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【第3回】 2018年9月27日 きたみりゅうじ
“えとみほさん”に働き方の秘密を聞いてみた(3)「飽きて」外資ITを辞めて、「楽しそう」でSnapmartを起業した
SNS上で、経営やマーケティングに関する独自のコメントでフォロワーを集め、インフルエンサーの1人となった、“えとみほ”さんという女性がいる。
近年の経歴を簡単に紹介すると、40代でウェブメディアの編集長を経験したのち、アプリ・Webサービスの「Snapmart」を開発して経営者に。その後代表を退いてすぐに、全くの異分野であるJリーグ栃木SCのマーケティング戦略部長に就任して周囲を驚かせた。
なぜ彼女は、このように自由な働き方ができるのか?
どのような基準で人生の進路を決めているのか?
以前よりSNS上で“えとみほ”さんと交流し、自身もフリーランスとしてユニークな活躍をする“きたみりゅうじ”氏に、その秘密を探ってもらう連載の第3回。(第1回はこちらへ)
一番の転機は「サラリーマンになったこと」
「0を1にするところが、私は得意なんだと思う」
「その逆に、一番苦手なことは90を100にするところ」
えとみほさんは自己を分析してそんなことを言う。言われてみれば、僕がかつて勤めていた会社の創業者社長もそんなタイプの人だった。得意なことは資金調達という名の借金。とにかく事業を興し、軌道に乗れば飽きて誰かに託すのが好きなタイプで、流れ流れて今はハワイでホームレスをしている。数年前、ハワイ旅行のついでで会いに行ったら「また復活してみせるよ」と笑っていた。相変わらず起業を諦めていないタフな人。
けれどもえとみほさんの場合、どうもそうした起業家気質ともまた違う印象を受ける。そうした人にありがちな「自分!自分!自分!」というアクの強さがない。
じゃあ虚栄心がなく、名誉欲もなく、どうもお金というわけでもないみたいに見える彼女の、その原動力は何なのだろう。
えとみほ(江藤美帆)
米国留学中、マイクロソフト社でソフトウェアの日本語ローカライズに携わり、その後1年間本社に勤務。帰国後フリーのテクニカルライターとして活動後、2004年に英国企業のコンテンツライセンス管理会社を設立。日本における「禁煙セラピー」の普及活動に従事し、2010年に事業譲渡。以後、VR系ITベンチャー、外資系IT企業などを経て株式会社オプトに入社。ソーシャルメディアの可能性を探求するメディア「kakeru」(初代編集長)などを立ち上げる。2015年10月より関連会社の株式会社オプトインキュベートに出向し、「スマホの写真が売れちゃうアプリ Snapmart(スナップマート)」を企画開発。2016年8月、ピクスタ株式会社への事業譲渡に伴い新会社スナップマート株式会社へ移籍。2018年3月、代表を退任し非常勤顧問に就任。2018年5月より、Jリーグ栃木SCのマーケティング戦略部長。 twitter:@etomiho
え「退社することになったのは、禁煙セラピー事業をはじめて6年が過ぎたあたり。ちょうど事業を引き受けてくれる人もいたので、富山の実家に戻ってぼけーっとしてました」
え「そしたらそっちの会社で、VR(Virtual Reality)でモデルルームを作って不動産販売につなげるという、当時としては斬新なことをしていたところがあったんです。でも技術の会社だから売り出し方が下手で、マーケティング職を募集していて、それでこれいいなと」
き「経営者から社員の身になることに対するためらいは全然なかったんですか?」
え「そこは全然ないですね(笑)」
え「元々経営者になりたかったわけではなくて、単純にいいものを見つけたから広めたいというのがあって、そしたらお金も集めなきゃいけないし、そのためには法人にする必要もあるし、じゃあ誰が代表やるんだ、あ、私か、みたいな。それだけだったので」
