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明治維新と日英同盟の背景
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投稿者 中川隆 日時 2019 年 9 月 06 日 04:15:29: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 明治天皇すりかえ説 _ 明治天皇は大室寅之祐なのか? 投稿者 中川隆 日時 2019 年 8 月 22 日 09:38:28)


明治維新と日英同盟の背景

明治維新から現在に至るまで日本の支配構造は基本的に変化していない。その連続性を象徴する人物がウォール街の中枢から大使として日本へ派遣されていたジョセフ・グルーだ。第2次世界大戦の前、グルーが所属するウォール街は親ファシストで、ニューディール派を敵視していた。そのため、フランクリン・ルーズベルトが大統領に当選すると、クーデターを計画したわけだ。


 関東大震災以降、グルーと緊密な関係にあるJPモルガンが日本に大きな影響力を及ぼしていた。この巨大金融資本は親ファシズムだ。この問題と向き合わないようにするため、「軍国主義」というタグが使われているのではないだろうか。


 このJPモルガンはロスチャイルドから派生した。明治維新はそのロスチャイルドを含むイギリスの支配層から強い影響を受けていた。清(中国)を侵略するためにイギリスはアヘン戦争を仕掛けたのだが、本ブログでも指摘したように、大陸を支配するための戦力がなかった。イギリスが日本の軍備増強を支援した理由はそこにある。傭兵にしようとしたのだ。そして作り出されたのが天皇制官僚国家。これが日本の国体だ。


 イギリスの手先として日本は琉球を併合、台湾へ派兵、江華島で軍事的な挑発、日清戦争、日露戦争と大陸侵略を進めていく。モスクワが革命で揺れていたとはいえ、戦争が長引けば日露戦争で日本が勝つことは難しかった。そこで、棍棒外交で有名なシオドア・ルーズベルト米大統領が仲裁のために登場してくるわけである。


 日清戦争で日本が勝利した1895年、日本の三浦梧楼公使たちは朝鮮の閔妃(明成皇后)を含む3名の女性を惨殺した。その際、性的な陵辱を加えているのだが、筆者個人の経験では、そうした日本側の行為に憤っている韓国のエリートは今でもいる。なお、暗殺に加わった三浦公使たちを日本の裁判官は「証拠不十分」で無罪にしている。その後、三浦は枢密院顧問や宮中顧問官という要職につく。


 日本でどのような教育や宣伝がなされても、少なからぬ韓国人は日本に支配されていた時代を忘れてはいない。何かの切っ掛けで、そうした感情は噴出する。今回、韓国で日本製品の不買運動が始まっているようだが、当然の結果だ。


 元徴用工の問題も日本による支配の中で生じたのであり、安倍政権の言動はそうした感情を噴出させることが目的だったとしか思えない。安倍政権には中国との関係を破壊しようとした菅直人政権と同じものを感じる。


 ロシアや中国との関係を強める韓国を引き戻すために脅しているのかもしれない。日本に脅させ、アメリカが「白馬の騎士」として登場するつもりかもしれないが、安倍政権の行動は韓国の自立を促進、ロシアや中国へ追いやる可能性がある。そうしたことがロシアや中国でも起こった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907170000/



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かつて、中国から西アジアを経由して地中海へ至るシルク・ロードという交易ルートがあったが、物流の中心はやはり海運だった。その海路を支配することで勢力を伸ばした国のひとつがイギリスである。海路を支配するということは、自由な航行を許さないということでもある。


 その戦略を体系化したのがハルフォード・マッキンダーというイギリスの学者。1904年に世界制覇のため、ユーラシア大陸の沿岸地域を制圧して内陸部を締め上げていくという戦略を発表している。


 マッキンダーは世界を制覇するためにロシアを支配する必要があると考えた。ロシアには耕作地が広がり、19世紀には領内で油田が発見された資源国であり、国民の教育水準も高い。ロシアの南にある中国も古くから栄え、莫大な資産が蓄えられている。


 ロシアや中国を締め上げるため、マッキンダーは西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯を、その外側に外部三日月地帯を想定した。


 内部三日月帯を海路でつなぐためにスエズ運河がイギリスにとっていかに重要かということは言うまでもないだろう。地中海からスエズ運河を通って紅海へ入り、そこからインド洋へ抜ける際に通過するアデン湾はアラビア半島の南端(イエメン)とアフリカの角(ソマリア)に挟まれている。


 マッキンダーが想定する内部三日月帯はアラビア半島を通過しているが、かつて、そこにイギリスの拠点はなかった。そしてイギリスはイスラエル(1948年)とサウジアラビア(1932年)を作る。その三日月帯の東端に日本はある。大陸を侵略する拠点として格好の場所だ。


 イギリスは19世紀から中国(清)を食い物にしようとしてきた。そして実行されたのが1840年に勃発したアヘン戦争と56年に始まった第2次アヘン戦争だ。


 前にも書いたことだが、アヘン戦争と第2次アヘン戦争でイギリスは勝利したものの、内陸部を支配する戦力がない。アヘン戦争に投入されたイギリス軍は5000名。7000名はインドの兵士だった。第2次アヘン戦争でイギリス軍は兵士の数を増やしたが、それでも1万3127名。フランスから7000名ほどが参加している。


 要するに、イギリスは戦力が圧倒的に不足している。そこで目をつけられたのが日本だ。明治維新はそうした側面から考える必要がある。ちなみに日清戦争で日本軍は24万人が投入された。明治維新以降、日本は大陸侵略の拠点であり、日本人はアングロ・サクソンの傭兵としての側面があるのだ。明治維新によって安藤昌益を生んだ徳川時代は終わり、大陸を侵略する天皇制の明治時代が始まる。


 イギリスがアヘン戦争を仕掛けたのは資本主義が破綻したからにほかならない。資本主義は富を循環させるのではなく集中させる。必然的に貧富の差が拡大し、経済は持続できない。そこで国外で略奪するしかないのだ。世界市場の形成、原料の入手と言えば聞こえは良いが、押し売りと略奪だ。押し売りの商品の中には麻薬も含まれている。


 今回のタンカー拿捕はアメリカが東シナ海や南シナ海で展開している軍事行動の性格も示している。中国などアメリカに楯突く国の海上輸送をいつでも断ち切れる体制を確立したいということだ。日本はその手先にされている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907070000/



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インドはロシアにとってもアメリカにとっても重要な国。アメリカ太平洋軍は2018年5月に名称をインド太平洋軍へ変更、インド洋から太平洋にかけての地域を統括して扱うようになった。太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという。ディエゴ・ガルシア島も重要な役割を果たすことになる。

 ソ連が存在していた当時、インドはソ連、インドのライバルであるパキスタンは中国と結びついていたが、今、ロシアと中国は戦略的な同盟関係にあり、インドとパキスタンを接近させる力として働いている。


 アメリカと同じアングロ・サクソン系の国であるイギリスは19世紀からアジア大陸の東側を支配、略奪する拠点としてインドと日本を利用した。イギリスの後継国であるアメリカも同じだ。その戦略をまとめた理論をハルフォード・マッキンダーというイギリスの学者が1904年に発表している。今でもアメリカはこの戦略に基づいて動いているように見える。


 この理論はイギリス(アメリカ)が海洋を支配しているという前提で、ユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部、つまり中国やロシアを締め上げていくというもの。ヨーロッパの内陸国もターゲットだったのだが、ふたつの世界大戦で米英の支配下に入っている。NATOの役割のひとつはそのヨーロッパを支配することだ。


 フランスの大統領だったシャルル・ド・ゴールは1966年に自国軍をNATOの軍事機構から離脱させ、67年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出しているが、これはそうした事情を熟知していたからだろう。


 イギリスやアメリカの中国侵略が本格的に始まったのは19世紀のアヘン戦争からだが、イギリスが薩摩や長州を支援して徳川体制を倒して新体制を樹立、その新体制を支援した理由は中国の内陸部を支配するためだったようにしか思えない。


 そのアヘン戦争でイギリスが奪い取った地域のひとつが香港である。それ以来、ここはアジア侵略、麻薬取引、マネーロンダリングなどの拠点として利用されてきた。シティを中心とするタックス・ヘイブンのネットワークにも組み込まれている。


 明治時代、朝鮮はイギリスの侵略に加担しようとせず、日本の侵略を受けた。現在、朝鮮半島は北の朝鮮と南の韓国に分かれているが、朝鮮だけでなく韓国も中国やロシアに接近している。アメリカが朝鮮半島を支配することは難しい情勢だ。


 アメリカとしては日本支配を強めようとするだろうが、ボリス・エリツィン時代のロシア人と同じように、日本人は絞め殺されることになる。ロシアでは大多数の国民が貧困化、その一方で西側巨大資本の手先になった一部は巨万の富を手にしたわけだが、それこそが日本の「エリート」が望んでいることだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201909060000/

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アメリカでは19世紀に「泥棒男爵」と呼ばれる人びとが出現した。不公正な手段で財産を手に入れ、巨万の富を築いた人たちだ。石油業界を支配することになるジョン・D・ロックフェラー、金融帝国を築いたJ・P・モルガン、鉄鋼業界のアンドリュー・カーネギー、ヘンリー・クレイ・フリック、鉄道のエドワード・ヘンリー・ハリマン、金融や石油で財をなしたアンドリュー・W・メロンなどが含まれている。


 こうした人びとの権力が強大化する切っ掛けになった出来事が1913年12月にあった。連邦準備制度が創設され、連邦準備理事会が金融政策の樹立と遂行を監督、12の連邦準備銀行が政策を実行することになったのだ。このシステムを支配するのは富豪たちだ。


 連邦準備制度を作るための秘密会議が1910年11月にジョージア州のジキル島で開かれている。会議に参加したメンバーはクーン・ローブやJPモルガンの使用人やジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの義父、つまりロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーの代理人たちだった。こうした人びとがアメリカの通貨を発行する特権を持つことになる。


 こうした富豪が拠点にしている場所がウォール街やシティ。そこの住人に立ち向かった大統領もかつてはいた。フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディたちだ。


 ルーズベルトは1932年の大統領選挙で勝利したのだが、その時にライバルだったハーバート・フーバーは現職の大統領。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物。政治家になってからはウォール街から支援を受けていた。


 そのフーバーとは違い、ルーズベルトは労働者の権利を認めてファシズムに反対するニューディール派を率いていた。そのルーズベルトをウォール街は嫌った。


 本ブログでは繰り返し書いてきたが、1933年から34年にかけてウォール街の大物たちはニューディール派を排除するためにクーデターを計画する。そのため、軍の内部で大きな影響力を持っていた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込もうとするのだが、失敗してしまう。計画の内容はバトラー、そしてバトラーと親しかったジャーナリストが議会で証言、記録として残っている。


 クーデターで中心的な役割を果たしたのはJPモルガンだったとされているが、その総帥であるジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーは1932年に駐日大使として来日している。


 ちなみに、JPモルガンの共同経営者だったエドワード・ストーテスベリーと結婚したエバ・ロバーツ・クロムウェルの娘の夫はダグラス・マッカーサーである。


 グルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持つ人物で、特に松岡洋右と親しかった。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 日本軍が真珠湾を奇襲攻撃して日本とアメリカが戦争を始めてしばらくの間、グルーは日本に滞在。離日したのは1942年8月だが、その直前に彼がゴルフをした相手は岸信介だ。大戦後、日本の進む方向を決めたジャパン・ロビーの中心にもグルーはいた。グルーが親ファシスト勢力に属していたことを忘れてはならない。


 すでにアメリカでは強大な私的権力が国を上回る力を持っている。その結果、「権力の乱用と権利の侵害が常に同じ目標に向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らか」になっていると言える。


 2011年9月11日以降、アメリカでは国外での侵略戦争、国内での刑務所化が急速に進んでいる。アメリカの属国である日本もその後を追っている。そうした現状を見ながら、「それでもアメリカは民主主義国だ」とか「それでもアメリカの方がましだ」という「左翼」、「リベラル派」、「革新勢力」が日本にはいる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907030000/



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2019.09.01
日本がウォール街の属国になる切っ掛けになった関東大震災から96年


 今から96年前、1923年の9月1日午前11時58分に東京周辺は巨大地震に襲われた。被災者は340万人以上に及び、死者と行方不明者を合わせると10万5000名以上、損害総額は55億から100億円に達していたと言われている。


 その直前、8月24日に加藤友三郎首相が死亡、山本権兵衛が組閣している最中だったことから政府は機能していない。そうした中、水野錬太郎内相と赤池濃警視総監が震災対策の責任者になる。両者は朝鮮の独立運動を弾圧したコンビだ。


 1日の夕方になると「社会主義者や朝鮮人の放火が多い」、「朝鮮人が来襲して放火した」、「不逞鮮人が来襲して井戸への投毒・放火・強盗・強姦をする」といった流言蜚語が飛び交いはじめ、2日夜に警視庁は全国へ「不定鮮人取締」を打電して戒厳令も施行された。


 こうした雰囲気が社会に蔓延、少なからぬ朝鮮人が虐殺されている。どういうプロセスでこうした流言蜚語が広まったのかは不明だが、その結果として数千人の朝鮮人や中国人が殺されたと言われている。さらに社会主義者やアナーキストが虐殺されているが、そうした犠牲者のひとりがアナーキストの大杉栄だ。彼は妻の伊藤野枝や甥の橘宗一とともに憲兵大尉だった甘粕正彦に殺されたのである。地震当時、東京に住んでいた人の話では、焼き殺された朝鮮人もいたようだ。実行者は日本の庶民にほかならない。


