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自由貿易は国家経済を破綻させる _ 自由貿易論者が信じているリカードの「比較優位の原理」は時代錯誤の幼稚な経済理論
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/192.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 25 日 11:43:59: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 輸出企業が日本を滅ぼす _ 輸出超過額と対外資産が増える程 日本人はどんどん貧しくなっていく 投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 24 日 11:51:32)


自由貿易は国家経済を破綻させる _ 自由貿易論者が信じているリカードの「比較優位の原理」は時代錯誤の幼稚な経済理論


不当な為替レートのままでは「比較優位の原理」が働かず、全ての生産活動を中国で行うことが一番合理的ということになる。


経済コラムマガジン 2011/2/21(651号)

関税以外の貿易障壁

•WTOの弱体化
現実の経済を理論的に論じることは難しい。ましてや話が世界に及ぶと、整合性を持って経済を語ることが一段と困難になる。そのような事もあってか、中には議論の混乱を見越し、自分達にとって有利な政策を実現したいがために、とんでもない虚言・妄言を発する人々が出てくる。

TPPの議論に関しても、根拠が薄弱な意見がまかり通っている。例えば自由貿易こそが、日本にとって(日本だけでなく世界のどの国にとっても)極めて好ましいと主張する人々がいる。彼等はTPP参加こそ唯一正しい選択とまで喧伝する。

また日本のマスコミ人には「日本は貿易立国だ」という強い思い込みがある。彼等は経済が成長するには輸出を伸ばすことしかないとさえ思っている。しかし日本が高度経済成長していた時代は、主に内需が増えていた。むしろ低成長になってから、日本経済は外需に依存する度合が大きくなったのである。これについては来週取上げる予定である。


このように自由貿易で交易が活発になることによって、経済が成長すると思っている人が多い。この理論的根拠の一つがリカードの「比較優位の原理」であり、本誌は02/7/22(第261号)「中国の不当な為替政策」でこれを取上げた。

しかしこのリカードの理論は供給サイドだけで経済の成長を捉えている(需要は無限で生産したものは全て消費されるといった前提)。交易によって余った生産要素が他の物の生産に振り向けられ、経済が成長するといった理屈である。つまりデフレ経済の今日の日本には全く当てはまらない幼稚な経済理論である。

しかし教科書でこのリカードの「比較優位の原理」を学んだ学校秀才は、いかなる時にもこの理論が適合できると思い込んでいる。そしてこの自由貿易の障害が、関税であったり、また非関税障壁と呼ばれている補助金や各国の規制と考えている。

中でも最大の交易の障壁が関税という認識である。したがって関税撤廃を目指すTPPは、自由貿易の信奉者に熱烈に歓迎されている。しかしリカードの「比較優位の原理」が唱えられたのは、18、19世紀の牧歌的経済システムの時代を前提にしている。また後ほど述べるが、今日では関税以外の大きな貿易の障壁があることが常識になっている。


しかし第二次大戦後、自由貿易を推進する人々が常に問題にしたのが、この関税であった。GATT(関税と貿易に関する一般協定:WTOの前身)やWTOのメインテーマも関税であった。関税は単純であり目に見えやすいためか、これまでの交渉である程度まで引下げが実施されてきた。しかし補助金や規制などのその他の保護政策に話が及ぶと各国の利害がもろにぶつかり、話が進展しなくなった。


このため各国は、妥協が見込める国とのFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)の締結に走り出している。しかしこれは一種の抜け駆けであり、世界中の国の一斉の貿易自由化を目指すWTOの精神に反している。FTAやEPAが結ばれる毎に、今日、WTOは弱体化している。

筆者は、今後の世界の貿易体制は、TPPに見られるようなグループ化による保護貿易と見ている。ところが自由貿易信奉者は、WTOの弱体化については何もコメントしなくなった。おそらくこれも、彼等の頭の中が混乱しているからであろう。


現行、日本の工業品の輸入関税率はほとんどゼロに近い。つまりTPPに加入した場合、相手国の関税が基本的にゼロになるのだから、輸出企業にとって極めて有利になる。したがって輸出企業に携わっている人々がTPPに賛成なのは理解できる。

ところでこれまで規制緩和や郵政改革などの改革運動では、幼稚な観念論者と強欲に自分の利益を求める者が結び付いていた。筆者は今回のTPP推進派にも同じ匂いを感じる(リカードの「比較優位の原理」などを信じるような観念論者と輸出で利益を得ようする者)。しかし今回は彼等がとんでもない矛盾を抱えそうである。

•シー・シェパードのような説得不能な国
貿易の障壁が関税だけでないことは周知の事実である。WTOでも知的所有権といったものが問題になっている。しかし知的所有権は法律だけで縛れるものではない。その国の国民性というものが関係してくる。

先週号で取上げた環境問題も、今日、大きな障壁になっている。中国のように環境を無視する国は、環境を気にせず低コストで製品を製造し輸出することができる。しかし自由貿易の信奉者はこのような問題から逃げている。

しかし何度も繰返すが、筆者は、今日、世界貿易で最大の問題は為替操作と考えている。中国は大きな貿易黒字を続けながら、いまだに購買力平価の4分の1、5分の1の為替レートを維持している。実際、貿易の障壁の話なら、為替操作に比べれば関税なんて霞んでしまう。しかし為替操作はWTOで問題にならないし、自由貿易主義者も触れようとしない。


本誌は、昔、1人民元が1ドルだったことを指摘した。つまり1人民元が360円だった時代もあったである。今日の人民元レートは、対円で30分の1に減価しているのである。世界最大の貿易黒字国の通貨が、購買力平価の4分の1、5分の1でしか評価されていない異常な事態が起っている。

訳の分らない評論家は「東京の中国人のアルバイトはよく働く」、一方「日本の若者はニートとなって引きこもっている」と発言している。彼等の考えでは、これが日本経済の低迷の原因らしい。しかし中国人のアルバイトとっては、中国の所得水準が低いことに加え、人民元が購買力平価の何分の1に維持されていることが大きい。

反対に日本の円が購買力平価より高く推移していることを考慮すれば、東京でのアルバイトの時給は、中国人にとって6,000〜7,000円程度に感じられるのである。時給が6,000〜7,000円ということになれば、日本の若者も目の色を変えて働くはずである。ニートも半減するであろう。

韓国も、近年、為替操作が目立つ国の一つである。KーPOPタレントの本国での低賃金が話題になっているが、これも彼等が日本に進出したことによって気付いたことと思われる。筆者は、これも少なからず韓国の為替操作が影響していると考える。


今日、一番のTPPの推進者は大手の輸出企業である。輸出企業がCMスポンサーとなっているため、メディアも概ねTPPに賛同している。しかしTPPはとんだ問題を孕んでいる。

これは先週号でも述べたように、TPPが中国排除を意識したものと見られるからである。既に中国に生産設備を移した企業にとって、このことが将来痛手になる可能性がある。せっかく中国を世界の輸出基地にしようと思っていた企業にとって、これまでの中国での設備投資が無駄になるのである。


TPP推進の母体である財界にも、中国との親密な関係を望む者が多い。しかし、今後、彼等はTPPを取るか、中国を取るかの選択に迫られる可能性がある。TPPの内容を見れば、両方を同時に取る(具体的には中国のTPP加入)ということはほぼ不可能である。

筆者は、日本のTPP参加の是非について、判断に正直迷っている。もし農業などへの悪影響が最小限に抑えられるのなら、TPP加入もしょうがないと思う今日この頃である。貿易を含め、国同士の付合いは、最終的には、国民同士の価値観の相違ということになると筆者は考える。

国民の価値観の違いが一定の範囲にある国だけがTPPに参加するのなら、筆者は日本もこれに加入しても良いと考えるようになっている。それにしても日本の周りは、領土問題に見られるようにデリカシーのない国ばかりである。日本はまるでシー・シェパードのような説得不能な国に取り囲まれているのだ。TPPに活路を見い出すのも悪くないかもしれない。もちろんTPP加入の目的は、自由貿易信奉者のそれと大きく異なる。
http://adpweb.com/eco/eco651.html


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経済コラムマガジン 18/7/9(993号)

トランプ大統領の一連の通商制裁は「無茶苦茶」「常軌を逸している」と評価されている。特に反トランプのメディアの評論は厳しい。まるでトランプ大統領の判断と行動が完全に間違っていると言わんばかりである。

よく聞くのが「誰も得をしないトランプ大統領の通商制裁」という薄っぺらな意見である。筆者は、これを「自由貿易こそが人々に利益をもたらす」という観念論者の常套句の裏返しとして聞いている。日経新聞にもこのセリフが溢れている。


このセリフの根底には古典派経済学の「比較優位の原理」がある。交易が活発になれば、交易を行う両国に利益が生まれるという単純で幼稚な経済理論である。しかしこれには両国間の為替レートが適正な範囲に収まっているという前提条件が必要である。

ところが中国は

02/7/22(第261号)「中国の不当な為替政策」
http://www.adpweb.com/eco/eco261.html

で説明したように、著しく不当な為替レートをずっと維持してきた。これは本誌が16年も前から指摘して来た話である。

不当な為替レートのままでは「比較優位の原理」が働かず、全ての生産活動を中国で行うことが一番合理的ということになる。

さすがに米議会で中国の為替操作が度々問題になったが、中国や中国に進出した米大企業はロビー活動によってこの動きを潰してきた。この結果が今日の米国の膨大な対中貿易赤字である。トランプ大統領までの歴代の米国大統領は、この異常さに全く対応できなかった。


それどころか驚くことに自由貿易を推進するはずのWTOは為替に全く関心がない。また間抜けな自由貿易主義者達は、中国の為替の操作を問題にして来なかった。このようして中国の不当な為替操作は、長い間、世界から見逃されて来たのである。

中国の輸出品に関する補助金も問題である。しかし中国政府が補助金を出していることを証明することは簡単ではない。特に中国のような中央集権で秘密主義の国の場合には困難が伴う。WTOは補助金を一応問題にするが、巧妙な形で出される補助金まで把握しているとは思われない。

米国政府は、中国の大手通信機メーカーの華為技術や中興通訊(ZTE)に対し米国からの締出しや制裁を行っている。一つは安全保障上の問題が理由になっているが、この他にこれらの通信機メーカーに中国政府から多額の補助金が出ているという情報を掴んでいるからと言われている。何しろ両社の製品価格は他メーカーの半額という。中国からの輸入品については、これまでも他に補助金が噂になったものが多い(太陽光パネルなど)。

このように貿易に関し、中国は問題だらけである。ところが中国は、何を勘違いしたのか自分達こそが自由貿易主義と大笑いしそうなことを言い始めている。
http://www.adpweb.com/eco/

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>リカードの理論は供給サイドだけで経済の成長を捉えている(需要は無限で生産したものは全て消費されるといった前提)。
交易によって余った生産要素が他の物の生産に振り向けられ、経済が成長するといった理屈である。
>つまりデフレ経済の今日の日本には全く当てはまらない幼稚な経済理論である。
>しかし教科書でこのリカードの「比較優位の原理」を学んだ学校秀才は、いかなる時にもこの理論が適合できると思い込んでいる。
>そしてこの自由貿易の障害が、関税であったり、また非関税障壁と呼ばれている補助金や各国の規制と考えている。

リカードの「比較優位の原理」を学んだ学校秀才 池田信夫の主張とは

■ 内田樹氏の知らない比較優位 (池田信夫blog)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51752213.html

TPP反対派は、高校の政治経済レベルの経済学も理解していないことが多い。その典型が

内田樹氏の「グローバリストを信じるな」
http://blog.tatsuru.com/2011/10/25_1624.html

というブログ記事である。彼の「すべての原発の即時停止と廃炉」を求める記事が事実誤認であることは前にも指摘したが、この記事も間違いだらけだ。彼はこう書く:
「なぜアメリカがこれほど強硬に日本のTPP参加を要求するのか?」という、アメリカの行動の内在的なロジックを冷静に解析した記事をメディアで見る機会はほとんどない。

「アメリカが強硬に日本のTPP参加を要求」しているというのは、何を根拠に言っているのだろうか。たとえばNYタイムズで"TPP"を検索すると、2件しか出てこない。その一つでBergstenは「大統領も共和党もTPPに関心をもっていない」と嘆いている。アメリカにとってTPPは、小国を相手にしたローカルな通商協定にすぎない。そこに主要な輸出先でもない日本が入って来ても来なくても、どうでもいいのだ。さらに内田氏は、こう書く:
貿易において一国が輸出によって大きな貿易黒字を得る場合、その相手国は輸入超過となって貿易赤字が増えることになっている。ふつうはそうである。貿易では(グローバリストの好きな)Win-Win はない。片一方が黒字なら、片一方は赤字になる。
これは高校の答案でも落第である。これもクルーグマンの教科書から引用しよう。
アメリカでは1000万本のバラを栽培しているが、これに使う資源で10万台のコンピュータを生産できるとしよう。他方、南米では同じ資源で3万台のコンピュータしか生産できないとする。アメリカでバラの生産をやめて全量を南米から輸入したら、南米のバラの生産は1000万本増えてコンピュータの生産は3万台減るが、アメリカではバラの生産がゼロになってコンピュータの生産が10万台増える。つまり世界全体では、バラの生産量は変わらないが、コンピュータの生産量は7万台増える。
各国で生産費が異なるときは、相対的にコストの安い財に特化して輸出することによって世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。これがリカード以来知られている(そして内田氏の知らない)比較優位の原理である。日本のような製造業に比較優位をもつ国が農産物に高率の関税をかけて農業を保護するのは、製造業を犠牲にして世界経済を収縮させているのだ。

このとき貿易黒字になるか赤字になるかはどうでもよい。黒字は対外債権、赤字は対外債務だが、企業が債務をもっていても返済できれば問題ないのと同じである。輸出するのは輸入の代金を払うためであり、輸出代金をためこんでもしょうがない。そのように外貨を稼ぐこと自体に意味があると錯覚するのが、アダム・スミスも批判した重商主義である。

この記事には、この他にも誤りがいっぱいあるが、以上で十分だろう。内田氏のようにスミスやリカードも知らない17世紀の住人には、何をいっても無駄である。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51752213.html

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池田信夫氏の「内田樹氏の知らない比較優位」について
http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/582.html
投稿者 あっしら 日時 2011 年 11 月 02 日 22:42:14: Mo7ApAlflbQ6s


池田信夫氏の主張をみてみたい。


■ 内田樹氏の知らない比較優位 (池田信夫blog)
http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/453.html


 まず、池田氏は、このなかで、「「アメリカが強硬に日本のTPP参加を要求」しているというのは、何を根拠に言っているのだろうか。たとえばNYタイムズで"TPP"を検索すると、2件しか出てこない。その一つでBergstenは「大統領も共和党もTPPに関心をもっていない」と嘆いている。アメリカにとってTPPは、小国を相手にしたローカルな通商協定にすぎない。そこに主要な輸出先でもない日本が入って来ても来なくても、どうでもいいのだ」と書いている。

 米国政権が日本政府にTPP参加を要求しているわけではないという根拠の最初に、NYTの記事検索を持ち出すのには驚いた。
 それは、TPP(や対日通商交渉)が米国国民やメディアにとってそれほど大きな関心事ではないことを意味しているとしても、米国政権が日本政府にTPP参加を要求していないという傍証にすらならない。
 TPPのキーワードでNYTの記事を検索せずとも、米国政権が日本政府にTPP参加を強く望んでいることは、日本で報道されている米国政権の言動から十分にわかることである。

 日米の貿易関係は、「水平分業」で棲み分けがうまくいっている構造になっていると考えている。
 韓国企業との関係とは違い、それほど激しいつばぜり合いを演じることはなく、品目や対象地域(市場)で棲み分けている。(韓国企業とは、市場と品目(完成品)の両方で深刻な角逐状況にある)

 池田氏は、米国にとって日本が主要な輸出先ではないという説明を否定せずそのまま使っているが、ちょっと調べればわかるように、カナダ・メキシコ・中国に次ぐ第4位の位置にあり、英国やドイツよりも上位なのである。(対日輸出512億ドル:輸出全体の4.8%)

 池田氏は、さらに、「TPP反対派は、高校の政治経済レベルの経済学も理解していないことが多い」と指弾し、その根拠として、『比較優位の原理』を持ち出している。

 池田氏は、クルーグマン氏の教科書から説明を引用し、「各国で生産費が異なるときは、相対的にコストの安い財に特化して輸出することによって世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。これがリカード以来知られている(そして内田氏の知らない)比較優位の原理である」と教示している。

