方頃、深夜の捜索などあり得ず、昨夜の捜索隊は幻覚だった事に気付きました。
そしてバーナーのコックが開きっぱなしでガスが空になっている事に気がつきました。
そしてこの日yucon氏の家族が捜索願を提出。午後から捜索が開始される。
4日目:2012年7月19日(木)
朝起きると、また救助隊が来ると言う幻覚が始まっており何もせず待つ事にしました。
上流の方で声が聞こえました。
やっと救出部隊が来たような気配がします。
しかし一向に救出活動が進みません。
正午を過ぎ少し不審に思いましたが上流の方から相変わらず声が聞こえてきます。
何か作業を進めているように感じました。
気が付くと15時。
上流の声が聞こえる場所へ行くと誰も居らず、
また全て幻覚だった様です。
夕暮れになり横になると手首を山ヒルが這っていました。
既に両手は10ヵ所以上ずつ刺されていました。
5日目:2012年7月20日(金)
この日ついにyucon氏は自力脱出を実行を決意しました。
ここでまた地図を確認してみましょう。
yucon氏はT字尾根の途中から南に逸れてしまい小又谷にいるものと勘違いをしていました。そして、そのまま沢を下れば川と合流して川を下れば出られるものと考えていた様です。しかも手持ちの地図を見ると間に堰堤や滝がある様に記されているのは分かったそうですが、きっと高低差は少ないものだろう、そして明日には確実に帰れるだろうと楽観的な予想で沢下りを決行する事にしました。
出発前、最後の食糧のマッシュポテトを沢水で溶き半分食べます。
沢を下って行くと高低差20mはあろうかという滝にぶつかり、進めなくなります。
(※この滝に関してもBlogでは20m、ヤマレコでは50mと表現されており、どちらが正しいかは謎です)
(※これが実際のその滝を後日撮影したものらしいです)
いっその事このまま飛び込もうか迷っていると雨が降り始め正気に戻る事が出来た様です。
その雨は夜まで続き、落石や鉄砲水の危険性から中州で一夜を過ごす事にしました。
深夜、真っ暗な中yucon氏が居る所にも水が流れてきました。もう座ったところから一歩も動けない、もしかすると中洲も水の流れで削られており一歩横はもう激流の中かもしれない。そう思うと一歩も動けなくなったそうです。尿意を催したものの、もし立ち上がって沢に落ちれば終わりという不安から一歩も動かず尿はその場に垂れ流したそうです。
5日目:2012年7月21日(土)
雨は早朝に上がったものの身体へのダメージは相当のyucon氏。雨が上がった後すぐに眠り込んでしまいます。
起きた後、遂に地図とコンパスを準備し再度自分のいる地点を割り出すと現在地はT字尾根の北側に位置するゴロ谷と判明。それまでずっと反対側の小又谷と思い込んでいました。
そして昨日作ったマッシュポテトの残りを腐っているとわかりながらも食べたそうです。
今まで食べた中で最も不味い食べ物だったそうですが何かしら摂取しなくては身体がもたないので我慢して口へ運んだとの事です。
そしてyucon氏の身体に衝撃的な異変が、以下yucon氏のコメント。
そういえば最近股間がむずむずしている。
恐る恐る肛門付近を見ると自分の肛門から次から次へとウジ虫が出てきている。
どうやら自分の腸内で卵からかえり肛門から出ていくようだ。
出口がないと気に入らないのか股間の皮膚に噛みついて暴れるのでとても痛い。
沢の水の中に卵がありそれを飲むことにより体内でふ化するようだ。
これも鹿の糞が媒体となっていて鹿の増加が関係しているのか。
思案を重ねた結果、沢を下るのではなく、稜線まで上がれば誰かに会えるだろうという考えで尾根まで上がる計画を立てました。しかし12時過ぎから出発し比較的勾配の少ないガレ沢から取付き慎重に登って行ったもののかなり衰弱していたのでしょう、8割進んだところで日没を迎えてしまいます。
斜面途中の木の根周辺にスペースを見つけ木に跨る姿勢で夜を迎える。
この夜はどこからかテレビの音声が聞こえてきたので呼び掛けをしたそうです。するとカサカサとサンダル履きで駆け寄ってくる音がしたので、警察へ連絡をお願いをしたところ近くで電話を掛けているような会話が聞こえてきたのでお礼をしたそうです。
深夜寝ぼけて足を踏み外し落下、たまたま触れられた木の枝に掴まり止まったが、足は完全に宙ぶらりん。微動だに出来ない姿勢で一晩過ごし小便はまた垂れ流しだったそうです。
6日目:2012年7月22日(日)
