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堤康次郎は 被差別同和部落出身の在日?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1032.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 11 月 02 日 14:24:20: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 餃子の王将の創業者の加藤朝雄は福岡県の部落出身で、部落解放同盟の上杉佐一郎に支配されていた 投稿者 中川隆 日時 2020 年 5 月 19 日 17:34:18)

堤康次郎は 被差別同和部落出身の在日?


美智子さまの実父が、正田英三郎ではなく、実は堤康次郎であるという噂が絶えません。

堤康次郎の下りを読み思わず「あっ」と、声が出てしまいました。

私の実家は西武の地元に代々住む家で、祖父や父、親戚の叔父達から堤がどのような手段であの辺りの土地を手に入れて成り上がったかを聞いて育ちました。

御多分に洩れず部落です。

昔から西武グループはそちらの人達が多く働いています。それより何より堤清二と美智子さんが似ていると、確かにそのように見えますが、他にもよく似た人物を思い出しました。

記事中にあるように、康次郎が女色に耽ったのは事実で地元の芸者に産ませた子供を見知っています。この人物が見事に美智子さんに似ています。

垂れ下がった康次郎譲りの鼻、腫れぼったい瞼に眉と目の間が広くあいている所も。何かパズルのピースが嵌っていくようで、少し身震いいたしました。
(以上)

★驚いていることは、今、堤家の本を資料として、数冊読み込んでいますが、堤義明が、「堤王国」が崩壊する過程で、ある「事件屋(総会屋と暴力団の中間的存在)」から、「質問趣意書」を突き付けられます。主に「堤王国」が崩壊した「株名義偽装事件」のことですが

箇条書きにされた質問事項のトップが「堤家のルーツは半島人であるのは事実か?」と言うものでした。

「総会屋」も「事件屋」も経営者を脅して、なんぼの商売ですから、質問されて、経営者が鼻でせせら笑うような、いい加減な質問はしないものです。

部落民の堤家は先祖が朝鮮半島から来て、滋賀県の部落に住み着き、定住した可能性は高いです。これも、国民例外無しのDNA鑑定を義務付ければ簡単にわかることです。

https://ana.open2ch.net/test/read.cgi/emperor/1495994469/201i  

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コメント
1. 中川隆[-10274] koaQ7Jey 2020年11月02日 14:25:25 : 5KIfhlnuJY : UFhPRDFELnhqNkU=[23] 報告
西武鉄道、薄氷踏む資金繰り、激動の15年の末…コクド事件、堤家内部の愛憎劇(Business Journal)
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/774.html

2020.11.02 06:00 文=佐藤信之/交通評論家、亜細亜大学講師 Business Journal


■優先株発行の報道

 つい最近、ネットでも話題になった、西武鉄道ないし西武ホールディングスが優先株800億円を発行して、日本政策投資銀行とみずほ銀行が半分ずつ引き受けるという内容の報道。これに対して10月16日、西武ホールディングスは、この内容が会社の発表したものではないとする文書を出した。優先株であっても株価への影響は避けられず、迅速な対応が必要だったのだろう。ただ、株式の希薄化を伴わない資本性資金の調達については検討していることを明らかにしている。

■新型コロナの影響

 春からの新型コロナウイルスの感染拡大により、西武ホールディングスは、鉄道事業、ホテル事業での利用者が大幅に減少しており、キャッシュ不足を回避するために、銀行からの融資枠を600億円から1500億円に拡大するとともに6月までに1310億円の借入を実施、9月にも250億円を追加したという。同社は、これでとりあえず年度末まで乗り切れるとの認識であった。

 西武ホールディングスは、今期末の業績予測を、売上高は前期比40%減の3320億円、営業損益は637億円悪化して前期の黒字から552億円の赤字に転落することを見込んでいる。鉄道での旅客数が一時半減し、その後も3割程度の減少が続いている。それ以上にホテル事業の影響は大きく、大半のホテルを緊急事態宣言後の5月を中心に営業休止したことで、売上高の減少は甚大であった。

■創業家、堤一族の闇

 ところで、西武鉄道は、ここ15年間激動の期間であった。その伏線にあった創業家の家族関係から説明を始めよう。

 西武鉄道は、堤康次郎が創始者といわれているが、実際には、明治の半ばに甲武鉄道(現在のJR中央線)の子会社として設立された川越鉄道の流れとなる旧西武鉄道(現西武新宿線)と、飯能辺りの住民によって発起され、浅野セメントなどからの出資を得て建設された武蔵野鉄道(西武池袋線)が合併して、昭和20年9月に現在の西武鉄道として成立(合併時は西武農業鉄道、翌年西武鉄道に改称)した会社である。旧西武鉄道は、大正時代に電力会社に吸収され、それ以降電力会社の兼業として経営された。今は存在しない川越〜大宮間や荻窪〜新宿間の軌道線も運行していた。

