森田童子さん… https://img.atwikiimg.com/www35.atwiki.jp/presenile/attach/703/10/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E7%AB%A5%E5%AD%90%E3%81%95%E3%82%93%E2%80%A61-144.htm 1 名前:born115 投稿日:2006/10/15 22:00 >> 森田童子さん… 森田童子さんについて教えてください。
伊藤さんの「森田童子研究所掲示板」、tateokunさんの「森田童子が忘れません」、 KIMIさんの「森田童子ML」、犬のしっぽさんの「森田童子掲示板」、 東芝EMIの「森田童子オフィシャルサイト」。 思えば、童子さんの音楽に ついて語れる楽しい掲示板がいろいろありました…… 2 名前:born115 投稿日:2006/10/15 22:36 >>1 born115 急行津軽2号 「6時近くだろうか……」 急行津軽2号は、重たい車体をにぶくきしませながら、 50分ほども雪の中を立往生しながら、 いま新庄を越して、湯沢あたりを走っている(いた)。 私は、寝台車の2段ベッドの上で、 昨夜から、寝汗とひどい悪性の咳に悩まされ続け、 すっかり疲れはててしまっている(いた)。 と外(窓外)に広がる白一色に覆われた単調な雪景色が、 ふいに哀色(暗色)に閉ざされて、 列車はトンネルにはいった。 私は、(軽いめまいの中で、私は吐気しながら) 暗闇を走る列車に身をまかせて、 憂鬱な朝のはじまりを待っていた。 ============================================= ご存じの「海を見たいと思った」の“前語り”です。 童子さんの語りは、詞と同様、“進化”していくものが 結構あるので、この語りについてもずっと確信がもて なかったのですが、最近、最終的には上の通りで間違い ないと(自分の中で)結論づけました。 カッコ内は、mcSister77年4月号リレー随筆「夜汽車にて」に 掲載されたものです。 それから… 童子さんがこの詩を書いたのは77年1月末からの10日間の 東北ツアーのとき。 その後ずっと「海を見たいと思った」の“イントロ乗り前語り” として使った。 しばらくしてから(多分78年に入ってから?)この語りに SLと汽笛の効果音を入れるようになった。 (スクリーンに、映像も映し出したそうですね?) 不思議なのはカテドラル。 78年6月にも、汽笛入りのこの語りで「海を見たいと思った」を 唄ってます。 それが翌月のカテドラルでは語りではなくて「ドモン」の話。 何故なんでしょう??(ド…ピ…さん、ご存じでしょうか?) 3 名前:born115 投稿日:2006/10/16 22:12 >>1 born115 森田童子さんのポスターは @グッドバイ A同上(グッドバイより一年) B青春哀歌双六 Cマザー・スカイ D童子とシェパード Eセルロイドの少女(?) Fボーイ G森田童子全集(ル・ピリエ) H黒色テント劇場夜行 Iラスト・ワルツ J黒色テント劇場(赤字)(両国) K同上 (白字) L夜想曲 M狼少年 ====================================== 以上14枚ですべてだと思いますが… 他にもありますか? 年代順に並べたつもりですが、多少の前後はあるかも知れません。 タイトルは適当なものもあります。 @を持ってるひとはすごいなぁ。 Bは、童子さんらしいユニークな作品だと思います。 Dは、写真がポリドールやワーナーで一度も使用されなかった点 で人気があるみたいですね。 京都や名古屋でのコンサートで チケット用の写真として使われたことがあります。 Eは、童子さんが気に入らないのですぐ回収されたとか… 4 名前:born115 投稿日:2006/10/18 21:42 >>1 born115 MCで語られた森田童子エッセイ コンサートのMCとして語られたエッセイで、現在判明しているものの リストです。 【 】内はエッセイに続く“被誘導曲”です。 被誘導曲のアルバム収録順に並べてあります。 ( )内は活字で掲載された資料です。 この他にもまだ沢山あるはずなんですが… 教えてくださいませ! ============================================== 1. 教育大の先輩松本さんの話 【君は変わっちゃったネ】 (80年LP全集II:'78年7月29日東京カテドラル製マリア大聖堂にて、&93年CDア・ボーイ) 2. “さらば宇宙戦艦ヤマト”を見て泣いてしまった夫婦の話【君は変わっちゃったネ、海を見たいと思った】 (93年CD東京カテドラル:'80年6月池袋・文芸坐ル・ピリエ) 3. 亀井くんと市川のアキラくんの話【センチメンタル通り】 4. 弟と二引き鳩の話【たんごの節句】 5. 別れた女の髪の毛をみつけた男のひとの話【驟雨】 6. 沖縄のコンサート屋さんシモンさんの話【ぼくたちの失敗】 7. 久慈高校の前川先生など、地方で出会ういろいろな人々の話【ぼくたちの失敗】 8. 観光バスに乗って時間をつぶした話【ぼくと観光バスに乗ってみませんか】 9. 丸昆レコードの昆さんと鈴木くんの話【ぼくと観光バスに乗ってみませんか】 (93年CD狼少年:'81年12月国鉄両国駅西口構内黒色テントBねじ式) 10. 富良野の斉藤さんの話【ぼくと観光バスに乗ってみませんか】 (83年朝日新聞:たった一人の主催者) 11. 鳩小屋の前でひとり遊ぶ10歳の少年の話【伝書鳩】 12. 自殺に憧れていた男が郵便局員になってしまった話【逆光線】 13. カストロ帽のドモンの話【海を見たいと思った、蒼き夜は】 14. 早川義夫さんの話【海を見たいと思った、ぼくを見かけませんでしたか】 15. 大きなオートバイと赤いダウンパーカーの佐伯くんの話【蒼き夜は】 16. 医大志望で4浪してしまった吉田くんの話【ぼくを見かけませんでしたか】 17. サーカスの団員イワサくんの話【セルロイドの少女】 18. 沖縄のロックバンド紫の話【赤いダウンパーカーぼくのともだち】 (81年新譜ジャーナル:沖縄の熱い砂たちへ) 19. 写真家ダイアン・アーバスの話【ラスト・ワルツ】 20. U少年の話【ぼくは16角形】 (83年朝日新聞:少年U、&83年狼少年創刊準備号、&93年CDラスト・ワルツ) 21. ネコヤマ親分の話【サナトリウム】 22. マチバリの名人島村くんの話【憂鬱デス】 ------------------ 以下は誘導曲不明です。 X1. 青森タカムラレコードの山ちゃんの話 (80年LP全集I:77年4月1日金沢北国講堂80年、&93年CDグッドバイ) X2. 秋田明大が逮捕された大雪の日の話 (80年LP全集I:78年12月7日京都会館にて) X3. 俳人尾崎放哉の話 (80年LP全集II:76年10月10日筑波大学17号棟105号、&93年CDマザースカイ) X4. 春の雨 (83年朝日新聞) X5. 大酒飲みの順平さん (83年朝日新聞) X6. 天井桟敷の人々 (83年朝日新聞、&83年狼少年創刊準備号) X7. ほおが火照っていた (83年朝日新聞、&83年狼少年創刊準備号、&93年CD夜想曲) X8. 大声のT君のこと (83年朝日新聞) X9. 時代屋の気分 (83年朝日新聞) X10. 野戦の好きな軍曹たち (83年朝日新聞) X11. さわやかな笑い (83年朝日新聞) Acknowledgments: Deepest thanks must go to kansukeさん、k_1920さん !!
5 名前:kosumosumirengeso 投稿日:2006/10/19 1:03 >> み〜つけた! いつのまにかこんなところに森田童子のトピが立っていました〜! 今日はもう遅いのでとりあえずご挨拶だけ。 また、遊びに来ます。 これからもどうぞよろしくです。 6 名前:nonko551jp 投稿日:2006/10/19 21:30 >>4 born115 み〜つけた!その2 秋田明大が逮捕された話は、ラジオの中でも 印象深いと言っていましたね。 それにしても、ここに登場する人たちって ほとんどが一般人だったりするのに ある意味とても有名になってしまった。 童子の印象に残った人たち… うらやましいな〜なんて思います(笑)。 エッセーを見ても、個々のつながりを大事に してきたことがよくわかりますね。 kosumosumirengeso さん、HNは ♪コスモス スミレ レンゲソウ〜♪ からですね。 歌詞もこの部分だけが“しりとり”のように なってて面白いですよね! 意識してなのか、たまたまなのか‥ そこに着目するなんて、センスいいなぁって思いました。 7 名前:ymato_kt 投稿日:2006/10/19 22:02 >>1 born115 Re: 森田童子さん… born115さん 新トビ開設の日時に感動しました。 10月15日22時00分 (10・15・10)15日う〜〜ん凄い。 本題とは、関係ない話題でしたね(汗) 童子さんの話題について行けるように努力します。 8 名前:ki_la_la_k 投稿日:2006/10/20 2:52 >>1 born115 Re: 森田童子さん… born115さん トピ開設おめでとうございます 「森田童子が忘れません」でお世話になりました『きらら☆』です。 kosumosumirengesoさん。のんこさん。 ご無沙汰しております☆ またお会いできてうれしいです^^ 私の「森田童子ノオト」も復活です☆ これからもどうぞよろしくお願いします^^♪ 9 名前:born115 投稿日:2006/10/20 20:49 >>8 ki_la_la_k おへんじです 書き込みありがとうございます! しっかり、刺激をいただきました。 kosumosumirengesoさん! 壁いっぱいに、童子さんのポスターやチラシを飾って、 スクリーンに童子さんのスライドを映しだし、 美味しいコーヒーを飲みながら、 童子さんの曲を聴く、 そんなフィルムコンサートをいつか実現させましょうネ! nonko551jpさん 「78年12月7日京都会館にて」ですね。 このMCだと童子さんが唄う曲はなんでしょうか? いつか教えていただいた「死ぬことやめて 帰りきたり」が 出てくる詩、啄木でしたっけ、寺山修司でしたっけ、 もしよかったら詳しく教えてくださいませんか。 それと“畳”の話もありましたよね? ymato_ktさん お気づきになりましたか! さすがですね! 10・15は意識しましたが、時刻は偶然なんです(^_^;) え?ついて行けるように? 何を謙遜されてるんですか! いつもこちらはタジタジですよ。 ところで、コミュニティー・ブレーンはシモンさんと いう方だったようです。この人、すごいなぁ。 一週間で5日間も童子さんのコンサートを実現させてる! ki_la_la_kさん 別におめでたいことではないんですが、ここは 2週間くらい書き込みしなくても消えないみたい です。 ですから、無理やり“アゲ”る必要は ない。話がつきたらそれまで! いさぎよく落ちたい ものです。 とりあえず半年ぐらいは! 10 名前:born115 投稿日:2006/10/21 18:24 >>1 born115 今日はレコードデビュー記念日です 75年の今日10月21日、シングル 『さよなら ぼくの ともだち / まぶしい夏』 が発売されました。 童子さん、23歳。 全国のレコード店に初めて童子さんのレコードが並んだ 記念すべき日です。(心の中でだけど、おめでとう!) ラジオで発売に先がけて流れたはずだから、この日を 待ってレコード店に駆けつけた人もいたでしょうね。 「さよなら ぼくの ともだち」だけの片面アセテート 盤もありました。放送局用の見本盤が間に合わなかった ということでしょうか。 月刊誌ガッツの12月号に、デビューシングルの広告を ページ全面で単独掲載してます。 これには 『LP録音完了:11月21日発売』 と、アルバム発売も予告。 (でも、本が出てるころには、LPはもう発売されてるん ですよね) ポリドールで童子さんの当時の担当は、宣伝課の市川さん という人…。 童子さんのコメント。 「私の歌は、未来への予感を含んだもの。それでいて、 私の歌は生活の実感から出てきたものなんです。 …(原ママ)レコードだって私は出したくって出したん じゃない。私はいま歌えるだけでいいんです」 (12月の週刊プレイボーイより) 11 名前:kosumosumirengeso 投稿日:2006/10/21 18:31 >>9 born115 Re: おへんじです born115さん あぁ、是非是非〜! フイルムコンサート、その夢の日を楽しみにしていますよ〜。 何故、ジャパニーズポップス>全般 なのかと思っていたら 2週間くらい書き込みしなくても消えないみたい・・そういうことなのですね。 nonko551jpさん HNってけっこう悩むんですよね〜。他で使われている事も多くって。 Cosmosかな〜とは迷ったんですけど・・・。 なんとなく好きなフレーズだし、実は気に入ってるんです。 えへへ、褒めてもらってちょっとうれしい。 ありがとう〜です。 そうですね。童子の語りにでてくる普通の人たち。 童子と心ふれあうことが出来た人たち。 その一人一人がこちらにもじわ〜っと伝わって忘れられない人になる。 そこが童子の魅力のひとつでもあります。すごいなぁ。 こんなに沢山いるんですね。 それを書き出してくれたbornさんもやっぱりすごいです。 ymato_kt さん あ〜、私は日付に気がつきませんでした〜! born115さんの書き込みにはいつも何か遊び(?)が隠れていて しまった〜!気がつかなかった(≧▽≦)ということもしばしばです。 そしてわたしはちょっとがっかりするんです。 bornさんがもっとがっかりしただろうな〜って。 ki_la_la_kさん☆ ご無沙汰してました〜! こちらでも楽しみにしています。よろしくお願い致します。 12 名前:nonko551jp 投稿日:2006/10/23 19:21 >>9 born115 Re: おへんじです bornさん、 使われるとしたら何の曲なのか。 そんな風に想像するのも楽しいですね! 秋田明大のは、『球根栽培の唄』もチラッとよぎったんですが、 キーワードは「雪」なのでイメージとしては 『蒸留反応』がピッタリとくるんですが… いかがでしょうか? 「死ぬこと やめて 帰りきたり」
大といふ字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来れり 啄木のうたです。
といっても、たまたま寺山修司の歌集を読み返した中で 発見しました。 “畳”の話は ラジオ、消しゴム、万年筆… を聞くとき、なぜだか「いつか 畳に うつ俯して」 というイメージが重なってしまうんです。 『憂鬱デス』にも同じ語りが使われたというところで 偶然なのか「畳にうつぶしては‥」というフレーズがかぶってて、 ちょっと面白いなぁ‥と。 ymato_ktさん、 よく気付かれましたね〜。ほんとスゴイです。 最後の時刻は童子さんのレコードデビューの発売月 ということですね? bornさんの書き込みで、ようやく気付きました。 まだまだですね〜^^;
ki_la_la_kさん、 お久しぶりです。 どんな話が出てくるのか楽しみですね♪ わたしもしっかり勉強させてもらわなくっちゃ! kosumosumirengesoさん、 >その一人一人がこちらにもじわ〜っと伝わって 忘れられない人になる。 そうですよね。 童子さんの心の中にも、そしてわたしたちの心の中にも!ですね。 わたしの中では、「富良野」と言えば「斉藤さん」なんです(笑)。 13 名前:born115 投稿日:2006/10/24 22:19 >>12 nonko551jp 78年12月7日京都会館にて のんこさん、こんばんは! そうですね、イメージとしては確かに『蒸留反応』や 『球根栽培の唄』… でも、両方ともほとんどありえないと思うんですよ。 78年のこの頃は、“カテドラル発売記念”ツアーをしてた 時期ですね。 だから「蒸留反応」はまだできてないし、 「球根栽培の唄」も地方のコンサートではたぶん唄わな かったと思うんです。 このエッセイの最後、 「私は、あの8年前の冬の日の朝の驚きを、 今も鮮明に覚えています。 美しい雪の朝は、時には人と時代をも 変幻させてしまうものなのかもしれません。」 これから推測すると、 「友よ泣かないのか」、「ぼくたちの失敗」、「君は変わっちゃったネ」 あたりかなぁ… ところで、あの“東京に大雪が降った日”は70年でしたっけ? 童子さんの言葉を借りると↓ですが。 「私は八年前、高校生だった頃に」(78年12月7日京都会館) 「たぶん15、6年前、高校時代に」(83年2月20日NHKFM) 14 名前:born115 投稿日:2006/10/26 22:25 >>12 nonko551jp 七五調・淋しい素描 > 大といふ字を百あまり > 砂に書き > 死ぬことをやめて帰り来れり > 啄木のうたです。 nonko551jp さん、ありがとうございます。 なるほど… 読書家の童子さんのことですから、本で読んで 心に焼きついたフレーズが、この曲のあちこちに ちりばめられているのかもしれませんね、 何か そんな気がしてきました。 ・浅き夢見し 酔(ゑ)ひもせず (いろは歌) ・せきをしても ひとり (放哉) ・死ぬことをやめて 帰り来れり (啄木) この他にもありそうな、そんな気が… 15 名前:born115 投稿日:2006/10/26 22:43 >>12 nonko551jp 淋しい素描〜憂鬱デス この2曲がつながるとは、思ってもみませんでした! 確かに、両方とも “畳にうつぶして” だし、 “ラジオ、消しゴム、万年筆…” の語りも、「淋しい素描」 と「憂鬱デス」に使った…。 もう一つ、両方とも “猫” が出てきますネ! 16 名前:k_1920 投稿日:2006/10/26 23:18 >>4 born115 Re: MCで語られた森田童子エッセイ born115さん!お久しぶりです >Deepest thanks must go to kansukeさん、k_1920さん !! こちらこそ、大変感謝しております。 コンサートで語られたエッセイ・今後出てくるといいですね。 born115さんに刺激されて、当時の資料を調べてましたら ある地方の新聞記事に「森田童子リサイタル」 の案内記事が載ってました。 しかしその記事の内容には下記の誤りが ※「森田童子初リサイタル」と書かれてましたが すでに2度もホールでのリサイタルを開催してた。 ※「ラジオのリクエストbP曲(さよならボクの友達)」 改めて書くまでも無い、曲名の文字の間違いですが。 この新聞は当時その地方では、購読者数一番の新聞だったのですが 間違いに気づかなかった、記事を書いた記者は勿論の事 この内容に気が付かなかった(多分)ファンも 童子さんに大変失礼な、とんでもない記事を 書いてしまってたものですね。トホホ・・古いフレーズでしたね(笑) born115さん、こんな間違いて結構有ることでしょうか? でも、たくさん有っても困りますが。 75年10月21日レコードデビュー、、丁度この季節ですね うぅ〜感無量。当時その日その時何をしてたのだろうか? また時々お邪魔します。 17 名前:born115 投稿日:2006/10/27 22:49 >>16 k_1920 Re: k_1920さん k_1920さん、お久しぶりです! 童子さんのエッセイ、k_1920さんも当時からずいぶん注目されてた のでしょう! コンサート会場で耳を凝らして聞き入っておられる お姿が目に浮かびます(微笑み)。 童子さんのエッセイは、次の曲への伏線というか、状況づくりの ために語られていて、曲そのものに負けないほど重要な意味を持つ と思うんです。 ですから、できるかぎり記録として残したい…そう いう気持ちなんです。 k_1920さん、童子さん自身がこういったエッセイを、何かに書き 綴って手元に残してくれてると思われますか? 当時、童子さんは 空で話してたんでしょう? そしたらメモみたいなものは残ってない んでしょうねぇ。 メモ書きがあったとしても“捨てるためのグラフィティ”だったかも しれないし。 “エッセイ”と呼んでしまいましたが、何かもっと良い言い方はない でしょうか? “語り”と区別するための何か手ごろな言葉。 私は今まで“曲前の話”と呼んでたんですが…。 > 童子さんに大変失礼な、とんでもない記事を > 書いてしまってたものですね。 さすがに、童子さんを思いやるk_1920さんらしいお言葉です!(笑い) 「森田童子初リサイタル」の方は何かの勘違いからでしょうか。 東京カテドラルのときの、FM東京の番組のタイトルが、確か「初めて のライブに」でしたね。 まあこれは、“初めてのライブ盤”という意味 だったのでしょうが。 「ラジオのリクエストbP曲(さよならボクの友達)」の方ですが、 一般紙ならしょうがないですかね。 私も一、二度見た記憶があります。 それと、片面のアセテート盤で、手書きですが“さよなら僕の友達”と 書かれたのもありました。 音楽雑誌での間違いは、さすがに無かった と思います。 18 名前:nonko551jp 投稿日:2006/10/28 22:05 >>13 born115 Re: 78年12月7日京都会館にて >78年のこの頃は、“カテドラル発売記念”ツアーをしてた 時期ですね。 だから「蒸留反応」はまだできてないし イメージだけをふくらませて 想像してしまいました〜。 「友よ泣かないのか」雰囲気ありますね。。 >ところで、あの“東京に大雪が降った日”は70年でしたっけ?