朝起きると、なんとかまだ木の上でした。
この日も頭の中では救助隊がこちらに向かっているという状況が出来上がっていました。
ほんの少し上の尾根の方からもいろんな人の声が聞こえ辺りがざわついていました。
近所のおじさんの声、飼っている犬の声、聞き慣れた声がたくさん聞こえます。
そんな雰囲気の中yucon氏は木の上で安心して待っていました。
昼頃のどの渇きを訴えるとお茶を用意してくれると言われます。
yucon氏は楽しみにして待っていたものの、お茶も出ないし救助も来ません。
気付いた時は既に遅く13時半。
沢から持ってきていた水ももう空です。
そしてもう一度沢まで降りたらもう登り返せないのが分かります。
しかし諦めかけたその時、下の沢から声が聞こえてきました。
しかもyucon氏の名前を呼んでいました。
こちらからも叫んだものの声が届かないので滑り落ちるように下りました。
半分程降りた所でコッヘルで叩き大きな音を出してから投げ落としたりもしました。
一眼レフカメラも投げました。
望遠レンズも投げました。
それでも下の人には気付いてもらえません。
残り3分の1のところでザックも投げ落としました。
yucon氏は半ばヤケクソ気味に飛び降り様としました。
すると会社からも捜索に来てくれているのか同僚の女性の声が聞こえます。
「川崎さんの為にここにジュースを置いていこう」
(※川崎とはyucon氏の本名)
それを聞きブレーキが掛けるyucon氏。
「死ぬまでに彼女が置いて行ってくれたジュースを飲もう!」
そう決意したものの、2m程滑落、途中でメガネも紛失してしまいます。
沢に降りられたものの全く動けなくなりました。
もちろん下には誰もおらず、全て幻覚でした。
辛うじて這い蹲り沢の水を飲んでいると、
川の向こうに親子の3人連れと中年男性が見えました。
「三途の川か」
そうyucon氏が呟くと川の岸辺に先程のジュースが見えました。
しかし少しでもジュースに近付こうとするものの、たった数cmも進みません。
川の向こうの人達が楽しそうにしているのが見えます。
そしてラジオ放送が流れていて野球中継を放送が聞こえます。
yucon氏は後一日は死なないだろうと計算をしていましたが、肛門からはウジ虫が誕生し続けており、全身山ヒルの噛み跡だらけ、脇腹もムカデにやられているこの状況を感じ、眠ったら二度と目が覚めることは無い様な気がしたそうです。
救出
2012年7月23日(日)のこの日は三重県山岳連盟の救助隊が前日から捜索を行なっており、そのうちの一班がボタンブチからN氏(上述した過去の遭難者)の遭難地点を経てゴロ谷に下りるルートを捜索していました。
16時ごろ登山者から遺留品が見付かったとの連絡が入った為、その方面に向かう事になりました。
そしてついに17時40分頃、yucon氏の最後の力で振り絞って振った手を隊員の一人の女性が捕らえました。
その時は突然やって来た。
人の気配がする。
久々に人間の気配だ!
2人程の人影が見える。
最後の力を振り絞り手を振る、声にならない声を振り絞る。
一人が近づいてくる。
女性だ。
「遭難してます。川崎と言います。」
女性は驚いた表情を見せ「生きてる!よかった!」と叫んだ。
歓喜の声と一緒に複数の人が来るのがわかった。
「水を下さい!」
アクエリアスを一口貰った。
これはyucon氏の人生の中で一番美味しい飲み物だったと謳っています。
さっきまで川の向こうに居た人たちの姿はどこにも見当たりません。
岸辺にあったジュースも探してもらいましたが見当たりません。
しかしyucon氏の中ではまだ半信半疑でした。
もしかするとこれも幻覚かもという疑念が振り払えません。
「川崎さん!」と呼ぶ声に目をやると色黒の精悍な男性が居ました。
彼はヤマレコ仲間でyucon氏が師と仰ぐToshiという人物でした。
(※yucon氏のBlogから転載、足元の男性がToshi氏)
そして、18時55分、時間ギリギリだったものの県防災のヘリで搬送してもらえる事となり救助となりました。
★今回は一旦ここまで
あまりにも記事が長くなりすぎた為、今回はここまで。
この遭難記を読むと結構最初の方から「あれ?」ってところありますよね。オカルトっぽい要素もありつつも多くの間違った行動をしていたのが分かりましたか?次回はそういったところを中心に解説をしていきたいと思います。
それでは皆さん良いアウトドアライフを!それでは、また!
