トルコの二の舞になりたくない 解析ロシア 米制裁に危機感募らすプーチン政権2018年8月31日(金) 池田 元博 クリミア半島の併合、米大統領戦への介入、神経剤を使った襲撃事件への関与、対北朝鮮制裁の決議違反……。米国のトランプ政権がロシアに対する制裁措置を次々と発動している。通貨ルーブルが下落するなど経済への打撃も顕在化しており、プーチン政権は危機感を募らせている。 米の制裁で苦況に立つイランも他人事ではない……。写真はロシアのプーチン大統領(左)とイランのロウハニ大統領(右)(写真:ロイター/アフロ) 「制裁は非生産的で意味がない。とくにロシアのような国に対してはそうだ」――。8月22日、黒海沿岸の保養地ソチで開いたフィンランドのニーニスト大統領との会談後の共同記者会見。プーチン大統領は米トランプ政権が続々と打ち出している対ロ制裁措置を厳しく批判した。 トランプ、プーチン両大統領は7月16日、フィンランドの首都ヘルシンキで実質2回目となる会談を開き、関係改善への意思を首脳間で確認したばかりだ。しかし、その後も米国による対ロ制裁圧力は続き、8月3日には米財務省が北朝鮮の違法な資金取引に関与したとして、ロシアのアグロソユーズ商業銀行などを制裁対象に加えた。 さらに8月8日、こんどは米国務省が米国の安全保障に関わるモノや技術の輸出を禁じることなどを盛り込んだ対ロ制裁を新たに発動すると発表した。こちらは今年3月、英国で起きた神経剤を使ったロシア元情報機関員の暗殺未遂事件を受けたもので、27日に正式に発動された。 米国務省は「ロシア政府が化学兵器を使用した」と断定し、新たな追加制裁を決めた。約3カ月以内にロシアが化学・生物兵器を使用しないと確約して国連などの査察に応じない限り、さらに厳しい措置に踏み切るという。プーチン大統領の発言は、こうした米国の制裁圧力に反発したものだ。 プーチン大統領は、ヘルシンキでのトランプ氏との会談に関しては「有益だったと前向きに評価している」と語る。そのうえで米国の制裁は、米大統領の立場だけでなく「いわゆるエスタブリッシュメント」の意向が反映されていると指摘。ロシア批判の急先鋒(せんぽう)となっている米国の議会勢力や主要メディアなどを暗に非難するとともに、「こうした政策には将来性がない」と彼らがいずれ自覚し、通常の協力を始められるように期待すると述べている。 ヘルシンキでの首脳会談開催を受けて、米ロ関係に変化がみられるようになるか――。会談直後、ロシアの民間の世論調査会社レバダ・センターと政府系の全ロシア世論調査センターがともに国民の意見を聞いている。いずれも「変化なし」と予測する向きが5割前後を占めたものの、関係が「良くなる」と期待する声も少なからずあった。 ヘルシンキ会談後の米ロ関係 トランプ大統領に裏切られた 米トランプ政権による会談後の矢継ぎ早の対ロ制裁は、こうしたロシア国民の期待を裏切ったとみることもできる。それだけにプーチン大統領も国内世論に配慮し、「ロシアには無意味だ」などと言い訳することで、さほど深刻な事態ではないと強調せざるを得なかったようだ。 もちろん、米国による対ロ制裁そのものは決して目新しくはない。「ロシアに冷淡」とされたオバマ前政権も、とくにロシアによるクリミア併合以降、制裁を頻繁に発動していた。米大統領選への介入疑惑をめぐっては、多数のロシア外交官を国外追放したこともあった。 米国の制裁はロシアにとって半ば慣れっこになっているわけだが、トランプ政権下で発動される制裁は、ロシア国内ではオバマ前政権下よりも相当な危機感をもって受け止められているのが実情だ。なぜか。 トランプ大統領は平素、ロシアとの「融和と協調」の必要性を唱えているだけに、“裏切り行為”として倍加してとらえられる面もあるが、ロシアが危機感を抱く理由は別にある。制裁措置の内容が徐々に、ロシア経済を根幹から揺るがしかねない厳しいものになりつつあるからだ。 トランプ政権は今年4月には、昨年8月成立のロシア制裁強化法に基づき、米大統領選への介入やシリアへの武器売却などを根拠に対ロ制裁を発動した。ここでは世界有数のアルミニウム会社「ルサール」などを実質支配する大富豪のオレグ・デリパスカ氏を始め、ロシア経済をけん引する大手新興財閥の経営者らを標的にした。 神経剤を使った英国での襲撃事件への関与を理由に、米国務省が先に打ち出した「米安保に関わるモノや技術の禁輸」措置にしても、厳格に適用されればアエロフロート・ロシア航空の米国内での発着禁止といった深刻な事態に陥る懸念があるという。 さらに、米超党派の上院議員らが準備している新たな対ロ制裁法案では、ロシア国営銀行によるドル決済の禁止、米国民によるロシア国債の取引禁止、ロシアのテロ支援国家の指定まで盛り込んでいるとの情報も伝わってきている。 