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ルキノ・ヴィスコンティ『郵便配達は二度ベルを鳴らす』 1943年
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/645.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 9 月 26 日 19:05:23: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


ルキノ・ヴィスコンティ『郵便配達は二度ベルを鳴らす』1943年


監督 ルキノ・ヴィスコンティ

脚本
ルキノ・ヴィスコンティ
マリオ・アリカータ
ジュゼッペ・デ・サンティス
ジャンニ・プッチーニ

原作 ジェームズ・M・ケイン

音楽 ジュゼッペ・ロゼーティ

撮影
アルド・トンティ
ドメニコ・スカーラ

公開 1943年5月16日
製作国 イタリア
言語 イタリア語


動画
https://www.youtube.com/watch?v=za05B-Zg5rE


キャスト

ジーノ:マッシモ・ジロッティ
ジョヴァンナ:クララ・カラマイ
ブラガーナ:ファン・デ・ランダ
アニータ:ディーア・クリスティアーニ
スペイン人:エリオ・マルクッツォ
刑事:ヴィットリオ・ドゥーゼ

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、イタリア語: Ossessione, 「妄執」の意)は、1942年(昭和17年)製作のイタリア映画、ルキノ・ヴィスコンティ監督の長編処女作である。



原作はジェームズ・M・ケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』だが、クレジットでは示されていない。原作者の許諾を得ることなく映画化された違法な作品であるため、イタリア公開時に数日で上映禁止となり、長らく「幻の処女作」と呼ばれていた。アメリカでの公開はヴィスコンティの死後、1976年のニューヨーク・フィルム・フェスティバルであった。日本ではタイトルをケインの小説に合わせて1979年に公開された。

本作をもって「最初のネオレアリズモ映画」と言われることがある。一般に、映画におけるネオレアリズモの端緒はロベルト・ロッセリーニ監督による1945年の映画『無防備都市』であると言われているが、反ファシズム的な内容や屋外での撮影、素人役者の起用は本作が最初であるとヴィスコンティは主張した。ただしネオレアリズモ風の作品は本作以前にもいくつか存在するため、何をもって最初の作品とするかは意見が分かれるところである。現在ではやや控えめに「ネオレアリズモの先駆的作品」と呼ばれることが多い。

ヴィスコンティがスラムの人々の生活に目を向けたのはジャン・ルノワール監督の自然主義的リアリズムの影響であると言われている。ヴィスコンティはルノワールの『トニ』で助手として働いていた[要出典]。

ファシズム体制下での撮影だったため、あからさまなファシズム批判はなされていないが、反フランコの象徴としての「スペイン人」の登場や、不倫という「公衆良俗に反する」内容は十分に反ファシズム的である[要出典]。

ブラガーナがのど自慢大会で歌ったのは『椿姫』のアリアである。


ストーリー

北イタリア、ポー川の食堂にジーノ(マッシモ・ジロッティ)が現れる。店主ブラガーナ(ファン・デ・ランダ)の歳の離れた美しい妻ジョヴァンナ(クララ・カラマイ)はジーノに惹かれ、彼を雇うように夫を説得する。ジーノとジョヴァンナはブラガーナの留守中に肉体関係を持ち、駆け落ちしようとするが、ジョヴァンナは途中で罪悪感に襲われて引き返してしまう。

ジーノは1人で放浪を続け、ジョヴァンナを忘れようとするが、旅先の港町でブラガーナ夫婦と再会してふたたび店に戻ってしまう。2人はブラガーナの殺人を計画し、自動車事故を装って実行する。

しかし新しい生活を始めた2人のあいだには終始気まずい雰囲気が流れ、ジーノは別の女のところへ入り浸るようになる。一方、警察はブラガーナが殺害されたことを確信し、2人を指名手配した。ジーノはジョヴァンナが密告したのではないかと疑ったが、彼女の一途な愛と、彼の子を身ごもっている事実を知って再出発を決意する。しかし車で旅立とうという矢先、トラックと衝突して彼女は死んでしまった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%85%8D%E9%81%94%E3%81%AF%E4%BA%8C%E5%BA%A6%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%92%E9%B3%B4%E3%82%89%E3%81%99_(1942%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)


『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、原題:The Postman Always Rings Twice)は、1934年に出版されたジェームズ・M・ケインの小説である。彼の初めての小説になる。