 その時、千駄ヶ谷では伊藤圀夫という日本人が朝鮮人に間違われ、殺されそうになっている。伊藤は後に俳優や演出家として活躍することになるのだが、その時には「千駄ヶ谷のコリアン」をもじり、「千田是也」と名乗った。


 地震は日本の経済も揺るがした。そこで山本内閣の井上準之助蔵相は銀行や企業を救済するために債務の支払いを1カ月猶予し、「震災手形割引損失補償令」を公布している。すでに銀行が割り引いていた手形のうち、震災で決済ができなくなったものは日本銀行が再割引して銀行を救済するという内容だ。


 銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したために手形の総額は4億3000万円を上回る額になる。しかも銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。


 そこで復興資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガン。この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助である。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。


 必然的にJPモルガンは日本に対して大きな影響力を持つようになり、緊縮財政と金本位制への復帰を求めてくる。1929年7月に誕生した浜口雄幸内閣がこの要求を実現、日本の経済状況を悪化させ、庶民は塗炭の苦しみをなめさせられることになった。その時の大蔵大臣は井上だ。


 JPモルガンは1932年から33年にかけての頃、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルト大統領を倒してファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画した。


 この計画はアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー退役少将が阻止、議会でクーデターについて詳しく証言している。そのバトラー少将によると、ウォール街は金本位制に執着していた。


 日本では金本位制へ復帰した結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。


 そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、つまり強者総取りを信奉、失業対策に消極的で労働争議を激化させることになる。こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。


 ルーズベルトを大統領にした選挙は1932年に実施されたが、その年にハーバート・フーバー大統領は駐日大使としてジョセフ・グルーを日本へ派遣する。この人物のいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻だ。


 グルーは日本の支配層に太いパイプがあり、秩父宮、近衛文麿、松平恒雄、徳川家達、幣原喜重郎、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていた。その中で最も親しくしていた人物は松岡洋右。1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を攻撃、翌年の8月にグルーは日本を離れるが、最後にゴルフをした相手は岸だった。ちなみに、松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 1932年に日本は「満州国」をでっち上げているが、そこで権勢を振るった「二キ三スケ」の中に松岡(スケ)と岸(スケ)は含まれている。そのほかのメンバーは東条英機(キ)、星野直樹(キ)、そして鮎川義介(スケ)だ。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、戦後日本のあり方を決めたジャパン・ロビーの中心にはジョセフ・グルーがいた。戦前レジームと戦後レジームはつながっている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201909010000/


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昭和天皇が戦後 日本軍を作らせなかった理由


東京を囲むように米軍基地がある。
横須賀に海軍もある。
東京に敵は攻めて来るか?
なら、東京周辺は、何のために?

天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。

天皇一族は軍人によるクーデターや革命を極度の恐れているので、日本軍を持たないで米軍に皇居の近くに駐留して天皇一族を守ってもらいたいのですね:


革命とは市民のデモ行進が始まりかも知れないが、軍が革命側に寝返って初めて起きる。

2019年07月19日
香港革命がおそらく起きない理由 鍵を握る香港警察


革命には香港警察の中国裏切りが必要だが、中国人にそういうセンスがあるだろうか


画像引用:Hong Kong protesters weigh Bank of China 'stress test' after latest clashes | The Japan Times https://cdn.japantimes.2xx.jp/wp-content/uploads/2019/07/f-hkprotest-a-20190709-870x580.jpg

香港革命は起きるか

容疑者の本土引き渡し方案への反発から、香港で民主化デモが盛り上がっています。

市民数十万人が抗議デモを行ったほか、香港議会庁舎にデモ隊が突入したりしました。

香港警察は庁舎に突入した数十人を逮捕するなど、徐々に圧力を強めている。


デモ隊が庁舎に突入する前に警官隊が撤退しており、突入を誘って逮捕する口実を作ったとも言われている。

これは毛沢東の共産軍や蒋介石の国民党軍が日本軍に繰り返した戦術とうりふたつでした。

国民党軍は日本軍が近づくと市街地に火をつけて引き上げ「日本軍の犯行」と宣伝しました。


2014年の香港雨傘運動の時も同様に盛り上がったが、首謀者が拘束されるとあっけなく鎮静化しました。

1989年天安門事件の時もそうだったが、学生運動はリーダー格の学生が逮捕されるとひとたまりもない。

2019年の香港民主化運動はリーダーが存在せず、ネット上で運動を呼びかけて自主的に集まった。


中国政府としてはリーダーを逮捕して終わりという訳にはいかず、鎮圧に手こずっている。

ではこうした民主化運動で中国政府が民主化を認めたり、香港革命が起きるかというと望み薄です。


中国政府は一時的に妥協して容疑者引き渡し方案を撤回する事はあるでしょうが、後で名前を変えてこっそり成立させます。


フランス革命の有名なバスティーユ襲撃、本当の主役はデモ隊を見逃した警官隊と、国王を裏切ったフランス軍だった

画像引用:https://sistemaspoliticos.org/wp-content/uploads/2016/05/Prise_de_la_Bastille-20.24.04.jpg

革命は軍隊が寝返って起きる

世界中のあらゆる革命は市民のデモ行進などで起きた事になっているが、真実ではありません。

フランス革命の原因はルイ14世が革命を認めてしまった事と、フランス軍が裏切って革命派についたからでした。

ロシア革命もまったく同じで、ニコライ2世が革命派に譲歩を繰り返し、最後に軍が寝返った。


明治維新も同じで徳川慶喜は長州征伐以降譲歩を繰り返し、旗本百万騎が徳川を裏切った。

薩長軍が江戸を包囲した時、江戸城に集まった武士は500人だけで、全員が同心など下級武士だった。

清国が滅んで中華民国が成立した辛亥革命は、地方軍が反乱軍となり、孫文のもとに革命軍となって清国を倒した。


アメリカがイギリスの植民地から脱した独立戦争は、植民地軍がイギリス軍を倒したから実現した。

もしイギリス軍が植民地軍に勝っていたら、その後のアメリカ合衆国は誕生せず、今日のアメリカもなかった。

同様にロシア軍やフランス軍が裏切らず、革命軍を倒していたら今もロマノフ王朝やフランス王家は続いていたかも知れない。


つまり革命とは市民のデモ行進が始まりだったかも知れないが、軍が革命側に寝返って初めて起きる。

軍が王や国家に忠実なら革命は絶対に起きないので、いくらオウムや赤軍があばれても日本で革命は起きない。

香港には香港軍が存在せず、守備隊すらないのでこれだと革命が起きる可能性は小さい。


香港警察は民主主義に目覚めるか

もし香港で革命が起きるとしたら、東ドイツ崩壊の時のように警察が国家を裏切って市民側に味方した時です。

香港警察の指導部や警官たちが、急に民主主義に目覚めて市民を守るなどありえるのでしょうか?

中国人の役人にそうしたメンタリティがあるとは聞いたことがないし、強きを助けて弱きを叩くのが中国の伝統です。


例えばソ連邦が崩壊した時、共産軍の戦車部隊が市民のデモ隊と遭遇し、市民らは戦車の前に立ちふさがったり寝転んだりして戦車隊は停止しました。

90年の天安門事件でも同じことがあったが、中国共産軍の装甲車は天安門広場の学生約3000人の前で止まる事は無かった。

同じ事は2008年チベット騒乱でも2009年ウイグル騒乱でも起きていて、装甲車に立ちふさがる僧侶を共産軍と治安部隊は蹴散らした。


中国4000年の歴史で軍や警察が「市民のために国家と戦った」など一人も聞いたことがない。

もし香港警察が中国を裏切って市民側につき、香港革命が起きたら、日本人は中国人への認識を変えなくてはならない。

だがその可能性は宝くじで一等が当選するよりも低いでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80437741.html#more.

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植民地のインドは商品を輸出しても、その見返りの代金は
ポンドでイギリスに蓄積され、デフレになり、不景気になった
2006年2月9日 アメリカの謎を解く 橋本裕の文学・人生日記帳


ブッシュ大統領が1月31日の一般教書演説で、「私は8800億ドルを減税し、国民に返却した。今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」と述べた。

 一方で、アメリカの経常赤字は05年が7900億ドル(93兆6940億円)、財政赤字も06年度は4230億ドル(約50兆2千億円)で過去最大、債務残高はすでに8兆ドル(約950兆円)を越えている。

 日本では、税制赤字を解消するために、増税をしなければならないと考えられているが、アメリカは逆である。減税をして国内消費を活性化し、景気をよくして税収をあげようとする。さらにアメリカの場合は戦争によって軍需景気を作りだしているわけだ。

 いずれにせよ、アメリカは消費大国。国も国民も借金をして消費を楽しんでいる。このアメリカの消費を助けているのが日本をはじめとするアジア諸国だ。とくに日本の貢献が大きい。日本は政府と民間が何百億ドルというアメリカ国債を買っている。

 先日、朝日新聞夕刊「経済気象台」に「米国のもう一つの謎」という文章が載った。経常収支の赤字が拡大しているにもかかわらず、ドル高が持続している謎について、それは借金国のアメリカが負債について支払う金利が「異常」に低いからだと書いている。これに反して、アメリカの対外資産は巨大な利益を手にしている。

 アメリカは莫大な借金をし、そしてその中から、わずかな一部を他国に貸している。そして不思議なことに、巨大な借金のための利払いよりも、わずかな海外資産の方が多くの利益を生み出しているというのだ。

 どうしてこんなマジックが可能なのか。それは日本がこの逆をしているからである。なぜ日本がこの分の悪い役回りを続けるのか、実はこれこそが本当の謎だということになる。

驚くべきことに、小さな対外資産から受け取る利子と配当が、大きな対外負債に支払う利子と配当を今日まで上回り続けている。家計にたとえると、収入を上回る買い物をして毎月赤字が続き、借金が膨らんでいる。ところが、多額の借金に支払う金利がゼロに近ければ、わずかばかり保有する預金などから受け取る利子の方が大きいという状態なのだ。これでは赤字をいくら出しても、借金さえできれば、後は何の憂いもなく買い物ができる


このうまい話に手放しで悪のりして、米国は経済収支赤字を続け、負債の増加に加速度がついている。この構図が最近話題になり、債権国が浮き足だっている。日本にその気配がないことが「謎」の源である


 実はアメリカのこの「うまい話」は、19世紀に繁栄した大英帝国をまねているだけだ。大英帝国の場合は、その繁栄の謎をとく鍵はインドをはじめとする植民地が持っていた。たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上していた。ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。

 だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。

 イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、しかもしはらったポンドもイギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。こうしてイギリスはどんどん発展した。

 一方植民地はどうなったか。たとえばインドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。

 仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。

 このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。経済同友会元副代表幹事の三國陽夫さんは、「黒字亡国」(文春新書)にこう書いている。


輸出拡大によっていくら日本が黒字を蓄積しても、それはアメリカ国内にあるアメリカの銀行にドルで預け入れ、アメリカ国内に貸し置かれる。日本からの預金は、アメリカにしてみれば資金調達である。貸し出しなどに自由に使うことができる。

 日本は稼いだ黒字にふさわしい恩恵に与らないどころか、輸出関連産業を除いて国内消費は慢性的な停滞に喘いでいる。停滞の原因であるデフレはなかなか出口が見えない。

 日本の黒字がドルとして流入したアメリカはどうなのか。ドルはアメリカの銀行から金融市場を経由して広く行き渡り、アメリカ経済の拡大のために投下されている。日本の黒字は結局、アメリカが垂れ流す赤字の穴埋めをし、しかもアメリカの景気の底上げに貢献しているのである。・・・

 輸出で稼いだ黒字を日本がドルでアメリカに預け、日本の利益ではなく、アメリカの利益に貢献している限り、円高圧力もデフレ圧力も弱まることなく、政府・日銀がいくら財政支出や金融緩和というデフレ解消策を講じても、一向に持続性ある効果は現れないのである


 幸い、最近この貿易構造がかわりつつある。日本の貿易相手国が中国をはじめとするアジアやヨーロッパにシフトしたことで、日本の対米黒字の割合が相対的に低下したからだ。こうして日本がデフレから解放されるチャンスがここから拡大した。

 しかし、問題はすでに厖大なドル建て資産をアメリカに持っていることだ。日本人の汗の結晶であるドル建て資産が、今後ドル安で何百兆と失われる可能性がある。こうした形で、アメリカは最終的に日本の資産を合法的に手に入れようとする。

「今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」というブッシュの一般教書の宣言は、これからも日本をはじめ、世界から資金を調達するという意思表示と読むべきなのだろう。
http://www.asyura2.com/0601/hasan45/msg/253.html

 

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コメント
1. 中川隆[-12990] koaQ7Jey 2020年4月23日 17:21:00 : GQpq4C3J56 : WFRrYkRPZmZYYWc=[11] 報告
人びとに衝撃を与える出来事を利用して支配者は自分たちに都合の良い社会システムを築いてきた。例えば、関東大震災の際に公布された治安維持令などを集成する形で2年後の1925年に治安維持法が公布され、社会の収容所化が強化されている。この震災は日本をアメリカの巨大金融機関、JPモルガンの支配下に置くことになった。

 本ブログで繰り返し書いてきたことだが、JPモルガンをはじめとするウォール街の住民は親ファシズムで、1933年から34年にかけて、アメリカのニューディル派政権を倒すためにクーデターを実行しようと動いていた。

 JPモルガンが日本支配を始める前、徳川体制が崩壊する頃から日本はイギリスの影響下にあった。アヘン戦争でイギリスは清(中国)に勝ったものの、内陸部の制圧はできていない。戦力が圧倒的に足りなかったのである。そこで目をつけたのが日本。日本はイギリスの傭兵になることでイギリスからさまざまな支援を受けることになった。アジア侵略の手先になることで富と地位を獲得した人びとがその後の日本を支配することになるわけだ。

