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(回答先: 昔の日本映画は熱かった _ 溝口健二 赤線地帯 (大映 1956年) 投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 13 日 19:10:41)
溝口健二 お遊さま(大映 1951年)
監督 溝口健二
原作 谷崎潤一郎 芦刈
脚本 依田義賢
撮影 宮川一夫
美術 水谷浩
音楽 早坂文雄
製作年 1951年
配給 大映
動画
https://www.youtube.com/watch?v=VxQye8mJuCc
https://www.youtube.com/watch?v=uVN1px8gIZ8
https://www.youtube.com/watch?v=VQK6g-EDm8I
キャスト
田中絹代 お遊さま
乙羽信子 お静
堀雄二 槙之助
平井岐代子 おすみ
金剛麗子 おつぎ
柳永二郎 栄太郎
進藤英太郎 久左衛門
小林叶江 乳母
横山文彦 番頭一
藤川準 番頭二
芝田総二 番頭三
久原亥之典 丁稚
藤代鮎子 女中
南部彰三 医者
小松みどり 女将
相馬幸子 生花の師匠
石原須磨男 僧侶
▲△▽▼
お遊さま:溝口健二の世界
溝口健二は、戦中から戦後にかけてつまらぬ映画を何本も作ったが、「お遊さま」もそうした駄作の一つである。にもかかわらず筆者がここに取り上げるのは、これが谷崎の小説を映画化したものだからである。谷崎の原作「芦刈」の、あの独特の世界を溝口がどう映画化したか、そしてどのような理由で失敗したか、それに興味があった。
原作の「芦刈」には、大まかに言って二つの眼目がある。一つは、谷崎と思しき老人が能「芦刈」の舞台である淀川の溜りで幽霊と出会い、その幽霊から昔語りを聞かされるという点、もう一つは、その幽霊の語る話と言うのが、男の口を通しての女人礼賛になっているという点である。この小説の最も大きな特徴は、男の目から見た女の美しさ・素晴らしさを、それこそ極楽の蓮華を見たように語る所にある。その女人礼賛が、谷崎一流の粘っこい文体に乗って、聞くものをして恍惚とさせるわけである。
ところが溝口は、原作の眼目を二つとも無視した。この映画には幽霊などは出てこず、従って幽霊の語る怪しげな物語ではなく、現実の出来事として描かれている。その点で、原作の持つ幽玄の趣きを甚だしく軽視している結果になっている。また、男の目からではなく、女の視線に寄り添って映画が作られている。その結果、映画の中の女は、男が礼賛する対象ではなく、自分で自分の美を誇る自立した女となってしまっている。自分で自分の美を誇るというのは、ある種の矛盾であるから、その点で、この映画は破綻せざるを得ない宿命を負っているわけである。
溝口が、女に寄り添いながら、女の視点から映画作りをしたということはよく知られている。それはそれで、素晴らしい方法と言える。だが、そうした方法は、「芦刈」のような小説の世界には、あまり、というか全く、相応しくない。
こうした欠陥は、原作を考慮に入れるから一層目につくわけで、そうした事情を無視して一個の独立した映画作品として見たらどう映るか。そのように見た場合でも、これが著しく女の視点に支配されているということは否めない。二人の姉妹のうち姉に惚れこんだ男が、姉とは結婚できないまでも、親族の立場から親しく往来できることを期待して妹と結婚するという筋書きは、男の立場に立てば不自然ではないが(事実原作では全く不自然に感じられない)、女の立場からすると、つまり女のほうから望んでそうしたということになると、極めて不自然に映る。やはり谷崎の原作のような不道徳な作品は、女の視点から描くには相応しくないと言うべきである。女を不道徳な存在として描くのは、溝口の本意でもなかろう。
こうした事情を抜きにして、細かいところには、それなりに見どころがある。お遊を演じた田中絹代は、彼女の持っている美しさがもっともよく出ているのではないか。乙羽信子には気の毒だが、二人が並ぶと、田中の美しさが引き立ち、乙羽のほうは、添え物のように見える。これでは男がこちらの方に心を奪われるのも無理はない、と思わせるくらいだ。田中は小柄な女性だったそうだが(身長が150センチちょっと)、全体が小作りで、しかも顔が細面にできていたので、あまり小さく見えない。一方乙羽のほうは、背丈が高い上に顔の幅も広いので、田中とふたり並ぶと、大女に見える。少なくとも美人には見えない。乙羽にとっては実際気の毒千万というほかはない(筆者は乙羽ファンだったのでなおさら)。