「私は、あの8年前の冬の日の朝の驚きを、 今も鮮明に覚えています。」 調べてみたら、秋田明大が 逮捕されたのは1969年3月12日だったんですね。 >「私は八年前、高校生だった頃に」(78年12月7日京都会館) 「たぶん15、6年前、高校時代に」(83年2月20日NHKFM) 微妙に前後してますね。 19 名前:nonko551jp 投稿日:2006/10/28 22:10 >>15 born115 Re: 淋しい素描〜憂鬱デス >もう一つ、両方とも “猫” が出てきますネ! そういえば! 童子さんの唄の中には部屋の中の情景がよく出てきますが、 やっぱり“畳”部屋のイメージが強いです(笑)。 殺風景な感じでちゃぶ台か簡素な机の上に 一輪差しの花がひっそり置かれてあって… 片隅にいつも猫がいる…そんなカンジです。 k_1920さん、お久しぶりです。 貴重なお話、伺えるのを楽しみにしています。 20 名前:born115 投稿日:2006/10/28 23:19 >>1 born115 森田童子の語り・その1 曲のどこで語られたかにしたがって、前語り、中語り、後語りに 分類してあります。 公になったものはカッコ内に記しました。 あらためてこうしてながめてみると、グッドバイの全曲に語りが つけられたということですね。 でも、このうち2曲だけは 前語りを聞いたことがありません。 とくに「地平線」は、 効果音で始まるか、でなかったら、いきなり “ちへいせんの〜” のボーカルで始まったと思いますから、前語りはきっと無かった のでしょうね。 ========================================== G1 早春にて 《黒いトックリのセーターと交換した…》 (中語り)(75LPグッドバイ) G2 君は変わっちゃったネ 『あれは金曜日あれは冬の日の午後…』 (前語り) 『仲間が何人も申し合わせたように…』 (前語り) 《あの頃井の頭線の線路ぞいのアパートに…》 (中語り)(78LP東京カテドラル) G3 まぶしい夏 『夏休みのとても暑い日でした…』 (前語り)(81LP友への手紙) 『汗をかいて眠っていました…』 (前語り)(76捨てるためのグラフィティ) G4 雨のクロール 『雨の降る川の中に女の子は…』 (前語り) 『絵はがきのようなベニスの海…』 (イントロ乗り前語り)(76捨てるためのグラフィティ) G5 地平線 《ぬけるように青い六月の… ;燃えるように赤い九月の…》 (中語り)(78LP東京カテドラル) G6 センチメンタル通り 『センチメンタル通りの夜は更けて…』 (前語り) 『ぼくが愛してしまったともだち…』 (前語り) G7 淋しい雲 『TシャツにGパン姿のとても仲のよさそうな…』 ((イントロ乗り)前語り) 『あの頃ぼくたちは決して不幸ではなかった…』 (前語り) G8 たんごの節句 『幼いお前のひとしずくの涙の裏側に…』 (前語り) G9 驟雨(にわか雨) 『ゆううつな冬の風は重たい雲を散らして…』 (イントロ乗り前語り)(76捨てるためのグラフィティ) G10 さよなら ぼくの ともだち 『君とぼくは同じシ線で結ばれた友だちという…』 (前語り)(78LP東京カテドラル) 『中央線の電車で阿佐ヶ谷付近を通ると…』 (前語り) 『ぼくが愛してしまったともだち…』 (前語り) 『自分の意志で何かをやるということを、私たちは…』 (前語り) ================================================= 21 名前:born115 投稿日:2006/10/29 18:03 >>19 nonko551jp Re: nonko551jpさん > 調べてみたら、秋田明大が逮捕されたのは > 1969年3月12日だったんですね。 ありがとうございます! やはり1969年ですよね。 3月12日でしたか… あの日のことは私も覚えています。 それにしても「8年前」とは、いかにも童子さんらしくて いいですよね! 当時は、童子さん、高校2年生ですか… > イメージだけをふくらませて想像してしまい > ました〜。 その、イメージがふくらんだところでお尋ねしたかったん ですよ。(笑) 「友よ泣かないのか」は直接的すぎませんか? 「今日は奇蹟の朝です」もありえますか? やはり「ぼくたちの失敗」かな? >“畳”部屋、ちゃぶ台か簡素な机、一輪差し、 中央線沿いにあった昔のアパートのイメージですよね? 22 名前:born115 投稿日:2006/10/29 18:17 >>1 born115 森田童子の語り・その2 マザースカイになると、語りを入れた曲は、いっきに減っています。 わずか4曲! 「ニューヨークからの手紙」と「今日は奇蹟の朝です」については まだ不明ですが、4曲とは少ないですね。 マザースカイはグッドバイに比べて、語りを入れるようなイメージの 曲が少ないってことでしょうか…。 LPに元々入ってる語りは、グッドバイはたったの1曲、マザースカイ で2曲。 このあたりはアレンジャーの感覚の相違なんでしょうね。 東京カテドラルで初めて、童子さん自身のアレンジによるアルバムが 実現するわけですが、石川さんもすばらしいけど、童子さんのアレンジに よるグッドバイとかマザースカイのアルバムも見てみたかったですよネ。 ========================================================== M1 ぼくたちの失敗 『仲間が何人も申し合わせたように規則正しく…』 ((イントロ乗り)前語り)(81LP友への手紙) 『かつて学生運動家、若い芸術家たちで…』 (イントロ乗り前語り)(76捨てるためのグラフィティ) M2 ぼくと観光バスに乗ってみませんか 《ぼくの小さな海辺の観光地にもうすぐ冬がきます…》 (中語り)(76LPマザースカイ) M4 逆光線 『夏休みのとても暑い日でした…』 (前語り) 『愚かな日々の退屈に、たばこの火で…』 (前語り) M6 海を見たいと思った 『6時近くだろうか、急行津軽2号は…』 (イントロ乗り前語り)(77mcSister) 《行く先のない旅の果てにひとり砂浜にねそべって…》 (中語り)(76LPマザースカイ) ========================================================== 23 名前:born115 投稿日:2006/10/29 22:40 >>1 born115 武川雅寛さん 「夜想曲」のとき、弦楽器(バイオリン?)で童子さんを サポートしたひと。 さっき、つま恋2006を見てたら、アンコールの「神田川」 のときに出てましたね。 NHKhで放送したときには気が つきませんでした。 24 名前:k_1920 投稿日:2006/10/29 23:11 >>17 born115 Re: k_1920さん born115さん楽しませて頂いてます。 貴重なお答えありがとうございました。 >童子さんのアレンジ・・・アルバムも見てみたかったですよネ。 同感ですね!想像するだけでもワクワクします。 >書き綴って手元に残してくれてると思われますか? >当時、童子さんは空で話してたんでしょう? そうですね、確かに空で話されてた記憶がありますね そうすると、残して無いのかも知れませんね。 >できるかぎり記録として残したい…そういう気持ちなんです。 記録しなければ残りませんし、大変重要なことですね! born115さんそのお気持ちに賛同します。 それにしても、やられてる作業には頭が下がります。 スゴイです!一枚でも多くの記録が残せるといいですね。 >“エッセイ”と呼んでますが、何かもっと良い言い方はない う〜ん難しいですね・・叙情詩?モノローグ? born115さん私の頭では、考えれないようです(笑) 「文芸坐ル・ピリエ」のコンサートで “逆光線”のMCで語った「ダイアン・アーバス」の 話がとても印象的で心に残ってます。 童子さんの語るエッセイには、唄と共にそのエッセイから出てくる ひふ感とか息ずかい?みたいなものを感じ取れることが出来る のかも知れませんね、だからとても大切なものなんですよね。 まるで、芝居を見てるかのように・・て思ったりするのですが。 意味不明な内容ですね(苦笑) nonko551jpさん こちらも、楽しみにしてます! 25 名前:born115 投稿日:2006/10/30 23:32 >>24 k_1920 Re: k_1920さん k_1920さん、こんばんは! ダイアン・アーバスの話は逆光線で…、これ忘れてました(^_^;)。 それと、パブロ・カザルスの話(ぼくたちの失敗)もあったんで すよね? 「叙情詩?モノローグ?」と言われて思い出したんですが、 狼に育てられた少女アマルとカマルの話もありましたよねぇ。 それから、松本さんの話とドモンの話の“被誘導曲”は、 ?マークを入れるべきですよね。 カテドラルのレコードは けっこう編集されてるから、実際は違ったかもしれないし。 > 童子さんの語るエッセイには、唄と共にそのエッセイから > 出てくるひふ感とか息ずかい?みたいなものを感じ取れる それ! それですね、ひふ感と息遣い! しびれます(笑)。 26 名前:nonko551jp 投稿日:2006/11/ 2 0:58 >>21 born115 Re:bornさん こんばんは。 >その、イメージがふくらんだところでお尋ねしたかったん ですよ。(笑) イメージを膨らませすぎて、破裂してしまったようです〜(笑)。 だんだんとわからなくなってきました〜。 >「今日は奇蹟の朝です」もありえますか? 想像もしませんでした! 神秘的な詩ですよね。 「グリーン大佐答えて下さい」もそうですが、 “平和への祈り”みたいなものがこめられているような…。 >中央線沿いにあった昔のアパートのイメージですよね? ときわ荘ですね! といいながら中央線…よく知らないんです。 昔の古き良き時代‥憧れます。 27 名前:born115 投稿日:2006/11/ 6 22:10 >>22 born115 森田童子の語り・その3 ア・ボーイでも語りを入れた曲は5曲と、少ないです。 ここでは、童子さんの新しい手法が見られますよね。 後語り! こういうの、今まで私は聞いたことがなかったです。 「中央線の阿佐ヶ谷駅を降りて…」 は、東京でのコンサートでは 「阿佐ヶ谷駅を降りて…」 となっていたようです。 つまり、“中央線”は言わずもがなということだったのでしょう。 バックは、友への手紙では 「終曲のために第3番」 ですが、 コンサートではピアノ演奏だったようです。 ===================================================================== A1 蒼き夜は 『(中央線の)阿佐ヶ谷駅を降りて小さな店が並ぶ…』 ((イントロ乗り)前語り)(81LP友への手紙) A3 ふるえているネ 【ぼくが愛したともだちのそして模型飛行機の…】 (後語り) A4 ぼくを見かけませんでしたか 『風に一面にひろがる麦畑が波のようにうねって…』 (前語り) 《風に一面にひろがる麦畑が波のようにうねって…》 (中語り)(77LPア・ボーイ) A6 淋しい素描 【ラジオ、消しゴム、万年筆、新聞、…】 (後語り)(81LP友への手紙) A9 終曲のために第3番「友への手紙」 《ぼくが愛したともだちのそして模型飛行機の…》 (中語り)(77LPア・ボーイ) T6 友よ泣かないのか 『(友よ)ぼくたちは輝く陽射しを目ざすべきでは…』 (前語り=タイトル?)