クルーグマン氏の教科書からの引用部分:
『アメリカでは1000万本のバラを栽培しているが、これに使う資源で10万台のコンピュータを生産できるとしよう。他方、南米では同じ資源で3万台のコンピュータしか生産できないとする。アメリカでバラの生産をやめて全量を南米から輸入したら、南米のバラの生産は1000万本増えてコンピュータの生産は3万台減るが、アメリカではバラの生産がゼロになってコンピュータの生産が10万台増える。つまり世界全体では、バラの生産量は変わらないが、コンピュータの生産量は7万台増える』


 この論理で、南米にコンピュータ製造をやめさせバラ栽培に傾注させられると考えているのならお手並み拝見である。

 まず、近代経済学は物理的量ではなく金額的量が基本の考察ベースである。

 バラ1000万本の付加価値とコンピュータ3万台の付加価値を比較しなければならない。それが同じなら、とりあえずは比較優位の論を受け入れよう。
 しかし、バラの付加価値が100万Gでコンピュータの付加価値が130万Gなら、南米はご冗談でしょとバラ栽培への特化を拒否するだろう。

 付加価値は同じだとしても、商品の性質も関わってくる。

● バラの盛りは短く、売り時に売れなければ、腐らせてしまい収入が大きく減少する。輸送にも気をつかわなければならない。
  コンピュータは、コストダウンペースや技術革新が速く生鮮食品とも揶揄されるが、バラほどではない。見切りをつけ安売りすればバラほどの大損は食わない。経済的腐敗はあるが、物理的腐敗はほぼない。

● バラの栽培も奥行きは深いと思っているが、近代資本制産業を発展させる動因はあまりない。コンピュータの方は、半導体・映像表示装置・ソフトウェア・製造装置など近代資本制産業を発展させる要素が詰まっている。
  近代国家として今後も成長を遂げたいと思っている国であれば、現段階の生産性は低くとも、コンピュータの製造を放棄したりはしないだろう。


 池田氏は、「比較優位の原理」を使って、「日本のような製造業に比較優位をもつ国が農産物に高率の関税をかけて農業を保護するのは、製造業を犠牲にして世界経済を収縮させているのだ」という結論を導いているが、製造業従事者がこの3年間だけで100万人も減少し(総数900万人)、若年労働者層の8%以上(200万人)が失業しているこの日本で、「製造業を犠牲にして」というロジックは通用しない。

 世界最高レベルの競争力を持つがゆえに、日本の製造業は、日本国内で労働力を使いこなせなくなったのである。日本の製造業にとって日本の労働力人口は過剰なのであり、農業を保護しようがしまいが、それは変わりないのである。

「比較優位の原理」は、そのような状況ではまったく通用しないのである。

 池田氏が批判している内田氏のブログは申し訳ないが未読なので、池田氏が引用している『貿易において一国が輸出によって大きな貿易黒字を得る場合、その相手国は輸入超過となって貿易赤字が増えることになっている。ふつうはそうである。貿易では(グローバリストの好きな)Win-Win はない。片一方が黒字なら、片一方は赤字になる。』 という部分のみについて感想を述べたい。

 貿易収支の不均衡からWin-Win はないということらしいが、貿易黒字の多寡がWINの指標だというのなら別だが、経済成長や国民生活の向上を指標にするのなら、Win-Win はありえる。

 池田氏の誤りは、内田氏の主張を「比較優位の原理」で裁断していることだ。
比較優位は、静態的一時的な話としては通用しても、持続的なWin-Win が論証できているわけではない。

 持続的なWin-Winの条件は、

○ 一つは、米国のように、膨大な貿易赤字にお構いなしで、旺盛な財貨の輸入ができる国があること。
 戦後世界の経済発展は、国際基軸通貨ドルの発行国で軍事的にも破格の力を持つ米国が、鯨飲馬食とも言える輸入超過構造を継続してきたことに支えられている。

○ もう一つは、米国の輸入超過構造を頼りに、近代的製造業の移転を通じて途上国の国民所得をアップさせるような貿易関係。
比較優位ではなく、コストの比較どころか製造条件さえない国に先進国が製造拠点を築き、そこに生産財や部品を輸出し、そこから米国や自国などに完成品を輸出するという構造だ。それにより、雇用された人々の所得が増加し、その所得が消費を通じてその国の経済社会全体に回る。進出先の国の所得水準が上がることで、製造拠点の生産量が増えたり、自国からの製品輸出が増える。

 というようなもので、「比較優位の原理」は、Win-Winの条件でもなければ、その論証にもなっていない。
http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/582.html


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【経済学理論の虚妄】 「比較優位」というリカードの“詐欺的理論”が今なお生き延びている不可思議 

− 「自由貿易主義」は「保護貿易主義」である 


「国家破産15」ボードにも「比較優位」学説が散見されたので、それを俎上に乗せたい。

まず、「自由貿易主義」は、それが有利だと考える国家が主張する「保護貿易主義」だと考えている。

自由貿易がお互いの国民経済にとってメリットがあるという理論的根拠としては、「比較優位」という考え方が示されている。

「比較優位」は経済学で幅広く受け入れられている(流布されている)理論であるが、現実と歴史をとてつもなく捨象したモデルにおいでのみかろうじて成立するものでしかない。

ここで取り上げる「比較優位」の理論は、リカードの「比較生産費説」と「ヘクシャー=オリーンの定理」とし、その対抗理論(政策)としてリストの「幼稚産業保護論」を取り上げる。

経済学から少し離れ、経済が国民経済であり、国民経済が近代国家の基盤であることを考えれば、「比較優位」がどれほど“現実離れ”したものであるかわかる。
「比較優位」を根拠として、鉄鋼産業や機械産業を確立せず、それらを外国に依存した近代国家が、国際政治の荒波を乗り越えることができるのか?

「比較優位」を根拠として、食糧を外国に依存した国家が、農業の自然規定性と自然変動や国際政治の変動を考えたとき、それで長期的な国民生活の安定を維持できるのか?

諸外国と対等に交渉できる自立した国家をめざす統治者が「比較優位」を受け入れることはないだろうし、国民の安定的な生存を第一義とする統治者も、「比較優位」を受け入れることはないだろう。

また、グローバル化が進んだ戦後世界でも、日本を除く先進諸国は「比較優位」を度外視して食糧自給率100%をめざし、自由主義の権化と見られている米国でさえ、繊維・鉄鋼・家電・自動車・半導体と次々に対日貿易規制を強要してきたことなどを思い浮かべれば、「比較優位」が、建前や理論は別として、現実としては受け入れていないことがわかる。

「比較優位」が理論としては受け入れられていても、現実の近代世界史で「比較優位」に基づいて交易が行われたことはないというのが実態である。

(近代産業勃興期の英国も、相手国(インドなど)に強制するかたちで輸出増加を達成したのだから、相互が納得する「比較優位」で交易が行われていたわけではない)

しかし、このような政治論的立場から「比較優位」を批判することが目的ではないので、経済論理に限定してその誤りを考察したいが、先にリストの「幼稚産業保護論」を見ることにする。

■ リストの「幼稚産業保護論」


リカードの「比較生産費説」を批判したドイツのリストは、自由貿易があらゆる国に利益をもたらす政策だとしても、産業構造が不変で、短期静態的な条件でのみ適用できるとした。

例えば、ドイツが近代的な紡績工場を綿糸業の比較生産費を切り下げていけば、小麦の輸出国から綿糸という工業製品を輸出する工業国に変身し、生産が大きく拡大し、経済厚生水準も大きく向上すると説明し、国家の政策で、英国製品の輸入を抑え、綿糸の国内価格を引き上げることで綿糸工業の拡大を実現すべきだと主張した。そして、リストの考えはその死後1879年にビスマルクによって採用され、それが、ドイツの工業化を促進し、重化学工業で英国を凌駕するまでになった。

これは、19世紀末のドイツまで遡らなくとも、戦後の日本を考えれば理解できることである。

米国の産業に較べて劣っていた日本の産業がついには米国を凌駕するまでになった過程を考えれば、「幼稚産業保護論」どころか「幼稚国家保護論」に基づく政策によってそれが実現されたことがわかる。

戦後日本の高度成長期は、保護関税のみならず“舶来品は贅沢”という価値観まで国民に浸透させることで輸入を抑制し、外資の直接投資を原則禁止とし、輸出の増進を国策として取り組んだ成果である。

1960年前半までに「自由貿易」や「外資受け入れ」を政策として実行していれば、今では名だたる輸出優良企業のほとんどがなく、国民生活の水準も現実の歴史過程よりずっと下回るものになったはずである。

(安価な財の輸入により国民生活が一時的に上昇することは否定しない)

■ 戦後の発展途上国


「自由貿易」主義者が戦後世界を取り上げるときは、「幼稚産業保護論」で成功した日本ではなく、戦後独立を果たした発展途上国を対象とするだろう。
発展途上国はその多くが近代化をめざし、「幼稚産業保護論」に相当する「輸入代替工業化政策」を採った。

その具体的な政策は、保護関税・輸入数量割り当て・高い為替レートをベースに、育成対象の産業が生産する財の国内価格を引き上げ、その産業が必要とする資本財の輸入に必要な外貨を優先的に割り当てるという政策を採った。

しかし、このような政策が成果を上げることは稀であった。

戦後日本やかつてのドイツが成功を収める一方で、戦後類似的な政策を採った発展途上国がうまくいかなかった要因が何かを考える。

技術力・経営・活動力という歴史的蓄積の差異を総括的要因として上げることができるが、


● 資本における有機的構成の高度化すなわち固定資本比率と規模の拡大

戦後とっても「産業革命」から既に100年以上が経過し、二つの世界大戦を経ていることから、産業の機械化が生産装置と言えるまで高度化しており、国際競争力を確保するためには、競争優位の規模を実現するためには厖大な資本投入を必要とする。

特定産業を優遇的に育成するためには、他の産業に犠牲を強いることである。
資金(外貨)が不足しているのが途上国だから、国際借り入れを行い、生産した財を輸出することで返済していなければならない。

途上国はGDPの絶対的規模が小さいのだから、対外債務の返済負担が過大なものとなる。

対外債務の過大な負担はイコール国民生活の耐乏を意味するから、国際競争力を確保できるほどの規模で産業を確立するのは無謀な試みとなる。

せいぜいが「輸入代替」という規模に制約され、国内市場向けに販売されることになる。

しかし、産業育成の資金は国際借り入れだから、その債務履行分だけは、国民経済の需要が減少する。

巨額の生産財を国際借り入れで輸入しながら、それによって生産される財が国内市場だけで販売されていれば、その産業の維持さえ困難な国民経済状況になる。

● 自国通貨を高めに設定した為替レート

為替レートが“実力”以上に高ければ、国際借り入れも相対的に軽減でき、財の輸入も有利になる。

ところが、そのために財の輸出競争条件は厳しいものになる。

「輸入代替工業化政策」という国内市場に限定した考えであったが故に、途上国の産業は育成はうまくいかなかったと言える。

国際借り入れの返済のために国内需要は減少するのだから、最低でも、債務履行に必要な外貨を輸出で稼ぎ出さなければならないのである。

■ 東アジアの経済成長


東アジア地域は、ラテンアメリカ・南アジア・中東・アフリカと違って経済成長を達成した。

東アジアが経済成長を遂げたのは、「比較優位」に従った結果でもなく、「輸入代替工業化政策」を採った成果でもない。

成功の要因は、日本を中心とした外資を積極的に誘致し、輸出拡大と国内需要拡大を成し遂げたことにある。

自前の産業育成であれば国際借り入れが必要になるが、外資であれば、生産設備の投資は外資自身が行い、そこで働く人々の教育だけ面倒を見ればいい。

極端な例をあげると、外資の工場で生産される財が全量輸出されるのであれば、財が国内に供給されることなく、そこの勤労者が得る賃金がまるまる国内企業にとっての需要として増加することになる。

財の輸出でデフレ圧力がかかることなく、需要の純増加により産業活動が活発化するインフレ傾向を生み出すことになる。

そのような経済状況であれば、需要“純”増加を梃子に国内企業の力を徐々に高めていくことができる。 そして、産業育成に国際借り入れを行ったり高価な生産財を輸入する必要がないのだから、為替レートは安い状態でいいというか、外資誘致のためにも安いほうが有利である。


国内企業の力が付いて輸出ができるようになれば、安い為替レートが国際競争力の支えとして貢献することになる。

このような発展途上国の経済成長論理は、ここ10年の中国経済を顧みれば理解できるはずである。

■ リカードの「比較生産費説」


「比較優位」の先駆理論であるリカードの「比較生産費説」からまず見ていくことにする。 簡単に「比較生産費説」を説明すると、


「世界に英国とポルトガルの2ヵ国しか存在せず、生産している財も毛織物とワインの2種類しかないと仮定する。英国は毛織物1単位を生産するのに100人、ワイン1単位を生産するのに120人を必要している。

ポルトガルは毛織物1単位を生産するのに90人、ぶどう酒1単位を生産するのに80人必要だとする。そして、英国の全労動量を220人、ポルトガルの全労動量を170人とすれば、貿易が行なわれないときの2ヵ国の毛織物の総生産量は、英国1単位、ポルトガル1単位の合計2単位である。同様に、ワインの2ヵ国の総生産量も2単位となる。

         英国     ポルトガル   2ヵ国の総生産量  
 毛織物    100人     90人     2単位
 ワイン    120人     80人     2単位
 総労働力量  220人    170人


生産性という視点で見れば、毛織物とワインともポルトガルのほうが優位にある。
直感的に考えれば、ポルトガルが両方の財を英国に輸出すればいいということになるのだが、リカードは、“より生産性が優れている財に特化して生産した方がお互いにより利益を得ることができる”と唱える。

ワインを基準にすると、  

(100/120)0.83 < (90/80)1.13

だから、英国は毛織物の生産が相対的に得意ということになる。


毛織物を基準にすると、  

(120/100)1.25 > (80/90)0.89

だから、ポルトガルはワインの生産が相対的に得意ということになる。
だから、英国は比較優位の毛織物に特化し、ポルトガルは比較優位のワインに特化したほうがいいとする。


そうすれば、

        英国     ポルトガル  2ヵ国の総生産量 
 毛織物    220人      0人   2.2  単位
 ワイン      0人    170人   2.125単位
 総労働力   (220人) (170人)  


 2ヵ国の総生産量を見ればわかるように、貿易しない場合に比べて、総労働量に変化がないにもかかわらず、それぞれの財の生産量が増加する。」


このような“詐欺”的説明でリカードは、自由貿易がお互いの国民経済にとって有利なものだと主張した。

財の特性にふれることもなく二つの財だけを比較するだけで、国民経済の利害を論じるとはなんとも雑ぱく話である。

例として上げられたポルトガルは、当時英国の属国同然だったから反論をしなかったかもしれないが、まっとうな統治者がいればきちんと反論していたであろう。
仮想のポルトガル統治者による反論を試みる。

● ポルトガルの仮想反論


「私どもの生産性のほうが毛織物でもワインでも高いということがよくわかりました。しかし、私どもの国では毛織物とワインの生産量と需要はぴったり合っていて、ご提案の内容によって賃金総額が増えることはありませんから、生産量が増えてもそれらの需要は増加しません。余った財はどうなさるのですか?全部お金に代えるとしたら、安く売るしかないんじゃないですか?」

「リカードさん、ではこうしましょう。英国の毛織物とワインの需要量はどれほどですか?私どもでその分を生産して貴国に輸出して差し上げます。もちろん、現状の労働力量では生産量を増加させることはできませんから、おたくの国から労働者に来てもらって結構ですよ。ほら較べて見てください。


        英国   ポルトガル  2ヵ国の総生産量 
 毛織物     0人    220人   2.44  単位
 ワイン     0人    170人   2.125単位
 総労働力  ( 0人) (170人)


        英国     ポルトガル  2ヵ国の総生産量 
 毛織物    220人      0人   2.2  単位
 ワイン      0人    170人   2.125単位
 総労働力   (220人) (170人)


ワインの生産量は変わりませんが、毛織物は2.2単位が2.44単位に増加します。うちで全部生産したほうが毛織物も生産量が増えますよ」


「それがおいやでしたら、英国はワインを、ポルトガルは毛織物をという分担は如何でしょう。毛織物は機械産業も必要ですし、毛織物や機械産業を別の織物業の発展にも貢献します。ワインの生産量が減ることについては、飲酒抑制を呼び掛けて何とかしますから大丈夫です」


現代のリカードは、ポルトガルの反論にどう答えるのだろう。

国民経済の発展が、農業就業人口の減少とそれに代わる工業就業人口と商業・サービス業就業人口の増加という現象を伴ったこと、金額であるGDPでも同じ現象を示し、現在の日本の農林水産業がGDPに占める割合は1.4%しかないことを考えれば、ポルトガルがワインに特化すれば、その後どういう“発展”を遂げなければならないかを推測するのはそれほど難しいことではない。