き「僕はフリーランスになってから事ある毎に復職する夢を見るんですよ。食えなくなって、知人を頼ってサラリーマンに戻るんですけど、決まって『働かなくてもお金がもらえる!サラリーマンすごい!』ってなって怠けまくるもんだから皆に呆れられてクビを切られる夢なんですね。その度にサラリーマンにはもう戻れないなあって自覚するんです。だから、そっちに戻れるというだけでも驚きなんですよ」
え「私はむしろ逆で、サラリーマンを経験してないんですよ。だからその立場がすごく新鮮で、刺激だらけで楽しかったですね」
加えて彼女には、「一番のコンプレックス」と言えるものがあったのだという。
え「私、自分が勤め人をできると思ってなかったんですよ。学校を卒業して、どこかに就職したというキャリアを経ずにここまで来てしまっていたので、リクナビネクストなんかに履歴書を出しても、この経歴じゃ雇ってもらえないと思ってたんです。それがすごいコンプレックスで」
え「だから、これが私のキャリアの中で一番の転機でした」
き「え、そうなんですか!」
華々しく見える彼女の一連のキャリアの中で、一番の転機が「ごく普通のサラリーマンになったこと」というのはすごく意外に思える。人の持つコンプレックスというのは、本当に外から見た印象だけではわからないものらしい。
え「実際に雇われる側の立場になってみて、ぜんぜん視点が違うんだなと実感しました。経営者の時は、なんでやんないんだろうと思ってた。でも、反対の立場になってみたら、そこまでやるんだったら自分で経営してるよと(笑)」
え「頭の中ではそんなことわかっていたつもりだったけど、実際になってみると見えてなかったんだなーって思いますね」
「飽きる」ことは次を「楽しむ」ために大事だと思う
その後ほどなくしてえとみほさんは職場で知り合った方と結婚。旦那さんが東京の会社へ転職することになったので、自身も退職して、移り住んだ東京の新居で専業主婦となる。
え「でもずっと家にいるから暇なんですよ。暇だから毎日用もないのに旦那さんにLINEしてて。そんな人の相手をする方も大変なのか、最後は『頼むから早く働いて』って言ってましたね(笑)」
じゃあ転職活動するかという頃、声がかかる。VR系ITベンチャー時代に営業先でもあった六本木にある外資IT企業の日本法人だった。
え「ここはめちゃくちゃいい会社でしたね。人間関係も待遇も。仕事も革新的で面白いし。ただ、それでも退職する人はいるんですよね。こんなとこ辞める人がいるなんて信じられない、ありえない、当初はそう思ってました。けれども飽きがくるんですよね」
き「それはどういう?」
え「日本法人なので、どうしても本国の意向が大勢を占めるんですよ。それでつまんなく思うことが増えて、2年ぐらいする頃には『もういいかな』って思うようになって。日本の会社の方がいいなーって」
結局入社から3年後に退社。転職エージェントの斡旋を受けて、インターネット広告代理店のオプトへと入社を決める。ソーシャルメディア事業部の求人だった。
え「どうも同じ事を続けていると飽きちゃうんですよね。でも、飽きがくることは大事だと思います。今では、ですけど」
それは僕もわかる気がする。目標を作って達成するまではいいのだけど、その後も同じ事を繰り返していると、成長が止まっている気がして焦燥感に囚われるからだ。「飽きる」と「焦る」の違いはあるけれど、根っこは同じなんじゃないかなという気がする。
kakeru編集長からSnapmart起業へ
今となってはえとみほさんのプロフィールで大きな配分を占めるのが、オウンドメディアの先駆けである「kakeru」編集長時代と、言うまでもないSnapmart起業者としての顔。オプトへの入社によって、ようやく話はその入口に立ったことになる。
き「そのオプトでオウンドメディアのkakeruを手がけるわけですか?」
え「そうなんですけど、最初は私、関係なかったんですよ。元々は会社の方針で若い子にチャンスを与えようというのがあって、それでプレゼンをやって権利を得た若い子2人の事業だったんです」
き「それをなんでえとみほさんがやることに?」
え「それがですね、その2人が毎日何かしら会議をやってああでもないこうでもないとしてるんですけど、半年経っても何も始まらないんですよ(笑)それで、上司から中に入ってやってあげてよと言われて」
