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長銀「最後の頭取」が語る、20年前の破綻に至った本当の理由 長銀元頭取・鈴木恒男氏インタビュー(上)
https://diamond.jp/articles/-/185387
2018.11.14 宮内健:経済ジャーナリスト ダイヤモンド・オンライン
長銀元頭取の鈴木恒男さん Photo:DOL
1998年秋、日本長期信用銀行(以下、長銀)は経営破綻し国有化された。メディアは「ずさんな経営」や「不良債権隠し」がその原因と批判し、翌年には大野木克信元頭取など旧経営陣の3名が逮捕された。起訴容疑は粉飾決算と違法配当であった。
ところが経営破綻から10年後の2008年、最高裁は無罪判決を言い渡した。ならば、長銀の経営が追い込まれたのはなぜだろうか。破綻時の頭取だった鈴木恒男氏は当時の記者会見で「急激な環境の変化」と語った。もちろん経営責任を否定しているのではなく、それも含め、短期間にさまざまな要因が重層的に絡み合って生じた事態、という意味である。
だが当時は「悪者たたき」に終始する感情的な議論が多く、冷静に総括されることはあまりなかった。国有化から20年が経過したいま、長銀「最後の頭取」である鈴木恒男氏に長銀破綻の経緯について振り返ってもらった。(聞き手/経済ジャーナリスト 宮内 健)
「営業重視・審査軽視」へと
変化していったバブル期
バブル景気が始まる少し前、私は資金調達本部に属していました。その時期、長銀の各本部が集まって長期経営計画について相談する機会があったのですが、借り入れ需要が非常に少なくなっており、融資を伸ばさなければいけないのに伸びない、したがって利益もあがらない状況に陥っていました。
その後、大阪の営業に転勤になり現場に出てみると、本当に借り入れ需要がないことに驚きました。もう東京では不動産価格が上昇していましたが、大阪ではまだフィーバーしてはいなかったのです。私のいた部署は業務目標をまったく達成できず、非常に肩身の狭い思いをしたのを覚えています。
1986年に本社へ戻り、私は経営企画部企画室長になりました。もっともこれは対外的な肩書で、業務はMOF担(大蔵省との折衝担当者)と、銀行内の各セクションの利害が反するような問題を調整する内部調整的な仕事です。
この頃、長銀ではマッキンゼーのコンサルティングを受け、融資部門に権限委譲し、もっと自主性を持たせ、クイックレスポンスできる体制をつくるべきだとのアドバイスに基づき、組織改革を行って総本部制を導入。貸し出しの売り込みと審査を同じ総本部内で完結させることにしました。それは一種の当時の流行で、住友銀行(現・三井住友銀行)もマッキンゼーのコンサルティングを受けて同様の体制を構築していました。
要はもっと現場にハッパをかけて、貸し出しを増やす仕組みをつくろうとしたわけです。しかし業績を伸ばすために営業優先で審査を軽視しがちになるなど、営業の裁量の幅を広げすぎてしまったと後に反省が出て、89年2月に権限移譲をしましたが、結局は91年2月に元の組織に戻すことになりました。私もこの組織改革に関わりましたが、営業優位にはバブル期の特徴が出ていたのでしょう。その自覚が我々スタッフには足りませんでした。
業績にプレッシャーをかけた
「長信銀制度」の行き詰まり
このような組織改革に踏み出したのは「業績をもっと伸ばさなければいけない」というプレッシャーがあり、それは長信銀制度が曲がり角にきていたことが背景にありました。
預金で資金を集める普通銀行と異なり、長期信用銀行は期間5年の金融債(銀行が出す社債)を発行して資金を集め、設備投資などの長期資金を貸し出す金融機関です。日本興業銀行と日本債券信用銀行、そして長銀の3行がありました。
金融制度上は長短分離という思想があり、短期貸し出しは普通銀行が行い、長期貸し出しは長信銀や信託銀行が担うことになっていましたが、当時は長短分離が事実上崩れ、都市銀行も長期貸し出しを行うようになっていました。
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本来は、債券や期間の長い定期預金で資金調達をしないで長期貸し出しをすると途中で調達金利が上がるリスクがあるのですが、預金金利がそれほど乱高下しない時代になり、都市銀行は利ザヤをたくさん取れる長期貸し出しに乗り出してきたのです。
一方の取引先は、長期より金利の低い短期を選好しますから、我々に「短期で貸してくれ」と言ってきます。ところが我々は普通預金などの流動性預金の比率がとても低いので、低コスト資金がありません。仕方なく短期貸し出しをすると逆ザヤになってしまいます。このように貸し出しは増えるが収益はなかなか伸びないという状況が出現し、収益を増やすためにより長期貸し出しの量を増やさなければいけないというプレッシャーがかかっていました。