T10 風さわぐ原地の中に 《俺とお前は幼なじみのようにいつもふたりだった…》 (中語り)(78LP東京カテドラル) ===================================================================== 28 名前:k_1920 投稿日:2006/11/11 0:00 >>27 born115 今日は・・ 24年前の今日は「夜想曲」の発売日だったのですね! このアルバムは、今までにない新鮮さで良く覚えてます。 29 名前:k_1920 投稿日:2006/11/11 0:24 >>28 k_1920 Re: 今日は・・ ありゃ・・先程の書き込み10日中に書いたつもりですが1秒?遅かった(笑) born115さん「語り」の内容は、凄く興味深く楽しいですね。 「早春にてと地平線」に、前語りがないのはイメージ?と して納得する気がしますが・・難しいな〜 30 名前:born115 投稿日:2006/11/11 20:36 >>28 k_1920 Re: 今日は・・ 11/11 0:00の投稿! きれいに数字がそろっていてびっくりしました!(笑) > 24年前の今日は「夜想曲」の発売日だったのですね! すっかり忘れていましたよ。 夜想曲、発売日は11月10日だったんですね。 同じ11月でも、ラスト・ワルツが20日で、狼少年が30日、ワーナーの アルバム発売日はマチマチだったんですねぇ。 今まであまり意識してなかったですよ! ところで、夜想曲は発売記念のコンサートがなかったという、以前からの k_1920 さんのご指摘、今はどのように捉えていらっしゃいますか? S 村さんがインドに渡ってしまったことも大きな要因だったんでしょうねぇ… 23日(火)に一応、ロフトで「夜想曲」発売記念のライブが催されてはいます けど… 当時の思い出話など、もしありましたら、お願いしま〜す。 31 名前:k_1920 投稿日:2006/11/14 0:28 >>30 born115 「夜想曲」発売記念コンサート >きれいに数字がそろっていてびっくりしました! born115さん視点が違ったようですね〜(笑) 数字ですか・・言われて初めて気がついたしだいです。 >今はどのように捉えていらっしゃいますか? また〜難しい質問をされますね。 「夜想曲」が発売された年は、コンサートの少ない年でしたよね。 ここらで?“ひと休み”をされたのかも知れませんね? >当時の思い出話などもし、ありましたら そうですね〜ロフトでの「夜想曲」発売記念のライブ このライブは、その当時・・ロフト始まって以来の?伝説になるライブでは?!と、思うほどの凄い人の数でした。満員のため客席の椅子は取り払われ 直接床に座って聴くことになり、身動きが取れないくらい すごくて、童子さんの唄の心地良さと酸欠状態とで気が遠くなりながら(笑) 聴き入ってました。ステージの周りにも人で一杯でした。 (それだけに!当時我々は童子さんのライブを待ってたのですネ) ロフトの床で座ってライブを聴くという事がなかったモノで したから、忘れられないライブになりました。 「夜想曲」のアルバムには、そんな思い出があります。 いい時代でした。。 32 名前:born115 投稿日:2006/11/18 22:27 >>31 k_1920 Re: 「夜想曲」発売記念コンサート k_1920さん、ありがとうございます! > 満員のため客席の椅子は取り払われ 直接床に座って聴くことになり、 > 身動きが取れないくらいすごくて、 床に直接座らせるとは、ロフトさんもずいぶん思い切ったことをさせた ものですね(笑い)。 ロフトは、(童子さんによると)50人ぐらいで いっぱいになるそうですが、何人ぐらいが入ったんでしょう? 折りたたみ椅子ですよね? 椅子が50ぐらいあったという話なのかなぁ… ロフトも、ルイードなんかと同じように、ステージの反対側にバーとかが あって、椅子の列とバーの間が立ち見用のスペースになってるんでしょ? じゃあ200人ぐらい入れますよね? で、こんなことがあったので、12月にもういちど発売記念コンサート (パート2)を開催したのかもしれませんね。 童子さんの話: 私は東京では、ライブハウスといって50人ぐらい 入るといっぱいになってしまうような小さな店で、月に1、2度唄った りしています。 東京へ出て来ることがあったら聴きに来てください。 33 名前:born115 投稿日:2006/11/19 18:12 >>27 born115 森田童子の語り・その4 「赤いダウンパーカーぼくのともだち」の中語りは注目しています。 「ラストワルツ」の前語りはすっごく素敵ですね。 森田童子の世界!、 というより、森田童子の哲学! みたいなものでしょうか… ===================================================================== L1 赤いダウンパーカーぼくのともだち 《弱虫で静かな君をぼくはとっても好きだった…》 (中語り)(80LPラストワルツ) 《あの頃ぼくたちは決して不幸ではなかった…》 (中語り)
L2 菜の花あかり 『夜のなかを夜に溶けて夜を横切って…』 (前語り)(81LP友への手紙) 【夜のなかを夜に溶けて夜を横切って…】 (後語り) L3 海が死んでもいいョって鳴いている 《ぼくの声に驚いて目を覚ましました…》 (中語り)(80LPラストワルツ) L6 きれいに咲いた 《暗闇の中に写しだされた夏休みの幻燈会のように…》 (中語り)(80LPラストワルツ) 『夜空に花火みたいに君とぼくきれいに咲いた』 (前語り=タイトル?) L8 ラスト・ワルツ 『自分の意思で何かをやるということを私たちは…』 (前語り) 『失われていくひとときはとても美しく思われます…』 (前語り) Y5 サナトリウム 【朝方ぼくはよく同じ夢を見ますその夢は…】 (後語り) (LP収録前のバージョン) 【結核前夜のようにぼくはよく同じ夢を見ます…】 (後語り)(82LP夜想曲)
Y6 船がくるぞ 《ああなんて明るいんだ!… ;ああなんて暗いんだ!…》 (中語り)(82LP夜想曲) Y7 孤立無援の唄 【葉書きありがとう君といた時間が長過ぎたのかも…】 (後語り)(82LP夜想曲) O4 151680時間の夢 【ぼくは昨日の続きの夢を見るそしてまた…】 (後語り)(83LP狼少年)
O5 球根栽培の唄(ときわ荘にて録音) 《淋しいページの音をめくり長い思想のむなしさを読む…》 (中語り)(83LP狼少年) 『60年代に、空き缶を利用して誰でも作ることができる…』 (前語り) 【淋しいページの音をめくり長い思想のむなしさを読む…】 (後語り) O7 憂鬱デス 《淋しき夕辺に郷里からの小包を開きひとりサクサクと…》 (中語り)(83LP狼少年) 『ラジオ、消しゴム、万年筆、新聞、…』 (イントロ乗り前語り) ===================================================================== 34 名前:nonko551jp 投稿日:2006/11/20 18:50 >>33 born115 「ラストワルツ」の前語り >『失われていくひとときはとても美しく思われます…』 いちばん好きな語りなんですよ。 そうですね!哲学といってしまってもいいくらい‥ 究極の語りではないでしょうか。
童子さんを理解するうえで、とても重要な意味を持つ言葉 のようにも思います。 言い過ぎだったら、とめて下さい(笑)。 35 名前:born115 投稿日:2006/11/21 20:38 >>34 nonko551jp Re: 「ラストワルツ」の前語り 『…今ぼくはすべてが遠くみえます』 > 言い過ぎだったら、とめて下さい(笑)。 いえ、止めません(笑)。 童子さんの実感としてできた詩なのかもしれない、そんな風に私にも 思えてしまいます。 それに、この詩は、そのまま今の私にあてはまってしまうんですよね(笑)。 36 名前:born115 投稿日:2006/11/21 20:48 >>10 born115 今日はアルバムデビュー記念日です 31年前の今日11月21日、グッド・バイが発売されました。 シングル発売からちょうどひと月なんですが、ひと月って 意外と長いですね。 童子さんのこのひと月はいかばかり だったか… アルバムを聴いて「アグネス・チャンみたい」と評した 有名な評論家さんがいましたが、どのあたりが似てると 思ったのでしょう。 何年かかっても、こればかりは 理解できないんですよ(笑い)。 37 名前:k_1920 投稿日:2006/11/28 23:55 >> 「夜行」のコンサート この時期は、黒色テント「夜行」のコンサートを思い出します。 コンサートが終わってテントの中で流れてた「菜の花あかり」が とても印象的でした。春を待つやさしい気持ちになれて・・ >「ラストワルツ」の前語りはすっごく素敵ですね。 同感致します!泣けます。 38 名前:born115 投稿日:2006/11/30 20:06 >>37 k_1920 Re: 「夜行」のコンサート > コンサートが終わってテントの中で流れてた「菜の花あかり」が とても印象的でした。 そうでしたか、「菜の花あかり」がみんなを見送ってくれたんですね。 コンサート後の興奮と熱気が私にも伝わってきました! 黒色テントを目の当たりにした感動を、高橋伴明さんが書いていらっし ゃったのを思い出します。 池袋から数分歩いてゆくうちに、右手の向うから、 すぐ童子が音合せで歌う声が小さく聞こえてきた。 童子の歌を道標べにして、私の足はだんだん早く なっていた。そして、ビルとビルの谷間のふところ に抱かれるようにして、ひっそりと童子の黒色テント は横たわっていた。 (抄)―― 鮮明に焼きつく『春爛漫』(高橋伴明) 「菜の花あかり」は、その後ロフトでも“蛍の光”の役目をしてましたね! コンサートのオープニングとしても何度も唄われましたし、 自選集 「友への手紙」でも一番初めに入ってるし、ワーナーに移ってからの 最も重要な曲のひとつになったみたいですね。 39 名前:nonko551jp 投稿日:2006/12/ 1 23:24 >>37 k_1920 気になる言葉。 k_1920さん いつも、興味深く拝見させてもらっています。 「菜の花あかり」で思い出したのですが、 「埋母記」というお芝居?で童子さんのテープ(声)が 流れたそうですね。 かれこれ20数年前の話ですが、童子さんのテープを 聴いていたとき、「劇にでてた」と言った人がいて、 とても驚き興奮したのを憶えています。 結局詳しいことはわからずじまい。 「埋母記」のお話を聞いたときに、ひょっとして、 このお芝居のことだったのかなぁ…なんて憶測していたのですが。 それとも、本当に童子さん自身が何かの劇に 出演されたことがあるんでしょうか? いろいろとひとり思いをめぐらせてはいますが、 いまだ、謎のままです(笑)。 k_1920さん、何かご存じありませんか? いまもずっと、あの時聞いた言葉が忘れられずにいます。 40 名前:born115 投稿日:2006/12/ 4 21:09 >>4 born115 時刻表を見て…森田童子エッセイの追加 MCエッセイの追加です。 時刻表を見て楽しんだという童子さんの思い出 話しですが、「センチメンタル通り」の前で語られたものと「海を見たい と思った」の前で語られたものでは、若干内容が異なっていました。 一つは: 童子さんは、唄い始める前までは、 『出不精で怠け者で、あまりいろんな所へ出て歩くということはしたこと がなかった』 そうです。 『私の唯一の楽しみというのは、毎月の汽車の時刻表を、夕ご飯が終って から、見ながら、あそこへ行くにはこういうふうに行くんだなぁとか、 頭の中でわりと、旅行しちゃうことが多かった』 そうです。唄い始めて、ほぼ全国をまわったいま、 『実際に、こう、まわることの味気なさみたいなのを、最近つくづく感じ たりしているわけです。センチメンタル通りです。』 と結ばれています。 もうひとつは: 童子さんは、唄い始める前までは、 『旅っていうのは、ほとんどしたことがなくて、高校のとき、胸を悪く して入院したりしているときは、汽車の時刻表を見たりして、あそこ にはこうやって行くんだなぁとか、そういうことを考えたりしている ときが一番楽し』 かったそうです。唄い始めて、ほぼ全国をまわったいま、 『旅っていうのは、ほんとに行かない方がいいのかもしれないのにって 思ったりしています』 と結ばれています。 41 名前:k_1920 投稿日:2006/12/ 4 23:54 >>39 nonko551jp Re: 気になる言葉。 nonko551jpさんこんにちは >「劇にでてた」と言った人がいて、、 もしかしたら!?可能性があるのかも知れませんね。 >「埋母記」のお話を聞いたときに、ひょっとして、 この芝居は、80年6月20日〜22日の公演で 童子さんは曲を提供されただけで出演は無かったと思いますが・・ 「ル・ピリエ地下室」のコンサートで「菜の花あかり」の唄の時にこの芝居の告知をされたと記憶してます。芝居のメイン?の曲だった気がします。 81年11月の「双頭の歌」のコンサートは、1幕が昭和精吾さんの(劇) 2幕が童子さんのコンサートで「唄と芝居の演出?」が、同時進行のようになってたように思います。 童子さんのコンサートでは珍しいかたち?だった気がします。 当時は、早稲田大学の学祭も開催されてて、構内はにぎやかでした。 >それとも、本当に童子さん自身が何かの劇に >出演されたことがあるんでしょうか? 上記以外は、芝居に関して詳しいことはわかりません。 もしかすると、born115 さん何かご存じでは?と思いますが。 >k_1920さん、何かご存じありませんか? nonko551jpさん曖昧な記憶ですのでどうぞご参考までに! 42 名前:nonko551jp 投稿日:2006/12/ 6 22:03 >>41 k_1920 「双頭の歌」 k_1920さん、ありがとうございます。 「双頭の歌」もご覧になられていたのですね! 実はこのコンサートも前からとても気になっていたんですよ。 >「唄と芝居の演出?」が、同時進行のようになってた どのような構成だったんでしょう? 通常のコンサートとは、なにやら趣が違うみたいですね。 このコンサートのことだった可能性もあるかも‥ 「双頭の歌」は、あの寺山修司さんも観に来られていたそうですね。 童子さんは、いろんな演劇関係者と関わりが あるようですので、そういった意味でも興味深いです。 bornさん、何かご存じでしたらお願いします! 余談ですが、「きれいに咲いた」の語りを聞くとき 暗転の中、スポットライトにつつまれ立ち尽くす童子さんの 姿を思い浮かべてしまうんですよ(笑)。 ちょっとお芝居のセリフみたいな感じがしませんか? 43 名前:kagemusha_hunter 投稿日:2006/12/10 3:44 >>1 born115 Re: 森田童子さん… はじめまして。 何気なくBBSを探していたらこのページに辿り着きました。 いろいろ当時のことを語っている方がいて、 当時を知らないものとして感激です! ところで「友への手紙」の発売日って何処を探しても 見つからないのですが、知っていますでしょうか? 前後のアルバムを見ますと年末のようなきがしますが、 過去にあったどこかのBBSで夏に出たっという方もいて 教えて下さい。 44 名前:born115 投稿日:2006/12/10 17:19 >>39 nonko551jp Re: 気になる言葉。 >「劇にでてた」と言った人がいて、 童子さんが、『舞台を手伝ったことがある』というようなことを 話されてたのは聞いたことがあります。 でもご自身が“出演” というのは聞いたことがないし、ちょっと考えられません。 ポリドール時代は99パーセント無いと思います。ワーナーに移籍 してからも、k_1920さんが聞いたことがないと仰るなら、やはり 99パーセント無いと思いますよ。 童子さんには映画や演劇関係の知り合いが沢山いて、出ようと 思えばいつでも…という状況だったのでしょうけど。 45 名前:born115 投稿日:2006/12/10 17:26 >>43 kagemusha_hunter Re: kagemusha_hunter さん ようこそ、kagemusha_hunter さん。 > 「友への手紙」の発売日って テープだけの発売でしたので、残念ながら正確な発売日の記載はどこにも ないと思います。 プロモLPについている“森田童子アルバム目録”に 『昭和五十六年夏 森田童子自選集「友への手紙」(テープ企画全16曲) を発表する。』 とありますから、81年の夏発売に間違いありません。 同じく“森田童子軌跡”の最後の行に、 『昭和五十六年十月/…「双頭の歌」を五日から八日まで連続四日間…現在 製作進行中です。』 という記載があります。 新譜ジャーナル11月号には、 「森田童子と寺山修司がジョイント」という見出しで、“双頭の歌”を 予告している記事が書いてありますが、その最後に 『「森田童子自選集」が先日発売されている』 という記載があります。 ですから順序として カセット発売(一部プロモLPも?) → プロモLP → 双頭の歌(10月初め) となるわけですね。 ですから、遅くとも9月初め、でも、おそらく8月には発売されていたん じゃないかと思われます。 46 名前:born115 投稿日:2006/12/10 17:36 >>1 born115 森田童子・効果音リスト 曲前の効果音は、洋楽ポップスではよく使われた常套手段でした。 でも曲末・曲後は、童子さんのオリジナルではないでしょうか? “曲末”に、効果音とか語りを持ってきたのは、童子さんならでは の手法だったように思われます。 効果音の呼び方については、それが“何の音”なのか、迷うものが多々 ありますが、何人かの意見を聞いて無難なところを書いてみました。 ================================================== G1 早春にて 超特急が過ぎ去る音(曲末) (75LPグッドバイ) G4 雨のクロール 落雷の音(曲後) (LP未収録)※ G5 地平線 雷鳴と鳥の鳴き声(曲前と曲末) (75LPグッドバイ) 雷鳴と鳥の鳴き声(曲前) (78LP東京カテドラル) cf. チェンバロ〜雷鳴と鳥の鳴き声(曲前) (LP未収録)※ G6 センチメンタル通り バイクの音(曲前) (75LPグッドバイ) M4 逆光線 セミの鳴き声(曲末) (76LPマザースカイ=81LP友への手紙)※
M6 海を見たいと思った 波の音(曲中) (78LP東京カテドラル) SLと汽笛(曲前) (LP未収録)※ A3 ふるえているネ 羽音(曲末) (77LPア・ボーイ)
A6 淋しい素描 雨音とネコの鳴き声(曲後) (77LPア・ボーイ) A7 ぼくが君の思い出になってあげよう 北風の音(曲中) (77LPア・ボーイ) L4 グリーン大佐答えて下さい 基地のジェット音(曲後) (80LPラストワルツ) 北風の音(曲中) (LP未収録?)