■堤康次郎の女性遍歴

 堤康次郎は、「箱根土地」を設立して、もともと軽井沢の町有地など広大な土地を購入して別荘地を開発したのを手始めに、箱根の観光地、国立、大泉などの学園都市の開発を進めたデベロッパーであった。その後、東京市が郊外の狭山丘陵に水源地として人口の湖を造成(昭和2年着工)したが、堤は都市の住民の行楽地として着目し、アクセスのための多摩湖鉄道を整備した。ここで鉄道との関係ができた。その一方で、大正時代、経営難に陥っていた武蔵野鉄道の株式を取得して傘下に収め、次にその競争相手であった旧西武鉄道に触手を動かしていった。

 堤康次郎は、経営者というより政治家であった。大正13年の総選挙で当選して、衆議院議員となった。戦前は立憲民政党、戦後は改進党など保守政党を遍歴して保守合同により自由民主党に属した。昭和28年5月から翌年12月まで衆議院議長を務めた。

 幼いころから政治家を志し、早稲田大学に進学して大隈重信公の薫陶を受け、公の主宰する「新日本」の編集・発行を引き受けるなど、政治運動に打ち込んでいった。幼くして父親を伝染病で失い、母親は里に帰されたため、祖父母のもとで育てられた。母親と生き別れになった経験から母親を慕う気持ちが女性への偏愛へとつながったのか、異常なほどの女性遍歴を続けた。

 最初は、東京に出る前のまだ10代のころ、幼馴染の西沢コトと恋愛し、女児をもうけた。その子は、のちに西武鉄道の役員に嫁し、その人物は西武鉄道の社長となった。次に、早稲田大学の学生の時に日本橋の三等郵便局を購入して郵便局長となったが、その事務員をしていた岩崎そのと交際し、妊娠させることになる。堤から反対されたが、迷惑をかけないからと約束して長男を出産した。長男は清と名付けられて、20歳になった時に堤が養子として引き取った。東大経済学部を卒業後、西武鉄道の取締役に就任したが、冷たく捨てられた母親の件があって堤に反抗したことで勘当されてしまった。堤家のほかの兄弟には、この事件が複雑な気持ちを抱かせる契機となったといえよう。

“その”との交際が続いていた時、大隈公からの紹介で川崎文と結婚した。堤が軽井沢に広大な土地を購入する際に、援助を受けたのが文の実家であった。これが堤のその後の事業の原点であることを思うと、堤は文とのことに恩義を感ずるべきなのであるが、性病で体が不自由になると、「東京土地」を経営していた青山芳三の娘・操と結ばれ、大正12年に堤邸で同居を始めた。ただし、その時の正妻は川崎文である。文は昭和16年に死亡したため、操が正妻の座に就くことになるが、結婚したのは昭和28年であった。川崎文には子供はできず、操との間には清二と邦子をもうけた。

 操と結婚していなかった空白期、代議士の娘石塚恒子をほぼ強引に妾にしてしまった。後継者をもうけることが目的だったようである。恒子との間には義明、康弘、猶二をもうけた。この義明が、その後西武鉄道グループの総帥となる人物である。

 堤は、もともと長男の清を跡継ぎに考え、育ての親の祖父の名から一文字をとって命名した。しかし、ひょんなことから勘当してしまったので、次は清二ということになるが、清二は東大在学中から共産主義に染まり、父親との関係は良くなかった。清二は自ら後継者の地位を義明に譲ることになる。ただし、義明は、いったん引き継いだ西武グループの中の流通部門を分割して清二に提供した。それがのちに西武セゾングループとなる。

 義明は、操が正妻であった時に妾となっていた恒子が産んだ子である。正妻の子である清二は義明に後ろめたさを感じていた。ブルジョワの放蕩な性生活に思想的な抵抗感を抱いたのである。

後継者問題

 堤康次郎は昭和39年4月に逝去した。後継者は義明に決まっていたが、相続権を持つ人間が、表に出ている人物だけではなく、知られていない子供を含めると10人を超えていた。康次郎の財産を分割しては義明へ回る分はごくわずかになってしまう。特に株式がやっかいであった。西武グループを統括するためには、ある程度の(「国土計画」の)持ち株比率が必要である。そこで一計を案じて、株式を信用できる関係者に分散させて所有させ、相続の手続きが済んでから義明にまとめるということにした。持株隠蔽のはじまりであった。

有価証券報告書虚偽記載事件

 西武鉄道は、長期間にわたり、有価証券報告書に記載された大株主に示されたコクドの持株数を過少に記載していた。平成16年3月期には、コクド(もと箱根土地→国土計画)の持ち株比率を22%と記載していたが、実際は西武鉄道グループ各社の従業員持ち株会やOBなど1000人の名義を使って、持ち株を分散させていた。コクド、伊豆箱根鉄道など株主の上位10人を合計しただけでも実際には80%の株式を保有していた。これが東証の上場基準に抵触していたため、西武鉄道は上場廃止となった。また、翌年3月3日にはコクドの堤義明会長は、証券取引法違反と有価証券報告書の虚偽記載により東京地検特捜部に逮捕された。10月に執行猶予付きの有罪判決を受けた。