そういう面を見ると、すでに当時、長信銀制度はもはや使命を終えつつあったのでしょう。今から考えればいち早く方向転換し、他の銀行との合併も真剣に考えなければならない状況でしたが、そちらの方には気持ちが向かず、自力でなんとかしようとしていました。まだ自己資本も厚く、保有している株式に兆円単位の含み益があったので、まだまだ自力でやっていけると考えていたのです。
なぜ不動産バブル崩壊を
見抜けなかったのか
1989年末の大納会で日経平均株価が史上最高値(3万8915円)をつけました。その次の営業日である翌90年1月4日、私は業務審査部長へ異動になりました。その後バブル崩壊が本格化すると同時に後ろ向きの仕事についた感じで、以後の仕事はすべて不良債権理に関するものです。
現在は解体されてしまった日本長期信用銀行本店ビル。下層階がくびれたユニークな外観でも注目を集めていた Photo:PIXTA
もっとも、バブル景気がおかしくなったと認識したのはもう少し先の90年秋、国内外でリゾート開発やホテル事業を行っていた不動産開発投資会社EIEインターナショナルの資金繰りが回らなくなったときです。その年の6月に一度、不足資金を貸し付けていたのですが、そのときは一時的な資金不足だろうとそれほど重くは見ていませんでした。しかし秋にもう一度、EIEから「また資金が足りなくなったので貸してくれ」との要請が来ます。
要は、日常の営業では資金が不足するようになり、資金繰りのための借り入れをEIEは必要としていたのです。資金不足が続くのは事業に異変が生じている証拠です。そこで同社を調べてみると、やはり構造的な資金不足に陥っていました。EIEはゴルフ会員権の販売とリゾート施設の転売で繰り回していたバブル型の企業だったので、株価の下落とともにゴルフ会員権などの販売に陰りが出て資金繰りが悪化しました。こういう会社が構造的な資金不足に陥るのは、まさにバブルがはじけたことを示していました。
その他の取引先でも、金利を支払えない企業がぽつぽつ出始めていました。ただ、現実のように急速な地価の下落で日本経済が急激に悪化するとまでは考えておらず、どこかで小康状態になると見ていました。オイルショック時も不動産価格は下落しましたが、比較的軽症で済んでいます。調整局面は当然あるでしょうが、不動産価格も1〜2割くらい下がれば均衡状態に入るのではないかと、希望も含めそんな見方をしていたのです。
銀行が不動産融資を増やす過程で、世間では「東京を国際金融センターに」との声も強く、当時の国土庁(現・国土交通省)は「東京のオフィスは超高層ビルにして250棟分必要になる」との予測を発表していました。これだけ外貨準備高があり、それにともなって日本の存在感も増すのだから、東京もロンドンのシティーのような機能を担えるのではないか、と。東京の狭い土地を再開発して有効活用し、オフィスとしてグレードアップしていけば、付加価値が高まっていくとの希望的な観測が支配的で、我々も同様の観測をしていたということです。
経営破綻を招いたのはEIEではない
他行より重かった関連ノンバンク処理
一般取引先で生じた不良債権の最大のものがEIEグループ向けの貸し出しで、長銀の被った損失は1000億円を大きく超え、そのグループ会社を含めると損失はさらに数百億円増加します。
ただし、EIE問題は長銀破綻の原因ではありません。それ以上に重荷になったのが関連ノンバンク向けの融資でした。長銀の関連会社として融資業務を行っていたノンバンクが7社ほどあって、それぞれ相当な資金量を持ち、バブル期に不動産融資を増やしていました。たとえば最大の日本リースの総資産は3兆円を超え、本業のリースに加え貸し出し業務も兆円レベル。ベンチャーキャピタルのNEDや不動産の日本ランディックも数千億円の融資をしていました。
長信銀というビジネスモデルではなかなか食べていけなくなる状況で、グループのノンバンクで隣接する異分野に参入することは、長銀にとって機能補完的な意味がありました。人や店舗が少なく、縦割りの金融制度の壁があり、自由に業務展開できない長銀本体では限界があるので、関連会社でリース業やベンチャーキャピタルに進出したのです。ライフという信販会社を救済し、グループに引き込んだのもその流れです。ノンバンクは他の都市銀行も手がけていましたが、長銀は他社より熱が入っていた感があります。
バブルが崩壊した直後の1991年時点で、関連ノンバンクなどに対する長銀の貸し出し残高は1兆円を超えていました。さらに問題はこれらの会社の営業貸付金で、そのほとんどすべてが不動産担保融資であり、グループ企業全体では5兆円近い営業貸付金が、不動産の価格変動リスクを抱えていました。
これほど営業貸付金が増えたのは、バブルが崩壊するまでグループ会社の経営管理が甘かったからです。長銀はグループ会社の貸し出しをすべて掌握し、リスクが過大になっていないか厳重にチェックしながら進めるべきだったのですが、脇が甘くて気付いたときにはものすごい量になっていました。