ロシアの金融市場ではここにきて、米国による一連の制裁圧力を嫌気して株式相場が急落。通貨ルーブルも一時1ドル=70ルーブル近辺まで下落する場面があった。国内の経済専門家の間では「米国の対ロ制裁はロシアの経済成長率を0.5〜1.5ポイント押し下げる要因となる」と予測する向きも出ている。 「ロシアにとっては非生産的で意味がない」というプーチン大統領の発言とは裏腹に、ロシア政府も経済・金融界も、米国の制裁がもたらす負の影響を深刻に受け止め始めているのは間違いない。 ロシア、イラン、トルコが「団結」 米国の制裁との関連で、ロシアの専門家が注視している国々がある。トルコとイランだ。 米国のトランプ政権は、米国人牧師がトルコで自宅軟禁となっていることに強い懸念を表明。牧師の釈放を求めて経済制裁を発動した。トルコの閣僚を制裁対象とし、トルコから輸入する特定商品の追加関税率の引き上げも決めた。トルコのエルドアン政権も対抗措置をとっているが、この対立を背景にトルコの通貨リラが急落し、経済が大きく混乱する事態に至っている。 一方、イラン情勢で焦点となっているのは、米国が英仏独中ロとともに結んだイラン核合意から離脱したことだ。トランプ大統領は今年5月、「核合意の交渉内容は非常にお粗末」などと表明して一方的な離脱を宣言。8月にはイランへの経済制裁を再開し、各国企業に自動車や貴金属などの取引停止を求めた。 米政府は11月からは、イラン産原油・天然ガスの取引や金融分野を含む本格的な制裁に踏み切る予定だ。イランではすでに米制裁の影響で通貨が下落、物価も高騰しており、国会が経済財政相を弾劾する騒動も起きている。 ロシアはもともとトルコ、イランと関係が深く、シリア問題では内戦の終結に向けた和平協議を共に進めている。もちろん、米国が制裁をかける理由は異なるが、米国の制裁によって経済苦境に立たされているという点では共通する。ロシアにとっても他人事ではない。 実際、プーチン大統領は8月10日、トルコのエルドアン大統領と電話会談してエネルギー協力などの推進を確認した。その2日後の12日には、カザフスタン西部のアクタウで開かれたカスピ海沿岸5カ国首脳会議の場を使って、プーチン大統領とイランのロウハニ大統領が首脳会談を開いている。 米国をけん制するような協力も顕在化している。 ロシア国営の武器輸出企業ロスオボロンエクスポルトは、ロシア製の最新鋭地対空ミサイルシステム「S400」のトルコへの供給時期を、当初の2020年以降から19年に前倒しすると表明した。米国は北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるトルコがロシア製のS400を導入することに再三反対してきた。それだけに、米国への対抗意識をより鮮明にしたともいえる。 また、12日のカスピ海沿岸5カ国首脳会議では、カスピ海の領有権などを定めた「法的地位に関する協定」に署名。1991年末のソ連崩壊後、天然資源の活用などをめぐって長年続いてきた沿岸各国の係争に終止符を打った。 5カ国は旧ソ連のロシア、カザフスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンの4カ国とイランで構成される。ロシアが主導した今回の合意はカスピ海の豊富な地下資源活用などを促すとみられ、沿岸国にとっては朗報だ。米国が対イラン制裁を再発動した直後だけに、イラン支援の思惑もあるとされている。 ロシア、トルコ、イランの3首脳はさらに9月には、シリア情勢を巡る協議を名目にイランで会談するとの情報もある。3カ国の協調を誇示し、米国に対抗する狙いもあるのだろう。 とはいえ、経済規模で大きく見劣りするロシアが米国の制裁に面と向かって対抗するすべはなく、国際社会の影響力も極めて限定的だ。一方で、とくにトルコとは強権的な統治スタイルで似通う面もあるだけに、米国の目の敵になりやすい。米国が次々と繰り出す制裁措置に戦々恐々とし、「トルコの二の舞にはなりたくない」と願っているのがプーチン政権の本音ではないだろうか。 このコラムについて 解析ロシア 世界で今、もっとも影響力のある政治家は誰か。米フォーブス誌の評価もさることながら、真っ先に浮かぶのはやはりプーチン大統領だろう。2000年に大統領に就任して以降、「プーチンのロシア」は大きな存在感を内外に示している。だが、その権威主義的な体制ゆえに、ロシアの実態は逆に見えにくくなったとの指摘もある。日本経済新聞の編集委員がロシアにまつわる様々な出来事を大胆に深読みし、解析していく。
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