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外国人にオープンな社会ほど、単純労働者の受け入れは必要ないという皮肉 永住者、失踪者、労働者──日本で生きる「移民」たち
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投稿者 うまき 日時 2018 年 12 月 27 日 11:45:24: ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
 

外国人にオープンな社会ほど、単純労働者の受け入れは必要ないという皮肉
2018年12月26日(水)13時50分

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外国人にオープンな社会ほど、単純労働者の受け入れは必要ないという皮肉
外部に対して閉鎖的になればなるほど、外国人や移民の問題がやっかいに(写真はイメージ) lamontak590623-iStock

<国内で就業する外国人労働者はすでに128万人。単純労働者は受け入れないというタテマエは崩壊したと言ってもいい現実なのに、世論とはズレがある。鎖国的な価値観が蔓延することの本当のリスクを認識しているのだろうか?>

安倍政権が外国人労働者の本格的な受け入れという事実上の移民政策に舵を切った。日本の世論は移民受け入れを歓迎していないようだが、そうだとすると、多くの人が望まないまま、単純労働者に従事する移民を大量に受け入れる結果となる。

皮肉なことだが、外国人に対してオープンで、多様な価値観を認める社会ほど、工夫次第で、単純労働に従事する移民を受け入れなくても済む。ワーキングホリデーによって単純労働をカバーしているオーストラリアはその典型といってよいだろう。外国の話を取り上げると、すぐ「単純に比較はできない」といった話になりがちだが、日本人に本当に知恵があるのなら、多くのことをオーストラリアから学べるはずだ。

単純労働者は受け入れないという建前はすでに崩壊している
日本はこれまで外国人が単純労働に従事することを原則として禁止してきたが、小売りや飲食、建設、農業といった分野では人手不足が深刻化しており、外国人労働者に頼らなければ、業務が回らないという状況になっている。

政府は、研修という名目で事実上の外国人労働者を受け入れる「技能実習制度」を導入したが、一部の事業者が劣悪な環境で研修生を働かせるなど、事実上の奴隷労働が横行しており、国際的な批判を浴びるリスクが出ている。すでに128万人の外国人労働者が就業しているというのが現実であり、単純労働者は受け入れないというタテマエは崩壊したといってよいだろう。

今回、改正された入管法では、業種を特定した上で、一定の能力が認められる外国人労働者に対して、新しい在留資格である「特定技能1号」と「特定技能2号」を付与できるとしている。1号の場合には家族の帯同が不可で、在留期間は最長5年、2号の場合には家族帯同が可能で、期間は無制限となっている。

1号の場合には、家族と一緒に暮らすことを許さず、期間が終了した後は、強制的に帰国させるという仕組みだが、実際にはうまく機能しないだろう。日本で長期間生活すれば、結婚したり子供を生む人が出てくるし、在留期間が終了しても、仕事に慣れた従業員を企業側は簡単に手放さない可能性が高い。

日本の場合、10年間滞在していると永住権を取得できる可能性が高まってくることを考えると、今回の法改正はやはり事実上の移民政策であると理解せざるを得ない。しかし政府は頑なに移民政策ではないと主張しており、実態との乖離が激しい。

もし移民政策にシフトするのであれば、それに伴って実施しなければならない施策も多いはずだ。このままでは、発生する諸問題への対応策を一切講じることになく移民社会にシフトする結果となるだろう。

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オーストラリアで単純労働の移民問題が発生しない理由
政府が移民政策であることを認めないのは、日本社会に移民アレルギーが存在しているからである。しかし、移民問題の本質を考えた場合、外国人に対して拒絶反応が強く、社会が閉鎖的であればあるほど、逆に単純労働者の移民に頼らざるを得なくなるというのが現実である。

例えばオーストラリアは、外国人に対してオープンな社会として知られているが、単純労働に従事する移民の問題は発生していない。その理由は、同国が外国人にとって魅力的な場所であるため、ワーキングホリデーの制度を使って一時入国する若者が多く、単純労働の多くは彼等が担ってくれるからである。

オーストラリアは移民大国として知られており、毎年十数万人の移民を受け入れている。しかし同国が移民として主に受け入れているのは、経済に貢献する能力を持った高度人材であり、こうした「技能移民」は全体の7割に達している。残りは豪州人の配偶者や子どもいった「家族移民」になので、仕事を目的とした移民はすべて技能移民と考えてよい。

かつて同国は白豪主義を掲げ、白人優遇の移民政策を続けてきたが、1970年代以降、「多文化主義」を掲げ、白人中心の移民制度は完全に撤廃した。一般的には、あらゆる移民を受け入れる国というイメージが強いが、実際には、経済に貢献する高度人材に限定した上で、移民を受け入れている(人道上の必要性から難民を受け入れる場合には、別の枠組みでの処理となる)。

同国は、都合よく高度人材だけを移民として受け入れているわけだが、賃金が安い単純労働者が不足するという問題は起きないのだろうか。オーストラリアは豊かな国なので、日本と同じく低賃金の単純労働者の人手不足が顕著だが、ここをカバーする外国人労働者は受け入れていない。その理由は、ワーキングホリデーを使った入国者が極めて多いからである。

豪州並みにワーホリがあれば、すべて事足りる?
ワーキングホリデー(通称ワーホリ)というのは、2国間の協定に基づき、外国で休暇を楽しみながら、その間の滞在資金を捻出する目的で一定の就労を認める制度である。期間は1年から2年で、原則として利用者はひとつの国について1回しか利用できない。