■ ヘクシャー=オリーンの定理


 比較優位を説明する理論としては、リカードの「比較生産費説」の他に、ヘクシャー=オリーンの定理がある。

ヘクシャー=オリーンの定理は、貿易する2国間で生産関数と消費関数が同一であったとしても、2国間に要素賦存比率の違いがあれば両国で異なる財に比較優位が発生して貿易が有効になると証明したとされるものである。

ヘクシャー=オリーンの定理が成立する条件は、


(1)2国2財2要素モデル
(2)生産関数と消費関数は2国で同一
(3)市場は完全競争
(4)二つの国は一方が資本豊富国でもう一方が労働豊富国
(5)二つの財は一方が資本集約財でもう一方が労働集約財
(6)二つの要素は資本と労働であること。
(7)生産要素は国内では自由に移動できるが、国境を越えて移動できない


である。そして、要素賦存の違いが国内の財の相対価格に反映されるとする。
資本豊富国では、同一の生産関数の下では労働豊富国よりも資本集約財の相対価格が低く、労働集約財の価格が高くなる。

だから、各国は、自国に相対的に豊富にある生産要素を集約的に用いる財に比較優位をもつことになると結論する。

まず、この定理では、類似的な要素賦存比率である先進諸国間や途上諸国間の自由貿易の正当性を説明することができない。

先進国と発展途上国のあいだの自由貿易を正当化する説明として“限定的に”有効性を持っていることは認められるが、自由貿易ではなく、前述した外資導入による東アジア諸国の経済成長論理に較べれば劣った“経済利益”である。

また、発展途上国の位置づけを固定化するものであり、通貨的尺度で測られる資本増殖ではなく、財生産量の最大化や財価格の最小化が経済利益に直結すると考えたときのみ通用するものである。

日本経済や世界経済を見ればわかるように、「近代経済システム」では、財価格の極小化は経済利益をもたらすどころか、「デフレ不況」という経済的大災厄をもたらすことがわかっている。

「自由貿易主義」は、世界レベルで需要規模が大きく付加価値も大きい財の生産分野で国際競争力を誇っている国民経済の国家が主張する「保護貿易主義」なのである。

そして、それを高らかに唱え続けるためには、国内で完全雇用に近い経済状況が維持されていなければならない。
http://www.asyura2.com/2002/dispute3/msg/570.html

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グローバリストを信じるな - 内田樹の研究室 2011-10-25
http://blog.tatsuru.com/2011/10/25_1624.html

Againの定例経営会議で箱根湯本に集まり、平川くん、兄ちゃん、石川くんと日本の行く末について話し合った。
EUの先行き、日本のデフォルトの可能性から、TPPが「空洞化したアメリカ産業の最後の抵抗」という話になる。
いったいアメリカは自由貿易によって日本に何を輸出して、どういうメリットを得るつもりなのか?
この中心的な論点について、メディアは実はほとんど言及していない。

「TPPに参加しないと、『世界の孤児』になる」とか「バスに乗り遅れるな」というような、「自己利益(というよりは「自己利益の喪失)」にフォーカスした言葉が飛び交うだけで、「なぜアメリカがこれほど強硬に日本のTPP参加を要求するのか?」という、アメリカの行動の内在的なロジックを冷静に解析した記事をメディアで見る機会はほとんどない。
まさか、アメリカが自国の国益はさておき日本の国益を守るために完全な市場開放を日本に求めているのだと思っている国民はいないと思うが、メディアの社説を徴する限り、論説委員たちはその数少ない例外らしい。
TPP参加は日本の国益のためだ、と推進派の人々は言う。

だが、それではアメリカが日本に市場開放を求め理由を説明したことにはならない。
アメリカが他国に市場開放を求めるのは、自国の国益がそれによって増大するという見通しが立つからである。
そして、貿易において、一国が輸出によって大きな貿易黒字を得る場合、その相手国は輸入超過となって貿易赤字が増えることになっている。
ふつうはそうである。

貿易では(グローバリストの好きな)Win-Win はない。
片一方が黒字なら、片一方は赤字になる。
アメリカは自国の貿易収支が黒字になることをめざして他国に市場開放を求めている。
それは「売りたいもの」があるからで、「買いたいもの」があるからではない。
アメリカが自国の貿易黒字を達成すれば、相手国は貿易赤字を抱え込むことになる。

だから、「アメリカの求めに応じて、日本が市場開放することは、日本の国益を増大することになる」という命題を有意味なものにするためには、「アメリカの国益を最大限に配慮することが、結果的には、日本の国益を最大化することになる」という命題をそこに媒介命題としてはめ込むしかない。

だが、「アメリカの国益を最大限に配慮することが、結果的には、日本の国益を最大化することになる」という命題は汎通的に真であるわけではない。

そう思っている人は少なからずいるが、それはあくまで個人的な「信念」であって、一般的真理ではない。
もちろん私はそのような「風が吹けば桶屋が儲かる」式の推論にまるで根拠がないと言っているわけではない。
経験的に「そういうこと」が繰り返しあったからこそ、彼ら(松下政経塾系政治家とか財界人とか官僚とかメディア知識人のかたがた)はそのような推論になじんでいるのである。
私とて経験則の有効性を否定するものではない。

でも、その場合には、「この政治的選択は原理的には合理性がないが、経験的にはわりと合理性がこれまではあったので、これからも妥当するかも・・・」というくらいの、節度ある語り口を採用すべきだと思う。

「バスに云々」のような、人を情緒的に不安にしておいて、その虚を衝いてガセネタをつかませるあくどいセールスマンのような安手の語り口は採るべきではないと私は思う。

誤解して欲しくないのだが、私は市場開放や自由貿易に「原理的に」反対しているのではない。
その点については、ぜひご理解を頂きたい。

ただ、市場開放や自由貿易は「主義」として採用すべきものではなく、国民経済に資する範囲で「按配」すべきものだという下村治の立場に与するのである。
貿易政策の得失については、「これでいいのだ」と包括的に断定したりしないで、個別的に吟味した方がいいと申し上げているだけである。

とりあえず私たちが知っているのは「アメリカは必死だ」ということである。
ここでTPPに日本を巻き込むことができるかどうかが「アメリカ経済の生命線」であるかのような悲壮な覚悟でアメリカは日本に迫っている。

別に、日本の国運を案じて悲愴になっているわけではない。
アメリカの行く末を案じて悲愴になっているのである。

アメリカの貿易について考える場合に、私たちがまず前提として理解すべきことは、「アメリカには、日本に売る工業製品がない」ということである。
アメリカの製造業は壊滅してしまったからである。

「ものつくり」という点について言えば、もうアメリカには世界のどんな国に対しても国際競争力のある「もの」を輸出する力がない。
自動車も家電も衣料品も、なにもない。
一応作ってはいるけれど、クオリティについての信頼性が低く、割高なので、買い手がつかないのである。
「もの」でまだ国際競争力があるのは、農産物だけである。残りは「ノウハウ」、つまり「頭のなかみ」である。

GoogleとAppleのような情報産業と司法、医療、教育といった制度資本を「金にするノウハウ」だけはまだ「売り物」になる。
でも、正直に言うと、GoogleもAppleも、「なくても困らない」ものである。
あると便利なので私も愛用しているが、ほんとうに必要なのか、と改めて考えるとわからなくなる。

「そうやって温泉宿にまでiPhoneやiPadを持ち込むことで、キミたちの人生は豊かになっていると言えるのかね。そんなものがあるせいで、キミたちはますます忙しくなり、ますます不幸になっているようにしか、オレには見えないのだが」と兄ちゃんに言われて、私も平川くんも返す言葉を失ったのである。

たしかに、そのとおりで、このような高度にリファインされた情報環境があった方がいいのか、なくてもいいのか、考えるとよくわからない。

朝起きてパソコンを起動して、メールを読んで返事を書いているうちに、ふと気づくとが日が暮れ始めていたことに気づいて愕然とするとき、「いったいオレは何をしているのか」と考え込んでしまう。

私が機械を使っているのか、それとも機械が私を使っているのか。『モダンタイムス』的不条理感に捉えられる。
兄ちゃんの話では、最近のサラリーマンたちはオフィスで朝から晩までプレゼン用の資料をパワーポイントとエクセルで作っているそうである。

「仕事の時間の半分をプレゼンの資料作りに使っているのを『働いている』と言ってよいのだろうか?」と兄ちゃんは問う。
情報環境の「改善」によって、私たちの労働は軽減されるよりはむしろ強化された。
それは実感として事実である。

家にいながら仕事ができるようになったせいで、私たちは外で働いているときも家にいるときも働くようになり、そうやって増大する作業をこなすためにますます高度化・高速化した端末を求めるようになり、その高度化した端末のせいで私たちのしなければいけない仕事はますます増大し・・・
エンドレスである。

アメリカはこのエンドレスの消費サイクルに私たち「ガジェット大好き人間」を巻き込むことによって、巨大な市場を創設することに成功した。
もうアメリカが「売ることのできるもの」は、それくらいしかない。

だから、アメリカの大学と研究開発機関は世界中から「テクニカルなイノベーションができそうな才能」を必死で金でかき集めようとしている。

アメリカの先端研究の大学院に占める中国人、インド人、韓国人の比率は増え続けているが、それは彼らにアメリカで発明をさせて、それを絶対に故国に持ち帰らせず、アメリカのドメスティックなビジネスにするためである。

いつまで続くかわからないが、しばらくはこれで息継ぎできるはずである。

「アメリカの大学は外国人に開放的で素晴らしい」とほめたたえる人がよくいるが、それはあまりにナイーブな反応と言わねばならぬ。

先方だって生き残りをかけて必死なのである。外国人だって、国富を増大させてくれる可能性があるなら、愛想の一つくらい振りまくのは当たり前である。
これが「教育を商売にする方法」である。

アメリカの学校教育には「子供たちの市民的成熟を促す」という発想はもうほとんどない。
学校はビジネスチャンスを生み出す可能性のある才能をセレクトする機会であり、市民的成熟のためのものではない。

アメリカでは、高付加価値産業だけが生き残り、生産性が低い代わりに大きな雇用を創出していた産業セクターは海外に移転するか、消滅した。

だから、「才能のある若者」以外には雇用のチャンスが減っている(失業率は2010年が9・6%だが、二十代の若者に限ればその倍くらいになるだろう)。

ウォール街でデモをしている若者たちは「まず雇用」を求めている。
これまでアメリカ政府は彼らに「我慢しろ」と言ってきた。

まず、国際競争力のある分野に資金と人材を集中的に投入する。それが成功すれば、アメリカ経済は活性化する。消費も増える。雇用も増える。貧乏人にも「余沢に浴する」チャンスが訪れる。だから、資源を「勝てそうなやつら」に集中しろ、と。
「選択と集中」である。

でも、それを30年ほどやってわかったことは、「選択されて、資源を集中されて、勝った諸君」は、そうやって手に入れた金を貧乏な同胞に還元して、彼らの生活レベルを向上させるためには結局使わなかった、ということである。

それよりは自家用ジェット機買ったり、ケイマン諸島の銀行に預金したり、カリブ海の島を買ったり、フェラーリに乗ったり、ドンペリ抜いたり、アルマーニ着たり(たとえが古くてすみません・・・)して使ってしまったのである。

選択-集中-成功-富の独占というスパイラルの中で、「選択から漏れ、集中から排除された、その他大勢の皆さん」が絶対的な貧窮化にさらされ、今ウォール街を占拠している。

彼らの運動に「政策的な主張がないから、政治的には無力だろう」と冷たく言い捨てる人々が日米に多いが、それは間違いだと思う。

彼らが政府に何を要求していいかわからないのは、「完全雇用は経済成長に優先する」という(日本の高度成長を理論づけた)下村治のような「常識を語る人」がアメリカでは政府部内にも、議会にも、メディアにもいないからである。

ウォール街を占拠している若者たち自身「成長なんか、しなくてもいい。それより国民全員が飯を食えるようにすることが国民経済の優先課題である」という主張をなしうるだけの理論武装を果たしていないのである。

「生産性の低い産業分野は淘汰されて当然だ(生産性の低い人間は淘汰されて当然だ)」というグローバリストのロジックは貧困層の中にさえ深く根付いている。

だから、彼らはこの格差の発生を「金持ちたちの強欲(greed)」という属人的な理由で説明することに満足している。

「属人的な理由で説明することに満足している」というのは、それを社会構造の問題としては論じないということである。
「強欲である」というのは「能力に比して不当に多くの富を得ている」という意味である。

問題は個人の倫理性のレベルにあり、国家制度のレベルにはない。
「アメリカはこれでいい」のである。

ただ、一部に「ワルモノ」がいて、国民に還元されるべき富を独占しているので、それは「倫理的に正しくない」と言っているのである。

このような一部の富者だけを利する経済システムは「アメリカの建国理念からの倫理的な逸脱」であって、構造的な問題ではない。だから、建国の父たちが思い描いた「あるべきアメリカの姿」に立ち戻れば問題は解決する。
彼らの多くはまだそう思っている。

アメリカのこの頽落はもしかすると「建国の理念のコロラリー」ではないのか・・・という足元が崩れるような不安はまだアメリカ人のうちに広まっていない。

それが最大の危機であるように私には思われる。
話を続ける。
情報と教育の他、あと、アメリカが商売にしようとしているのは司法と医療である。

これについては、専門家が的確に危険性を指摘しているから、私の方からは特に付け加えることはない。医療については、前にご紹介したYoo先生の『「改革」のための医療経済学』をご一読いただければよろしいかと思う。
そして、アメリカの最大の売り物は農産物である。

驚くべきことに、アメリカが「かたちのあるもの」として売れるのはもはや農産物だけなのである(あと兵器があるが、この話は大ネタなので、また今度)。

農産物はそれは「その供給が止まると、食えなくなる」ものである。
Googleのサービスが停止したり、Appleのガジェットの輸入が止まると悲しむ人は多いだろうが(私も悲しい)、「それで死ぬ」という人はいない(と思う)。

日本列島からアメリカの弁護士がいなくなっても、アメリカ的医療システムが使えなくなっても、誰も困らない。

でも、TPPで日本の農業が壊滅したあとに、アメリカ産の米や小麦や遺伝子組み換え作物の輸入が止まったら、日本人はいきなり飢える。

国際価格が上がったら、どれほど法外な値でも、それを買うしかない。そして、もし日本が債務不履行に陥ったりした場合には、もう「買う金」もなくなる。

NAFTA(North America Free Trade Agreement)締結後、メキシコにアメリカ産の「安いトウモロコシ」が流入して、メキシコのトウモロコシ農家は壊滅した。そのあと、バイオマス燃料の原材料となってトウモロコシの国際価格が高騰したため、メキシコ人は主食を買えなくなってしまった。

基幹的な食料を「外国から買って済ませる」というのはリスクの高い選択である。

アメリカの農産物が自由貿易で入ってくれば、日本の農業は壊滅する。

「生産性を上げる努力をしてこなかったんだから、当然の報いだ」とうそぶくエコノミストは、もし気象変動でカリフォルニア米が凶作になって、金を出しても食料が輸入できないという状況になったときにはどうするつもりなのであろう。同じロジックで「そういうリスクをヘッジする努力をしてこなかったのだから、当然の報いだ」と言うつもりであろうか。

きっと、そう言うだろう。そう言わなければ、話の筋目が通らない。

でも、こういうことを言う人間はだいたい日本が食料危機になったときには、さっさとカナダとかオーストラリアとかに逃げ出して、ピザやパスタなんかたっぷり食ってるのである。
TPPについて私が申し上げたいことはわりと簡単である。

「生産性の低い産業セクターは淘汰されて当然」とか「選択と集中」とか「国際競争力のある分野が牽引し」とか「結果的に雇用が創出され」とか「内向きだからダメなんだ」とか言っている人間は信用しない方がいい、ということである。

そういうことを言うやつらが、日本経済が崩壊するときにはまっさきに逃げ出すからである。

彼らは自分のことを「国際競争に勝ち抜ける」「生産性の高い人間」だと思っているので、「いいから、オレに金と権力と情報を集めろ。オレが勝ち残って、お前らの雇用を何とかしてやるから」と言っているわけである。

だが用心した方がいい。こういう手合いは成功しても、手にした財貨を誰にも分配しないし、失敗したら、後始末を全部「日本列島から出られない人々」に押しつけて、さっさと外国に逃げ出すに決まっているからである
「だから『内向きはダメだ』って前から言ってただろ。オレなんかワイキキとバリに別荘あるし、ハノイとジャカルタに工場もってっから、こういうときに強いわけよ。バカだよ、お前ら。日本列島なんかにしがみつきやがってよ」。
そういうことをいずれ言いそうなやつ(見ればわかると思うけどね)は信用しない方が良いです。
私からの心を込めたご提言である。

おまけ:「笠原和夫による『ある対話』」
(これはおまけです。内容は本文とはまったく関係がありません)
「岸和田のだんじり大将」に私のオリジナルのヴァーチャル関西弁を地場のイントネーションに「校正」していただきました。
では、正調「岸和田弁」でどぞ。

(松方弘樹の声で)
おー、何ちょけたこというとんじゃ、こら。

ここまで66年間戦争の方で面倒みたったんは誰おもとんじゃ。
そやろが。その間にそっちは戦争もせんと、ぬくぬく商いしてたんとちゃうんか?
うっとこの若い衆、その間にぎょうさん死んどるど。

こっちがどんぱちしてる間に、そっちはうっとこの若いもんの血いでたっぷり金儲けしたんちゃうんか?おー。
その分くらい吐き出さんと、世間にかっこつかんやろ。ちゃうけ?