映画の中で、姉妹が男を含めて三人で謡曲を歌う場面が出てくる。「君なくてあしかりけりと思ふにもいとど難波のうらはすみうき」という、能「芦刈」の一節である。ところがこれに伴奏しているのが、能の囃方ではなく、雅楽というのが溝口らしい。どういうつもりでこのような演出をしたのか。まさか、能と雅楽の区別がつかなかったわけでもあるまい。
映画のラストに近い部分がダラけているのも気になる。クライマックスに向って盛り上がって行くと言うよりも、ダラダラと続きながら(内容は女の世帯やつれだ)、なんとなく終わる、そんな感じだ。これは、女の立場を重んじすぎるからである。女の生き方を強調したい気持ちはわからぬではないが、そのあまり女人礼賛というテーマがボヤけてしまうのでは、何のためにこの映画を作ったのかもわからなくなろうというものだ。
https://movie.hix05.com/mizoguchi/mizo113.oyu.html
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谷崎潤一郎「蘆刈」と溝口健二の「お遊さま」
◇お遊さま
谷崎潤一郎「蘆刈」が原作の溝口作品。
冴えわたる宮川一夫のカメラが鮮烈に印象を残す逸品。
原作となる「蘆刈」は谷崎の古典傾斜の時代の中での傑出した作品のひとつに数えられているもの。
1932年の作。時代は昭和大恐慌から満州事変を経て、暗い脚音がせまりつつある時代である。
谷崎「蘆刈」は、大和物語や世阿弥の謡曲の同名の物語を下敷きにしているが、落ちぶれた男が女の姿を垣間見るというテーマ以外はさして物語には関係はない。
この女性を仰ぎ見る落ちぶれた男という関係性のみ谷崎が引き取り、夢幻模様の中で、不思議な男女の関係を、さらにその子から回想させるという非常に凝った小説である。
映画は、ふとしたきっかけで出会った美しい女性への許されない思慕、そしてそれがその女性の妹を媒介としながら、のっぴきならない関係性へと落ち込んでいき、ついに零落を招いていく流れをきっちりと描きだしている。
原作との違いを参考までにいくつか。
映画「お遊さま」は、零落した果てにお遊さまの妹との子供を授かるも、すぐに母は死んでしまう。その子供はお遊さまに引きとられてしまい、そのまま育てられることになる結末。
お遊さまを頂点として、そこから姉にかしづく妹−主人公の男−その子供という階層ができている原作の構造は引き継がれながら、蘆が生い茂る水無瀬に消えていく主人公がラストシーンとなるのが映画。
原作は、もっと複雑な物語構造となっているばかりか、魅惑するお遊さまとその残酷な禁断の主従関係を、かなりきわどく描写している。
映画ではつかわれていた、主人公の男の息を止めたりするシーン(谷崎のお得意のマゾヒズム表現です)はともかくとして、妹は冬の季節には足を暖めるために布団に入らされ姉の足を抱かされていたり、子供ができて乳が張っている姉の母乳を口をつけて飲んでいたりする。
そのような、耽美的で性愛的なエピソードを織り交ぜながら、物語を幻ともつかぬ男(妹と男の子供)に語らせて、丁寧に絵巻物のように綴りとるのが、この「蘆刈」の名作たるところ。
溝口作品「お遊さま」では、そのような重層的な物語構造を省きながら、圧倒的なカメラの美学で魅せていく映画となっている。
もともと、この物語は「お遊さま」の妹がポイントとなっていて、姉への崇拝を二代に渡る隷属関係に昇華させていくのは、この妹が鍵となっている。
崇拝の対象となる田中絹代のお遊さまが圧倒的な美しさを誇らねばならない一方、切なさや儚さを前に出しながらも、切羽詰った思慕を悪魔的に秘めている妹が重要になる。
乙羽信子は、これをしっかり演じている。
溝口健二は、すでに40を越えて華麗さも衰えつつあった田中絹代に、あなたをもっと美しく撮ると宣言したらしい。実際にそれだけの役柄なのであり、この映画の焦点はそこにあるといってもいいのだが、ちょっときついかな・・・現在の観客にとっては。
http://masterlow.net/?p=282
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谷崎潤一郎『蘆刈』と溝口健二『お遊さま』