共謀して夫を殺した妻とその愛人の関係を描いているが、過激な性の暴力の描写が話題になった。実際の事件が元になっているという。

1946年にはケイン自身がこの作品を戯曲化し、ブロードウェイで上演もされた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%85%8D%E9%81%94%E3%81%AF%E4%BA%8C%E5%BA%A6%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%92%E9%B3%B4%E3%82%89%E3%81%99  

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コメント
1. 中川隆[-11145] koaQ7Jey 2019年9月26日 22:50:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1662] 報告

2008年09月02日
ヴィスコンティ 「郵便配達は二度ベルを鳴らす」 その1
https://natsu.at.webry.info/200809/article_2.html

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』 "Ossessione"(ルキノ・ヴィスコンティ監督 1942年)

NHK BSで放送されたのを見ましたが、映像の状態がとてもよくなっていました。私が前に見たのは、随分前のことらしく、再見してああ、そうだったのか!ということがたくさん出てきました。

ヴィスコンティの処女作であり、ジェームス・ケインの原作はハリウッドでも何度か映画化され…云々は説明無用でしょう。古典作品でもあり、以降ネタバレありでいきますので、ご了承下さい。

あらためて驚いたのは、製作が第二次大戦真っ只中の1942年だということ。フェッラーラ近郊とアドリア海に面した港町アンコーナを結んだ北イタリアのポー側流域で物語は展開しますが、まったく戦争の影が射していない。普通だったら、戦意高揚映画でも撮らされているはずが、このような男女の愛欲と犯罪を描いたサスペンス作品の撮影が許可されたことが、不思議なくらいです。

フェッラーラ近郊と思しきポー側流域の街道沿いのTrattoria(食堂)に、ある夏の日、若く逞しい流れ者ジーノ(マッシモ・ジロッティ。ヴィスコンティからラブレターを受け取る→ホモセクシュアルを侮辱する返事を出す→怒ったヴィスコンティと決闘騒ぎになる→が、和解して本作出演…という経緯があったそうです)がふらりと現れる。たちまち食堂の主人プラガーナの若い妻ジョヴァンナ(クララ・カラマーイ)と深い関係に陥り、二人は一度は駆け落ちまで企てるが…という流れは、ジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラングが主演したハリウッド版と一緒ですね。

ヴィスコンティ版で興味深いのは、ジョヴァンナと別れて再び旅に出たジーノの前に、自称芸術家(実は寅さんみたいなテキ屋)のスパニョーロなる男が、現れること。二人はアンコーナにたどり着き、安宿に泊まるのですが、ここで私は前回見た時に分からなかったことを発見して、かなり衝撃。もちろん露骨な描写はありませんが、この二人ホモセクシュアルの関係だ。少なくとも、スパニョーロはそのつもりでジーノを相棒に選んだのだと思う。
ジョヴァンナのファム・ファタール(宿命の女)的キャラクターの影で、実はジーノは本人が無意識のうちに、女も男も虜にする悪魔的美青年を演じていたわけです。妻とジーノの関係にまったく気づかなかったプラガーノも、すっかりジーノを気に入っていたし。ヴィスコンティのリアリズム演出と、労働者の青年という設定で誤魔化され(?)そうになりましたが、私も年をとっただけのことはあって、やっと気づきました。

話は映画から逸れますが、ジーノとスパニョーロが落ち着いたのが、アンコーナというのが、この町を訪れたことのある私には、感慨深かったです。あの坂道のメインストリート、町を歩く水兵さん、丘の上のサン・チリアーコ寺院…映画の撮影から半世紀以上を経ても面影は濃く残っていました。

この町で、素人オペラ喉自慢が開かれ、ジーノとプラガーノ夫妻が再会するという設定も、意味があるのでしょうか。なぜかというと、プラガーノがジョヴァンナに「子供が産まれたら、ベニアミーノと名付けよう」という台詞があるのです。この作品が作られた当時の大テノール、ベニアミーノ・ジーリにちなんでいるわけですが、ジーリはアンコーナのあるマルケ州レカナーティの出身だそうです。
そして、この映画の撮影時には、20才そこそこの歌好きの青年に過ぎなかったフランコ・コレッリがアンコーナに暮らしていて、この12年後にヴィスコンティの演出によりスカラ座にデビューするとは、この時誰が想像していたことか…。