https://hagarie.naturum.ne.jp/e3087346.html
▲△▽▼
伝説の遭難者yucon氏の体験について(2) 2018年06月10日
https://hagarie.naturum.ne.jp/e3088762.html
今回は先日の「伝説の遭難者yucon氏の体験について(1)」の続きで、yucon氏がなぜ遭難してしまったかを考察していきたいと思います。
★パーキンソン病の登山の是非
yucon氏はパーキンソン病です。当時ネット上ではyucon氏に対して「パーキンソン病なのに山に登るな」と言う意見を目にしました。賛否はあるかと思いますが私も全くの同意見です。パーキンソン病は「手の震え・動作や歩行の困難など、運動障害を示す、進行性の神経変性疾患」だそうで、そしてyucon氏のヤマレコやBlogを読む限り軽度では無い様に読めます。その状態で山へ臨む事が間違いだと私は思います。そういった方がどうしても山に登りたいのであればロープウェイ等で山に登れば良いのでは無いでしょうか、もちろんロープウェイ等無い山は登れませんが、それは仕方ない事でしょう。
山、というかアウトドアでは普通の暮らしに比べ自己責任の面が凄く大きいです。なので病気なのに山を登るなら何かあっても全て自分で対応出来る準備をして、もしもトラブルに遭遇しても自分で対処し、他者に迷惑を掛けるな。と言いたいです。
しかし、そんな事を言っている私も人間ですからね、実際に登山の最中にトラブルに見舞われている人達を何度も見掛けた事ありますが「自分で対処しろ馬鹿野郎!」なんて一切思えませんでした。自己責任の世界だからこそかもしれませんが、そして自分自身に余裕があったからかも知れませんが、どうしても助けられずにはいられませんでした。自分の水分を分けたり、ファーストエイドキッド中身を分けたりしてしまいました。きっと多くの人は私と同じ行動を取るでしょう。しかし、それは私自身のリスクを上げる行動です、その他人を手助けしたばかりに後々自分が行動不能になり死亡してしまうリスクすらあります。それを傍から見たら、私自身が自らリスクを高め死に至った馬鹿野郎という事になるでしょう。
病気や障害を持って登山をしている人は逆を考えてください。「好きな登山で死ぬなら良い」と考えているかもしれませんが、それは自分善がりの考えで回りはそうは思いません、周辺の登山者へ大きなリスクを振り撒いていると自覚してください。私が登山を止めた理由も病気によるものです。止める時も山は好きだったし症状を薬で抑えれば登れない事はありませんでしたが、周囲の登山者にリスクを振り撒くという事が理由で登るのを止めました。一応もう症状が出ない状態が何年か続いて病院からも登山OKが出ているので、現在、少しづつ軽登山で練習を始めているところです。
病気や障害という特殊な環境なので一般人は理解しづらい事もあり、そういった事で指摘を受けると「そうか、これは差別になるのか」と思ってしまいますが、これはあくまでも"区別"であって"差別"ではありません。分かり易くもっと身近な話しに置き換えてみましょう。
例えば、全くお酒の飲めない人がいるとします。彼が「皆お酒を飲んで楽しそうにしている、私は全くお酒を飲めないけど、それでもお酒を飲んで楽しくなりたいんだ!」と言い出したとしましょう。周囲の人は急性アルコール中毒のリスク等を考えそれを止める事でしょう。それに対して誰も「差別だ!」なんて思いませんよね?そして彼が「じゃあ、一人で飲んで勝手に死ぬから良いよ」と言い出したとしましょう。飲み会の席で。そんな人が居たら迷惑以外の何者でも無いですよね。
厳しい事を言う様ですが、見えているリスクは回避するべきです。自分も周りも。
★幻覚症状について
今回の遭難事故をややオカルト気味にしている幻覚症状ですが、これはyucon氏の患っているパーキンソン病が関係するかはわかりません。遭難をして極度の水分不足や、ハンガーノックと言われる極度の低血糖状態に陥ったり、また緊張状態が続き過度なストレス、睡眠不足等に晒されると病気の無い健常者でも、幻視や幻聴と言った幻覚症状が現れます。それも極短時間で症状が出始めたりもするそうです。
こういった幻覚症状は山岳経験が長ければある程度は自己判断が出来るとも聞きますが、ベテラン登山家でも幻覚に陥って遭難してしまう事がありますので、これは病気や経験とは全く別に個人の精神耐性の様なものがあるようです。幻覚というのは健康状態の我々が見れば明らかな幻覚症状でも、本人はそれを幻覚と気付けません、よく例えられるのは夢の中に居るような感覚だそうで、どんな不自然な状況や現象でも、それが変と思えないそうです。
また、幻覚の他にも精神の柔軟性や開放性、効率性が損なわれ意味不明な「極端な強いこだわり」が出てきたり、本人でも分からない「記憶の改竄」が発生したりするそうです。
★遭難時の装備等
yucon氏の装備は以下の通りです。
