http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/390.html
Tweet |
(回答先: ロシア民謡「黒い瞳」(Ochi Chernye) 投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 28 日 09:44:48)
ロシア民謡「Дорогой длинною 長い道を」
作詞:К.Н.ポドリェーフスキー(ポドレフスキー)
作曲:Б.И.フォミーン(フォーミン) / 1917年頃著作
Дорогой длинною - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%94%D0%BE%D1%80%D0%BE%D0%B3%D0%BE%D0%B9+%D0%B4%D0%BB%D0%B8%D0%BD%D0%BD%D0%BE%D1%8E+
【ロシア音楽】長い道を (Дорогой длинною) (日本語字幕) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=8fPfhB4-Ar4
▲△▽▼
JASRACのJ-WIDで検索すると、「ロシア民謡」と検出されますが、実際には20世紀の初め(1917年ごろ)に作られた、比較的新しい歌なので、民謡という言葉は不適切です。
作詞と作曲は、それぞれコンスタンチン・ニコラーエヴィチ・ポドリェーフスキー(Константин Николаевич Подревский、?〜1942)と、ロシアの作曲家ボリース・イヴァーノヴィチ・フォミーン〔※1〕(Борис Иванович Фомин、1900〜48)によるものです。
1969年に、ジーン・ラスキンによって英語の歌詞と編曲が施され、「Those Were the Days」のタイトルで、ポール・マッカートニーのプロデュースによる、メアリー・ホプキンの歌唱でリリースされました。世界的なヒットを博し、日本では『悲しき天使』の邦題でおなじみです。
また、日本では、1980年代に「東ヨーロッパ民謡」または「ロマ民謡」として、『花の季節』の題名で、中学生の音楽の教科書に掲載されていたようです。作曲者も作詞者もはっきりしているのに、なぜ「民謡」とされてしまったのかは分かりませんが。
〔※1〕日本では、誤って「フォーミン」と表記されるのが一般的です。
▲△▽▼
1.
我々は小鈴のついたトロイカに乗っていった
遠くで明かりがちらちらと光っていた
ああ、もし私が今君らについて来ていたなら
魂を憂鬱から解き放ってくれるだろうに!
長い道のりを、月の照る中を行く
あの遠くで鳴り響いている歌とともに
そして昔の思い出と
夜ごと私をかくもさいなんだ七弦ギターとともに
2.
そうだ、思い起こせば、
我々はわけもなく歌っていた
意味もなく夜から夜へと燃えていた
もし我々が昔のことにけりをつけていたら
あれらの夜も遠ざけられたろうに!
長い道のりを、月の照る中を行く
あの遠くで鳴り響いている歌とともに
そして昔の思い出と
夜ごと私をかくもさいなんだ七弦ギターとともに
3.
彼方の故郷の地へ新たな旅路を行く
この先我々は定められた道を行くしかない
我々は小鈴のついたトロイカに乗っていった
今でははるか昔のことになってしまったが!
長い道のりを、月の照る中を行く
あの遠くで鳴り響いている歌とともに
そして昔の思い出と
夜ごと私をかくもさいなんだ七弦ギターとともに
http://ezokashi.opal.ne.jp/russiaframe.html
- メリー・ホプキン 悲しき天使 Those Were the Days 中川隆 2019/4/28 10:07:26
(0)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。