話を映画に戻すと、喉自慢大会でプラガーナが歌うのは、『トラヴィアータ』のパパ・ジェルモンのアリア「プロヴァンスの海と陸」。その歌声の流れる中、ジーノとジョヴァンナの愛が再燃するのですが、「道を踏み外した」息子を諭す父親の心情を歌った「プロヴァンス」が三人の関係に重なるようです。

そしてその夜、家に戻る途上で、酔っ払い運転をしていたプラガーナを事故死と見せかけて…と遂に、ジョヴァンナとジーノの犯罪が実行されます。
長くなってきてしまったので、続きはページをあらためて。
https://natsu.at.webry.info/200809/article_2.html

2. 中川隆[-11144] koaQ7Jey 2019年9月26日 23:01:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1663] 報告

2008年09月02日
ヴィスコンティ 「郵便配達は二度ベルを鳴らす」 その2

プラガーナ殺害=交通事故偽装は、映画の真ん中あたりで起こり、その後のジーノとジョヴァンナが1時間あまり延々と描かれます。やや冗長にも思えましたが、ヴィスコンティが一番描きたかったのは、この後半だったのかもしれません。
出会いの最初の頃から、二人の関係はジョヴァンナがリードしていることが窺われますが、殺人唆しで二人の力関係が決定的になる感あり。もともとジョヴァンナは夫を始末してくれている男を、蜘蛛の巣を張るように待っていたのではないか…と思えるのです。彼女がほんとうに欲しかったのは、夫の「店」だったのかと思えるくらい、彼女は平然と食堂の経営を続けます。

一方、ジーノはというと、次第に良心の呵責に耐えられなくなり、心もジョヴァンナから離れていく。「その1」で私はジーノは本人が無意識のうちに、女も男も虜にする悪魔的美青年を演じていたと書きましたが、いまや「無意識」を取り払って、彼は悩み怯える一介の青年に戻ってしまったかのようです。

しかし、もはやこれまでかと思われた二人の関係も、ジョヴァンナの妊娠が分かるや氷解する。「一人を殺したけれど、代わりに一つの命を授かった」というジョヴァンナの言葉に、ジーノは素直に運命を受け入れるのです。

警察の追及が迫る中、生まれてくる子供のことを語りながら車で逃げる二人、そして…というラストシーンも、ニコルソン、ラング版とほぼ同じでしたっけ…。

ヴィスコンティの演出力は、これが処女作と思えないほど厳しく、カメラワークも秀逸。基本はリアリズムですが、ジーノとジョヴァンニの会話の大仰さには、まだ舞台劇の雰囲気が感じられます。いずれにせよ、製作年、戦時下ということを考慮すると、未だにサスペンス映画として面白いのは、すごいことだと思います。

マッシモ・ジロッティはその後大きな役で出ることはなくても、中期の重要作『夏の嵐』、遺作『イノセント』と、ヴィスコンティ映画の節目に出演した重要な俳優だったと、あらためて思いました。
https://natsu.at.webry.info/200809/article_3.html

3. 中川隆[-11145] koaQ7Jey 2019年9月27日 03:17:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1662] 報告
ルキノ・ヴィスコンティ Luchino Visconti

モドローネ伯爵ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti, conte di Modorone, 1906年11月2日 - 1976年3月17日) は、イタリアの映画監督、脚本家、舞台演出家、貴族(伯爵)。

映画監督・プロデューサーのウベルト・パゾリーニ[1]は大甥。

1906年11月2日、イタリア王国ミラノで生まれた。

実家はイタリアの貴族ヴィスコンティ家の傍流で、父は北イタリア有数の貴族モドローネ公爵であり、ヴィスコンティは14世紀に建てられた城で、幼少期から芸術に親しんで育った[2]。

ミラノとコモの私立学校で学んだ後、1926年から1928年まで軍隊生活を送った[2]。退役後、1928年から舞台俳優兼セット・デザイナーとして働き始めた。

1936年にはココ・シャネルの紹介でジャン・ルノワールと出会い、アシスタントとしてルノワールの映画製作に携わった。

キャリア

1942年、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で映画監督としてデビュー。原作の使用許可を得ていなかったため、原題は『Ossessione (妄執)』である。同作は現在ではネオレアリズモ運動の先駆的作品と称されることもある。

ヴィスコンティは以後、ロベルト・ロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカなどと共にネオレアリズモの主翼を担う存在として知られるようになった。その後、数年間は舞台やオペラの演出家として専心した。また、第二次世界大戦中にはイタリア共産党に入党した。