就労を認める制度であるといっても、制度の目的は、あくまで双方の若者が、相手国の文化を知るための滞在なので、本格的に労働することはできない。結果として、アルバイト的な短期労働に従事することになる。

オーストラリアは、留学のインフラが整っており、諸外国の若者から人気が高い。今はかなり下火になったが、一時は日本人の若者が大挙してオーストラリアに語学留学していた時代もあった。世界各国の多くの若者が、ワーホリを使ったオーストラリア滞在を望むので、毎年20万人以上の若者がこの制度を使って同国を訪れている。

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つまりオーストラリアは、知的能力や体力があり、しかも単純労働に従事する意欲のある若者が、期間限定で常に20万〜30万人存在することになる。彼等はあくまで国際交流のために訪問しているので、1年(もしくは2年)経過すれば、ほぼ100%母国に帰ることになる。

日本の人口にあてはめれば、100万〜150万人規模の労働力ということになるが、この数字は、現在の日本における外国人労働者数(100万人)に、今後、法改正によってあらたに受け入れる外国人労働者数(50万人)を加えた数字とほぼ一致する。日本でもオーストラリア並みのワーホリ入国者がいれば、数字上は、外国人労働者に頼る必要はまったくないという計算になる。 

外国人に非寛容な社会ほど、外国人の問題に直面する皮肉
だが日本にワーホリ目的で入国する若者は1万人程度しかなく、単純労働の担い手としては期待できない。オーストラリアにこれだけワーホリ目的の入国が多いのは、豪州が外国人に対して寛容で、多様な価値観を認める社会であることが大きい。

同国は、単純労働の移民を大量に受け入れたとしても何とかやっていくだけの懐の深さがあるが、皮肉なことに、そうした寛容な社会であるが故に、単純労働者の移民を受け入れる必要がない。

このような話を書くと、日本とオーストラリアは違うという意見が必ず出てくるのだが、決してそうではない。80年から90年代の前半までは、多くのアジアの若者が日本への留学や渡航を夢見ていた。だが実際に日本に滞在すると、あまりよい印象を持たずに帰国するケースが多く、日本の大学も留学生を戦略的に受け入れるという発想を持てなかった。

もし日本社会がもっと留学生を暖かく迎えていれば、豪州と同規模のワーホリ入国者を集めることなど、それほど難しいことではなかったはずである。

今でこそ年間3000万人の外国人観光客が日本を訪れるようになったが、歴史と文化を持つ豊かな先進国としては、観光客の数はこれでも異様に少ないというのが現実である。多様な価値観を認めず、外部に対して閉鎖的になればなるほど、外国人や移民の問題がやっかいになるという状況についてもっと理解した方がよいだろう。

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プロフィール

加谷珪一
評論家。東北大学工学部卒業後、日経BP社に記者として入社。野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当する。独立後は、中央省庁や政府系金融機関などに対するコンサルティング業務に従事。現在は金融、経済、ビジネス、ITなどの分野で執筆活動を行う。億単位の資産を運用する個人投資家でもある。
『お金持ちの教科書』 『大金持ちの教科書』(いずれもCCCメディアハウス)、『お金は「歴史」で儲けなさい』(朝日新聞出版)など著書多数。

http://k-kaya.com/
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2018/12/post-62_3.php


 


永住者、失踪者、労働者──日本で生きる「移民」たちの実像
HEAR THEIR VOICES
2018年12月17日(月)16時30分
望月優大(ライター、「ニッポン複雑紀行」編集長)

