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http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-510.html
いまどきの人々にとって「ビジネスチャンス」という言葉を聞けば、人生の努力目標とか、世渡りの尺度とかに関係した、価値観の根源に位置する言葉のように受け取っている人が大部分ではないだろうか?
だが、半世紀前まで、人生をビジネスとしてのみ捉える、この種の価値観は、「強欲」という区分に含まれて、多くの人々から冷笑され、軽蔑されていたのである。
金儲けしか考えられない人間は、人として何の魅力もない、愚かな人生を送る人物だという認識が共有されていた。
「ビジネスだけが人生じゃない。もっと、はるかに大切な価値があるんだよ」
半世紀前に、「ビジネスチャンスを捉えて金儲けしろ」と世の中で発信しようものなら、底辺の大衆の間では、一斉にバッシングされた。
金儲けとは、人情世界を拒絶する金持ち、強欲人種の価値だと思われていた。
「人生も社会も商売ではない、他人のために役立ち、人を助けることを考えよ」
と説教されるのが普通であった。
人生にとって、もっとも大切な価値は、人の笑顔のために生きる人情主義であり、すぐれていえば「利他主義」であったといえよう。
「金儲け」という言葉は、善良なる市民大衆にとって、それは強欲の代名詞であり、利己主義を象徴する人生観であった。
何度も書いたが、人々は、鎌倉仏教以来の、寺の講話に出てくる善悪の判断を幼いころから教育されてきていて、他人のために尽くす人生観こそ、もっとも価値の高いものという価値観を繰り返し刷り込まれていて、それを、とても大切にして生きてきた。
だから、明治開国で、たくさんの欧米人が、日本に渡ってきて、みんな一様に驚いたのが、識字率=教育水準の高さとともに、道徳的価値観の高さであり、利他主義の浸透であった。
http://yukashikisekai.com/?p=7725
http://kenjya.org/nippon1.html
これは、地域社会の寺=鎌倉仏教が、民衆を精神的に高く導くことを目標に、寺子屋や講をはじめ、さまざまな機会で、仏教思想を教育し、浸透しようとした努力の結果であった。
明治以来の、勤勉で心温かい日本人の価値観を育てたのは、私は鎌倉仏教であると思う。(日本の仏教の9割は、比叡山から育った法然・親鸞・道元・日蓮らが開いた鎌倉仏教システムの上にあった)
そうして、開国後やってきた外国人たちは、日本人の道徳的高さ、人間性の気高さに驚き、賞賛した。
ラフカディオ・ハーン・ウオルター・ウェストン、イザベラ・バード、アーネスト・サトウ どの人も、日本人の清潔さ、誠実、人を裏切らない律儀さに感動し、手記を書いている。
http://blog.looktour.net/esprit43/
こうした時代=日本人が誠実で純朴だった時代、少なくとも、日本で「ビジネスチャンス」に血眼になるような人物は、非常に希だっただろう。
有名な商人でさえ、道徳的に高い、優れた人物が多かった。
https://kakunist.jimdo.com/2015/10/02/%E4%B8%89%E4%BA%95%E5%AE%B6-%E5%AE%B6%E8%A8%93/
そうした純真な利他主義の価値観は、戦後の日本でさえ、深く民衆生活に浸透していて、私が育った時代、1970年代までは、間違いなく、日本は「利他主義」の国だったといえると私は思う。
もちろん、すでに利己主義に浸食されて、例えば尾畠春夫さんに見るような利他の気高い精神は、風前の灯火であり、バブル時代の到来とともに、金儲けだけが人生の価値であるかのように洗脳された人々が大量に出現し、「企業戦士」とかおだてられて、愚かな利己主義が世の中に蔓延していった。
私が思い出すのは、1970年代に、私の住んでいた国立駅前で台に乗せられた「企業戦士」が「自分はどれほど会社に役立たない人間か」大声で懺悔させられていて、日本の社会風土の崩壊と、人間性の崩壊を実感させられたことである。
すでに1980年代、日本の商業や企業活動は「ビジネスチャンス」という概念に縛られ、誰もが「金儲けだけが正義」と思い込まされ、利他主義を見失い、利己主義的人生観を人生最大の価値と洗脳されるようになってしまったのである。
だが、その結果、例えば、政治家の大半が、企業活動による金儲けだけが正義であるかのような勘違いをした連中で占めらるようになったとき、例えば、菅直人や枝野幸男でさえ、2011年フクイチ事故後でさえ、ベトナムに原発を輸出することに何の痛痒も感じていない驚くべきコメントを残している。
http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201107210698.html
菅直人が、原発輸出政策に後悔の色を見せ始めると、枝野が、それを打ち消して原発輸出や再稼働を正当化すると主張していたのだ。
だから、私は立憲民主党で枝野が、ずいぶんかっこいいことを述べても、小泉純一郎とともに信用できなかったのである。
彼らは原発輸出が「ビジネスチャンス」と言い張っていたのだ。運転すれば必ず放射能汚染を招き、通常運転でさえ、人々を殺してゆく原発を推進していたのである。
つまり、立憲民主党も、かつての社会党を受け継ぐ革新的立場を主張していながら、その内実は、資本主義にどっぷりと使った「ビジネス優先=金儲け最優先」の思想に毒されている現実を意味しているのである。
金儲け最優先の思想は、資本主義経済の必然であって、ひとたび社会が資本主義の原理で動き始めたなら、必ず利他主義を見失って利己主義に邁進し、最後には、社会全体が金儲けしか考えられない、ちょうど今の中国式の発想に貶められ、やがてレミングの群れのように、社会全体が、絶望の断崖に転落してゆく運命に至るのだ。
資本主義というのは、株主の金儲けだけを原理として、拡大再生産しか許されない。
金儲けの勢いを失ったときが、その組織体の死を意味するのであって、社会全体が金儲けから見放されたなら、国ぐるみの集団で断崖から飛び降り自殺する運命しか残されていないのである。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-77.html
それでは、何が間違っていたか? といえば、最大の理由は、利他主義を見失ったことであり、利己主義と金儲けだけが人生最大の価値観であると勘違いさせられてしまったことなのだ。
利己主義社会に「持続可能な未来」は存在しない。
それは、必ず断崖絶壁での集団自殺に至るしかない。その形態は、戦争であったり、アメリカ社会のように、市民同士が殺し合う地獄社会であったり、人が人を欺すことだけが正義と勘違いした中国のような社会であったり、ウソをついても、どんな汚い手段でも勝てば官軍と考える韓国社会であったりするのである。
我々は、中国・韓国・アメリカを見て、何が間違っているのか、深く考える必要がある。そうして、日本に「持続可能な社会」を再生する思想を再び復活しなければならない。
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