わしら、そうゆうてるわけやろが。
この言い分、そんなに筋違いか。てこっちは訊いとるわけや。


(遠藤辰雄の声で)

まあまあ、そちらのご事情も、わしら、わからんわけではないですよ。

たしかに、本家には、えらいご苦労かけました。
わしら、そのご恩、忘れしまへん。忘れるはず、ありまへんわ。

せやけど、言わせてもろてええですか。

こっちもこれまで、それなりのご恩返しはさせてもろてるんとちゃいますのん。

わしら、世間からは「属国」言われてんですわ。
ほんま、かっこつきまへんねん。

主権国家として、こらごっつ恥ずかしいですわ。

でも、戦争に負けたんやし、これはしゃあない。
そう思て、ぐうっと我慢して、「同盟機軸」いわせてもうてきたんとちゃいますのん。

わしら、66年間、本家にいっぺんでもさかろうたこと、ありまっか?

いっぺんもないでっしゃろ?

そら、60年安保とか、68年羽田とか、若いもんが跳ねたことはおましたけど、若いもん弾けたんはそっちもご一緒でっしゃろ。

基地も、地元の皆さんに、わしらほんま合わせる顔ありまへんねん。
「辛抱やで」しか言えんのですわ。
ほんま、恥ずかしいことですわ。

属国やからゆうて、なんもそこまでコケにせんでもと思いますわ。

もう、ええんちゃいますのん。このへんで。

本家が手元不如意や言うて、うちのシマもシノギも全部寄越せゆうのは、ちょっと無理筋ちゃいまっか。

それでは、渡世の仁義が通らへんのとちゃいまっか(と、ちょっと怖い顔になる)
http://blog.tatsuru.com/2011/10/25_1624.html


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資本主義の中で「自由」という言葉が美しいと思っていたら騙されるだけ
https://blackasia.net/?p=10179


ドナルド・トランプ大統領は野放図な自由主義を制し、保護貿易を訴えて選挙に勝ち上がった人物だが、これに対して多国籍企業からマスコミまでが一斉に「ヒト・モノ・カネが自由に行き来する世界を壊すな」とトランプ大統領を攻撃した。


「自由を守れ」「世界の自由を阻害するな」

「自由」という言葉は、とても美しい言葉だ。「不自由であるのがいいのか、自由であるのがいいのか?」と問われて「不自由の方がいい」と答える人は、ほとんどいない。誰もが自由を愛する。

しかし、何でもかんでも自由にするのは正しいのだろうか。

多くの国では、実は自国の産業を守るためにいくつかの保護政策を取っている。守りたい産業を保護するために外国製品には高い関税をかける。

あるいは守りたい産業を国営化して、その重要な産業がつぶれないようにしている。インフラや農業は、多くの国で保護対象になる。なぜか。ここが潰れれば、一気に国民生活に影響が出るからだ。

根幹部分を持っていかれると、場合によっては国が回らなくなってしまうのだ。(鈴木傾城)

国民の多くは「安ければ何でも良い」

実は、この政府が保護する分野というのは、そこが乗っ取られたら国民生活が急激に困窮していく部分なのである。

たとえば、電気・ガス・水道を考えてほしい。この部分を外国企業に乗っ取られて、外国企業が儲かるためにどんどん値段を釣り上げたらどうなるのか。電気・ガス・水道が二倍、三倍になっていったら生活できなくなる層もいるはずだ。

だから政府はこの部分を保護して、国民が困窮しないようにしている。

そうであれば、外国企業がある国を乗っ取るには、この部分を掌握すればいいということになる。まず政治家を買収して、保護貿易を止めさせる法律を策定させて、重要なインフラをすべて民営化して、それを乗っ取ればいいのだ。

政治力と資金力のある外国企業は、場合によっては圧倒的な競争力でその分野を乗っ取ることが可能になる。

この乗っ取り方法で、乗っ取りたい側が常に訴えるのが「自由」という甘美な言葉なのである。たとえば、このような言い方をする。

「自由競争は重要です。競争によって企業同士が切磋琢磨して新しいサービス、安い商品が手に入るようになります」

自由競争によって、安い商品が怒濤のように入ってくるのは間違いではない。国民は常に安い商品を求めている。国民が欲しいのは自国製品ではなく、安い製品なのである。

新自由主義、構造改革、民営化によって、安い製品やサービスが入ってきたとき、それを提供しているのは外国企業の製品であるということを多くの国民は気付いている。

しかし、国民の少なからずは「安ければ何でも良い」ので、安い製品を買うことに躊躇はない。

その結果、安い外国企業の製品が市場を独占し、自国の産業は潰れていく。


裏側の弊害やダメージの方は絶対に語られることはない

この自由競争の物語は続きがある。国をすべて乗っ取るには、ここからが本番だ。

外国企業はある国に自由競争を取り入れさせると、そこで自分たちが市場を独占したと悟られないように、弱体化した地場産業を買収して、その地場産業のブランドを残しつつ市場独占を進めていく。

国民は自国製品を買っているつもりでいるのだが、実はもう外国企業の手に落ちているので、自国のものではなくなってしまっている。

ブランドが残されると、それが外国企業であることに多くの国民が気付かないのである。それで、自由競争が行われていると勘違いするのだが、その裏では産業の乗っ取りと独占が粛々と行われているということになる。

市場を乗っ取り、市場を独占することが可能になると、その市場からは永遠に利益を吸い上げることが可能になる。

企業にとっては「利益」こそが生きる養分であり、利益を第一に動く。最も安定的かつ永続的な利益は、独占から生まれる。国を丸ごと乗っ取れば、その国から永続的に利益が吸い上げられる。

だから「自由」という言葉を表に出して、「乗っ取り=独占」という裏の意図を見えなくするのである。

(1)自由競争によって、世の中は発展していく。
(2)自由競争によって、どんどん良い物が生まれる。

このような神話は、資本主義社会に生きる私たちの誰もが脳に刻み込まれ、それが正しいものであると信じ込まされている。しかし、物事には表があれば裏もある。この裏側の弊害やダメージの方は絶対に語られることはない。

都合が悪いからだ。


大事な部分を乗っ取られて国がめちゃくちゃになる

忘れてはならないことがある。競争は美しいというのは、「条件が同じ」であった場合の場合である。資本や組織力に圧倒的な差があった場合の競争は、強者が弱者を踏みつぶす残酷ショーと化する。

時価総額が1兆円の企業と10億円の企業とでは、その差は1000倍にもなる。社員10万人の企業と社員100人の企業とでも、その差は1000倍になる。

普通、これほどの差があった場合、同じ土俵では競争は成立しない。スポーツの世界で言うと、大人と赤ん坊が格闘技で戦うようなものである。それをするのが「自由」競争である。

競争の対象が洗剤やヒゲ剃り用のカミソリであれば、別に独占されたところで何と言うこともないと言えるかもしれない。

しかし、銀行や農業や医療や水道や電気と言ったインフラを外国企業に独占されると、「それが資本主義だ」と鷹揚に構えていられなくなっていく。

外国企業が国民の生命に関わるインフラ部分を掌握し、値段を吊り上げることによって国民の生活を危機に陥れることが可能になるからだ。

外国企業が水道事業を掌握し、ある日「水道料金を2倍にする」と言われても、国民は水道を拒絶することはできない。水が出ない家で人は暮らせない。

電気を外国企業に掌握され、ある日、電気料金を2倍にすると言われても、国民は「では、明日から電気は要らない」と言うことはできない。もちろん、ガスも同様だ。

アメリカは医療制度すらも民営化したことによって、「より良い治療を行って欲しければ、もっと金を出せ」という弱肉強食の世界になっていった。その結果、自分が病気になったり家族が病気になったりして「破産」する国民が増えた。

自分の痛みは我慢できても、自分の家族の痛みは何としてでも治して上げたい。金よりも家族の健康の方が重要なのだから、家族には選択の余地などない。

こういった国民の福祉や行政に関する部分には自由な競争を取り入れたらいけないというのが普通の考え方である。

しかし、「自由」という言葉に騙されると、大事な部分を乗っ取られて国がめちゃくちゃになってしまうこともあるのだ。美しい言葉には棘(とげ)がある。美しい物事には裏がある。私たちはそれを忘れてはならないはずだ。(written by 鈴木傾城)


もし、電気・ガス・水道のすべてが二倍に三倍に上がっていったら、国民生活はめちゃくちゃになるはずだ。「自由競争は重要です。競争によって企業同士が切磋琢磨して新しいサービス、安い商品が手に入るようになります」と言われて、インフラを乗っ取られると、そうなっても不思議ではない。


 

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コメント
1. 中川隆[-12744] koaQ7Jey 2019年1月25日 12:05:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告

自由貿易は国家経済を破綻させる

自由貿易論者が信じているリカードの「比較優位の原理」は時代錯誤の幼稚な経済理論

不当な為替レートのままでは「比較優位の原理」が働かず、全ての生産活動を中国で行うことが一番合理的ということになる。


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アメリカが中国を世界の工場にして、日本の競合メーカーを壊滅させた手口


経済コラムマガジン 2018/3/26(979号) 米中貿易戦争
http://www.adpweb.com/eco/eco979.html


中国は巨額の対米貿易黒字を続けてきた。
不思議なことに、米国はオバマ政権までこの状態を放って来た。
このように長年、この背景にある人民元安の問題を米国が見逃して来たことは異様であった。

度々人民元が異常に安いという話になり、米議会で中国の不当な為替操作を批難する声が起った。しかし中国の為替操作国の認定という動きは、何故か常に腰砕けに終わっている。1ドル=1人民元だった為替レートを、中国は勝手に1ドル=8人民元台まで大幅に切下げて行った。今日は多少切り上がって1ドル=6人民元台を維持している。


本誌は 01/5/28(第209号)「中国との通商問題」
http://www.adpweb.com/eco/eco209.html

以来、人民元が不当に安く維持されていることを何度も問題にしてきた。

しかし世界最大の輸入国である米国がほとんど動かないのである。
中国は人民元を8元台から6元台に少し切上げるといった、これもお茶を濁す政策で誤魔化して来た。

このような不当な人民元安が続けば、米国だけでなく日本の製造業も中国に移転せざるを得なくなると筆者は17年も前から警告してきた。

実際、製品の組立といった人手のかかる工程のかなりの部分は中国に移転している。

ところがWTOは為替や為替操作には全く関心がない。
米国は、トランプ大統領が登場し、ようやくもう一つの中国の大問題である知的財産権の侵害をヤリ玉に挙げたのである(たしかに為替問題の方は、中国人の人件費が上がり理不尽さは以前より小さくなっている)。


中国の不当な為替操作や知的財産権の侵害は米国でも昔から問題にされてきた。
しかしどういう訳か、前述のように対抗措置は最後の段階になると腰砕けになった。

これは中国による米政界に対する工作やロビー活動の成果と考える他はないとさえ筆者は感じている。実際、米国には親中派人脈がある。例えばクリントン財団に中国人が多額の寄付を行っていたことが明るみになり大問題となった。これが原因でオバマ大統領の2期目の大統領選に、ヒラリー・クリントン氏は対抗馬として出馬しなかった。

これらの様子を本誌は

10/10/25(第636号)「人民元安容認の経緯」
http://www.adpweb.com/eco/eco636.html

から

10/11/8(第638号)「米政府に対するロビー活動」
http://www.adpweb.com/eco/eco638.html


まで3週に渡り取上げた。ところが中国の工作が効かないトランプ大統領が誕生したのである。しかも周囲を対中強硬派で固めた。中国は事の成行きを察知し、鉄・アルミ輸入制限が公表される直前、急遽、米国に特使を2名派遣した。しかしトランプ大統領は、片方には会わないなど冷たく対応している。


「米中貿易戦争だ」と市場や世間は大騒ぎしている(貿易戦争に勝者はいないと間抜けなことを言っている者もいる)が、勝敗の行方ははっきりしている。筆者は、トランプ大統領の大勝利と見ている。これは当たり前である。中国が商人なら、米国はお客様である。まさに「お客様は神様」のはずである。お客様が売り主に対して「おたくの商売はおかしい」と言い始めたのだから、売り主である中国はこれに従う他はない。

中国は、日本の経済成長が止まったのは、米国の要求を飲んだからと固く信じ込んでいる。例えば85年のプラザ合意によって超円高を飲まされたことが日本経済の凋落の原因と見ている(筆者は日本経済の低迷は財政規律派の台頭が原因と考える)。したがって米国の要求を絶対受入れないことを中国は方針として堅持している。実際のところ、今日まで米国の要求を政界工作などでなんとか切抜けてきた。しかし今回はこれで凌ぎ切れるのか注目される。
http://www.adpweb.com/eco/eco979.html


 


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米中貿易戦争、米中の巨大IT企業はさらに繁栄する…日本は企業没落で経済不況
https://biz-journal.jp/2018/11/post_25620.html
2018.11.21 文=鈴木貴博/百年コンサルティング代表取締役 Business Journal

中国とアメリカは保護主義で経済発展


 21世紀の初期、保護主義によって急速に経済成長を遂げたのが中国である。当時の中国政府は極端な保護主義政策をとっていて、工業製品への関税は平均で30%を超えていた。当然のことながら非関税障壁も大きく、中国国内で工業製品を生産する海外企業に対しても資本規制や知的財産の侵害など、さまざまな障壁が築かれていた。

 そして重要なことは、それらの保護主義政策があったからこそ中国は経済大国に発展することができたことだ。

 実はアメリカも同じである。アメリカが大国へと発展した19世紀末から20世紀初期にかけて、当時のアメリカは現代の中国よりもはるかに保護主義政策をとり続けた新興国家だった。旧宗主国のイギリスをはじめ、ヨーロッパの列強各国に対して、強力な保護主義政策を取り続けることで国内産業を保護していたのだが、その結果、第一次世界大戦を経てアメリカは世界最大の経済大国へと成長することができた。

 自由貿易は先進国にとっては有利な制度なのだが、発展途上国と新興国にとってはこれほど不利な経済ルールはないのだ。

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米中関係悪化の中で親中国派ブッシュ大統領が逝去した偶然
http://kenpo9.com/archives/4525
2018-12-06 天木直人のブログ

 世の中の出来事は、その多くが偶然で起きる。

 だからそれをあたかも意味あるかのごとく関連づけるのは間違いだ。

 しかし、亡くなったブッシュ大統領が歴代の米国大統領の中でもひときわ中国との関係が深い親中国派の大統領だったことは知っていたほうがいい。

 そのことをきょう12月6日の毎日新聞、「木語」で坂東賢治専門編集委員が次のように書いている。

 歴代米国大統領の中で、父ブッシュは唯一人、中国に常駐した経験を持つ大統領だったと。

 つまりブッシュ氏は1971年に中国が台湾に代って国連入りした際の国連大使であり、その後74−75年に国交正常化前の中国大使に当たる駐北京連絡所長を務めている。

 その時、英国か仏の大使ポストを提示されたが、こう言ってあえて中国行きを選んだという。

 「中国がいずれは世界的にも影響力を持つ強国となることは明白であり、いるべき場所だと考えた」と。

  80年代には台湾派だったレーガン大統領の副大統領として中国との調整役をつとめ、88年の大統領選で勝利すると、就任直後に訪中したと。

 引退後も20回以上訪中し、2008年北京五輪には米国選手団の名誉団長として息子のブッシュ大統領と訪中したと。

 その時、ブッシュ家と親交を深めた楊潔篪氏が外相として出迎え、その楊潔篪氏が12月1日にアルゼンチンで開かれたトランプ・習近平首脳会談に同席し、「ブッシュ氏は生涯を通じて米中の友好関係に重要な貢献をした」とその死を悼んだと。