3年前に技術ビザで来日し、エンジニアとして働くベトナム人のボオ・カック・ディエップ(大阪府豊中市) AKIHITO YOSHIDA FOR NEWSWEEK JAPAN
<国会で外国人労働者受け入れ拡大をめぐって議論が紛糾するなか、日本の移民問題に詳しいライターの望月優大氏が本誌12月11日号 に10ページのルポを寄稿。その全文を、ウェブに特別に公開する。神奈川、福島、大阪、日本の各地で暮らすさまざまな境遇の外国人たちから話を聞いた望月氏は言う。「彼らのリアルは、私たちのリアルでもある」――>
この国で「移民」という言葉がかつてこれほど取り沙汰されたことがあっただろうか──。
日本で暮らす外国人が年々増加し、在留外国人数は今年6月時点で263万7251人と過去最高を更新。政府はこの勢いをさらに加速させようと臨時国会に入管法改定案を提出し、来年4月に「特定技能」という在留資格を新設しようとしている。
だがそんな提案をしながらも、政府は「移民」という言葉を意図的に避けている。自分たちは日本で定住する外国人を増やしたいわけではなく、一時的な人手不足に対応するために「いつか帰る外国人労働者」を受け入れているだけ──その言い分を維持することで、日本が「日本人」だけの国であり続けてほしい人々をなだめすかしたいかのようだ。しかし、そう思いどおりにいくものだろうか。
現実を見れば、日系人のビザ取得を大幅に緩和し、後の技能実習制度につながる研修生の在留資格を創設した89年の入管法改正(90年施行)以降、日本で10年、20年と暮らす外国人はどんどん増えてきた。政府が意図しようがしまいが、今では永住権を持つ外国人が100万人を突破している。それこそが、終わりに近づく平成という時代の偽りようもない結果だ。
日本で働く外国人は大きく4種類に分けられる。@在日コリアンや日系人など「身分」に基づく在留資格(「永住者」含む)を持つ人々、A留学生アルバイトなど、本来は就労以外の目的で来日し「資格外活動」として一定の制限内で働いている人々、B途上国への国際貢献や技能移転を建前とする「技能実習生」、C就労そのものを目的とする「専門的・技術的分野」の在留資格を持つ人々、この4種類である。
だが、何十万、何百万と数値化された人間の塊ではなく、一人一人の外国人は何を考え、どんなことに悩み、どんな選択をしてきたのか。数字の裏側にある息遣いを知るために、神奈川県横須賀市、福島県郡山市、大阪府豊中市と、日本のいろいろな土地を訪ねて、そこで暮らす外国人に直接話を聞いて回ることにした。
日本で30年近く暮らしてきた日系ペルー人夫婦、実習先からの失踪を決断した技能実習生、週1日だけ許された休みに仲間たちとサッカーに興じるベトナム人労働者たち。永住者、失踪者、労働者──今ここに確かに存在する、「移民」たちのリアルを追った。
第1章:永住者たちのリアル
臨時国会で入管法についての議論が始まった11月半ばのある日、私は新宿駅のホームで日系ペルー人3世のカブレホス・セサル(39)と待ち合わせた。11歳で親に連れられて来日し、今では自らのルーツを生かして医療通訳として活躍するカブレホス。彼には、以前「移民」をテーマにしたウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」で取材をしたことがあった。
この日は私からのお願いで、横須賀市の追浜で30年近く暮らす彼の叔母夫婦に話を聞くことになっていた。外国人労働者の受け入れ拡大が議論される今だからこそ、かつて外国人労働者として呼び寄せられ、既に「移民」としてこの日本社会に定着している日系人たちの声を聞きたい、私はそう考えていた。
新宿から追浜までは、湘南新宿ラインと京急本線を乗り継いで1時間ほど。オッパマと読むその町は、日産の巨大な工場を擁し、バブル景気絶頂の約30年前から多数の日系人を労働者として吸収してきた。

