日本映画に革命を起こした『犬神家の一族』はここがスゴかった https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49684 かどかわ・はるき/'42年、富山生まれ。実業家、映画プロデューサー。「角川映画」の生みの親。近著に、映画制作の経験を語った『いつかギラギラする日』
あさだ・えいいち/'49年、北海道生まれ。特撮監督。『犬神家の一族』、『日本沈没』などで助監督、『ゴジラ FINAL WARS』で特殊技術責任者を務める なかがわ・ゆうすけ/'60年、東京生まれ。評論家。『松田聖子と中森明菜』『歌舞伎 家と血と藝』『角川映画 1976-1986 日本を変えた10年』をはじめ、著書多数 「週刊現代」2016年9月17日号より 湖から飛び出した足、不気味なマスク… モダンな映像、衝撃的なマスク、斬新な宣伝——何もかもが新しかった。時代を変えた作品は、いかにして生まれ、どんな哲学を持っていたのか。
角川映画の生みの親・角川春樹氏、『犬神家の一族』で助監督をつとめた浅田英一氏、そして角川映画に詳しい評論家・中川右介氏の3人が、あの名作を振り返る。 みんなマネしたあのシーン 中川右介 角川映画がスタートして今年で40周年。記念すべき最初の作品が、'76年秋公開の『犬神家の一族』です。当時、私は高校1年生。ミステリーが好きだったので公開が楽しみで、先行ロードショーをやっていた日比谷映画に足を運びました。 角川春樹 第一作ということで、公開には万全を期して臨みました。当時の日比谷映画の新記録となる前売り券5000枚を売り出し、それでも心配で、映画館の周辺でちんどん屋にビラを配らせたんです。映画界でちんどん屋を使ったのは初めてだったと思います。 浅田英一 当時、日本映画界は下り坂。そんな空気の中、角川書店が参入したことは、現場にとってはとても新鮮でした。 宣伝ポスターも斬新でした。作品の代名詞である湖から二本の足が突き出ているシーンが大きく使われていましたね。 角川 あれからしばらくプールで逆さまになって足を突き出すのが、若者や子供たちの間でブームになりました(笑)。
中川 あの頃プールに行くと、「犬神家禁止」という貼り紙を見かけました。いまの若い人たちには意味がわからないと思うけれど、当時はそれだけで意味が通じたものです。 浅田 あのシーンはどこで撮影したんだっけな。 角川 長野県の青木湖ですよ。マネキンの脚に重しをつけて、浮いてこないようにしました。 中川 あのシーンには、角川さんご自身も刑事役で出演していましたね。 角川 忘れてください。恥ずかしい思いをしたので、あれだけはいまも絶対に見ないようにしてるんです(笑)。 中川 もうひとつ『犬神家』の代名詞と言えば、青沼静馬と犬神佐清の二役を演じたあおい輝彦さんが被っていた「スケキヨマスク」です。画面にマスク男が登場するシーンは、不気味さが際立っていました。 浅田 懐かしいですね。あのマスクには市川崑監督のこだわりがあった。東宝の特殊美術課造型の人が、あおいさんの顔から型を取って作ったんです。市川さんは、最初作ったものでひとまずOKしてくれたんですが、その後「やっぱりもっと柔らかくしてくれ」と要望が出てきた。3度ほど作り直し、とても柔らかいものになりました。 なぜ横溝正史だったか 角川 あのマスクは映画のプロモーションにも使いました。ホテルで行った完成披露パーティで、マスクをかぶった私が棺桶から現れるという演出だったのですが、みんな仰天していました(笑)。 中川 そもそもなぜ、出版社社長の角川さんが映画を製作することになったのか、改めてお聞きします。 角川 '68年、早川書房が映画『卒業』のシナリオのノベライゼーションを出したところ、映画が人気を博して、翻訳は10万部のベストセラー、主題歌も大ヒット。それを見て、出版社が映画を作るのも「あり」だと考えていたのです。 浅田 最初からヒットを予想していたんですか。 角川 相当研究はしていました。'