http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/739.html
Tweet |
日産株1カ月ぶり高値、ルノー新経営体制の決定で関係改善に期待
鈴木偉知郎
2019年1月25日 11:37 JST
ルノーと新しいページを開く一歩、前向きな議論を期待と日産社長
自主性重視うかがえ、アライアンス現状維持の見通し−アナリスト
日産自動車の株価が25日、前日比2.8%高の930.7円まで上昇し、昨年12月18日以来となる日中高値を付けた。大株主である仏ルノーの新経営体制が決まったことで、両社間の関係改善への期待が高まった。
24日夜に記者会見した日産の西川広人社長は、昨年11月のゴーン被告の逮捕以降、「ルノーの取締役会とややコミュニケーションが難しい状態が続いていた」と述べたうえで、ルノーの新体制を歓迎するとし、「ルノーとの新しいページを開いていく一歩だと考えている。前向きな議論ができることを期待している」と述べた。
モルガン・スタンレーMUFG証券の峯嶋廣太アナリストは同日付のリポートで西川社長の会見について「両社のコミュニケーションを改善したいという意思を感じた一方で、各社の自主性を重視している姿勢がうかがえた」と分析。両社の関係悪化はアライアンスの機能低下を招くリスクがあり、現状の資本関係やアライアンスを維持することが基本シナリオとみているとした。
ルノーは24日、特別背任の罪などで起訴されたカルロス・ゴーン被告の会長および最高経営責任者(CEO)職の辞任を受け、ジャンドミニク・スナール氏を会長、ティエリー・ボロレ氏をCEOに指名したと発表。日産はこれを受けてゴーン被告らを取締役から解任し、かわりにスナール氏を日産の取締役に迎え入れる目的で4月中旬に臨時株主総会を開催する方向で検討を始めると発表していた。
また、西川社長は会見で、ゴーン被告を巡る一連の問題の責任を取る形でガバナンス体制の構築にめどをつけた上で経営トップから退く意向も示唆していた。https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-01-25/PLV6Q56KLVR401?srnd=cojp-v2
3min2018.11.29
ゴーン後、その権勢は「三日天下」?
仏紙が分析「日産社長・西川廣人は明智光秀なのか」
Photo: Kiyoshi Ota / Bloomberg via Getty Images
Photo: Kiyoshi Ota / Bloomberg via Getty Images
ル・モンド(フランス)
ル・モンド(フランス)
Text by Philippe Mesmer
ゴーンに重用された西川だが…
日産の社長の西川廣人には明智光秀のようなところがあるのだろうか。
明智光秀(1528〜82年)とは日本史に登場する武将である。日本史上最も有名な裏切り者の一人という評がすっかり定着しており、この武将に憧れる人は少ない。
1582年6月21日、いわゆる「本能寺の変」で織田信長(1534〜82年)を自刃に追い込んだ。織田信長は列島の統一を果たした、抜け目ない大名であり、当時、その権勢は絶頂にあった。謀反の動機には諸説ある。
明智光秀は織田信長の重臣だったにもかかわらず裏切りを敢行し、配下の兵を信長が宿泊する京都の本能寺に向かわせたのである。
もちろんその頃といまとでは時代が違う。今回、西川は武力で自分のメンターだったカルロス・ゴーンを失墜させたわけではない。
「残念という言葉ではなくて、はるかに超えて、強い憤りということ、そしてやはり私としては落胆ということを強く覚えております」
西川はゴーンが金融商品取引法違反の疑いで逮捕された11月19日の晩の記者会見で語っている。
刈り上げられた髪、チャコールグレーのスーツ、縁なしのめがね。西川の身なりは慎ましく整えられていた。だが、その言葉は控えめではかった。一人に全権力が集中するシステムを批判したが、その際、ゴーンの功績を述べるのは最小限にとどめた。
「事実としてみると、やはり、なかなかほかの人間ができなかったこと、とくに初期については非常に大きな改革を実施したという実績、これは紛れもない事実だと思います。その後については、やはり功罪両方あるかなということが、私としての本当の実感でございます」
この発言に驚く人もいるかもしれない。2017年にカルロス・ゴーンが自分の後継者に据えたのが西川だからである。それは日産一筋の西川にとって職業人生の頂点だったともいえる。西川は1953年生まれ。名門の東京大学の学位を取得すると1977年に日産に入社した。
