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もはや「経済成長」では働き手が幸福になれない理由
https://diamond.jp/articles/-/180005
2018.9.19 石水喜夫:大東文化大学経済研究所兼任研究員 ダイヤモンド・オンライン
「経済成長」が、安倍政権では何にもまして強調されてきた。
実際、安倍長期政権を生み出したのは、成長志向の政策が経済界の利害と合致し、失業率や求人倍率など、雇用指標が“改善”したことが、就職環境に敏感にならざるを得ない若者の支持につながったからだと言われる。
だがこの間、実質賃金や労働分配率は下がり続けてきた。それでも「アベノミクス」が支持されるのは、成長に代わる新しい価値観を生み出すことができないために、経済成長にしがみついているだけだからではないのか。
価値尺度はGDPだけなのか
仕事は増えても所得は増えない
「経済成長」とはGDP(国内総生産)が増えることであり、政策論争や政治判断の中心に「経済成長」がすえられたということは、GDPの増減が価値判断の中心にすえられたことを意味する。
経済学者は政治からの求めに応じ、GDPをできるだけ大きくする処方箋を、競って考案している。
しかし注意が必要なのは、GDPを大きくすることは、あくまで価値判断の一つに過ぎないことだ。経済学者は、その枠組みの中でGDPを大きくする術を技術的、工学的に提言しているだけなのだ。
私たちは、GDPの大きさで日本経済の出来、不出来を採点することに慣れてしまっているが、一本のモノサシだけで社会を評価することほど、危険なことはない。
そのことを象徴的に示すのがグラフ(図1)だ。バブル崩壊後のGDP(国内総生産)とGDI(国内総所得)の動きを見ると、最近では、GDPほどGDIが伸びていないことがわかる。
◆図1:実質GDI(国内総所得)と交易損失の発生
【注】 1)数値は、四半期の実質原系列で、対前年同期比で示した。
2)シャドーは景気後退過程を示している。
3)名目のGDPとGDIは一致するが、実質のGDPとGDIは一致しない。図上では、実質GDIに比べ実質GDPの増加率が上回った部分を網掛けし、「交易損失の発生」として示した(交易損失とは交易条件の変化に伴う実質所得の変化をとらえるもので、実質GDPが実質GDIを上回る場合に、その乖離分を「交易損失」という)。
【資料出所】内閣府経済社会総合研究所「国民経済計算」をもとに作成
このことは生産が増えたほどには所得は増えていないことを意味している。しかも、この傾向は、景気拡張過程に生じ、その期間が長くなるほど、強まっているように見える。
経済学では、「三面等価の原則」といって、GDP(生産)とGDI(所得)とGDE(支出)は一致すると教える。経済には、人々が生産活動に参加し、所得を得て、それぞれに支出する、という循環がある。
国民経済計算は、日本経済を生産、所得、支出の三側面で計測するので、作成されたGDP、GDI、GDEは必ず一致することになる。この限りでは、GDPをみることで、「生産」ばかりでなく「所得」も「支出」も総合的に評価したことになる。
しかし、これは物価上昇率などを含めた「名目」の話であり、物価の伸びの増減を差し引いた「実質」で生産が増えたとき、実質所得が同じように増えたかどうかは、話は全く別なのだ。
経済学では、「三面等価の原則」といって、GDP(生産)とGDI(所得)とGDE(支出)は一致すると教える。経済には、人々が生産活動に参加し、所得を得て、それぞれに支出する、という循環がある。
国民経済計算は、日本経済を生産、所得、支出の三側面で計測するので、作成されたGDP、GDI、GDEは必ず一致することになる。この限りでは、GDPをみることで、「生産」ばかりでなく「所得」も「支出」も総合的に評価したことになる。
しかし、これは物価上昇率などを含めた「名目」の話であり、物価の伸びの増減を差し引いた「実質」で生産が増えたとき、実質所得が同じように増えたかどうかは、話は全く別なのだ。
「生産」と「所得」の乖離広がる
資源価格上昇などで「交易損失」
中国やアジアの経済が成長すれば、日本の輸出が増え、生産規模も拡大して、景気はよくなる。日本の好況は世界経済の拡張にのったものだが、一方で輸入する資源やエネルギー価格も高騰する。
こうして、景気拡張期間が長くなってくると、輸入物価が上昇し、日本はより高い値段で諸資源を購入しなくてはならなくなる。世界経済の拡張によって仕事はますます忙しくなるが、交易条件が悪化し、より高い値段で、素原材料やエネルギーを購入することになる。
このため、日本の所得は、高い価格を支払うという形で、海外に漏れ出していくことになる。これを「交易損失」という。
さきほどの図に見られるような交易損失が拡大することで、生産の規模が拡大しても、実質の所得はそれほど増えず、実質GDPが実質GDIを上回る部分が大きくなるわけだ。
