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年収1800万から200万に転落、元敏腕週刊誌記者のマイルド貧困
https://diamond.jp/articles/-/183281
2018.10.25 根本直樹:ライター ダイヤモンド・オンライン
かつての週刊誌敏腕記者も、いまでは糖尿病とアルコール依存症を患っている Photo by Naoki Nemoto
格差や貧困問題の是正が放置されているうちに、「アンダークラス(パート主婦を除く非正規労働者)」が900万人を突破、日本は「階級社会」への道を突き進んでいる。中でも「中間階級」が崩壊、新たな貧困層が生まれてきた。それは、どん底一歩手前の「マイルド貧困」とも呼べる新たな階級だ。そこでDOL特集「『マイルド貧困』の絶望」第11回は、年収1800万円だった週刊誌の敏腕記者が、年収200万円まで転落した軌跡と理由を追った。(ライター 根本直樹)
年収1800万円の元敏腕記者が
共同便所、家賃3万円の部屋に転落
3年ぶりに会った河田聡(仮名・48歳)は、げっそりと痩せ細り、顔だけが病的にむくんでいた。糖尿病とアルコール依存症の影響だという。家賃3万2000円のアパートの自室には、本とチューハイの空き缶が散乱していた。汚れた茶碗に注いだ焼酎をちびちび舐めながら、河田は最近の暮らしぶりを語り始めた。
茶碗に注いだ焼酎をちびちび舐めながら取材に応じる元週刊誌記者の河田聡さん(仮名) Photo by N.N.
「今どき共同便所のアパートなんて珍しいでしょ。おんぼろだけど、寝るだけだから別にどうでもいいんだけどね。風呂は週に1回、錦糸町のサウナに泊まりに行くんだ。それが唯一の楽しみかな。でも、もう疲れたよ、こんな生活」
河田の本業はフリーの雑誌ライター。だが、その収入は月に10万円程度。それだけでは足りないので、2年前から近所のスーパーでアルバイトをしているという。その収入が月12万円。荒んだ表情で河田は続ける。
「10万円あれば食えないことはないけど、それだけじゃあまりに哀しい。糖尿だけど、たまには焼き肉くらい食いたいし、風俗だって行きたい。酒代もかかる。取材費も必要。だから仕方なくバイトを始めたんだけど、週5日、1日6時間の肉体労働だよ。バイト終わったあとに取材に行ったり、原稿書いたりするのが最近キツくて」
今では、すっかりやさぐれた中年男となってしまった河田だが、かつては年収1800万円を稼ぎ出したこともある敏腕雑誌記者だった。
一流私大を中退した後
ブラック興信所を経て週刊誌記者に
北陸出身の河田は、早稲田大学政経学部を3年次に中退すると、興信所でアルバイトを始めた。
「暴力団の幹部が実質的にオーナーを務める調査会社。でも、そういうところの方が仕事はきっちりやるんだよね。謄本や決算書の見方から尾行のやり方まで、ここで取材のイロハを徹底的に叩き込まれた」
約3年間、そんな“ブラック興信所”で働いた後、当時平均60万〜70万部の発行部数を誇っていた男性週刊誌『週刊H』の専属記者として雇われた。
「さすがにブラック過ぎた。興信所っていうのは表向きの話で、調査して掴んだネタをもとに、企業からカネをゆすり取るのが本業のような会社だった。で、うんざりして、出版社に就職した先輩に相談したら、週刊誌を紹介されたんだ」
90年代半ば。当時の週刊誌業界は最後のバブルを謳歌していた。抜き差しならないヤクザな現場で鍛えられてきた河田はすぐに頭角を現し、事件と芸能スキャンダル分野で“エース記者”と呼ばれるようになっていった。
エース記者時代のバブリーな生活から一転
ネットメディアを見下し貧困一直線