JR京都線から阪急電鉄へ乗り換える方法はふたつあり、一つ目は正攻法的に大阪駅まで行って梅田で乗り換えるというものなのだが、二つ目はJR山崎駅でいったん電車を降り、阪急大山崎駅まで町をすこしだけ歩くというものであった。その時僕はJR京都駅から何駅だったか忘れたが、とにかく阪急の駅に行かねばならず、どこかで阪急の路線に乗り換えなければならなかった。別に急ぐ用事ではなかったが、インターネットの乗換案内をみると後者の方が少しばかり早く目的地に着くということでもあったので、山崎駅で電車を降りてみることにした。京都-大阪間で山崎といえば、豊臣秀吉が明智光秀を討ち取った山崎の戦いのことを思い出して、何かそれらしいものでも見つけることができたらという目論見もあった。山崎駅から大山崎駅までの道のりには別段変わったものはなく、結局古戦場の名残は何も見つけることができなかったのだけれども、あとで調べてみると、山崎駅の裏に見えていた山が、あの天下分け目の天王山であったらしい。現在はサントリーのウィスキー工場が建っていて、なるほどこの辺りは名水の採れる土地柄であるようであった。谷崎潤一郎の「蘆刈」に出てくる水無瀬の宮が、その近くにあるということは全く知らなかったので行くことはなかったのだが、そこにも名水が湧くということがこの小説でも紹介されている。
そういうことで僕は「蘆刈」の舞台を少しだけ歩いたことがあった。大阪と京都、JRと阪急、明智と豊臣という色々なものごとの狭間にある変な土地、というイメージがなんとなくあって、だんだんとゆめまぼろしの度合いが上がっていくような「蘆刈」の作りにのっけから入り込むことができたような気がする。とはいってもそれは少し出来すぎな話で、実際は、舞台が山崎のあたりであるのを知るまでにも時間がかかったし、そこが自分の見知っている土地であるのを喜んだのも束の間、主人公の「私」が実際に街できつねうどんを食べる辺りまではなかなか小説が読み進まなかった。あのきつねうどんはなんだか美味しそうで、ああいう状況で出てくるにあたって、最も似つかわしい食べ物のような気がした。その後も瓶入りの正宗や、瓢箪入りの日本酒など、妙に魅力的な食べ物に興味を惹かれるうちに、物語の本腰であるお遊さまの話が始まっていた。
このお遊さまの話が面白いのは、お遊という一つ人物が、強烈な力をもって慎之助とお静を惹きつけているからであり、またその様が読者である僕にとっても面白かったからだろう。お遊がなぜそのように人を惹きつけるのかという理由はなかなかつかみ辛く、そうだからそうとしか言いようのないところもあるのだけれども、小説中に少しだけその理由のようなものが説明されている。いわく、お遊には演技性のようなものがあるというのだ。この部分はかなり僕にとって興味深かった。おそらく凡百の書き手ならば、こうしたお遊のような人物を描写する際に「彼女には全く芝居がかったところがなく、ごく自然な高貴さ、洗練さをその身に纏っていた」とかなんとかいうようなことを書くのではないのだろうか。というか、この部分を最初に読んだとき、お遊に芝居気がないという描写を読んで驚いているような僕は、上のような描写を十分にする可能性がある。
芝居気というものはどういうものなのだろうか。それは「科(しな)」とか「外連」とかいうものに近いかもしれない。いや、言葉を置き換えただけでは何の説明にもならないのでもう少し考えてみることにするけれども、なにか一つの行動を起こすときに、普通の人がするような所作でそれをせずに、なにか普通とは別のルール(作法)に従ってことを為すことを芝居がかるとここでは言っているような気がする。うちかけを着て琴を弾くということも、本当の貴族の娘ならば何の違和感も覚えさせないのだろうが、お遊は裕福な育ちではあるが、町屋の娘であり、それは普通のことではない。そのあたりのズレが芝居気をうみだしているのだろう。思い出してみれば『春琴抄』の春琴も町屋の娘ながら、盲目という境遇ゆえに特権的な地位が家から与えられていて、それ故に雅な性格をしているという人物だった。彼女にも芝居気というようなものが多分にあるような気がする。そしてその芝居気は春琴が顔に傷を負って、佐助が目をつぶして以後、一層強まっていくし、そのような描写も実際にあったような気がする 。このような高貴な振る舞いと実際の地位のズレがうみだす芝居気が谷崎文学に登場する女性像において重要な気がするような気がするけれども、ここまで言っておいて、そんなことは全く重要ではないのではないかという気持ちの方が今は強い。仮にうまれも育ちも完全に雅な、姫かなんかがいたとしても、その人物は谷崎文学の中でしっかりと男の信仰を集めそうな気がする。お遊や春琴が町屋の娘であるのは、それぞれの作品の時代背景の設定に則っていて、かつ谷崎が書き得たのが、こうした暮らしの娘だったからであり、つまりは作品のリアリティーを保つためではないだろうか。