L8 ラスト・ワルツ 古いレコードの音(曲後) (80LPラストワルツ) Y1 蒸留反応 木枯らしの音(曲中) (82LP夜想曲)
Y2 淋しい猫 風鈴の音(曲中) (82LP夜想曲) Y3 ぼくは16角形 効果音??(曲中) (82LP夜想曲) O5 球根栽培の唄(ときわ荘にて録音) 雑踏の音(曲末) (83LP狼少年)
O6 ぼくのせいですか 波の音(曲末) (83LP狼少年) ※印=コンサートツアに携帯されたことが確認されてるもの
47 名前:kagemusha_hunter 投稿日:2006/12/10 20:13 >>45 born115 Re: born115 さん born115 さん 教えていただきありがとうございます!! 発売日等の情報ってなんとかして調べられなんでしょうかね。 発売元のワーナーミュージックとか、 当時の音楽カタログ、雑誌等に告知が載ってるとか いろいろ考えますけど、カセットという特性上 あまり情報が出回っていないでしょうかね、、、 48 名前:nonko551jp 投稿日:2006/12/14 1:05 >>44 born115 bornさん ありがとうございます。 童子さんご自身が劇に出演されたことはないようですね。 きっと、「埋母記」か「双頭の歌」どちらかのことだった んでしょうね。お芝居がらみだし‥。 演じる、というか「淋しい素描」「グリーン大佐‥」での 童子さんの、さりげない演出を楽しんでいます(^^)。 「雨のクロール」の効果音は、“落雷の音(曲後)”ですか! 衝撃的ですね〜〜。 『グッド・バイ』での収録順、「雨のクロール」→「(雷鳴音)地平線」 と続くのも、おもしろいですね。 49 名前:k_1920 投稿日:2006/12/15 0:33 >>42 nonko551jp Re: 「双頭の歌」 nonko551jpさんこんにちは >「唄と芝居の演出?」 >同時進行のようになってたように思います。 この文章に、誤解をさせてしまいました・・済みません。 朗読劇と童子さんの唄の1部、2部で同時進行では無いですよね 改めて御免なさい。 このコンサートは覚えてる限りでは、約1時間程で 10曲程度唄ってました。 すごいジョイントで印象的だったのですが・・ 大部分忘れてしまいました。としですね〜(笑) ちなみに最初の曲は「グリーン大佐答えて下さい」でしたよ。 もうヒトツちなみに「埋母記」の挿入歌“菜の花あかり”は 当時まだレコードになってない曲でした。 >「きれいに咲いた」の語りを聞くと >ちょっとお芝居のセリフみたいな感じがしませんか? なるほど!迫力がありますしね。 芝居的?な印象は「春爛漫」を唄ってる童子さんの 頭上から降って来た紙吹雪に芝居のシーンを思った事が有ります。 born115 さん >G1 早春にて 超特急が過ぎ去る音(曲末) そうなんですか!ず〜と“飛行機が飛び立つ音”だと 思って聴いてましたよ。思い込みって凄いですね(笑) 50 名前:born115 投稿日:2006/12/15 20:24 >>49 k_1920 Re: 効果音 nonko551jpさん >『グッド・バイ』での収録順、「雨のクロール」→「(雷鳴音)地平線」 > と続くのも、おもしろいですね。 さすがですね!! さすがによくアルバムを聴きこんでいらっしゃる! 私も、雨のクロール→地平線 の曲順のことが気になっていたんですよ。 効果音つながりで童子さんが意図したものなのか、たまたまそうなった のか… どちらなんでしょうね。 k_1920さん > (超特急が過ぎ去る音)そうなんですか! > ず〜と“飛行機が飛び立つ音”だと思って聴いてましたよ。 いえ、よくわかりません!(笑い) 私も飛行機かなと思ってた時期もあります。 ともかく、“目の前をあっという間に通り過ぎる”音ですよね? 地平線の鳥は“ウミネコ”でいいんですか? 51 名前:born115 投稿日:2006/12/15 21:19 >>42 nonko551jp 「きれいに咲いた」の語り 「きれいに咲いた」は、78年11月にすでにライブで唄われた記録が あります。 このときは、まだ“中語り”はありませんでした。 ラスト・ワルツのアルバムの中で、アルバム発売(黒色テント夜行) より前から唄われていた曲は、 「きれいに咲いた」、「グリーン大佐答えて下さい」、「菜の花あかり」 の3曲のようです。 アルバム発売と同じ頃に収録されたNHK-FMのニューサウンズSpで、 生演奏として選ばれた曲が「菜の花あかり」と「きれいに咲いた」の2曲 だったのは、このあたりと関係がありそうですね。 52 名前:nonko551jp 投稿日:2006/12/19 20:59 >>49 k_1920 Re: k_1920さん k_1920さん、こんばんは。 >「唄と芝居の演出?」 >同時進行のようになってたように思います。 >この文章に、誤解をさせてしまいました・・済みません。 いえいえ〜k_1920さんの仰りたかったことがわかるような 気がします。 きっと2部の童子さんのコンサートでも、1部で観た劇の 余韻が漂っているような‥たとえば、何か趣向が 凝らされていたりとか、なにかしら演出がなされていたの では‥と想像しています。
ちなみに「埋母記」を公演した劇団の名前は何と言うんですか? 53 名前:k_1920 投稿日:2006/12/24 0:17 >>52 nonko551jp nonko551jpさん nonko551jpさん、こんにちは。 当時も今も、演劇関連はあまり詳しく無いのですが 「埋母記」は、童子さんが始めて演劇の音楽を担当されたと いう事もあり、ワクワクしながら観劇した思い出が有ります。 >ちなみに「埋母記」を公演した劇団の名前は何と言うんですか? チケットに書かれてる内容ですが。 「劇団“玄洋社”」第2回公演 “夜ノ方カラ近ゾイテモ、コノ町ニ入口ハ見当ラヌ” 場所「早稲田銅鑼魔館」日時80年6月20日〜22日 nonko551jpさんは、演劇詳しそうですね。 54 名前:born115 投稿日:2006/12/24 17:52 >>53 k_1920 Re: nonko551jpさん k_1920さん、寺山修司の昔のラジオドラマのこと、のんこさんなら 何か面白いことご存じかもしれませんよ〜(^^)v。 55 名前:born115 投稿日:2006/12/24 17:56 >>1 born115 カテドラル・実際の曲順 東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤 1 地平線 ←1 2 逆光線 ←5 3 君は変わっちゃったネ ←2 4 雨のクロール ←8 5 ぼくと観光バスに乗ってみませんか ←9 6 友よ泣かないのか ←11 7 海を見たいと思った ←13 8 センチメンタル通り ←15 9 さよなら ぼくの ともだち ←ラスト 10 風さわぐ原地の中に ←アンコール 56 名前:born115 投稿日:2006/12/26 19:41 >>1 born115 森田童子軌跡のバージョン 引用は最後の項だけにします。 @バージョン1:1981年LP友への手紙プロモ 『▼昭和五十六年十月/…「双頭の歌」…早稲田大学大隈講堂裏特設テントにて現在製作進行中です。 昭和五十六年11月/恒例の森田童子黒色テント劇場「ねじ式」が予定されています。』 カセットの歌詞カードや、一部の放送局用LPには森田童子軌跡は掲載されていません。 (歌詞の中に、語りも印刷されてませんよね) 放送関係者の便宜をはかって、8月か9月頃、童子さんが急遽準備されたのではないでしょうか。 Aバージョン2:1982年LP夜想曲プロモ 『▼昭和五十六年十月/…「双頭の歌」…早稲田大学大隈講堂裏特設テントにて(空白) 昭和五十六年11月/恒例の森田童子黒色テント劇場「ねじ式」(空白)』 バージョン1 から2ヶ所を切り取っただけです。 Bバージョン3:1983年狼少年創刊準備号 (「公演軌跡」として。 レイアウトが新聞用のものです) 『▼昭和五十六年11月恒例の森田童子黒色テント劇場「ねじ式」は両国駅国鉄構内で5日間の公演 ▼昭和58年「私達の旅するねじ式劇場」は一年がかりで全国をまわりました。 ▼昭和58年度、最終の公演活動として吉祥寺の前進座にて森田童子「狼少年・連続6日間」を準備中である。』 Cバージョン4:1993年発売の全CD(ベスト・コレクションIIを除く) 『昭和58年12月/前進座劇場(吉祥寺)連続6日公演 同 12月/新宿ロフト「死ぬなライブハウス」で森田童子の活動は解散終了した。』 引退後ということもあって、削除や表現の修正がかなり見られます。 Dバージョン5:1993年ベスト・コレクションII (「森田童子プロフィール」として) バージョン4 のものから何ヶ所かが省略され、簡略化されてますね。 レイアウトも変わりました。 57 名前:nonko551jp 投稿日:2006/12/30 21:01 >>53 k_1920 寺山修司 k_1920さん、ありがとうございます! 劇団“玄洋社”ですか。 きっと、童子さんと親交のある劇団のひとつだったんでしょうね。 演劇、ぜんぜん詳しくなんてないですよ〜。 寺山修司は、童子さん繋がり?ということもあり けっこうのめり込んだ時期がありました。 といっても詩歌や映画が中心ですが‥。 bornさん、k_1920さん、ラジオドラマのことは なにも知らないんです。ご期待に添えずごめんなさい。 そういえば 彼の当時の近況を綴ったものの中に 「最近はじめて森田童子の唄というのをききましたが 気に入ってます。」(1981.5.12) と書かれてあります。 「双頭の歌」(1981.11)では童子さんの唄を 楽しまれたことでしょうね。 それから1年半ほど経って(1983.5)彼は他界してしまったんですよね‥ 58 名前:born115 投稿日:2006/12/31 16:06 >>1 born115 「地平線」について @効果音について 雷鳴の効果音は、グッドバイでは、曲の前だけでなく曲末にも入っている のにお気付きでしたか? 大変興味深いと思います。 ライブでは、全く 入れないか、曲の前だけ入れる、そのどちらかだったようです。 A語りについて 中語り 『ぬけるように青い六月の…』 は、77年6月頃のライブから入れた と思われます。 B5番について 5番 『地平線の向こうには 愛よりも深い 海がある …』 がライブで 唄われたことは、まだ確認できていません。 77年以降は唄われてない はずです。 Cキーについて いつ頃からかわかりませんが、ライブでは、グッドバイの録音より1音ほど キーが高くなっています。 童子さんの高い声は大変きれいですから、グッドバイのとき、どうしてキー を下げて収録したのか、不思議ですね。 グッドバイを聴くたびに惜しまれ てなりません。 ======================================= 童子さんのファンのみなさん、 今年も、いろいろお世話になり、ありがとうございました。 どうぞ、よいお年をお迎えください! 59 名前:ki_la_la_k 投稿日:2007/ 1/ 7 2:00 >>58 born115 ☆明けましておめでとうございます☆ bornさん、皆さま、ごぶさたしております。 今年もどうぞよろしくお願いいたします^^。 佐久間順平さんに童子のアルバムについて直接お聞きする機会がありました・・。 順平さんが関わったアルバムは「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」以外にあったか・・・。 順平さんは、いきなりだったので首をかしげておられ・・終了となってしまいました。 ちょっと無理がありましたよネ。順平さんにごめんなさいです(笑) 60 名前:born115 投稿日:2007/ 1/10 20:42 >>59 ki_la_la_k ki_la_la_k さん > ちょっと無理がありましたよネ。順平さんにごめんなさいです(笑) 返答に困られた順平さんのお顔が目に浮かびます!(笑い) うかつな返事をされなかったのは、順平さんのお人柄のような気がします。 森田童子の夜想曲C『大酒飲みの順平さん』(83年5月4日朝日新聞掲載) ですが、 『自分のギターのサウンドホールの中へ吐いてしまった』 という大酒のみは、故高田渡さんのことだそうです。 『演奏中に「ステージの上で順平は眠ってしまった」』 という箇所も高田渡さんに置き換えれば納得できますよね。 高田渡さんを順平さんにしたてたのは、「童子さんがエッセイを面白く するためにそう書いたんでしょう」という順平さんのお話でした。 『順平さんは、ギターにバイオリンにハーモニカと、マルチプレーヤー ぷりを発輝して、私のステージをよく盛りたててくれました。』 童子さんがご自分でハーモニカを使われるようになったのは80年以降だと 思うんですが、もしそうだとしたら、順平さんのハーモニカでのサポート というのは興味深いですね。 『もしも、気が向いたら吉祥寺の裏通りにあるライブハウスNへ酒飲みの 順平さんの歌を聴きに行ってみて下さい。』 このライブハウスは“ノラ”というライブハウスだそうです(よね?)。 61 名前:born115 投稿日:2007/ 1/10 21:54 >>1 born115 安全カミソリ フォーリーブスの北公次さんが唄った、森田童子作詞作曲『安全カミソリ』 がやっと手に入りました。 探し始めたのが2003年10月だから、3年もかか ったことになります。 前トピで予想したとおりの曲でした。 北公次さんはいい味出してますね。 ちょっと感動ものです。 62 名前:ki_la_la_k 投稿日:2007/ 1/11 0:34 >>60 born115 bornさん^^ 興味深い貴重なお話しありがとうございました! わぁ〜♪ ものすごく納得しました〜! 故高田渡さんのライブを思い出しました(笑) bornさん^^童子のエッセイ これからも紹介して下さいね♪ 63 名前:born115 投稿日:2007/ 1/15 7:28 >>1 born115 今日は1月15日 お誕生日、おめでとうございまぁす! 64 名前:ki_la_la_k 投稿日:2007/ 1/15 8:30 >>63 born115 1月15日ですネ☆ 童子さん ☆お誕生日おめでとうございます☆ いつも童子さんの唄と一緒にすごしています^^ これからもずっと童子さんとは一緒です☆
65 名前:kosumosumirengeso 投稿日:2007/ 1/15 18:08 >>63 born115 今日は1月15日でした〜! 童子さん、お誕生日おめでとうございます。 そして、ご挨拶遅れましたが、皆様、今年もよろしくお願い致します。 ずっと、掲示板みていたつもりだったんですが、 更新してない事に全然気が付かず、 12月初めから、書き込みがないなぁ〜と淋しく思っていました。 最近疲れてました〜。 今、童子さんのアルバム聞きながら、いつもの自分に戻ろうとしてるところです。 bornさん、ki_la_la_kさん、教えてくれてありがとうございます。 良かった〜! 66 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 1/15 23:15 >>1 born115 祝!1月15日 童子さん、お誕生日おめでとうございます。 きっと、お幸せに暮らしていらっしゃることを 心よりお祈りいたしております。 みなさん、今年もよろしくお願いします。 67 名前:born115 投稿日:2007/ 1/19 20:08 >>61 born115 Re: 安全カミソリ レーベルの画像を私のプロフィールにアップしておきました。 写真をクリックすれば大きくなります。 歌詞カード/解説書はついていませんので、『安全カミソリ』 に関するcreditはこれのみです。 68 名前:born115 投稿日:2007/ 1/20 20:17 >>1 born115 今朝の新聞から=オオカミ少年 今日の日刊スポーツのニュースから。 『カンボジアで野人発見』という大見出しで、 9歳で18年前に行方不明になった女性(27)が発見され、 保護されたニュースが報道されました。 その記事の中に、過去の長年行方不明からの発見として、 オオカミ少女とオオカミ少年の簡潔な記載があったので 引用します(しても大丈夫かな?)。 (日刊スポーツから抜粋) ◆オオカミ少女 20年、インドでオオカミの巣穴から少女2人が救出された。 妹は約1年で死亡。 姉は約8年生存し、2足歩行と単語などを覚え、 推定17歳で亡くなったとされる。 ◆オオカミ少年 76年、インドで推定10歳の少年がオオカミ3匹と一緒に発見された。 マザー・テレサの施設で教育を受け、入浴や服を着ることは覚えたが、 言葉は85年に亡くなるまでしゃべれなかった。 69 名前:k_1920 投稿日:2007/ 1/27 0:57 >>68 born115 Re: 今朝の新聞から=オオカミ少年 born115さん皆さんお久しぶりです。 >『カンボジアで野人発見』という大見出しで 人間の環境順応適応能力の凄さに驚きました。 そして今更ですが、、 「地平線と狼少年・ウルフボーイ」の歌詞について なぜ「地平線」だったのかと思ったりしました。 「♪狼に育てられたぼくは涙も笑うこともしりません」 狼に育てたられた少年は“お母さんのやさしさ” を知らない・・ 「♪地平線の向こうにはお母さんと同じやさしさがある」 「地平線」の歌詞だからこそでしょうか? 意味不明な内容で分かりにくいですね(スミマセン) 以前にborn115さんが仰られているように「地平線」は いろんな意味で興味深い曲ですね! 70 名前:born115 投稿日:2007/ 1/31 19:53 >>60 born115 すみません、No.60 の訂正です みなさんは、とっくにお気づきだったでしょうが、 ↓ No.60 の中で一か所、訂正させてください。 このライブハウスは“ノラ”(誤) このライブハウスは“のろ”(正) ごめんなさい! 71 名前:born115 投稿日:2007/ 2/ 1 20:43 >>69 k_1920 Re: 今朝の新聞から=オオカミ少年 >「♪狼に育てられた ぼくは涙も笑うことも しりません」 k_1920 さん、こんばんは! 私は今でも “森田童子は地平線で始まり、地平線で終わった” と 信じています。 アルバム狼少年での、書き換えられたこの4番の歌詞は、私にとって は足を踏み入れることのできないサンクチュアリ、聖域なんですよ。 k_1920 さんもそんな感じがしませんか? 72 名前:born115 投稿日:2007/ 2/ 1 20:52 >>1 born115 ダミア オオカミ少年発見が76年ということで、ちょっと気になってダミアを検索 してみたんですが、亡くなったのが1978年、カテドラルの年なんですね。 この年に浅川マキさんが、ご自分で訳詞をつけて “Sombre Dimanche” (暗い日曜日)のカバーを発表しています。 おそらくこの頃、ダミアは日本でもちょっとした話題になったのではない でしょうか? 「暗い日曜日」の日本語詞は岩谷時子のバージョンの方が有名らしいです。 ↓で見れます。 http://www.duarbo.jp/versoj/v-popular/kurainichiyobi.htm ダミアの生涯は謎に包まれているそうで、ウィキペディアから引用させて もらうと… 『十代の頃の彼女には放浪癖が元々あり、15歳のときに父の家を飛び出して 以来波乱と激動に溢れた殆ど極限状態に近い生活を送る。当時の過酷な体験 は後の彼女に深い影響を及ぼした。1911年より歌手として活動。孤独や絶望 をテーマにした作品を数多く歌唱、発表するようになる。第一次世界大戦中 には自ら戦線へ赴き、歌唱で兵士たちを慰問した。』 ということらしいです。 童子さんの唄は、聴く人たちへの影響力が非常に強いという点でダミアの唄 に例えられたのではないかなぁ…と思います。 73 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 2/ 7 19:05 >>72 born115 Re: ダミア 「海で死んだひとは、 みんなかもめに なってしまうのです」 これは、ダミアの 古いシャンソンの一節です… (寺山修司『かもめ』より) フランスでは、“かもめ”は死んだ船乗りの魂と 伝えられていたらしく 『死の象徴』だそうですね。 「海で死んだひとは みんなかもめに なってしまうのです」
わたしの中で何度もぐるぐるまわっています。
