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日本中に「暴走老人」が溢れかえるかもしれない、ヤバすぎる現実 いま、介護業界で何が起こっているのか
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57622
2018.09.28 中村 淳彦 ルポライター 現代ビジネス
2020年、東京オリンピックが開幕する。
56年ぶりに日本にやってきたスポーツの祭典を一目見ようと、会場は熱狂し歓喜に酔った群衆でごったがえし、安全を守る警察官やボランティアなどはてんてこまいの状態だ。ただでさえ警備に忙しいなか、一方で高齢者の迷子や無銭飲食、万引き、暴行などが多発し、通報が鳴りやまない事態が起こる。
警察は保護・逮捕はするが、どうやら身寄りはなさそうだ。彼らは終始暴言を繰り返し、唾を吐き、暴れてまともに取り合えない。それどころか、自分が起こした事件は記憶からすっぽり抜け落ちているようだ。
2年後の日本には、行き場を失った「暴走する高齢者」たちがいたるところに溢れかえる――そんな怖ろしい未来がこの国を待ち受けているかもしれない。ルポライター・中村淳彦氏の緊急レポート。
止まない「業界内マウンティング」
先日、厚生労働省は「介護給付費等実態調査」で訪問介護の事業所数が2000年以降、初めて減少に転じたと発表。デイサービスの事業所数は2年連続の大幅な減少となった。
特に、設立5年以内、従業員数5人未満の小規模事業所の倒産が主だという。さらに同月4日、学研ホールディングスが日本政策投資銀行と共同で介護大手であるメディカル・ケア・サービスの全株式取得を発表する。
18年前に介護保険がはじまって以降、零細企業でも簡単に開設ができる訪問介護、デイサービスなどの在宅介護事業所は、高齢者人口とともに右肩上がりで増え続けた。しかし現在では、介護事業者の倒産が過去最高で推移しており、介護人材と介護報酬が小規模事業所から大規模法人にどんどん流れている渦中にある。
さらに、特別養護老人ホームに入居できない高齢者を対象に、2011年に国交省が鳴り物入りで着手した「サービス付高齢者住宅」(サ高住)の増加も凄まじく、その結果、入居率が低下し事業収益が悪化。「終の棲家」として選んだ施設が倒産し、居場所を失う高齢者が増え社会問題となった。
ちなみに、2018年8月末時点でサ高住は23万4322戸と飽和状態だ。当初は総量規制をかけない限り、いつまでも増え続けると危惧されていたが、訪問介護とデイサービスの減少がはじまり、その潮流は完全に変わったようだ。
国民の5人に1人が75歳以上になる「2025年問題」を目前に控えたいま、財政を逼迫させる社会保障費の削減は国の命題だ。2018年度の介護報酬の改定率は、全体では2012年以来のプラスに転じたが、訪問介護の生活支援など基本報酬が引き下げとなるサービスもあり、マイナス0.5%相当の給付適正化を行うとしている。
要するに、国は介護報酬の削減のために、合理化のしやすい大手に介護保険事業者を集約させ、小規模事業所を淘汰する方向に舵を切ったと言える。介護保険は国の事業であり、完全な自由市場ではない。報酬や加算など、制度改定によって目指すべき形に市場を誘導するというやり方だ。
現在、小規模事業所が続々と廃業・倒産しているのは、度重なる介護報酬のマイナス改定、それに「史上最も介護人材が不足している」と嘆かれる極度の人手不足が主な原因である。しかし、小規模事業所潰しに拍車がかかっている理由は、それだけではない。
2025年までに介護人材は38〜100万人足りないと言われ、現政府は介護のイメージアップに予算をつけて人材獲得にかなり力を入れている。
例えば、「介護は夢のある素晴らしい仕事」という自治体や公的機関のPR戦略、「意識高い系」の学生団体や関係者を利用したイベント、地域の小中学校での介護関係者による講演会など。純粋な職員を檀上にあげて夢とやりがいを絶叫させるという、おぞましい祭典を開催している一部の急進的な団体もいる。
低賃金で、最大限のモチベーションで働かせようとする「やりがい搾取」は、介護業界では「普通のこと」として浸透している。