 この一件で、コクドの幹部職員と西武鉄道の社長経験者が自殺している。

損害賠償訴訟

 その後、西武鉄道の個人株主がコクドと堤義明会長に対して上場廃止による損害の賠償を求めて訴訟を起こした。平成20年4月24日、東京地方裁判所は、上場廃止後に株式を売却した個人株主の損害を認め、総額2億円の支払いを命じる判決を下した。

 この西武鉄道を訴えたのが義明の弟の2人と、親族たちであった。この親族は、康次郎が外でもうけた子であるという話を聞いている。そのような子がどれだけいるのか、わからないというのが西武鉄道の認識であった。

 堤康次郎は、西武鉄道グループの株式を堤家の当主が支配する仕組みをつくり上げた。その中心になったのが箱根土地の流れを汲むコクドであった。非上場のコクドが西武鉄道などのグループ企業の株式を保有したのである。そしてコクドは堤家の当主が支配した。康次郎が死亡した時、西武の株式は跡継ぎの義明に相続させた。これに対して、ほかの康次郎の子には不満が募っていた。

 そしてコクドは西武鉄道の株式の大半を保有することになったが、東京証券取引所の上場条件として、株式の流動性を保証するために特定個人による企業の支配を禁止していた。そこでコクドは、1000人あまりの個人名を使って持ち株を分散させて、この上場基準をクリアしていた。しかし、これにより西武鉄道の有価証券報告書に記載される大株主の事項に、コクドの株式保有率が実際より大きく下回る数字が書き込まれることになった。

西武鉄道の経営立て直し

 上場が廃止されて窮地に陥った西武鉄道の経営体制を立て直すために、平成16年11月、西武鉄道とコクドで「西武グループ経営改革委員会」を発足させた。平成17年1月に再建策が発表されたが、これに基づいて旧経営陣は退陣し、新たにメインバンクのみずほコーポレート銀行から後藤高志副頭取を西武グループの代表取締役社長に迎えた。

 そして経営組織の抜本的な変革を行った。

(1)変更前

(2)平成17年11月29日、コクドは株式移転によりNWコーポレーションを設立。

(3)平成18年1月31日コクドが新株発行(約1331億円)を、また西武建設が保有する西武鉄道株式の譲渡(約263億円)を行うことにより、総額約1800億円の資本増強を実施。

(4)平成18年2月1日、プリンスホテルがコクドを吸収合併。西武鉄道のホテルとその関連事業を西武鉄道から分離の上、プリンスホテルに統合。

(5)平成18年2月2日、西武鉄道とプリンスホテルとの間における株式交換により、プリンスホテルが西武鉄道を完全子会社化。

(6)平成18年2月3日、プリンスホテルが株式交換により当社(西武ホールディングス)を設立。

(7)平成18年3月27日、プリンスホテルがグループ関連会社の管理事務を分割し、当社が継承。西武鉄道が当社の直接の子会社となる。

上場廃止

 西武鉄道は平成16年12月に上場廃止となった。大手私鉄としては不名誉な出来事だった。さっそく構造改革に着手し、プリンスホテルがコクドと西武鉄道の鉄道事業以外の部門を分割の上で吸収した。もともとコクドが担っていたグループの統括部門をいったんプリンスホテルに集約したのである。

 続いてプリンスホテルが株式交換により西武ホールディングスを設立して、一時的にプリンスホテルに属していたグループの管理部門を引き継いだ。これにより、西武グループは、持ち株会社の西武ホールディングスが一元的にマネジメントする普通の企業グループに生まれ変わった。

サーベラスとの資本提携

 この再建策のなかで西武鉄道は、資本を充実するためにアメリカの投資会社サーベラスに対して出資を要請した。サーベラスは1992年にアメリカで設立された投資ファンドで、経営困難な企業や政府機関に対する再建投資に特徴がある。政府機関から健康産業、製造業、流通業、交通事業などを投資対象としているが、交通事業の内容はバス車体の製造などメーカーとレンタカー会社などで、公共交通の運営会社への出資はなかった。

 サーベラスは平成10年代から日本企業への投資を始めたが、対象となるのは大規模小売業や銀行、デベロッパーなど多岐にわたっていた。西武鉄道は経営の再構築を進めるなかで、サーベラスに協力を要請し、平成17年11月に資本提携契約を締結した。平成18年1月、コクドが約1331億円を増資したのに対して1040億円を引き受け、サーベラスの西武ホールディングスに対する出資比率は29.93%(102,384株)に達した。

 その後、平成24年になって、再上場時の株価をめぐって経営陣と対立した。投資ファンドは、投資家から集めた資金を運用して利益を出して投資家に還元するのが業務である。再上場により、十分な含み益が実現できないことには投資家の信用を失うことになりかねない。