そうした人物造形におけるリアリティーは優れたもので、それはおしずの描写においても言えることだと思う。この小説ではお遊に劣らずおしずもなかなか魅力的な人物として描かれているが、僕が一番好きなのは、慎之助との結婚後にお遊も交えて遊ぶようになったおしずが、二人をくっつけようとして、慎之助を困らせるという場面だ。サディスティックな気のあるお遊に対して、「忍ぶおんな」であるおしず、という単純な対比を超えたものがそこにはきちんと存在している。谷崎潤一郎の文学はSMの文学だという宣伝文句を見ることがよくある。この前NHKでやっていた『春琴抄』の特集は「谷崎は実はマゾヒストだった!?」というような作りだったし、柴門ふみの『日本レンアイ文学のすすめ』というエッセイでも谷崎はそんなような扱いだった。マゾヒズムを抜きにして谷崎潤一郎の文学を語るのは不自然なことかもしれないが、そればかりで語るのも不自然で、作家やその作品を矮小化しているような気もする。とはいえ、谷崎潤一郎のことを何も知らない人に対して「この谷崎っていうひとは妖しい心をよびさますアブナイ愛の魔術師 なんだよ〜」といって谷崎の本をお勧めするのもそれはそれで悪いことではないような気もする。そもそも多くの人は谷崎潤一郎の本をお勧めされても谷崎の本を読まない。「この谷崎っていう人はお堅い文豪みたいななりをしてるけど、実はSMのこととか書いちゃうような妖しい人なんだよ〜〜」っていう宣伝文句は谷崎に全く興味のない人に対して送られたギリギリのメッセージなのだろう。こういう問題は、昨今とても流行っている(ように感じられる)文豪のキャラクター化という問題にもつながっていくが、そこに目くじらを立てるのも少し大人げない気がするのでこの話はこの辺でやめにして、溝口健二の映画についての話をすることにしよう。
溝口健二の1951年の映画に『お遊さま』というのがある。これは谷崎の『蘆刈』を映画化したものなのだが、あまり有名な作品ではない。確かにところどころ、溝口らしいきれいなカットはあるのだが、そこまで目を引くようなものがないのだ。これはどうもキャスティングによるところが多いような気がする。お遊を演じるのは田中絹代、おしずは乙羽信子である。有体に言ってしまえば、この映画の中で圧倒的な存在感を放たなくてはいけないはずの田中絹代が乙羽信子に喰われかけてしまっているのだ。
そうした役者のパワーバランスを考慮してのことかどうかは知らないが、脚本はそこそこ大きな原作からの改変が施されている。映画はおしずと慎之助のお見合いの場面から始まる。そこで慎之助はお遊を見初める。原作にあった枠構造は取り払われているのだが、これは大きな問題ではない。問題はその後で、おしずと慎之助が仮の結婚をしたところからなのだが、ここでクローズアップされるのはお遊、おしず、慎之助の奇妙な関係の方ではなく、「忍ぶ女」としてのおしずなのである。自分を犠牲にしてお遊と慎之助の幸せを願う健気な女としておしずは描かれる。このようなおしずの態度にほだされて慎之助はおしずとの子どもを作る。しかし、おしずは慎之助との子どもを出産する際に、なんとも涙ぐましい感じで死んでしまう。その子供を慎之助がお遊の元へ届けるというところで物語が終わる。映画の後半部ではお遊は半ば退場したも同然となってしまうのだ。たしかにこのようなおしずの新解釈には見るところもあって、興味深かったのだが、全体を通してみるとちぐはぐな印象は避けられない。
田中絹代は当時四十代前半で、前年に作られた木下惠介の『婚約指環』に出演した際には「老醜」という誹りさえも受けていたらしい。さらにその数年後に作られる『山椒大夫』(1954)では老婆の役 をこなしているくらいなので決して、1951年当時若かったとはいえない。しかし、『お遊さま』におけるキャスティングの微妙さは、彼女の年齢からくるものではない。少なくとも『お遊さま』での田中絹代は年齢を感じさせる容姿、雰囲気はしておらず、乙羽信子と姉妹だという設定にも無理はない。田中絹代にはお遊が持つ浮世離れしたような雰囲気を作ることが出来なかったのだ。