 そして坂東氏は次のように締めくくっている。

 「今の米中関係はハイテク技術や安全保障を含めた覇権争いの色彩が濃い。ブッシュ氏が体現したより良き時代は過ぎ去ったといえる」と。

 そうだろうか。

 坂東氏はあっさり、「ブッシュ家と親交を深めた楊潔篪氏」と書くだけで、その親交がどのようにして培われたかには一言も触れていない。

 楊潔篪氏はまだ若い外交官であった時、北京連絡事務所長であるブッシュ氏との連絡を担う通訳官として中国政府に指名され育成された。

 米国に留学した時にはブッシュ家に下宿している。

 そして中国政府は楊潔篪氏を中国の在米国特命全権大使に任命し、外相を経て、いまでは外相より上位の外交担当国務委員(中共中央政治局委員)である。

 これを要するに、中国政府は米国との関係を一手に引き受ける人材を政策的に育て上げ、米国外交に当たらせて来た。

 米中関係が悪化しても、最悪にはならない。

 改善に向かえば一気に改善する。

 そういう関係を中国は米国との関係で意図的につくりあげて来たのだ。

 日本にはそのような人材育成の政策はない。

 官僚も政治家も、ひたすら対米従属一辺倒に終始し、その方針を忖度する者だけが出世して日米外交を担う仕組みになっている。

 これでは、対米外交で日本が中国に勝てないはずだ。

 米中関係は、悪化しても決定的な対立にはならず、改善すれば一気に改善する。

 日本はそんな米中関係に振り回されるしかない。

 ブッシュ氏の逝去は偶然であっても米中関係は偶然では起こらない。

 安倍政権も坂東記者も、その事だけは知っておいた方がいいのである(了)



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2018.12.01
闇の世界に生きたジョージ・H・W・ブッシュが死亡(1/2)

 ジョージ・H・W・ブッシュが11月30日に死亡したという。1989年1月から93年1月までアメリカ大統領を務めたが、CIAの人間でもある。1976年1月から77年1月までCIA長官を務めたというだけではなく、大学でCIAにリクルートされたと言われているのだ。


 彼は1924年6月にマサチューセッツ州で誕生、第2次世界大戦では海軍の所属し、45年9月に除隊してエール大学へ入学した。その大学でCIAの採用担当者だったボート部コーチのアレン・ワルツは海軍情報部の将校だった人物で、ブッシュと親しかったことで知られている。


 ジョージ・H・W・ブッシュの父親であるプレスコット・ブッシュは1953年から63年にかけて上院議員を務めたが、その前は金融界の人間。こうした関係からプレスコットはウォール街の弁護士だったアレン・ダレスと親しかった。言うまでもなく、ダレスは第2次世界大戦で戦時情報機関のOSSで破壊工作を指揮、ホワイトハウスとは関係なく実行されたナチス幹部の救出を目的とするサンライズ作戦で中心的な役割を果たした。大戦後はCIAのドン的な存在だ。


 プレスコットの義理の父親にあたるジョージ・ハーバート・ウォーカーはウォール街の大物で、アメリカの金融機関からナチスへ資金を流す重要なパイプ役を務めていたと言われている。なお、ジョージ・H・W・ブッシュの「H・W」はハーバート・ウォーカーのイニシャルだ。


 ジョージ・H・W・ブッシュがCIAの幹部だったことを示す文書が明らかになっている。アメリカの週刊誌、ネイションの1988年7月16/23日号でジョセフ・マクブライドが明らかにしたのである。J・エドガー・ブーバーFBI長官から国務省に出された1963年11月29日付けのジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関係した文書に、「中央情報局のジョージ・ブッシュ氏」という記述があることを彼は見つけたのだ。ケネディ大統領が殺されたのはその1週間前だ。


 この報道に対し、CIAは「別のジョージ・ブッシュだ」と主張、信憑性を持たせようとしたのか、CIAのスポークスマンはAPの記者に対して「その人物は1963年当時、本部にいたジョージ・ウイリアム・ブッシュに間違いない」と話したのだ。ところが、そのジョージ・ウイリアム・ブッシュはマクブライドに対し、文書に出てくるブッシュは自分でないと語っている。


 フーバーが出した文書はブッシュがCIAの幹部だということだけでなく、ケネディ暗殺に関する詳しい情報を持っていることを示唆しているだ。この暗殺にCIAの破壊工作部門が関係している疑いは濃厚で、ブッシュが暗殺に関係していた可能性があるということだ。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812010000/


2018.12.02
闇の世界に生きたジョージ・H・W・ブッシュが死亡(2/2)

 ジョージ・H・W・ブッシュがCIA長官に就任する約1年半前、リチャード・ニクソンがウォーターゲート事件で失脚し、副大統領のジェラルド・フォードが昇格している。この政権ではデタント派が粛清され、ネオコンが台頭している。


 議会で情報機関の秘密工作の一端を証言したウィリアム・コルビーCIA長官も排除されたひとり。国防長官のジェームズ・シュレシンジャーを辞めさせられたが、その後任はネオコンのドナルド・ラムズフェルドだ。


 ニクソン時代、ヘンリー・キッシンジャーはチリで民主的な政権を軍事クーデターで破壊した。そのクーデターを指揮したオーグスト・ピノチェトはアメリカの傀儡として軍事独裁体制を築き、ラテン・アメリカにあったほかの軍事政権と協力して反体制派を暗殺する国境を越えたコンドル作戦を展開した。


 その作戦の犠牲になったひとりがオルランド・レテリエル元チリ外務大臣。1976年9月、アメリカの首都であるワシントンDCで乗った自動車が爆破されたのだ。コンドルを実行していた軍事政権の情報機関はCIAの指揮下にあった。暗殺当時のCIA長官はブッシュにほかならない。


 ブッシュは1981年1月から89年1月にかけて、つまりロナルド・レーガン政権で副大統領を務めているが、その間、イランへの武器密輸やニカラグアの反革命ゲリラ支援工作を指揮している。この政権で始まったCOGプロジェクト(戒厳令計画)でも中心的な役割を果たした。


 エール大学時代からブッシュと親しかったひとりにジェームズ・リリーという人物がいる。リリーは1928年1月に中国の青島で誕生、46年にエール大学へ入学、51年にはCIA入りしたと言われている。ブッシュはCIA長官になる前に中国駐在特命全権公使(連絡事務所長)を務めていたので、ふたりとも中国との関係が深いと言える。


 1989年1月に大統領となったブッシュは同年4月20日にリリーを中国駐在大使に据える。その前任者であるウィンストン・ロードもエール大学の出身で、3人とも学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだったと言われている。なお、ロードは大使を辞めた数カ月後、CIAの資金を流す役割を負っているNEDの会長に就任している。


 リリーが大使に就任する5日前に胡耀邦が死亡、それを切っ掛けにして天安門広場で大規模な抗議活動が始まる。胡耀邦は趙紫陽と組んで新自由主義を中国で推進していた人物。ケ小平を後ろ盾にしていた。そうした活動が展開された背景では新自由主義的な政策による社会の不安定化があった。5月には戒厳令が敷かれ、6月を迎える。


 抗議活動には投機家のジョージ・ソロスから中国改革開放基金などを通して資金が流れ込み、リリーをはじめとするCIA人脈が関係していた。そうした活動の指導グループには方励之、柴玲、吾爾開希などが含まれていた。なお、天安門事件についてはすでに書いてきたので今回は割愛する。


 指導グループは抗議活動が沈静化した後にイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。このルートを運営していたのはアメリカのCIAとイギリスのSIS(通称MI6)だ。吾爾開希はハーバード大学で学び、それから台湾へ渡っている。


 この当時、ブッシュたちがイスラエルのモサドを介してソ連でKGBの中枢に巣くう腐敗集団と手を組み、1991年にはクーデターを成功させることになる。ハンマー作戦だ。これについても本ブログで書いてきたので、今回は割愛する。


 ブッシュは中東にもネットワークを持っていたが、その代表的な人物がサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン、通称バンダル・ブッシュ。1983年10月から2005年9月まで駐米大使、2005年10月から2015年1月まで国家安全保障会議の事務局長、2012年7月から2014年4月まで総合情報庁長官を務めた。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812010001/





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2018.12.10 
 10月、“欧州の智の巨人”と呼ばれるフランソワ=アスリノ財務上級監査官・人民共和国連合代表が来日し、早稲田大学や京都大学で講演した。筆者のアテンドで、小沢一郎・自由党共同代表、山本太郎・自由党共同代表、海江田万里・立憲民主党顧問、菅直人・元首相、大塚耕平・国民民主党代表らと精力的に懇談した。

 アスリノさんが日本に初めて来たのは学生だった1979年の夏。2か月ほどかけて日本を旅行した。それで日本が大好きになり、翌年の1980年から、東京の駐日フランス大使館の経済担当官として1年半滞在した。

 その後エリート官僚コースを歩み、1994年にエルヴェ=ドシャレット外務相に同行して来日、1996年にはジャック=シラク大統領に付き添って来日した。来日回数は6回で、今回は22年ぶりだった。ちなみに、エマニュエル=マクロン仏大統領は元財務中級監査官であった。官僚のキャリアとしては、アスリノさんのほうが上にあたる。

 アスリノさんは2007年、人民共和連合(UPR)を結成する。人民共和連合は欧州連合、ユーロ圏、北大西洋条約機構からのフランスの脱退と人民主権の奪回を目的に結成された。いわゆるフレグジット(Frexit=フランスの離脱)が目標だ。

 そのアスリノさんの日本滞在中に、インタビューを行った。


22年ぶりの日本はかつての活気を失っている

――久しぶりの来日ですが、感想をお聞かせください。

アスリノ:22年ぶりの日本ですが、やはり私の大好きな美しい文化と礼節を大切にする心をお持ちの方々の変わらぬ姿に愛着を覚えます。また同時に1980年代から見て、大きく変化した日本の姿にも気がつきました。当時は、東京でも多くの子どもたちの姿を目にするたいへん活気あふれる日本でした。

 しかし今回目にする日本は、かつての活気が感じられなくなっています。まさに想像以上の少子高齢化に少し驚いています。また、1995年当時の日本は、世界のGDP(国内総生産)の約17%を占める経済力を誇る国でしたが、今日ではその比率が5%台に減少しています。対して隣国の中国は、2%台から約15%に拡大しています。これは、緊縮財政と消費増税によって堅持されてきたデフレ化政策の当然の結果と言えるでしょう。

――日本は1997年の橋本政権以降、一部の例外はありましたが、緊縮財政・増税路線を踏襲してきて、20年以上デフレに苦しんでいます。なぜ日本は、そうならざるをえないユーロ圏でもないのに、緊縮財政・増税路線から逃れられないのでしょうか?

アスリノ:それは他でもない、OECD(経済協力開発機構)のウルトラ・リベラリズムの影響があるのです。日本は、OECDの中でももっとも成長率の低い国となっていますが、これは逆に言えば、日本がOECDの方針に最も従順に従う“優等生”として振る舞っているのです。

 日本の背後にはOEDCがあります。この機関は、いわゆる新自由主義の経済政策を実行するよう加盟国に圧力をかける役割を担っています。そしてOECDの背後には、アメリカの意向によって作り出されたグローバル戦略が働いているのです。
https://hbol.jp/180703


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日本人はアメリカと中共・北朝鮮・ソ連が同盟関係に有るのに全然気付かなかった

馬渕睦夫 米国がつくった中華人民共和国


[馬渕睦夫さん][今一度歴史を学び直す] 1-7
米国がつくった中華人民共和国 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=ORy-CvwklVA&list=PLSdGrK6XTr5iYvuiF_2TQaKUPeOMoJiPT&app=desktop

[馬渕睦夫さん ] [今一度歴史を学び直す] 1-7 (付属動画)
米国がつくった中華人民共和国 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=iQBSmzvY6xY&list=PLSdGrK6XTr5iYvuiF_2TQaKUPeOMoJiPT&index=2&app=desktop

[馬渕睦夫さん] [今一度歴史を学び直す] 2-7
米国が仕組んだ朝鮮戦争 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=jsDal9CuLfo&index=3&list=PLSdGrK6XTr5iYvuiF_2TQaKUPeOMoJiPT&app=desktop


2018/03/18 に公開
[今一度歴史を学び直す] 1/7 米国がつくった中華人民共和国
馬渕睦夫さん 元駐ウクライナ大使兼モルドバ大使

一部引用:「国難の正体」馬渕睦夫著

2. 中川隆[-12704] koaQ7Jey 2020年5月08日 08:22:25 : EIjh7CCywc : RFRGdXFIdUF6OEU=[3] 報告
「COVID19が問う貿易・食料問題ー日本と世界の農業、自由貿易協定の行方は?」アジア太平洋資料センター(PARC)が公開講座
2020年5月7日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/17054


 自由貿易の問題点について警鐘を鳴らしてきたアジア太平洋資料センター(PARC)が5月1日、「COVID―19が問う貿易・食料問題―日本と世界の農業、自由貿易協定の行方は?」と題してオンライン公開講座を開催した。新型コロナ感染防止のため、ウェブ会議システム「Zoom」(オンライン上での複数人同時配信)でおこなわれた講座では、PARC共同代表の内田聖子、東京大学教授の鈴木宣弘の2氏が講演した。日本国内ではほとんど報道されていない新型コロナウイルス拡大の下での貿易措置の世界的動向や食料危機の可能性についてデータに基づいて認識を共有し、食料自給率が低い日本がそれにどのように対処するべきかについて問題提起をおこなった(掲載する図表は内田氏による作成・提供)。

今後のオンライン講座の予定(PARC自由学校)
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 はじめに「COVID―19が問う貿易・食料問題」として内田聖子氏が、新型コロナのパンデミックのなかで世界各国の貿易体制、とくに食料、農産物の国境をこえたサプライ・チェーン(生産から供給に至る物流体制)でなにが起きているのかについて概略以下のように報告した。

内田聖子氏の報告

 WTOは世界164カ国が加盟する世界貿易機関だが、最近は個別の二国間による貿易協定や地域貿易協定が増えている。日本では、TPP11(環太平洋経済連携協定)、日EU、日米FTA(貿易協定)などがこの数年で加速してきた。

 二国間での自由貿易協定は、世界を一つの市場とし、モノやサービスを自由に行き交うようにすることを目指している。関税をなくし、サービス、金融、知的財産などについて定められている国内ルールを「ビジネスの障壁」と見なし、このルールを限りなくとり除いていくグローバルな規制緩和だ。そのなかで政府は役割を縮小し、市場に介入しないというスタンスをとる。したがって国家は力を弱めていく。

 ところが、新型コロナ感染が広がるなかで、貿易を含む世界経済はかつてなく大きな打撃を受けている。WTOは2つのシナリオで今後の経済の見通しを示している【上グラフ参照】。悲観的な方は、2009年の金融危機をさらに下回るマイナス31・9%と見込んでいる。これは各国の産業、投資家にとっても大問題だろう。

 これは新型コロナによってもたらされたのではなく、それ以前からの自由貿易によって生じていた問題がよりクリアに顕在化したにすぎない。

 世界の物品貿易とGDP成長率の比較【下グラフ参照】を見ると、世界の物品貿易の成長率は金融危機が起きた2009年に急激に下がった後、V字回復をするものの、そこからは横ばい(スロートレード)を続けてきた。このスロートレードを問題にして、先進国は数々の貿易協定を進めた。しかし、推進側が思っている以上に進まなかった。そして現在、COVID―19のまん延によって、WTO自身が史上最低に落ち込むと予想するような事態を迎えている。

 自由貿易の何が問題なのか。推進側の思惑以上に進まないのはなぜか。

 グローバリゼーションとは、社会的あるいは経済的な関連が、国境や国家の役割をとことん消して繋がり、地球規模に拡大していくことだ。物品、食料、金融などの国境をこえたサプライ・チェーンをつくっていくわけだが、ひとたび金融危機が発生すると連鎖して世界中に被害が拡大するという弱点を持っている。今回の新型コロナの感染拡大でも同じことが起きた。

 米中貿易戦争を見ても、トランプ政権になって米国の方針が変わり、第二次世界大戦後の多国間主義は崩れ、一つの強国のやりたい放題を誰も止められないという問題が起きている。中国が2001年にWTO入りし、めきめきと経済力を伸ばし、米国と対峙するまでに台頭したことが背景にある。

 そして、途上国・新興国の産業構造が変化し、工業製品の輸出入が停滞する一方で、デジタル化や3Dプリンター、電子商取引、AI技術などのサービス貿易が増加した。もはや90年代とは産業構造そのものが変化しており、同じやり方が通用しない。