74年、松本清張の『砂の器』が映画化されてヒットし、社会派ミステリーが人気を集めていた。同時に、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンによって、古き日本を見直そうという空気がありました。そこで狙いをつけたのが横溝正史さんでした。 中川 '75年に横溝さんの『本陣殺人事件』を高林陽一監督が映画化し、配給収入1億円を突破。その前には『八つ墓村』も少年マガジンで劇画化され、横溝ブームが静かに起きていました。 角川 ええ。さらにその頃、山崎豊子さんの『華麗なる一族』が大ヒットし、「日本人に受けるのはやはり一族ものだ」ということで、『犬神家の一族』に決めました。 一方で、私は西部劇を観てきたので、この作品もマカロニウェスタン風でやりたいと思っていた。 中川 フラッと街にやってきた主人公が、そこで起きた事件を解決し、街を去っていく物語ですね。 角川 そうです。だから、主人公の金田一耕助は放浪者のイメージを出すために、お釜帽とトランクと袴という原作通りのスタイルをそのまま採用した。役者も、飄々としたイメージがピッタリということで、私が石坂浩二さんにお願いしました。 中川 キャストは本当に豪華ですよね。ポスターを見ても、主演の石坂と高峰三枝子の二人だけがクローズアップされているわけではない。三國連太郎、岸田今日子、三木のり平など、知った顔ばかりが並んでいます。アガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』が、やはりオールスターキャストで映画化された直後でしたが、意識されていたんでしょうね。 角川 はい。当時、ハリウッド映画で流行っていたオールスターキャストのイメージがどうしても欲しかったんです。 浅田 現場では、みなさん個性があって印象的でしたが、とくに神官役の大滝秀治さんは凄みがありました。カメラテストの間、ずっと蔵のなかに入って、真剣な顔でひとりぶつぶつとセリフをつぶやいていたんです。周囲は、「あの人は不器用で、何度も練習しないと気が済まないんです」と言っていました。 中川 本当に何代にもわたってそこに住んでいる神主さんに見えましたね。 角川 三木のり平さんと三國連太郎さんに関しては、「この人を出せば必ず映画がヒットする」というジンクスがあったんです。だから、わずかなシーンでも出演してもらいたかった(笑)。 中川 監督を市川さんに決めたのも、角川さんだとうかがいました。 角川 ええ。石坂さんと市川さんは、当初から決めていました。市川さんは、久里子亭(クリスティのもじり)というペンネームで脚本を書くくらいミステリーがお好きでしたから。「色彩の魔術師」と呼ばれて評価も高かった。 浅田 私はこのとき初めて市川組につきました。事前に「よく怒る監督だ」と聞いていたから怖かったのですが、実際、市川さんは相当に厳しかった(笑)。 『犬神家』の時代設定は昭和20年代前半。当時の雰囲気を残していた信州の上田でのロケでしたが、コンクリートの電柱がカメラに映っていると、市川監督が「なんとかせい!」と言うので、木の板を電柱に巻き付けて隠したりね。 角川 へぇ、市川さんも意外と怒るんだなあ。 浅田 市川さんはいつも欠けた歯に煙草を挟んでいて、機嫌のいいときは煙草が下を向いているんです。でも機嫌が悪くなるとそれが水平になり、怒っているときは上を向く。「上」のときに話しかけても、絶対に答えてくれません。「そんなことはどうでもいい。後にしろ!」と怒鳴られました。 それから、市川さんはリテイクをするとき、「もう一回だな」と言うだけで理由を言わない。尋ねると「お前、そもそも映画というのは……」と映画論の講義が始まる。万年映画青年のような、真っすぐな方でした。 ユーモアがなきゃいけない 中川 そのこだわりに、当時の映画少年たちは映画の何たるかを教わったと思います。とにかく映像が新鮮だった。ただ並んで歩いているだけのシーンを真上から俯瞰で撮ってみるなど、映像に緩急がありました。 