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倒産スーパー社長の独白、地方都市「自壊」のリアル
https://diamond.jp/articles/-/181899
2018.10.17 週刊ダイヤモンド編集部
Photo by Satoru Okada
安倍政権が「地方創生」を掲げて久しいが、国が主導して地方の問題が解決するわけではない。とはいえ、地方の人々が自ら声を上げ、立ち上がっても、やはり抵抗を受ける。昨年末に倒産の憂き目を見た山梨県の食品スーパー社長が、自身の奮闘むなしく地方都市が“自壊”する様を語った。(「週刊ダイヤモンド」編集部 岡田 悟)
大正元年創業・山梨の地域密着型
老舗食品スーパー「やまと」の倒産
地方では、コンビニエンスストアすら撤退してしまうほどさびれた場所がある。だがもちろん、その土地に暮らす人がいるため、いわゆる“買い物難民”が発生する。そこで地元スーパーが、トラックに食品や生活必需品を積んだ「移動販売車」を走らせた。
もちろん、周辺に住むお年寄りは大喜びだった。販売場所に到着すると、スピーカーから「きよしのズンドコ節」、出発する時は「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌を流す。だが、それももう聞けなくなった。
新宿から中央線の特急電車で2時間弱。富士山を北側から望む山梨県韮崎市に本部を置く食品スーパー・やまとが、2017年12月、倒産した。創業は1912(大正元)年という老舗だった。
2008年には売上高が64億円を超え、県内16店舗を展開したが、その後は減収減益傾向が続き、最後は9店に減っていた。
3代目の社長だった小林久(55歳)は、先代の放漫経営で経営危機に陥った15年前、39歳で社長に就任し、2年目で黒字化を達成した。環境保護活動にも取り組み、店頭に生ごみの回収ボックスを設け、生ごみを出した客にポイントを付与する手法は、全国ニュースでも取り上げられた。
他にもホームレスの男性や障害者の雇用、貧困家庭への食品の寄付などの活動で注目され、山梨県の教育委員や教育委員長も務めた。「頼まれたら、選挙以外は断らない、がモットーだから」と小林。冒頭の移動販売車も、地元の韮崎市の副市長の依頼を受けて考え出したアイデアだった。
そんな小林のもとに、地元以外からも頼みごとがあった。
甲府の買い物難民救う出店要請
地元商店街の冷ややかな対応に直面
山梨県の県庁所在地である甲府市は、郊外にイオンのショッピングセンターが進出した結果、中心部の百貨店や商店街から客足が途絶えて久しい。まさに、全国の多くの地方都市が直面しているような問題だ。
甲府市ではさらに、市が主導して商店街の中に建設した商業ビルが10年に開業したが、入居していた食品スーパーが撤退。ここでもいわゆる買い物難民化した高齢者が発生した。さらには、暴力団同士の抗争によって発砲事件が起き、もともと少ない客足がさらに減少していた。そこで、商店街の若手商店主の有志が、小林にスーパーの出店を要請したのである。
同じ県内でも、地域によって対立したり、利権の分捕り合戦をしたり、高校野球の県大会の応援が地域対抗戦の様相を呈したりする――という構図は珍しくない。韮崎市も、甲府市から電車でわずか12分の距離だが、甲府市からすれば、韮崎市のスーパーなど“よそ者”もいいところなのだ。にもかかわらず、甲府市内で出店するスーパーがいなかったため、小林はこれを引き受けた。
甲府市からの補助金は一切、受け取らなかった。小林はその決意を「自分でその場に身を置いて商売し、行政の補助金に頼り切った商店街の活性化策に、物申したかった」と語る。
商店街には、空き店舗のスペースはいくらでもあった。調理などの作業場が取れないほどの小さな店舗を借り、近くの鮮魚店に配慮して、鮮魚以外の食品を並べた。11年12月にオープンし、もちろん多くのお年寄りが買い物に来た。鮮魚店から頼まれて、その店も引き継ぐことになった。
だが、「商店街の関係者は、老いも若きも冷たく、ほとんど誰も応援してくれなかった」と小林は振り返る。
請われて出店したにもかかわらず「商店街の重鎮たちに頭を下げに行け」と“助言”される。近所の飲食店から「やまとが出店してから売り上げが減った」と非難される……。
元旦には商店街の全店が閉まるので、やまとだけが福袋を販売したところ、意気に感じた隣の紳士服店は店を開けてくれたが、他の店舗はつれなかった。
店以外でも、少しでも商店街がにぎわえばと、それこそ商店街にある古びた映画館で映画祭を開いた。ライブハウスで「おやじバンド」のフェスティバルを開いた。
にもかかわらず売り上げは伸び悩み、自分の給料を下げて、片方の店舗の家賃を負担した。
結局、イオンが16年に再開発ビルにスーパーを出店。やまとは5年で撤退することになる。イオンが郊外のショッピングセンターを大幅に増床することと、事実上のバーターだったとみられる。
それでも、中心市街地に賑わいが戻ったわけではない。現在至るまで閑散とした状況は続いており、事態は何も解決していない。
銀行も支援、倒産直前は黒字達成
しかし「そうは問屋が卸さない」
その間、やまとの全16店の売り上げはじりじりと下がり続けた。イオンの増床に加え、県内の他チェーンの安売り攻勢が進む。やまとも、赤字額の大きさと、やまと以外に地域住民が買い物に行ける店があるかどうかの2点から、閉店する店舗を決めざるを得なかった。
それでも経営は苦しい。15年ごろからは、銀行団から元本の返済猶予、いわゆる「リスケ」を受けた。もっとも銀行団は、真摯にやまとを支援してくれたという。再建計画が進み、倒産直前には経常黒字を達成してもいた。ところが。
「そうは問屋が卸さない、というのは本当だね」と、小林は唇をかむ。17年12月のある日、早朝から商品が各店舗に届かない。それどころか、卸会社が店頭から商品を引き揚げている。
「きょう、倒産するのか?」と、ある取引先から電話で問われた小林は寝耳に水だったが、卸会社はやまととの商売から手を引いていた。協力的だった取引先からの説得もあり、この日のうちに小林は全店舗の閉店と、会社の倒産を決心せざるを得なかった。
銀行団の姿勢とは対照的に、ここ数年、一部の卸会社の支払い要求がどんどんと強まっており、小林は神経をすり減らす日々が続いていた。
加えて小林は「若くして県内のマスコミに再三、取り上げられた。私をよく思わない関係者も多かっただろう」と振り返る。
社長になる前には、ライバルの県内最大手のスーパー首脳から、買収を持ち掛けられた。その時には「いつかみなさんを買収しに行きます」と啖呵を切った。その後、このスーパーによる出店攻勢が激しくなったのは言うまでもない。
もっとも、倒産した小林を支える動きも広がった。倒産するにも弁護士費用などの資金が必要になるが、友人や経営者仲間らがカンパを募った。本部の事務所には激励の電話や訪問が相次ぎ、差し入れが引きも切らなかったという。
小林は「地域の問題は、災害に似ているんだ」と話す。地域は大切だと誰もが言うが、普段はそこに潜んでいるリスクを感じにくい。買い物難民が実際に発生するなど、問題が起きて初めて、彼らが本当に直面している危機を認識するが、そうならなければ、ゆっくりと衰退し、やがて自壊していく。
会社の連帯保証人となっており、財産を差し押さえられた小林は今、妻の実家に暮らしている。小林が身をもって得た経験には、全国の地方都市で共通するものが多く、得るべき教訓に満ちているはずだ。(敬称略)
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