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シリア政府との関係を修復する国が増える中、スーダンの大統領がシリアを訪問
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2018.12.18 櫻井ジャーナル
スーダンのオマル・アル-バシール大統領がシリアを訪問、空港でバシャール・アル-アサド大統領の出迎えを受けた。アメリカをはじめとする諸国がジハード傭兵を使ってシリアへ軍事侵攻するのをみてアサド政権から離れていた各国政府だが、そのジハード傭兵の敗北を見てアサド政権との関係修復に動き始めている。そうした中でのスーダン大統領によるシリア訪問だ。 バシール大統領は1989年に実権を握ったのだが、その前、1983年から内戦が始まり、終結したのは2005年。2011年には南部が独立した。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから6週間ほど後、国防長官の周辺で攻撃予定国リストが作成され、そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、イラン、そしてスーダンが載っていた。(3月、10月) スーダンで内乱が始まった原因は石油。1974年にアメリカの巨大石油会社シェブロンが油田を発見したのだが、1990年代の終盤になるとスーダンでは自国の石油企業が成長してアメリカの石油企業は利権を失っていく。しかも中国やインドなど新たな国々が影響力を強めていった。 スーダンの南部ではSPLM(スーダン人民解放軍)が反政府活動を開始するが、SPLMを率いていたジョン・ガラングはアメリカのジョージア州にあるアメリカ陸軍のフォート・ベニングで訓練を受けた人物。結局、南部は独立に成功した。 フォート・ベニングにはラテン・アメリカ各国の軍人をアメリカの傭兵として訓練する施設、WHINSEC(かつてはSOAと呼ばれた)も存在、自衛官も訓練を受けている。 スーダンでは西部のダルフールでも資源をめぐる戦闘が2003年から激化した。当初、欧米の国々は南スーダンの石油利権に集中、ダルフールの殺戮を無視していたが、ネオコンはダルフールへ積極的に介入する。その資源に目をつけた隣国チャドの政府が反スーダン政府のJEM(正義と平等運動)へ武器を供給したことも戦闘を激化させる一因だった。チャドの背後にはイスラエルが存在していると生前、リビアのムアンマル・アル・カダフィは主張していた。 チャド、カダフィによるとイスラエルとダルフールの利権を巡って戦っていたバシールに対し、ICC(国際刑事裁判所)は2009年3月に逮捕令状を出した。それに対し、イラクを始め世界各国で破壊と殺戮を繰り替えしてきたアメリカの大統領、パレスチナで虐殺を続けているイスラエルの首相などは問題になっていない。 |
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