き「半年は長いですね(笑)その2人は何をそんなに行き詰まっていたんでしょう?」
え「多分、どこから手をつけていいのかわからなかったんだと思います。メディアを立ち上げたりとか、したことなかったから。あと、同じ立場の人間が二人いても、何も決められないんですよね。やりたいことも微妙に違ってたりするから」
メディアを立ち上げたことがないのはえとみほさんも同じ。でも、彼女には事業の立ち上げ経験があり、ずっとIT業界に関わっていたおかげで界隈の知り合いも多かった。だから、「Webメディア」と考えた時に、とりあえず容れ物となるガワについては見よう見まねですぐできた。後は中身をどうするか。当時流行り始めていたキュレーションがいいのではないかと一瞬考えたものの…。
え「ほんと一瞬だけ(笑)でもすぐ考え直して、これだけ流行っているんだから自分は逆張りで行こうと。これだけみんながそっちを向いてる状況だからこそ、オリジナルのコンテンツであることが価値として再評価されるようにきっとなると思って」
記事を執筆するのは自社の社員たち。とはいえ「ネット広告の会社に入りたい」と思って入社してきている社員ばかりなので、彼らに文章を書く力はない。ただ、SNSという分野に関するネタは豊富に持っている。「インスタ映え」という言葉もまだない時代、そこで「インスタジェニック」という言葉を作り出し、多くの人に訴求する記事を作り上げてみせたのは、そうした彼らの持つネタの力だった。
え「最初の頃は絶望しかなくて。ほんとに話はみんな面白いんだけど、文章が昔流行ったケータイ小説みたいなんですよ(笑) しょうがないから私が全面的に『赤入れ』すっ飛ばしてリライトしてたんですけど、彼らも『文章を書く』こと自体には興味もプライドもないから『ありがとうございまーす』って感じで。だから初期のものは7割くらいは私がゴーストライターをしていたと言ってしまってもいいかもしれません」
き「ライター時代の経験が生きてますね(笑) Snapmartの着想を得たのもこの時ですか?」
え「そうですね、この時に『記事に使える写真が世の中には少ないぞ?』と気付くんですよ。Googleで検索すると、お金を払って使えるならアイキャッチなどに使いたい写真はたくさん出てくるのに、それらを売ってくれる場所がなかった」
き「純粋に自分が欲しいサービスだったんですね」
え「そうですそうです」
オウンドメディア kakeruの立ち上げが無事に終わって半年後、彼女はそのポストを後任に譲り、Snapmart事業へと乗り出すことになる。二度目の起業、43歳の時だった。
足がすくむ気持ちを越えさせるもの
き「新規事業はもちろんなんですけど、途中途中、『手伝ってよ』『やってあげてよ』と見込まれて新しいことに挑まれてますよね。そういう時に『怖い』となる感覚とかってないんですか?できるかなと不安になるようなの」
え「そこは任命者の責任だろうと(笑) 私ならできると思って言ってきてるわけだから、仮にできなくても、私1人のせいじゃない(笑)」
き「すごい。割り切ってるんですね(笑)」
え「それに、会社員なら私1人ができなくてもなんか回っていくみたいな気持ちもありますね」
僕は40歳を過ぎた今、仕事が変に落ちついてしまって、「次をやる必要に迫られてはいないけれどもこのままではどうもつまらない」という毎日の中にいる。何か夢中になれるものはないかなと色々試し、でも次の一歩を踏み出すかといえばどうも煮え切らない。
昔はそんなハードルを感じないで夢中になれた。実現したいことやなりたい姿があってそのために頑張れたし、それを大変とも思わなかった。
でも今、振り返ってまた同じことをやると考えると「うわ大変そう」とげんなりする。正直足がすくむ。
き「なぜえとみほさんは、そんな気持ちにならないんだと思いますか?」
え「楽しいと思うもの面白いものを、みんなに伝えたいという気持ちが根底にあるんだと思います」