74 名前:k_1920 投稿日:2007/ 2/ 8 0:30 >>71 born115 Re: 今朝の新聞から=オオカミ少年 born115さんこんばんは! >“森田童子は地平線で始まり、地平線で終わった” と信じています。 う〜〜んすごく深いですね〜考えてしまいました。 “地平線”の効果音に関しては曲前と曲末に入ってますし 他の曲にはない手法が使われた事になりますが、地平線以外に有りますか? コンサートのオープニング曲に時々?唄われたのも“地平線”ですよね。 ちなみみに、初めて行ったコンサートで最初に聴いた唄も“地平線”でした。 その時、初めてお話された童子さんの声の あまりのやさしさにドキ!とてしまいました。 >アルバム狼少年での・・ >足を踏み入れることのできないサンクチュアリ、聖域なんですよ。 まさしく“聖域”そのものですよね! この歌詞の持つ大切な部分を改めて感じ取る事が出来ました。 曲名・歌詞・メロディーが換えられた曲を考えて見ました。 「地平線」と「狼少年・ウルフボーイ」 「海が死んでもいいヨって鳴いている」と「ひとり遊び」 この2曲の他に、まだありますか? 「ひとり遊び」では、2番と3番の歌詞が入れ替わってますが この入れ替わった2番の後に「海が死んでも・・」の“中語り” が来ると、2番の歌詞との繋がりが出来るのかなと、 勝手に想像してしまいました。 そこで換えられた曲の意味?見たなモノを感じ取ることが 出来るのかも知れれませんね。またまた勝手な想像でした(笑い) 75 名前:born115 投稿日:2007/ 2/12 18:08 >>73 nonko551jp Re: ダミア >「海で死んだひとは、 みんなかもめに なってしまうのです」 何か象徴的な一節ですねぇ。 ダミアが寺山修司と結びつくとは思いもしませんでした。 寺山修司さんもダミアの歌に関心を持っていたということ なんですね? 因みに、『かもめ』という本?は何年の作品なんですか? 76 名前:born115 投稿日:2007/ 2/12 19:17 >>74 k_1920 Re: 今朝の新聞から=オオカミ少年 k_1920 さん、こんばんは! > “地平線”の効果音に関しては曲前と曲末に入ってますし … 地平線以外に有りますか? 曲前と曲末両方に効果音が入ってるのは他に無いと思いますが。 “地平線”もレコードでは確かに曲前と曲末両方に入ってますが、 ライブで曲末に入れたのは聴いたことがありません。 おそらく レコーディングのときだけだったのではないでしょうか? > 曲名・歌詞・メロディーが換えられた曲を考えて見ました。 「地平線」と「狼少年・ウルフボーイ」 「海が死んでもいいヨって鳴いている」と「ひとり遊び」 この2曲の他に、まだありますか? アルバム収録上の変更はこの2曲だけでしょう? ライブを含めると、サナトリウム、ぼくは16角形、グリーン大佐 答えて下さい、他いくつかありましたよね? > 「ひとり遊び」では、2番と3番の歌詞が入れ替わってますが 2番 「…夕べあなたの 夢を見ました」 のすぐ後に、 中語り 「…僕は夢の中で 泣いていたようです」 が来ると 意味がつながるということですね? 私は逆に、2番と中語りが離れていたほうが、それぞれの“夢” という言葉がより印象的に感じられてました。 関連して… 2番の 「初めてタバコを吸いました…」 より、3番の 「声を 出さずに笑うくせ…」 のほうが童子さんはお気に入りだったん じゃないかなと、個人的に想像しています。 もう一つ… “僕”という漢字を使ったのは、すべての歌詞の中でこの曲の中語り のこの一箇所だけなんですね。 ミスタイプだったのでしょうね。 77 名前:born115 投稿日:2007/ 2/12 21:38 >>1 born115 83年7月8日宇都宮 今、ヤフーオークションに興味深い資料が出品されてますね。 83年7月8日宇都宮文化会館小ホールでのコンサートの、 コンサート実現までの記録。 コンサート実行委員会が作成して 当日配布されたものらしいです。 狼少年・創刊準備号に、 『失なわれた“ボクたちの表現”の復活を求めて――』 ガリ版刷りのチラシより抜粋 と、2面をさいて掲載されている記事の元のようです。 童子さんがタウン誌のようなものから引用した例として、 78年12月5日山形市民会館大ホールでのコンサートを特集した “ロルカ”から『森田童子「ボーイ」の方法』(全集III)があります。 他にもありましたっけ? 78 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 2/19 18:41 >>75 born115 かもめ bornさん、こんばんは。 お返事遅くなってしまってすみません。 「かもめ」は青春作品集『時には母のない子のように』 (1984年初版)に収められています。 構成は違ってますが もとは、For Ladiesシリーズ 『時には母のない子のように』(1969年初版)のようです。 この物語の序章で、寺山修司さんは “ダミアの好きだったぼくは、 このレコードを大切に持っていました。” と書いています。 余談ですが 寺山修司さんは「かもめ」という詩を書いていて 浅川マキさんが歌っていらっしゃるんですね。 そして浅川マキさんが歌うダミア‥ なんだか妙につながっていて面白いです。 79 名前:born115 投稿日:2007/ 2/21 21:30 >>78 nonko551jp Re: かもめ のんこさん、こんばんは。 > “ダミアの好きだったぼくは、 このレコードを大切に持っていました。” > “これは、ダミアの 古いシャンソンの一節です… ” 寺山修司さんは、この2箇所でダミアについて言及した ということですね? それも1969年に。 ダミアの死が1978年、浅川マキの「暗い日曜日」も1978年と いうことで、日本でその名が広まったのはこの頃かと想像 したのですが、寺山修司さんみたいに知る人ぞ知る存在 だったのですねぇ。 私が知ったのは、1年半前なんですよ! それまでダミアの 名前さえ知らなかったです。 80 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 3/ 3 18:29 >>68 born115 Re: 今朝の新聞から=オオカミ少年 遅レスですが‥ ニュースで知ったとき、真っ先に童子さんのことが 頭に浮かびました。 童子さんは、このニュースをどんな風にみてる のかなぁ‥なんてふとそんなこと考えました。 「狼少年・ウルフボーイ」――タイトルについて よく、“一匹狼”なんて言い方をするけど、 “狼少年”には、そんな意味合いも含まれているのかなぁ。。 とちょっと思ったりもしました。 81 名前:k_1920 投稿日:2007/ 3/10 2:30 >>1 born115 あの頃 ロフトの開場待ち時間に、地下から流れて来る童子さんの リハーサルの唄を聴くのが楽しみのひとつになってました。 82 名前:born115 投稿日:2007/ 3/16 23:18 >>80 nonko551jp “狼少年”の意味 野人発見のニュースで、“オオカミ少年”という言葉が言及されたので、 みなさん、童子さんの“狼少年”を連想されたようですね! 私だけでは なかったので、うれしくなります。 “狼少年”、世間ではよく、イソップ物語の嘘つき少年の意味で使われます が、童子さんの“狼少年”は、これとは全く違って、素朴な意味での“狼少 年”に間違いないですネ。 もしかしたら、その上さらに、童子さん独特の、 固有な想いが込められているのかもしれません。 どんな想いが込められたのか、それを探るヒントが、3つあるかと思います。 (76年に、インドで“オオカミ少年”がオオカミ3匹と一緒に発見されています) @ 78年1月 某日刊紙に掲載された“狼少年”という言葉の入ったメッセージ A 78年11月 FM東京系「森田童子のモノローグ」の中の、アマルとカマル〜手話解説の話 B 83年11月 「狼少年・ウルフボーイ」、4番の歌詞 上記3つを一つずつ見ていきますと…。
@ 『 …(略) 少年合唱団をバックに 狼少年のように 歌ってみたい 』 (Fさん、一部とはいえ、無断で転載させていただきました。お許しください。) カテドラルライブにつながるような意味のメッセージ … 私は、そのように 感じています。 Aは、長いので下に記します。 手話解説が、狼に育てられた少女の話の結びになって いる点に、私は注目しています。 B 『 狼に育てられた ぼくは涙も笑うことも しりません 』 “狼少年”という言葉が、童子さんの心の中で、78年の初頭(あるいはそれ以前)から 83年まで、6年間もあたためられ続けたということになります。 それだけに重みのある 言葉だと思います。 「狼少年」のアルバム(LP)に歌詞カードが無かったことの理由、このアルバムの帯 に書かれた「地下の王様、森田童子のメッセージを、秘密の暗号で きみに送ります」 の意味、その二つが謎とされてきましたが、こうやって、あらためてAのモノローグ を読み直すと、分かるような気がします。 他にも理由があったのかもしれないですけど… %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
森田童子のモノローグ M2 アマルとカマル〜手話解説の話 %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%% ずいぶん前に読んだ本で、「狼に育てられた子」という本があります。 それはアマルとカマルの二人の少女が、それは狼に育てられた二人の少女 なんだけれども、穴ぐらで生活しているところを牧師さんに見つけられて、 育てられる記録なんすけれども、人間になつかないそのアマルとカマルと いう二人の少女が、初めて何日間か人間と生活して、言葉をしゃべるとき に、普通だったら人間というか、人に話しかけるんだけれども、その二人 の少女は、たどたどしく、薄暗い部屋の中でベッドに話しかけたり、散歩 の途中で木にそっと話しかけたりするわけです。 初めて言葉を話すときに、人に話すのではなくて、動かないベッドや木に、 その二人の少女は話しかけるわけなんだけども、今回、えっと7月の29日に、 私は東京カテドラル教会という所でライブレコーディングをしたんですけれ ども、そのときに前半の4曲を、ボランティアの横浜ひまわり会という所 から頼んで手話解説をしてもらったわけです。手で話すわけなんだけれども。 で、1曲目が「地平線」という歌で。で、「地平線の向こうにはおかあさん とおなじやさしさがある」というのを、手でやさしく、こう、話してくれる わけですネ。 で、私も唄いながらそれを見ていて、口で喋らないという事 は、とてもやさしくて、で、なんていうのかな、やさしすぎて、ほんとに、 こう見ていて、怖いような気がしました。 83 名前:born115 投稿日:2007/ 3/17 18:23 >>81 k_1920 リハーサル > ロフトの開場待ち時間に、地下から流れて来る童子さんの リハーサルの唄を聴くのが楽しみのひとつになってました。 k_1920さん、こんばんは! ロフトのリハーサルは、どんな感じだったんですか? リハーサルの資料は、ほとんど無いのでよく分かりませんが、 数少ない資料(初期のもの)から私が感じたことに、下記の ようなものがあります。 ・童子さんのMさんに対する信頼がとても大きい ・“語り”はリハーサルしない ・「春爛漫」は念入りにリハーサルする それに、リハーサルの時間も結構長かったみたいですね? 84 名前:born115 投稿日:2007/ 3/17 18:42 >>56 born115 追加 Re: 森田童子軌跡のバージョン ひとつ大切なものを、リストに入れ忘れていました。 楽譜集に載っているものです。 A+1 バージョン2':1983年(楽譜集)森田童子全曲集 『▼昭和56年10月/…「双頭の歌」…早稲田大学大隈講堂裏特設テントにて ▼昭和56年11月/恒例の森田童子黒色テント劇場「ねじ式」』 Aと全く同じ内容ですが、出版社が横書きで新たに活字を組みなおして います。だから数字もすべて算用数字。 85 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 3/24 21:08 >>82 born115 Re: “狼少年”の意味 bornさん、こんばんは。 当時「狼少年」のレコードに歌詞が入っていなかったのは、 正直いって別の理由を考えてました。 でもAを読むと、なるほど“歌詞がないこと”、 “秘密の暗号”にこめられた想いが理解できるような気がしますね。 “やさしすぎて…、怖い” bornさんが以前書いてらした童子の「神田川」の話を思い出しました。 「マザー・スカイ」の帯 “やさしさで包装した青春と云う名の凶器を〜” も象徴的ですが、それぞれ相反するものなんだけど 表裏一体性を感じますね。 今回、童子さんの言葉(想い)として初めて目にしましたが、 うまく言えませんが、そういうところが童子さんらしい感性なのかなって 思います。 86 名前:k_1920 投稿日:2007/ 3/31 2:40 >>83 born115 Re: リハーサル born115さん、こんにちは!ご無沙汰してます。 >ロフトのリハーサルは、どんな感じだったんですか? >それに、リハーサルの時間も結構長かったみたいですね? リハーサルが長引いて開場が1時間以上遅れることも 何度かありましたね。 開場時間までチケットを握りしめて(笑い)よく待ったものでした。 満員のロフトの最前列は、演奏する童子さんの足元あたりで ドキドキしながら聴いていましたが、今思いますと あまりの近さで童子さん演奏されるのに大変だったと思います。 >童子さんのMさんに対する信頼がとても大きい >“語り”はリハーサルしない >「春爛漫」は念入りにリハーサルする “語り”はリハーサルしないに関して共感しました。 born115さんの感じられたこと、興味深く謎解きのように ワクワクしながら考えています。 87 名前:k_1920 投稿日:2007/ 3/31 2:47 >>82 born115 Re: “狼少年”の意味 born115さん「狼少年」について少し分かった気がします。 >「地下の王様、森田童子のメッセージを、秘密の暗号で きみに送ります」 森田童子のモノローグを、読んで納得しました。 >「地平線の向こうにはおかあさんとおなじやさしさがある」というのを、 >手でやさしくこう、話してくれるわけですネ。 手話という表現を使われないところにとても感動しました。 「狼少年」には、いろんな想いが込められていたのですね。 以前に「カテドラル・実際の曲順 」を書かれてましたが 実際にカテドラルは、何曲唄われたのでしょうか? 毎回のことですが、、born115さんの熱い想に感動致します。 88 名前:born115 投稿日:2007/ 4/ 5 22:57 >>87 k_1920 Re: “狼少年”の意味 nonko551jp さん > “やさしすぎて…、怖い” > bornさんが以前書いてらした童子の「神田川」の話を思い出しました。 > “やさしさで包装した青春と云う名の凶器を〜” > も象徴的ですが、それぞれ相反するものなんだけど > 表裏一体性を感じますね。 童子さんが神田川のあのフレーズに心を打たれたこと、完全に忘れて ました!(^_^;) “やさしさが怖い”、“やさしすぎて怖い”、なるほど 同じですね。 それに、“やさしさで…凶器”も一緒ですか、相反するという点で! するどい指摘ですねぇ、まいりました。 k_1920 さん > 実際にカテドラルは、何曲唄われたのでしょうか? 15曲目の「センチメンタル通り」と「さよなら ぼくの ともだち」の間 が不明なんです。 ですから17曲か、それにプラスアルファということしか 今のところわかっていません。 ついでに狼少年について蛇足です… シンガー・ソングライターというのは文字通り、詩とメロディ、それに歌唱、 この三つを通して、自分を表現し、聞く人に感動を与えるのが原点だと 思うのですが、童子さんはつねにそこを意識して、新しい手法に取り組ま れていたように私には思えるのです。 我々が日常的に当たり前だと思っているものをいったん否定してみる、これ は、童子さんが、ダイアン・アーバスと狼少年に着眼した共通の本質のよう に思えます。 表現する手段として普通は、音(声)と文字です。 カテドラルと狼少年で は、そのそれぞれがいったん否定されたところから問題の提起が始まった、 そのように見えるんですね。 童子さんのモノローグは、台本棒読みの国会答弁なんかと違って、言葉を 一つずつ探しながらの生きたモノローグになってますよね。 ですから、 それは知識の伝達ではなくて、気持ちの伝達のように思うんです。 だから、みなさんお気づきのことと思いますが、本質的ではない小さなミス を童子さんはときどきされてました。 何年前というときの年数とか、地名とか。 こういうミスは、逆に、童子さんの人間らしさが感じられて微笑ましいよう な気がします。 童子さんのミス、とても微笑ましく思われるんです! 89 名前:k_1920 投稿日:2007/ 4/13 0:17 >>88 born115 否定してみること born115 さんこんにちは! カテドラルは、20曲近く唄われた事になるのですね? 実際に演奏された約半分の収録だったのですね。 貴重な情報どうもありがとうございました。 >我々が日常的に当たり前だと思っているものをいった >ん否定してみる なるほど!否定してみることから始める。 born115 さんが書かれてる内容とは、少し違う話題 かも知れませんが「否定」から感じた事が有りました。 コンサート会場に関しても否定が有ったのでしょうね。 ホールや劇場などの当たり前の場所を否定してみる。 空き地や教会などの、意外な場所でのコンサート。 >童子さんが、ダイアン・アーバスと狼少年に着眼した >共通の本質のように思えます。 普段気付かない、ダイアン・アーバスの撮影した人々 ♪狼に育てられたぼくは涙も笑うことも知りません この歌詞はすべての事に繋がってくるのなかな〜 と思ったりしまた。 またもや思いつくまま書いてしまいました(苦笑) 90 名前:born115 投稿日:2007/ 4/14 20:31 >>89 k_1920 Re: 否定してみること >我々が日常的に当たり前だと思っているものをいった >ん否定してみる k_1920 さん、こんばんは! 上記のことばですが、どこかで聞いた覚えはありませんか? 自分で書きながら思ったのですが、童子さんがどこかで話したような気が してならないのです。 私の脳みそが、“童子さん化”してしまったのかもしれません。 気になって今日ちょっと調べてみましたが、「日常当たり前」はまだみつ かっていません。 「否定」は一つみつかりました。 「マザー・スカイ」 発表直後のインタビュー記事でした。 ============================================================== 童子さん: 二枚目の「マザー・スカイ」は、そういったわけで、水色の アサギ色に似た、地平線は母のおもかげ、または、地平線−私 ではなく、私−母親にまで、逆転してしまったわけです。 ――――: その中で、一枚目と二枚目のつながりは何処にある訳ですか。 童子さん:「さよならぼくのともだち」から二枚目のアルバム(の)「ぼくたち の失敗」につづくわけだけれども、私たちの世代の“やさしさ” への否定という形で……とってもやさしい否定のしかたで、やり たかったわけです。 ============================================================== それにしても、童子さんのこのお話は、奥が深くて難しいですね。 ↓カテドラルの最初の4曲です。 1 地平線 2 君は変わっちゃったネ 3 ぼくを見かけませんでしたか 4 たんごの節句 童子さんの『前半の4曲を、ボランティアの……手話解説をしてもらった わけです』の話の中の、“前半”の意味をどう解釈したらよいか微妙ですが、 この4曲が手話解説された可能性が高いようですネ。 91 名前:born115 投稿日:2007/ 4/15 19:14 >>82 born115 童子さんの口癖 Re: “狼少年”の意味 ちょっと思ったことですが…。 童子さんのモノローグは、朗読ではなくて言葉を一つずつ捜しながら 話す生きたモノローグですよね。 だから必然として、童子さんの口癖が聞けてると思うんです。 ・ っと(えっと) ・ あの(あのぅ) ・ なんていうのかな… ・ こう… ・ …わけです モノローグの中のこういう言葉も、そのときの童子さんの気持ちを 教えてくれる大切な資料なので、なるべく忠実に記録して残したい ものです。 他にも童子さんの口癖、何かありましたか? 癖といえば、福岡に当時、童子さんの筆跡をまねてたファンのかたが いましたね、童子さんの“右に流れる”癖を!(^^)v 92 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 4/21 0:11 >>82 born115 Re:アマルとカマル〜手話解説の話 繰り返し何度も読ませてもらってます。 『狼少年』について考えるにあたって、とても貴重なモノローグですよね。 “やさしすぎて…怖い”についても、たいへん興味を惹かれます。 “やさしさ”も突き詰めれば“怖い”という次元のものなのかも知れませんね。 なんだか、わかったようなことを言ってしまいました。スミマセン‥ カテドラルでの「地平線」の手話