装備:
・食糧(カップ麺、マッシュポテト2人前、バランスパワー4本)
・飲料水(ハイドレーション2ℓ、炭酸ジュース500ml、水500ml)
・野球帽、モンベル半袖ジップアップシャツの下にナイキドライフィット長袖Tシャツ
モンベルパンツ、アンダーにメンズタイツ。
・バーナー、コッヘル、ガスボンベ、
・25,000分の1地図、山と高原地図、コンパス、ホイッスル
当日忘れた装備類:
・雨具、ビニールシート、ツエルト、バックライト付きリストウォッチ、ヘッドランプ、GPS
装備、特に食料と水に関しては初心者向けの低山であればこれで問題無いでしょうが、御池岳は中級者向けの山ですのでこれでは少ない様に感じますね。
また、当日忘れた装備類があまりにも酷すぎます、準備を怠りすぎです。特にレインウェアとヘッドランプを忘れているのは致命的で、これが無いのに気が付いた時点で撤退した方が良いレベルの忘れものです。さらに、書かれていませんがヤマレコの他の記録等を読む限り、彼は他の山行を含め元々ファーストエイドキッドを持っていなかった様です。持病があるのにも係らず油断し過ぎています。
★山行での問題行動
病気や装備の準備段階で既に多くのリスクを抱えた状態ですが、山行そのものにも多くの問題がありました。
地図
https://hagarie.naturum.ne.jp/e3088762.html
1日目:2012年7月16日(月)
まず、yucon氏は"土倉岳−御池岳−T字尾根"というルートを計画していましたが、何らかの原因で家を出る時間が大幅に遅れ"土倉岳−T字尾根"に計画をし直しています。さらにyucon氏的には御池岳に登らない事ので"山には登らない"という思いがあり家族へのメモにも「ノタノ坂、土倉岳、T字尾根、山は登らずに帰ります。帰りは17:00頃」と書いたのでしょうが、その他のルートも山道ですからね、最早言い訳レベルです、家族がそれを見て「山に登らないのだったら、このメモは必要がない」と判断したのも頷けます。
そして更に山へ向かっている道中が土砂崩れにより封鎖されており迂回してさらに時間を大幅にロス、登りはじめが10時半。これも遅すぎますね、他の登山客を見たからと言っても、山行計画をまた変えるべきでした。
次に林道を歩いている時に、ご機嫌な感じで山ヒル対策にアルコール除菌スプレーを使っています。これは持ち物リストに書かれていなかったアイテムなので詳しくは分かりませんが、アルコール除菌スプレーという事で70~80%のアルコールです。このアイテムは今後登場しませんが封を開けた食品の殺菌や着火や燃料としても非常に有効だった事でしょう、凄く勿体無く感じます。
それから稜線に出てから、左右どちらへ進むのか悩み、「方角的には間違いなく左なのですが少し進んでみると"侵入不可のケルン"があり、さらには明らかに人の手によって木の枝で道が塞がれていて、すぐに戻り右方向へ進むと正解だった」と謳っています。この感じだと地図もコンパスも使っていないで己の感覚で左と決め付けている気がします、山で道に迷ったら必ず地図とコンパスです。経験や感というのは間違いの元になってしまいます。
その後yucon氏はテーブルランドに到着、T字尾根経由で下るのにどれくらいの時間がかかるのか分からず、直ぐにT字尾根の取り付きを探し始めます。彼はT字尾根経由で下るのにどれくらい時間が掛かるか分かっていません。この事から山行計画自体が下調べ不足で最早これは計画と呼べないレベルだった事が伺えます。
★ R氏との出会い
その後yucon氏は道に迷ったR氏に出会いますが、当時ネット上では「そもそもR氏が幻覚」という議論が交わされていました。もしそうであったら恐怖そのものですよね。私の個人的意見としては、さすがにR氏は存在したし、出会ったものと思います。しかしR氏の言動はyucon氏が遭難している間の危機的状況下の被害妄想により記憶の書き換えがあったのではないかと感じます。そしてyucon氏が後日見つけたR氏のBlogに関しても、果たしてそれが本当にR氏のものだったかは疑問があります、記憶は無意識に改竄されてしまいますので。
R氏に会ってからもyucon氏は地図とコンパスで現在地とコースの確認を行なっていません、R氏を信用したと謳っていますが、そもそもR氏は道に迷った状態で会っていますから、本来であれば現在地とコースの確認は必須なのですがそれを怠ってしまっています。そしてそのまま二人で迷ってしまい、さらにR氏の指示で沢に降りる事になりますが、「沢に降りるのは悪手」というのは登山の基本です。誇張はあるにしろベテランであるR氏が果たしてそんな提案をしたのでしょうか。まだ精神も体力も疲弊しきる前ですからそれは考えづらいと思います。特にR氏の指示等で無く二人で知らぬ間に沢に迷い込んでいたと考えるのが自然でしょう。