 サーベラスは平成24年10月に後藤社長に宛てて、不採算路線の多摩川線、山口線、国分寺線、多摩湖線、西武秩父線の廃止と西武ライオンズの売却などを要求するレターを提出した。利益率を高めるための鉄道路線の廃止は、経営陣には論外であり、議論の余地はなかった。

 この間、東証への再上場のためにサーベラスとの資本提携を解消することが必要なため、平成24年5月以来この解消を申し入れていたものの、受け入れられなかった。サーベラスは平成25年3月12日、株式公開買付(TOB)を実施した。買取価格は1400円とし、議決権ベースで4%の株式の買い取りを目指したが、4月5日に条件を改定して目標を12%に引き上げ、最終的に議決権の44.67%を目標に設定した。当初5月17日までを買付期間としていたが、買付が不調なために5月31日まで延長した。買付の結果は、議決権の3.04%、議決権ベースの持ち株比率は35.48%に上昇しただけであった。

 目標とした40%超えは、役員の派遣などの状況により子会社化が可能な数字であり、西武鉄道としては到底受け入れることはできなかった。株主には再三にわたりTOBに応じないように文書が配布された。サーベラス以外の株主は、純粋に投資目的で売買差益だけを目的としているわけではなく、西武鉄道や球団に対する愛着から株式を持つ人も多い。利益本位のアメリカの投資ファンドには理解できないことであったのかもしれない。サーベラスは取締役候補8名と監査役候補2名の推薦を行うが、平成25年6月、株主総会で株主提案は退けられた。

株式の再上場

 平成26年4月23日に西武鉄道の株式は再上場を果たした。サーベラスの持ち株比率は、平成26年3月末に25.18%であったが、翌年の3月末には28.16%へと増加していた。しかし、その後株価が順調に値上がりして、平成27年3月には最高額3295円、最低額2975円を付けたところで、5月27日、33,750,000株を売却した。これで持ち株比率は25.59%に下げた。サーベラスの購入額は970円といわれているので、十分な利益を出すことができたことになる。その後徐々に売却を進めて平成29年8月に保有株式はゼロとなった。

サーベラスと国際興業

 サーベラスは、西武鉄道以外にも出資した。株安と円安で日本買いが進んだ時期である。

 埼玉県で路線バスを運行するほか、全国のバス会社を傘下に持つ国際興業もその一つであった。国際興業は、経営状況が悪化したにもかかわらず海外ホテルなどに大規模な投資を続けて、財務状況を悪化させていた。平成15年3月期決算には、売上高511億円、純利益17億円に対して単体の有利子借り入れ3800億円で、年間の利息は76億円に達した。報道では負債総額5000億円といわれた。

 平成16年11月30日、サーベラスが株式を買収して経営権を取得。取締役会の過半数をサーベラスが送り込んだ。ただ、小佐野隆正社長は引き続き社長職にとどまった。

経営再建

 サーベラスは、UFJ銀行とりそな銀行に対する一部の債権放棄を受けるとともに残りの負債を半額で引き取り、これを資本化した。これにより、資本金は14億5050万円から1030億1800万円に増強された。そして優良資産として帝国ホテルを三井不動産に、浜松町の遊休地を日本生命に、八重洲富士屋ホテルを住友不動産に売却するとともに、東北地方や山梨県のバス事業やリゾート地を売却し、これらの収益を特別配当としてサーベラスに還流させた。

 平成24年11月1日運輸・交通事業および流通・商事事業を分社化して国際興業グループ株式会社を設立した。

創業家の経営復帰

 平成26年、小佐野隆正(ロッキード事件で知られる右翼の大物、小佐野賢治の甥)ら創業家の運営する国際興業ホールディングスが、サーベラスから国際興業株を1400億円で購入。3月1日、国際興業を国際興業管理に、国際興業グループを国際興業に社名を変更した。

系列会社の売却

 国際興業の系列会社であった十和田観光電鉄、岩手県交通、秋北バスは、平成25年7月に国際興業グループが分社化して国際興業東北が設立されたのに伴い、国際興業東北の完全子会社となった。さらに11月国際興業東北の全株式を本田一彦に譲渡したことで、社名を国際東北と変えた。

山梨交通

 国際興業は山梨県下で路線バスなどを経営する山梨交通を傘下に置いていた。かつては甲府駅から出る鉄道も経営していた。

 ここで堤康次郎が再度登場することになる。山梨交通は、衆議院議員の河西俊夫が経営していたが、1960年代に経営を傾け、大株主が国際興業の小佐野賢治に再建を依頼した。小佐野は40万株を購入し、取締役に就任した。しかし河西社長は、別に堤康次郎に支援を依頼し、河西派と小佐野派で覇権争いを展開することになる。最終的には小佐野の側が勝ちを収め、国際興業の子会社となった。河西の持ち株はすべて小佐野に譲渡され、山梨交通の株式はすべて小佐野賢治の手に落ちた。