日系ペルー人のカブレホス(左)による通訳を通して取材に応じるナカシマとナカハタ夫婦(横須賀市追浜) HIROKI MOCHIZUKI
駅前の焼鳥屋で落ち合った日系3世のナカシマ・ドゥラン(57)と2世のナカハタ・パトリシア(57)夫婦もそんな日系ペルー人。日本での暮らしは既に28年を数え、現在は永住権を持っている。日本生まれで日本育ちの2人の娘もあっという間に20代になった。
日本に来た当初は1年間の「出稼ぎ」のつもりだったそうだ。当時のペルーはテロとインフレに悩まされており、日系人だけが日本に行けることを「当時働いていたクリニックの同僚が羨ましがっていた」と、ナカハタは言う。ナカシマのペルー時代の月給は、わずか200米ドルだった(89年当時のレートで2万5000円ほど)。
2人はそれぞれイノウエという派遣会社に片道渡航費分の30万円を借金して来日。まずは栃木県真岡市にある寮に連れていかれたという。寮の運営はナルセという別の派遣会社で、そこには42人のペルー人がいたことをナカシマは覚えている。ナカハタは日本といえば東京の近代的なイメージしか持っておらず、真岡の風景に驚いた。12月のペルーから来たばかりでとても寒く、一緒に来た姉と「もう帰りたい」と泣いた。
その寮は派遣先が決まるまでの待機場所。1カ月ほどたって、2人とも追浜にある日産の下請け企業へと派遣された。
ナカシマに割り当てられたのは車の座席の頭の部分に手で布をかぶせる仕事。ラインの流れ作業の一部で、朝6時から夜10時までの16時間、毎日同じ作業を繰り返し、最初の1週間であっという間に腕が動かなくなった。来日する前に「月給3000ドル稼げる」と聞いていたが、当時は実際にそれぐらいの収入があったという(90年当時のレートで40万円以上)。
ナカハタは車のドアの内側にドリルで取っ手を留める仕事を担当した。来日前は事務所を掃除する内容の動画を見せられていて、自動車部品という話は全く聞いていなかった。最初は1年間の契約だったので、前の夫との間の息子はペルーに置いてきていた。1年間の出稼ぎの後にはペルーに戻るつもりだったのだ。
しかし、現実は彼女の想定どおりには進まなかった。同じ職場で出会ったナカシマとナカハタは91年に結婚。2人の娘が生まれ、時給制で働く夫婦にはさらなるプレッシャーがかかった。家族の生活を支えるための週6日に及ぶ長時間労働の日々。光の速さで時間は流れた。
2008年にはリーマン・ショックで職場の外国人が全員解雇され、コミュニティー全体がパニックに陥る。年越し派遣村の開設など日本全体が失業の波にのまれるなかで、政府は日系人の失業者対策として1人当たり30 万円の帰国支援金の支給を決定。職を失い、それまで死に物狂いで蓄えてきた貯金を使い果たすことを恐れた家族や仲間たちが、わずかな「手切れ金」をもらって航空券を買い、帰国していったという。
最初は出稼ぎ目的でやって来たナカシマとナカハタは、それでも帰らなかった。「娘がいたから」とナカシマ。ナカハタは「たぶん娘が生まれたとき」に、これから先もこの国で生きていくことを決めた。彼女は2カ月前、病気の父に会いに91年の結婚以来初めてペルーに帰国したが、27年ぶりに帰った母国は「とても違う国に見えた」という。
一方、ナカシマは老後はペルーに帰りたいと思っている。15年ほど前にはペルーに家も建てた。帰るのか、帰らないのか。今も、夫婦の間で意見は一致していない。
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2人は出稼ぎのつもりでやって来た。政府も短期の労働需要に応えるかのように日系人への門戸を開いた。しかし、結果として起きたのは永住権の取得と30年近くにも及ぶ日本での定住だった。追浜で目の当たりにした現実は、今なお政府が外国人労働者の受け入れ拡大を「移民政策ではない」と言い続けていることの非現実性を改めて浮き彫りにしていた。誰がどう見ても、2人はこの国で暮らす「移民」であるように思えた。
自分のことを「移民」だと思いますか? そう聞くとナカシマはすぐさま「そう思う」と答えた。ナカハタのほうは少し思案して、論理的にはそうだけれど「言い方の問題」だと言った。そして、「おまえは外人だ」と攻撃的な言い方で言われたら傷つく、それと一緒だと言い添えた。
2人は論理的には「移民」である。だが、多数者がその言葉を外国人を社会の一員として迎え入れるために使うのか、それとも排除するために使うのか。少数者として生きてきたナカハタはその差異に敏感に反応していると思えたし、多数者としての私がその言葉をどんなふうに使っていくのか、改めて問い掛けられているのだと思った。
ナカハタはこんな経験もしている。中学生時代の長女を怒鳴りつけた教師に抗議した際、彼女はその教師から「日本の文化に慣れてください」と言われた。だが、彼女はペルーで生徒を怒鳴る教師など見たことがない。同化を迫る社会の中で、ナカハタは自分が信じる筋を通すために戦う必要があった。「日本の文化や日本人を尊重しますけど、私は日本人ではありません」──彼女はそう言い返した。
それでも、2人は日本で長く暮らしたことを全く後悔していないという。ナカハタは、人生の半分にまで至った日本での28年間を「絶対的にポジティブな思い出」であったと言い、そして「私たちはとても親切な日本人に出会ったので」と付け加えた。最初の会社で上司だった男性は2人のことをいつも気に掛けてくれ、永住権申請の際には保証人にまでなってくれたのだと。
ただ1つだけ、ナカシマは日本語を覚えられなかったことを「ちょっと後悔している」と話した。工場にはペルー人やブラジル人が多く、生活もペルー人のコミュニティー内で完結していたので、日本人との接触が少なかった。「日本にいるにもかかわらず、やはり私の世界というのはペルー人コミュニティーですね」。来日当時は「おはよう」すら知らなかった。その後は少しだけ日本語が上達したものの、28年がたったこの日の取材でも、カブレホスによる通訳がなければ込み入った話を聞くことは難しかった。現在、2人が日常的に交流のある日本人の友人は1人もいないという。
日本語ができたら「おそらく今の私の状況は全く違っていただろう」とナカシマは言った。「もしかしたら今頃お金持ちになっていたかもしれない」と笑うナカハタに、「冗談冗談」とナカシマも笑いながら応じた。ただし、これから来る外国人は、ある程度日本語を勉強してから来たほうがいいと彼は思っている。そして、それは「自分自身の経験から」だと。
今もナカシマは日産関係の工場で働いている。時給は1400円。ナカハタは果物の選別工場で働いている。時給は980円。昔と違って、周りにはフィリピン人やベトナム人の女性たちがいる。ナカシマのすぐそばで働くネパール人の若い女性たちは、本当は日本人からの指示が理解できていないのに、日本語が理由で解雇されるのを恐れて聞き返すことすらできない状態にあるのだという。時代は変わった。そして、何も変わっていない──。
電車での帰り道。通訳を仕事にするカブレホスに言葉とコミュニティーについて聞いてみた。「コミュニティーにいると楽。でも向上心がどこかで失われてしまうと思うんです。そんな親の姿を見ている子供たちも同じ。工場の仕事に残ってしまう。みんなにもっと可能性あるぞと呼び掛けていきたいんです」
静岡県富士市で暮らしていた彼は、20代前半で自ら日系人のコミュニティーを離れ、上京を決めた。東京で働き始めると、ペルーでは「すごい企業の営業マン」だった父がなぜ工場の労働者にとどまっているのかと疑問に思うようになった。なぜ日本語を勉強してもっといい企業に行かなかったのか。父にそう聞くと、父の答えはナカシマやナカハタの答えと同じだったという。つまり、週6日仕事をして、子供ができて、周りに安心できるコミュニティーがあった。そして、時間だけが過ぎていった。
カブレホスは今、東京近郊で4人の子供を育てている。現在高校1年生の長女が小学生のころ、「警察官になりたい」と言われてぎくりとした。この国では、永住権だけでは警察官(※)にはなれない。そのとき初めて帰化のことを真剣に考えたという。「もしそれが夢だったら、パパとママ頑張って帰化するよ」
※事実関係に誤りがあったため、「公務員」を「警察官」に訂正しました(2018年12月18日11:30)。
日本で30年近く暮らし、今では永住権を持って生活している人々。最初は「出稼ぎ」のつもりでも、いつの間にかこの国に定住する「移民」になっていた。不況を理由に政府が帰国を促しても、日本で生まれ育った娘たちのために帰らなかった。2018年、いま日本に「出稼ぎ」のつもりで来ている外国人たちの暮らしはこれからどうなっていくのだろう。これからさらに30年後、彼らとこの国との関係は一体どんなふうになっているのだろうか。
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第2章:失踪者たちのリアル
翌々日、私は福島県郡山市に向かった。カトリック郡山教会で、教会や労働組合など、ベトナム人の技能実習生を支援する人々がセミナーを開催し、実習先から「失踪」した元技能実習生たちも参加するとの情報を得ていた。実習生の失踪については国会やメディアでも盛んに取り上げられており、日本における外国人労働者の問題を考える上で避けては通れないテーマだと思っていた。
私はそこで1人のベトナム人女性と出会った。まだ20代前半でハノイ出身だという彼女は、昨年北海道の実習先から逃げ出し、その後いまいる郡山のシェルターまでたどり着いたという。目の前にいる小柄で明るいこの女性は、なぜ逃げなければならなかったのか。どうやって逃げたのか。彼女の名前と顔を出さないことを条件に、本人を含め、一連の流れを知る関係者たちからその顚末を聞いた。