今回の対談にあたり、Webに掲載されている彼女のインタビュー記事や印象的なブログエントリーはいくつか読んでいた。その中のひとつに「40代の起業には20代にはない覚悟が必要」という文があった。つまりえとみほさんも超人じゃないのだ。大変だと思う気持ちは理解できる立場で、でも彼女にとっては変わらず楽しいことをやっているに過ぎないということだ。
え「ただ、自分のキャリアを振り返ってみても、フリーランスが一番楽ですよ。自由です。それで10年20年とやっていけるなら、それが一番いいと思う。経営者はわりにあいません」
わりに合わないとわかりつつ、でもやらずにいられない。えとみほさんの原動力が見えた気がした。
きたみりゅうじ
もとはコンピュータプログラマ。本職のかたわらホームページで4コマまんがの連載などを行う。この連載がきっかけでイラストレーターではなくライターとしても仕事を請負うことになる。『キタミ式イラストIT塾「ITパスポート」』『キタミ式イラストIT塾「基本情報技術者」』(技術評論社)、『フリーランスを代表して申告と節税について教わってきました。』(日本実業出版社)など著書多数。twitter:@kitajirushi
【第1回】 2018年9月25日 きたみりゅうじ
“えとみほさん”に働き方の秘密を聞いてみた(1)自由なキャリアは、ITライターから始まった
SNS上で、経営やマーケティングに関する独自のコメントでフォロワーを集め、インフルエンサーの1人となった、“えとみほ”さんという女性がいる。
近年の経歴を簡単に紹介すると、40代でウェブメディアの編集長を経験したのち、アプリ・Webサービスの「Snapmart」を開発して経営者に。その後代表を退いてすぐに、全くの異分野であるJリーグ栃木SCのマーケティング戦略部長に就任して周囲を驚かせた。
なぜ彼女は、このように自由な働き方ができるのか?
どのような基準で人生の進路を決めているのか?
以前よりSNS上で“えとみほ”さんと交流し、自身もフリーランスとしてユニークな活躍をする“きたみりゅうじ”氏に、その秘密を探ってもらった。
40代のフリーランスから見たえとみほさん
40歳を過ぎるとフリーランスは仕事が減ってくる。最近そうした言説を見かけることが増えた。僕は今年で46歳で、そう言われてみれば、確かにお声がけいただく数は昔に比べて減ったのかもしれない。ただ、幸いにも収入自体は右肩上がりで来ているので、「減った」とリアルに実感はしていない。
一方で、確実に実感しているものはある。
僕はプログラマとして20代を過ごし、30歳を機に本を書く仕事へと転身した。売れたり売れなかったりしながらそこそこいい感じのポジションに落ちついて40代に突入。今思えば、20代はがむしゃらに経験を積む時期だった気がする。その経験を元に、何かを結実させながら自分の価値を問うた期間が30代。じゃあ40代はというと、すべてを試し終わってしまって、どうも空虚さが否めない。どこか惰性を感じつつ、かといって新しく事を起こすだけのエネルギーも、困ったことに湧いてこない。率直に言えばめんどくさい。
この、妙に一区切りついてしまって動き出せない感じ、めんどくささを、40歳過ぎから強く実感している。しかもこれが歳を重ねるごとに色濃くなっていくので、つまりこれがおっさん化ということかと、自分では受け止めている。
ところが20代からフリーランスとしてバリバリ働き、40歳を過ぎてから新規事業を立ち上げ成功させたと思ったら、あっさりと畑違いの業種に鞍替えして生き生きと毎日を過ごしている人がいる。
個人が撮影した写真素材のマーケット化を実現してみせた『Snapmart』サービスの創業者、江藤美帆(以降えとみほ)さんである。
今ではスタートアップの世界や、SNS上におけるインフルエンサーの1人として、確固たる地位を築いている彼女。しかし僕がそのお名前を知ったのは、そうした華々しい経歴よりもずっと前で、今現在の僕の足場である「ITライター」という枠の中に、まだえとみほさんの影が残っていた時のことだった。それで、いつかお会いする機会もあるかなーと思っていたら、あれよあれよとクラスチェンジして、今や立派な起業家の顔に。
