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(回答先: 日本人を憎む被差別同和部落出身者 2 _ 竹中平蔵 投稿者 中川隆 日時 2018 年 12 月 26 日 05:47:46)
日本人を憎む被差別同和部落出身者 3 _ ユニクロ柳井正
2019年10月18日
ユニクロ柳井正の日本人への憎悪はどこから来るのか?
「日本は最悪」「韓国人が反日なのは分かる」と日本人への憎悪を語る柳井正
画像引用:ユニクロ柳井氏の「国が滅びる」論は正論か暴論か? – アゴラhttp://agora-web.jp/archives/2042055.html
柳井正の日本人への憎悪
ユニクロの柳井正はまた日本人を侮蔑する発言をして話題になっています。
今回は日経ビジネスのインタビューで「日本人は異常で全部ヒステリー」などとこき下ろした。
さらに「ああいう国民性だから、韓国の人が反日なのは分かる」「日本人が劣化した証拠」「日本は最悪」と畳みかけた。
日本全否定とも言える内容で、柳井正は今までも日本侮蔑を繰り返してきたが、さらに過激になっている。
「泳げない人間は沈める」「年収100万円以下が当然」など数々の名言を残してきた。
柳井正の言葉の端々から感じられるのは日本への強い憎悪だが、その理由は柳井一族の出自にあった。
(『ユニクロ柳井正 語られない一族の出自と解放運動』http://www.thutmosev.com/archives/48935161.html)
ユニクロの起源は柳井正の叔父である柳井政雄の「小郡商事」が始まりで、政雄は要するにやくざでした。
柳井政雄の叔父(つまり柳井正の父の叔父でもある)柳井傳一は、部落解放運動の先駆けである全国水平社の創設メンバーでした。
なぜ柳井傳一が最初期の解放運動メンバーだったかは、柳井一族が住んでいた山口県の村と関係がある。
「部落」というものを東日本の日本人はほとんど知らない筈で、首都圏周辺に少しある他は東日本にはあまりない。
ない理由は「渡来人」が西から上陸したからで、当時日本の中心だった九州から奈良周辺に多く居住した。
部落の起源は渡来人集落とされていて、新たな渡来者が来るたびに部落に加わり、今も大阪などでは拡大が続いている。
渡来人と部落民の関係
柳井傳一の出身地は山口県陶(すえ)で柳井政雄の出身地は同県小郡町、現在はどちらも山口市小郡郵便局の管区内にある。
全國部落調査(1935年)によると山口県陶には200戸、1000人以上の部落民が確認されていた。
また調査時に山口県には「柳井」という地名の部落が多数確認されていました。(山口県 - 同和地区Wiki)
部落は江戸時代に身分制度の底辺とされ、出身地で身分が固定されていて暮らしは過酷だったと思われる。
明治、大正、昭和期になっても格差は存在し、部落出身者とは結婚させなかったり就職できないなどの問題があった。
これには実際に部落出身者は低学歴で低収入だったり、部落出身者の犯罪率が他の10倍以上高いなどの事実もあった。
このように他の地域と隔離された理由は、渡来人と他の日本人の間に対立があったため、渡来人は渡来人だけの集落を作らせたと想像できる。
渡来集落は弥生時代から始まったが、江戸時代になっても新たな渡来が続き、現在でも大阪の鶴橋などは流入が続いている。
ヤマト王権や徳川幕府や明治政府は、新たな渡来人を渡来人集落に居住させて他と区別した。
上は弥生時代の渡来人集落、下は部落所在地で完全に一致する。
部落とは渡来人集落が元になっていると推測できる
画像
https://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/c/c/cc729254.jpg
柳井一族の日本人への怨念
渡来人集落が存在する場所と部落が存在した地域は完全一致していて、2つは事実上同じであるのが分かる。
さて江戸時代まで部落で産まれた者は永遠に部落民だったのが、明治維新によってどこにでも自由に引っ越したり起業できるようになった。
柳井傳一がいち早く解放運動に参加した理由はここにあり、彼は水平社の初期メンバーとして一目置かれる存在になった。
柳井傳一の甥の柳井政雄は職を転々とした後やくざになり、足を洗って傳一から資金を出してもらい簡易宿舎を始めた。
これが1932年の事で、当時の500円(現在の100万円相当)で始めた事業は木賃宿、材木商、運送業と拡大した。
柳井政雄は1946年に日本社会党公認で山口市議、次いで山口県議会議員に当選し、佐藤栄作から請われて自民党に活動を移した。
柳井政雄の弟が柳井正の父、柳井等(ひとし)で最初兄の会社の呉服部門だったのを1949年に独立して「メンズショップ小郡商事」を開業した。