北海道の実習先から逃げてきたベトナム人女性 HIROKI MOCHIZUKI
彼女の実習先は、北海道東部の水産品加工工場。工場には全部で14人の実習生がいて、日本人の労働者は30人弱くらいだった。
毎日朝8時から仕事を始め、遅い日は23時半まで残業した。さばいた魚を真空パックに入れて、冷凍庫で保存する。毎週月曜から土曜まで、15年の夏から約2年半働いた。月の稼ぎを聞くと「一番高いは16万円、一番低いは6万円」。時期によって繁閑の差もあったという。
「日本に来るときはいっぱい希望を持っていたけど、実際に来たらすごいショックを受けました」。日本に渡航するためにつくった約100万円の借金は今もまだ残っている。
ある日、仕事中に同じベトナム人実習生の女性と口論になって顔をたたかれた。きっかけは相手に自分の昼食の弁当を踏まれたこと。逆上して自分も相手の顔を引っかいてしまった。
そんな2人のけんかを見て、工場側はすぐさま強制帰国を宣告。社長や部長から「帰れ」と言われ、航空券も見せられた。強制帰国までの間は監視下の部屋で「軟禁状態」に置かれた。ただし、スマートフォンは取り上げられず、トイレのためか鍵も掛かってはいなかった。この条件が、彼女に外の世界とつながる一縷(いちる) の望みを残した。
まだ帰りたくない──残り半年、実習期間が終わる3年間の区切りまで働きたいと思った彼女は、フェイスブックを通じて信頼できるベトナム人に相談をする。その結果、彼女の情報は回り回って、実習生の支援にも取り組む全統一労働組合の佐々木史朗書記長(66)のもとにまで届いた。
佐々木はすぐさま札幌を拠点とする支援者たちと連絡を取る。佐々木の頭に浮かんだ選択肢は2つ。新千歳空港に支援組織の人間を向かわせ出国間際にギリギリ保護するか、あるいは彼女自身が自力で脱出したところを保護するか。しかしその直後、「けんか相手のベトナム人が自分より先に逃げ出した」という知らせが彼女から届く。
軟禁状態とはいえ鍵が掛かっていなかったこと、たまたま軟禁場所からそれほど遠くないところにもう1人別の支援者がいたことから、佐々木は2つ目の選択肢に焦点を当てた。佐々木は彼女とその支援者をつなげ、待ち合わせの日程と場所も決めた。
当日。小さなバッグ1つで彼女は逃げ出した。真冬の北海道。辺り一面に雪が積もっていた。彼女は何とか脱出に成功し、待ち合わせ場所で支援者と落ち合う。次の目的地は札幌。佐々木が最初に連絡を取った札幌の支援者たちのもとへと、彼女は1人でたどり着く必要があった。
工場や監理団体の人間が失踪した彼女を捜しに出ることは目に見えていた。最寄りの駅から札幌駅に向かうのはリスクが高過ぎる。彼女と落ち合った支援者は、最寄り駅から離れた別の駅まで車を走らせ、彼女をその駅で札幌行きの電車に乗せた。
電車の中では、札幌までの行き方を丁寧に教えてくれた日本人がいたという。本当は追跡者から見つかるリスクを下げるために鈍行列車を使う計画だったが、その親切の結果、彼女は予定よりもかなり早く札幌に着いてしまう。自分のスマホはデータ通信のみ可能で通話ができないため、駅前にいた人に話し掛け、電話を貸してもらった。ようやく、無事に支援者たちとつながることができた。
札幌の日本人支援者はこう語る。「北海道にも技能実習生はたくさんいて農業や漁業を支えています。いつかこういうことが起きると考えて、弁護士や労働組合、研究者などによるネットワークができていました」
その後、彼女は自分と近い境遇に置かれたベトナム人たちが暮らす郡山のシェルターへと移ってきた。実習生には転職の自由がなく、実習先から逃げ出した者がほかの場所で働けば不法就労となってしまう。そのため彼女は1年近くにわたって仕事ができていない。彼女は今、未払い賃金の支払いなどを求めて裁判で争っている。