似たような枠に居たことがありながらも、傍目には「40歳の空虚さ、惰性」とは無縁で働き続けているように見える彼女。どうしてそんな働き方ができるのだろうか、とんでもなく賢いからだろうか。いつかそれを聞いてみたいと、興味を抱くようになっていた。
きたみりゅうじ
もとはコンピュータプログラマ。本職のかたわらホームページで4コマまんがの連載などを行う。この連載がきっかけでイラストレーターではなくライターとしても仕事を請負うことになる。『キタミ式イラストIT塾「ITパスポート」』『キタミ式イラストIT塾「基本情報技術者」』(技術評論社)、『フリーランスを代表して申告と節税について教わってきました。』(日本実業出版社)など著書多数。 twitter:@kitajirushi
ITライターの先輩としての顔
き「はじめまして、お名前はずっと近しいところで認識していたので、一方的に知り合い気分でいたというか、やっと会えたという感が強いですけど」
え「それはこちらも同じです(笑)」
き「僕がえとみほさんを知ったのは香月さんが『すごい人がいるんですよ』と自慢しまくるからなんですけど、なんでえとみほさんは僕のこと知ってるんですか?」
え「やっぱり香月さん、そこですよね。私もそこで本を出してましたから、近いところにいたきたみさんのことは自然と目に入ってました」
香月さんというのは、某IT系出版社の編集だった人で、僕が本を書く仕事に移った時の初期のキャリア形成に、とんでもなく尽力いただいた人でもある。この人が居なかったらまともに売れる本は一冊も出せないまま、あっさりサラリーマンに出戻っていただろうというのは想像に難くない。
この香月さんが独立して会社を興したその後で一緒に飲んだ時、「すごい人がいるんですよ」と僕に自慢しまくった人物がえとみほさんだった。出す本はすべて増刷がかかり、そうした売れっ子でありながら早々にライター業を畳んだと思ったら、今度は海外から版権を輸入してグッズ展開で大もうけ。本当にすごいと。
そんなわけで、えとみほさんという人は、自分の中では「ITライター業の大先輩」として、強く印象づけられることになった。
き「えとみほさんはIT書バブルも経験されてますよね。自分は残念ながらバブルのはじけた後しか知らないんですけど、当時は本を刷るというのがお札を刷るような感覚だったと聞いています」
え「そうですね、当時はソフトウェアのバージョンアップも盛んで、その度に新しい版を出すんですけど、やることといったら画面キャプチャを差し替えるのがほとんどだったりして、それでもポンと5万部とか刷ってたりして」
き「1冊書くと500万から1千万が入ってくるわけですか。部数の桁が今と全然違いますね、怖いなー昔の話(笑)」
え「違いますねー、ほんと怖い。これが私の20代のスタートだったんですよ。簡単にお金が入りすぎたというか、修行も下積みもなく最初においしい思いをしすぎたせいで、あんまり自分の人生に良い影響を与えてないですね」
き「え!?そうなんですか!?」
プチバブルの功罪
き「元々はアメリカに留学されてらしたんですよね?」
え「そう、アメリカに留学して、Microsoft本社でインターンをしてたんですけど、ちょっとご縁があって海外本の翻訳を手伝うようになったんです」
え「それでね、実は当時学生結婚したんですよ。その流れで日本に帰国して、専業主婦になったものの、毎日どうも暇だなと、そしたら翻訳をお手伝いしていた時のつながりでIT本を書かせてもらえる機会ができて」
これを「主婦のバイト気分ですよね」と言って笑うえとみほさん。その「バイト気分」で書いた本がどうなったかは先に述べた通り。書くこと自体も楽しくて、書けば書くほどお金が入ってくる。自分の名前が書かれた本が書店に並ぶのも感動で、「これが天職」とすら思ってとにかく書きまくる。
え「そうするとね、旦那さんが外で働いて帰ってくるじゃないですか、でもこっちもわんさと稼いじゃってるわけですよ、金銭感覚も狂っちゃってて…お金持って調子に乗っちゃってた感はありますね」
この歪みが、結婚生活に危機をもたらすことになる。結局若くして離婚することになるのだけれど、その原因の大きな部分が、このIT書プチバブルに踊ってしまったことだろうと彼女は言う。