 国際興業がサーベラスの下で経営再建を進めた際に、平成24年、国際興業の所有する山梨交通の株式を山梨交通の役員に売却した。これで国際興業の傘下から外れた。

西武鉄道と国際興業

 サーベラスが出資した西武グループと国際興業は、いずれも埼玉県内に路線網を展開する交通企業である。西武グループは資本提携を要請したのであるが、国際興業は経営問題が深刻化して経営再建が急務とされた時期に、突然株式を買い進めたのであった。気が付くと筆頭株主となっていた。ちょうどその時、十和田観光電鉄が十和田市駅の立ち退きの問題を抱えていた。親会社が混乱する中で支援を受けられず、国・県から補助金を受けて近代化を進めていた最中に、廃止せざるを得なくなったという悲劇が起きた。

 西武と国際興業の路線バスの路線網は隣接しており、経営を一元化したらならば、経営の効率化も可能だったのかもしれない。そういう発想がサーベラスになかったのかと、疑問に思うところであるが、路線バスは全体的に収益率が低く、利益率を考えるならば統合よりも路線網の縮小ということになるのだろう。

 サーベラスは、平成26年に国際興業、平成29年に西武から撤退した。その後、日本から完全に撤退することになった。欧米企業には、日本人のメンタリティや企業文化は異質で理解するのは難しいのであろう。欧米的な合理性を持った村上ファンドも証券取引法違反で代表が逮捕され実刑判決が確定した。村上ファンドは信用をなくして解散した。

(文=佐藤信之/交通評論家、亜細亜大学講師)

2. 中川隆[-10273] koaQ7Jey 2020年11月02日 14:33:46 : 5KIfhlnuJY : UFhPRDFELnhqNkU=[24] 報告
【北の国から】西武お抱えの倉本聰【優しい時間】


1 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/03 22:36:25 ID:CJGP3D83

倉本聰脚本の優しい時間が8話目を迎える。 老人の懐古主義と陰口を叩かれながらも、時流に媚びない本格派ドラマを謳う同ドラマ。

その倉本聰と逮捕されたばかりの西武・堤義明とは麻布学園で中高と同級生であり、昵懇の間柄である。


昭和47年、富良野にスキー場を開設。
49年、富良野プリンスホテル開業。
52年、ワールドカップ開催。

同年夏、倉本は富良野に移り住み、57年に、あの「名作」北の国からがスタートした。

好評を博した同ドラマにより、富良野の観光客は80万から200万人に激増した。

堤義明と倉本聰の友情が生み出した奇跡だ。

だが、堤が逮捕された今、それを美談と賛美できる人間がどれほどいようか?

倉本は、「北と国から」は堤との関係で始まったものではない。

1作目についてはフジテレビの鹿内と村上とで考案したものだと主張している。

だが、その後のシリーズでは富良野プリンスから数々の便宜を図ってもらったと認めているのだ。

つまり「北の国から」は、実質西武ビジネスのプロモーション作品としての意味が大きかったのだ。

ちなみに倉本聰初監督映画は中島朋子主演のフィギアスケート物語で、それらは品川プリンスホテルのスケートセンターを無料で提供してもらって撮影されたもの。

そして視聴者のどれほどが、今放送中「優しい時間」の舞台となっている喫茶店が、今、話題となってる堤西武グループ・新富良野プリンスホテルの敷地内にあることを知っているだろうか?

さて、フジテレビアナウンサーの里谷がDV離婚・白人との公然猥褻/暴行事件が発覚したが、スキーモーグル選手だった彼女がフジに入社できたのは堤が親密なフジ日枝に依頼したからだと言われている。

そしてフジテレビが今、コクド→西武で問われた親子資本関係のいびつさと全く同種の欠陥をつかれ、ライブドアに乗っ取られかかっているのは皮肉な話だ。

「優しい時間」と同時期のこの冬公開されている映画「北の零年」主演・吉永小百合と言えば、 言わずと知れた堤との“特殊な関係”。早稲田大学時代には堤から単位取得の後押しを申し出られている。

またに徒党の円環構図と言えよう。

「優しい時間」放送当日に堤が逮捕され、放送真っ只中、裏番組で堤のニュースが流されてるのは、腐臭を放つインサイダーの輪の中にいた、倉本聰への引退勧告である。

7 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 03:42:33 ID:hZS06KRr

自然を賛美してるようなドラマ作っていながらスポンサーはコクドかぁ

60 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:2005/03/21(月) 14:52:13 ID:prGjtx4u 

ニッポン放送OBである脚本家倉本聰さんは

「僕はドラマを通して『心を洗う』ことにこだわってきた。
今回の騒動は、収益率を上げ、カネもうけしようという最近のテレビの功利主義的な姿勢を突かれてしまった側面を感じる」と語る。
http://www.asahi.com/business/update/0321/013.html