戦後、1948年に南イタリアの貧しい漁師たちを描いた『揺れる大地』を発表し、6年ぶりに映画監督として復帰。同作は第9回ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞した。

以後、『ベリッシマ』(1951年)や『夏の嵐』(1954年)といったネオレアリズモに根差した作品を発表した。

1957年にはドストエフスキーの同名小説を映画化した『白夜』を発表。第18回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した。また、この頃に共産党から離党した。

1960年、アラン・ドロンやクラウディア・カルディナーレ、アニー・ジラルドらを起用したネオレアリズモの集大成的大作『若者のすべて』を発表。第21回ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞と国際映画批評家連盟賞を受賞した。

ネオレアリズモが下火となった以後は、自身の出自でもある貴族の没落や芸術家を描いた重厚で耽美的な作風に傾倒した。

1963年、バート・ランカスターを主演に迎え、ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサの同名小説を映画化した『山猫』を発表。第16回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した。

1965年には『熊座の淡き星影』が第26回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。

1967年にはマルチェロ・マストロヤンニとアンナ・カリーナを起用し、アルベール・カミュの同名小説を映画化した『異邦人』を発表した。

1969年、ダーク・ボガードやヘルムート・バーガー、イングリッド・チューリン、シャーロット・ランプリングらを配した『地獄に堕ちた勇者ども』を発表。ナチスが台頭した1930年代前半のドイツにおける製鉄一族の凋落を描いた。日本では三島由紀夫に激賞された。

1971年には再びボガードを起用し、トーマス・マンの同名小説を映画化した『ベニスに死す』を発表。第24回カンヌ国際映画祭で25周年記念賞を受賞した。同作はマーラーの交響曲第5番第4楽章アダージェットを一躍有名にした作品としても知られる。原作ではマーラーをモデルにした主人公アッシェンバッハは作家であるが、ヴィスコンティはそれを作曲家に変更している。また、タッジオを演じたビョルン・アンドレセンは本作をきっかけにアイドル的な人気を博した。

翌1972年にはヘルムート・バーガーを主演に据え、バイエルン王ルートヴィヒ2世の即位から死までを史実に沿って描いた歴史大作『ルートヴィヒ』を発表。ヴィスコンティは撮影中に病に倒れたが、過酷なリハビリをこなした末に同作を完成させた。しかし、左半身の後遺症は生涯残り、以後は車椅子での生活を余儀なくされた。

これら3作品は19世紀後半から20世紀前半のドイツ圏の爛熟と崩壊を遡る形で描いた「ドイツ三部作」と呼ばれる。


1974年、バート・ランカスターやヘルムート・バーガー、シルヴァーナ・マンガーノを起用した『家族の肖像』を発表。ランカスターが演じた孤独な老教授はヴィスコンティが自身を投影した人物とされる。日本ではヴィスコンティの死後、1978年に公開され、異例のヒットを記録。キネマ旬報ベストテンの第1位や日本アカデミー賞外国語映画賞などを受賞した。

1976年にはガブリエーレ・ダヌンツィオの同名小説を映画化した『イノセント』を発表。貴族映画の傑作として高く評価された。

同年3月17日、ローマにて69歳で死去した。


人物

生涯に渡りバイセクシュアルであることをオープンにしており、アラン・ドロンとの関係の噂もあった。ヘルムート・バーガーに至ってはヴィスコンティの死後、「私はヴィスコンティの未亡人だ」と発言したこともある。父親もバイセクシュアルであったという。大変貴族的な人物で、撮影現場も含め常にマエストロではなく伯爵と呼ばれていた。

愛用の香水は英国のペンハリガンのハマム・ブーケ。また、ルイ・ヴィトンの鞄を愛用していたが、当時は同社が有名ではなかったので、出演者が勘違いして「さすがはミラノの御貴族だけある。トランクの生地にすらイニシャル(偶然の一致で同じL.V)を入れてオーダーするとは」と感嘆したという逸話がある。