き「はー…幸せなことばっかりじゃないんですね」
え「ないですねー」
えとみほ(江藤美帆)
米国留学中、マイクロソフト社でソフトウェアの日本語ローカライズに携わり、その後1年間本社に勤務。帰国後フリーのテクニカルライターとして活動後、2004年に英国企業のコンテンツライセンス管理会社を設立。日本における「禁煙セラピー」の普及活動に従事し、2010年に事業譲渡。以後、VR系ITベンチャー、外資系IT企業などを経て株式会社オプトに入社。ソーシャルメディアの可能性を探求するメディア「kakeru」(初代編集長)などを立ち上げる。2015年10月より関連会社の株式会社オプトインキュベートに出向し、「スマホの写真が売れちゃうアプリ Snapmart(スナップマート)」を企画開発。2016年8月、ピクスタ株式会社への事業譲渡に伴い新会社スナップマート株式会社へ移籍。2018年3月、代表を退任し非常勤顧問に就任。2018年5月より、Jリーグ栃木SCのマーケティング戦略部長。 twitter:@etomiho
焦りだした26歳の頃、そして迎える休止期間
え「その後でバブルがはじけて…はじけてというか、そのもうちょっと前に途中で気付いちゃったんですよね」
世はIT書バブル真っ只中。どこにも陰りはなく皆が踊り狂っていたその時に、えとみほさんは「これずっとやっていても多分私は何も成長しないぞ?」「しかもこの景気がこの先もずっと続くなんて有り得ないぞ?」と気付いたのだという。それが26歳の時。
え「そこから『早く何かやらなきゃいけない』みたいに焦るんですけど、何が思いつくわけでもなくて、そうこうするうちに倒れちゃった。27歳の時かな」
ライター仕事は楽しくて、そのおかげでひたすら休みなく働くことができた。でも、いつの間にか過労状態になっていた。体からの悲鳴に気がついた時には、もう動けなくなっていて、結果、そのままうつ病のようになってしまう。そうしてえとみほさんは、「これは周りに迷惑をかける」と、すべての仕事をストップせざるを得なくなってしまう。
き「さっき離婚の話してましたよね?それはタイミングとしては?」
え「あ、倒れる少し前ですね」
き「じゃあ色んなことが重なってしまったわけですか」
フリーランスという立場で働く多くの人が実感することのひとつに、「孤独」があると思う。特に本を書く仕事ともなれば、家にこもって延々と1人。誰と会話をすることもなく、数年のうちで新しく知り合った人って何人いるだろうと片手で数えられちゃうのも珍しくはない。僕なんかも多分一番多く会話をしているのは仕事場のルンバじゃないかなあと思う程で、最近は「OK、Google」と話しかければ答えてくれるスマホがその座を脅かし始めていて、やっと会話が双方向になってきたとほっとしてるくらいに人と話す機会がない。
え「あの生活って、病みますよね」
き「確かに。僕一時期冗談じゃなく口が動かなくなりましたもん、使わないから」
27歳で倒れて、仕事を止めて、ITライター業で稼いだお金は幸いまだたくさん残っていたので、そこから2年あまりの間、彼女は何もせずにぽけーっと呆けて過ごすことになる。
えとみほさんが次に目覚めるのは30歳を目前にした頃。彼女の20代は、ITライター業としてはじまり、ITライター業とともに終わったと言える。
【第2回】 2018年9月26日 きたみりゅうじ
“えとみほさん”に働き方の秘密を聞いてみた(2)経験ゼロから、「禁煙セラピー」を大きなビジネスにできたわけ
SNS上で、経営やマーケティングに関する独自のコメントでフォロワーを集め、インフルエンサーの1人となった、“えとみほ”さんという女性がいる。
近年の経歴を簡単に紹介すると、40代でウェブメディアの編集長を経験したのち、アプリ・Webサービスの「Snapmart」を開発して経営者に。その後代表を退いてすぐに、全くの異分野であるJリーグ栃木SCのマーケティング戦略部長に就任して周囲を驚かせた。
なぜ彼女は、このように自由な働き方ができるのか?
どのような基準で人生の進路を決めているのか?
