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2018年12月28日 佃 義夫 :佃モビリティ総研代表
日産ゴーン事件で蘇る「塩路天皇」問題という負の歴史
日産は昔からの「膿」を出し切っていないのか
ゴーン元会長の逮捕と
4度にわたる完成車不正検査問題
年末になってもずっと世間を騒がせているのが、カルロス・ゴーン元日産自動車会長の逮捕劇である。有価証券報告書への高額報酬虚偽記載の金商法違反の起訴に加え、「日産の私物化」による不正行為の特別背任罪による再逮捕もあり、結局、ゴーン元会長は越年勾留となった。司法の判断は長引きそうであり、決着は長期化の様相だ。
日産は直ちに会長解任で「ゴーン失権」を明確にした。だが、日産の親会社がルノーであり、そのルノーの大株主が仏政府であることでルノーは会長兼CEOを当面、留任させており、これが「ややこしい事態」を招いている。
ここで、日産が直面する問題は2つ。
1つは、日産にとってゴーン元会長が束ねてきた「ルノー・日産・三菱自動車連合」という国際3社連合を、「ポスト・ゴーン」でどのような道を探るのか。
もう1つは、そもそも日産がこのゴーン元会長の不正を社内で解決できずに、結果的に司法に委ねざるを得なかったということ自体がコーポレートガバナンス(企業統治)上、非常に問題であるということだ。
それは、完成車検査で4度にもわたる不正発覚という工場生産現場でのコンプライアンス(法令遵守)の徹底不足にも結びついており、日産という企業の本質を突く問題である。
詳しくは後述するが、日産は“昔”からの「膿」が出し切れておらず、企業としての「土壌」に問題があるのではないか、と思うのだ。
権勢を振るった
「塩路天皇」と呼ばれた人物
日産という企業の体質――。
これについて、日産自動車を70年代から長くウオッチしてきた筆者としては、ゴーン政権前の旧日産で思い浮かぶある人物がいる。
それは、かつて「労働組合トップ」として異常なまでの権勢を振るった「塩路一郎日産労連会長」である。
彼は日産社内で「塩路天皇」と言われ、畏怖されていた人物だ。
その理由は明らかで、1960年代から1980年代の半ばまで20年以上にわたって労働組合のトップでありながら、日産の人事や重要な経営判断にまで強く関与したからだ。
象徴的なのは、日産が英国工場進出を決めた際、当時の塩路日産労連会長が進出反対の記者会見を行って「強行したら生産ラインを止める」とまで言い切った。また、社内の人事異動では、塩路労連会長に挨拶(あいさつ)に伺うのが常となるほどだった。
いかに彼が当時の日産において権勢を奮っていたかを示すエピソードである。
一方、彼は「労働貴族」と呼ばれるほどの豪勢な私生活を送っていたが、誰も文句を言えない状態だった。
品川に豪邸を構えて日産の高級車を乗り回し、自家用ヨットを所有し、銀座のクラブで豪遊する派手な私生活は、「金の出どころはどこにあるのか」といわれるほどであった。だが「労働貴族」と言われても本人は気にせず、むしろ自負するほどだった。
時の中曽根政権にも深く関わるほどの勢いだった。
塩路一郎氏は、1961年に日産労組組合長となり、時の川又克二社長と労使協調路線で蜜月関係となり重用された。62年に、日産グループ全体の日産労連会長、72年には自動車産業全体を仕切る自動車総連を結成して会長となった。
当時、日本興業銀行出身の川又克二氏は「日産の中興の祖」と呼ばれ、非常に大きな権力を持っていた。塩路氏は、その権力をバックに日本の労働組合のトップにのし上がったと言われている。
日産にとって
最大の「負の遺産」
こんな状態では、経営はうまくいくはずがない。
日産の90年代後半の没落は、日産の経営者が内向きのこの労組トップに大きな労力を費やしたことが大きな要因だった。
日産にとって「塩路天皇」は、最大の「負の遺産」である。
前述した日産英国工場進出は、当時の石原俊社長が「グローバル10計画」としてグローバルで日産が10%シェアを奪還するための戦略だったが、塩路労連会長は83年に川又会長と組んでこれに反対する会見を行ったのだ。
当時、経団連記者クラブにいた筆者は、俳優の森繁久彌氏と日産が共同所有していた佐島マリーナで、石原社長ら日産首脳との記者懇談会に参加したところ、塩路労連会長もわざわざ労働省記者クラブの記者を同じ日程と場所に招き、自分の権力を誇示する光景を目にしたこともある。