そして沢に降りる際、yucon氏は5mの高さから滑落、2〜3回転しながら沢へ落ちてしまいます。しかし自身よりも一眼レフカメラを心配したり、また思いの外R氏のリアクションが薄い事から5mというのも疑わしいです。
その後、稜線まで上り返し休憩した際、yucon氏が持っていたバランスパワーという携行食を4本中2本をyucon氏が食べ、残り2本をR氏に勧めたものの遠慮されます。この残ったバランスパワー2本も最後まで触れられる事はありません、行方が気になるところです。
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そこでyucon氏は自分には持病があり薬無しでは身体がもたないことを説明したそうです。そんな身体なら薬携帯しておけよ!という話しです、私がもしもR氏なら、準備不足な病人を助ける事にリスクと責任を感じてしまい「逃げる」という選択肢が頭をチラつくと思います。
休憩を終えて再び歩きだした直後、R氏のザックから水筒が落ちて斜面を滑って行きました。まだ見える場所で止まったのにも係らずR氏は諦めてしまったそうです。元の記事を読むとこれをyucon氏が疑問に思っていますが、これはきっとR氏のその水筒は空だったか、見えているだけで取りに行けない場所だったのは無いかと思われます。
その後、尾根を目指す最中、進行上に大きな岩がありR氏は右に巻き、yucon氏は上手く巻けず岩の左側を直進する事になりますが、これもよく分かりません、何故無理をしてでも付いて行かなかったのでしょうか、既にまともな判断は出来なかったのかも知れませんが、先行者の後をついて行くのを半分放棄しています。その後yucon氏は山頂直下15m程の所の僅かなスペースで一人ビバークすることを決意し、R氏も山頂でビバーク。R氏のヘッドランプの点灯の合図に、ヘッドランプを忘れたyucon氏はガスバーナーを点火させ合図を送ります。これガスバーナーを点火させる必要があったのでしょうか...。そして何よりもそこはお互いの声が届く範囲なので、ここで本来であれば救助要請をお願いするべきでした、ここまでの工程を見返しても遭難以外の何者でも無いですので。
https://hagarie.naturum.ne.jp/e3088762.html
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伝説の遭難者yucon氏の体験について(3) 2018年06月12日
https://hagarie.naturum.ne.jp/e3089714.html
★山行での問題行動
1日目、道迷いのR氏と出会い、そのまま一緒に遭難し、T字尾根の途中から道を外れ、沢を登りボタンブチへ進んでしまい、そこでビバークした状況です。
地図
https://hagarie.naturum.ne.jp/e3089714.html
2日目:2012年7月17日(日)
yucon氏はビバークしたものの不安からか夜眠る事は無く、夜明けから崖を登り始める事にしました。この時もR氏はyucon氏を見捨てる事無くロープを渡し救助を行なっています。通常の登山で人を支えられる強度のロープを何mも持っている人はベテランでもそう多くは無いと思います。R氏はそこまでの準備をしていながら何故この状況で救助要請をしなかったのでしょうか。逆にそこまでの装備を持っていたから「自分は助かる」という自信があったのでしょうか。
そして、崖を登り切りまず思った事が「今日が平日で会社へ行かなければならない」という事だったようです。私もサラリーマンとして思い当たる節はありますが、この段階でyucon氏的には「もう遭難から自力で脱した」と思ったのでしょう、正規の登山ルートに復帰出来たので、これは分からなくは無い事ですが、道に迷った後に正規の登山ルートに復帰し、また直ぐに道に迷うというのは比較的多い事故例です。体力や精神を磨耗した状態では正しいルート判断が出来ずルートを外れ易い為です。もしも皆さんも遭難を経験する事があれば注意してください。
その後、自宅に電話を掛けますが、その際もyucon氏は携帯電話のバッテリーを切らしてしまっておりR氏に電話を借りる事になりますが、山岳での携帯電話は「緊急時に救助を呼べる」というかなり重要な役割を果たしますので予備のバッテリーを用意したり、必要以外は電源を切ったり、機内モードにし、バッテリー切れにより携帯電話が使用出来なくなる事態を避けなければなりません。yucon氏はそれを怠ってしまっていた様です。
少し余談とはなりますが、yucon氏が遭難した当時よりもスマートフォンの普及率が大幅に進んでいる現在では特にそれが重要です。yucon氏が遭難した当時、登山用GPSナビは非常に高価でなかなか買えるものではありませんでしたが、現在ではそれらを凌ぐ高性能、多機能なアプリケーションが簡単にスマートフォンで利用出来ます。これらをしっかりと活用出来れば、遭難防止に大いに役立ちます。本当に良い時代になりましたね。