 アヘン戦争で儲けたイギリス系企業のひとつ、ジャーディン・マセソンが明治体制ができあがる過程で大きな役割を果たしているが、日露戦争の際にはロスチャイルド系銀行のクーン・ローブが日本へ戦費を貸していた。JPモルガンとロスチャイルドの関係も有名だ。

 こうしたイギリスやアメリカの金融資本を後ろ盾として築かれたのが日本の天皇制官僚システムにほかならない。1932年にアメリカから駐日大使としてジョセフ・グルーがやってくるが、そのいとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。またグルーの妻、アリスの曾祖父にあたるオリバー・ペリーは海軍の伝説的な軍人だが、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 JPモルガンの中枢につながるグルーは第2次世界大戦後、日本の進路を定めたジャパン・ロビーの中心的な存在になった。「民主的」とされる日本国憲法は天皇制の維持を宣言している。戦前も戦後も支配体制は米英の金融資本を後ろ盾とする天皇制官僚システム。基本構造は同じということだ。大正デモクラシーも戦後民主主義も天皇制官僚国家の構造の民主化ではなく、政策の民主化にすぎない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004230000/

2. 中川隆[-10183] koaQ7Jey 2020年11月05日 00:34:03 : kkAOyoEBTY : SElVYkJwUVhnOWM=[21] 報告
明治天皇も昭和天皇も天皇家ではなく李氏朝鮮の王族や両班階級の血筋だった
故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)


田布施は李氏朝鮮の王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏朝鮮の王の末裔です。

永田町における「朝鮮系」というのは李氏朝鮮時代の両班階級出身という意味です。以前、田布施の話をした時にも言いましたが、田布施は李氏朝鮮の王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏朝鮮の王の末裔です。岸という名字も「李」を分解して木(き)と子(し)にしたから岸(きし)なんだという話をしたと思います。安倍さんは岸家の人なので、当然「朝鮮系」ですし、今井さんも安倍さんと遠い親戚なのでやはり「朝鮮系」。二階さんも同じく遠い祖先が李氏朝鮮系だったという区分けです。また、そういう人たちが集まったのが自民党の清和会です。清和会というのは、多くが「朝鮮系」の人々の集まりで、永田町では常識です。実際に、清和会の事務所は旧李王家邸で当時の赤坂プリンスホテルの一階にありました。李氏朝鮮最後の皇族であった李玖も清和会の支援を受け、2005年まで赤坂プリンスホテルで暮らしていました。

これはインターネットで検索したって出てきません。しかし、日本の支配者層にとっては常識中の常識です。
https://tocana.jp/2020/08/post_168418_entry_2.html

鬼塚英昭さんは本を沢山書いていて、その結論をビデオで紹介しているんですね:

鬼塚英昭さんの著書
https://www.amazon.co.jp/%E9%AC%BC%E5%A1%9A-%E8%8B%B1%E6%98%AD/e/B004LVD7MC/ref=dp_byline_cont_book_1

こういう話もありますが、マスコミではタブーになっています:

世間の噂
皇室がDNA公開を厳禁し、死後は火葬にする事にした理由

秋篠宮文仁  
みなさんこんにちは 

もう皆さんお気づきでしょうが、僕は今上天皇の息子ではありません
(顔立ちを見てもらえば一目瞭然だと思います)
その事で、父や兄や妹から随分ひどい虐めを受けました。
僕の父親は一体誰なんでしょう?(母は頑として口を割りません)
皆さんも一緒に探してください

「万世一系」  秋篠宮様の種は誰ですか?  美智子妃殿下様
https://www.youtube.com/watch?v=E4g5y1qq4Tw

[不倫]の美智子 「日本の皇室はイイカゲン」
https://www.youtube.com/watch?v=B1EbVre0prI

美智子の不倫  33333    美智子妃殿下
https://www.youtube.com/watch?v=0UikfbuWxg8

美智子妃殿下の「不倫と出産」
https://www.youtube.com/watch?v=pR7JHtPkKfk

美智子のおもてな し「趣味と実益」
https://www.youtube.com/watch?v=nYs_iBmyL6s

美智子皇后様の「不倫・出産・悪事・電動こけし事件」
https://www.youtube.com/watch?v=k_bXPvuWGzQ

80歳まで14年間侍従長を務めた「入江侍従長」
https://www.youtube.com/watch?v=MUqRHN9KV6k

「侍従長と美智子妃殿下」と どっちから誘ったの?
https://www.youtube.com/watch?v=jfLWtOZEj7w


ミテ子さんのカッコウ(鳥)疑惑はかなり前から一部で噂になっていましたが、もっと凄いのがありまして盗宮出産後も皇太子を騙して男性と密会していた。(たぶん婚活パーティーの仲間)それが昭和帝の怒りをかい死ぬようなリンチを受けた。

表面上は流産だが実は…喜久子妃の言葉が苛めの一つとして伝わっていますが、皇太子以外ミテ子にされた仕打ちは知っていた。

ミテ子はヒステリーで発狂して手の施しようがなく別荘に篭って落ち着くのを待った。

真相は…若くして二度と子を産めなくされたこと。

______

美智子様の実子は1人だけ??? 2013年3月4日月曜日

ベルギー大使館のパーティーに行った時に、
イスラエルから来ていたモサドのエージェントの日本人の奥さんが

「美智子様のお子様はお一人だけなのよ」

と自慢げに話していた。

その時に常陸宮夫妻も来ていたが

「彼、精神薄弱なの」

とも言っていた。よく観察してみたが、やはり彼女が言うように精神薄弱のようだ。


ふうーん、そういえば美智子様に似ているのは確かに秋篠宮の1人だけ。

なんたって、世界の秘密を握るモサドのエージェントだから、情報は本物の確立は高い。

ちょっと「美智子様の子供は一人だけ」とネットをサーフィンしてみたが、逆に出てきたのは、

「秋篠宮の父親が違う」

という驚きの情報だった。と言う事は、秋篠宮だけが美智子様の子供で、しかも、父親は天皇陛下ではないと言う話になる。

3. 中川隆[-10185] koaQ7Jey 2020年11月05日 02:04:46 : kkAOyoEBTY : SElVYkJwUVhnOWM=[19] 報告
【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!
2019.12.17
https://tocana.jp/2019/12/post_130392_entry.html


 現在、アメリカではトランプ大統領の弾劾訴追へ向けた動きが活発化していますが、私のところに入ってきている情報では、いろいろな組織の陰謀や各国の思惑が絡み合って面白いことになっています。いま、その交通整理の真っ只中にいますので、準備とタイミングが整い次第、随時公開していきますので、お待ちください。

 今回はそのための予備知識として捉えておいてほしい情報として、日本の支配層を取り巻く不思議な話を紹介しましょう。

 皆さんは山口県の田布施という地名を聞いたことがありますか? 

 TOCANA読者であれば当然ありますよね。実はこの土地は我々エージェントにとっても注目する特異な場所なのです。

 どう特異なのかというと、小さな町なのに総理大臣を多数輩出しているからですよね。しかも、例の替え玉天皇であり、騎兵隊天皇とも言われた大室寅之祐の伝説や田布施システムという噂もありますから、私も気持ちが高鳴るんですね(笑)。あとでお話しますが、都市伝説ってエージェントにとって結構大切なんですよ。

 しかし、話が荒唐無稽すぎて、多くの人は田布施システムなんか信用してはいません。もちろん、私も信用していません。なぜなら、確証を探すのが極めて困難だからです。

 それではなぜ、この連載で取り上げるのかというと、日本を読み解く上で重要な部分が田布施および田布施システムという“伝説”には内包されているからです。

■田布施システムという情報を整理

 まず、事実関係から整理していきましょう。そもそも、あのあたりの土地は昔から地元では朝鮮部落として知られています。といっても田布施だけが特別なのではありません。奈良平安の頃から瀬戸内海沿岸は朝鮮半島から渡ってきた人たちが多数移り住んできた土地なので、彼らの集落があっても別段珍しいことではないのです。彼らは皆、陶工であったり、刀鍛冶であったり、特殊技能を持った職人の集団として活躍していました。

 ですから、彼らは自らの出自を恥じてはいませんし、地名や家名に半島の名残りを示す名や縁のようなものを残しています。

 実際、戦国武将の秦氏は百済の王族弓月君の祖先だと言われていますね。『日本書紀』にも弓月君が百済から日本に渡ってきたといった記述があります。単純な話、名前を見ただけで半島っぽい感じがするのでだいたい想像はつきます。

 ところが、田布施出身の人々は少し違います。半島らしい名前があまりないのです。そのいい例が岸信介氏であり、佐藤栄作氏です。岸も佐藤もごく普通の日本人名であり、半島名とはとても思えません。

 実は田布施の謎、不思議さはここにあるのです。田布施システムも興味深い内容ですが、岸家と佐藤家の謎を解かない限りは田布施の本質は見えてこないのです。

■岸家、佐藤家の秘密

【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!の画像2
岸信介。画像は「Wikipedia」より引用
 半島から渡ってきた人たちが名前をつける場合、例えば、金さんであれば、金田など、わりとわかりやすい日本名をつけます。

 ところが、岸家も佐藤家もそういった半島らしさがありません。ですから、多くの人は「朝鮮系の人たちが多く住む田布施」と言われてもピンとこないのです。しかし、それは私たちが日本の歴史と半島の歴史をしっかり理解していないからです。

 まず、近代の半島を語る上で李氏朝鮮を理解しないといけません。李氏朝鮮は1392年から高麗の武将、李成桂が興した王朝で、中国冊封体制の下、王朝内で多くの内紛が起こっていました。いまの韓国を見ていてもわかると思いますが、選挙で負けた大統領は罪に問われてほとんどが監獄に放り込まれています。李氏朝鮮王朝時代はさらにそれが徹底されており、内紛で負けた派閥は殺されたのです。

 とはいえ、負けたほうも黙って手をこまねいているわけではありません。当然、逃亡を図るわけで、そのほとんどが海を渡って日本へと逃げてきていたのです。

 勘のいい方ならもうおわかりですよね。彼ら政争に負けた朝鮮の人々は日本の瀬戸内海沿岸まで逃げてひとつの集落を作っていったのです。田布施はそういった町の一つでした。

 そして、岸家も佐藤家も地位の高い両班(李氏朝鮮における貴族階級)であり、もっと言えば、岸家は李氏王朝の血を引く一族で、その証拠が「岸」という家名なのです。


■岸家と李氏朝鮮の関係

【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!の画像3
佐藤栄作。画像は「Wikipedia」より引用
 岸と李氏のなにが関係しているのか?

 たぶん、皆さんは不思議に思うでしょう。しかし、李=岸なのです。

 種明かしをしましょう。まず李の文字はよく見てください。分解すると「木」の下に「子」という文字でできていますね。これを日本語で読むとどうなるでしょうか? 

 木=キと読みます。子はコと読むのではなく、シと読むのです。

 そうです。李という文字はキとシの文字から成立しており、だから「キシ」=「岸」なのです。

 岸家は李氏朝鮮を興した李氏に直接つながる王家の一族だった可能性が極めて高いのです。

 どうですか? 多くの朝鮮集落が存在する瀬戸内で田布施だけが特別なのは、こういう理由だからです。

 これは佐藤家もそうです。佐藤の佐は補佐の佐を意味します。藤は藤の花の藤ではなく、朝鮮語で舟を意味する藤になります。佐藤家の祖先は李氏朝鮮時代の海軍の将軍補佐のような役目をしており、佐藤とは舟の補佐という役職を表す家名だったのです。

 実はこれが田布施システムの大元になっているのです。

■朝鮮と明治維新の濃密なつながり

【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!の画像4
伊藤博文。画像は「Wikipedia」より引用
 岸家も佐藤家も田布施という町も、李氏朝鮮王朝の血を引く、とても由緒正しい人たちでした。ただし、それは朝鮮から見た場合であり、日本から見た場合は話が変わってきてしまいます。

 考えてもみてください。田布施からは伊藤博文、木戸幸一が出ており、さらに山口県そのものがかつての長州藩(正確には萩藩)です。明治維新を薩摩藩とともに推進した土地です。

 さらに、鹿児島にも田布施という町名が最近まで残っており(そこの出身者として小泉純一郎元首相がいます)、かつての肥後藩である佐賀県にも、字こそ違いますが多布施という土地があります。維新を引っ張った薩長土肥のうちの3つにタブセという名が絡んでいるのです。

 もっと言えば、維新後に薩摩藩で最も出世した大久保利通は鹿児島市高麗町の出身です。高麗という名が示すように大久保は朝鮮系の人である可能性が高く、少なくとも彼が生まれた土地は朝鮮集落でした。さらに言えば、維新を引っ張った薩摩の志士たちもほとんどが同じ町内に住んでいました。それも高麗町の隣の町です。

 このように明治維新と朝鮮は極めて親しい関係なのです。

 このことを皆さんはどう感じますか?

