第87話 日本語とアイヌ語 http://ocra.sakura.ne.jp/087.html アイヌ語はかつて日本列島で東北から北海道にかけて、かなり広い範囲で話されていた。しかし、現在では日常生活には使われておらず、数少ない古老の記憶の なかだけに残された言語になっている。「アイヌ」とはアイヌ語で「人間」を意味する。「イヌイット」がエスキモーのことばで「人間」を意味するのと同じで ある。 われわれが知っているアイヌ語といえば、カムイ(神)、シャケ(鮭)、コタン(村)、イタコ(云う)くらいである。恐山の「イタコ」はアイヌ語の「云う」か らきているという。金田一京助、知里真志保の『アイヌ語法概説』(岩波書店)によると、アイヌ語は、つぎのような言語である。 poro chise ta horari. 大なる 家 に彼住めり poro pet kotan un arpa. 幌別 村 へ 彼行く meko seta orowa a-nospha. 猫が 犬 に追われる tampe huchi ku-kore na. これ 祖母さんに 私上げる わ 管見しただけで、日本語とはかなり違う言語であることがわかる。アイヌ語は抱合語といわれ動詞のなかに代名詞を包み込んでいる。Horari(彼住めり)、arpa(彼行く)、ku-kore(私―上げる)のように動詞にはその主語や目的語が接頭辞などとして明示されている。語彙もかなり隔たりがある。 目shik、鼻etu、耳kisar、頭sapa、顔nan、手tek、犬seta、猫meko、山 nupuri、ことばitak、 神の国kamui-kotan、人間の国ainu-moshir 神kamui、手tek、猫meko、など日本語と似た語彙もあるが、借用語である可能性がある。引用は断片的にならざるを得ないが、もう一つだけ引用すると、つぎのよう例もある。 ekashi nina kusu ekimun oman. 爺さんは 柴刈り に 山へ 行き huchi ihuraye kusu pet otta san. 婆さんはせんたくに 川 へ 行った 東京帝国大学教授だったチェンバレン(Basil Hall Chamberlain)は、明治20年(1887)に「アイヌ研究からみた日本の言語・神話・地名の研究」を発表して、アイヌ語は日本語とは系統の異なる言語であると論じた。その後、金田一京助は昭和12年(1937)に、「国語とアイヌ語との関係――チェンバリン説の再検討――」という論文を発表して、つぎのように述べている。 国語とアイヌ語とは、系統上、如何なる関係に立つ言語であろうか。チェンバリン教授は、半世紀の昔に、これを無関係の言語であると断じて、はっきりとその 証拠を提示されたのであるが、爾来幾多の学者が、幾度もこの問題を取扱いながら、曾てチェンバリン説を支持したものを聞かず、さりとてまたこれを論破した 学説のあることを聞かないのである。然しながら、いつまでも、そのままに放置して居るべきものではなく、そろそろ始末を附けてよかるべき時代に達している のであろうかと思うので、聊か所見を開陳しておくべき次第である。(『アイヌ語研究』p.363) アイヌの叙事詩ユーカラを研究した金田一京助の結論は、つぎのようなものであった。 してみればお互い、相隣りながら、太古以来かかる別々の構造の言語を以て生きていたのであ る。有史以前からの接触であるから、この正反対に、沢山の類似 が相互の間に生じても不思議が 無いことであるに係わらず、截然として全くちがう色彩をして相臨んでいるということは、必 竟、両国語は本源のちがう言 語だということに帰着せざるを得ないのである。この点、チェンバリン教授が半世紀前の断案は、今日に及んで、終に微塵も憾ぐところが無いのである。 実をいえば、アイヌ語は日本語と関係があってくれたら好いのである。若し同じ元から分かれた姉妹語ででもあってくれたら、この間に比較言語学が有望になって 来、それに由って、分岐以前の日本語、即ち文献も金石文も遺らぬ悠久な太古日本の言語へ溯って行くことが出来て、アイヌ語の研究も、今あるより、より遥か に興味多いものとなって来る筈である。だが遺憾ながらその関係は、終に無いということに結着するのである。欲すると欲せざるとに係わらず、それが事実であ るから、真理の前、また如何ともしがないのである。(『アイヌ語研究』p.376) アイヌ語は人称名詞が発達していて、一人称複数に我々(あなたを含む)、と我々(あなとを含まない)の区別がある。これはイヌイットやアメリカ・インディアンの言語と共通の特色である。 例:我々(あなたを含む)aokai、 我々(あなたを含まない)chiokai アイヌ語は抱合語と呼ばれる言語である。抱合語はベーリング海峡から、北アメリカ、メキシコにかけて広がっている言語の特色である。イヌイット(エスキ モー)の言語は典型的な抱合語である。ヨーロッパではスペインの一部で話されているバスク語がこのような特色をもっているという。抱合語では「誰が」、 「誰を」あるいは「誰に」という関係を接辞によって明確に示す。 例: 我が・君に・与える a-e-kore 我が・彼に・与える a-kore 君が・私に・与える e-i-kore 君が・彼に・与える e-kore 彼が・私に・与える i-kore 彼が・君に・与える e-kore このような違いにもかかわらず、最近では哲学者の梅原猛は日本語アイヌ語同系論を展開している。また、現代におけるアイヌ語研究の第一人者である田村すず子も、アイヌ 語は日本語にむしろ似ている点も多い、としている。