介護職には素直で保守的な人が多く政策に誘導されやすい。なかば洗脳に近いやり方で「介護は人間として崇高な役割を担っている」「夢とやりがい、そして希望がある」などと言われれば、自意識が過剰に高くなり「自分たちは素晴らしい人間なのに報われないのは、社会が間違っているからだ」といった思い込みが育ってしまう。
実際に、介護職はその専門性が認められない職業のひとつだ。低賃金、重労働、人材不足の三重苦で苦しむ介護業界も、美辞麗句だけですべてを塞ぎきることができない。
そんな状況下で、政府が介護保険事業者を大規模事業所に集約させるとなれば、彼らは小規模事業所がこれまで地域の中で担ってきた役割を考えもせずに、もろ手を挙げて国の政策に賛成する。「彼らがいるから、介護の社会的評価が低いままだ」と間違った方向に思考が働きがちなのだ。
ときに“内ゲバ”と揶揄されるが、順調にまわっていない産業やコミュニティーでは、同業者同士での争いが絶えない。現場を中心に大いに荒れ、不遇にストレスや不満が溜まる介護関係者によるイジメやマウンティングの対象は、業界内の弱者である小規模事業所と、その職員に向かっていく。
そもそも最も賃金が安く、不遇な産業と言われる介護業界のヒエラルキーで、最下層に位置しているのは訪問介護、デイサービス、サ高住などを運営する小さな法人の小規模事業所と、その職員たちである。
介護現場を取材してまわれば、大手の意識高い系職員を中心に「うちは質のよい介護をしているけど、あそこは劣悪だ」とか、「小規模の出身者は介護職としてのレベルが低いから、うちでは採用しない」という声を嫌というほど聞く。
勤務先が小規模事業所というだけで「質が悪い」と切り捨てられる介護職が気の毒で、筆者は「あなたの事業所のなにが質がよく、小規模のなにが悪いのか」と問い返しても、まず明確な応えは返ってこない。縮小する介護業界の状況を潜在的に知っているから、所属法人の大きさや資格、実務経験などで少しでも優位に立って、不安を消したいのだろう。
ハローワークももう10年間以上も、「介護は誰でもできる仕事」として失業者をどんどんと送り込んでいる。そんな現実を知りたくない、認めたくない介護関係者は、自分より立場の低い小規模事業所をターゲットにしてマウンティングする。マジョリティに乗っかってマイノリティを攻撃・差別するイジメとまったく同じ構図だ。
介護関係者のマウンティングは止まることなく、現在は悲しいことにそれが行政にまで広がっている。
今年に入ってから自治体による小規模事業所への、荒さがしとしか思えない細かく執拗な実地指導、監査、運営を断念することを目的かと疑う、行き過ぎた返還請求の話をよく耳にする。
2017年4月に予防介護、生活支援の訪問介護、デイサービス、小規模デイサービスは、都道府県から自治体による総合事業に移管された。自治体はなるべく少ない予算を介護に使いたくないとしか思えないほど、小規模事業所に対する指導に拍車をかけている。その結果、遂に介護事業所の初めての減少というデータにまで現れることになった。
合理化の果ては「地獄絵図」
ここからは、国や自治体や介護関係者が望むように、小規模介護事業所がこのまま減少を続け消滅することになったら、なにが起こるかを考えていこう。
国の最大の目標である介護保険事業の大規模集約は、合理性があり、社会保障費削減、介護保険制度の縮小には大きく寄与することは間違いない。しかし一方で、小規模事業所やそこで働く職員たちの地域への貢献は、本当はとてつもなく大きい。国や地域への貢献度でいえば、もはや大手に所属する介護関係者の比ではない。
特に長時間の預かりや泊りサービスを提供している小規模事業所には、その地域で利用を拒否された「問題を抱える高齢者」が集まっているのだ。多くの介護関係者は「うちの介護は質がいいが、あそこは悪い」と自画自賛するが、現実としてレスパイト型(※高齢者家族など、介護する側の負担を減らすサービス)の小規模事業所は問題を抱える高齢者の最終的なセーフティネットとなっている。
介護の質云々という以前に、利用している高齢者の人格や、配偶者のマナー、家族関係に問題のあるケースが圧倒的に多いのだ。
筆者は数年前、東京近郊の貧困率が高い地域で、低価格で家族のレスパイトを売りにした小規模デイサービスの運営にかかわった経験がある。
開設当初からケアマネジャーを通じて集まる高齢者の7〜8割は「困難事例」と呼ばれるケースで、本人や家族に大きな問題があった。基本的に全員が深刻な認知症を抱え、生活環境や家族の質、本人の人格は壮絶だった。