1999年、ルノーと日産が資本提携をし、カルロス・ゴーンが日産のトップになってからも西川は要職を歴任した。ゴーンに重用され、北米や欧州の市場の担当となったほか、ゴーンが戦略上重視していた購買部門の責任者も務めた。日産のトップとして日本自動車工業会の会長だった時期もある。
カルロス・ゴーンに仕えるイエスマン集団の筆頭格という評判もあったが、日産への愛着には並々ならぬものがあった。それは2015年、西川がフランス政府との緊迫した交渉に臨んだときに証明済みである。西川は2006年からルノーの取締役でもある。
フランス国家がルノーへの出資比率を高めようとしたときには反対に回った。その際、日産がルノー株を買い増すと脅したこともあった。フランス政府から、日産の経営に口出ししないという約束も取り付けた。
日本経済新聞によると、数ヵ月前に始まったルノーと日産の統合計画をめぐってゴーンと西川の関係が緊張するようになっていた可能性があるという。西川は経営統合に反対だったようだ。西川が今後、グループ内でどのような地位を占めていくのかは不明である。だが、仮に裏切りがあったとするならば、それは復讐を呼びかねない。
1582年、織田信長の死から始まった明智光秀の権勢は長続きしなかった。明智光秀が殺されたのは裏切りの11日後である。世に言う「三日天下」だった。
Photo: Andrew Harrer / Bloomberg via Getty Images
関連記事:仏ルノー工場で聞いてみた「ゴーンのこと、どう思う?」
https://courrier.jp/news/archives/144895/
日産の西川社長が退任示唆、ゴーン前会長巡る一連の問題で責任
鈴木偉知郎
2019年1月25日 0:00 JST
西川氏「会社を軌道に乗せてバトンタッチすべき」−本社で会見
ルノーの新経営体制を日産は歓迎、4月に臨時株主総会検討も
日産自動車の西川広人社長兼最高経営責任者は24日夜に開いた記者会見で、同社前会長で特別背任の罪などで起訴されたカルロス・ゴーン被告をめぐる一連の問題の責任を取る形で、ガバナンス体制の構築にめどをつけた上で経営トップから退く意向を明らかにした。
Nissan Motor CEO Hiroto Saikawa News Conference After Carlos Ghosn Resigns From Top Renault Job
西川広人社長(24日、横浜市)Photographer: Akio Kon/Bloomberg
西川社長はこの日、ルノー取締役会終了後の午後10時ごろから横浜市の日産本社で開いた会見で一連の問題について「私も含めて過去の経営陣の責任は重い」と発言。その上で「そのあとの体制を作らないといけない。会社を軌道に乗せてバトンタッチすべきであると思っている」と話した。定時株主総会のある「6月うんぬんではなく、できるだけ早く私の果たすべき責任を果たして次に引き継げる状態にしたい」と考えているとも述べた。
ルノーは同日開いた取締役会で、ゴーン被告の会長とCEO辞任を承認。後任会長にはタイヤメーカー、ミシュランのジャンドミニク・スナール氏、CEOにはルノーの暫定CEOを務めていたティエリー・ボロレ氏を指名した
日産はこの決定を歓迎し、全面的に支持するとの声明を発表。日産としてもゴーン被告と、同時に逮捕されたグレッグ・ケリー前代表取締役の取締役解任と、ルノーが新たに指名する取締役1人の選任を目的とする臨時株主総会を4月中旬に開催する方向で検討を始めたとしていた。
西川氏は会見で11月のゴーン被告の最初の逮捕以来、ルノー取締役会とは「難しい状態が続いていた」と明かした上で、スナール氏について臨時株主総会で選任する新取締役として想定しており、「非常にすぐれたビジネスマンで経営も豊富。パートナーとして尊敬もできる」と評価していると述べた。臨時総会の開催はルノー側も以前から希望しており、4月の第2週になる可能性が高いとした。
過去20年にわたって成功してきたアライアンスでの協力を今後も加速させる必要があると確信しているとし、今後はより積極的にそのシナジーを取りに行きたいとの意欲も示した。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-01-24/PLUAJN6K50YE01
▲上へ ★阿修羅♪ > 経世済民130掲示板 次へ 前へ
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 経世済民130掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。