結局、「塩路天皇」の存在という社内権力の「二重構造」で、日産の生産性は低下し、ライバルのトヨタとの力の差は開く一方となっていった。
繰り返しになるが、20年以上に及んだ労組のトップが牛耳るという異常な企業風土は、90年代後半の日産業績不振から経営破綻寸前に至る大きな要因となったといえよう。
かつて労組のトップが権勢をほしいままにして、人事権や管理権まで握って日産の経営全体を厳しい状態に陥らせたことは、当時もコーポレートガバナンス(企業統治)が欠如していた証左にほかならない。
最近、『日産自動車極秘ファイル2300枚』を著している経営コンサルタントの川勝宣昭氏(当時の日産広報課長)と、久しぶりに会って懇談する機会があった。
長い間、日産で権力を持ち過ぎた塩路天皇による弊害に対して、立ち上がった一人がこの川勝氏である。
結局、塩路天皇は「金と女性」のスキャンダルがきっかけとなり、86年に労働組合から引退した。
だが90年代以降、トヨタとともに日本の自動車産業のリーダーだった日産から輝きは失われた。
現場との
乖離が広がってきた
石原社長の後を受けた久米社長時代に、バブル景気による高級車ブーム「シーマ現象」で一時的に盛り返したものの、辻社長となってから日産の国内工場の象徴的存在だった座間工場を閉鎖に踏み切った。続く塙社長は、仏ルノーとの資本提携を行い、ルノー傘下となった。
辻・塙体制は、いわば「敗戦処理」だった。
ちなみに、現在の西川日産社長は、座間工場閉鎖という苦渋の決断をした当時の辻社長の秘書を務めており、厳しい経営を強いられていた社長を身近に見る経験をしている。
ルノー傘下に入った日産がカルロス・ゴーン体制によってV字回復を果たしたことは誰しも認めるところである。「ルノーのためでなく、日産のために来た」と言い切って生産や販売現場を精力的に回っていたころのゴーン氏は、プロの経営者としての姿であった。
ゴーン氏も当初は、生産現場や販売現場に頻繁に足を向けていたが、政権が長期化するほど生産・販売現場と経営の距離が広がった。
しかも、日産の社長とルノー会長兼CEOになってからは、世界を飛び回る国際アライアンス連合の経営者としての姿に変わり、日本に訪れるのは月に1週間ほど。さらに三菱自動車の会長も兼ねるようになって日産にいるのは、月に2〜3日ほどになったという。
これでは、ますます現場との乖離が大きくなる。
皮肉に聞こえる
日産のガバナンス
今年6月の株主総会でも「ゴーンさんは、やはり“日産の顔”なんだから完成車検査不正問題の会見に出てきてほしい」との株主からの声にも、「西川さんが社長なのだから出ない」とそっけなかった。
その西川社長による完成車検査不正会見も、昨秋来4度目となったが、9月、12月の会見は西川社長でなく、担当役員による謝罪会見だった。
昨年秋にこの完成車検査不正が露呈したのも内部告発からとされており、コンプライアンスの不徹底、ガバナンスが機能していないのは、“塩路天皇”以来の「根強い社内政治」が日産の土壌となっているからだろうか。
あるいはゴーン体制が長く続き「コスト」を前面に打ち出しすぎる弊害が現場で鬱積しているのか、ということになる。
日産のHPには、同社のガバナンスについてこう記している。
「コーポレートガバナンスを充実させることは、日産の経営に関する最重要課題の一つです。そのために最も重要なのは、経営陣の責任を明確にすることであり、日産では経営の透明性や機動性を向上し責任体制を明確にすることです。経営陣は『持続可能な企業であるためには、高い透明性と失敗に学ぶプロセスこそが何より重要である』というトップのメッセージを共有して、すべてのステークホルダーに対して明確な経営目標や経営方針を公表し、その達成状況を速やかに高い透明性を持って開示しています」と。
やや皮肉に聞こえるのは筆者だけではなかろう。
(佃モビリティ総研代表 佃 義夫)
https://diamond.jp/articles/-/189866
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- いかなる政府や機関からも技術へのアクセスを要求されたことない「日本人に感謝」の裏に潜む副会長本音「論理破綻」ロシア排除も うまき 2018/12/28 15:50:08
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