 そのなかでWTOが機能不全となり、ガバナンス(統治)が崩壊し、貿易も二国間の個別交渉へとシフトしていった。さらに交渉の範囲が広がり、先進国が要求するものは物品に止まらず、知的財産や投資、公共サービス、補助金などあらゆる分野が対象になり、相手国との間で交渉が難航している。また、民主主義に反する秘密主義、気候危機や食料主権、SDGsなどに対応できない。各国の国内政策の欠落などによって中間層が没落している。このような矛盾と限界が既に明らかになった貿易システムのうえに、COVID―19が発生した。

 40年来、世界は自由貿易を進めてきたが、COVID―19の感染拡大について考えると、このように猛威をふるう感染症が世界的に拡大する条件を40年掛けてつくってきたという皮肉がある。労働力、観光インバウンドなどを通じて人の移動が活発化し、グローバリゼーションによって公共サービスまで市場化した。イタリアでは緊縮財政で公的医療を縮小したことが、医療崩壊を起こす原因となった。環境破壊・都市化・工業型農業による生態系の破壊、野生生物(食用、違法なものを含む)の貿易など、いろいろな要素が感染拡大の条件を作り出している。核心の問題は、この構造を変えなければならないということだ。

 現在、政府は“GoTo”キャンペーンなど、COVID収束後のV字回復について論議しているが、量的な回復ではなく、持続可能で平等な回復へと質的に変わらなければならない。

89カ国が輸出規制措置 医療品や食料

 新型コロナ禍のなかで各国がどのような貿易措置をとっているか。

 グローバリゼーションは国境や国家の役割を縮小させたが、COVID―19の感染拡大を抑止するうえで、これほどまでに国家や国境措置の役割が重要になったことは特筆すべきことだ。40カ国が医療関連製品の輸出に何らかの制限を課し、150カ国以上が渡航制限をとった。

 輸入を見ると、一時的な輸入規制(6カ国)に対して、自由化措置(85カ国)をとる国も一定数ある。中国からの物品の輸入を禁止する一方で、どの国も医療用品がまったく足りない。マスク、防護服、シールド、人工呼吸器、消毒液、洗浄機、検査キットに至るまで、急速に高まった需要に供給が追いつかない。だから関税を撤廃したり、下げたりして、これらの医療品を自国に集めようとしている。

 輸出【地図参照】では、農産品を含むすべての産品について、輸出規制や禁止措置をとっている国は89カ国にのぼる。ほとんどは医療用品が対象だ。感染者が増えるなかで、どの国も自国で製造した医療用品を自国で確保したいと考えるのは当然といえば当然だ。食料危機に備えて農産物や食品の輸出制限も複数の国ではじまっている。トレードとしての「貿易」と、自国を守るための「防疫」は相対立するものになっている。

 WTOは貿易自由化を推進する枠組みだが、例外規定がある。WTOの「関税及び貿易に関する一般協定(GATT)」では、他の締結国の領域の産品の輸入や販売について「いかなる禁止又は制限も新設し、又は維持してはならない」とする一方で、「食糧その他の不可欠な産品の危機的な不足を防止する」「食糧安全保障に及ぼす影響」「人、動物又は植物の生命又は健康の保護のために必要な措置」については例外規定として認めている。医療や食料など国民の生命にかかわるものの輸出規制は許されている。

 ちなみに日本のマスクの自給率は現在20%だ。8割を海外からの輸入に依存している。2010年は37%だったが、2012年に突然使用量が増加し、そのほとんどを中国からの輸入に頼るようになった。今回の医療危機を教訓にするなら、マスクも国内メーカーを育てて緊急時に備えることが必要だ。

食料輸入依存の脆弱性  途上国並みの日本

 またCOVID―19は、グローバルなフード・システムの問題を映し出した。

 FAOの資料を見ると、穀物を大きく輸入に依存している国として、アフリカやエジプトと同レベルに日本がある。食料に関して非常に脆弱だ。一方、カナダ、アメリカ、ロシア、フランス、東南アジア、オーストラリア、アルゼンチンなどは穀物の輸出力が強く、二極化が進んでいる。

 現在、農産物や食品の輸出制限をしている国は、ロシア、カザフスタン、ウクライナ、セルビア、ベトナム、タイなどの穀倉地帯や農業国で、世界約20カ国にのぼる。とくに人口の多い国や地域は、自国の食料確保のために輸出を規制する。コメや小麦、卵など主食でその動きが顕著だ。

 「COVIDで死ぬか、さもなくば飢餓で死ぬか」――WFP(国連世界食糧計画)は、COVID―19の感染拡大は急性栄養不良に苦しむ人々の数をほぼ倍増させ、2020年末までに2億5000万人がその被害にあう可能性があると指摘している。

 グローバルな食料のサプライ・チェーンを守るために、FAOや先進国の首脳が声明を出しているが、自由貿易を加速させることが解決策というのは疑わしいといわざるを得ない。

自由化で崩される日本の食 鈴木宣弘氏が指摘

 つづいて東京大学教授の鈴木宣弘氏が「コロナ禍が炙り出す食の脆弱性と処方箋〜ショック・ドクトリンは許されない〜」と題して、日本の食料を巡る問題について講演した

【詳細内容は本紙既報】
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/16951

 鈴木氏は「日本の食料自給率はカロリーベースで37%。体のエネルギーの63%を外国に依存している。もはや日本人の体の六割は日本産ではないという状態だ。今回の新型コロナによって、輸出規制は簡単に起こり得るし、国民は命の危険にさらされるということがわかってきた」とのべ、WTO、FAO(国連食糧農業機関)、WHO(世界保健機関)が声明を出して輸出規制の抑制を呼びかけていることについて、「いざというときに自国民が飢える状態で食料を確保するのは国家の役割だ。それを非難することはできない」と、その矛盾を指摘した。

 「WTOなど三機関は同時に自由貿易をもっと進めろともいうが、なぜ輸出規制が増えているのかを考えるべきだ。それは自由貿易を進めた結果、食料を米国などの少数の輸出国に頼る市場構造ができたからだ。今回のようなショックが起きると価格が上がりやすく、そこには高値期待で投機マネーが入ってくる。さらに不安心理によって輸出規制が起こり、高くて買えないどころか、お金があっても買えなくなる可能性が高まる。これを是正するには、過度の貿易自由化を抑制し、各国が自給率を上げることを問わなければならないのに、まったく逆のことをいっている。人々が困っているときにつけ込んで規制を緩和し、一部の人間たちがもうける“ショック・ドクトリン”が進むことが危惧される」とのべた。

 また「食料だけでなく、医療でも米国は日本に対して米国型の民間保険の導入、営利病院の進出を追求している。米国では、今回、無保険で病院から拒否された人、高額の治療費が払えず、病院に行けない人が続出している。このような仕組みを強要されたら大変なことになることがコロナ危機で実感された」とのべた。

 食料自給の鍵を握る種子をめぐっても「種苗法改定で、種を独占し、それを買わないと生産・消費ができないようにしようとするグローバル種子企業が南米などで展開してきたのと同じ思惑で乗り込んでくる」と指摘し、それが「企業→米国政権→日本政権」という形の指令で日本の政治を操る「上の声」となっている可能性を指摘した。

 また、発がん性物質を含むホルモン剤エストロゲンを注入した米国産やオーストラリア産の肉牛が、輸入品への規制が緩い日本に大量に輸出される一方、米国内やEUではホルモン剤フリー(不使用)の牛肉が伸びている現状に触れ、「日本人が世界で最も遺伝子組み換え食品を食べているといわれる。国産シフトを早急に進めないと、自分の命が守れない。さらに輸入依存を強めて、今回のような危機になったら、お金を出しても、その危ない食料さえ手に入らなくなる可能性もある」と警鐘を鳴らした。

 対談では、はじめに内田氏が「先進国のフード・システムは、移民労働者に依存している。世界の農作業の25%を移民労働者が担っている。ヨーロッパの収穫期には、約60万人が北アフリカ、中央・東ヨーロッパの労働者によって担われ、そのほとんどが低賃金・長時間労働だ。このシステムがコロナ対策の移動制限によって麻痺している。これは外国人実習生に頼る日本の食料生産にも重なる問題であり、輸入食料品に頼っている私たちの食にも関係している」と提起し、米国の食肉処理工場でコロナ感染が爆発的に拡大・クラスター化し、サプライ・チェーンが崩壊している現状を報告した。

 「米国では、3月末に食肉加工場で最初の感染者が出てから、最大で700人規模の集団感染が起きている。その後、スミスフィールド・フーズ、タイソン・フーズ、JBS、カーギルなど、米国屈指の巨大食品加工企業で数千人の労働者の感染が明らかになり、各地の食肉処理工場が閉鎖した【図4参照】。従業員の多くはメキシコなど各国からの移民であり、狭い空間で数百人が長時間労働を強いられ、数百人が大皿で同時に食事をとる。劣悪な環境であり、感染の条件がすべて揃っている。工場閉鎖は全米の加工肉の量にも影響し、豚肉加工量が25%下がったというデータもある。労働者側は、安全が確保できるまでの工場封鎖を要求しているが、企業は生産性を重視するためすぐに再開する。いつまでも労働者は過酷な状態におかれ、防護服もなく、家族までも感染していくというすさまじい状況にある」。

 さらに「4月28日、トランプ政府は国防生産法を適用し、すべての食肉加工場の操業を続けろと命じた。労働者は命を犠牲にして、工業化した食を作らされ続ける。それがフード・サプライチェーンの末端の状況だ。これらの肉が、日米FTAによって豚や牛の関税が縮小された日本にどんどん入っている。メディアは“安い肉が入ってくるから消費者メリットがある”というが、安全性はもちろん、労働者を犠牲にしてしかできない食料がスーパーに並んでいる。テキサス州では、コロナに感染しながら仕事を続けて死亡した労働者の妻が工場閉鎖を訴えているが、企業側は応じていない。このようなフード・システムに依存することは、輸出元でも輸出先でも働く人々を犠牲にするものであり、持続性があるものとはいえない。公平・公正なフード・システムを地域からつくっていく必要がある。“独占された富と権力”から、“共有された繁栄”を目指さなければいけない」とのべた。

米ダコタ市にあるタイソンフーズの食肉加工場で働く労働者
 これに対して鈴木氏は「食品衛生面の心配もあるが、このように働く人を酷使することによって安くなっている商品は、環境規制を守らないことと同じであり、消費者にも“買わない”という意志表示が必要だ。労働者を人間扱いせず、食の安全性を無視しているから安いのだ。米国の食肉加工業界は非常に巨大化し、政治力も強い。まさに、今だけ、カネだけ、自分だけの世界で、農家からも肉牛を安く買い叩くので、米国内の農家も反発している。日本では、米国産輸入牛肉のBSE(狂牛病)規制の条件をすべて撤廃した。米国産牛は脊髄(危険部位)が除去されておらず、非常に危うい。そのような実態をきちんとクローズアップして対応することが必要だ」と指摘した。

両氏が対談  食料主権を守る政策を

 両氏は、日本の食をめぐって今後予測される動向について論議した。以下、概略を紹介する。

 内田 これまで日本は外側では自由貿易を推進し、国内には安い肉を流通させてきた。“国民が喜ぶだろう”という一方で、神戸牛など付加価値の高い牛肉は海外の富裕層向けに輸出したり、インバウンドでくる観光客向けに販売するという二極化が進んできた。それがコロナ危機で輸出やインバウンドが途絶え、高級肉の行き先がなくなっっている。

 鈴木 良質な国産の需要を支えているのが、高級レストランやインバウンドだったが、それは非常に限られた市場だった。今は在庫が積み上がっている。この状態を見直して、国民全体にそれなりにいいものを提供するという役割を果たしたうえで、輸出について考えるべきであり、どこをみて仕事をするのかを考え直す機会にしなければならない。

 内田 供給先を失った国内農産物について、日本政府は個人に消費を呼びかけているが、それでは足りない。韓国では、給食に有機農産物を使っている学校も多いが、これが休校でストップした。そこで自治体が農産物を買いとって、家庭にいる子どもたちに直接配る政策をやっている。日本でも国がもっと積極的に買いとって配るなどの措置をすべきだ。


 鈴木 諸外国では、生産者側にも消費者側にも還元されるように具体的にやっている。日本は呼びかけるだけで、それにともなう財政措置がない。危機のさいには機動的に財政出動する必要があるのに、出し渋っている。今回の補正予算も真水(政府の支出)がほとんどない。農業予算も、TPP対策や日米貿易協定の国内向け対策費に3000億円というが、農家が困っているときにその差額を補てんするところには100億円くらいしか行かない。手続きが煩雑なうえに、予算が分散化し、ダイレクトに役に立つものが出てこない。農水省に「予算を有効に」というと「うちではなく財務省が悪い」という。いろんな条件をつけて出さないようにしているのだ。結局、予算を使い勝手が悪いものにして戻ってくるようにしている。東北被災地の復興予算と同じだ。

 参加者の質問 食料自給率を上げることは一国主義に陥り、農産物を生産する途上国の経済に影響を与えないか?

 鈴木 日本だけは例外的に少ないが、先進国はかなりの予算をかけて食料の国産化を推進している。確かに途上国では、農産物の輸出で外貨収入の大部分を得ている国もある。そのような国の経済にはマイナス面があるだろうが、一方で、米国が関税を撤廃させて自国で食料をつくらなくなったハイチなどの国では、食料危機で飢饉による死者が出ている。カロリー(穀物)については、それぞれの国が自給する方が、途上国の食料安全保障にとっても必要なことだ。途上国の輸出農産物は、果物やコーヒー豆など付加価値の高い商品作物が多い。例えば東南アジアや南米原産のコーヒー豆などは、他国と競合することはない。むしろネスレなどのグローバル食品企業が買い叩くわけだ。途上国の経済を守るためには、こういうことにこそメスを入れる必要がある。

 内田 一番の食料難が懸念されるのは途上国だ。FAOも指摘しているが、そもそも圧倒的な貧困があり、水や医療が保障されず、今後はイナゴの大群や他の感染症の問題もあり、COVID対策だけをやっておれないというのが現状だろう。そのうえで輸入に依存しているという構造上の問題を解決しなければいけない。単純に先進国とは比較できないこともある。

 日本では現在、種の自家採取を禁止することを含む種苗法改定の国会審議が連休明けに迫っている。これがどのような問題を持ち、自給率にどのように関係するだろうか。

 鈴木 日本の野菜の自給率は80%といわれるが、種子の9割は外国の圃場で生産されている。種まで遡って考えると野菜の自給率は8%になってしまう。だが、種苗法改定によって公共種子や農民種子を企業の特許種子に置き換え、コメ、麦、大豆の種までもグローバル種子企業が握る可能性が出てくる。

 種苗法については、農水省自体は日本の種苗が海外で勝手に複製されることを抑止するという考え方でやっている。担当部局は誠意をもってやっているが、もっと上の方で別目的が動いている。

 種子法廃止とセットで、「試験研究機関及び都道府県が有する種苗の生産に関する知見の民間事業者への提供を促進する」という農業協力強化支援法八条4項を定めて「公共の種」をなくして差し上げ、種苗法の改定で農家の自家採種を禁止し、種をグローバル種子企業から買わなければならないものにする。南米で吹き荒れた「モンサント法」とまったく同じ方向に動かされてしまっている。

 本来誰のものでもない種子を、一握りの育成者の「知的財産権」として登録し、その権利を独占させるものだ。「登録品種はわずかだから大丈夫」という議論もあるが、そこでもうけようとするグローバル種子企業は、在来種などの非登録品種を勝手に登録して自分たちのものにしていくインセンティブが働く。「登録品種であっても許諾を受けるなら使える」という論調もあるが、農研機構(農水省所管の独立行政法人)がもっていた権限をグローバル企業に渡しなさいといっているわけだから、農研機構も海外から人が入ってきて公的機関とはいえない状態になって行く。だから「大丈夫だ」という議論は成立しない。営利企業の恣意的な判断が動き、いろんな形で影響が出てくる。

 内田 なぜ今そこまで知財を強化するのかという合理的な説明がない。RCEP(東アジア地域包括的経済連携)の協議のなかでも、日本が育成者権という種の所有権を強化しようとしていることが警戒されている。アジアでの互恵的な関係をつくっていくうえでも、先進国が知財を強化することは受け入れられない。

 第1ラウンドを終えた日米貿易交渉(FTA)の第2ラウンドの行方も懸念される。1月に発効した協定は基本的には物品に限ったもので、農業の分野で譲歩をしているわけだが、さらに広い分野を対象にした交渉がおこなわれることが予想される。