いくつか実際にあった例を挙げると、数年間も南京錠をかけた離れの蔵に閉じ込められていた高齢者、女性や子どもまで誰でもかまわず殴る家父長制の権化のような男性、暴れたり脅したりすることが好きな元暴力団員、壮絶な物盗られ妄想をもつカルト宗教の出家信者、親の介護に難癖をつけて事業所を恐喝する準暴力団にかかわるチンピラ、局部を女性職員に見せることがやめられない男性、身寄りが1人もいない70歳超えの現役娼婦など、正直メチャクチャだった。
例えば、南京錠で閉じ込められて解放された高齢者に「あなたたちのおかげで助かった」と感謝でもされれば、夢ややりがいはあるのかもしれない。しかし、困難事例の高齢者たちはそんなに単純ではない。
家族に捨てられ閉じ込められた壮絶な生活環境からか、性格は捻じ曲がっていて、優しく寄り添おうとする職員に唾を吐き、奴隷のように扱おうとする。一切の常識、人情は通じないので、もう手におえない。
事業所内での高齢者同士のトラブルは毎日で、介護に質がいいも悪いもないのだ。素晴らしい精神性と技術を持ち合わせた認知症介護のプロフェッショナルが手掛けても、減らせるトラブルはせいぜい3割程度だろう。どんな人間だろうと、預かった高齢者たちに五体満足で明日を迎えさせる、それだけで精一杯だった。
さらに、たまに訪問するケアマネや自治体の職員は、「困難事例」の苦労を労うどころか横柄な態度をとるばかりだった。最終的に職員たちは1年ともたずに次々と精神を病んでいった。
地域の誰も手におえない困難事例の解決は、民間の零細事業者が業務委託される範疇を超えていた。一般的に想像される、子どもや配偶者に囲まれた温かい老後を送っているような高齢者は皆無であり、逆に「一日でも早く死んでほしい」という家族の言葉は何度聞いたかわからない。
筆者が経営していた事業所は在宅介護だったので、家庭と事業所で介護を分担するが、自宅に帰宅した高齢者が急に亡くなることが何度かあった。家族は事故と報告するが、真偽を疑ってしまうほど破たんした人格、家庭環境で暮らす高齢者ばかりだった。
他の事業所も似たような状況で、小規模事業所は地域の姥捨て山となり、職員たちは目の前の高齢者が明日も生存できるように、自分の生活や健康を犠牲にしてまで、地域のため、高齢者のために踏ん張っていた、というのが実際のところなのだ。
では、どうして小規模事業所は、地域の姥捨て山となるのか。
要介護高齢者のケアプランを組むのはケアマネジャーだ。ケアマネジャーは、良質な高齢者は自社サービスに誘導し、手のかかる困難な高齢者を他の事業所にまわす。
代表的な高齢者のセーフティネットである特養老人ホームはどこも満床か、介護人材の不足で高齢者の受け入れができず、常に待機状態だ。困難事例のような「問題のある高齢者」と家族は貧困の場合が大半で、比較的安価なサービス付高齢者住宅に入れるお金もない。
やりがいや夢を語る民間事業所は、そういった困難事例は割に合わないので断るのが基本線だ。行き場のない高齢者の受け皿となるのは結局、小規模事業所である。望まなくても必然的に集まってしまう。
よって、高齢者と平穏で温かい日常を過ごしている介護関係者は、困難事例を背負って地獄のような日々を過ごしている小規模事業所の存在ありきで、自称するところの “質のいい介護”ができているわけだ。健康を害する職場環境で日々を送る介護職を相手にマウンティングするなど、大変なお門違いなのだ。
そんな多大な地域貢献をしてきたセーフティネットを潰してしまえば、問題のある高齢者たちが地域に解き放たれる。
介護報酬が下がり続ける中で、どの事業所も合理的な介護を求められている。合理的に利益をあげたいまともな事業所は、トラブルしか持ち込まない問題ある高齢者を受け入れない。
家族も介護は一切しないし、する気もない。小規模事業所の存在を失うことで、行き場がなくなった質の悪い高齢者たちは、深刻な問題をひたすら起こすであろう。
マウンティングする介護関係者や自治体は、地域の姥捨て山を担ってくれた小規模事業所の大切さ、ありがたさに、絶望的な事態が現実になってから初めて気づくのだろうか。
法人の大規模集約が重要なのは理解できるが、それならば小規模事業所が担ってきた高齢者たちの受け皿を一刻も早くつくる必要がある。
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