2019年10月25日 「グローバル化」と「国際化」の区別を From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学少し前ですが、先日、『産経新聞』の「正論」欄に次のようなコラムを書きました。 https://special.sankei.com/f/seiron/article/20191002/0001.html 上記コラムで言いたかったことは、「グローバル化」(グローバリズム)と「国際化」(国際主義)を区別すべきだということです。 記事中にも書きましたが、「グローバル化」(グローバリズム)とは、一般的に次のように規定されます。 「国境の垣根をできる限り引き下げ、ヒト、モノ、カネ、サービスの流れを活発化させる現象、およびそうすべきだという考え方」です。国家の役割を最小限にし、各国の文化や制度の相違をなくし、画一的なルールの下、世界を統合していこうとするものです。 他方、「国際化」(国際主義)は、各国の文化や制度の相違を安易になくそうとはしません。文化や暮らしを守るために国家の役割も重視します。各国の文化を尊重し相違を認めつつ、そのうえで積極的に交流し、互いの国をよりよくしていこうとする考え方だといえるでしょう。 私がまずいと思うのは、現在、一般的には、「グローバル化」と「国際化」がごっちゃにされているということです。 日本人の多くの人々は、「国際化」や「国際交流」はいいことだと思っています(私自身もそうです)。 例えば、開催中のラグビーのワールドカップに関連して、北九州の人々が、ウェールズ語でウェールズの国歌や聖歌を歌い、ウェールズ代表のチームをもてなしたということがニュースになっていました。 「英国も注目!北九州で1万5000人の日本人がウェールズ国歌を熱唱!」 https://www.japanjournals.com/uk-today/13590-190930-3.html 「ウェールズを歓迎 北九州少女の“可愛すぎる聖歌”に英ファン感激「本当に感動的だ」」 https://the-ans.jp/rugby-world-cup/83239/3/ ウェールズのメディアも注目していました。 「日本のファンがウェールズ国歌を斉唱」“Fans in Japan sing the Welsh national anthem | Rugby World Cup 2019” 『Wales Online』 https://www.youtube.com/watch?v=M-eyTr0njmo この動画のコメント欄には、北九州市民の歓迎ぶりに感謝し、喜ぶウェールズの人々の声があふれています。 「他の国でこんなことをするとは思えないよ。いままでで一番のワールドカップになるんじゃないか」 「すばらしい!なんで日本人は我々ウェールズ人にこんなに親切にしてくれるんだ。…」 「故郷ウェールズから5000マイルも離れたところに住んでいるので、ウェールズ国歌を耳にするとだいたい泣けてきてしまう。だけど、北九州のこれはほんと特別だよ。ディーオルク(ウェールズ語でありがとう)、アリガトウ」。 これらの動画、私も結構、じんわりきました。相手の国や文化、伝統、言語に敬意を表し、尊重する。こういう交流は、世界の人々の感動を幅広く呼ぶのだと思います。 こうした付き合い方は「グローバル化」という言葉でくくるべきではないでしょう。「グローバル化」は、個別的な文化や伝統、歴史を尊重しません。国境線や国籍、国民意識といった偏狭で時代遅れなものをなくし、世界を統合しよう。そういうものをより「合理化」し、共通化(画一化)しよう。そう考えてしまいます。 例えば、「グローバル化」という掛け声のなかで結ばれていくTPPなどの自由貿易協定では、各国の商慣習や特有の文化的ルールや言語などは尊重されません。同じく、「グローバル化」の旗印の下、日本の教育界で進められているのは「英語化」です。 産経の拙コラムのなかでも指摘しましたが、近年、欧米を中心に「グローバル化」の生み出す害悪が数多く指摘され、トランプ大統領の選出やブレグジット、欧州諸国のいわゆるポピュリスト政党の躍進など、反グローバル化の社会的動きが強くなっています。 しかし、いわゆる「知識人」やマスコミの間では、欧米でも日本でもそうですが、グローバル化を批判する言論はなかなか主流になりません。 そうならない理由の一つに、「グローバル化」と「国際化」が概念的にきちんと区別されていないことがあると思います。 「グローバル化」と「国際化」がごっちゃにされているので、「グローバル化」を否定すると「国際化」まで拒むということになります。「グローバル化」を批判すると、「鎖国主義者」「孤立主義者」などという非難を受けることになってしまいます。ひどいときは「排外主義者」「極右」扱いされます。 そう非難されるのがいやなので、なかなかグローバル化批判を口に出せないのです。 私のみるところ、欧米などで強まっている反グローバル化の動きの大半は、「鎖国主義」「孤立主義」「排外主義」ではありません。 例えば、ブレグジットを主導した英国の市民団体が望んでいたのは、自分たちのことは自分たちで決めたいということでした。つまり、国民主権(自己決定権)の復活、英国という政治的まとまりの復権ということでした。彼らは、他国と付き合うことは別に否定していません。ただ、交流(貿易、外国人労働者や移民の受け入れなど)の条件を、EUではなく、自分たち自身で決めたいということでした。 現在のところ、残念ながら、「グローバル化」の反対概念は一般に、「孤立主義」「鎖国主義」「排外主義」だと思われています。これを改めるべきです。「グローバル化」と対置されるべきは「国民主権」の復権や「国際化」であると、人々の認識を変えていく必要があるのではないでしょうか。 各国は、自分たちの文化や伝統、言語を大切にし、国をしっかり作っていく。そして、他国の文化や伝統、言語も尊重する。互いを尊重し、相互に学び合いつつ、各々の国をよりよきものにしていく。多様な文化や伝統をそれぞれ大切にする多くの国からなる世界を作る。それによって、各国の普通の人々がそれぞれ豊かに安心して暮らせる世界を作る。 ある意味、月並みですが、「グローバル化」でおかしくなった世界をまっとうにしていく。そのための第一歩として、「グローバル化」と「国際化」をまず概念的に区別していくことが必要ではないかと思います。 https://38news.jp/politics/14818
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