“地平線の向こうには おかあさんと おなじやさしさがある” を見たとき、すでに童子さんのなかで「地平線」の中に“狼少年” を見いだしていたのかなぁ‥なんて思いました。 「狼少年・ウルフボーイ」を聴くと、ものすごく神聖な 空気につつまれているような気持ちになります。 ‥聴くたびにゾクゾクしてしまうんですよね… 93 名前:born115 投稿日:2007/ 4/22 19:42 >>92 nonko551jp Re:アマルとカマル〜手話解説の話 nonko551jp さん、こんばんは。 > カテドラルでの「地平線」の手話 > “地平線の向こうには おかあさんと おなじやさしさがある” > を見たとき、すでに童子さんのなかで「地平線」の中に“狼少年” > を見いだしていたのかなぁ‥なんて思いました。 私もこの手話通訳が、「地平線」と“狼少年”が結びつくきっかけ だったのではないかと思ってます。 「マザー・スカイ」が出た頃は、↓No.90 の中に引用した童子さん の話のように、「地平線」はまだ、母との関係だけだったようですね。 それが、 多分1977年に童子さんの中に“狼少年”のイメージが芽生えて … 78年のカテドラルで二つが結びついて … 83年の「狼少年・ウルフボーイ」の 『 狼に育てられた ぼくは涙も笑うことも しりません 』 に帰結された … というのが、私の推測です。 ついでに私の想像ですが、「狼少年」のコンセプトの詩・曲は童子 さんの中で模索されつづけたのかもしれないですね。 でも、最終的には、童子さんの原点である「地平線」が最もふさわ しい曲だった。なんだか、チルチルミチルの“青い鳥”のようですが。 > 「狼少年・ウルフボーイ」を聴くと、ものすごく神聖な > 空気につつまれているような気持ちになります。 神聖な! そう言われて、はっとしました。 今まで私は、「狼少年・ウルフボーイ」は、どちらかというと、 たんたんと唄われているような気がして、「地平線」に比べて 感情というものを超越してるような感じに受け取っていたの ですが、なるほど、神聖といわれるとそんな感じがします。 『狼少年』では、“地平線の向こう”から童子さんは歌を届けて くれたのでしょうか? 94 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 5/ 2 0:02 >>1 born115 たんごの節句 こんばんは〜。 きょうから5月、もうすぐ「たんごの節句」ですね。 カテドラルでは「ぼくを見かけませんでしたか」や「たんごの節句」も 唄われたんですね。 それを知って、ひょっとして楽譜集に載っていたカテドラルでの ステージの端に写ってるお琴?(和服の女性)は、ひょっとして 「たんごの節句」の時に演奏されたのかな?と瞬間的に思いました。 (和楽器のイメージがあったもので‥)アルバムでは、太鼓?でしたよね。 もし、そうだったとしたらどのようなアレンジだったのか興味があります。 それから、カテドラルでは“ア・ボーイ”からは1曲も唄われていないと 思っていたのですが、収録はされなかったけど1曲でも唄われたことが わかってうれしかったです。 95 名前:born115 投稿日:2007/ 5/ 9 21:30 >>94 nonko551jp Re: たんごの節句 のんこさん、こんばんは。 > カテドラルでは“ア・ボーイ”からは1曲も唄われていないと > 思っていたのですが、 「ぼくを見かけませんでしたか」と「蒼き夜は」、たぶんこの2曲だけ です。 琴の他に、LPと同様にタイコも使われたのだと思います。 ↓をご参照ください。 『とにかく、教会というところ、照明、PAの電源はない。ホールエコー すらかかる。 シンセサイザー、弦楽四重奏、琴、ピアノ、ギター2本、 タイコのアレンジを5日前になって急遽変更。 その間は1日+数時間 特訓。 初めての試みだけに苦労は多かったようで、いまだに疲れは 抜けてないようだった。 でも、このコンサートを経験し童子は大きく なった。』 96 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 5/16 0:33 >>95 born115 カテドラルコンサート bornさん、こんばんは。 そうなんですか、太鼓も。 そういえば「たんごの節句」は尺八?の音色から始まるんでしたね。 いまはそうでもないんですけど、なんというか‥ 実を言うと最初聴いたとき、ちょっと照れくさかったんですよ(笑)。 それにしてもいろんな意味でコンサート実現まで大変な苦労があったんですね。 そう思うと、ほんとうに特別なライブアルバムですよね。 ちょっと思ったのですが、LPではB面の1曲目が「友よ泣かないのか」で 鐘の音から始まりますよね。 bornさんの書かれた“カテドラル・実際の曲順 (メッセージbT5)” では、「友よ…」は11番目ということでコンサートで17〜18曲唄われた として、憶測ですがプログラム、進行?が前半と後半にわかれていて、 その後半1曲目が「友よ…」で あの鐘の音は後半に入る始まりのチャイムだったのかな?と… そんなふうに考えると“アマルとカマル〜”の話の中のカテドラルでの 『前半の4曲‥』の意味が理解できるような…… 97 名前:born115 投稿日:2007/ 5/20 21:50 >>1 born115 森田童子・手書き楽譜カット・その1 1. まぶしい夏 /五線譜“まぶしい夏” 『淋しいかたみになりました =遠い夏の日の=ぼくは汗ばんだ あのVころのV景色を=今でも= よく覚えている』 淋しいかたみになりました ぼくは汗ばんだ なつかしいあの頃の 景色をよく覚えている 2. 地平線 /五線譜“君は変(わっ)ちゃったネ”
『地平線の向うには 血よりも 赤い =涙の河がある= 夕焼けがある だから 傷ついた 戦士のように 故郷を 思うのです』 地平線の向こうには 血よりも赤い 夕焼けがある だから傷ついた 戦士のように 故郷を思うのです 98 名前:born115 投稿日:2007/ 5/26 18:43 >>97 born115 森田童子・手書き楽譜カット・その2 3.淋しい雲 /五線譜“センチメンタル通り” 『=いつも君の= いつも君のあとから V長い影をふんでV いつも君のあとから ついてゆきたい 君はぼくのともだちだから Xだから遠くのひとのいる やっぱり君と一諸に旅に (注:原ママ) 出るべきだったX どこへ行くあてもなく ぼくたちは よく 歩いたヨネ』 いつも君のあとから長い影をふんで いつも君のあとからついてゆきたい どこへ行くあてもなく ぼくたちは よく歩いたよネ 夏の街の夕暮れ時は 泣きたいほど淋しくて ぼくひとりでは とてもやって ゆけそうもないヨ 4.早春にて /五線譜“早春にて”
『君の好きな 黒いセーター =かきあげる長い髪= 故郷へ帰る後姿 =さよなら もろく= =滅びた 青春たち= いつまでも見ていた 肩をたたいて ただ友情だけは』 君の好きな黒いセーター 故郷へ帰る後姿 いつまでも見ていた 肩をたたいて ただ 友情だけは 信じると 淋しく笑った 99 名前:born115 投稿日:2007/ 5/30 21:01 >>98 born115 森田童子・手書き楽譜カット・その3 5.早春にて /五線譜“早春にて” 『黒いセーター Mかきあげる長い髪M 故郷へ帰る 後姿いつまでも見ていた』 君の好きな黒いセーター 故郷へ帰る後姿 いつまでも見ていた 6.春爛漫 /五線譜“ ? ”
『=桜並木の下=桜の花びらふんで歩いた 君と肩くんで 熱くこみあげた =遠い春= 春よ 春に 春=は=の 春は』 桜の花びら 踏んで 歩いた 君と肩くんで 熱くこみあげた 春よ 春に 春は 春の 春は遠く 【記号の説明】 『 』内が童子さんの手書きのカットです。 =……=、X……X、M……M は、……が それぞれ、2本線、×印、波型の 線で消されていることを示します。 V……V は、……が V印で挿入されていることを示します。
100 名前:born115 投稿日:2007/ 6/ 1 19:59 >>1 born115 今日は6月1日です ♪今日1日は 君に会わない 今日だけは … … この曲、聴いてみたいです。 誰か聴かせてくれないかなぁ、口ずさむだけでもいいから…。 101 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 6/10 21:47 >>1 born115 “春爛漫”と“今日は奇蹟の朝です” 「マザー・スカイ」の中でもどこか異彩を放っているような気がします。 本格的に女性コーラスが入ったのは、「マザー・スカイ」からであり 同アルバム中、シーザーが編曲したこの2曲だけなんですよね。 “今日は奇蹟の朝です”は、当時から不思議な気持ちで聴いていましたが 詩とアレンジが絶妙なバランスで融合していて、やっぱりいいなぁ‥!と 思ってしまいます。 102 名前:born115 投稿日:2007/ 6/21 21:47 >>101 nonko551jp Re: “春爛漫”と“今日は奇蹟の朝です” こんばんは、nonko551jpさん。 7年ぐらい前、新宿の中古レコード屋さんに森田童子のレコードを探しに 行ったときのことです。 そのお店に飾られていた「マザー・スカイ」の LPを見てびっくりしました。 なんと “J.A.シーザー 作品” というレッテル が貼られていたのです。 最近はオークションなどの商品説明で、“J.A. シーザー関連”という文字は、よく見かけるようになりましたが、このLPが シーザーファンのコレクターズアイテムになっていることを、そのとき初め て知りました。 私は、この2曲は間違いなく他とは別セッションのものだと思ってます。 バイオリンと女性コーラスがメインで、石川鷹彦さんのギターが無いこと からも、他の曲とは曲調が違いますよね。 何と表現したら良いかわからないけど… J.A.シーザーのこのアレンジは 聖歌調とでもいうんでしょうか? ライブでの童子さんのアレンジは、またひと味違ったように思われます。 “春爛漫”は、激しいストローク奏法で情熱的に唄われたような印象を うけました。 “今日は奇蹟の朝です”のほうは、アルペジオ奏法で完全な“童子節”に なってたように思います。 アレンジを比較するのも興味深いですね。 103 名前:born115 投稿日:2007/ 6/24 17:41 >>1 born115 2度目の文芸坐ル・ピリエ公演が83年に?? 下は最近見かけた1983年の音楽雑誌の記事です。 連続7日間のコンサート、実際に開かれたんでしょうか? もしそうなら、狼少年創刊準備号の公演軌跡に書かれてても よさそうに思えるんですが…。 『これから何色にでも染まる色が“白”ならば、一切、外側 からの影響を寄せつけない色、つまり“黒が森田童子の色 なのだ。 7月11日から17日までの連続7日間、東京・池袋文芸坐ル・ ピリエにて森田童子のコンサートが開かれる。タイトルは 森田童子「ねじ式」。料金は前売り2400円、当日2700円。 激しい抵抗力を持つ“黒”という色に、ほんの少し触れて みないか。』 料金は、その年12月の前進座劇場とそっくりそのまま同じですね。 104 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 7/ 7 23:15 >>1 born115 “友よ”の謎 ポリドール版『カテドラル』のテープのB面一曲目ですが、 “友よ”になっていますね。 ちなみにポリドール版のレコードの方は「友よ泣かないのか」 です。 なぜなんでしょう?? 「友よ泣かないのか」については、これで3通り タイトルがつけられたことになるんでしょうか? 105 名前:born115 投稿日:2007/ 7/ 8 21:28 >>104 nonko551jp Re: “友よ”の謎 > ポリドール版『カテドラル』のテープのB面一曲目ですが、 > “友よ”になっていますね。 ワッ! 今まで気がつきませんでした! 早速調べてみたら、なるほど、外装ケースにも歌詞カードにも、 タイトルは「友よ」と書かれてました。 「ぼくたちは輝く陽射しを目ざすべきではなかったのか」に 代わるタイトルとして最初に候補にあがったのが、この「友よ」 だったのかもしれませんね。 でも岡林信康の同名異曲が あった…。 最終的に「友よ泣かないのか」に決定されたんだけども、 CTはLPほど重要視されてなかったので、変更されない まま発売されてしまった。 と、いう推理はどうでしょう? でも、童子さんとしてのこの曲のタイトルは、ずっと「ぼく たちは輝く陽射しを目ざすべきではなかったのか」であったと、 わたしは思っています。 アルバム“ア・ボーイ”に収録される予定だったのに、収録 されなかったというのも、タイトルで折り合いがつかなかった ことが一因のような気がしてなりません。 106 名前:born115 投稿日:2007/ 7/12 20:12 >>1 born115 森田童子・全CT カセット・テープ版の話題が出ましたので、そのリストを 載せておきます。 これがすべてだと思います。 番号からいって、カセットでは「マザー・スカイ」が最初だった ようですね。 1993年のベストコレクションI、II にもカセット版があったの にはおどろきました。 2003年のときは、カセット版はプロモだけだったはずです。 ========================================== 森田童子・全カセット CR 2066 マザー・スカイ CR 2071 GOOD BYE グッドバイ CRF 5038 ボーイ CRQ 4036 森田童子全曲集 CRF 5071 森田童子ライヴ LKF-1002 森田童子全集/グッドバイ LKF-1003 森田童子全集/マザー・スカイ LKF-1004 森田童子全集/ア・ボーイ LKF-1005 森田童子全集/聖マリア大聖堂録音盤 LKG-7002 友への手紙 LKF-7016 ラスト・ワルツ LKF-8039 夜想曲 LKF-8063 狼少年 16L4-95 映画「グッドバイ」 WPTL-735 ぼくたちの失敗 ベスト・コレクション 4509-94629-4 たとえばぼくが死んだら ベスト・コレクションII TOCT-24979 森田童子ベストコレクション(プロモのみ) TOCT-4444 ぼくたちの失敗/蒸留反応 (プロモのみ) ========================================== 107 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 7/13 20:40 >>105 born115 Re: “友よ”の謎 bornさん、こんばんは! >CTはLPほど重要視されてなかったので、変更されない >まま発売されてしまった。 と、いう推理はどうでしょう? LPに比べ、確かにCTは地味なイメージがありますよね。 それにしても、こんなことがあるんですね〜。 おっしゃるように、“友よ”は「友よ泣かないのか」に決まる前の 候補だったのかも知れませんね。 (ちなみに、ワーナー版カセットの『カテドラル』は「友よ泣かないのか」ですね。) 「ぼくたちは輝く陽射しを目ざすべきではなかったのか」を踏まえて、 このことで「友よ泣かないのか」に落ち着くまでのタイトルの変移というか、そういったものが垣間見れたように思います。 もし、「友よ泣かないのか」が『ア・ボーイ』に収録されていたなら 誰の編曲でどのような仕上がりになっていたのでしょうネ。 108 名前:born115 投稿日:2007/ 7/14 20:54 >>107 nonko551jp Re: “友よ”の謎 > ちなみに、ワーナー版カセットの『カテドラル』は「友よ泣かないのか」 ですね。 そうなんですか! 全集IV のカセットは持っていないので分からなかった のですが、ワーナーは、ちゃんと修正して発売していたんですね! ところで、以前にも書きましたが、カテドラルの1年前に音楽雑誌に掲載 された詩では、タイトルが「新しい朝のために」になってます。 テーマを 的確に表わしているタイトルのように思います。 「新しい朝のために」 「友よ ぼくたちは輝く陽射しを目ざすべきではなかったのか」 「友よ」 「ぼくたちは輝く陽射しを目ざすべきではなかったのか」 「友よ泣かないのか」 候補はきっと、いろいろとあがったんでしょうね。 > もし、「友よ泣かないのか」が『ア・ボーイ』に収録されていたなら 誰の編曲でどのような仕上がりになっていたのでしょうネ。 スタジオ録音は、絶対してると思うんですよ。 いつか世に出て欲しいもの ですネ。 若草恵さんか、木田高介さんか、…想像するだけでも楽しいです。 109 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 7/19 21:33 >>108 born115 Re: “友よ”の謎 >「新しい朝のために」 >「友よ ぼくたちは輝く陽射しを目ざすべきではなかったのか」 >「友よ」 >「ぼくたちは輝く陽射しを目ざすべきではなかったのか」 >「友よ泣かないのか」 >候補はきっと、いろいろとあがったんでしょうね。 こんなにあったんですか〜。 風よ 泣かないのか 時よ 泣かないのか を入れれば1番の詩が完成しますね。 メッセージが1番(4番)の歌詞に集約されている感じがします。 110 名前:born115 投稿日:2007/ 7/28 18:47 >>1 born115 童子さんのサインの傾向 ネットなどから資料として集めてきた童子さんのサイン、何年か ぶりで集計してみました。 ●アルバム別集計 サインの(延べ枚数)/(種類) ・グッド・バイ 8曲 26/12 ・マザー・スカイ 5曲 20/11 ・ア・ボーイ 4曲 11/6 ・東京カテドラル 1曲 1/1 ・ラスト・ワルツ 7曲 15/12 ・夜想曲 3曲 11/7 ・狼少年 3曲 12/9 計 96/58 データが96枚になりましたので、サインに対する童子さん の傾向が、ある程度わかってくるのではないかと思いました。 まんべんなく多いのがグッド・バイとラスト・ワルツですね。 マザー・スカイも多いけど、偏りがあります。 グッド・バイでは2曲が、ラスト・ワルツでは1曲がまだ 見つかっていません。 この3曲すぐに推測できますか? 曲別に集計して一番多かったのは 「サナトリウム」 でした。 8枚で、種類も多く、5種類も見つかってます。 種類別で一番多かったのは 「君と淋しい風になる」 の 『いつか ひとりで 淋しい風になる』 のサインです。 6枚見つかっています。 