 鈴木 「4カ月後に協議開始」の通りであれば、すでに始まるところだが、コロナ・ショックで延期になっている。トランプ大統領としては、大統領選前にとるべきものはとったという状態かもしれないが、米国全体としてはTPPでUSTR(米国通商代表部)が示した22項目すべてを狙っている。それぞれの企業が狙っている。農産物でも先送りになったコメや乳製品の枠など前回はやらなかったものが33品目残っている。

 食の安全基準でも、BSEでは米国に対して全面的に条件撤廃している。BSEの月齢制限だけでなく、発がん性が高い防カビ剤「イマザリル」も、日米レモン戦争(1975年に米国産輸入レモンから防カビ剤が多量に検出され、日本側が海洋投棄したことに米国側が激怒。自動車輸出を制限した事件)以後、日本はイマザリルを農薬ではなく「食品添加物」に分類して検査基準を緩和した。それでも米国は表示されることに怒り、食品添加物の表示義務そのものをやめさせろといっている。この安全基準も農薬や添加物についても項目が出てくるだろう。

 医療分野も心配だ。薬価が不当に釣り上げられ、一部の医薬品企業がジェネリック(後発医薬品)の権利を独占することが予想される。

 本丸は国民健康保険だ。医療・保険の企業チェーンが日本に進出するというのが米国の究極目標だ。どこまで進むのかを考えたときに、コロナ・ショックで米国の医療がどれだけたいへんな状況であったかが顕在化している。国民皆保険がないため、無保険者が多く、高額の医療費を支払えず、治療どころか検査も受けられないままたくさんの人が亡くなっている。日本もすでに国内医療が効率主義で苦しめられているが、これ以上、日米間でこれを進めては絶対にいけないという思いを強くしている。

 内田 また現在、COVID―19のワクチンや治療薬の開発をめぐり、世界の企業が争って研究開発をしている。これは必要なので開発が急がれることではあるが、これが企業特許となって、グローバル製薬会社が丸抱えし、高値で売りつける可能性がある。これにWTOのルールの下で強い保護が与えられたら、それにアクセスできる人や国は限られてくる。この世界的パンデミックに対して、開発国の権利は保護されるべきだが、薬があるのに手に入らずに死んでいくことが危惧される。エイズのときの二の舞になりかねない。とくに途上国に対しては特例的な措置をすべきだ。

 また、FTAなどの貿易協定に含まれるISDS条項(日本ではTPPのみに含まれる)は、投資国の法律改定などで利益が損なわれた場合に、外国企業や投資家が相手国政府を提訴できる制度だが、今回のCOVID感染対策として各国がおこなったロックダウンなどの緊急措置によって企業活動が制限されたとして、外国企業側がそれらの国を提訴することが予想される。欧州では、すでに損害賠償を求める準備を進めている企業もあるようだ。

 COVID下の各国の輸出制限に対する報復措置についても、WTOやRCEPではテレビ会議での交渉会合が予定されている。
 この動きが進めば、公衆の衛生を守るという権利さえも、私企業の利益のために歪められてしまう恐れがある。

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/17054

3. 中川隆[-6874] koaQ7Jey 2021年3月07日 03:31:02 : ed7lh2xIoc : NE1GTlBZV0I3OWM=[5] 報告

重商主義
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%95%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9

重商主義(英: mercantilism)とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。

重商主義とは、国家の輸出を最大化し、輸入を最小化するように設計された国家的経済政策であり、考えうる経常赤字を減らすか、経常黒字に到達することを目指している。

重商主義(の具体的な政策)には、特に完成品の正の貿易収支を通じて、貨幣準備を蓄積することを目的とした国家的経済政策がある。

歴史的に、このような政策はしばしば戦争を引き起こし、植民地の拡大を動機付けた。重商主義理論は、作家によって洗練度が異なり、時間とともに進化してきた。


重商主義は衰退する以前、16世紀から18世紀までの原始工業化の時代のヨーロッパの近代化された部分で支配的であったが、一部の論評者は、経済的介入主義の形で、工業化国の経済でまだ実践されていると主張している。

重商主義は、ライバル国家の国力を犠牲にして自国の国家権力を増強する為に、国家経済の政府規制を促進する。特に工業製品に対する高関税は、重商主義政策のほぼ普遍的な特徴であった。

16世紀半ばから18世紀にかけて西ヨーロッパで絶対君主制を標榜する諸国家がとった政策である。資本主義が産業革命によって確立する以前、王権が絶対主義体制(常備軍・官僚制度)を維持するため、国富増大を目指して行われた。チャイルド、オリバー・クロムウェルやジャン=バティスト・コルベールらが代表者。

世界貿易機関などの超国家的機関の世界的に関税を引き下げる努力により、貿易に対する非関税障壁は新重商主義において大きな重要性を帯びてきている。

初期の重金主義と後期の貿易差額主義に分けることができるが、いずれにも共通しているのは、「富とは金(や銀、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」と言う認識であった。植民地からの搾取、他国との植民地争い、保護貿易などを加熱させたが、植民地維持のコストの増大や、国内で政権と結びついた特権商人の増加などが問題となり、自由経済思想(現代では古典派経済学と呼ばれるもの)の発達を促すもとになった。

理論

1500年から1750年の期間に存在したヨーロッパの経済学者のほとんどは今日、一般に重商主義者―この用語は当初、ミラボーやスミスなどの批評家によってのみ使用されていたが、歴史家によってすぐに採用された―とみなされている。もともと、標準的な英語の用語は「商業システム"mercantile system"」であり、「重商主義"mercantilism"」という言葉は、19世紀初頭にドイツ語から英語に輸入された。

一般に「重商主義文献"mercantilist literature"」と呼ばれるものの大部分は、イギリスにおいて1620年代に登場した。スミスはイギリスの商人トーマス・マン(1571–1641)を、特に彼の死後に出版された"Treasure by Foreign Trade" (1664)において商業システム(the mercantile system)の主要な創造者と見なし、重商主義運動の原型またはマニフェストと考えた。おそらく最後の主要な重商主義者の著作は1767年1月出版のジェームス・スチュアートの"Principles of Political Economy"であろう。

重商主義の文献はイギリスを超えてさらに広がった。イタリアとフランスはそれぞれ、ジョバンニ・ボテロ(1544〜1617年)やアントニオ・セラ(1580〜?)、ジャン・ボダンやコルベール等の重商主義をテーマとした著名な著述家を輩出した。同様のテーマは、リストにはじまるドイツ歴史学派の作家や、アメリカ・システムとイギリスの自由貿易帝国主義の支持者の間にも存在しており、19世紀まで重商主義の主張は存在したが、マンやミッセルデンを含む多くのイギリスの作家は商人であり、他の国の作家の多くは公務員であった。 国家の富と力を理解する方法としての重商主義を超えて、マンやミッセルデンは、より幅広い経済問題に対する視点で注目されている。

オーストリアの弁護士であり学者で、官房学の先駆者の一人であるフィリップ・ヴィルヘルム・フォン・ホーニックは、その1684年の著作 "Austria Over All, If She Only Will" において彼が効果的な国民経済とみなしたものの9点式綱領を詳述したが、これは重商主義の見解を包括的に要約している。


1.国の土壌のあらゆる部分を農業、鉱業または工業に利用すること。

2.完成品は原材料よりも価値が高いため、国で見つかったすべての原材料を国内製造に使用すること。

3.大規模な労働人口を奨励すること。

4.金と銀のあらゆる輸出を禁止し、国内の貨幣をすべて流通した状態に保つこと。

5.すべての外国製品の輸入を可能な限り制限すること。

6.特定の輸入品が不可欠である場合、金や銀ではなく他の国内製品と引き換えに、それらを直接入手すること。

7.輸入は可能な限り自国で完成できる原材料に限定すること。

8.国の余剰製造物を、金と銀との交換のために必要な限りで外国人に売る機会を常に求めること。

9.そのような財が自国で十分かつ適切に供給されている場合、輸入を許可しないこと。

フォン・ホーニック以外に、後にアダム・スミスが古典経済学のためにしたように理想的な経済のための包括的なスキームを提示する重商主義者はおらず、むしろ、各重商主義者は、経済の単一の領域に集中する傾向があった。後になってやっと非重商主義学者はこれらの「種々の」着想を彼らが重商主義と呼ぶものに統合した。従って、一部の学者は「まったく異なる種々の事象に対する誤った統一"a false unity to disparate events"」であると主張し、重商主義という考え方を完全に拒否している。スミスは重商主義を、製造業者と商人による消費者に対しての巨大な陰謀と見なし、この見解はいくつかの著述家、特にロバート・E・エケランドとロバート・D・トリソンをして重商主義を「レントシーキング社会"a rent-seeking society"」と呼ばしめた。

ある程度まで、重商主義の見解それ自体が経済学の一般理論を不可能にした。重商主義者たちは経済システムを、ある当事者による利益は別の当事者による損失を必要とする「ゼロサムゲーム」と見なした。したがって、1つのグループに利益をもたらした政策システムは、定義上、他のグループに害を及ぼし、民富または公益を最大化するために経済学が使用される可能性はない。重商主義者の著作は一般に、最良の政策の研究としてではなく、特定の慣行を合理化するために作成された。

重商主義の国内政策は、その貿易政策よりも断片的だった。アダム・スミスは経済に対する厳格な統制を支持するものとして重商主義を描写したが、多くの重商主義者は反対した。近世は専売特許証と政府によって課された独占の時代であり、一部の重商主義者はそれを支持したが、他の者はそのようなシステムの腐敗と非効率性を認めた。多くの重商主義者はまた、輸入制限と価格上限の避けられない結果が闇市場であることに気づいた。重商主義者が広く同意した概念の1つは、労働人口の経済的抑圧の必要性であり、労働者と農民は「生計の限界"margins of subsistence"」に住んでいた。 目的は、消費を気にせずに生産を最大化することであった。「下層階級」のための余分なお金、自由時間、教育は、必然的に悪と怠惰につながり、経済に害をもたらすと見なされた。

重商主義者たちは多数の人口を、より大きな市場と軍隊の発展を可能にする富の一種の形態とみなした。重農主義の見解は重商主義とは反対であり、(逆に)資源の供給が人類の増加に追いつかなくなると予測した。重商主義の考えは、市場を保護し、農業とそれに依存する人々を維持することであった。

起源

「商人システム"mercantile system"」という用語は、その最も重要な評論家であるアダム・スミスによって使用されたが、ミラボー(1715–1789)はそれより以前に「商人主義"mercantilism"」を使用していた。

重商主義は政治権力のより古い説明―神に授けられた王権と絶対君主制―に対する、経済においてのカウンターパートとして機能した。

学者たちは、なぜ250年にわたって重商主義が経済的イデオロギーを支配していたのかについて議論している。ジェイコブ・バイナーに代表される第一のグループは、重商主義を単純明快で常識的なシステムと見なし、単に必要な解析手段の欠陥によって、その論理的誤謬が当時の人々には不明瞭のままであっただけであるとする。

ロバート・B・エケランドなどの学者に支持された第二のグループは、商業主義を誤謬としてではなく、それを発展させた人々にとって最良の(最も利益が大きい)システムとして描いている。この学派は、超過利潤を追求する(レントシーキング)商人と政府が重商主義政策を発展させ、実施したと主張する。商人は、強制された独占、外国競争の禁止、労働者の貧困から大きな利益を得、政府は、高い関税と商人からの支払いによる恩恵を受けた。そのことを裏付けるかのように、後世の経済的な思想が主に学者や哲学者によって展開されたのに対し、ほぼすべての重商主義者は商人または政府の役人であった。

マネタリズムは、重商主義の第三の説明を提供する。ヨーロッパの貿易は、アジアからの商品の代金を支払うために地金を輸出することによって、マネーサプライを低下させ、物価と経済活動に下降圧力(売り圧力)をかけていた。この仮説は、ちょうど紙幣が流通し始めたアメリカ独立戦争とナポレオン戦争までのイギリス経済のインフレの欠如が裏付けている。

第四の説明は、その時代の戦争における専門性と技術の向上が、(戦争を見越した)十分な準備金の維持をますます高額でやがては競争的なビジネスにしたことにある。

重商主義は、ヨーロッパ経済の移行時に発展した。孤立した封建国家は、権力の焦点としての中央集権的な民族国家に取って代わられていった。海運の技術的変化と都市中心部の成長により、国際貿易は急速に増加した。重商主義は、どのようにすればこの貿易が国家にとって最大限の助け(利益)になるかに焦点を置いた。もう1つの重要な変革は、複式簿記と近代的な会計の導入である。この会計(方法)により貿易の流入と流出が極めて明確になったことは、貿易収支の綿密な調査に貢献した。もちろん、アメリカ大陸の発見の影響は無視できない。新しい市場と新しい鉱山は、外国貿易をそれまで考えられなかった規模に押し上げ、「物価の大幅な上昇"the great upward movement in prices"」と「商業活動自体の規模"the volume of merchant activity itself"」の増加につながった。

重商主義より以前にヨーロッパで書かれた最も重要な経済についての著作は中世のスコラ学の理論家によるものである。これらの思想家の目標は、キリスト教の敬虔と正義の教義に適合する経済システムを見つけることであり、彼らは主にミクロ経済学と個人間の市内交換(市内交換)に焦点を置いた。重商主義は、中世の世界観に取って代わり始めた他の理論や発想と密接に連携していた。この時期には、まさに(目的のために手段を選ばない)マキアベリ流の(策謀政治の、権謀術数的な)現実政策(実益政策)が採用され、国際関係における国益の(重要度における)優位性が見られた。すべての商業をゼロサム・ゲームとみなす重商主義的な発想においては、それぞれの側が冷酷な競争において他の側に優位たろうとするが、このような発想はトマス・ホッブズの作品群に集約された。この人間の自然性についての暗い見方は、ピューリタンの世界観にもよく適合し、実際1651年の「航海条例」など最も押し付けがましく重商主義的な法律のいくつかは、オリバー・クロムウェルの政権によって制定された。

歴史的展開

大航海時代、アメリカ大陸やインド・東南アジアへの西欧の到達と直接交易の開始が貴金属や香辛料など稀少商品の価格革命をもたらし、商業革命のパトロン(援助者・免許者)としての王権に莫大な富をもたらした。

オランダ、イギリス、フランスの各東インド会社は植民地政策の重要な尖兵となっただけでなく、有限責任方式の開発など市民社会形成に重要な足跡を遺し、19世紀の産業革命をもたらした。また、その是非を通じて経済政策や思想における活発な議論がなされるようになり、これが後にフランソワ・ケネーやデイヴィッド・ヒューム、アダム・スミスが登場する素地となった。

重商主義政策の実施によって国境管理が厳しくなり、海を越えて移動する物品に関税がかけられるようになったが、海の国境管理は社会通念的に定着しておらず、密輸に対する犯罪意識も低かった[1]。税関組織が未発達なために海岸線の管理能力が限られており、アメリカ植民地の愛国派商人や、自由な国境移動を当然の権利と考える人々によって大規模な密貿易が横行した[1]。

重商主義の終焉

アダム・スミスとデビッド・ヒュームは反重商主義思想の創始者であった。スミスが重商主義を完全に置き換えることができるイデオロギーを開発するずっと前に、多くの学者が重商主義の重要な欠陥を発見した。ヒューム、ダドリー・ノース、ジョン・ロックなどの批評家は重商主義の大部分を徐々に弱体化し、18世紀に重商主義は確実に支持を失った。

1690年、ロックは、物価はお金の量に比例して変化すると主張した。ロックのSecond Treatiseはまた、世界の富は固定されているのではなく、人間の労働によって生み出されているとする反重商主義的批判の核心(ロックの「労働価値論」によって萌芽的に示されている)をも指し示している。

重商主義者は「絶対的優位」と「比較優位」(ただし、この考えは1817年にデヴィッド・リカードによって初めて完全に具体化された)そして「貿易の利益」の概念を理解できなかった。

たとえば、ポルトガルはイングランドよりも効率的にワインを生産しているが、イングランドではポルトガルよりも効率的に布を生産できると想像する。そうであれば、ポルトガルがワインを専門とし、イギリスが布を専門とするなら、両国が取引したときより良い結果になるであろう。これは貿易の相互利益の例である(「比較優位」によるにしろ「絶対優位」によるにしろ)。現代の経済理論では、貿易は激烈な競争の「ゼロサムゲーム」ではない。双方がそれから利益を得ることができるからである。