お前も長年西武の金儲けに手を貸してきたじゃないか。
何を偉そうに言ってんだよ。

15 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 16:18:40 ID:9vtdx0/5

レニ・リーフェンシュタールの「民族の祭典」は、 映画としてどれだけ優れてようが、それがナチスのプロパガンダであるという事実を無視して評価はできないからな。

倉本の「北の国から」の中身がどうであろうが、実態としてそれは西武リゾート開発のプロモーションであるという現実は否定すべくもない。

「民族の祭典」だって世に出た当時は偉大な作品、しかし今は・・・だよ。


9 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 04:13:50 ID:Ti/9wkG

近年のトレンディードラマとか酷評してただろ、倉本は。

そんなご立派な男がさ、裏で環境破壊ビジネスやってる西武堤のひも付きで、ビジネス後押しドラマやってた、つうことになったら、言ってきたこと、創ってきたことの全てにおいて、説得力を喪失するぜ。

シャープの“環境に優しい”家電製品のCMに出てる吉永小百合が、 仮に堤の愛人だったとしたら実に嫌なことだろ。 そんな女優に環境がどうとか言われてもなあ。

パトロンがいるから悪いということじゃない。
倉本の作品が壮大なCMに過ぎなかったということが問題なんだよ。

33 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/07 14:09:02 ID:/cdS/YH1

私企業ビジネスのインフラが、税金で整備されたのだと思えば見方も変わってくるよ。

長野新幹線見てみろ。あれは田中角栄が新潟に新幹線引っ張ったのと同じだ。

堤はスポーツ協会牛耳って招致委員会作り、多額の裏金が問題になった五輪誘致に成功して、自分とこの商売に税金投入させたんだよ。

それを富良野でもやってたわけだ。

その一連のどす黒い動きの中に倉本作品が位置づけられてるんだよ。

富良野の景色見て感動してる奴は、諫早湾干拓事業を絶賛してる馬鹿同様の大間抜けだ。


10 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 05:06:38 ID:u+xo4CB8

堤は環境破壊どころか税金払ってないからな。

49 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/10 17:50:51 ID:/gD7aDjq

倉本そーは尊敬してたが今回の露呈で失望したな。

都会流を痛烈に批判して筋金入りの自然擁護主義で富良野塾の教え子にも強制していたが、いくら鼓が同窓生でも西部がやっていた環境破壊行為は耳にしてただろう。
その時点で奴とは縁を切るべきだったろうに。

いくらいい脚本書いてもその思想と行動の矛盾が生じたら一気に冷めてしまうもんなんだよね。

長渕強しがいい例だけどそういえば倉本は長淵大好きなんだっけな・・

75 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:2005/03/27(日) 08:28:23 ID:uN4C0fCZ

綺麗ごとや説教いう人なんて裏はそんなもんだよ。

せりふが説教じみていて、北の国から嫌いでまったくといっていいほど(家の人が見ていたので多少せりふは耳にはいった程度)見ていない。

無名だった富良野を全国的に有名な観光地にした一種の街おこしとしては意味があっただろうね。

うるおったのはプリンスだけじゃなかっただろうし・・


20 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 17:50:30 ID:ypqMFYzf

堤逮捕で裏話が氾濫するようになったから初めてわかってきたことが多いだろ。
倉本と堤の関係とかね。

中学・高校の同級生で、昨年秋以降、西武疑惑が浮上してから、

堤と倉本が電話で連絡とって話たりしてたなんて逮捕まで誰も知らないし、
それ以前に、映画のフィギアってもろ西武関連。

『時計 Adieu_l'Hiver』(1986)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17752/story.html


>二郎はアイスホッケーの極東製紙チームの監督をしており

富良野だって特に勘ぐらなきゃ、ことさら西武を連想したりしないだろ。
意識させないで富良野(のバックの西武)の売り込みに成功したわけだから、
その意味じゃ倉本は“CMプランナー”としては有能なのかもな。

31 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/07 07:05:21 ID:A2ChBgH
>>20
ちょっと西武のこと知ってるなら、堤と倉本の関係ぐらい誰でも知ってるよ。


82 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:2005/04/10(日) 22:10:37 ID:R7YaULv8

倉本と堤は高校の同級生。


83 :名無しより愛をこめて:2005/04/16(土) 15:30:16 ID:s4sZ6L1m
>>82
その倉本聰と逮捕されたばかりの西武・堤義明とは麻布学園で中高と同級生であり、昵懇の間柄である。

おまいは>>1も読めんのか
堤は早稲田の旅行サークルの仲間も、大量にコクドに入社させている

28 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/06 17:54:21 ID:xTOtJy3q

>好評を博した同ドラマにより、富良野の観光客は80万から200万人に激増した。
>堤義明と倉本聰の友情が生み出した奇跡だ。
>だが、堤が逮捕された今、それを美談と賛美できる人間がどれほどいようか?