話しが少し逸れてしまいましたが、R氏から携帯電話を借りたyucon氏は自宅へ電話し留守番電話にメッセージを残します。しかしyucon氏自身も後から反省していましたが、ここで「危機的な状況は脱したのでこれから下山します」とだけメッセージを残して、現在地や現在の状況、下山ルート等何も連絡しなかった様です。ここでそれらを言えていれば今後の展開が大きく変わったことでしょう。非常に残念です。
そして、ここで少し疑問なのですが、yucon氏の自宅へはR氏の携帯電話で掛けているので、R氏の番号が残っていますよね?遭難3日目、家族が救助要請した際に、留守番電話の記録からR氏に連絡が行かなかったのかな?と。もしR氏に連絡が付いていればもっと早い救助に繋がったのではないでしょうか。
それから下山する事となりR氏から下山ルートの相談を受けたyucon氏はT字尾根ルートを押します。一度(R氏は二度か?)遭難したルートです、またそのルートに挑戦するのはリスクです、ここは登りで通った土倉岳ルートで下山するべきですね。しかもそれをR氏は反対しません。その時、yucon氏は「R氏はここまで大変なことにしてしまった責任を感じてか私の意見に反対しない」と感じていた様ですが、実際には二人とも判断力が極めて低下していたのでしょう。
この日の朝は雲ひとつない快晴で迷い様が無い天候だったのですが二人してT字尾根の取付きが見つけられず、T字尾根の取付きのさらに先にある土倉岳の取付きを見つけました。R氏はそのまま土倉岳のコースを押しました。ここでR氏に従い土倉岳へルートを進めていれば結果は違ったのでしょう。しかし、yucon氏は頑としてT字尾根を押したそうです。これは「伝説の遭難者yucon氏の体験について(2)」でも述べた、意味不明な「極端な強いこだわり」でしょう。
そしてやっとの事でT字尾根の取付きを見つけたものの、雨の影響で、地面はぬかるみ、踏み後は消えてしまっていました。遭難したルートで、尚且つそんなコース状況なら引き返すのが普通ですが、二人は引き返す事はありません。二人とも会社の始業時間に間に合わせたくて下山を急いで事もあり、引き返す気はもう無かったのかも知れません。その後も焦りからコースを何度も外れてしまいyucon氏自身「自分が混乱している事が分かった」と語っている事から相当だったものと読み取れます。ここでも地図とコンパスを使うべきだったのでしょうが、もはやそんな冷静な判断は出来なくなっていたのでしょうね。
極限状況に陥ると慣れない行動は出来なくなります。その為に普段から地図とコンパスを使う練習をして癖を付けておくしかありません。
ルートミスを繰り返したせいでしょうか、ついにyucon氏が幻視を見始めます。しかし、それに対してR氏は無言です。色々の人の遭難記でパーティメンバーが幻覚を見始めた人のコメント等を読むと、言い知れぬ恐怖で、やはり言葉を失うそうです。そしてもしかして自分がおかしいのかも?と疑心暗鬼になり、精神不安→パニックへ陥ったりしまいます。yucon氏も指摘している通りR氏もそういう状態になったのでしょう。
そしてyucon氏は何度もR氏に先行を依頼したものの、R氏は拒否し続けた様です。それに対して「やはりR氏も自信を喪失しているようだ」と感じていた様ですが、もしも、あなたがR氏の立場だったらどうでしょうか。自分は比較的安全なルートから下山したいのに、リスクのあるT字尾根ルートを強く押され、その結果、ルートを幾度と外れ、自分自身も精神が磨耗し切った状態で、その相方は幻覚が見え意味不明な事を言ったり、見えない何かに叫んだりしています。さらに言えば彼は病気を持っており、薬が無ければ身体を保て無いのにその薬も持っいません。ましては赤の他人です。私なら自分が助かる為に「見捨てる」という選択肢を取らない自信はありません。そうなれば期を見て逃げる為に、先行を依頼されても拒否し、yucon氏が幻覚を見て、戻れないくらい沢まで降りたタイミングで逃げ出します。R氏もそういう状況だったのでは無いかと考察します。
・・・R氏はyucon氏が遭難する事を確証したでしょう。でもそうすると下山後に通報しないのも不可解です。遭難記を読み返してみるとR氏の言動は土倉岳取付きを拒否されyucon氏に強くT字尾根ルートを押された辺りからおかしくなっています。もしかしたらR氏とはそこで別れ、幻覚でR氏を見ていたか、無意識に記憶が改竄されてしまったかも知れません。
R氏と離れた後、yucon氏は6時間掛けてようやくT字尾根の真中あたりの標高967mのピークに辿り着きます。通常この季節、この天候であれば1時間半で到着するコースです。そもそも辿り着いたその場所は標高967mのピークですらなく、随分手前の標高1,010mの場所でした。ここでさらに幻覚が酷くなり、さらに「国道などにある青色の大きな道路案内板」等の登山路に絶対に存在しないものまで見えてきてルート進行は不可能なものになります。