フィルモグラフィー

長編映画

郵便配達は二度ベルを鳴らす Ossessione (1942年)
揺れる大地 La terra trema: episodio del mare (1948年)
ベリッシマ Bellissima (1951年)
夏の嵐 Senso (1954年)
白夜 Le notti bianche (1957年) 
若者のすべて Rocco e i suoi fratelli (1960年) 
山猫 Il gattopardo (1963年)
熊座の淡き星影 Vaghe stelle dell'orsa (1965年) 
異邦人 Lo straniero (1967年)
地獄に堕ちた勇者ども The Damned / La caduta degli dei (1969年)
ベニスに死す Death in Venice / Morte a Venezia (1971年)
ルートヴィヒ Ludwig (1972年)
家族の肖像 Conversation Piece / Gruppo di famiglia in un interno (1974年)
イノセント L'innocente (1976年)


短編映画

Appunti su un fatto di cronaca (1953年) ドキュメンタリー
われら女性 Siamo donne (1953年) オムニバス
ボッカチオ'70 Boccaccio '70 (1962年) オムニバス
華やかな魔女たち Le streghe (1966年) オムニバス
タッジオを求めて Alla ricerca di Tadzio (1970年) ドキュメンタリー


受賞・ノミネート

第9回ヴェネツィア国際映画祭国際賞受賞 (『揺れる大地』)
第15回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品 (『夏の嵐』)
第18回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞 (『白夜』)
第21回ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞、国際映画批評家連盟賞受賞 (『若者のすべて』)
第16回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞 (『山猫』)
第26回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞 (『熊座の淡き星影』)
第29回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品 (『異邦人』)
第42回アカデミー賞脚本賞ノミネート (『地獄に堕ちた勇者ども』)
第24回カンヌ国際映画祭 25周年記念賞受賞 (『ベニスに死す』)
第25回英国アカデミー賞作品賞、監督賞ノミネート (『ベニスに死す』)

著作

『ヴィスコンティ秀作集』(全8巻 新書館、1981年-1982年) 各シナリオ、対話、撮影日誌・解説ほか

1.ベニスに死す
2.夏の嵐
3.山猫
4.地獄に堕ちた勇者ども
5.家族の肖像
6.若者のすべて
7.熊座の淡き星影
8.郵便配達は二度ベルを鳴らす
『ルートヴィヒ』 (豊田雅子ほか訳、山猫書房、1980年、新装版1989年) 
『ヴィスコンティ=プルースト シナリオ「失われた時を求めて」』 (大条成昭訳、筑摩書房、1984年 / ちくま文庫、1993年) スーゾ・チェッキ・ダミーコとの共著 
『アンジェロの朝』(吉田加南子訳、PARCO出版、1995年) 若き日に執筆した未完の小説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3


4. 中川隆[-11144] koaQ7Jey 2019年9月27日 03:21:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1663] 報告

ミラノとは北イタリアの厳しく寒い、霧の土地です。

ナポリやローマの地中海に面した温暖明媚な都会でもなければ海辺の町でもない。そこにある空気はイタリア的というよりゲルマニアに近い。

ヴィスコンティ映画の絢爛豪華さは、彼の大好きなオペラ的・舞台的手法の臆面もない駆使でした


2012年7月1日
特集 ルキノ・ヴィスコンティ 郵便配達は二度ベルを鳴らす (1942年 恋愛映画)
https://womanlife.co.jp/topics/k-2734


監督 ルキノ・ヴィスコンティ
出演 マッシモ・ジロッティ/クララ・カラマイ/ファン・デ・ランダ .


「悲劇」と「逸脱」の出発

 昨年8月1日から始まった「シネマ365日」は平成24年7月31日で「365日目」を迎えます。最終月の特集はルキノ・ヴィスコンティにしました。

映画とはつまるところドラマツルギー(作劇)への信頼ではないか。映画史のうえでいろんな実験があり優れた映画が製作されてきました。代表的なものにヌーベル・ヴァーグがありますが大騒動が静まってふりかえると、結局どんな潮流も実験も人間の「つくりものに対する欲望」あってのことでした。であれば作劇のおもしろさを骨の髄まで感じさせてくれる映画にやはり賛辞を呈したい、まちがいなくドラマツルギーの頂きのひとつに、ルキノ・ヴィスコンティはあると思うものです

▼ネオレアニズモの先駆とされるこの映画も、作られてから70年もたつと、主義やら何やらはきれいさっぱり洗い流され、あるべき作品の骨格だけが残されています。ポーの「黄金虫」のように、時間と風雨にさらされた「しゃれこうべ」がいやましに白い光を放つように。ネオリアニズモが謳う反ファシスト体制を本作でいうなら、当時の公序良俗に反する不倫を堂々ととりあげたとか、反体制側であるスペイン人を作中に登場させたとかでしょうが、背景や主義主張を知らなければ意味が通じない映画や小説は、どうせたいしたものじゃないのです。70年たって見ると、正直に劇の面白さだけが残っていますね。1939年、1942年、1946年、1981年と4度も映画化された小説もあまりありません