アイヌ語にはまた、朝鮮語の要素をもつものが「群をなして」みいだされるという。たしかに、アイヌ語は 語順は日本語とほとんど同じである。修飾語は被修飾語の前に置かれる。日本語と違った点は、否定の表わし方で、「〜しない」という否定形が動詞・動詞句の 前に置かれる。数詞は20進法である。古代日本語や朝鮮語と違ってr音が語頭にたつ、などの点である。 アイヌ語は南島のオーストロネシア語と関係があるのではないか、という興味深い説が村山七郎によって提起されている。(村山七郎『日本語の比較研究』三一書 房ほか)また、それを裏づけるかのような見解も発表されている。人類学者の埴原和郎は「骨から古墳人を推理する」のなかで、つぎのように述べている。 第一に、アイヌはいまも一部で信じられるようなコーカソイド(白色人種系統)ではなく、モンゴロイドに属する人たちである。第二に、アイヌはシベリア方面に 住んでいるような寒冷地民族ではなく、むしろ南方系の原モンゴロイドに近い。そして第三に、アイヌは縄文人にもともよく似ていることから、弥生時代以後の 渡来者の影響を受けることなく、縄文人がそのまま小進化した集団と考えられる。(中公文庫『日本の古代5』p.170) さらに、埴原和郎は頭骨の形態の比較などから、「アイヌ・沖縄同系論」を支持している。 幕末から明治初年にかけて来日したシーボルト父子は、アイヌ・琉球同系論を主張したが、思えばこれは卓見であった。この説は、その後長い間埋れたかたちに なっていたが、シーボルト説を、あらためて“発掘”すべきだと思う。私自身のデータを含めて、やはりアイヌと琉球人には共通する特徴が多いのである。 例えば歯の形態や頭骨の形態について、多変量解析を行うと、この両者は必ずといってよいほど高い類似性を示し、しかも縄文的伝統を残していることが 分かる。(中略)もちろん、アイヌと琉球人とは、それぞれ異なる歴史を歩んできた。そのため、文化の面では、両者は大きく違っている。共通することは、水 田稲作の弥生時代がなかったこと、その後も古墳文化が及ばず、律令体制の外に置かれ続けたというネガチブな点だけであろう。(『日本人の起源(増補)』p.212) アイヌ人は縄文土器をもたない縄文時代人であり、沖縄人は弥生文化をもたない弥生時代人であった。縄文時代に北海道、東北にアイヌ人が暮らしていたことは明らかだが、 アイヌ人が縄文土器を製作した痕跡は残されていない。アイヌ人は12世紀に入ってはじめて独自の文化を形成するにいたった。 琉球列島には縄文時代に早くから人が住み着いていたことは疑いない。しかし、本土が弥生時代の波に洗われていたとき、琉球は縄文晩期を迎えていた。 縄文時代の日 本列島で南島系(オーストロネシア系)の言語が話されていたとすれば、アイヌ人も沖縄人も、後に弥生文化を受け入れた縄文人も、みな縄文時代には南島系言 語を話していたことになり、アイヌ語と日本語は同系だということになる。しかし、縄文時代のことばが弥生時代以降も受け継がれたという証拠はない。 一方、日本列島には縄文時代からアルタイ系言語Aを話す人と南島系言語Bを話す人が住んでいて、そこに弥生時代になってアルタイ系言語Cを話す人々が渡来したとすれば、縄文時代の日本列島には、アルタイ 系言語Aを話す人と南島系言語Cを話す人の二群が同居していたことになる。日本語はアルタイ系言語Aのうえにアルタイ系言語Cがかぶさった言語だと考えることもできるし、南島系言語Bのうえにアルタイ系言語Cがかぶさった言語だと考え ることもできる。 アイヌ語は南島系言語Cの末裔であり、南島系言語はアリューシャン列島からアメリカ大陸に広がりアメリカ・インディアンの言語ともつながりをもつ、環太平洋 に広がる言語の一環であるということになる。アイヌ語と日本語が似ているところがあるとすれば、日本列島にアルタイ系言語Bを話す人々が入ってくる前に南 島系言語Cを話す人たちが住んでいて、その痕跡が現代の日本語にも残されているからだ、ということになる。 縄文時代は1万2千年前から約1万年の長きにわたる時代である。縄文時代の日本語を探求することは、弥生時代の日本語を復元することよりも一段と困難であ る。「やまとことば」のなかには、狩猟採集生活の痕跡を残す語彙が驚くほど少ない。動物の内臓などに関する語彙も希少であり、弥生語と縄文語の間に断絶が あるのではないかという問題は解決されていない。 世界の言語で系統論の立証に成功しているのは、いずれも古い言語資料が残っている言語である。インド・ヨーロッパ語族の解明が19世紀に進んだのも、サンス クリットの古い文献が残っていたからである。インド・ヨーロッパ語族についで解明が進んでいるのはセム語族である。セム語族に属するアッカド語は紀元前2300年代のタブレットがたくさん残っている。それ以降も古代バビロン、シリア、メソポタミアと続く。 日 本語や周辺の言語は中国語を除いて残念ながら古い時代の文字記録を残していない。縄文時代は文字の記録を残していない。アイヌ語も文字をもたなかった。そ こで、考古学資料や形質人類学の成果を援用して日本語の源流を探り当てようということになるのだが、言語の歴史は言語史料によってしか解明できない。言語 の歴史を現在に残されたわずかな資料だけから解明することは、そう簡単ではない。 http://ocra.sakura.ne.jp/087.html
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