以前よりSNS上で“えとみほ”さんと交流し、自身もフリーランスとしてユニークな活躍をする“きたみりゅうじ”氏に、その秘密を探ってもらう連載の第2回。(第1回はこちらへ)
えとみほ(江藤美帆)
米国留学中、マイクロソフト社でソフトウェアの日本語ローカライズに携わり、その後1年間本社に勤務。帰国後フリーのテクニカルライターとして活動後、2004年に英国企業のコンテンツライセンス管理会社を設立。日本における「禁煙セラピー」の普及活動に従事し、2010年に事業譲渡。以後、VR系ITベンチャー、外資系IT企業などを経て株式会社オプトに入社。ソーシャルメディアの可能性を探求するメディア「kakeru」(初代編集長)などを立ち上げる。2015年10月より関連会社の株式会社オプトインキュベートに出向し、「スマホの写真が売れちゃうアプリ Snapmart(スナップマート)」を企画開発。2016年8月、ピクスタ株式会社への事業譲渡に伴い新会社スナップマート株式会社へ移籍。2018年3月、代表を退任し非常勤顧問に就任。2018年5月より、Jリーグ栃木SCのマーケティング戦略部長。 twitter:@etomiho
『禁煙セラピー』との出会い
やる気が起きない。朝起きることができない。そうしてただ1日をぼーっと過ごすばかり…。
そんなうつ状態になって廃業を余儀なくされたえとみほさんが、次に立ち上がるきっかけとなったのは、『禁煙セラピー』との出会いだった。ちょうどmixiがスタートして、日本でSNSの変革を起こした頃でもある。
え「mixiはエポックメイキングでしたよね。あれの前と後で、一般の人のネットとの距離が随分変わったというか。ネットに詳しい人じゃなくても発信できるようになった」
その頃の僕は、『SEのフシギな生態』という本がプチヒットしてくれて、それを足がかりに活動の幅を広げようとがんばっていた時だった。
IT書系の出版で認められたということは、裏を返せば「IT書の著者」というレッテルを貼られることでもある。当時、すでにIT書バブルもすっかりはじけて「売り場縮小待ったなし」だったこの業界に縛られることは、とりもなおさず自分の未来も縮小していくことにつながる。それで、実用書系出版社で税金に関する本を書き、文芸書畑の出版社でコミックエッセイを描きと、レッテルが誰の目にもそれと定着してしまうその前に、とにかく活動の幅を外に求めて、「IT書“も”書ける著者」にクラスチェンジを図っていた年だった。
当時の僕はそんなことに懸命で気が急いていて、mixiによる変革といったあたりにはあまり目が向いていなかったようにも思う。
き「その頃えとみほさんは何してたんですか?」
一方で、この頃えとみほさんは、遠い海の向こうのイギリスにいたらしい。
え「廃業して2年半くらいぷらぷらしてたんですけど、完全にぽけーっとしていたのは最初の1年で、後の1年はけっこうアグレッシブに動いてたんですよ。仕事はしてなかったんですけど、何かしなきゃって。その時にイギリスへ行ったんです。サッカーが好きでプレミアリーグ観に行きたくて」
そこでえとみほさんは「禁煙セラピー」というコンテンツに出会う。
え「当時は家に引きこもっていたこともあってけっこうなヘビースモーカーだったんですけど、向こうの知り合いが『このセミナー受けたら煙草5時間でやめれた』とか言うんですよ。うっそー有り得ないでしょと(笑)」
それで興味を持ってセミナーを受講してみたという。そして、それからは今に至るまで、本当に1本も吸っていないらしい。
え「もう『何これ魔法じゃーん』って感じで。それで、これは是非日本に持ち帰りたい、みんなに教えたいと思って創始者のおじいちゃんに交渉しに行ったんですよ。それがはじまりですね」
権利の取得と事業のはじまり
え「最初は断られちゃったんですよね。でもそこから半年くらいかけて何度かアプローチして、さすがにあまりにもしつこいんで、じゃあいくらならライセンス売るよって話になって」
き「個人でポンと買ったんですか!? すごい(笑)」
え「それこそ香月さん(※前回参照)のおかげです。ITライター時代に彼とやったネットオークションの本の企画があって、これがバカ売れしたんですよ。1冊で印税が2500万円くらいになってたので、それを丸ごとこっちに突っ込んじゃった」
き「あ! ありましたねー」
言われてみれば確かに当時ネットオークションの本がバカ売れしていて、彼が破顔しっぱなしだったのは記憶に残っている。あれがえとみほさん作だとは知らなかったけれど、なるほどあのへんを手がけていたとなれば、香月さんが僕にえとみほさん自慢をしまくっていたのも納得のいく話。