さらに水を求め沢に降り、機械を触る係員が見えたり、その係員が使う便器だけのトイレが見えたり、現実離れした幻覚が見えてきます。幻覚とは本当に怖いもので、現実と夢が混ざり合った状態です、夢の中でおかしな事があっても気が付かないように、幻覚でもおかしなことがあっても分かりません。そして自分の中で設定を作り上げ、それを信じてしまいます。そこまでの状態に陥ると単独での回復は不可能でしょう。もちろんこの症状は健常者でも極限状態に追い込まれると発生してしまいます。
沢の水を飲み、少し寝た後に山ビルに刺されているのに気が付きます。もはやそんな気力は無かったとは思いますが、もしもここで得意のアルコール除菌スプレーで山ビルを撃退していたら、後のガス切れの際にアルコールを燃やすという案が出たかもしれません。そしてラーメンを食べます。残る食料はマッシュポテトのみです。一日目にR氏に遠慮されたバランスパワー2本はどうなったのでしょうね。yucon氏の記憶からも脱落しています。
そして夜。アウトドアでマットを使わずに寝た事があれば分かると思いますが、身体中が痛くなりますよね。しかもyucon氏が倒れているのはゴツゴツの岩だらけの沢で、前夜もボタンブチの岩棚で、今日は一日歩きっぱなし、山ビルにも吸い付かれ身体は限界でしょう。そして月明かりも届き難い沢の底。人工物に守られていない場所で視界が殆ど無いという状況はかなり精神を消耗します。そして既に幾度と無く幻覚を見るような精神ですから精神も限界でしょう。
深夜yucon氏が谷底から稜線を見上げると人の気配を感じたました。しかもそれは捜索隊で自分を見つけてくれたと感じた様です。こちらの存在をアピールする為にまたボタンブチの時と同様にガスバーナーを点火し叫びながら。ここまで身体も精神もボロボロなので、もう何も言えませんが本来であればガスバーナーの点火による合図は意味が薄く、さらにガスを悪戯に減らしてしまうだけです。装備品リストには「ホイッスル」があったのでそちらを使うべきでしたね。またカップラーメンを食べ回復した時にガスバーナーを用いて焚火を起こしていれば良かったのかも知れません。
少し話しが逸れますが、遭難時に焚火を行なうと煙や、夜間なら焚火による明かりにより発見される確立が飛躍的に上がります、また焚火はパニック症状を和らげる働きがあります。是非皆さんも山で遭難したら焚火に挑戦しましょう。
3日目:2012年7月18日(水)
yucon氏はもう限界を迎えた様で救助隊が来る幻覚に苛まれ一日が終わってしまいます。そしてさらにガスが空っぽになっている事に気が付きます、きっと精神的に大きなダメージがあった事と推測できます。
そしてついにこの日、yucon氏の家族が捜索願を提出。午後から捜索が開始されます。もしも、1日目のまだ身体も精神も壊れていない時にyucon氏自らが救助要請していればここまでは事態は悪化していなかったでしょう。
4日目:2012年7月19日(木)
この日も救助隊が来る幻覚に苛まれ一日が終わってしまいます。何もしないにしても薄暗い沢よりも、少しでも開けた場所に移動出来ればヘリコプターから発見される可能性は高まります。遭難した時は開けた場所へ。
5日目:2012年7月20日(金)
この日、遂にyucon氏は自力脱出を実行を決意しました。地図を確認、やはりここでもコンパスを使わない為、現在地を勘違いしてしまいT字尾根の北川のゴロ谷に居るにも係らず、南側の小又谷にいるものと勘違いし、さらにそのまま沢を下る選択をしてしまいます。そして地図を確認し滝や堤防があるのにも係らず、「きっと高低差は少ないものだろう」「そして明日には確実に帰れるだろう」と楽観的な予想で沢下りを決行する事にしました。しかしやはり滝にぶつかり進めなくなります。
そして、雨が降り始め、落石や鉄砲水の危険性から中州で雷雨の一夜を過ごす事にしたそうですが、中州は鉄砲水が来た場合、非常に危険な場所なので避けるべき場所ですが、yucon氏としては両岸の崖下は落石のリスクがあり避けた様です。
5日目:2012年7月21日(土)
気になっていましたが、
yucon氏のBlog
http://yucon.hatenablog.com/entry/2012/07/28/030725
を見ると5日目が何故か2回ありますね。そもそもこの遭難劇は「7月16日〜22日の6日間の遭難記録」と謳われていますが、
1日目:7月16日(月)・・・R氏との出会い→遭難
2日目:7月17日(火)・・・R氏との別れ→沢に降りる
3日目:7月18日(水)・・・沢で幻覚に苛まれる、家族が救助要請
4日目:7月19日(木)・・・沢で幻覚に苛まれる
5日目:7月20日(金)・・・沢から脱出→失敗→雨に打たれる
6日目:7月21日(土)・・・沢から脱出→途中で夜になる
7日目:7月22日(日)・・・沢にまた降りる→救助
7日間の遭難劇では?