▼「郵便配達は度ベルを鳴らす」という意味ありげで意味不明のタイトルも、映画をミステリアスにした一因でしょう。「来客ではありません、わたしは郵便配達人です」という当時のサインが二度ベルを鳴らすことだったらしいのです。こんなどうでもいいことをくどくど書くことからして、ヴィスコンティ流篭絡術の網にかかったことになるのかもしれないのです

▼ヴィスコンティの気力・体力ともに充実した最高の時期は「山猫」からゲルマニア3部作だと思います。36歳のときの「郵便配達」から66歳の「ルードヴィヒ」までの30年間を、通奏する基調低音はなんだろう。彼の作風は爛熟と退廃と滅びの美学とよくいわれますが、ミラノのスカラ座に、ルネサンス期から続くヴィスコンティ家専用の席をもつ公爵の家に生まれ育つなら、たいていの爛熟はその城に(自宅だった)別荘に、家具に、庭園に、装飾に、調度に、衣装に、料理に、生まれた時からつきまとっているでしょう

▼ミラノとは北イタリアの厳しく寒い、霧の土地です。ナポリやローマの地中海に面した温暖明媚な都会でもなければ海辺の町でもない。そこにある空気はイタリア的というよりゲルマニアに近い。ヴィスコンティ映画の絢爛豪華さは、彼の大好きなオペラ的・舞台的手法の臆面もない駆使でした

▼彼の特質は物事をうたう詩人というより、超一流の叙述する能力つまり散文家の精神であったと思える。彼の昆虫のような目がとらえた叙述からのがれられるものはなかった。衣装はヴィスコンティ映画の華ですが、その開花は「郵便配達」の30年先を待たねばならない。基調低音にもどればそのひとつは「崩壊」そのひとつは「逸脱」だと思えます。家族に対する不信。おめでたい信頼に対する嘲笑。罪でもなく罰でもなく人はなにかに、自分の責任以外のなにかに、たとえば時代というものに、戦争というものに蹂躙される悲劇がある。ヴィスコンティという人は生まれながらにして膨大な教養という財産を受け継いだ巨人であり、その人がみる人間の暗部には冥いとも、豊かともいえる無尽蔵の虚無が蔵されていました

▼そんなことを考えながら、おいおい書いていくことにしてストーリーに戻ります。ポー河のほとりにあるレストラン「ドガナ」に流れ者の青年ジーノ(マッシモ・ジロッティ)が現れる。年の離れた夫とのくらしに嫌気がさしているジョバンナ(クララ・カラマイ)はジーノをみたとたん濃密な性の匂いをかぎとる。二人は町をでようと決めるが、娼婦の身からとにもかくにも安定した今の暮らしを得たジョバンナは決心がゆらぎ、駆け落ちの途中で引き返す。しかし偶然二人は旅先であい再燃、ジョバンナとジーノは共謀して夫を車の事故にみせかけ殺害する。これで幸福な新しい暮らしが始まるはずだったが…

▼女といっしょにはなったが仕事もなく、友達もいない田舎町でジーノはつまらない。意気消沈していく。店も手伝わないものだからジョバンナは一人で料理、下ごしらえ、お運び、後片付けに皿洗い。店がひけるとぼろくずのように疲れ切って冷えた残り物を食べながら眠りこけてしまう。ジーノはさっさと町で若い娘をみつけ浮気する。彼の言い分は死んだ亭主の影のある店にいたくないそうだ。この映画のどこを輪切りしても刹那的な欲望とエゴイズムと肉体の脂がぎらぎらしている。逸脱するのが当然の成り行きなのだが、ヴィスコンティは鷹がネズミを引き裂くように、欲望の罠にはまった男と女の悲しみを引き裂く。その引き裂き方は叙情的ですらある。彼は決して早熟ではなく、なにも急がなかった。揺籃のなかに熟していく文化のデカダンスを、何百年もの城や家具にかこまれ、生まれたときから肌感覚で知っていた。その引き裂き方は冷たくて優雅です。
https://womanlife.co.jp/topics/k-2734

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