111 名前:born115 投稿日:2007/ 7/30 20:11 >>1 born115 童子さんのサイン・曲別集計 (延べ枚数)/(種類) ●good-bye/グッド・バイ 4/1 G0 Good Bye 1/1 G1 早春にて 2/1 G2 君は変わっちゃったネ 2/2 G3 まぶしい夏 0/0 G4 雨のクロール 2/1 G5 地平線 2/1 G6 センチメンタル通り 5/2 G7 淋しい雲 0/0 G8 たんごの節句 3/1 G9 驟雨(にわか雨) 5/2 G10 さよなら ぼくの ともだち ●マザー・スカイ 1/1 M0 きみは 悲しみの青い空をひとりで飛べるか 2/2 M1 ぼくたちの失敗 0/0 M2 ぼくと観光バスに乗ってみませんか 5/2 M3 伝書鳩 4/1 M4 逆光線 0/0 M5 ピラビタール 4/3 M6 海を見たいと思った 0/0 M7 男のくせに泣いてくれた 0/0 M8 ニューヨークからの手紙 4/2 M9 春爛漫 0/0 M10 今日は奇蹟の朝です ●a boy/ア・ボーイ 1/1 A0 a Boy 0/0 A1 蒼き夜は 6/1 A2 君と淋しい風になる 0/0 A3 ふるえているネ 0/0 A4 ぼくを見かけませんでしたか 0/0 A5 セルロイドの少女 2/2 A6 淋しい素描 1/1 A7 ぼくが君の思い出になってあげよう 1/1 A8 G線上にひとり 0/0 A9 終曲のために第3番「友への手紙」 ●東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤 0/0 T6 友よ泣かないのか 1/1 T10 風さわぐ原地の中に ●ラスト・ワルツ 2/2 L1 赤いダウンパーカーぼくのともだち 2/2 L2 菜の花あかり 3/2 L3 海が死んでもいいョって鳴いている 1/1 L4 グリーン大佐答えて下さい 4/3 L5 みんな夢でありました 1/1 L6 きれいに咲いた 0/0 L7 たとえば ぼくが死んだら 2/1 L8 ラスト・ワルツ ●夜想曲 1/1 Y1 蒸留反応 2/1 Y2 淋しい猫 0/0 Y3 ぼくは16角形 0/0 Y4 麗子像 8/5 Y5 サナトリウム 0/0 Y6 船がくるぞ 0/0 Y7 孤立無援の唄 0/0 Y8 哀悼夜曲 0/0 Y9 ラスト・ワルツ ●狼少年 1/1 O1 愛情練習(ロシアン・ルーレット) 4/3 O2 ぼくを見つけてくれないかなァ 0/0 O3 ぼくは流星になる 0/0 O4 151680時間の夢 0/0 O5 球根栽培の唄(ときわ荘にて録音) 0/0 O6 ぼくのせいですか 7/5 O7 憂鬱デス 0/0 08 狼少年・ウルフボーイ ・「孤独な ぼくたちの 長い影が 春の陽射しに ひなたぼっこ」 ・「今夜のような 暗い夜 どんな星の 話をしましょうか」 112 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 8/ 3 23:11 >>110 born115 Re: 童子さんのサインの傾向 bornさん、こんばんは。 >グッド・バイでは2曲が、ラスト・ワルツでは1曲がまだ >見つかっていません。 この3曲すぐに推測できますか? ものすご〜く考えて、当たったのは「グッド・バイ」の“たんごの節句” 1曲だけでした(笑)。 >種類別で一番多かったのは 「君と淋しい風になる」 の >『いつか ひとりで 淋しい風になる』 のサインです。 >6枚見つかっています。 何度か目にしたことはありますが、6枚とは! それもピンポイントで! 童子さん、お気に入りのフレーズだったのかな? なんだかとても嬉しい気持ちになりました。 113 名前:born115 投稿日:2007/ 8/ 4 20:57 >>112 nonko551jp Re: 童子さんのサインの傾向 のんこさん、こんばんは。 “たんごの節句”と“たとえばぼくが死んだら”がまだ見つかって いないというのは、ぼくにとってはちょっとした驚きです。 両曲ともサインとして、個人的にぜひ欲しいフレーズがたくさんある んですヨ。 “君と淋しい風になる”が『いつか ひとりで 淋しい風になる』の 部分のみに(ピンポイントで)集中してるというのも注目ですね。 サビ中のサビというか、童子さんの気持ちもこのフレーズに集約され てたんじゃないかと思っています。 114 名前:born115 投稿日:2007/ 8/ 5 21:23 >>1 born115 つれづれなるままにかく語りき 「つれづれなるままにかく語りき」は、おそらく1973年頃からだと 思いますが、1977年まで、長年にわたってmcSister で連載されました。 “語り部”として登場したのは、吉田拓郎、高田渡、イルカ、リリィなど、 フォーク界のシンガー・ソングライターばかりだったようです。 イラストは毎回、鈴木康司(スズキコージ)さんでした。 最近、童子さんの連載が始まる直前の回に、童子さんの登場を“予告” するような記載をみつけましたので、私のプロフにアップしておきます。 鈴木康司さんの6コマまんがのうちの1コマです。 童子さんがデビューして半年ちょっとしか経っていないのに、連載の依頼 がきてたことになります。 童子さんは全部で4回執筆しました。 「つれづれなるままにかく語りき」の最終回を飾ったのは、童子さんです。 115 名前:born115 投稿日:2007/ 8/15 17:18 >>1 born115 アルバム“ラスト・ワルツ”のジャケット LPのジャケットは、童子さんの、スーツ姿で直立・横顔の写真。 高梨豊 氏撮影によるもので、場所は名画並木座(LPのクレジットより)。 最近、このジャケット写真と全く同一・同サイズの offprint が見つかりま した。 ジャケットの製造過程を知らないのでなんとも言えませんが、ジャ ケットの“原版”として使用されたものなのか、試し刷りみたいなものなの か、あるいは何かのプレゼント用にプリントされたものなのか … この写真をよく見ると、今まで意識しなかったことですが、周りが黒マジッ クで縁取りされています。 裏ジャケットもそうです。 いかにも手作業だ と、一見してわかるように … 1993年、全7枚のオリジナル・アルバムがCDとして再発された際に、この “ラスト・ワルツ”のジャケットだけが表、裏とも一新されました。 表ジャケットは、ギターを弾く童子さんを左上方から撮ったモノクロの写真。 童子さんの親指の爪が印象的です。 この写真は、1978年6月、ポリドール 時代の集大成として発売されたCT森田童子全曲集のジャケットして使われ ました。 ただし、モノクロの写真そのものではなく、写真からおこしたフル カラーのイラストになっています。 photographer は、渡辺○一さん(日本 デザイン専門学校デザイン科1年在学中)で、 designed by Sakai Design Room (CTのクレジットより)。 裏ジャケットの写真は、1980年11月の黒色テント“夜行”のときのものです。 楽譜集“夜想曲”に掲載された写真と全く同一のものですが、時計まわりに 約60度も回転されています。 左下隅の斜めの棒状のものは、本来ほぼ 水平であるはずの、マイクスタンドのアームと思しきものです。 端っこが 切れたためでしょう、修正加筆されています。 (私のプロフに、元の写真を乗せておきます) 116 名前:k_1920 投稿日:2007/ 8/18 2:14 >>115 born115 Re: アルバム“ラスト・ワルツ”のジャケッ born115 さんこんにちは! 久しぶりに書き込みします。 >このジャケット写真と全く同一・同サイズの offprint >が見つかりました。 同じ写真ですか、これは凄いですね! >周りが黒マジックで縁取りされています。 >いかにも手作業だと、一見してわかるように … そうだったのですか、ネガフィルムを手作業でプリントする時に 絵柄の縁をマスキングせずに画面すべてを印画紙に焼き付けたもの だと思ってましたが、マジックだとは気が付きませんでした。 >“ラスト・ワルツ”のジャケットだけが表、裏とも一新されました。 ラスト・ワルツのみ何故なんでしょうね。 117 名前:born115 投稿日:2007/ 8/22 18:58 >>116 k_1920 k_1920 さん お久しぶりですね! このoffprintは、ブロマイドなんかに使われる印画紙と同じ紙質のもの で、経年による焼けもみられるので、たぶん当時のものだと思うんです が、原画なのか複写したものなのか、素人なので判断できません。 > 絵柄の縁をマスキングせずに画面すべてを印画紙に焼き付けたもの そうなんですか。 素人なのでわかりませんでした。 この掲示板を見たかたから指摘されたのですが、“ラスト・ワルツ”の 特典の写真も、同じように縁取りされていました。 太さは、特典のほう は少し細くなっていますが。 >>“ラスト・ワルツ”のジャケットだけが表、裏とも一新されました。 > ラスト・ワルツのみ何故なんでしょうね。 私としては、これだと強く確信している理由があるのですが、しょせん 推測なのでここには書けません。 でも、k_1920 さんが推測されている 理由と、きっと同じはずですよ!(^^) 118 名前:born115 投稿日:2007/ 8/22 19:36 >>1 born115 ○○が落とした△ 『森田童子の美しい言葉は あまりにも孤独で まるで ○○が落とした△のようだ(川崎市/湯本◇雄)』 これは、夜想曲のときのものです。 童子さんを形容するキャッチ・フレーズは沢山ありましたが、 おそらくこれが時期的に最後のものでしょう。 湯本さんは、「狼少年・創刊準備号」の“編集人”であり、 おそらくエッセイ“夜想曲”の U少年ではないかと思います。 『森田童子の歌声は、○○が落とした△に似ています』 というのもあります。 童子さん公認のキャッチ・フレーズと なってます。 ○○、△の部分はあえてふせました。 クイズのつもりですが バレバレですか? 119 名前:born115 投稿日:2007/ 8/23 19:47 >>118 born115 訂正です↓ あまりにも孤独で(誤り) → あまりに孤独で(正) です。 申し訳ありませんでした。 120 名前:born115 投稿日:2007/ 8/28 20:25 >>1 born115 ベストコレクションに収録されなかった曲 1993年の“ラスト・ワルツ”のジャケット変更もそうですが、ベスト・ コレクションの選曲も意味深のように思われます。 2003年、東芝EMI に童子さんの“オフィシャル・サイト”が立ち上げら れたとき、“ルポルタージュ”と題する田家○樹氏による巻頭文みたい なのが載っていました。 その中に、 「(2003年の)ベストコレクションの中に“さよなら ぼくの ともだち”を入れるよう要請したらしいが、童子の意向により 拒否されたという」 という趣旨のことが書かれていました(文面は正確ではありません)。 また聞きのような文だったので、真相は定かでないと思いますが、 どちらにしてもベスト・コレクションの選曲には、あれっと思うほどの 偏りがありますね。 1993年のベスト・コレクションI、II、2003年のベストコレクション、この 3枚のベスト盤に収録されなかった曲は、 ・ 7.5曲 = グッド・バイ ・ 5 曲 = マザー・スカイ ・ 4 曲 = ア・ボーイ ・ 1 曲 = ラスト・ワルツ ・ 2.5曲 = 夜想曲 ・ 3 曲 = 狼少年 です。 121 名前:born115 投稿日:2007/ 8/29 21:24 >>120 born115 Re: ベストコレクションに収録されなかった ベスト・コレクションに入らなかった曲 G1 早春にて G2 君は変わっちゃったネ G3 まぶしい夏 G5 地平線 G6 センチメンタル通り G8 たんごの節句 G9 驟雨(にわか雨) (G10 さよなら ぼくの ともだち) M3 伝書鳩 M5 ピラビタール M6 海を見たいと思った M8 ニューヨークからの手紙 M10 今日は奇蹟の朝です A4 ぼくを見かけませんでしたか A5 セルロイドの少女 A6 淋しい素描 A9 終曲のために第3番「友への手紙」 T6 友よ泣かないのか T10 風さわぐ原地の中に L4 グリーン大佐答えて下さい Y2 淋しい猫 Y4 麗子像 (Y9 ラスト・ワルツ) O3 ぼくは流星になる O7 憂鬱デス O8 狼少年・ウルフボーイ 122 名前:born115 投稿日:2007/ 9/ 1 19:44 >>1 born115 憂鬱デス/歌詞の変遷 【Ver.1】の時期は不明ですが、 【Ver.1】→【Ver.2】→【Ver.3】 と変わっていったと考えるのが自然かと思います。 ================================================= 【Ver.1】studio out-take 1. 畳にうつぶしては おもしろくなく 仰向けに寝返っては かなしく 体をねじってみては おかしい ※※ refrain 2. 書物を燃す煙りに 目をこする 洗濯の乾き 淋しいにおい 掻きあげる指に 脱毛を見る ※※ refrain 「語り」 3. 暗がりに目を凝らす ふとんの中 友に手紙を書いては 金の無心 悲しい夢に目覚めて 歯を磨く ※※ refrain 【Ver.2】ライブ(81〜83年頃) 1. 畳にうつぶしては おもしろくなく 体をねじってみては おかしい ※※ refrain 2. 書物を燃す煙りに 目をこする 洗濯の乾き 淋しいにおい ※※ refrain 「語り」 3. 暗がりに目を凝らす ふとんの中 悲しい夢に目覚めて 歯を磨く ※※ refrain 【Ver.3】アルバム狼少年 1. 畳にうつぶしては おもしろくなく 体をねじってみては おかしい ※※ refrain 2. 悲しい夢に目覚めて 歯を磨く 洗濯の乾き 淋しいにおい ※※ refrain “ただ何もなく 青いだけの空は”に変更 「語り」 3. 逆立ちして見ては ひとりごと 物干し台の猫が 逃げた ※※ refrain ================================================= 参考のため、refrain は 『 ただ自堕落に おぼれてゆく日々に ひとりここちいい 明日に祈る気持もなく 明日に生きてみる 』、 「語り」は、“ ひとりサクサクと柿を喰らう ”の語りです。 ちょっと危険な投稿ですが、童子さんの貴重な原詩、埋もれ させたくないのでアップしました。 123 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 9/ 2 21:21 >>122 born115 Re: 憂鬱デス/歌詞の変遷 bornさん、こんばんは! >3. 暗がりに目を凝らす ふとんの中 >友に手紙を書いては 金の無心 76年10月10日 筑波大学17号練105号
『(略)寝たきりの放哉は、病苦と孤独と空腹に悩み、 蒲団の中から膨大な数の手紙を書いては、知人に送っています 。 その手紙の内容は、お金と餅の無心ばかりだったそうです。』 童子さんのエッセイを思い出しました。 ちなみに「憂鬱デス」という同タイトルの漫画が“夜行”に 載っていますが、まったく無関係でした(笑)。
124 名前:born115 投稿日:2007/ 9/ 3 22:13 >>123 nonko551jp Re: 憂鬱デス/歌詞の変遷 > 76年10月10日 筑波大学17号練105号 > 『(略)寝たきりの放哉は、病苦と孤独と空腹に悩み、 > 蒲団の中から膨大な数の手紙を書いては、知人に送っています。 > その手紙の内容は、お金と餅の無心ばかりだったそうです。』 > 童子さんのエッセイを思い出しました。 このエッセイのことは、すっかり忘れてましたよ! Ver.1 は尾崎放哉を詠った詩だと直感してはいたのですが、その ものずばりの言葉が童子さんのエッセイの中にあったとは、気づき ませんでした。 7年前どこかの掲示板に書いたことがあるのですが、Ver.3の 「逆立して見ては ひとりごと」 は 「せきをしてもひとり」 を思い起こさせてくれますよね。 76年10月10日、このエッセイの直後に唄った曲は何だったので しょう? それに、“憂鬱デス”の詞、曲がいつ頃できたのか? 80年11月の黒色テント夜行のとき、発売されたばかりの“ラスト ・ワルツ”のLPのジャケットに、童子さんはもう、 「悲しい夢に 目覚めて 歯を磨く」 とサインしているんです。 ということは、“憂鬱デス”は、ほんとうは“ラスト・ワルツ”に 収録されるはずの曲だったのかもしれませんね。 125 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 9/ 7 19:47 >>124 born115 Re: 憂鬱デス/歌詞の変遷 こんばんは! >76年10月10日、このエッセイの直後に唄った曲は何だったので >しょう?
気になりますね〜。 『孤独(ひとり)』がキーワードになると思うのですが、 たくさんありすぎて難しいですね〜。 「淋しい素描」 わたしの中ではピッタリくるのですが…。 それに「憂鬱デス」とは“ラジオ、消しゴム、万年筆…”の語りの 共通点もありますし(笑)。 でも残念ながら、「淋しい素描」(『ア・ボーイ』)はまだ 出来ていないんですよね? >それに、“憂鬱デス”の詞、曲がいつ頃できたのか? >80年11月の黒色テント夜行のとき、発売されたばかりの“ラスト >・ワルツ”のLPのジャケットに、童子さんはもう、 > 「悲しい夢に 目覚めて 歯を磨く」 >とサインしているんです。 アルバムの発売イコールすべて“新曲”(直前に出来た曲) だとは限らないんですよね。 たとえば、レコードの帯であるとか、サインだとかの 詩の一部をとってみても、そのことがわかりますよね。 もちろん詩の一部だけで、曲が完成していたと判断出来るわけでは ありませんが、その可能性も含め、いろいろと想像は膨らみますネ。 余談ですが、昔ウォークマン(死語?)を聴いていて、「憂鬱デス」がかかると、とたんに軽快な足取りになってしまうのが自分でもよくわかりました(笑)。 126 名前:k_1920 投稿日:2007/ 9/ 9 0:57 >>124 born115 Re: 憂鬱デス/歌詞の変遷 こんにちはborn115 さん。 それにしても、貴重な歌詞ですね。 【Ver.2】の歌詞をライブで聴いた事を覚えてます。 当時はまだ発売されてなかった新曲でした。 その時聴いた歌詞は【Ver.1】studio out-takeでは 無かった気がしています。 曲名も違ってたと思いますが。 当時の記憶を思い出してみます。 >ほんとうは“ラスト・ワルツ”に >収録されるはずの曲だったのかもしれませんね。 収録されてたら、どんな曲調になったのでしょうね? 想像するだけで、ワクワクします! nonko551jpさんお久しぶりです。 >童子さんのエッセイを思い出しいました。 凄い記憶力ですね「尾崎放哉」確かにそうですよね! 127 名前:born115 投稿日:2007/ 9/12 21:10 >>126 k_1920 Re: 憂鬱デス nonko551jpさん > 余談ですが、昔ウォークマン(死語?)を聴いていて、 > 「憂鬱デス」がかかると、とたんに軽快な足取りになって > しまうのが自分でもよくわかりました(笑)。 そう言われて、確信できました。 端的に言えば、“studio out-take” バージョンと “狼少年” の バージョンは、もう別の曲だというべきなんでしょうね。 アレンジによって、一つの曲がこうも変わるものかと思い知ら されます。 “studio out-take” バージョンは、完璧な “グッド・バイ” の 「君は変わっちゃったネ」 や 「さよなら ぼくの ともだち」 の 路線の曲だと思うんです。 それが、 “狼少年” では、おそらく “暗い”と言われたイメージを払拭するためだったのでしょうが、 歌詞やアレンジ、唄い方まで変えることになった… ファンの一人として、私は絶対 “studio out-take” バージョン を支持しています。 k_1920さん > その時聴いた歌詞は【Ver.1】studio out-takeでは > 無かった気がしています。 > 曲名も違ってたと思いますが。 > 当時の記憶を思い出してみます。 そうですか。 では、かなり早い時期に【Ver.2】になったと 考えてよさそうですね。 因みに、童子さんの唄い方の違いですが、 【Ver.1】では、 “たーたーみーに〜〜” と平坦なのに対し、 【Ver.2】と【Ver.3】では、 “たたーーみーに〜〜” と、 パッパッと切るようにアクセントをつけてますネ。語り方 もそうなってますし。 タイトルですが、81年12月の両国黒色テントでは、もう 「憂鬱デス」 になってます。 ぜひ、当時を思い出してくださいネ! 128 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 9/16 23:34 >>127 born115 アレンジ 『ちょっと、こう暗めだから何とかビートで明るくこれを表現しようとか いうんですけれども、その人のなかに確かさがなくてアレンジやられた場合 ってのは、たとえば向こうのね何とかビートをもってきたり、リズムを もってこられてもただそれは、職人というか、その‥記号で適当にやるだけ のことでしょ。それが合わなければ「ああ、全然違うね」とか 「意外にこうあれば違和感があって面白いね」とか、そのぐらいの基準だと つきつめようがない‥どこがよくないかとか…(略) その人がその人のこの部分で泣いてくれたりね、心情をぶつけてくれれば、 それが音にならなくてもね‥私はいいと思ってるんですけどね。』 童子さんのアレンジに対する考え方、姿勢がとてもよく感じとれますよね。 k_1920さん こちらこそ、k_1920さんの注意力には頭が下がります!