 エージェントという外から日本を見る立場で言えば、明治維新は朝鮮系の人々によるクーデターに感じてしまうのです。口さがないエージェントなんかはもっとハッキリ「明治維新は朝鮮系の人たちの日本乗っ取りなのに、なぜか、日本人は明治維新が好きだよね」と言います。

 実は私たちにとってここが大切なのです。

 ちょっと調べれば、明治維新の実態や正体は簡単に見えてくるのですが、明治以降の約150年間もこれを問題視する人たちがいませんでした。明治維新に対して疑義を唱える人たちが出てきたのはここ数年のことです。

 もちろんそこにはメディアの操作があったのです。

 具体的に言えば、朝日新聞などですが、ここで不思議なのは、彼らは朝鮮系というよりは共産主義の人たちなのです。

 そして、再び話は田布施に戻ります。田布施からは岸や佐藤のほかにも有名な人物が輩出されています。その一人が日本共産党の書記長であった宮本顕治です。

 そして、その後ろにはもちろん、ソ連のエージェントがいます。

 彼らは田布施システムを上手に利用して、日本のメディアを巧みに操り、世論を操作していたのです。

 現在、我々の世界ではロシアの諜報技術に学ぶものが多いと感じていますが、その実力、その結果がまさに日本の戦後を作っていたと言っても過言ではないのです。

 ただし、ロシアが介入したのは戦後であり、戦前は別の勢力が日本を影から操っていました。その勢力とは維新の志士たちのスポンサーであったイギリスです。そして、その裏には隠れユダヤの存在もありました。

 次回はイギリスの植民地支配と隠れユダヤの観点から日本の維新を見ていきましょう。ただし、先にトランプ大統領の弾劾ネタの整理がつくかもしれません。その時はそちらを優先しますが、この話の続きは必ず書きますので。

 さて、今回もウソのような話ばかりでしたが、私はエージェントです。事実をもとにした“誇大”推論がこの世界のやり方です。実はこのやり方が真実にたどり着く一番の近道なんですよ(笑)。

文=ジェームズ斉藤

4. 中川隆[-10119] koaQ7Jey 2020年11月06日 21:44:09 : kW6RB4mKA8 : RXpaSHNGUmhrRVE=[30] 報告
【重要・証拠アリ】安倍首相辞任の裏に「CSISと朝鮮・田布施システム」! 米に見捨てられ実は逮捕寸前だった…暴かれた二階と今井の親中政治とは!?
2020.08.29
https://tocana.jp/2020/08/post_168418_entry.html

 8月28日、突如、安倍首相が辞任を表明した。前日まで辞める意思などまったくなかった首相がなぜ、一転して辞意を固めるに至ったのか? 首相の側近たちも寝耳に水の事態で、永田町界隈が大騒ぎとなった、安倍首相の辞任劇の裏側を某国現役エージェント、ジェームズ斉藤が最新にして最深の情報を徹底暴露!

ジェームズ 結論からいいますと安倍さんは辞める気なんかなかったんです。しかし、辞めざるを得なかったのはアメリカが見放したからです。しかも、その見放し方は内々に首をすげ替えるといったものではなく、CSIS(戦略国際問題研究所)のレポートという形で全世界に公開されたのでダメージが大きかったんです。CSISについてはトカナ読者なら知ってると思いますが、日本政府が最も信頼しているジャパンハンドラーのシンクタンクです。特に安倍政権になってから、官邸機密費からCSISに毎年数億規模の研究資金を提供したり、安倍首相自身も2012年に首相の座に復帰してすぐにCSIS詣でをしています。そんな安倍首相肝いりの機関でもあったところから、先月23日に、「日本における中国の影響力」というレポートが出て、自民党幹事長の二階(俊博)さんと首相補佐官の今井(尚哉)さんが名指しで親中派と批判されたんです。

──それ覚えています。結構ニュースになっていて、今井さんと二階さんは中国に媚びている媚中派だと日本でも辛辣に書いていましたね。

ジェームズ ただし、日本の記事は肝心なことは書いていません。まず、このレポートが出された裏側には米国務省の世界関与センターが暗躍しています。ここは表向き中露の影響工作と戦うことを目的とした諜報機関ですが、本当はアメリカが世界中で内政干渉するための口実を作るための機関です。ここが今回のレポートの研究資金を提供しています。

──ということは最初から安倍政権をひっくり返す目的があったということですか? 

ジェームズ そのとおりです。しかも安倍総理が長年信頼し、永田町や霞ヶ関では「泣く子も黙る」CSISがこれを出したのですから、インパクトは計り知れないないものだったでしょう。特に、二階さんは自民党の幹事長ですし、今井さんなんか「影の総理」とまで言われた、安倍首相の側近中の側近です。その二人を「中国のための政治をしている二人」と書いているんです。これは完全に内政干渉であると同時に、トランプ政権が安倍政権に対して最後通牒を突きつけたということでもあるんです。大切なのはここなんです。その証拠にレポートの表紙を見てください。安倍さんの顔が大きく出てますよ。明らかに安倍さんに対するメッセージなんです、このレポートは。

https://www.csis.org/analysis/chinas-influence-japan-everywhere-yet-nowhere-particular

──あっ、確かに思い切り安倍さんの顔ですね。

ジェームズ トランプ政権の感情としては日本に対する苛立ちがずっとあったんです。なんの苛立ちかというと米中が対立している現在の国際政治において、日本のアメリカに対する貢献度が少ないと。安倍さんはトランプ大統領とゴルフをやって親密度を演出するなど、パフォーマンスばかり夢中ですが、経済政策はずっと中国寄りだったんです。日本のカジノ事業なんてその最たるもので、これらはもともと中国の意向のもと、今井さんと二階さんが率先して進めてきたんです。レポートでもそれははっきり書かれています。

──安倍政権は極右だと言われていたんですが、中身は全然違ったんですね。

ジェームズ 媚中政権です。それを今井さん、二階さんが率先してやってきたんです。もともと二階さんは朝鮮系で国内政治では朝鮮利権と被差別利権をうまくマネージして第三者的存在として中国の利権を引っ張ってきたんです。ですから、中国といえば二階さんと決まっていて、安倍政権では絶大な影響力を持っていたんです。今年4月予定されていた習近平の国賓級来日は、二階さんに対する恩返し的な意味合いが強かったのです。その一方で、都知事の小池(百合子)さんと裏でつながって彼女の国政復帰を画策したり、フィクサー的なことをずっとやってこれたのも中国のバックがあったためです。それは今井さんも同じで、やはり彼も朝鮮系なんですよ。実は安倍政権というのは朝鮮政権のA級戦犯的な人たちの集まりなんです。

──ちょっと待ってください。「朝鮮系」ってどういうことですか? 安倍さん、今井さん、二階さんって在日朝鮮人ということなんですか?

ジェームズ そういう意味ではありません。永田町における「朝鮮系」というのは李氏朝鮮時代の両班階級出身という意味です。以前、田布施の話をした時にも言いましたが、田布施は李氏朝鮮の王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏朝鮮の王の末裔です。岸という名字も「李」を分解して木(き)と子(し)にしたから岸(きし)なんだという話をしたと思います。安倍さんは岸家の人なので、当然「朝鮮系」ですし、今井さんも安倍さんと遠い親戚なのでやはり「朝鮮系」。二階さんも同じく遠い祖先が李氏朝鮮系だったという区分けです。また、そういう人たちが集まったのが自民党の清和会です。清和会というのは、多くが「朝鮮系」の人々の集まりで、永田町では常識です。実際に、清和会の事務所は旧李王家邸で当時の赤坂プリンスホテルの一階にありました。李氏朝鮮最後の皇族であった李玖も清和会の支援を受け、2005年まで赤坂プリンスホテルで暮らしていました。

──えっ、そんなこと初めて聞いたんですが…。本当のことなんですか!? 

ジェームズ これはインターネットで検索したって出てきません。しかし、日本の支配者層にとっては常識中の常識です。安倍政権というのは、完全にお友達政権ですから、これまで以上に朝鮮系の人々が集まっていて、21世紀の「両班政権」だったのです。国益や公益など一切無視で、「政治でビジネスをする」という、完全な拝金第一主義が安倍政権の正体でした。したがって、経済政策は単に一番儲かるという理由だけで中国寄りだったんです。だから、尖閣問題なんて最初からやる気なんかなかったんです。そういったところがいま対中政策で強行になっているアメリカにとっては我慢ならなかったわけです。安倍首相はこのCSISのレポートが出てから急激に体調が悪化し始めるんですけど、それでも退陣する気なんかありませんでした。彼の意向としては11月のアメリカの大統領選挙まで粘ろうと。それでトランプが勝てば、さらに続行し、バイデンが勝てば、辞任して麻生(太郎)副総理に暫定的に首相を譲って、いまアメリカ側で評価が高まっている河野(太郎)防衛大臣を一旦、財務大臣にし、その後に首相にする、という流れだったはずです。詳しくは安倍総理辞任前に発信した私のツイートを見てください。

──じゃあ、急に辞めなければいけない状況が起きたってことですか?

ジェームズ たぶん、辞意を表明する前日の夜だと思います。安倍首相のお母さんの安倍洋子さんから「もう辞めなさい」と言われて辞めることをしぶしぶ決意したもようです。

──お母さんから言われたってことですか!?

ジェームズ 簡単に言ってしまえばそういうことです。安倍さんはマザコンですから、お母さんの意向は大きいと思います。ただし、洋子さんが「もう辞めなさい」と言った理由は息子可愛さだけではありません。安倍さんに司法の手が伸びていたからです。実は、安倍さんは逮捕される寸前だったんです。河井(克幸)前法相夫妻の選挙違反がらみの件をきっかけに、警察も検察も現役首相を捕まえようと本気になっていました。安倍さん一派はこれまで司法を捻じ曲げることばかりしてきましたからね。お友達の記者のレイプ事件を揉み消したこともありましたし、検事長の定年を延長しようとしたこともありました。あんなやりたい放題なことをしてたら、警察、検察に恨まれて当然です。そういう中で、アメリカに見放された安倍さんを現役首相のうちに牢屋にぶち込みたい、というのが検察側の狙いだったんです。それに関してはアメリカからのお墨付きも出ていたと思います。首相辞意表明の当日にアメリカで下のような記事が出ていますから。

https://www.thedailybeast.com/japans-longest-serving-pm-shinzo-abe-quits-in-bid-to-escape-potential-prosecution

──それでも、安倍さんは辞める気はなかったんですよね?

ジェームズ なかったんですが、お母さんの安倍洋子さんから「岸家から犯罪者は出せない」ときつく言われたようです。洋子さんは岸信介の長女ですし、李氏朝鮮の元王族のプライドも高い人ですから。それで辞めるしかなかったんだと思います。たぶん、このことは、麻生副総理の耳にも入っていなかったんじゃないでしょうか。辞意を表明した28日にかなり翻意を促していたようですが、安倍さんの意思は固かったので、麻生さんも諦めたんでしょう。以後、麻生さんは表に出てきていませんから。

──二階さんはどうですか? CSISで酷評された二階さんが次の総裁選を取り仕切っているようですが。

ジェームズ 日本ではまだまだ、二階さんは力を持っていますから、まとめ役としてはうってつけなんでしょう。しかし、今後は変わってきます。トランプが大統領選で勝ったら完全に終わりでしょうね。次期首相に関しては菅(義偉)さんが最も有力でしょう。日本のメディアもいま誰が次期総裁になるのか、とかやってますけど、いま彼らがやるべきことは総裁選レースの予想屋ではないと思います。安倍さんの追及こそ彼らの仕事で、メディアが率先して「東京裁判」を開き、安倍政権のA級戦犯たちを裁くべきです。確かに民主党時代の迷走よりは安倍時代のほうがはるかにマシで、総理には「お疲れ様」と見送るのが礼でしょう。しかし、首相時代の彼の縁故主義に基づく独裁は目に余るものがありました。自分のお友達を集めて、都合の悪いことがおきると、やはり友達の検事たちに頼んで事件を揉み消すという、本当に頭の悪い、政治ごっこをしてきたんです。これは朝鮮式両班政治の極みです。日本本来の武士政治では、もっと高潔さがあったはずです。しかも、多くのマスコミがこれに異を唱えず、提灯記事を垂れ流していました。こういうものをすべてえぐり出さないと、この国は終わってしまいますよ。1920年代の政党政治の迷走を彷彿させます。辞任したから逮捕は許してやるという、判官贔屓的ないまの風潮は大きな間違いだと私は思いますね。なので、真実をありのままに伝えるトカナの役割は非常に大きいと思います。ポスト安倍の日本はメディアの在り方から変えていかなければなりません。
https://tocana.jp/2020/08/post_168418_entry.html


▲△▽▼


【重要】菅義偉の黒い正体 ― スパイ、田布施システム、MI6、小渕恵三との繋がり…ジェームズ斉藤が暴露
2020.09.27
https://tocana.jp/2020/09/post_171763_entry.html

 大方の予想通り、菅義偉氏が第99代内閣総理大臣となった。長らく官房長官をやっていただけに順当な人事とも言われるが、もともと地味で表にもあまり出てこない人だっただけに、国民にはいまひとつどんな政権になるのか見えてこない。マスコミは「集団就職から総理へ」など、苦労人の印象をこぞってつけようとしているが、某国現役エージェント、ジェームズ斉藤に確認してみると、かなり裏のある人だったことが発覚! 菅総理の恐ろしい裏の顔を徹底的に暴露! 


ジェームズ斉藤(以下、ジェームズ) 下馬評通り、菅さんが総理になりましたね。早速日経の世論調査が出てましたが、支持率74%はさすがに異常です。発足したばかりで何日も経っていない政権を10人中7人以上が支持するのはありえないです。さすがは取材権を餌にアメとムチを駆使して、マスコミに菅グループと呼ばれる御用ジャーナリストを養成している菅さんらしい老獪さです。今後日本の主要メディアは壊死するでしょう。

──いきなり辛口ですね。菅さんって一見地味な方ですが、実際どういう人なんですか?

ジェームズ はっきり言えば怖いですよ。まず、彼のお父さんの菅和三郎さんですけど、謎多き人物で、公開情報のほとんどがフェイクです。私の情報源である永田町のドンの方々の話によると、和三郎氏は●●●●の調査部出身です。これはググっても出てきません。

──えっ! ●●●●の調査部って!