郡山のシェルターで共同生活を送るベトナム人の元技能実習生たちが日本人支援者たちに感謝を込めてベトナム料理を振る舞う HIROKI MOCHIZUKI
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シェルターを運営する平文敏(63)はかつて高校の社会科の教員だった。郡山に生まれ、退職後の現在は小学校の支援員をしている。実習生のことは前からニュースなどで見聞きしていたが、自分が関わるとは思ってもいなかった。きっかけになったのは彼が通っていたカトリック郡山教会だった。
数年前から目に見えてベトナム人が増えだした。フィリピン人もいる。そのうち同じ神を信じる者たちの間で出身を超えた関係性が生まれ始めた。17年後半のある日、今年1月にシェルターを立ち上げた人物が平に物件の相談を持ち掛ける。平は自分の親がかつて住んでいた家を提供することに決めた。夏頃からは平自身がシェルターの運営を行っている。

郡山でシェルターを運営する平文敏 HIROKI MOCHIZUKI
穏やかな口調で、ゆっくりと、平はこう話した。「彼らは二重にも三重にも裏切られています。本国の送り出し機関からも金を取られ、日本の監理団体からも間接的に金を取られる。一人一人が本当に大変な運命を背負ってきていて、気の毒だなと思います」
実習生は出身国の送り出し機関に多額の渡航前費用を支払うだけでなく、日本側でも、実習先企業から監理団体への管理費の支払いを通じて、給与を間接的に圧縮され続ける。加えて、もともと言われていたのとは違う仕事に従事させられたり、些細な理由で強制帰国を宣告されたりすることまである。でも、と平は続けた。「あれだけの体験をしてもなお、彼らは日本の良いところを口にする。こちらのほうがむしろ助けられているという思いです」
実習生たちにとってこの日本という国で過ごした時間はどう映ったのだろう。北海道の実習先から逃げた彼女はベトナム人に技能実習を「お薦めできない」と話した。ただ、いま周りにいる日本人たちにはとても良くしてもらったと感じている。「日本人にもベトナム人にもそれぞれ良い人と悪い人がいるよ」
この日出会った別の実習生は、知らないうちに福島県で、技能実習であるとは認められない「除染作業」に従事させられていた。彼に技能実習制度について聞くと、自分はたまたま運が悪かったが、ほかの企業のことは分からないと答えた。日本自体には好意的な印象を持っており、日本語も必死に勉強して上達したという。
しかし、「運の問題」で済ませてしまってよいのだろうか。全統一の佐々木は言う。「社員同士がけんかしただけで解雇をするなんて法律があるのか。見せしめのために定期的に何人か強制帰国をさせるというケースも頻発しています。実習生には日本の非正規労働者よりももっと保護がない。実習生本人は『運が悪かった』と言うかもしれないけれど、そもそも彼らは権利主張自体ができない構造の中に置かれているんです」
昨年、厚生労働省は実習生を雇用する5966の事業所への監督指導を行ったが、そのうち7割以上で法令違反が見つかった。どう考えても運の問題ではなく、この国の深部に埋め込まれた構造的な問題だ。そして、その構造の上で、今日も明日も、冷凍の魚が生産され続けていく。ひとたび皿の上にのってしまえば、その魚がどこから来たか、誰の労働の成果なのか、気に掛ける者などほとんどいない。
第3章:労働者たちのリアル
郡山での取材を終え、その足で大阪府豊中市へと向かった。ベトナム人労働者たちのグループ「在豊中市ベトナム人協会(TVA)」のメンバーに会うためだ。近年、豊中だけでなく日本全体でベトナム人の増加が著しく、外国人労働者全体の中でベトナム人は中国人に次いで2番目に大きな存在にまで伸長した。そんなベトナム人たちが豊中で2年前に自ら結成したグループがあると知り、ぜひ直接会って話を聞きたいと思ったのだ。
日曜日の朝、豊中駅前にある公益財団法人「とよなか国際交流協会」でTVAのリーダーを務めるディン・ホアン・ヴー(32)と待ち合わせた。今日は午前にサッカーの活動、午後に日本語のクラスがあるという。TVAができる以前はそれぞれの企業に勤めるベトナム人の間でしか交流がなかったが、今は勤め先を超えたつながりが生まれているのだとヴーは言う。

