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日本の金融スキャンダル
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2019.01.22 櫻井ジャーナル
第2次世界大戦で日本が降伏して3年後、東京大学の学生だった山崎晃嗣は友人たちと東京都中野区で金貸しを始めた。「光クラブ」である。
まだ社会が混乱している中、彼らは多額の資金を調達することに成功するが、1949年7月に物価統制令違反で山崎は逮捕され、出資者の信頼を失う。その年の11月に山崎は青酸カリを飲んで死んだ。光クラブの残党は名古屋、そして京都へ流れたと噂されている。
この事件は小説の題材になり、例えば三島由紀夫は『青の時代』、高木彬光は『白昼の死角』という作品を残している。『白昼の死角』は1979年に映画化された。
戦後の混乱期に大儲けした高利貸しに森脇将光なる人物もいる。慶応大学を中退して日本橋で金貸しを始め、政界に深く食い込んでいた。造船疑獄などのスキャンダルにも名前が出てくる。金貸しの過程で入手した情報を記した森脇メモは有名だ。石川達三が九頭竜川ダム汚職事件を描いた小説『金環食』にも登場している。この作品は1975年に映画化された。
森脇の後、1980年代までそれなりの存在感を示していた高利貸しが何社かあり、やはり政界にもつながっていた。そうした会社へは必然的に政界の秘密が集まるが、そうした情報は韓国の独裁政権へ流れていたとも噂されている。
1980年代の半ばには投資ジャーナルや豊田商事が詐欺容疑で摘発される。投資ジャーナルは証券投資、豊田商事は金の地金を使って資金を集めていた。
豊田商事の会長だった永野一男は1985年6月18日に自宅マンションで刺殺される。その日に逮捕されるという情報を聞きつけ、集まっていたマスコミ取材陣の目の前での凶行だった。投資ジャーナルを率いていた中江滋樹が逮捕されたのはその翌日、19日のことである。
永野の手元には多額の資金が集まっていたはずだが、住んでいたマンションはそれに見合っているとは思えない代物で、奇異に感じた人もいた。セキュリティがしっかりしていれば、そうした事態にはならなかったはず。豊田商事が集めた資金の相当部分は某大物政治家へ流れていたとも噂されている。
その1985年、フジテレビが放送を始めた「夕やけニャンニャン」内のアシスタントで女子高生だった「おニャン子クラブ」が人気を博す。その仕掛け人が秋元康。後に秋元は商工ファンド出身の人物らとAKBを作り上げることになる。
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