ジェームズ そうです。バリバリの諜報機関です。特に、菅総理のお父さんが所属した時期は第二次世界大戦の真っ最中で、関東軍肝入りの特務機関の頃でしたから、世界最高レベルのエージェントばかり揃っていました。ゾルゲ事件の尾崎秀実や大川周明なんかもいましたので。ただ、日本が戦争で負けたあとは、秋田で暮らし始めたんです。

──秋田で!?

ジェームズ そうです。日本の政治家の中枢がそうであるように(詳しくはこちらの記事を参照)、菅さんのお父さんも朝鮮半島の人ですから。正確に言うと日本統治下の朝鮮で生まれているので日本の臣民とも言えますが。菅総理の名前菅義偉が朝鮮名みたいなのもそういう理由です。これで「すが・よしひで」と読むのは珍しいですからね。また、菅和三郎氏も「和」という、「清和会」の由来にも通じる朝鮮系が好む漢字を使っています。しかもあえて音読みとなっているので、朝鮮系であることはほぼ間違いないところです。

──ということは今回の総理も、例の永田町独特の朝鮮系の人ということなんですね。

ジェームズ いえ、朝鮮系は朝鮮系なんですけど、安倍(晋三)さん、今井(尚弥)さん、二階(俊博)さんみたいな人たちとは違います。彼らは李氏朝鮮の両班出身で、要は貴族です。彼らの祖先が渡日した時期も古く、ほとんどが豊臣秀吉の朝鮮出兵時に日本に連れられてきた人たちです。一方、菅総理は戦後日本に来た家系なのでかなり新参者です。

 だからこそ、お父さんは切った張ったの世界でのし上がれる特務機関に入っていったんだと思います。そこで人脈を作った。そして諜報活動の経験が功を奏してか、新天地秋田ですぐにイチゴ栽培の事業に成功し、後に地方議員にもなり、地元の「ドン」になっていきます。

 ですから、菅総理はそこそこの名望家の出ということになるのですが、永田町でいう「両班朝鮮系」ではありませんので、そっちのグループには入れません。じゃあ、何系かという最初の派閥が宏池会の小渕派なんです。この小渕(恵三)さんと最初につながったというのが菅総理らしいんです。実は、小渕さんは菅総理と一緒の諜報系の人なんですよ。


──諜報系? あのブッチホンの小渕さんがですか? 

ジェームズ まあ、小渕さん自身が諜報機関の人というわけではないですけど、小渕さんの叔父さんが陸軍中野学校出身で台湾どで活動していた人だったんです。なので、小渕さんは叔父さんの薫陶を受け、その知識と人脈を外交に活かしていました。例えば、エリツィン大統領が病気になった時には病状を確かめるために官房機密費を使って、あの大物三重スパイの佐藤優さんをモスクワに送ったりもしています。ですから、小渕さんと菅総理というのはインテリジェンスの世界でつながっていたんですよ。この二人は、親しい身内に諜報組織の人間がいたという点で、戦後の総理の中でも際立った存在です。


──なんか、インテリジェンスな首相って聞くとカッコいい感じもしますが。

ジェームズ いや、それは映画や小説の世界の話で、実際はかなりドロドロですよ。その辺のことはあとで話しますが、菅総理はそういう出身だということです。これが意味することは本来、永田町の中ではメインストリームには上がってこれない、ということです。なにしろ、日本の政治家としての出世には両班であることが第一条件ですから。しかも、両班であれば誰でもOKではないんです。両班の中にも序列があって、足の引っ張り合いやいがみ合いがしょっちゅうおきてますから。それで思い出しましたが、昔、宏池会の林芳正さんと清和会の安倍さんがケンカになったことがあって、「お前は同じ両班でも俺より下だろう」とか言ってたらしいですよ。ホント、どこの国の話なのかと思いますが(笑)。

──まったくです。ちなみに、そのケンカは安倍さんが勝ったんですよね、李氏朝鮮の王家ですから。

ジェームズ いえいえ、勝ったのは林さんです。李氏朝鮮の王家であっても直系と傍流ってあるじゃないですか? それで見ると林さんのほうが直系に近いらしいんですよ。だから、安倍さん対林さんのケンカは林さんが勝ったみたいですよ。しかし、日本の政治ではこれが重要なんです。なぜなら、普通に実力勝負だと上にいけば行くほど似たりよったりで優劣がつかないんです。例えば、組閣になったときにどっちを大臣にするんだって場面で実力は一緒となったら、バックグラウンドで決めるしかないんです。つまり、両班かどうか? 両班同士であれば、どの階級の両班なのか? なんです。これが日本の政治の実態です。


──永田町にはいまどのくらい両班階級がいるんですか? 

ジェームズ かなり多いですよ。この前話しました安倍さん、二階さんもそうですし、岸田(文雄)さんもそうです。小泉純一郎、進次郎親子も鹿児島の旧田布施出身(田布施システムについてはコチラを参照)ですからそうですし、清和会の創設者の福田赳夫、康夫親子も釜山系の両班です。一方、宏池会の岸田さんは北系の両班なので、釜山よりは上なんですよ、林さんもここですね。

──もともと李氏朝鮮って北にあったんで、北出身のほうがヒエラルキーは上だと。

ジェームズ 中華の世界観では、北が特別な意味を持ち、北を制するものが政治権力を支配します。したがって、北系のほうが格は断然上です。ただし、宏池会は清和会のような朝鮮系というわけではないです。宏池会を作ったのは池田勇人ですから、吉田茂の流れです。

──そうするとイギリス系ですか?

ジェームズ そうですね。どちらかというと。吉田茂の義理のお父さんは大英帝国のジャーディン・マセソンという横浜にあった商社の支店長で、イギリスのユダヤ利権を継承していましたから。11歳だった吉田茂に当時で60億円ぐらいの遺産を残しています。もともとこの家系は幕末に暗躍した武器商人グラバーの財務下請けをやっていて、坂本竜馬とかああいうのが営業ですね。伊藤博文は転売屋というイメージです。一言で言えば、せどりですね(笑)。吉田とセットで語られる白洲次郎はケンブリッジ留学時代にMI6にリクルートされています。彼はそもそもウォーバーグ財閥のウォーバーグの隠し子だと言われていて顔立ちもハーフみたいですからね。遺言にも「葬式無用、戒名不要」と世間の注目を嫌うスパイの葬られ方を選んでいます。そんな感じなので、確かに外国の勢力は多いですね。

──日本人の勢力はないんですか?

ジェームズ もちろんありますが…●●●系ですね。日本の政治の世界は朝鮮系が多く、次いで●●●系が多いです。普通の日本人の勢力でいうと、ごくたまに麻生太郎さんのような旧貴族系日本人がいる程度という構成です。

──日本の政治が日本のためにやっているように見えない理由がわかりますね。  

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菅義偉首相の黒い正体(中編)― ユダヤに売った魂、五族協和…安倍政権の方が断然マシな理由をジェームズ斉藤が解説!
2020.09.28
https://tocana.jp/2020/09/post_172263_entry.html

 大方の予想通り、菅義偉氏が第99代内閣総理大臣となった。長らく官房長官をやっていただけに順当な人事とも言われるが、もともと地味で表にもあまり出てこない人だっただけに、国民にはいまひとつどんな政権になるのか見えてこない。マスコミは「集団就職から総理へ」など、苦労人の印象をこぞってつけようとしているが、某国現役エージェント、ジェームズ斉藤に確認してみると、かなり裏のある人だったことが発覚! 菅総理の恐ろしい裏の顔を徹底的に暴露! 


──ところで、菅さんはがのしあがったということはバックなり、金なりが相当しっかりしていたんですよね? 

ジェームズ そうです。彼は、議員秘書時代は神奈川で活動してたんですけど、そこで横浜の港湾労働者を配下に収めて裏社会とも関係ができたんですよ。横浜のドンである藤木企業の藤木幸夫会長も、菅総理の政治キャリアを語る上で欠かせない人物です。

──横浜のドンに可愛がられていたとよく書かれていますね。

ジェームズ 可愛がられた理由は、お父さん譲りの情報収集能力に長けていたからだと思います。彼はいまでも毎朝5時に起きて腹筋100回と散歩の後、優秀な官僚を招いて情報交換しながら朝食を摂るんです。この官僚たちが菅グループと呼ばれる人たちで、すべての省庁にいます。菅さんはカリスマ性はないんですけど、情報収集能力、集金能力があるんですよ。

 そういう姿を見ていると、私はアメリカの政治家のディック・チェイニーに似てると思います。彼も菅総理と同じでカリスマ性はないんですが、ずっとバカなブッシュJrを好きなように操って、アメリカを動かしていましたから。

 菅総理も、岸家のボンボンの安倍さんのもとで、政治を牛耳っていました。その象徴的な話として永田町界隈に伝わっているのが、官房機密費5億円を政党「●●」の××さんに渡したという噂です。官房機密費は年間12億円ぐらいしかないのに、当時の菅官房長官は5億円も渡してしまったんです。なぜそんなことをしたのか、というと、●●を菅さんのバックにつけるためです。これは自民党のバックにつけるためではありません。あくまで菅さんの個人のためで、これで完全に●●は菅さん支持になったと言われています。


ジェームズ 菅政権は利権政治、金権政治で相当ヤバい政権です。最初に怖いと言ったのはここです。菅さんはお金のためなら義理人情も関係ありません。そのわかりやすい例が国内カジノのIR政策の件です。菅さんはトランプ大統領に儲け話を囁かれると、カジノ反対派だった恩人の藤木会長を切り捨て、「ユダヤのカジノ王」シェルドン・アデルソンが運営するラスベガス・サンズの横浜IR参入に同意してしまうのです。横浜IRの実現によって港湾労働者と裏社会ネットワークを完全制覇し、自身の不動の地を築く計算です。そのためには、同胞や恩人を裏切り、ユダヤにも魂を売ります。そんな冷酷無比な菅総理が目指しているのが「五族協和」です。
──つまり、韓国、中国、日本が手を組んでいこうということですか?

ジェームズ いえ、これは国内の話です。日本の中にあるマイノリティのバランスをうまく取るという国家ビジョンです。だから、政党「●●」とも組んでいるんです。●●●●●●●(※あまりに危険な情報なので削除しています)。

 これの恐ろしいところは、日本にはそれほどマイノリティがいないということです。いないのに五族協和を謳うわけですから、これはマイノリティをこれから作り出すつもりんです。これは在日の人たち、アイヌの人たちにとって迷惑と困惑と混乱を生み出します。なぜなら、いまほとんどの在日の人たちは日本に帰化しています。その子供たち、孫たちは自分たち在日だと知りもしません。実際、日本に生まれて日本に育っているのですから、間違いなく日本人ですよ。親たちだって教えるつもりなんかありません。

 ところが、「五族協和」はこれをわざわざ掘り起こし、「キミは朝鮮人なのだから朝鮮人としての誇りを持て」「アイヌの誇りを持て」というんです。これは本人も含めて誰も得しません。得するのは差別ビジネスをする人たちだけです。これはいまのアメリカ民主党がやっていることと同じです。みんながアメリカ人という、ひとつのアイデンティティを持とうとしている時に、「いや、お前は黒人だ、黒人の誇りを持て」「お前はスパニッシュだ。スパニッシュの誇りを持て」とやっているのです。これをしたら国がバラバラになります。暴動だらけの今のアメリカがその証拠です。だから、怖いのです。


──本当にこれからの日本が心配になってくる話です。

ジェームズ 極めて危険です。変な話ですが、安倍政権のほうがまだマシだったと思います。なぜなら、一応、安倍さんには夢があったからです。ビジョンとまでは言えないものの、「こんな国にしたい」という夢はあったんです。それに国民も乗った時期があったと思いますが、菅総理の場合、夢もビジョンもなにもないです。完全に「自分ファースト」の利権政治です。岸信介の悪いところ、田中角栄の悪いところ、竹下登の悪いところを全部合わせたような人物です。欧米メディアも菅総理が選ばれた背景をクレムリンの密室政治だと揶揄してましたが、本当にプーチン顔負けの密室政治がこれから展開されるでしょう。これについては、安倍政権で大臣も務めた超大物議員が私に言ってました。「菅さんが首相になる様子を見ていると、日本に民主主義がないことがよくわかる」と。つまり総裁選からして金権、利権争いだったんです。

──今はつなぎの総理という扱いですが、長期政権になるかもしれないですね。

ジェームズ すでに菅総理は安倍夫妻を逮捕しないよう、検察と警察も黙らせました。検察と警察の目付役として、それぞれ配下の上川陽子法務大臣と小此木八郎国家公安委員会委員長を任命していますので。これで安倍さんは菅総理にもう文句は言えないです。

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菅義偉首相の黒い正体(後編)― 恐ろしい組閣人事「4人の裏事情」と裏の北方領土ビジネスをジェームズ斉藤が暴露
2020.09.29
https://tocana.jp/2020/09/post_172879_entry.html

 大方の予想通り、菅義偉氏が第99代内閣総理大臣となった。長らく官房長官をやっていただけに順当な人事とも言われるが、もともと地味で表にもあまり出てこない人だっただけに、国民にはいまひとつどんな政権になるのか見えてこない。マスコミは「集団就職から総理へ」など、苦労人の印象をこぞってつけようとしているが、某国現役エージェント、ジェームズ斉藤に確認してみると、かなり裏のある人だったことが発覚! 菅総理の恐ろしい裏の顔を徹底的に暴露! 

──組閣人事で気になるところってありますか?