数百億かけて作ったリゾート施設が閑古鳥が鳴いているところが多いのに、
制作費数億でこれだけ観光客を増やせたというのは逮捕とは関係なく賞賛できるが。


57 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/19 07:21:17 ID:qqAWoQaV

「優しい」喫茶店がオープン

 放映中のテレビドラマ「優しい時間」(フジテレビ)に登場した北海道富良野市の喫茶店「森の時計」が19日、 一般向けにオープンする。撮影の終わったロケセットをそのまま使用、新しい観光スポットとして人気を集めそうだ。

場所は新富良野プリンスホテルの敷地内。倉本さん主宰の「富良野塾」OBで、マスターになる小暮忠広さん(41)は「ゆったりとした時間の中でくつろいでほしい」と話している。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2005/03/19/03.html

59 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/20 00:39:52 ID:BNSMFLUJ
>>57
西武に金をおとしたくはないな
税金払えよ > 堤


39 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/08 20:09:29 ID:7jnn/Pxi

確かフィギュアの渡辺絵美は堤に食われてたはず


40 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/08 20:49:28 ID:W7xA0ub
>>39
彼女は徹底拒否して、プリンスホテルにいられなくなって、 カナダかどこかで一からやり直したらしいよ。
文春で告発してただろ。

ってことは、美人で西武に居続けられた人は全部、堤に身を委ねた可能性が高い。

42 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/08 21:32:47 ID:C2yYwVKE

 渡部がセクハラを受けたのはインスブルック五輪に出場した直後の17〜18歳のころで、フィギュアスケート界のアイドル的存在だった彼女は、当時40代の堤義明に

「俺の女になれば、スケートリンクの一つや二つやろう」

「スケートを辞めるか、それとも続けたいか。どうする?」

と言われ、車の中で体を撫でられたり、新宿プリンスホテルの一室で、力ずくでベッドに押し倒されたりしたのだという。

 渡部はそれでも堤義明を拒否した。そうすると、コーチから

「そろそろスケートを辞めれば? 若手にチャンスを与えたあげなさい」

と言われ、品川スケートセンターのロッカーの鍵まで奪われることになった。ホームリンクで滑れなくなった彼女は、一時スケートをあきらめて、新宿でアルバイトをしていたこともあるという。

 そんな彼女の運命を変えたのはアメリカから届いた一本の電話だった。

彼女は再起を決意して米国に渡り、そこで練習を積んで見事にカムバックした。

79年3月の世界選手権ウイーン大会で日本人として初めて銅メダルに輝いた。

80年にアメリカのレークプラシッドで行われたオリンピックでも6位入賞を果たした。


西武王国の崩壊
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/seibu.htm

堤から、絵美はフィリピン人の血が入ってるからだからどうとかまで言われたらしい。


6 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 02:18:56 ID:h54YpGLI

堤はいつもプリンスホテルに泊めた女優の部屋を夜中に訪れるそうだが
沢口靖子には部屋のドアを10分ぐらいノックしてもシカトされたそうな。


46 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/10 15:23:59 ID:Lz4FEZwr

【話題】生々しい堤義明と沢口靖子のツーショット映像(ゲンダイネット)[03/10]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1110428183/


50 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/13 16:20:24 ID:cfKiEZda

http://homepage3.nifty.com/nonu/geinou.htm

週刊誌などで関係が噂された女優のイニシャルから推定すると、

OM(岡田茉莉子)、
TK(太地喜和子)、
SY(沢口靖子)、
MA(水沢アキ)、
YS(吉永小百合)、
MY(三田佳子)
KM(小谷実可子)、
MY(南野陽子)
YJ(八木沼純子)、
IM(伊東美咲)
SE(佐藤江梨子)。


51 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/14 00:21:03 ID:hiDl+wCk

女優食いまくりだな

52 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/14 08:30:39 ID:2302dLQu

吉永小百合の軽井沢の別荘をテレビで映してたがお隣さんがなんと細川もりひろさん
2人とも超格安で手に入れたそうな

53 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/15 00:36:47 ID:TGteWWO
>>52
彼も、西麻布のマンションに愛人の浅野ゆう子を囲ってたよね


54 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/15 03:52:16 ID:bAEJVgch

西武が株をインサイダー相対取引した企業の中に東映が入ってた。
東映と言えば吉永小百合だ。何か関係あるんだろうな。

38 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/08 16:42:31 ID:FsCR/H0Z

里谷の母親はフジ系列局の北海道文化放送で働いてるそうだ。
これも堤が日枝に頼んだのかな?