それに加え、原因としては、関連会社のトップが本体の役員を務めあげた大先輩たちで、スタッフが苦言を呈することがはばかられる風土がありました。また、各社の本業の収益で事態を改善できるという期待もありました。たとえば日本リースはオリックスに次ぐ規模のリース会社で、いずれ上場しようかという勢いもあったので、ある程度経営の自主性を認めざるを得なかったのです。
我々としては、関連ノンバンクが苦しくなったら会社更生法や民事再生法の対象にして、一般の債権者にも負担していただく可能性も理論的にはありました。しかし、現実には許されなかった。関連ノンバンクに融資している金融機関からすれば「日本リースの信用力ではなく長銀の信用力で貸しているんだ」と。つまり、関連ノンバンクの信用ではなく親銀行=母体行の信用で貸しているのだから、関連ノンバンクの経営についての責任は母体行にあるというものです。
母体行主義が一般化したのは住専(住宅金融専門会社)問題の処理からです。住専とはもともと個人向けの住宅ローンを取り扱うノンバンクでしたが、都市銀行などの住宅ローン分野への進出で圧迫され、不動産業への融資を増やすようになりました。住専の拡大を支えたのは母体金融機関と生保、農林系統金融機関(農協とその上部金融機関)などからの長期借り入れです。長銀が野村證券との折半出資で設立した第一住宅金融も例外ではありませんでした。
大幅な地価下落に伴い住専各社は巨額の損失を出し、最終的に大蔵省主導で破綻処理されましたが、この過程で関連ノンバンクの損失処理は母体行が責任をもって処理することが原則のようになりました。農林系統金融機関が「貸し倒れ損はあくまで母体行の責任で、母体行の信用で貸したのだから我々が一部でも負担することはあり得ない」と主張し、これが大勢になったのです。
こうして関連ノンバンクの損失処理は、長銀そのものの問題となりました。本体の不良債権だけなら他行と比べ過重な負担だったとは思いませんが、長銀の場合、関連ノンバンクの負担が他行より重かったのです。
不良債権処理とは
どのような仕事だったか
バブル景気で地価が高騰を続ける中、大蔵省は1990年3月に不動産融資総量規制を実施しました。内容は不動産業に対する貸し出しの伸び率を総貸し出しの伸び率以下に抑え、同時にノンバンク向けの貸し出しも定期的に報告を求める比較的穏やかなものでした。
しかし「平成の鬼平」と世の喝采を浴びた三重野康総裁率いる日銀は、その前年から相次いで利上げし、90年8月に公定歩合は6%に達し、地価の本格的な下落を招きました。さらに地価税の創設など政府の各省、各局はそれぞれに地価対策を打ち出し、総合調整機能を欠いた個々の政策の集積は、各省庁の想定を超える激震を地価にもたらしました。
地価下落により年々膨らむ一途の不良債権は、長銀をはじめ銀行の経営を圧迫していきました。そんな状況のなか、私は92年に取締役事業推進部長に就任しました。事業推進部長というと前向きに聞こえますが、内容は不良債権を専門に担当する部です。取締役に昇格してうれしくなかったかといえば嘘になりますが、それ以上に大変な時期に大変な仕事に就いたというプレッシャーがありました。
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長銀がメインバンクとして推進した不動産開発プロジェクトでは、工事の途中で開発会社の資金が尽きてしまうものがありました。途中で放り出されると銀行は貸し出しを取りっぱぐれる上に撤去費用もかかり、大変な損失です。そこで7〜8割できていた物件については受け皿会社をつくって簿価で引き取り、ゼネコンの力を借りたりしながら工事を継続し、完工させて売却していくのが重要な仕事でした。
EIEにはプロジェクトの途中で止まってしまった海外の案件がたくさんありました。たとえばニューヨークの五番街に建設中のホテル。こんな物件を立ち枯れさせてしまったら、日本という国自体が変な目で見られてしまいます。こうした案件も含め、世界中にあったホテルを全部1ヵ所にまとめて仕上げることになり、グループ会社の案件も一部引き取りました。
これらの行為がのちに「不良債権の隠ぺい」とか「不良債権処理の先送り」との疑念疑惑を招きましたが、隠ぺいなどではありません。ずっと抱え込んで隠すのではなく、あくまで不良債権処理の一環で完工させたら転売するものでしたから。不動産価格が値下がりしていたため貸出金額の元本までは回収できませんでしたが、それでも野ざらしで鉄骨のまま売却するよりはずっとよかったのです。
※「長銀元頭取・鈴木恒男氏インタビュー(下)」は11月21日(水)に公開します。
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