ヒュームが、貿易収支の恒常的な黒字という重商主義者の目標が不可能であることを指摘したことは有名である。地金が一国に流れ込んだとき、(地金の)供給は増加し、その国の地金の価値は他の商品と比較して着実に減少する。逆に、地金を輸出している国では、その価値は徐々に上昇する。最終的に、(地金の)高価格国から低価格国に商品を輸出することはもはや対費用効果が低くなり(というのも高価格国から地金を輸入するのにはますます多くの価値を持つ物品が必要となるであろうから)、貿易収支は逆転する(つまり一国が金銀を集めているうちにその国における金銀の(単位量的な)価値が減じてゆく一方で、輸入先における金銀の(単位量的な)価値が増してゆくので)。重商主義者はこれを根本的に誤解し、マネーサプライの増加は単に誰もが金持ちになることを意味するのだと長い間主張していたのである。

多くの重商主義者が彼ら自身金と銀の重要性を低く評価し始めたにせよ、地金に置かれた重要性はいずれ(半重商主義者の攻撃の?)中心的な標的でもあった。アダム・スミスは、重商主義の中核には「富とお金を混同する通俗的な愚かさ」があり、地金は他の商品とまったく同じであり、特別な扱いをする理由はまったくないと指摘した。最近になって、学者はこの批判の正確さを軽視するようになった。彼らは、マンとミッセルデンが1620年代にこの種の間違いを犯していないと考えており、1699年に「なるほど金と銀は確かに貿易の尺度であるが、その源泉と原型は、あらゆる国においてその国の自然または人工の産物―つまり、この土地やこの労働と産業が生み出すものである。」と書いた彼らの学徒のジョサイア・チャイルドとチャールズ・ダヴェナンを指摘している。1930年代のヤコブ・ヴィナーなどの学者が、マンなどの商人の重商主義者は海外の英国製品の価格を上げても(自分たちは)利益が得られないと理解していた、と指摘したように、重商主義はレントシーキングの一形態であるという批判もそれ自体批判にさらされている。

重商主義を完全に拒否した最初の学派は、フランスで理論を発展させた重農主義者であった。彼らの理論にもいくつかの重大な問題があり、1776年にアダム・スミスが「国富論"The Wealth of Nations"」を出版するまで重商主義の置き換えは待たねばならなかった。この本は、今日「古典派経済学」として知られているものの基本を概説している。スミスはこの本のかなりの部分を重商主義者の議論への反論に費やしたが、多くの場合、これらは重商主義思想の単純化または誇張された解釈であった。

学者の間ではまた、重商主義の終焉の原因についても意見が分かれている。その理論が単なる誤りであると思う者は、スミスのより正確なアイデアが明らかになった時点で、その置き換えは避けられなかったと考えている。重商主義はレントシーキングに相当すると感じている者は、大きな権力の変化が起こったときそれが終わっただけだと考えている。(実際)英国では議会が、独占を可能にする君主の権力を獲得したため、重商主義は衰退した。下院を支配した裕福な資本家はこれらの独占から恩恵を受けたが、議会は、グループの意思決定のコストが高いため、それら(独占)を実行するのが難しいとわかった。

イギリスでは、18世紀を通じて重商主義的規制が着実に撤廃され、19世紀には、英国政府は自由貿易とスミスの自由主義経済学を完全に受け入れた。大陸においては、そのプロセスは多少異なっていた。フランスでは、経済統制(権)は王室の手中にあり、重商主義政策はフランス革命まで続いた。ドイツでは、歴史学派の経済学が最重要であった19世紀から20世紀初頭にかけて、重商主義は重要なイデオロギーとして残った。


思想・体系

貿易と国家の繁栄を結びつける思想は、イタリアの諸都市において15世紀には存在していた。フィレンツェ共和国の外交官でもあったニッコロ・マキャヴェッリの『リウィウス論』や『君主論』、イエズス会の司祭であるジョヴァンニ・ボッテーロ(英語版)が書いた『国家理性論』において、そうした思想が展開されている。16世紀以降になると、ヨーロッパ各国で、貿易での優位が国内の利益につながると考えられるようになった[2]。

17-18世紀のイギリスで隣国の発展を脅威と捉える人々が現れ、重商主義という経済思想が形成された[3]。重商主義の主な考え方は、輸出はその国に貨幣をもたらすが輸入はもたらさないため、輸出は良いが輸入は良くないというものである[4]。重商主義の基礎には近代国家があり、それを支える感情は愛国心、ナショナリズムである[5]。重商主義は自国と他国を比較し、国家間に敵対関係を想定するものであった[5]。

重商主義は、アメリカ合衆国の初期の経済学派であるアメリカ学派や、アメリカ・システムをはじめとする19世紀の経済政策にも影響を与えた[6]。


重金主義

重金主義(じゅうきんしゅぎ、英: Bullionism、ブリオニズム)とは、貴金属のみを国富として、その対外取引を規制し流出を防止し、同時に対外征服や略奪、鉱山開発を推し進め、国富たる貴金属を蓄積させようとする政策。重工主義、取引差額主義ともいう。16世紀のスペイン、ポルトガルの代表的な政策で、のちフランス王ルイ14世に仕えた財務総監コルベールがとった経済運営(コルベール主義)が有名である。

国家は、税制優遇・補助金などで輸出を奨励し、関税によって輸入を抑制することで貿易黒字を増やし貴金属の流入を促進させた[7]。

東洋に向かったポルトガルは王室国家権力による独占貿易をはかりカサ・ダ・インディア(インド庁)を設立した。リスボン到着の香辛料はすべてインド庁の倉庫に納入され転売益が国王収入となった[8][9]。新大陸に向かったスペインにとっては交易の成立しない異文明との遭遇は掠奪と破壊の対象となった(スペインによるアメリカ大陸の植民地化参照)。


貿易差額主義

貿易差額主義(ぼうえきさがくしゅぎ)とは、輸出を進めて輸入を制限することにより国内産業を保護育成し、貨幣蓄積をはかる政策。重金主義が国家間での金塊等の争奪や私掠船(官許の民間掠奪船)の横行、相互の輸出規制合戦の様相を呈したのに対し、貿易の差額による国富(ここでは貴金属)の蓄積が主張された。

イギリス東インド会社の係官トーマス・マン(19世紀のドイツの作家パウル・トーマス・マンとは無関係)が主張、イギリス重商主義の中心的な政策となる。

主要な財政家・理論家

W.ペティ / 彼の「政治算術」は重商主義経済学から古典派経済学への過渡期に位置づけられる


イギリス

重金主義者
トーマス・グレシャム(1519年 - 1579年) - 銀行家。グレシャムの法則で有名。
ジェラール・ド・マリーンズ(1586年 - 1641年)

貿易差額論者
トーマス・マン(1571年 - 1641年) - 東インド会社役員。主著『外国貿易によるイングランドの財宝』(1664年、死後出版)で貿易差額論を体系化。
オリバー・クロムウェル(1599年 - 1658年) - コモンウェルス時代の護国卿。航海条例で知られる。
エドワード・ミッセルデン(1608年 - 1654年)

「トーリー党自由貿易論者」
ジョサイア・チャイルド(1630年 - 1699年) - 主著『新交易論』(1693年)。
ニコラス・バーボン(1640年 - 1698年) - 主著『交易論』(1690年)。
ダドリー・ノース(1641年 - 1698年) - 主著『交易論』(1691年)。
チャールズ・ダヴナント(1656年 - 1714年) - 主著『東インド貿易論』(1696年|1696)。

キャラコ論争・対仏通商論争の参加者
J.ケアリ(? - 1720年頃) - 「キャラコ論争」(1670年代)で保護主義を主張。主著『イングランド交易論』(1695年)。
C.キング(18世紀前半) - コルベルティズムをめぐる「対仏通商論争」(18世紀前半)でウィッグ党の立場で保護主義を主張。主著『イギリス商人』(1721年)。
ダニエル・デフォー(1661年頃 - 1731年) - 対仏通商論争でトーリー党の立場で自由貿易を主張。主著『イギリス経済の構図』(1728年)。

古典派経済学の先駆者
ウィリアム・ペティ(1623年 - 1687年) - 国力を経済的に分析する「政治算術」を提唱。国力の基礎として貿易のみならず農業生産を重視、著書『租税貢納論』(1662年)で労働価値説の原型を作り「古典派経済学の祖」とされる。
バーナード・デ・マンデヴィル(1670年 - 1733年) - 主著『蜂の寓話』(1714年)。
ジョン・ロック(1632年 - 1704年) - 主著『統治二論』において労働価値説を主張。
リチャード・カンティロン(1680年頃 - 1734年) - ペティの理論を継承し価値の源泉を土地に求める重農主義的立場をとった。主著『商業試論』(1755年)。
デイヴィッド・ヒューム(1711年 - 1776年)
ジェームズ・ステュアート(1712年 - 1780年) - 「最初の経済学者」「最後の重商主義者」として『経済学原理』(1767年)を著し重商主義の理論体系を総括[10]。
ジョサイア・タッカー(1713年 - 1799年)
ジェームズ・ミル(1773年 - 1836年)


フランス
J.ボダン(1530年 - 1596年)
B.ラフマ(1545年 - 1612年)
リシュリュー(1585年 - 1642年)
J.B.コルベール(1619年 - 1683年)


アジア
日本においては江戸時代中期の政治家・田沼意次がその先駆者として挙げられている。また18 - 19世紀に活躍した本多利明・佐藤信淵・帆足万里の経世論のなかにも典型的な重商主義理論が見られる。また、五代十国時代の中国では、十国といわれる地方政権はいずれも鉄銭・鉛銭の発行や輸出の促進などにより銀・銅を政府のもとに蓄積する政策を行った[11]。

議論

アダム・スミスによる批判

重商主義は、18世紀にはアダム・スミスの『国富論』で繰り返し批判されている。『国富論』によると、人々が豊かになるのはあくまで輸入品を消費することによってであり、輸出によってではない。輸出は欲しいものを輸入するために必要な外貨の獲得のためのものであって、輸出それ自体が貿易の目的ではない。輸入業者が支払い請求に応じるのに必要な負担をまかなうために、輸出が必要となるにすぎない[12]。またこのことから、交易条件の改善によって、より少ない輸出でより多くの輸入が出来るようになることは国民を豊かにするが、自国通貨高は輸入価格と輸出価格の両方を変化させるので、より少ない輸出でより多くの輸入が出来るようになるわけではなく、そのためより多くの輸入品の購買や消費が可能になって国民が豊かになるわけでもないことがわかる。

またスミスは、重商主義の背景にある愛国心について「愛国心は、他のあらゆる近隣国の繁栄・拡大を、悪意に満ちた妬み・羨望をもって眺めようとする気分にさせることが多い」と述べており、自分の身の回りの人々に愛を感じることは自然であり必要でもあるが、それが偏狭な国民的偏見をもたらす可能性を警戒していた[5]。『国富論』については、重商主義が言う貿易差額(黒字)で金銀を稼ぐことが富の源泉ではなく、労働こそが富の源泉であるという視点を示していると指摘されている[13]。

その他
ジョン・メイナード・ケインズが、著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』において、重商主義を「復権と尊敬とに値する」と主張したという指摘がある[14]。この点から、重商主義政策をケインズ政策、つまり有効需要確保の政策とする解釈も存在する[15]。

ある国にとって「貿易の黒字は利益で赤字は損失である」といった見方は重商主義的な誤解の典型である[16]。重商主義のわかりやすさには、人間が人間であるがゆえにもつ各種のバイアスが寄与しているとする指摘もある[5]。

現代の重商主義

「日米貿易摩擦」、「米中貿易戦争」、および「国際収支統計#識者の見解」も参照
重商主義は絶対王政の存在と植民地主義の下での経済思想であるため、現代ではこの二つの条件を満たしている国はほとんど存在しない[17]。しかし貿易によって利益を得る、輸出を増大させる重工主義などは重商主義以降も生き続けた[18]。

20世紀に入っても、輸出主導で経済成長を図ろうという政策は、さまざまな形で見られる。このような貿易政策は、新重商主義あるいは単に重商主義と呼ばれている[19][20][21][22]。新重商主義についてはジョーン・ロビンソンの定義が知られている。各国政府が自国民の利益のために、国際経済活動における自国のシェア拡大に価値や称賛さるべき目的を設定することが、新しい重商主義とされる[20][23]。ダニ・ロドリックは、現在における自由主義と重商主義の対立を語っているが[22]、ロビンソンは、自由主義の教義は重商主義の巧妙な形態にすぎないとして、新重商主義は発展途上国にとっての障害としている[20][24]。

日本でも、より強い国際競争力を求めて、政府に対する政策要望が出され[25]、また政府の政策に取り入れられることが多い[26]。国際競争主義については、重商主義がその元祖であるとする指摘がある[27]。また、輸出に頼って経済成長を計る政策思想は、重商主義と差異がないとする説もある[28]。

重商主義は、国内の過剰生産の解消と、貿易による資本蓄積で経済を成長させるには有効な政策であるとする評価もある。こうした評価は開発独裁の諸国、特に米国に次ぐ経済力を得た改革開放後の中華人民共和国や高度経済成長期の日本による輸出主導型成長と結びつけられている[29][30][31]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%95%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9  


4. 中川隆[-15958] koaQ7Jey 2021年10月19日 12:02:30 : NSadpLBCCE : REV6MjFxMWtja2s=[13] 報告

2021年10月19日
フランス人はなぜ休んでばかりいるのか?
https://www.thutmosev.com/archives/86969432.html

日本人が輸出で勝つには、1日1ドルで働くインド人より給料を下げる必要がある
まさに敗者の競争ではないだろうか

日本人がしぬまで働いても勝てないシステム

統計によると日本は30年間賃金が上がっていないそうで、特に欧米と比べて庶民の生活水準が低い。

家が狭いうえ政府の政策で30年で「ボロ家」になるよう設計されているので、住宅がみすぼらしい。

日本政府は「中古が売れると新築が売れず不況になる」という謎理論を財務省が展開し、意図的に住宅寿命を短くしている。

新築ピカピカの家を平均3000万円で買うが、ローンを払い終えた30年後はもうボロボロになっている。

こういう政策なので中古住宅には住めたものではなく、仕方なくまた新築住宅を買う。

アメリカの住宅販売の8割は中古で、新築を建てるのは大富豪かその土地に適した住宅がない場合だけです。


中古住宅はリフォーム前提に設計されているのでどれも新築とそん色なく、築100年以上の中古住宅は珍しくない。

欧州も古い高層アパートが多く、中古住宅は30年で廃屋同然などと言う事は無い。

問題は日本政府がこの状態を意図的に作り出している事で、世間を知らない財務官僚が「中古住宅が売れないようにしろ」と指示しています。


そんな頭パーの連中が指導しているから日本は30年間ずっと不景気、所得が同じ欧米諸国と比べて生活水準が低い。

日本より生活水準が高そうな「イメージ」の国としては、カナダやスイスや北欧や南仏などを思い浮かべるでしょう。

本当かどうか知らないがフランス人は夏に2か月バカンスをとり、のんびり暮らしているそうです。

輸出も国際競争も不要

1人当たりGDPを調べてみるとこれら生活が豊かな国と日本は同じ程度で、日本の方が上位の場合も多い。

例えばフランス、イギリスなど欧州の半分以上は1人当たりGDPが日本より下か同じ程度です。

ドイツを除く欧州国家は輸出品と言っても何も思い浮かばないと思いますが、ドイツ以外ほぼ貿易赤字です。


日本の経済学者や官僚によると「輸出で勝った国が勝者」らしいですが、欧米で貿易黒字なのは主要国ではドイツのみです。

フランス人は貿易赤字なのにあまり働かず、それでいて日本人より豊かな生活をしている(ように見える)

例えば2021年は半導体不足で自動車などが減産し、ほぼすべての輸出産業が悪影響を受けています。


輸出産業とは日本より遥かに低賃金な韓国、中国、ベトナムやインドと競争しなくてはならず、必然的に「1億総貧困」になります。

昔日本が輸出で儲かったのは日本人自身の所得が低かったのと、まだライバルがいなかったからでした。

例えばボーイング737 MAXが2機墜落しましたが、原因はインド人学生に格安でプログラミングさせていたからでした。


金額は分からないがアメリカ人技術者は年収数千万円のところを、おそらく数万円程度でやらせていた。(数千円や数百円かも知れない)

日本やアメリカが輸出でインドに勝とうと思ったら、時給100円にしないと勝てません。

欧米は輸出で勝つ機など無く、インドや中国から安い製品を輸入し、それを国内で使って経済成長します。


このモデルではインド人より賃金を下げる必要が無いので、フランス人は怠けている上に2か月休暇を取れる。

もう輸出企業を儲けさせるために、インド人より安く働くような事は辞めるべきです。

トヨタやホンダが潰れてしまうというなら、潰れればいいのです

https://www.thutmosev.com/archives/86969432.html

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