柳井等も兄と同じでやくざ関係の交友が多く、小郡商事もその手の会社として始まりました。
柳井正は早稲田を卒業したが就職に失敗しぶらぶらしているのを見かねて、父が小郡商事に入社させた。
柳井正は「努力しろ」「苦労しろ」が口癖なのだが、学生時代はパチンコとマージャンにハマり、就職に失敗し親の会社にコネ入社して社長になった。
親から受け継いだのは会社だけではなく、日本人への憎悪と復讐心でもあるようです。
(この記事は公表されている客観的事実のみによって構成されており、個人を中傷するものではない)
http://www.thutmosev.com/archives/81267487.html
▲△▽▼
2019年10月17日
ファーストリテイリング会長の柳井正の思考停止
From 小浜逸郎@評論家/国士舘大学客員教授
10月9日、ファーストリテイリング会長の柳井正氏が日経ビジネスのインタビューに答えています。
https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/depth/00357/?fbclid=IwAR0q2FElDohYtgGKOwaZE4OykqTNXOKN70joIMZ7zM0ypMj-U4AftKtixUk
このインタビューで、柳井氏は、日本はこのままでは滅びるから、大改革が必要だというのです。
ではその大改革とは何かといえば、次のようなトンデモ政策です。
《まずは国の歳出を半分にして、公務員などの人員数も半分にする。それを2年間で実行するぐらいの荒療治をしないと。今の延長線上では、この国は滅びます。
参議院も衆議院も機能していないので、一院制にした方がいい。もっと言えば、国会議員もあんなに必要ないでしょう。町会議員とか村会議員もそう。選挙制度から何から全部改革しないと、とんでもない国になります。》
これは、維新が掲げている政策と酷似していますね。
アメリカで盛んな(盛んだった)「小さな政府」論への盲従です。
柳井氏は、日本の公務員が人口比で世界一少ないということも知らないらしい。
これ以上公務員を減らしたら、公共サービスの劣化はますます進むでしょう。
災害時などの繁忙期に、公務員がいかに心身をすり減らして死にたくなるまで働いているか、氏は想像したことがあるのか。
公務員は少なくとも、いまの2割は増やさなくてはならないのです。
また、歳出を半分にして、デフレ脱却、社会福祉の充実、インフラ整備、教育、医療、防災、国防その他、いま日本にとってぜひ必要とされる案件をどうやって解決しようというのか。
何よりも、こういう「大改革」をすれば、どうして「滅びゆく日本」を少しでも食い止めることができるのか、その理路がまったく立っていません。
いまの日本の衰退のおおきな原因が、柳井氏のアイデアとは真逆の、緊縮財政路線にあるということも、彼はまるで分っていないようです。
要するに、ふだんから、「小さな政府」を実現して、自分たちのビジネス領域を拡大しようとしか考えていないので、何の根拠もない思い付きをフカしているだけなのです。
儲けることに専念して(それはそれで結構なことですが)経営に成功してきた者が、ちょいと偉くなって政治に口出しなど始めると、バカなことしか言えない、その無残な例がここに現れています。
日本の衰退を政治的に問題にするなら、もう少し政治について勉強してはどうでしょうか。
あなたのような人がいるから、日本は滅ぶのだと言いたい。
御用学者のたぐいにも無知をさらしている人はたくさんいますが、それはこのメルマガでも何度か取り上げてきましたので、今日は控えておきましょう。
いずれにしても、これら著名人の発言が、じつは私的利害や主観的信念や自己保身のためだけなのに、公共的な体裁のもとになされている例が氾濫しています。
こういう無責任な言論状況が積み重なることもまた、「滅びゆく日本」をいっそう前に進めるでしょう。
一国が滅んでゆく最大の原因は、その国の国民が、自国の滅亡過程を自覚しないことです。
https://38news.jp/economy/14775
部落は元々縄文系先住民を隔離した所で、戦後在日に乗っ取られたんですけどね。
- 餃子の王将の創業者の加藤朝雄は福岡県の部落出身で、部落解放同盟の上杉佐一郎に支配されていた 中川隆 2020/5/19 17:34:18
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- 堤康次郎は 被差別同和部落出身の在日? 中川隆 2020/11/02 14:24:20
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