この日、遂にコンパスと地図を使用し現在地を正しく認識します。そして稜線まで上がれば誰かに会えるだろうという考えで尾根まで上がる計画を立てました。コンパスも使用しているし、稜線に上がるのも正しい判断です。しかし、もう体力を失い過ぎていた為その日中には稜線に上がれませんでした。
そしてこの日、それとは別にyucon氏は自分の肛門からハエの幼虫が這い出してきているのを見ています。これはこの遭難劇をより悲惨なものと印象付けるエピソードで、当時ネット上では「そんな事ありえない、幻覚だろ」と言われていましたが、救出後の入院中に看護師の方も確認しているのできっと事実でしょう。(参照:yucon氏のBlog)
6日目:2012年7月22日(日)
この日、また幻覚に苛まれ、yucon氏は全ての荷物、メガネまでも失いながら沢に落下。そして救出です。
特にここは考察が入る隙間は無いですね、幻覚が怖いとしか思いません。そしてギリギリのところで救出されるという強運の持ち主だな。という感想です。
★今回の遭難から見える精神状況
今回の遭難を見ると「ベテランっぽい人と居るから安心」という思いや「多分大丈夫だろう」という思いから遭難に陥る、いわゆる"楽観主義遭難"です。これは自らの願望などから非合理な楽観的思考を起因とした"認知バイアス"という心理効果による遭難です。今回はその認知バイアスについて幾つか紹介します。
正常性バイアス
これは東日本大震災の際でもよく言われたものですので知っている方も多いと思います、これは本来、日常生活の小さなトラブルから精神を守る機能で、想定外の事が起きた時に想定内と誤認する心理傾向です。
遭難時に正常性バイアスが働き過ぎると「大した山では無いので大丈夫」「自分だけは大丈夫」という心理になり救助要請を遅らせる原因になります。
確証バイアス
これは先入観に一致する情報だけを受け入れ、都合の悪い情報や矛盾が生じても目を瞑り、さらに思い込みを強化していく心理傾向です。遭難時にこの確証バイアスが働き過ぎると「自分は地図上のココに居るはず」という強い思い込みでコンパスも使用せず、現在地を誤認し、道迷いを起こしてしまいます。
集団同調性バイアス
これは集団に依存し集団と異なる行動を取り難くなる心理傾向です。特にこれは良くも悪くも"空気を読む"事に長けた日本人に多く見られるバイアスだそうです。集団同調性バイアスが働き過ぎると、一人では引き返す様な難所でも、他の人達が進んで行くのを見ると自分が実力不足と分かっていても同じルートを進んでしまい滑落等のトラブルを引き起こします。
埋没費用の偏見よる判断ミス
これは、これまでに費やしたコスト(労力、時間、費用等)に思考を左右され、合理的な判断が出来なくなってしまう心理状況です。これは遭難時良く見られるもので「もしかして道迷いかも」と内心焦っていながらも「ここまで歩いた労力が無駄になるので、引き返したくない、きっとこのままでも何とかなる」と思考し来たルートを戻れなくなる心理です。
現状維持バイアス
これは変化によって得られる可能性があるリターンよりも、それにより失う可能性のあるリスクに対して、過剰に反応してしまう傾向です。上記の「確証バイアス」や「埋没費用の偏見による判断ミス」と合わさり間違ったルートに内心気が付いていても引き返せなくなります。
★楽観主義遭難を防ぐ為に
上記は認知バイアスの一部ですが、登山ではそれらが働き合理的な判断が出来なくなると認識してください。そして多くの人は「自分はそこまで認知バイアス働かないだろう」という認知バイアスが働いています。普段からバイアスを意識し、自分の行動を疑う様にする事が大事になります。
そして楽観主義の逆、悲観主義行動を実行する事が大切です。悲観主義行動とは「もしかしたら」「かもしれない」「念のために」と言った様な行動をする事です。
認知バイアスを知り、悲観主義な準備が出来たら次は正しいタイミングで、正しい判断を行なう事を意識します。ルートを外れたと感じても引き返さず進んでしまうと色々なバイアスにより行動するのが先延ばしになります。ギリギリまで先延ばしにして行動している様では直ぐに遭難に繋がってしまいます。違和感があったら直ぐに「もしかしたらルートを間違っているかもしれない、念のため地図とコンパスで現在地を確認しよう」という様に行動する癖を付けることが大切です。
最後に
はい、以上で終わりになります。
このBlogは初心者ソロキャンパー向けBlogですが、こういった遭難事例はアウトドアを行なう全ての人に多くの事を学ばせてくれます。
それでは皆さん良いアウトドアライフを!ではまた!
https://hagarie.naturum.ne.jp/e3089714.html
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