僕自身、『犬神家』から、映画のおもしろさはストーリーやセリフだけでないこと、映像そのものにおもしろさがあるんだと教わった気がします。 浅田 なかでも市川さんが執着していたのが「光と影」です。クランクイン初日は、犬神家の大広間に親族が揃うシーンの撮影だったのですが、前日、セットの最終下見をしたところ、市川監督が「金の襖の反射が弱くて、金色に見えない。これじゃあダメだ。やり直し」と言い出し、美術が1日かけてセットを作り直しました。 角川 カット割りの細かさも彼の特徴。後年、薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』などで、1シーンを1カットで撮ることがブームになりますが、市川さんは細かくカット割りをして、重ねて撮っていくタイプでした。 中川 目がギョロッと動くアップのシーンを挿入したりするので、瞬きをする役者が嫌いだったそうですね。 浅田 ええ、それで何度もリテイクになった役者さんもいます(笑)。 中川 脚本に関しては、随所でユーモアが光っていました。警察署長役の加藤武さんが、何回も「よし、わかった!」と早合点して手を叩くシーンは、何度見ても思わずくすりとしてしまいます。
角川 僕もいろいろとアイデアを出しました。たとえば、最後に金田一が弁護士とおカネのやりとりをする場面。米国の探偵映画には必ず探偵におカネを渡して、領収書を受け取るシーンがあって、これを日本映画でやりたかったんです。 ほかにも、宿屋の女中役の坂口良子さんが金田一に食事を用意し、「全部私が作ったの。何が美味しかった?」と訊くと、金田一が何も考えずに「生卵」って答えるシーン。このシーンも私のアイデアで、原作にはありません。おどろおどろしい作品には気が抜けるシーンが必要なんです。 中川 この作品は、先ほどのポスターも含め、宣伝も印象的でした。封切り日に向け、集中的にテレビCMが流されましたが、その効果は絶大だったんではないでしょうか。 角川 映画宣伝でテレビスポットを打つのも初めての試みで、効果は大きかったと思います。ただ、「テレビCMに膨大なカネを使った」という通説は間違い。実際に使ったのはCMの製作費50万円と放映料500万円の計550万円だけです。それが、映画のヒットを受けて「膨大なテレビ宣伝費」という神話になっちゃったんですね。 中川 映画がヒットしたことで、横溝さんの文庫本も売れたと思いますが、文庫本を読んだ人と映画を観た人の数ではどちらが多かったのでしょうか。 角川 映画のほうでしょう。その時点で横溝さんの作品は計40点発行し、文庫含めて累計発行部数は1000万部超でしたが、映画は『犬神家の一族』だけで約350万人動員しましたからね。配給収入も17億5000万円までいきました。 もうひとつ私がこだわったのは主題曲です。主題曲を作った大野雄二は、テレビでは売れっ子でしたが、映画音楽を作ったことがなかった。その大野に500万円払って主題曲を書いてもらいました。当時、日本映画の音楽予算は50万円が相場。破格の金額でした。 浅田 たしかに印象的な曲でした。あの物悲しい旋律はいまでも耳に残っています。 角川 ただ、失敗だったのは、インストゥルメンタルだったこと。歌詞があればもっと売れていたと思う。その反省が、第二作の『人間の証明』で、ジョー山中が歌った主題歌の大ヒットにつながりました。 中川 いずれにせよ、『犬神家』が、日本でメディアミックスに成功した初めての作品だったことは間違いありません。 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49684?page=3
『犬神家の一族』/'76年公開の横溝正史原作、市川崑監督作品。'70~'80年代にブームになった「角川映画」の第一作。多くのスター俳優、女優を起用し、第一回報知映画賞作品賞を受賞するなど評価は高く、興行的にも成功した。'06年には市川監督、石坂浩二主演でリメイクが行われた
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