田中絹代はなんだかヴィヴィアン・リーに似ているような気がして、それは顔の造形が似ているという意味ではなくて、作品の中でのオーラというか立ち位置が似ているということがいいたいのだけれど、二人ともいってみれば強い女性であったり、汚れ役をするのが上手い。ヴィヴィアン・リーも『アンナ・カレーニナ』は全然良いとは思わなかったけれども、『欲望という名の電車』や『風と共に去りぬ』は素晴らしい。田中絹代も『夜の女たち』や『西鶴一代女』はよい。これってつまりは世間の一般的な評価と全く同じで、なんら特別なことや真新しいことは言っていないのだが、観たところそうなのだから仕方がない。
そういうことで田中絹代を先頭に立てて発進した企画が、途中で、今が旬の乙羽信子を中心にしたものにシフトしていったという経緯を考えてみることもできよう。
溝口健二が田中絹代に対して恋心を抱いていたというのは有名な話で、この時どうだったのかはよくわからないけれども、ものの本に田中絹代の次のようなエピソードが書いてあった。『溝口健二の世界』の著者、佐藤忠男は国際近代美術フィルムミュージアムの「田中絹代特集」の『お遊さま』の回において田中絹代と会った。そこで田中絹代は『お遊さま』について次のように語る。引用してみよう。
じつはこの映画、この特集のはじめのプランには入っておりませんでしたの。それをわたしがとくにお願いして入れていただきました。この映画を撮ったとき、溝口先生がこうおっしゃったのです。君ももう年で、若くてきれいな役はもうこなくなる。だからぼくが、さいごに君のいちばんきれいな映画をとってあげよう……って (佐藤忠男『溝口健二の世界』平凡社、2006年、422頁)
なんとも美しい話ではあるが、田中絹代はこの中途半端な作りの映画に納得していたのだろうか。
そしてここからは完全に僕の邪推なのだけれども、溝口はこの時、谷崎的な「蘭たけた女性」というものを上手く表現できなかったことを後悔して、後にもう一度同じ題材で映画を撮り直したのではないだろうか。その作品というのが1954年の『近松物語』だ。この頃の溝口は乗りにのっていた。『西鶴一代女』、『雨月物語』、『山椒大夫』という傑作をヴェネチア国際映画賞に送りこみ、三年連続入賞させるという稀なことを成していた。『近松物語』は近松門左衛門の『大経師昔暦』を下敷きにした戯曲『おさん茂兵衛』の映画化である。ヒロインのおさんを演じているのは香川京子なのだが、これは非常に当たり役であり、この映画自体は谷崎の作品とは全く関係はないにもかかわらず、谷崎作品のヒロイン像を体現しているかのようである。
『近松物語』の時代設定は不義密通が極刑となっていた江戸時代。ヒロインのおさんは暦の販売を独占して富を築いていた大経師の御寮人である。卑しからぬ家の出ではあるが、家が零落してしまったために、大経師の元へ嫁に出されていた。しかし、大経師はおさんを遊ばせるだけ遊ばせておいて、自分は下女に手を出している。このあたりの境遇もお遊に似ている。そしてある手違いからおさんは手代の茂兵衛と不義密通の疑いをかけられてしまう。二人で逃避行をしているうちに、本当に通じ合ってしまう、というのが『近松物語』の大きな筋立てだ。
茂兵衛がかねてから抱いていた恋慕の思いを聞き、心中を嫌がるさまであったり、山中を逃避行するうちに、足をくじいてしまい、茂兵衛の肩を借りているという状況であるのに、一緒に過ごすことが出来て人生で一番楽しいと言ってしまう少しずれたところだったり、おさんの身を案じて一人出頭をしようとして姿を隠した茂兵衛のことを追いかけて叱責をするさまであったりと、香川京子の演じるおさんの行動すべてが雅でやんごとないのだが、そこには谷崎が描く女性像に通ずるものがある。身を隠していた茂兵衛におさんが縋り付くという場面があるのだが、そこで茂兵衛はおさんの怪我した足に接吻を繰り返す。そうしたところもなんだか谷崎らしい。そして『近松物語』で最も美しいシーンの一つに琵琶湖でおさんと茂兵衛が心中をしようとするというものがあるのだが、ここはなんだか『蘆刈』に描かれた山崎を思い出させる。