週刊アサヒ芸能 03/17号
「里谷多英 何と3Pまで繰り広げていた『公然SEX事件』の一部始終」

55 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/15 23:30:19 ID:oSpt+v9l

サトエリ・・・全裸開脚(*´Д`)ハァハァ・・・

8 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:05/03/04 04:12:53 ID:E6w+sIvg

堤とかホリエモンとか倉本とか里谷とかフジを取り巻く人間はどうしょうもねーなw
http://tv7.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1109856985/

3. 中川隆[-9661] koaQ7Jey 2020年11月23日 22:00:00 : kRUBXkulcE : N0ZLaXVybHNtS28=[61] 報告
続きは


プリンスの墓標 堤義明怨念の家系
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/373.html

4. 中川隆[-10995] koaQ7Jey 2024年4月05日 08:18:22 : YrAW814xVU : YjYxeGhBMy5FVHc=[3] 報告
<■106行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
堤康次郎:不動産も女も漁り続けた西武グループの創業者。 堤康次郎が築いた西武王国の内幕に迫る!
2024/03/21
https://www.youtube.com/watch?v=fi5zCrBPjMQ




西武グループの創業者であり、"ピストル堤"という異名を持つ堤康次郎の驚異の人生を追うドキュメンタリー。選挙での実弾(金)の撃ち方から、企業買収の冷酷な手法まで、堤の不動産と権力、多くの女性を愛する深い執着を解き明かします。さらに、1992年に発生した伊豆箱根鉄道買収を巡る騒動で右翼によりピストルで撃たれても、その脅しに屈しない堤の精神力と事業へのあくなき挑戦に迫ります。

堤康次郎は箱根や軽井沢を魅力的な一大リゾート地へと大変貌させ、東京郊外の開発にも貢献しました。西武鉄道、西武ライオンズ、PARCO、無印良品、ファミリーマート、としまえん、苗場スキー場など、今日私たちが親しむ多くの西武ブランドや施設の誕生に欠かせない土台を彼は築き上げました。

その一方で、「ピストル堤」という異名を持ち、その果断な手法やプライベートの話題性から、人々の意見は大きく分かれる存在です。生涯にわたり様々な女性との関係が噂された彼は、まさにその時代の寵児とも言える人物。その生き様は、好色家としても知られ、社会的地位を問わず、家政婦から事務員、貴族、政財界の令嬢、女優に至るまで多くの女性との関わりがあったと言われています。


【動画の目次】
00:00 プロローグ
01:34 堤康次郎とは?意外なネットで検索結果
02:28 堤康次郎の生い立ち
06:04 少年時代に見せた商才
08:21 康次郎事業家への旅たち
09:47 郵便局の女性と関係を持った
10:42 28歳で一生一代の大バクチ
13:49 意表を突く別荘販売計画
15:46 迫る倒産危機
17:56 狸芝居の緻密な計算と展望
20:26 情け容赦しない火事場泥棒経営
22:20 不動産の次は鉄道だ!
23:07 ピストルで撃たれた!
24:08 凄まじい不動産への執念
25:57 小田急と箱根山戦争
30:21 宿敵五島慶太との縄張り争い
34:32 成功の影に妻・愛人・女性あり
38:28 東京都民も感激する屎尿事業
40:09 堤康次郎の晩年
43:53 おわり

【関連著書・資料】
私の履歴書―昭和の経営者群像 https://amzn.to/3Pvx02W
西武事件 https://amzn.to/3TLlnaA
野望と狂気 西武の創始者-堤康次郎・波瀾の生涯
プリンスの墓標 https://amzn.to/4cqU8sV
西武王国ーその炎と影 https://amzn.to/3TuFNmy

【堤康次郎のこれまでの経歴】
彼の商売哲学「刑務所の門まで行くが中には入らない」の真意とは?滋賀県の農家から出発し、不動産業界にその名を刻んだ男、堤康次郎の「狂気」の根源に迫るこの動画は、あなたの知らない真実を明らかにします。

堤康次郎が創り上げた「国立学園都市」は、東京都国立市に位置する、独特な都市開発プロジェクトの一つです。このプロジェクトは、主に1960年代に計画され、実行されました。国立学園都市の開発は、教育施設を中心にしたコミュニティづくりを目指し、その周囲に住宅地や商業施設を配置することで、住民が快適に生活できる環境を提供することを目標としていました。

堤康次郎の晩年は、彼の事業帝国に関するさまざまな課題や挑戦に直面しながら過ごされました。彼の生涯は、日本の高度経済成長期とその後のバブル経済の時代を通じて、多大な影響を及ぼしましたが、1990年代に入ると、バブル崩壊とともに西武グループも困難な時期を迎えます。

堤康次郎は、西武鉄道株式会社の会長職を長年務めた後、1997年に息子の堤義明に会長職を譲ります。しかし、その後、西武グループは財務不正問題に見舞われ、特に2004年には西武鉄道が証券取引所から上場廃止となるなど、グループ全体が大きな信用失墜を経験しました。

堤康次郎自身は、これらの問題が明るみに出る前の1999年に逝去しています。したがって、彼の晩年は、西武グループが直面する後の試練の前に終わりましたが、彼が築き上げた事業帝国は、その後、多くの挑戦に直面することになります。

晩年は比較的静かに過ごされたとも言われますが、彼が生涯を通じて築き上げた業績と、その後の事業に対する影響は、日本の経済史において重要な位置を占めています。堤康次郎の遺産は複雑で、その評価は時代と共に変化するかもしれませんが、彼の事業によってもたらされた影響の大きさは、疑う余地がありません。

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