それにしても、その金額を丸ごと突っ込む思い切りの良さは真似できないなあと感心するしかない。
え「それで、禁煙セラピーの権利を日本に持ち帰って、グッズを作ったりセミナー展開をしたりしたんですよ。セミナーは個人向けと法人向けを両方やって、法人向けの方が予想外に儲かりました」
き「え、でもちょっと待ってくださいね。このコンテンツいいなーと思って交渉するのはわかるんですよ。自分にできるとは思わないですけど、なんとなくとっかかりの想像はつきます。でもグッズを作ったり、セミナーを開いたりというのは、意気込みだけじゃどうにもならないですよね?まったく0の状態から、1の状態にするのって一番大変だと思うんですよ。その知識って、どこから来たものなんですか?」
え「あれ?そういえばそうですね、どうしてだろう…」
こともなげに語るえとみほさんの口調にうっかり流されそうになるのだけれど、セミナーを展開するとなれば講師もいるし場所もいる。集客だってしなきゃいけない。僕ならどうするだろうと想像しようと思っても、まったく無の状態で権利だけを持ち帰って、それを事業として形作る流れはどうやったって具体性を持って頭の中に浮かんでこない。
そりゃそうだ、僕はしがないITライター風情だもの。
そのITライター風情にしても、仕事のキャパを増やそうと事ある毎にアシスタントさんをお願いすることを検討しては、「最初の1人」を雇うハードルが高くて断念してきている現実がある。それくらい、最初の「0から1へ」と歩を進めるのはハードルが高い。自分1人の気楽さと、誰かを雇うことで生まれる責任の重さの間には、高い高い壁がある。
でも、当時のえとみほさんだって、バックグラウンドはそれと大差ないはず。
なぜ彼女には、そんな知識があったんだろう。
0を1に、そしてまた0に
え「あ、思い出した、mixiだ」
き「え?mixi?」
え「当時mixiで、いくつかコミュニティを主催するようなことをよくしてたんですよ。それらと同じようにこの禁煙セラピーについても、『これを日本に持ち帰ってこんなことがしたいこれこれこうでー!』と熱い思いをずらずら〜と長文で書いてコミュニティを作り、協力者を募ったんです。そしたら出資してくれる人とかアドバイスしてくれる人とか、一緒に働きたいっていう人がたくさん手を挙げてくれて」
びっくりした。確かにそれなら、足りない知識は補える。必要なのは行動力と熱意だけ。逡巡しないでその行動に出ることができる胆力もすごいし、何より今のインフルエンサーとしてのえとみほさんは、その頃からすでにそうだったんだというのがまたすごい。
き「今で言うクラウドファンディングみたいなことをしていたわけですね」
え「そう言われてみればそうですね(笑)」
き「それがいくつの時でしたっけ?」
え「29歳です」
禁煙セラピーというコンテンツ自体は、えとみほさん以前にも書籍という形で日本に来たことがあって、その時にもちょっとしたブームを呼んでいたりした。
彼女の会社では、この類書展開も行い、ツタヤとの協業でDVDも発売。当時国の施策として健康増進法が施行されたことも追い風となり、事業は瞬く間に軌道に乗っていくこととなる。
え「健康増進法で組合員の喫煙率で健保組合の収入が変動することになったんですよ。それで、突然法人向けのセミナーの引き合いが増えて。あれは超ラッキーでしたね」
どこからどう見ても順風満帆のサクセスストーリー。今にして思えば、香月さんからえとみほさんの名前を聞いたのは、ちょうどこの頃だったのだろう。ところが…。
え「でも人間関係でちょっと揉めちゃったんですよ」
き「え?」
え「マネジメントが下手すぎて下の人間がついてこなかったんです。私は私で『こんなにやってるのに〜!』となって仕事に嫌気がさしちゃった。それで事業から身を引いたんです」
この時、とある著名なベンチャーキャピタリストに言われた言葉が、彼女の次の行動を決定する。
「あなたは雇われた経験がないから向こう側の気持ちがわからないでしょう?一度逆の立場を経験してみるのもいいかもね」
確かにそうかもしれない、自分のキャリアは歪だ。そんな思いもあって、彼女は雇われの身になることを目指し、転職活動をはじめることになる。
https://diamond.jp/category/s-tenshoku_etomiho
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