そういった感じで、なにかと『近松物語』に、僕は『蘆刈』と『お遊さま』の影をみてしまう。『近松物語』が『お遊さま』の作り直しだという考えは、繰り返すけれども僕の勝手な推測で、何の根拠もないのだけれども、とにかく『近松物語』はよい作品である。
http://ittaigennjitu.blog.fc2.com/blog-entry-31.html
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●『お遊さま』
田中絹代に似ていると家内がかつて職場の年配者に言われたことがあって、その頃から何とはなしに田中絹代の映画に関心を持った。京都文化博物館のフィルム・シアターで『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』を見てからは、溝口監督が田中絹代に惚れていたことを知り、なお興味が募った。
右京図書館で同作のDVDがあって、それを去年12月に借りて来てもう一度見た。そして以前このブログに書いた同作の感想で多少記憶違いを書いていることに気づいたが、それはそのままにしておく。同作のDVDを借りる2か月ほど前、新藤兼人が書いた『小説 田中絹代』を買って読み、溝口と田中の関係はよりいっそうわかった。新藤監督が『ある映画監督の生涯』を撮った最大の理由は溝口と田中の関係に関心があったからと言ってよい。
映画で新藤は田中にインタヴューし、溝口との関係をずばり質問している。それをさらりと交わす田中は見事で、さすが肝が据わっている。だが、新藤はやすやすと引き下がらない。溝口は田中のことが好きであったが、どうすれば振り向いてくれるかといったようなことを言っていたと田中にぶつけると、田中は溝口は面白みのない人物であったと素っ気ない。これは真実の思いだろうか。そのようにつれない田中であるのに、溝口が新作に取りかかり、自分が起用されるとなると、まるで喜び勇んでといった趣で京都の撮影所に行った。そしてインタヴューでは、溝口を男にするためには、すべてを投げ打ってもよいと思っていたと語る。これは溝口を大尊敬していたからだが、田中の語りっぷりは、惚れた男のためには命を投げ出すほどの覚悟を自分は持っていたといったように受け取れる。そのような田中の思いを溝口が感じ取り、そしてどうにか一緒になりたいと願っていたのではないだろうか。
溝口には発狂した妻がいたから、田中と結婚することは出来なかったかもしれないが、後に溝口はほかの女性と結婚するから、田中と一緒に暮らすことは可能であったろう。そうならなかったのは、田中にその気がなかったと考えるしかないが、ふたりが一度も抱き合ったことがなかったのだろうか。『ある映画監督の生涯』ではヴェネツィア映画祭に参加した田中と溝口のカラー写真が何枚か写り、それらは筆者には新婚旅行に見える。その旅行がふたりの間柄の最も親密な時であったと思えるほどだが、ほかにも日本の映画関係者が随行したので、一緒の部屋に泊まることは出来なかったのではないか。あるいは、映画人には暗黙の了解があって、ふたりは夫婦同然の関係を持ったかもしれない。だが、『ある映画監督の生涯』での田中のインタヴューを見る限り、ふたりはプラトニック・ラヴの関係で終わったと思える。そのためにも溝口は田中を頻繁に起用し、名作を撮ることが出来た。ふたりの間に緊張感が持続したからだ。これが肉体関係があると、田中に別な色気のようなものが出て、厳しい溝口が期待する演技をこなすことが出来なかったのではないか。
溝口は田中に惚れて、周囲の半ば反対のような思いをよそに田中を使い続けた。そのことを痛いほど知っている田中であったから、溝口の名を高めるためにどのような努力も惜しまないと腹をくくっていた。溝口はそういう田中が心強く、味気ない私的な生活の中で大きな潤いになっていたであろう。映画を撮ることしか生き甲斐がない状態で、田中の存在は大きな光であり続けたと思う。そのことは溝口の作品で田中がどういう配役となっているかを見ればわかるだろう。『雨月物語』はその一例だ。溝口田中のコンビの作品の有名どころはみんな見たいと思っているが、去年の秋に『お遊さま』のDVDを買った。「日本名作映画集26」とあって、全集の1枚のようだ。廉価なのでどうせなら全集全部を見たいが、他にどういう作品があるのかまだ調べていない。こういうシリーズこそ図書館に完備してほしいものだ。