ジェームズ 組閣にこそ、菅総理の恐ろしさが出ています。菅内閣の人事に共通していえることなんですけど、自分の手を汚さないんです。自分の手を汚さずに汚い仕事を、将来性のある若手にやらせて、自分の権力が脅かされるのを防ぐというやり方です。


画像は「Getty Images」より引用
──つまり、将来有望な若手を潰すってことですか?

ジェームズ そういう配置ですね。日本のことをまったく考えてないです。

・岸信夫

 例えば、防衛大臣で初入閣した岸(信夫)さんはご存知のように安倍さんの実弟です。この人事は一応安倍さんのお母さんである安倍洋子さん肝入りの両班朝鮮系継続人事だそうですが、防衛はイージス・アショアの後始末とか面倒なことが山積しています。初入閣ではかなり荷が重いと思います。

・河野太郎

 そして、将来の総理候補と言われた河野(太郎)さんが行政改革大臣になりました。これは本当にえぐい人事です。行革大臣はみんなに恨まれる仕事をやらないといけないんです。いろんな反対を押し切って強引に解約、解体する役割を担うことになってしまうので、のちのちまで禍根を残す、どう考えても汚れ仕事なんです。議員たちの話を聞いていても河野さんはもう総理の道を断たれたんじゃないか、というぐらい悲観視されています。

・小此木八郎

 極め付けは前述の小此木さんです。何しろ、犯罪の温床だった安倍政権と、これからそうなるであろう菅政権を警察から死守するというのが今回の国家公安委員会委員長の役回りです。これは法の支配を完全に踏みにじる、ヘタすれば後ろに手が回りかねないものです。司法機関に人治主義を押しつける最凶ブラック人事と言っていいでしょう。

 しかも、そんな役回りを小此木さんに振ったというのが私には信じられません。小此木さんのお父さんの故・小此木彦三郎議員は、若き日の菅総理を同じ朝鮮系として私設秘書に雇い、政治人生をスタートさせてあげた大恩人です。その息子さんを自分が官房長官時代には冷や飯を食わせておいて、総理の座についた瞬間、恩返しのように大臣(内閣府特命担当大臣)の椅子を作ってあげたんですが、実際は国家公安委員会委員長という爆弾を押し付けているんです。これは小此木さんを政治的自殺行為に追い込むような、恩を仇で返すようなことになる可能性があります。


──河野さんは嫌われたなとは思いましたが、小此木さんは普通に恩返しをしたのかと思っていました。官房長官になった加藤勝信さんはどうですか?

・加藤勝信

ジェームズ これも表向きは、安倍洋子さんの肝入りの人事だそうですが、真実は菅総理からのメッセージです。加藤さんは釜山グループの両班です。福田康夫さんと一緒の系統で、自民党の両班序列の中では一番下です。それを党の要職につけたということは、「別階級が両班階級をコントロールする」というメッセージを岸田さん、林さんら北系両班に突きつけたってことです。

 これでわかるように、今回の組閣でいろんな流れが変わりました。菅総理の独裁体制ですね。自分の権力をほしいままにしたいというのがアリアリです。

・北方領土問題

 日本もこれから変わってくると思いますが、注目しておかなければいけないのは北海道です。去年の3月に菅さんがバッグについて鈴木直道という人が北海道知事に当選してるんですが、ここで菅さんとディールがあって、北海道の道庁予算の特別枠として5000億円をつけたんですよ、菅さんが。この5000億円は何に使うかというと北方領土事業です。しかし、北方領土にいま5000億円なんか必要ありません。これは完全に北海道の公共事業を地元の土建屋さんにバラ撒くためのものです。あとアイヌ問題です。これは鈴木宗男さんと結託してアイヌ新法みたいなものを作ったんです。ですから、最近、アイヌの博物展とかが多いんですよ。

──あれは『ゴールデンカムイ』が人気だからかと思ってました。

ジェームズ それもあるかもしれませんが、いまアイヌ関係の仕事は予算がつくんですよ。その流れを菅さんが作ったんです。つまり、これから彼がアイヌの利権を代弁するってことなんです。これがさきほど言いました「五族協和」の正体です。そもそもいまの日本にアイヌを制度的に差別するシステムなどありますか? ないですよ。なのに、アイヌの権利を守るアイヌ新法を作った真意は利権勢力図の塗り替えです。差別がないところに差別を作り出して金にする、いままでにないような利権政治が今後始まってくると思いますよ。


・日中、日米関係はどうなる?

──最後に対米関係、対中関係は変わりますか?

ジェームズ 外交は安倍政権の継続ですね。菅総理はビジョンをもっていないので変わらないと思います。ただし、対中に関しては二階さんが持ってる利権をうまく吸い取りたいというのがあると思うんです。二階さんはCSISのリポートもあって息子さんに権力基盤を継承するようですが、菅総理が黙っているとは思えません。

 対米関係も変わりません。これは安倍元総理にも共通しますが、日米同盟が大事だと言っている一方で、アメリカの目が届かないところでコソコソやりたいんです。彼らは単純でアメリカが見てなければ何をしてもいいという発想なんです。しかし、アメリカは全部見てます。電話も全部盗聴してます。

 ともかく、菅政権は五族協和を旗印に利権、金権政治に徹する「自分ファースト」の政治をすると思います。特に懸念されるのが日本のマイノリティ勢力の利権を吸収しようと画策しているところです。これは、以前、記事で紹介した現米国民主党副大統領候補のカマラ・ハリスのやり方と酷似しています。つまり、菅総理の正体は極左です。極左は実質、全体主義ですから、ポスト安倍の日本は、ビジョンなき政治と極左の国、全体主義の国になり、亡国の道まっしぐらです。新総理自身の陰湿なイメージのように、菅時代の日本は全体主義の特徴である暗く、息苦しい雰囲気が漂うでしょう。

文=ジェームズ斉藤


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怪情報?<本澤二郎の「日本の風景」(3893)
http://jlj0011.livedoor.blog/archives/26844325.html
2020年11月03日 


<「菅義偉の黒い正体」(J・斎藤)記事は本当か?>

 昨日、大手出版社に勤務していた知り合いが、ジェームズ・斎藤情報なるものをメール送信してきた。開いて見ると、既に知っていることや、全く知らなかった、事実なのか嘘なのか確認しようがない事柄が記述されている。

 菅の実父・和三郎は、満鉄調査部で活躍していた。いうなれば関東軍の特務機関である。電通の元祖・アヘン王の甘粕と関係があったのか、なかったのか?諜報機関の人物ゆえに、いち早く逃亡してソ連抑留を回避できたのだろうか。

 和三郎のルーツは不明というが、秋田県に定住すると、イチゴ栽培で成功して、地方のドンになっている。

 毎朝、腹筋運動100回と散歩のあと、ホテルでの秘書やその他様々な人物と会って、直接自ら情報収集に専念している姿は、父親譲りというのだ。昼食や夕食でも、首相として諜報活動に専念しているだという。合点するほかない。

 背後を警察官僚による「防護服」で身を固め、なんと電通株主の共同通信から、現役記者を引っこ抜いて、そばに置いている。恩師・小此木彦三郎の息子・八郎を、警察庁を監視・監督する国家公安委員長に起用、官邸犯罪捜査をさせない布陣はさすがだ。こうした完璧ともいえる「防護服」は、議員秘書時代に、横浜の悪役のドン・藤木企業の藤木幸夫会長から学んでいたという。裏社会とのつながりは、桜を見る会でのやくざとの記念写真でも証明されている。

<政治屋の「出自」を暴きながらの政治分析は欧米流なのか>

 ジェームズ・斎藤という名前は本名ではないだろうが、一つ参考のなるのは、政治屋の出自を暴くことで、人脈の太さ、つながりを分析している点である。

 岸信介と文鮮明の関係を無視してきた政治記者は、いま老いて猛省するばかりである。安倍晋太郎の「俺は朝鮮人」にも、首をひねるばかりだった。

 そもそも政治記者20年の間、政治屋の出自を話題にすることなどなかった。社会党の議員の中に「部落出身者がいる」という情報にも、一向に意に介さなかった。そもそも、今もそうだが、差別主義反対の憲法人間だったのだから。

 朝鮮をルーツにする人たちの祖先は、言うところの貴族階級・両班が、永田町でも出世頭という。ただし「菅家は戦後組で、身分は低かった。それゆえの諜報勤務だったろう」と分析している。この両班にも、身分上の高低があるというのだ。

 「祖先は豊臣秀吉の朝鮮出兵時に日本に連れてこられた」という。嘘か真か、清和会の創設者の福田赳夫は、釜山系という?半島の北部、現在の北朝鮮の出身者の方が、格が上だという。

 欧米の諜報機関の日本分析は、この出自に注目するらしい。原文をコピーして、ここに貼り付けようとしたが出来なかった。

<「日本の政治屋は朝鮮系が多い」は本当らしい>

 安倍晋三分析で、長州の田布施を知った。同時に、安倍を天下人に押し上げた小泉は、薩摩の田布施だったことに、当初は驚いていたが、ほかにも沢山いるではないか。

 「日本の政治屋に朝鮮系が多い」というのは、もはやハッタリでもなんでもない。本当らしいのだ。朝鮮人は、よく勉強するは、安倍晋三には当てはまらないが、勉学と清潔さは、他を抜きんでて優秀である。

 宇都宮太郎・陸軍大将が、長男の徳馬に対して「大きくなったら朝鮮の女性をもらえ」は本当のことである。経済界のみならず、スポーツや芸能界も、朝鮮系の活躍が目立つ日本である。

 韓国・北朝鮮いじめをやめて、協力支援する関係が正しいのだが、日本の朝鮮系の政治屋は、なぜか逆のことをしてふんぞり返っている。

<海を挟んで朝鮮半島と日本列島は結びついてきた>

 朝鮮人・韓国人・日本人と区別する国際政治は、どうかしていると思えてならない。確かに言葉の発音は異なるが、それ以外に違いなどないだろう。顔かたちは同じである。区別など出来ない。

 世は戦国時代ではない。覇を競う時代ではない。お互い隣組として、仲良く楽しくがいいに決まっている。どちらかというと、それでも両班は陰謀と喧嘩好きである。強い日本を目指そうとする。そこから改憲軍拡に傾倒する。そこで恩恵を受けるのは、財閥のみである。

 改憲軍拡は、戦争によってのみ、彼らの期待する蕾が開花する。毒花である。この毒花を解毒、解消する憲法9条である。南北朝鮮にも、9条が誕生すると、東アジアは永遠に平和が約束される。帆船・日本丸が隣国にも波及すれば、極東にL字型の平和と繁栄する世界が開花するだろう。

<朝鮮王朝史を知らないと日本政治は分からない?>

 旧赤坂プリンスホテルは、朝鮮王朝の末裔である世継ぎ(世子)、すなわちプリンスの住まいだった。敗戦後に西武が買い取って、赤坂プリンスホテルとなった。ここに福田赳夫の清和会が、本陣を構えた。岸信介派も流れ込んだ。現役時代はよく通ったが、そこに朝鮮の歴史があることなど気づかなかった。

 朝鮮プリンスの屋敷を、西武に売却する手助けをした星島二郎の書生の話では「神社の神主の靴は間違いなく朝鮮靴。天皇家も神社も、半島から渡ってきたものだ」は事実に相違ない。

 神社の鳥居の原型は、古く中国に存在する。大陸―半島ー列島は、悠久の古からの、人・物・食材などの往来を見て取れる。そもそも日本という名称は、いつ確立したのか。朝鮮王朝時代は、倭国・倭寇である。やはり明治なのか。

 朝鮮王朝史を紐解きながら、日本史を学ぶと、正確な歴史が見えてくる。そのことを、安倍ー菅の内閣が教えているではないのか。

2020年11月3日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

5. 中川隆[-10032] koaQ7Jey 2020年11月10日 14:04:48 : Zt2FcgnQek : ZlFPRmJaMFFzVXc=[15] 報告


 戦前、日本の代表的輸出品は生糸ではない。アヘンだった。(メディアが絶対に書かない裏話)
2020年11月10日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1306.html

 第二次世界大戦前の日本には麻薬の儲け以外にまともな収入がなかった。 (生糸の輸出はほとんど微々たるもので、大量の出費 (戦艦や戦闘機などの製造、鉄道、地下鉄、路面電車の建設) のごく一部でも賄うことができなかった。)
 戦前の日本には製糸産業以外の産業がなかった。

 第二次世界大戦前の日本では、大量の麻薬の儲けがある (東京裁判) 一方で、 財源が不明な大量の出費 (軍事、鉄道建設、地下鉄建設、路面鉄道等の建設) があった。

 明治時代になってから、明治政府は矢継ぎ早に外国から色々なものを輸入しており、 これに麻薬の儲けが大量に使用されたことは疑う余地がない。

 それ以前はどうか ? 例えば明治維新の戦費はどうしたのだろう ?
 これも随分輸入を必要としたはずだが、国内には貿易の決済に使える銀 (外貨) がほとんど残っていなかった。
 銀を手に入れるための麻薬貿易は幕末から開始している必要がある。

 アヘン戦争
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E7%89%87%E6%88%A6%E4%BA%89#:~:text=%E9%98%BF%E7%89%87%E6%88%A6%E4%BA%89%EF%BC%88%E3%82%A2%E3%83%98%E3%83%B3%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%9D%E3%81%86,%E5%88%A9%E7%9B%8A%E3%82%92%E5%BE%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%82

 1840年(江戸時代、天保11年)、イギリスはインドで製造したアヘンを大量に清国に輸出していたが、清国政府がそれを禁止したため、イギリスが武力侵攻し、勝利を収めた。これが清国の崩壊につながった。