仕事が休みの日曜午前、豊中市内のグラウンドでサッカーを楽しむベトナム人労働者たち HIROKI MOCHIZUKI
忘年会などの集まりに実際に顔を出すのは60人程度だが、TVAのフェイスブックグループには近隣で働く数百人ものベトナム人が登録していて活発に情報交換をしている。また、サッカーや日本語以外にも料理や卓球などさまざまな活動を行っているそうだ。TVAには技能実習生もいれば、専門的・技術的な在留資格の1つである「技術・人文知識・国際業務」ビザを持って町工場で働くエンジニアも交ざっており、ヴー自身は後者の持ち主だ。
ヴーと電車に数駅乗って、TVAのメンバーがサッカーをしている線路沿いのグラウンドまでやって来た。快晴の空の下で、赤と白のユニフォームに分かれたベトナムの若者たちが7対7の練習試合をしていた。思ったよりかなりレベルが高く、みんなはつらつと走り回っている。ハーフタイムの時間を使いながら、メンバーに1人ずつ話を聞いていった。
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ゴールキーパーを務める実習生のホア HIROKI MOCHIZUKI
ゴールキーパーのチュ・ズック・ホア(28)は道路の舗装などを行う会社に勤める技能実習生。男性ばかりが35人ほどの職場のほとんどが50代以上の日本人で、なかには75歳の人もいる。毎朝6時からの厳しい肉体労働で、帰宅後は「しんどくて遊びに行きたくても無理」だとホアは言う。
彼の勤め先は繁閑の差が激しく、仕事が少ない時期は月給が7万円しかない。ベトナムに残した妻と2人の娘を養うため、給料の8割は送金していて手元にはほとんど何も残らない。生活は大丈夫ですか?と尋ねると「まあ、たまに足らんですよね」と笑顔で答えた。それでもこの2年強で、渡航のためにつくった約150万円の借金は返しきったという。
知人にはやむにやまれず失踪を選んだ実習生もいる。来日前に言われた額より低い給料しかもらえず、借金も返せない。「しゃあないですね」とホア。自分も給料は少ない。逃げることが頭をよぎったこともある。それでも監理団体の組合や社長に掛け合い、この夏から最低賃金に少しだけ上乗せしてもらった。
実習生は家族を呼べないルールだが、最近は3歳の娘が病気にかかってしまって気が気でない。現在のビザが切れる来年夏に一旦帰国する予定だが、そのとき、空港で家族に会ったら「もう、泣いてしまうと思う」。
それでもホアは日本に戻ってくるつもりだ。技能実習の期間を現在の3年から5年に延ばすことも考えている。いま国会で議論されている新しい在留資格のこともネットで調べた。将来は「奥さんと子供を連れて一緒にずーっと日本に住みたい」と言う。
「サッカー楽しいです。毎日仕事でストレスもたまっているから」──ボオ・カック・ディエップ(28)は「技術」のビザで3年前に来日したエンジニアだ。
収入は20万円を少し超えるくらいで実習生に比べてかなり高い水準。技術ビザなので家族を呼ぶこともできる。少し前までは豊中市内で妻と暮らしていたが、1人目の妊娠が分かって妻だけ里帰りした。「私、仕事したら誰もいないから、(家で)1人はしんどいと思うから」
翌日、ディエップが週6日働き、自分の「家みたい」だという上原精工を訪ねた。1980年創業で金属加工業を営む上原精工は、豊中の本社工場に加えて伊丹と奈良にも工場を保有している。
28人の社員のうちベトナム人が10人。日本人の採用難で09年からベトナム人実習生の採用を開始した。しかしその後は全て実習生から「技術」ビザのエンジニアへと切り替えたという。その意図を、本社工場長の上原大輔(36)はこう説明する。
「最初の実習生にはとても満足だったが3年しか日本にいられないのがネックでした。うちらの仕事も覚えることが多いんで、2年ぐらいたってようやくまともになってくるかなという時期で、3年で帰られるのは悲しいなあと。技術のビザであれば互いの同意があれば何度でも更新できますから」
人手不足で日本人の若者が採用できない。だからこそ外国人でも長く働いてくれることが最優先で、そのためなら実習生と技術ビザとの間に存在する10万円程度の給与水準の違いも「妥当」だと考えている。「それでもまだまだ賃金上げろって言ってくるんですけどね」と上原は苦笑しながら言った。