『お遊さま』は谷崎潤一郎の原作で、小説では「芦刈」という題であったと思う。能の有名な演目で、同じ題名の小説は美術評論家の加藤一雄も書いている。これを読みたいと思いながら、古書は高価でまだ入手していない。また谷崎の原作はいつでも読めるが、これも未読だ。映画化した後か前か知らないが、溝口と田中は谷崎と会っている。谷崎がこの映画のことをどう思ったかはわからないが、小説は監督が違えば内容が違うから、どんな仕上がりであっても黙認したであろう。それに『お遊さま』は映画としては面白く仕上がっている。谷崎の原作とは違った箇所が多いといった評価は筆者はどうでもよい。違ってあたりまえだ。また、谷崎が監督を務めて撮っても、最高級のものが仕上がるはずがない。そう考えるならば、『お遊さま』は溝口が田中を主役に据えているのであるから、原作の望む限りの名作として差し支えない。1951年の撮影で、筆者が生まれた年だ。そう思って見ると、なおさら楽しい。京都が主に舞台となり、田中演じるお遊さまが暮らす大阪の船場、そして最後の方では伏見や東京が舞台になる。街並みは実に興味深いが、セットもあるだろう。たとえば、大阪の高麗橋の橋柱が映る。そこでお遊さまは眩暈を起こし、妹の見合い相手の男にたまたま見つけられて男の家に運ばれる。高麗橋付近は今ではビルだらけで、この映画のような江戸時代風のたたずまいが1951年頃にあったとはとても思えない。だが、お遊さまが暮らす大きな屋敷はセットではないし、今でも似た建物は同地区にわずかにあるので、51年は高麗橋がまだ木造であったのかと思いたくなる。
ともかく、全編が日本風で、洋風の建物は登場しない。主な登場人物はみな和服で、これは谷崎の好みを反映したのかもしれない。その前時代的な雰囲気が実によい。それを味わうだけでもこの映画を見る価値がある。ただし、白黒映像でしかもあまり鮮明でない。廉価なDVDであるからと思うが、最新の技術でもっと鮮明なものに蘇らないものか。また、カラーであればどれほど美しかったかと思わせられる場面が多い。キモノの色合いはもちろんだが、新緑や建物の内外など、せっかくの色合いは鑑賞者が想像しなくてはならない。
「お遊さま」と題名は主人公をうまく表現している。夫に死なれ、子どもをひとり抱えながら、夫の親の家で優雅に暮らしている。経済的には何の不自由もない。お遊さまには義理の妹がひとりある。お静という名前で、乙羽信子が演じる。結婚適齢期で、そのお見合いの場面から映画は始まる。京都の東山だろうか、林の中で慎之介がひとりで待っていると、花嫁が結わう文金高島田姿のお静が地味なキモノを着たお遊さまと、もうひとりおつきの女性に引率されてやって来る。慎之介は若いお静が見合い相手で思わねばならないのに、お遊さまに一目ぼれしてしまう。ここからがこの映画の悲劇の始まりだ。
お静は姉を慕っていて、姉のためならどんな苦労も耐えるという覚悟がある。ここは少し理解しにくいが、お遊さまがあまりに完璧な女性であるので、妹は自分を影がうすいと思っているのだろう。見合いは仲人の女性が企画したもので、慎之介は彼女からお静のことを訊かれて、あまり気乗りしない様子を見せる。すでにお遊さまが心に入っているのだ。慎之介は独立した骨董商で、仲人にお遊さまの家に商売で出入り出来ないかと相談する。ある日、お遊さまの琴の演奏会に慎之介と仲人は呼ばれて出かける。お遊さまの演奏する様子を見てふたりは驚く。香を焚き、燭台を 灯し、お遊さまは平安時代さながらの衣裳だ。田中は琴の演奏が多少出来たのだろうか。『小説 田中絹代』には楽器は演奏出来ないと書いてあったように思う。だが、本作での琴の爪弾きは見事に音楽と合っている。撮影部分だけは練習したのだろう。それにしても堂に入っている。こういうところに田中の風格が出ている。
それを言えば、本作は全編田中の魅力を見せるためだけに企画されたと言ってよく、よほど溝口が田中にぞっこんであったことがわかる。本作当時田中は42歳、乙羽は27、慎之介を演じる堀雄二は29で、慎之介が13歳年上のお遊さまに一目惚れするのは少々苦しい設定だが、そういう大人の女が好きな男もいる。実際、本作でのお遊さまは人生の甘いも辛いも知り尽くした貫禄が見え、一種妖艶さが漂っている。田中の大阪の船場言葉は実に見事で、それひとつ取っても今の女優は足元に及ばない。また、その理由もわからないだろう。