 帝国主義諸国は、これを見て、アヘン輸出が倫理的問題である以上に、ボロ儲けのネタであることを知った。
 とりわけ、明治維新のなかで、新政府側の官僚たちは、巨大な富を生むアヘン貿易に目をつけた。
 その代表的人物が、後藤新平である。
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen-gotou.html

 後藤新平は、明治新政府が台湾に侵攻するとともに、民衆に根付いていたアヘン吸引を表向き禁止したが、いきなり禁止すると反抗が起きるという理由で、暫時、禁止を進めるという政策を行った。
 
「阿片漸禁」による「専売」で「百六十万円の収入増」立案

 阿片の吸飲は日本国内では厳禁だった。中国本土でも禁止運動が広がっていた。それを知りながら、後藤は、台湾では阿片を禁止せずに「漸禁」の専売政策を実施し、「医療用」に専売したのである。

 「漸禁」の名による阿片許可の政策は、財政目的だけではなくて、現地人を阿片漬けにし、反抗を押さえる目的をも合わせ持っていた。イギリスと中国の阿片戦争の例を引くまでもなく、阿片は歴史的に、植民地支配の根幹としての役割を果たしてきたのである。

 後藤の提唱したアヘン専売制によって、植民地現地から利益を吸い上げるというやり方は、当時の国際条約では禁止されていたので、明治政府は秘密裏に、子会社を作らせて民間委託するという方法で、台湾・満州・朝鮮で大規模に事業を進めた。その規模は、世界のアヘン生産流通量の9割にも及んだ。

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 アヘン帝国 --- 汚れた歴史
 http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/section4E/kuiper_section4E.htm

 「アヘン」というと、一般的には「アヘン戦争」の「英国」を思い浮かべる人が多いと思います。 しかし「アヘン帝国」と呼ばれる国があるとすれば、これは戦前の日本です。
一時期、日本のアヘンの生産量はほぼ世界のアヘン生産量に匹敵しました (1937 年には全世界の 90%)。 例えば、次の本で「アヘン帝国」の呼称を使用しています。(これは本の紹介ページです、 本の題目も訳してみました。1997 年に出版されたかなり有名な本のようです。)

Opium Empire: Japanese Imperialism and Drug Trafficking in Asia, 1895-1945
(アヘン帝国:アジアにおける日本の帝国主義と麻薬の取引、1895-1945) 
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以下抄訳(原文が長すぎるので、一部だけ紹介した)

 先進国 (G8) はすべて、中国への「アヘン」輸出に手を染めています。 従って「中国」を食い物にした点では先進国はすべて有罪です。
しかし 1913 年に英国はインドのアヘンを中国に出荷することを停止します。 一方 1911 年頃から、欧米 (特に英国と米国) は「モルヒネ」を東洋に輸出しますが、取引相手は日本でした。

「モルヒネ」は神戸を経由してそのまま「中国」に再輸出されました。 「モルヒネ」を直接「中国」に輸出することが国際条約で禁止されていたためのようです。 (モルヒネを製造していた英国の企業は日本が国際条約に違反していることを知っていたはずです。) もうこの頃になると、中国への「麻薬」の輸出はほとんどすべて日本の手によっていました。
 あとはますますひどくなるだけのようです。「アヘン戦争」によって「アヘン」が 中国になだれ込みますが、それよりもずっとひどいことが日本によって引き起こされた。 にもかかわらず日本ではほとんど語られていません。

 中心にある諸悪の根源は、「アヘンの専売制」です。 最初はこれは日本独自のものかと考えていたのですが、 これはヨーロッパ各国が植民地でしていたことの真似のようです。
中国国内には例えば香港などでアヘンの専売制がありました。 恐らく英国が真っ先にしたことと思われ、日本国内におけるアヘンの専売制も 基本的には英国の真似であったことになります。

 しかし、その規模では日本は他を圧倒的に凌駕しました。 日本は最終的には「満州帝国」でアヘンを生産し、関東軍の占領下におけるアヘン (あるいは広く麻薬 -- モルヒネ、ヘロインを含む) の流通を一手に独占します。
 (ブログ主註=これには二反長音蔵という、芥子栽培、ヘロイン抽出技術の天才の存在があり、これに里見甫『上海アヘン王』が関与して、世界最大級の日本軍アヘンが成立する)
しかもアヘンの消費量を増やすために、アヘン中毒を大量に作ります。 中国侵略はむしろアヘンを売りさばくための戦争であったと考えたほうがよい。

Asian Holocaust : WMD Opium, Sex Slaves, Nanjing Massacre Pillage, Slavery, WMD Unit 731, 100, 516
このページでは、日本が中国でしたことを「国家によるテロ」(state-terrorism) と呼び、 米国は共産圏との対決の理由から「国家によるテロ」を隠蔽したのではないかと 言っています。
 日本は中国の人を手当たり次第に麻薬中毒にして 搾り取るようなことをしています。これは地域住民に対する無差別攻撃です。 地域住民に対する無差別攻撃は通常「テロ」と呼ばれますから、確かにこれは「国家によるテロ」です。

 日本を経由した麻薬

 カルカッタのアヘン売り場で日本はインドのアヘンの重要な購入者の一つになった。...... インド政府によって売られたアヘンは日本政府の許可の下に神戸に船で送られ、神戸で青島 (チンタオ) 向けの船に積み替えられる。この貿易ではとても多くの儲けがあり、日本の代表的な企業のいくつかが 興味を示している。

訳注: 1913 年には英国は中国政府の要請の下に、インドのアヘンを中国に持ち込まなくなりました。 しかし、カルカッタではアヘンは販売され続けたのです。カルカッタにおけるアヘンの販売はオークションですから、 直接的に中国にアヘンを持ち込まずに、 しかもアヘンで儲けるための極めて巧妙な方法を英国が取り入れたことになります。 無論、最終的にアヘンを中国に持ち込んだ日本も悪い奴です。

 (中国における) 海関 (Maritime Customs) の日本人弁務官が事務所を持っている港では すべて、密貿易のセンターが設立され、アヘンやその派生製品がまったく堂々と密輸され、 日本が年間に持ち込むモルヒネは (これは国際条約によって禁止されてはいるが) 20トン程度であろうと 言われている。この量は一つの国を中毒にするに足るものである。

 アヘン中毒 (opium habit) を撲滅しようとしたが、その結果モルヒネが流通することとなった。 北中国 -- とりわけ満州 -- におけるモルヒネ中毒はすでに広範囲になっている。
  中国政府はこの災いに警戒態勢を取っている。しかし抑圧する試みは麻薬業者 -- 主に日本人 -- の行動によって妨害されている。麻薬業者は中国政府、日本政府の規制をかいくぐっている ... 中国はモルヒネ漬けになっている。--- 中略 --- 営口では, 2000 人ものモルヒネ中毒が 1914 - 1915 に死亡した。モルヒネの場合にはアヘンよりもはるかに急速に中毒が進行する。

 .... モルヒネはまだ東洋では、まとまった量では生産されていないし、モルヒネの摂取に必要な 皮下注射器の製造をすることが出来ない。 大量に生産されているのは、英国、ドイツ、オーストリアである... この取引には エジンバラの 2 つの企業とロンドンの企業が従事しており、貿易は日本の業者が実行している。 商業取引所の報告書によれば英国から東洋へのモルヒネの輸出はこの数年の間に極端に増大している。
1911 5.5 トン
1912 7.5 トン
1913 11.25 トン
1914 14 トン

 アヘンの闇 クロカル超人の面白半分日記

  星製薬は「ドイツの塩酸モルヒネ製造装置」を入手して、台湾にモルヒネ工場を作ったことと、 1917 年 (大正 6 年) に星製薬以外がモルヒネの製造に加わった。 次の項目「アヘン帝国の興隆 - 台湾」で詳しい議論をしますが、1919 年には日本のモルヒネが中国に怒涛のように 乱入しており、第二次大戦の終了まで続く「アヘン帝国日本」が牙をむいているのです。 その元凶を作ったのが星一のようです。この人は極悪人です。

 1917 年に星製薬以外にモルヒネの製造に加わったのは 現在の大日本製薬・三共・武田薬品工業のようですから、 星一のみが悪い奴というわけでもないようです。

 「第一次世界大戦でドイツからモルヒネの供給が途絶えたとき」に台湾でモルヒネの 大量生産に成功したとしています。 第一次世界大戦は 1914-1918 年ですが、1917 年に至るまでの数年間、モルヒネ製造は星製薬の独占 のようですから、第一次世界大戦に入った直後の 1914 年から 1915 年頃にモルヒネの 大量生産に成功しているのでしょう。

1879 アヘン専売法
1894 - 1895 日清戦争
1895 台湾が日本の支配下
1904 - 1905 日露戦争
1906 南満州鉄道 (満鉄), 日本の会社
1910 日韓併合(朝鮮半島が日本の支配下)
1911 辛亥革命
1914 - 1918 第一次世界大戦
1914 日本はドイツの租借地の青島を占領
1918 - 1922 外満州、内満州支配 (シベリア出兵)
1919 ベルサイユ条約
1922 青島を中国に返還

 満州国 (あるいは満州帝国) は 1932 年にならないとできませんが、第二次アヘン戦争 (1858 年) の結果、 外満州 (現在のロシア極東) がロシアのものとなり、 19 世紀の終わりには、満州 (正確には内満州) はロシアの影響下にありました。
しかし、日露戦争の結果、日本はロシアに取って代わり、満州を影響下に置くことになりました。 具体的には南満州鉄道が日本のものになりました。

 あとあと見るように 1911年に英国は中国と「インドのアヘンを中国に持ち込むことを禁止する条約」を結びます。 これで、中国は麻薬の空白地帯となりますが、同じ頃起きた 辛亥革命の結果、中国は内乱状態になります。
絶好の機会とばかりに、 日本が 1911 年から 1914 年に英国から神戸を経由して中国にモルヒネが持ち込んだのでしょう。 日本語の Wikipedia (南満州鉄道) によると、満鉄設立時の路線は下の図のようです。 南満州鉄道には

南満州鉄道附属地 - Wikipedia
があり、ここは外の法律が適用されない植民地のようなものであったようです。 警察もありましたが、これは日本の植民地であった関東州の警察です ( 関東州の警察 -Wikipedia )。 従って麻薬の密輸にはとても都合よくできていたのです。 関東州は日本の植民地でしたから、日本政府の許可さえあれば、大連に麻薬を持ち込み、 それを更に南満州鉄道で搬入することなど造作もなくできたことでしょう。 南満州鉄道は「麻薬鉄道」と呼んでもよいかもしれません。

 日本政府の公式な統計によると 1900 年には台湾に 169000 人の アヘン中毒がいた。
 当初は、アヘンを吸うことは台湾では非公式に認められ、日本が軍事拡大のために多額の予算が必要となったときアヘン政策が変化した。
 日本は台湾人がもっと多くのアヘンを吸うように奨励しようとした。

 上の最後の三行はは恐らく日本語の Wikipedia では真っ向から否定することだと思われます。 そこで論理から話を進めることにしましょう。戦前の日本にはおよそ産業らしい産業がありませんでした。 日清戦争、日露戦争いずれの場合にも、英国から戦争のために艦船を購入しています。
この費用はどこから捻出したのでしょうか ? 民生段階の産業が発展してない限り、軍事予算に手が回らないはずです。 例えば、現在の北朝鮮には産業らしい産業がありません。 輸出できるとしたら、食糧です。しかし、食料を大量に輸出すれば 自国民が飢えます。それ以外には「麻薬の輸出」しかないと思われます。 北朝鮮には偽札の印刷もありますが、これは除外しましょう。

 しつこく繰り返しますが、まだ日本では産業革命に至っていなかったというべきです。 産業に関してははるかに先進国である「英国」でもアヘン戦争後、アヘンの利益は 産業革命にまわりました。どうやって「産業革命」を遂行しながら 「巨大な軍事予算」を工面することができたでしょうか ?
 産業革命にも「巨大な資金」が必要となります。1904 年に八幡製鉄所がようやく完成した ばかりで、まだ国内で機械を作ることができず、機械類はほぼ全部輸入品であったはずです。 民生用の機械も輸入品で軍事用の船舶も輸入品なのです。どのようにして 資金を工面したのでしょうか。アヘンに手を出したと考えるのが最も自然です。 しかも積極的に国策としてアヘンの輸出に手を出したというべきです。

 「日本政府は秘密裏に中国および極東の他の国におけるモルヒネの流通を育成している」
と告発して、更に次のように続けている
 「日本はモルヒネ及びその製造と摂取に必要な器具を中国に輸入することに関しての禁止条約の 加盟国であるにもかかわらず」麻薬の流通は日本銀行の資金援助および中国における 日本の郵便の援助を受けていると断言している。

 もはやモルヒネはヨーロッパでは購入することができない(訳注: モルヒネの売買が規制されたことを意味する)
とレポーターは書いている。製造の中心地は日本になり、モルヒネは日本人自身によって製造されている。 毎年、文字通り何千万円もの資金が日本のモルヒネの代金として、 中国から日本に送金されている .....
(訳注: 金額は当時のものですから、今日では非常に大きな金額です)
と記述し、更に次のように述べています。

 南中国では、モルヒネは中国人の行商人によって売られている。 彼らは台湾人であることを証明するパスポートを保持し、従って日本政府の保護下にある。
中国における日本の薬屋 (ドラグストアー) はすべて大量のモルヒネの在庫を かかえている。日本の薬の行商人は巨額の利益を生むモルヒネに目がいっている。
日本人が優勢な場所ではどこでも、(モルヒネの) 商売が繁盛している。