週7日働いているという工場長の上原大輔 AKIHITO YOSHIDA FOR NEWSWEEK JAPAN
定住や永住への道を描かない政府の姿とは対照的に、外国人労働者の受け入れ現場の多くは事業を長期的に支えられる基幹的な労働者を望んでいる。しかし、日本での滞在が長期化するということは、家族と暮らし、子供が生まれ、教育や社会保障などさまざまな社会システムの利用者となっていくことも意味する。その現実を直視することは、外国人労働者を受け入れる企業だけでなく、社会全体の覚悟を問うことにもつながっていくだろう。
労働条件をめぐって緊張が走ることもある。上原精工でも、ディエップから会社に賃上げを求めたことがあった。「一番頑張っている彼が言うのは分かる」と上原は言う。ただ「今は赤字だから黒字化が見えてくる4月まで待ってくれ」とも伝えた。
初期に採用したベトナム人たちの給与は既に30万円程度まで上げている。「彼らはあと3年ぐらいで永住ビザが取れるので、取りあえずそこまでは頑張るみたいな話はしてましたけどね」。使い捨てではなく、日本人と同じ扱いで、全ての工程を自分一人で何でもできるところまで持っていく方針だ。
これまで採用した13人のベトナム人で離職したのは1人だけ。その秘訣を上原に聞くと、ベトナム人の社員に対して自分や伊丹工場長の弟が直接指導しているのだと教えてくれた。本当は日本人のベテラン工員から指導してほしいのだが、そう簡単にはいかないのだとも。
どうしても懸念されるのは言葉のこと。「難しい仕事になってくると他社との打ち合わせもあるので、ベトナムの子らだと技術が分かっても話のほうで苦労するかなと」
さらに、外国人労働者としてはベトナム人だけを採用してきたなかで「日本語が上達するスピードが遅くなってきている」とも感じている。ベトナム人同士で仕事ができてしまうために、日本語を使わなくてもいい環境が生まれているからだ。これからはもう少し出身国を分散させることも考えているという。
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大きな企業は日本語教師を雇って日本語のレッスンを開くだけの体力がある。一方、TVAのメンバーが働くような中小企業では日本語教育がおろそかになりがちで、日本人ボランティアの好意に支えられた日本語クラスがその隙間を何とか埋め合わせているのが現状だ。人手不足を理由に中小企業での外国人労働者の導入が進んでいるが、国として、社会として、彼らが日本語を学ぶ機会すら十分に準備できていないという現実にはなかなか光が当たらない。追浜で会ったナカシマとナカハタのことがふと頭をよぎった。
帰り際、無精ひげを生やした上原に聞いた。忙しいですか? 「週7日働いていて、徹夜も多いですね」という答えが返ってきた。ギリギリの労働現場で、日本人とベトナム人が働いていた。上原の頭の中には、いつか彼らがベトナムに帰ってしまうのではないかという不安が常に付きまとっている。
2階の応接室から1階の工場へと降りると、シンナーのにおいがした。伊丹空港のすぐそばなので、ひっきりなしに飛行機の音が聞こえる。工場の奥に歩いていくと、大きな機械の前で自分に任された金属加工の仕事を黙々とこなすディエップの姿を見つけた。
前日に会ったとき、ベトナムで妊娠中の奥さんが病院に運ばれたと言っていたのでそのことを聞いてみた。奥さんは大丈夫? ──ディエップはパッと目を見開いて笑った。「生まれたんです」。予定日より15日早い出産だった。スマホの中で、生まれたての赤ちゃんがスヤスヤと眠っていた。
ディエップは来年5月に妻と子供を日本に呼び寄せようと考えている。「お父さんになったらちょっと大変だけど幸せ」。そう話す彼に将来のことを聞いてみた。これからずっと日本で生きていきたいと思っていますか?
「いつまでか、まだ決めてない。子供のため。子供が日本で慣れるか慣れないか。いま赤ちゃんだから、(これから)ずっと日本に住んで、きっと日本に住みたい(と思う)。でも友達から聞きました。外国人の子供は学校行って日本人の子供は『外人、外人』とか言う。これからどうかな。どんどん日本で外国人増えるから、みんなはもっと慣れるかな」

上原精工で働くディエップは、自分に任された金属加工の仕事を黙々とこなす AKIHITO YOSHIDA FOR NEWSWEEK JAPAN
◇ ◇ ◇


追浜、郡山、豊中。日本で暮らす外国人たちから話を聞いてきた。
一人一人の外国人はこの国で定住するかどうかを決めてから日本にやって来るわけではない。こちらがいつか帰る短期の労働者だと高をくくっていても、本人たち自身もそれとは意識しないうちに時間は刻々と過ぎ去っていく。単身の労働者は母になり、父になり、人生の渦に巻き込まれていく。その大きな渦は、社会を簡単に設計できる、人の移動を簡単にコントロールできる、そう考える人々の思い込みをいとも簡単に吹き飛ばすだろう。
移民は人間だ。言葉を話して、学んで、働く。どこに住むか、誰と暮らすか。一人一人が違っていて、一人一人が悩んでいる。いじめられれば苦しいし、できれば家族と一緒に暮らしたい。毎日毎日、目の前の問題に取りあえずの答えを出しながら、それでも一歩ずつ進んでいくしかない。そうして時間だけが1年、また1年と降り積もっていくのだ。そんな人間としての飾らない日々の現実を、何十万、何百万という数字の奥に、私たちはどれくらい感じ取ることができるだろう。
永住者が、失踪者が、労働者がいるわけではない。ただ一人一人の人間がそのときその場所に存在するだけだ。それこそが、移民たちのリアルであり、私たちのリアルでもある。
<2018年12月11日号掲載>


※12月11日号は「移民の歌」 特集。日本はさらなる外国人労働者を受け入れるべきか? 受け入れ拡大をめぐって国会が紛糾するなか、日本の移民事情について取材を続け発信してきた望月優大氏がルポを寄稿。永住者、失踪者、労働者――今ここに確かに存在する「移民」たちのリアルを追った。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/12/post-11431_6.php
 

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コメント
1. 暴走機関車[94] llyRlotAitaO1A 2018年12月27日 14:10:08 : VHUIUlzXHo : C70crfcuH28[6] 報告
単純労働には定住は必要ない。
これはもっともな法則でもある。

定住ありきとするから色々立ち
行かなくなる。

単純労働は全て期限付きで定住したけ
れば「金を積め」というオーストラリア
やニュージーランドの習えばよいことだ。

不法就労についても「管理が甘すぎる」
企業を「お取り潰し」にするくらいの
法規制があってもよいのだが…。

労働力不足もよく見ていくと「非効率」
部分が多すぎる「経営手法が多々」
徹底的な「効率のロスカット」をすべきで
「耐えられなければ廃業」でもよく
社会の新陳代謝を促す制度作りも必要だ。

100年企業いや数百年企業を見てみると
時代時代で「見事な転身、七変化」を
家業で行い、時代の荒波を乗り越えている。
「経営者の分身を何人作れるか」で効率は
格段に改善する。

「こうでなければならない」は「時代に
乗り遅れる最たるもの」と思うべきだ。

2. 2018年12月27日 19:13:37 : d0QODkNglo : ul9iNPnSst8[139] 報告
伏せたがる 大きな闇が 潜むから

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