お遊さまは容易に慎之介に対しての思いを見せない。そのことを慎之介は痛いほど感じている。双方の微妙な感情を描き過ぎず、鑑賞者がいろいろと想像出来ることが、この映画を魅力あるものにしている。先に書いた高麗橋での場面は、慎之介がお遊さまの琴の演奏を聴いた後、仲人にお遊さまと一緒になりたいと本音を漏らしてからの出来事だ。お遊さまは慎之介の家を訪れるつもりが、橋のたもとで眩暈を起こして倒れかかった。それを慎之介が助け、自宅に運んで布団に寝かせたところ、慎之介はつい感情を抑え切れずにお遊さまの顔に触れんばかりになる。その瞬間慎之介はさっとその場を離れるが、その様子をお遊さまは感じ取り、慎之介が下を向いている様子を盗み見る。この場面はとてもぞくぞくさせる。お遊さまは慎之介に好意を持たれていることを悟ったはずだが、妹と結婚するように慎之介を諭す。そして、慎之介もお静もお遊さまの言いなりになって結婚する。
結婚式の場面で慎之介は「芦刈」を歌う。この能の演目の内容を知らなければ本作の意味はよくわからないだろう。映画の最後でも慎之介は「芦刈」を歌うが、「芦刈」の結末と本作の結末とは全くそぐわないから、映画の物語のその後はお遊さまと慎之介がともに暮らすことになることが想像出来る。だが、映画の最後では慎之介はお静との間に生まれた子を、育ててくれるようにと懇願の手紙とともにお遊さまに残して去るから、やはりふたりは生涯顔を見合わないと考えるしかない。
話が一気に進んだが、お遊さまは慎之介と畜生道の仲となっていると噂が立ったりしながらも、慎之介はお静と結婚する。そして東京に行って商売をするが、落ちぶれてしまう。その理由は描かれない。お静は夫の意中の女性がお遊さまであることを結婚前から知りながらも、慎之介と暮らし、やがて破れた障子の粗末な部屋で病気になって死ぬ。一方のお遊さまはお静の結婚前に子どもを病で呆気なく失くし、舅から再婚を薦められる。やがて伏見の造り酒屋の大金持ちと結婚したはいいが、飽きられて小椋池の近くの屋敷でひとり住まいとなり、また趣味の琴に生きる生活を続ける。慎之介は屋敷に赴き、そんなお遊さまの姿を遠くに見ながら、お静が生んだ子を置いて去る。その子を見つけたお遊さまは喜んで育てる決心をするところで映画は終わる。3人とも不幸と言えば言える。
慎之介が仲人にいみじくも言ったように、お遊さまは経済的に恵まれてはいるが、再婚せずに家の中で趣味三昧の生活を送ることが幸福であろうか。結局男よりも豪勢な暮らしを取った女と見る意見もあろうが、当時はお遊さまのような身の処し方は普通であったろう。慎之介が仲人にお遊さまを長年待った理想の女性だと言うと、仲人はお遊さまと暮らすには一緒に逃げなければならないと返す。そういう生き方をお遊さまが選択しなかったのは、妹の相手と思ったことと、また慎之介では頼りなかったのだろう。であるから、その後お遊さまは別の男に嫁ぐ。しかもまた金持ちだ。お遊さまにはお静が送ったような貧乏生活は似合わない。名前がそれを示している。また、慎之介としてはそうした手の届かない高嶺の花であるからお遊さまを慕い続けた。本作で描かれるような三角関係が実際にあるわけがないと思うのは勝手だが、慎之介の態度は谷崎の考えにあるものだ。また、筆者にもわかる。そういう理想の女を思い描き続けたいのは、女が穢れとは無縁であってほしいからだ。世の中には安っぽい女がいればその反対に生涯縁のないような立派な女がいるはずだ。そう思わない安っぽい男もいるが、谷崎はそうではなかった。そういう理想の女は手が届かないからよい。添い遂げられなくてもひとりの女を生涯愛し続ける男はいるし、それこそが男の純情と言おうか、生き甲斐になる場合もある。ちょうど溝口監督が田中絹代に抱いた感情もそれに似ていたのだろう。溝口田中のコンビがあっての本作で、筆者にはとても印象深い作品になった。
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脚本も酷いけど、田中絹代が不細工なオバサン顔でオーラが全く感じられないので、槙之助が単に気が小さく意志薄弱なマザコン・ダメ男にしか見えないんですね。
しかし、ヨーロッパの映画人は何故こんなどうしようもない駄作しか作れない溝口健二がそんなに好きなのかな?
日本の風景や街並みがエキゾチックで美の桃源郷だと錯覚してしまうのかも。
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