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米朝首脳会談を控えた金正恩からのプレゼント? 拘束米国人解放の光と影
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/05/post-10146.php
2018年5月11日(金)23時00分 ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
北朝鮮から無事に解放された人びとには笑顔が戻ったが── Jim Bourg-REUTERS
<ポンペオ国務長官を再び平壌に送り、拘束された韓国系米国人3人を解放させて満面の笑みで迎えたトランプ。だが本当の解放はまだこれからだ>
10日午前2時過ぎ(日本時間同日午後)、ワシントン郊外のアンドリュース空軍基地にトランプ大統領とメラニア夫人が登場した。北朝鮮に拘束されこの日解放された韓国系米国人3人を出迎えるためだ。大統領夫妻のほか、ペンス副大統領夫妻、ケリー大統領首席補佐官、ボルトン大統領補佐官など、トランプ政権の主要メンバーが勢揃いした。
北朝鮮から帰ってきた3人が乗っている国務省の専用機は着陸すると巨大な星条旗を掲げた前にピッタリと止まり、それを誇らしく見上げるトランプ。感動的に映し出されるように、報道陣のカメラアングルまで計算されたショーが始まった。
韓国メディアNEWSISなどによると、詰めかけた各国メディアは200人あまりにのぼり、日本のTBSの記者は「ワシントン支局から8人分の取材申請をしたら全員許可された」と苦笑していたという。
だが、この今回のポンペオ国務長官の訪朝は、米国人の解放が成功するかどうか分からない状況の中で行われたものだった。
■WP記者が同行した平壌への旅
ワシントンポストで国務省担当のキャロル・モレノ記者は今回の北朝鮮からの米国人解放交渉について同行取材を許された。その報告記事によると、4日午後に国務省の担当者から、北朝鮮取材について電話がかかってきた。ただ1度だけ北朝鮮に行くことを許可する特別許可の承認印がついた1ページだけのパスポートを発行してくれるという。もちろん北朝鮮に行くことは誰にも口外しないようにという箝口令が出された。
3日後、モレノ記者は北朝鮮に向かう専用機に乗り込んだ。わずか4時間前に北朝鮮に行くとの連絡が来たのだ。報道関係者は彼女とAP通信の記者の2名だった。機内には国務省、ホワイトハウスの国家安全保障会議のメンバーも搭乗している。彼らから今回のポンペオの任務は、米朝首脳会談のための打合せだと明かされた。
ただ、それだけでないことは搭乗者の顔ぶれを見ると分かったという。政府関係者のほかに、内科と精神科の医師、また新しいパスポートを発給できる領事サービスを担当する国務次官もいたからだ。そこで、モレノ記者は拘束されている米国人の解放交渉についてポンペオに聞いてみた。ポンペオの答えは曖昧だった。
「北朝鮮が首脳会談前に彼らを解放すれば立派なジェスチャーになるだろう。再び彼らが正しい行動をするように要請する」
3人の米国人解放についての確たる保証を手にしているとは思えない言葉だった。
■ひたすら待つだけの高麗ホテル
平壌空港に到着した一行は、中心部にある高麗ホテルに移動した。ポンペオら政府関係者は38階に案内されて北朝鮮側と交渉に入ったが、モレノ記者らはロビーでそれから10時間ひたすら待つことになった。携帯電話はもちろんネットもつながらないため、警備員に同行してもらいホテルの周辺を見物するなどして時間を潰すしかない。
ホテルに戻ると国務省の高官が何度かやってきて交渉の様子を伝えてくれた。夕方4時からポンペオと金正恩が会談することも教えてくれたが、同行はできないという。結局取材らしいことは何一つできないまま、ホテルのロビーでぼうっとするだけで1日が暮れようとしていたときにポンペオが戻ってきた。何かいい知らせがないかと顔を見ると、ただ笑いながら指で十字を作って幸運を祈って見せたという。
ところがその15分後、国務省の高官が突然の知らせをもってきた。拘束米国人3人が解放されるという。北朝鮮当局者数人がホテルにポンペオを訪ねてきて「非常に難しい判断だが、3人の米国人拘束者について"赦免する"ことを許す」と話したという。釈放されるのは7時ということで医師たちは他のホテルに移動し、他の者は空港へ移動することになった。
だが、2人の記者は平壌で解放の瞬間を取材することはできなかった。空港で解放された3人を待ち構えていたが、「何も話しかけてはいけない」「彼らをそばで見ることも禁止」と言われたからだ。「解放される3人のプライバシーが侵害されないため」とポンペオが言ったのが理由とされるが、何か北朝鮮側を刺激するような発言が飛び出して、最後のところですべてが御破算になることを恐れたのかもしれない。
解放された3人は機内に乗り込んでからも記者たちからは2つのカーテンを挟んだ離れた座席にいて、取材どころか近づくこともできないようにされていた。専用機は日本の横田基地とアラスカの基地で給油をしたが、横田に着いたところで開放された3人は別の専用機に乗り換えてしまった。
結局アンドリュース空軍基地には解放された3人の乗った専用機が先に到着した。皮肉にも北朝鮮に同行したモレノ記者は、トランプが3人を歓迎する姿と、それを取材する各国メディアの様子を200メートルほど離れたところから見守ることとなった。
■解放された3人はまだ自由ではない
今回解放されたのは、キム・ドンチョル、キム・ハクソン、キム・サンドクの韓国系アメリカ人だ。帰国して専用機を降りてきた3人はようやく自由の身になった3人は足取りもしっかりしていた。トランプたちの歓迎を受けた3人はさっそく家族の元へ......ということにはいかなかった。軍の医療センターへと移送されたからだ。関係者によると「早い段階で家族と再会すると、さらなる精神的なストレスを受ける可能性がある」というのだ。
実際、北朝鮮に拘束されて解放された人の例をみると、自由になってハッピーエンドという単純なことではないケースがある。
2010年北朝鮮に逮捕されたアイジャロン・ゴメスは中国から密入国を試みた容疑で8年間の強制労働刑を言い渡された。真っ暗な監獄で暮らしている間に自殺を図ったこともあった。2011年に解放され帰国したが、昨年カリフォルニア州サンディエゴで黒焦げの遺体で発見された。地元紙によると解放されてからも心的外傷後ストレス障害(PTSD)で悩んでいたため自殺したと言われる。2015年のインタビューで「北朝鮮にいたときよりも、帰国後に絶望感を強く感じるている」と語っていた。
2014年に北朝鮮咸鏡南道のチョンジンを旅行中に聖書を持っていたことで、キリスト教流布の疑いで逮捕されたジェフリー・パウルも、6カ月語に解放され帰国してからも苦労を味わった。彼は帰国後のインタビューで「北朝鮮にいるキリスト教徒たちのために聖書をもっていく計画を事前に立てていた」と語った。
だがこの計画を事前に伝えなかったために彼の姉は「自分が騙された」と思っていたという。その一方で彼は、収監されていたときに家族に手紙を書くことを許されていたため「故郷の新聞に掲載されるクロスワードパズルを送って欲しい」と手紙を書いたが、届くことがなかったため「自分のことを家族が見捨てた」感じがした。実際には手紙の多くが家族の元には届けられなかったという事実は帰国してからようやく気づいたという。
こうした過去の北朝鮮からの帰還者たちの事例を見ると、10日に帰国した3人が「真の自由の身」になるためにはまだまだ時間が必要なのかもしれない。
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