大連経由ではモルヒネが満州と隣接する省に流通し、青島経由ではモルヒネが山東省、安徽省、江蘇省に 流通し、台湾からはモルヒネはアヘンとそれ以外の禁制品と共に、エンジンつきの漁船で 中国本土のどこかに運ばれ、そこから福建省と広東省の北部の至る所に配布されている。 ありとあらゆる場所で、治外法権の保護の下、日本人によって売りさばかれている。(訳注: この場合の日本人は台湾人を含む)

 ここに登場する台湾人は、台湾の暴力団だと思われます。アヘンは日本国内においては (当時の台湾を含む)、アヘンは政府の専売ですから、この台湾の暴力団は日本政府の 方針で動いていることになります。また 1919 年頃、台湾系の暴力団が日本のパスポートを保持して、中国本土で活発に活動していたことを意味します。

 現在では外交官用の パスポートを所持していない限り治外法権ではありませんが、当時はどうだったのでしょうか ? 暴力団が外交官用のパスポートを持っていたことも考えられますし、 日清戦争の結果日本のパスポートを所持していれば、中国で治外法権だったかもしれません。

 日本の郵便局と麻薬

 中国におけるモルヒネの主だった配布機関は日本の郵便局である。 モルヒネは小包として輸入される。 中国における日本の郵便局の小包は、中国の税関の検査を受けることが許可されていない。
中国の税関が許可されていることは、日本の送り状に記載されている小包の中身と称するものを知ることのみである。 にもかかわらず、モルヒネはこの方法で、何トンも中国に持ち込まれた。 消極的に見積もっても、1 年を通じて日本が中国に持ち込むモルヒネの量は 18 トン程度にのぼり、 この量が着実に増加していることに関しての痕跡がある。

 1898 年の台湾の民生長官であった後藤新平は 台湾人のアヘン使用に関しての方針を決め、 一方で中毒していないものが中毒しないようにし、 他方ですでに中毒になっている者に関しては政府の管理下で引き続き使用を 認めるものであった。

 中毒している者は登録する必要があった。 しかしジェニングス (Jennings、本の著者) が説明するように、 1920 年代の後半には、アヘン中毒で登録していない者は登録している者と 同じくらいの数になった。台湾人の中にはアヘン使用を恥辱と感じる者はいなかった。 その結果、よく儲かる専売制となり、製薬局 (Medicine Manufacturing Bureau) -- 後の専売局 -- に協力をする御用紳士は国際市場から生アヘンを輸入し、 吸引用のペーストにして配布した。

 一時期アヘンの売り上げは台湾政府(日本総督府)の 年収の 20 % 以上を占めるに至った。アヘンの売り上げは 1918 年にピークに達し、 800 万円以上であった。ジェニングズは 1897 年から 1941 年の 台湾政府の収入と、麻薬の収入を表にしている。

 二反長音蔵 - Wikipedia
これによると、「二反長」の読みは「にたんちょう」で、二反長音蔵の子である二反長半次郎 (にたんちょう はんじろう) は小説家・児童文学作家でペンネームを「二反長 (にたんおさ) 半 (なかば)」というそうです。 二反長半の作品

『戦争と日本阿片史 阿片王二反長音蔵の生涯』 - 父・音蔵の生涯と彼が関わった戦前期のアヘン製造の記録。

から「二反長音蔵」のことがわかるようです。 「二反長音蔵」はケシの栽培とアヘン販売に携わったようで、英文の本の紹介ページでは「アヘン王」として 扱われています。しかも、 二反長音蔵 - Wikipedia には、「星一」、「後藤新平」がその協力者であると書かれています。 要するに、この 3 人は「麻薬王」なのです。「二反長音蔵」は満州、内モンゴルで 活発に行動したそうです。

 後藤新平 - Wikipedia の記述が更に不正確であることも別の記述から見付けることになりました。 1898 年 (明治 31 年) に後藤新平は「台湾総督府民生長官」となっていますが、

 後藤新平の阿片商売
によると、その 2 年前の 1896 年に「台湾総督府衛生顧問」になっているようです (但し、このページでは ミスタイプをしていて 1986 年になっている)。しかも、そうなった理由は、そのさらに前年の一九八五年、内務省衛生局時代に、内務大臣と首相兼台湾事務局総裁という立場の伊藤博文に対して、 大変な長文の「台湾島阿片制度施行に関する意見書」を提出していたからであった。

 また、二反長音蔵もケシ栽培を管轄する内務省衛生局長・後藤新平に建白書を提出します。 台湾を専売制にするには、アヘンを輸入しなければなりません。 インド・イラン・トルコなどから台湾に輸入されるアヘンは 明治31年では149t・171万円になりました。 音蔵はこのアヘンを日本国内で自給すれば、貴重な外貨の流出を防げると建白し、 そのケシ栽培を自分たちにやらせてくれと願い出て、認可されました。

 つまりアヘンの専売制は、台湾でのケシ栽培禁止とセットになっていたので、 音蔵はそこに目をつけたのです。  こうして、音蔵たちの作ったアヘンは、台湾総督府に納められ、 それを使って星一はモルヒネを製造し、音蔵・新平・一は旧知の間柄になっていきました。

 要するに後藤新平はもともと「ケシ栽培を管轄する内務省衛生局長」であったのですが 「アヘンで儲けること」を提唱して「台湾府衛生顧問」となり「台湾総督府民生長官」と昇進したのです。 更に、後藤新平の阿片商売 では「アヘン漸禁策」は後藤新平の創意ではなく、考え方としては台湾総督府の前任者の時代からあったとしています。

 もう一点、 後藤新平 - Wikipedia の記述から、満鉄総裁になってから

 台湾時代の人材を多く起用するとともに30代、40代の若手の優秀な人材を招聘し、 満鉄のインフラ整備、衛生施設の拡充、大連などの都市の建設に当たった。
としています。「インフラ整備」ではほとんど確実にアヘンの儲けを使っているはずです。

 こう考えると、後藤新平は「台湾総督府民生長官」であったときに、(英国の真似をして) アヘンの儲けで「台湾」 のインフラ整備を実行し、更に「満鉄総裁」となってからもアヘンの儲けで「満鉄」の インフラ整備をしたことになります。このようなことを積極的に推し進める考えを持っていたからこそ、「台湾総督府民生長官」にもなり「満鉄総裁」にもなったのではないでしょうか ?
 後藤新平は 1919 年 (大正 8 年) に拓殖大学の学長になっていますが、 拓殖大学の前身は台湾協会学校ですから、これの設立にもほぼ確実に麻薬の儲けが使われている ことになります (植民地におけるインフラ整備は麻薬の儲けに依存している)。

「アヘン作戦」

 必要とあれば、無料でアヘンを敵地にばらまきます。 (アヘン煙草とでも言ってよいと思うのですが、 箱に入っており、簡単に手渡しができたようです。)これでアヘン中毒を蔓延させます。
 ころあいを見計らい、戦争をふっかけます。敵の兵士がアヘン中毒ばかりであれば、 これで簡単に勝利できます。(これが関東軍の戦争の仕方でした。)
占領した地域で、更に大量にアヘン中毒を作ります。

 これでいくらでもアヘンが売れることになり、戦費が確保できることになります。
これって、戦争ですかね ? 暴力団の手口と似ていると思いませんか ?

 朝鮮では、アヘンが 1914 年に禁止されるまでに、 モルヒネが麻薬中毒の選択肢として取って代わっていた。 そして 1929 年までは、支配国である日本はモルヒネを抑制する法律を 制定しようとはしなかった。

 第一次大戦の終わる頃には、 日本の専売制の下における麻薬の生産は多量の余剰を作り上げていた。 これは、満州における日本の占領地 と北部中国を経由して、中国で成功裏に売りさばかれた。 日本が「中国」の至る所に麻薬を密輸することを止めさせようとしなかったため、 国際連盟でごうごうと非難を受けた。ジェニングスはいかにして 日本が、よく儲かる政府の専売によって、中国における麻薬の使用を 奨励したのかを説明している。彼は、中国における占領地から、 世界的な規模での麻薬の売買を遂行することが日本の計画であったと断言をしている。

 ジェニングスの語るところでは、ラッセル・パシャ (Russell Pasha) は 1937 年の国際連盟の「アヘンに関しての諮問委員会」の議場で 「世界中の非合法の麻薬のほぼすべては日本に責任がある」と断言をしている。

注意
1912 年のハーグにおける 万国阿片条約 - Wikipedia の結果、見かけ上は麻薬撲滅に協力しなければいけないため、1914 年にアヘンが禁止されたのでしょう。 しかし、代わりにモルヒネとなっていますから、これは単に見せかけ以外の何物でもありません。

 第一次大戦は 1914 年に開始して 1918 年に終了しています。第一次大戦の終わるころ 朝鮮で麻薬の余剰ができたと書いていますが、 1914 年にアヘンが朝鮮で禁止されていたと書いてありますから、 この「余剰の麻薬」はモルヒネのはずです。 従って、第一次大戦が終了する頃には、 すでにモルヒネ工場が朝鮮にあったことを意味しています。

ところが、日本におけるモルヒネの大量生産は第一次大戦開始後のことで、当初は星製薬の 独占でした (台湾)。これ以外の製薬会社がモルヒネの大量生産を開始するのは 1917 年です。
  おそらく、このときに朝鮮にモルヒネ工場ができたと思われます。 そうすると 1917 年までモルヒネをどのようにして手に入れていたのでしょうか ? 「日本を経由した麻薬」で紹介をした欧米のモルヒネの 一部が朝鮮に持ち込まれたのに相違ありません。

 これは、第一次世界大戦で日本がドイツの植民地である青島などを占領したあとで、 中華民国の袁世凱政権に要求したもので、最大の要求は「ドイツが山東省に持っていた権益を日本が継承すること」 ですが、それ以外にも「日本人が南満州で自由に往来できて、各種の商工業などに自由に従事すること」があります。

  この日本人には朝鮮人が入ることに注意してください。従って朝鮮におけるヤクの売人が自由に行き来でき、 また麻薬を自由に売りさばけることになり、 麻薬の密輸に極めて好都合であったことになります。 (日本はヤクの売人には日本人を使ってはいません。日本人が麻薬中毒になることを恐れたためです。)

 「アヘン帝国の興隆 - 台湾」で述べたように 1919 年には日本のモルヒネが青島と大連経由で中国に なだれ込んでいますが、これは「対華21ヶ条要求」を中国が受け入れた結果ではないかと思います。 つまり、「対華21ヶ条要求」は軍事的な要求に見えますが、実は麻薬を中国に持ち込むことを 前提にした要求であったとも考えることができます。

 少し疑問になることがあります。それは日韓併合が 1910 年である点です。 併合後わずか 7 年でモルヒネの製造を開始し、それを輸出に回している。 あまりにも事態の進展が急であるように思われます。 しかし、この疑問点は次の記事ではっきりしました。

Country Guide : KOREA (washingtonpost.com)
朝鮮の歴史について書かれている箇所を部分的に翻訳します。

 日本の支配は日清戦争 (1894 - 95) と日露戦争 (1904 - 5) のあとで強化した。 日露戦争の時には日本の軍隊は満州を攻撃するために朝鮮を通った。 この軍隊は決して撤退することがなかった。そして 1905 年に日本は 朝鮮を保護国とすることを宣言し、そして 1910 年に正式に朝鮮を併合した。
 
 つまり、日露戦争が始まってから、日本軍はずっと朝鮮に居座っていたのです。 日本は戦争をするたびに麻薬を持ち込んでいますから、1904 年以後、朝鮮は ずっと麻薬漬けであったと思われます。恐らく当初はアヘンで、そのうち 欧米のモルヒネとなり、終にはモルヒネを朝鮮で生産することになったのでしょう。

 満州ではモルヒネどころかヘロインも登場します。これは、アヘンでは 中毒になるのに時間がかかるためなのです。多分同じ理由から、朝鮮でもアヘンよりは 効き目の速いモルヒネを使用したのでしょう。

 最初は、中国に侵入したモルヒネは、欧米のもので、これは日本を経由していた。 日本政府は国内ではモルヒネ使用を厳しく制限していたが、 日本人たちは中国でモルヒネを販売するようになり、後には中国で生産するようになった。 1920 年までに、日本経由で一年間で中国に持ち込まれるモルヒネの量は、ある評価によれば、 中国人一人当たり 4 服分に足るものであるとされている。

*************************************************************
 引用以上

 全体では、優に百科事典なみの分量のある論文なので、ごく一部を紹介しただけだが、 日本軍、麻薬販売組織の核心的人物である、里見甫、二反長音蔵、岸信介は、ごくわずかに紹介されただけで物足りない。
 それに一番肝心な昭和通商の記述がない。それでも、戦前の日本政府が行っていた極悪麻薬政策を隅から隅まで暴こうとした労作中の労作であり、著者に心から敬意を表したい。

 私が、これまで調べたことは網羅されているが、昭和通商に伴う文献は、実は、岸・安倍家・小泉純也や文鮮明、北朝鮮に関係しているので、表だって記述できない部分があったのかもしれない。

 すでに何回も書いているが、実は、中国共産党や北朝鮮政府は、日本敗戦後、二反長らが作った巨大なケシ畑とヘロイン製造施設を、そのまま継承して、現在も外貨稼ぎの手段として温存している。
 https://jp.yna.co.kr/view/MYH20081210001600882

 この麻薬問題は、現在もなお、中国共産党・北朝鮮の闇を形作っている。
 また、北朝鮮は、日本軍が湯川秀樹らに命じて開発させたウラン濃縮施設も、その人員と技術を継承しているともいわれる。
 上に紹介したのは、どれも戦前の昔話だと思わないでいただきたい。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1306.html

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