129 名前:k_1920 投稿日:2007/ 9/20 0:47 >>127 born115 「憂鬱デス」について こんにちはborn115 さん >ァンの一人として、私は絶対 “studio out-take” バージョン >を支持しています。 同感でございます。感無量デス。 >タイトルですが、81年12月の両国黒色テントでは、もう >「憂鬱デス」 になってます。ぜひ、当時を思い出してくださいネ! 当時の記憶と資料を調べ思い起こすと・・ 初めにこの曲を聴いたのは80年代初めでした。 その頃のタイトルは「じだらくした春」か「だらくな春」 そのようなタイトルだったように思います。 当時この曲を数回聴いてるのでタイトルが違ったのは確かです。 コンサートやライブを多く聴いた経験から言える事は、 童子さんはアドリブでお話をするってこともあまり無かったですし 前日と殆ど変らないコンサートやライブの進行風景が有りました。 童子さんは唄を朗読してるかのように“ひとりひとりに語りかけて“唄って くれていたのですネ!その歌詞をじっくり受け止め聴いていただけでしたが、それが “暗い”イメージになってしまったのでしょうか? ある意味、コンサートホールで静かに聴くクラッシック音楽 のような気がします(クラッシックが静かとは限りませんが) 当時の皆さん同様!ライブを“かぶりつきで”(笑)聴いていた時も 今でも“暗い”と言うイメージは皆無ですしネ! nonko551jpさん >こちらこそ、k_1920さんの注意力には頭が下がります! いや〜結構注意散漫ですよ〜 精神年齢は当時も今も変らない自分がいたりしますが(苦笑) 130 名前:k_1920 投稿日:2007/ 9/22 21:36 >>129 k_1920 Re: 「憂鬱デス」について born115 さん年代間違えてました〜済みません。 >初めにこの曲を聴いたのは80年代初めでした。 (81年)のミスです!今頃気が付きました〜遅いですよね(汗 書き込みついでに・・ 時々ライブで出会う数人のファンの方達は顔は知ってるのですが 皆さんお話することもなくライブが終わると帰って行くという状況でした。 でも83年4月29日その日一度だけですが5〜6人のファンの方々と 近くの居酒屋さんで盛り上がった事があります! 看護師さん専門学校生・社会人と様々なメンバーでした。 ファンの方々とご一緒する事はほとんど無かったもので すごく楽しい思い出になりました。 演奏が終わた後のサイン会は童子さんとお話が出来る 唯一の場で興奮したり緊張したりしてサインを頂きました。 レコードの他にカメラのボディーにサインして頂いたのですが 使ってるうちにどんどん消えてしまいました(泣) サインを待つ列は毎回すごかったですよね! 131 名前:nonko551jp 投稿日:2007/ 9/25 0:31 >>129 k_1920 Re: 「憂鬱デス」について k_1920さん、こんばんは! >【Ver.2】の歌詞をライブで聴いた事を覚えてます。 当時はまだ発売されてなかった新曲でした。
>その頃のタイトルは「じだらくした春」か「だらくな春」 そのようなタイトルだったように思います。 そうなんですか。「春」! bornさんの書き込みからも、どの時期の歌詞にも一貫して “柿を喰らう”の語りは入っていたようですね。 いままで、「憂鬱デス」は“サクサクと柿を喰らう”の語りから 『秋』のイメージがあったのですが、最終的にタイトルが 「憂鬱デス」に変わったのは、そんなこともあってのことだった のでしょうか。 >今でも“暗い”と言うイメージは皆無ですしネ! まったく、同感です! “暗い” 童子さんの唄の印象として一般的によく耳にする言葉ですが、 本質はもっと別の次元にあるように思うんですけどネ。 132 名前:born115 投稿日:2007/ 9/29 19:18 >>128 nonko551jp Re: アレンジ > 『ちょっと、こう暗めだから何とかビートで明るくこれを表現しようとか … 1983年2月の放送の中での話しですね。 1980年5月には、童子さんは下記のようなことを話されています。 《 森田童子全集I、IIより、「さよなら ぼくの ともだち」 と 「逆光線」を 聴き、この2曲のアレンジの感想を求められて 》 『 う〜ん、やっぱりこう付け足していく作業なのかどうか、っていうか、 やっぱ取り除いていくことなんじゃないかと思うんですョね。 なんかまだ、余分なものがついてるような気はしてるんですけどね。 詞でもそうだと思うんですね。 やっぱり最終的にこう、出す段階に なって、いかにそれを、いろんなもう、くっついてるものを取り除いて、 すごくこうシンプルな、簡素なものにしていくかっていうところで、 すごく苦労するわけですけどもね。 なんかゴタゴタくっついて、何言ってるか、こう、分からないような、 音とか言葉とか、そういうものをいかにこう、元に戻すっていうかね、 その辺がいちばん… 建設じゃなくて、やっぱ壊していくっていうところ がいちばん… 』 133 名前:born115 投稿日:2007/ 9/29 21:59 >>130 k_1920 Re: 「憂鬱デス」について k_1920 さん、 当時の感動のひとつひとつを思い出していただき、ありがとう ございます。 童子さんのライブの興奮が、私にもまるで昨日の できごとのように伝わってきました。 カメラのボディーにサインしてもらったひとなんて、後にも 先にも k_1920 さんだけでしょう! それに、k_1920 さんは もらったサインのうち、3つも同じフレーズのものがあるそう ですが、童子さんはきっと k_1920 さんに、何かを感じる所 があったんでしょうね! でなきゃ、いつも同じフレーズに なるなんて考えられないですヨ。 「憂鬱デス」(タイトルは別)が、81年の初頭に、もう唄われて いたというのは、びっくりですね。 この時期はまだアルバム “ラスト・ワルツ” が発売されて間もないころですから、 アルバム発表後にすぐまた次のアルバムのための新曲を 披露するというのは、ちょっと不思議な感じがします。 ですから 「憂鬱デス」 は、“ラスト・ワルツ” に収録される 予定だったんじゃないでしょうか? その “ラスト・ワルツ”ですが、 “ 幻の名盤・森田童子全集 ” の販促のチラシを見ますと、 「 森田童子ニューアルバム、9月25日発売決定 !! 」 と書いてあるんです。 実際には、11月20日、黒色テント劇場 夜行の公演に合わせて発売されたわけですが、当初は、その 二ヶ月前に発売される予定だったんですね。 このチラシには、 「 森田童子/超満員御礼速報 !! 」 として、6月3日から5日間公演された池袋文芸坐のコンサート のことが書かれていますので、6月か7月に印刷されたもの でしょう。 ニューアルバムの発売が延期された理由は何だったのか、 想像はいろいろ膨らんでしまいますが、「憂鬱デス」 の 未発表バージョンは、この頃レコーディングされたのでは ないかと想像しています。 134 名前:nonko551jp 投稿日:2007/10/ 5 0:35 >>132 born115 1980年5月の話 bornさん、こんばんは! >詞でもそうだと思うんですね。 やっぱり最終的にこう、出す段階に >なって、いかにそれを、いろんなもう、くっついてるものを取り除いて、 >すごくこうシンプルな、簡素なものにしていくかっていうところで、 >すごく苦労するわけですけどもね。 [憂鬱デス」の歌詞の変遷にも、通じるところがあるように思いました。 なぜでしょう… “壊していく”という言葉に敏感に反応してしまいました(笑)。
135 名前:born115 投稿日:2007/10/13 18:11 >>1 born115 三重県のKさんのこと 三重県に、KYさんという古くからの童子ファンの方が いらっしゃいます。 Kさんが初めて童子さんの曲を聴いたのは、FMで録音した グッドバイからの5曲で、その後少しずつ興味を持つよう になり、アルバムを買われたんだそうです。 お気に入りは「地平線」と「まぶしい夏」。 あるとき、旅行先で「地平線」をみんなの前で披露した ところ、唄い終わった後で、「今の歌は詩吟か?」と、 Kさんの親しい友人に尋ねた人がいたんだそうです。 また、テープで「たんごの節句」の歌詞を覚えようと した頃、「夏虫鳴いて」が、どうしても「水虫鳴いて」とか 「うつ(鬱)虫鳴いて」と聞こえてしまったんだそうです。 Kさんはその後、童子さんの記事の切り抜き等を収集して 大変なコレクターになられたそうです。 あるとき、童子さんが、Kさんのスクラップブックを見て、 ぜひ貸して欲しいと頼まれたんだそうです。 1982年、放送局などに配られた見本盤「夜想曲」には 10ページのコピーから成る、童子さんの記事などの資料 が、添付されていました。 一見、無造作に切り抜かれた記事なんかもいろいろ混ざっ ていて、この中の資料のいくつかが、もしかしたら、 Kさんのコレクションだったのかなぁと、思ったりしてます。 Kさん、ぜひ一度お話しを聞いてみたい方のひとりです。 136 名前:k_1920 投稿日:2007/10/15 23:35 >>1 born115 早いもので・・ born115さん 本日で掲示板開設一周年ですね! いろいろ貴重なお話をありがとうございます。 こらからも宜しくお願い致します。 137 名前:nonko551jp 投稿日:2007/10/22 18:48 >>135 born115 Re: 三重県のKさんのこと >また、テープで「たんごの節句」の歌詞を覚えようと >した頃、「夏虫鳴いて」が、どうしても「水虫鳴いて」とか >「うつ(鬱)虫鳴いて」と聞こえてしまったんだそうです。 わたしも、「球根栽培の唄」を聴いていて “長い思想のむなしさを読む”が、“ナガイイッソウのむなしさを読む” に聞こえて長い間ずっとそう思い込んできました。 ナガイイッソウ?文学者の名前か何かだとばかり…(^^;) 『狼少年』は当時、歌詞が載っていなかったので、CDで初めて 間違えて覚えていたことに気付きました。 だけど、一度刻み込まれた記憶というのは簡単に消せない ものですね。いまも、染みついてしまっています。 138 名前:born115 投稿日:2007/11/ 2 21:53 >>136 k_1920 Re: 早いもので・・ k_1920 さん、こんにちは。 最初は3ヶ月か半年のつもりでいたんですが、味気ない“アゲ”を することもなくよく1年も続いたものだと思います。 k_1920 さんや nonko551jp さんのおかげですね! nonko551jp さん、 “ナガイイッソウのむなしさを読む”はオモシロいです! 私は“マツ虫鳴いて”が、こびりついて離れません(笑)。 139 名前:nonko551jp 投稿日:2007/11/ 9 18:55 >>138 born115 bornさん こちらこそ、いつも貴重なお話をしていただき、 楽しませていただいて感謝の気持ちでいっぱいです。 唐突ではありますが、やはり『グッド・バイ』は入魂の一枚ですネ。 一曲、一曲が心に浸透していく感じがします。 なかでも「地平線」を聴くと、とても穏やかな気持ちになったり、また あるときは思わず気持ちが昂って、こみ上げてきたり… 魂を揺さぶられるような…うまく表現できないのですが、 「地平線」はわたしにとってかけがえのない、いっとう好きな唄です。 140 名前:born115 投稿日:2007/11/16 20:05 >>139 nonko551jp nonkoさん .Re:地平線/グッド・バイ nonkoさん > やはり『グッド・バイ』は入魂の一枚ですネ。 > 「地平線」はわたしにとってかけがえのない、いっとう好きな唄です。 ぼくもですね、童子さんを好きになってからナンバーワンとツーは ずっと変わらない“わけ”です。 ワンは「地平線」。 『グッド・バイ』のときは、後の『マザー・スカイ』収録曲の約半数を 含めて、数多くの名曲の中からえりすぐられたということなんですよね。 だから最もインパクトの強いアルバムになったんだと思っています。 充電後の『ラスト・ワルツ』にも同じことが言えそうですね。 下記、以前載せたことがあるかもしれませんが、貴重なインタビュー 記事です。 ●ファースト・アルバム、『グッド・バイ』からちょうど1年経ちますが、 今回の『マザー・スカイ』に納められている曲は、『グッド・バイ』の頃 からすでに作っていた曲ですか。 ●半分はそうです。『グッド・バイ』以後作った詩は、「ぼくたちの失敗」 とか、「今日は奇蹟の朝です」などがあります。 一番初めのLPの中で「さよならぼくのともだち」がシングル・カット され、一つの私の世界と思われる部分がありますが、私が一番こだわって いるのは「地平線」な訳です。 141 名前:nonko551jp 投稿日:2007/11/23 22:05 >>140 born115 地平線 bornさん、こんばんは〜。 >ぼくもですね、童子さんを好きになってからナンバーワンとツーは ずっと変わらない“わけ”です。 ワンは「地平線」。 マイ・ベストテンには必ず入っていたのですが なかなか順位がつけられなくて… でも、自分の最期の時に聴きたい唄って考えたときに 迷わず「地平線」って思ったんですヨネ。 その時から、わたしの中で揺るぎないものになりました。 ですが、今でもその他の曲の順位というと大変悩んでしまいます(笑)。 >私が一番こだわって いるのは「地平線」な訳です。 「地平線と狼少年」について、童子さんのインタビュー記事をもとに これまで、いろんなお話をうかがってきましたが、 童子さんがずっとこだわり続けてきたことを、あらためて うかがい知ることの出来る本当に貴重なインタビューですね! 142 名前:born115 投稿日:2007/11/25 22:19 >>1 born115 1977年7月 1977年7月31日新宿ロフトでのライブの曲順が、最近2ちゃんねるに 投稿されました。 ロフト出版の本によれば、このライブで“コンサート活動一時休止” ということになります。 ちょうど“ボーイ”のレコーディングに入る頃 ですね。 曲目リスト↓を見て、いくつか興味深いことがあります。 この時点でまだ未発表で、その年12月発売の“ボーイ”に収録され たのは、「淋しい素描」と「セルロイドの少女」の2曲です。 「G線上にひとり」が唄われてなかったのは、ちょっと意外でした。 「淋しい素描」は、地味なので“グッド・バイ”に入らなかった曲なん だそうです。早くから完成されてた曲だったんですね。初耳です。 「セルロイドの少女」は、このときはまだタイトルが「家族合わせ」 だったようです。アルバム収録直前なんですけどね。 メロディーの ほうは、アルバム収録のものと同じようなハイテンポのものになって いるそうです。 「ぼくたちは 輝く陽射しを目ざすべきではなかったのか」は、この頃 のコンサートのアンコールに必ず唄ってますね。 “ボーイ”に収録される予定だったのに、なぜ予定で終ってしまった のか、… 。 「風さわぐ原地の中に」は、このときが初公開だった可能性が高いと 思われます。 %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%% 77.7.31(日)新宿ロフト(コンサート活動一時休止) (2ちゃんねるより) %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%% (童子のギターのみでサポート無し、効果音無し) 1 まぶしい夏 2 淋しい素描 3 君は変わっちゃったネ 4 にわか雨 5 雨のクロール 6 逆光線 7 ぼくと観光バスに乗ってみませんか 8 風さわぐ原地の中に 9 地平線 10 男のくせに泣いてくれた 11 伝書鳩 12 春爛漫 13 家族合わせ(セルロイドの少女) 14 海を見たいと思った 15 ピラビタール 16 ぼくたちの失敗 17 センチメンタル通り 18 さよなら ぼくの ともだち (アンコール) 19 (友よ泣かないのか) 20 春爛漫 (Thanks to Xさん)
143 名前:born115 投稿日:2007/12/ 2 17:52 >>1 born115 森田童子スタジオライブ 判明しているのは、下の5回です。 ほかに、前語りのみライブで入れてるものがいくつかあります。 地方の放送局でのライブもあると思うんですが…。 %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%% @77年2月FM東京(FM東京第1スタジオにて収録) 「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」など全4曲。 A77年3月(北上、放送局不明) 「ぼくたちの失敗」など全7曲(+α?)。(Thanks to ケンブンさん) B78年3月FM東京 「さよならぼくのともだち」1曲。 C78年4月FM東京 「蒼き夜は」など全8曲。 D80年11月NHK-FM 「菜の花あかり」、「きれいに咲いた」の2曲。 144 名前:born115 投稿日:2007/12/ 5 22:06 >>1 born115 木森敏之さん 木森敏之さん、 1975年、28歳のときにアルバム“グッド・バイ”の「さよなら ぼくの ともだち」以外の 9曲を編曲されました。 その直後、たしか勉強のためアメリカに渡られたんだっと思います。 1882年に、「聖母たちのララバイ」(共作)が大ヒットし、木森さんの代表曲となります。 1988年、病気のため40歳の若さで亡くなりました。 以前に、森田童子研究所の掲示板で、「聖母たちのララバイ」は「地平線」のリメイクだ、 という趣旨の投稿がありました。 外国の方の投稿でしたが、私にはいまだにその意味が よくわかりません。 最近、木森さんの大変面白い作品を発見しました。 1984年にポリドールから発売された、レインボー・シスターズの「悲しきウェザーガール」です。 テレビ朝日のお天気番組のテーマ曲だった歌ですね。 当時からレコードは持っていたのですが、木森さんの作品(作曲・編曲)だとはまったく気づき ませんでした。 この「悲しきウェザーガール」という曲は、「地平線」と編曲上おもしろい共通点があります。 曲の初めと終りに、雷の効果音が入ってるんですネ。 https://img.atwikiimg.com/www35.atwiki.jp/presenile/attach/703/10/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E7%AB%A5%E5%AD%90%E3%81%95%E3%82%93%E2%80%A61-144.htm
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