出版社によって支払い方法は異なるが、週刊Hの場合、専属記者へのギャランティは週払いだった。新人記者で週給6万〜8万円、中堅で10〜15万円、エースと言われる敏腕記者だと25万円を稼ぐ者もいた。
ベースとなるギャラ以外にも「スクープ料」「企画料」が上乗せされる場合も多く、週刊誌業界全体では年収1000万円プレーヤーもザラにいた時代だ。ネットメディアに押され、紙媒体が売れなくなった今と比べると隔世の感がある。
河田はスクープを連発。記者になって3年で、専属以外の仕事も含めて1000万円プレーヤーの仲間入りを果たし、中古のポルシェとマンションを手に入れた。「最高で年収1800万ってときがあったね。あの頃、週刊誌業界はギャラもよかったけど、それ以上にありがたかったのが取材費。結果を出して、実力を認められるようになると、ほとんど青天井で取材費が使えた。タクシーも乗り放題。20代の若造が、月に20万、30万円の経費が使い放題だったのだから、笑いが止まらなかったね。締め切りが明けると、焼き肉屋や寿司屋で飯を食い、そのあとはハシゴ酒。そして最後のシメで早朝ソープに行く。そんな毎日だったね」
しかし、そんな時代は長く続かなかった。2000年代に入ると出版不況の波が押し寄せ、河田の所属していた週刊Hは廃刊。それを機にフリーランスのライターとなったが、収入は半減した。
それでも約10年間は年収500万円程度はキープしていたが、その後スマホ全盛の時代を迎えると、ネットメディアが勃興し、紙媒体の仕事が激減。ギャラの相場も90年代の3分の2から半分の水準にまで落ち込んだ。特にここ5年間は厳しく、河田の暮らしぶりは急変した。
「世間では“文春砲”とか言って、まるで週刊誌業界がイケイケみたいに思っている人もいるかもしれないけど、とんでもない。一部の優秀な専属記者はそれなりに稼いでいるが、それでも年収1000万円稼いでいる奴なんてほぼいない。経費削減のために、取材費が出ない雑誌もザラ。紙媒体が“オワコン”なのは、俺も痛感しているよ」
河田はそう語るが、新興のネットメディアで仕事をすることには消極的だ。
取材後も近所の公園で酒を飲み続ける河田さん Photo by N.N.
「読めばわかるけど、クソじゃん。ろくに取材もしないで、紙媒体からパクってきたネタを適当に書き直して掲載とか。何度か、わりと有名なネットメディアから依頼がきたけど、ギャラの金額を聞いてすぐに断った。だって、記事1本1万5000円だよ。しかも取材費はゼロ。これでも高いほうだっていうんだから、あきれるしかなかったよね。10本記事を書いても15万円なんだもん」
そう語る河田は、こう続ける。
「だいたい、まともに取材して書こうと思ったら、月に10本なんて無理なんだよ。ネットメディアの編集者もそれを承知で頼んでくる。奴らの本音は『適当にその辺の記事を繋ぎ合わせて、それっぽくまとめてください』ってことだろ。やってられるか、そんなもん」
安い焼酎を注いだ茶碗が次から次へとカラになっていく。それとともに河田の眼は怪しく据わりはじめ、取材する筆者を罵倒しはじめるのだ。
「あんたさ、裏切り者だよ。紙媒体出身なら、ネットに魂売るんじゃねえよ。ちょこちょこって話聞いて、軽い調子でささって書いて、原稿書きましたって、ふざけんな。この仕事、舐めるんじゃねえよ」
かつての栄光とプライドが邪魔をしてネットメディアを見下し、河田のように実力はあるのに貧困一歩手前の生活に堕してしまった元週刊誌記者は少なくない。
しかし、河田の言葉にも一理ある。ネットメディアの世界も最近はだいぶ質が上がってきてはいるが、それでも粗製乱造の感はぬぐえない。
取材から2週間後、河田から「入院した」と連絡が入った。衰退する業界の、哀しき現実の一つがここにある。
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