もともと、地球の自然環境や資源は有限だから、無秩序な世界経済の拡張とは簡単に両立するはずがない。GDPの数字の大きさを喜ぶまえに、日本と世界経済の関係、人口や資源・エネルギーの制約などをきちんと考え、日本経済のあり方や進路を構想すべきなのだ。
名目賃金は上昇しても
実質賃金は低下
ところが、政府は、この国家的課題を国民に正しく説明せず、GDPという、分かりやすく単純な価値尺度を用いて、人々を経済成長に駆り立てているのが実態だ。
しかも、悪いことに、日本の労働組合は、すっかりこの路線に組み込まれてしまっている。 政府統計をみると、2014年には賃金の伸び率もプラスに転じた。労働組合は、政府と一緒になって、成果を誇示している。
しかし、多くの労働者は、それほどまでには景気の恩恵を感じていないし、実際にデータをみても、消費支出の伸びは勢いを欠いている。今回の景気拡張が始まった2012年末からの経済成長率をみても、実質GDPの増加を牽引しているのは輸出と設備投資に偏っている。
本当に賃金が上昇しているのなら、国内市場はもっと拡大しているはずだし、ここまで世界市場に頼る必要もなかったはずだ。つまり成長をし生産が拡大するほどには所得が増えないなかで、そのしわ寄せは働き手に及んでいるということだ。
景気拡張過程の名目賃金の動き(図2)をみると、第16循環(2012年第W四半期以降)では、はっきりと上昇し、2000年代の景気拡張過程に比べ、事態は好転したかに見える。
ところが、この動きを消費者物価の動向と重ね合わせてみると、むしろ事態は悪化していることがわかる。
◆図2:景気拡張過程の名目賃金と消費者物価
【注】 1)数値は四半期の季節調整値であり、各景気循環の景気拡張過程について、起点(谷)を100.0とした指数で示した。
2)名目賃金は、調査産業計、事業所規模30人以上の現金給与総額である。
3)消費者物価は、持ち家の帰属家賃を除く総合である(消費者物価は名目賃金を実質賃金で除した指数を用いた)。
4)各数値は、景気拡張過程を示したものであり、凡例の( )内に、谷の年・四半期から山の年・四半期を示した(第16循環は、2017年末までの数値を用いた)。
【資料出所】厚生労働省「毎月勤労統計調査」をもとに作成
第16循環の名目賃金は、伸びているとはいっても、物価の伸びに比べ著しく低い。グラフ上の、原点から右上に伸びる「賃金物価均等線」は、名目賃金の伸びが消費者物価の伸びと一致した場合を示し、この線を下回る領域では、賃金が上昇したとしても、実質賃金は低下している。
働き手は、給与明細書をみて額面で賃金が上がったとしても、実質的な購買力がどれほど向上したかは、なかなか分かりにくい。
実質賃金は下がっているにもかかわらず、働き手は給与明細書を見てささやかな“満足感”に浸り、片や、大企業を中心に最高益が更新されるといった成長戦略の「魔術」は、このようにして生み出されたものなのだ。
企業は価格転嫁
低迷する国内市場
日銀の異次元緩和策を柱にしたアベノミクスは、国内物価の上昇を目標に、大量の貨幣供給を行い、円の通貨価値を下落させた。
物価は日銀が目標に掲げるほどには上がっていないとはいえ、円安によって輸入物価は上昇し、コストプッシュで国内物価も上昇に転じ、2014年の消費増税の価格転嫁も順調にいったといわれる。
また、輸出型の大企業は円安の恩恵も受けて生産を増やし続けてきた。
しかし大企業の価格転嫁力に比べれば、今の労働組合の賃金交渉力は弱く、結局、働き手は実質賃金が低下する一方で、企業収益は拡大し、企業は設備投資を着々と進めることができた。
蓄積された生産力は、今後、ますます、海外の需要を求めて輸出へと向かっていくことになるだろう。
しかし、実質賃金を低下させ、国内市場を低迷させながら、一方で生産力を増強する経済政策に、果たして持続性があるのだろうか。
世界経済の拡張が永遠に続き、景気の循環もなくなるなら、日本は、この道をひた走ればいい。
しかし、経済成長をどこまでも追い求めることは現実的ではなく、すでに輸出に依存した経済成長は、世界的な資源・エネルギー価格の上昇の前に、日本の実質所得を減らすことにつながっているのが現実だ。
さらに、自由主義市場経済の宿命として、景気循環の存在を見定めておく必要もある。いったん減り始めた需要は、設備投資の縮小をもたらし、さらなる需要の縮小をもたらす。
しかも、外需に依存して成長してきた日本経済は、世界経済にマイナス要素が発生した場合、より大きな生産の落ち込みなど、経済変動の振幅が大きくなるリスクを内包しているとも言える。
成長戦略という知的欺瞞
現実見ない労働生産性の議論
成長戦略のかけ声のもとに、GDPの拡大と賃上げを追求することがずっと続いてきた。「GDPは拡大した」「賃金は上昇した」という“実績”を強調する報告が、繰り返し国民にとどけられてきた。
統計の数字だけでみれば、それはウソではないにしても、その持つ意味を歴史的、社会的に問わないという意味で、知的欺瞞のほか何ものでもないと言わざるを得ない。
「GDPの拡大」「賃上げ」の声が強まるなかで、行き着いた先が、「労働生産性」の議論だったが、これも理屈が先走った現実をみない議論だ。
成長戦略では、さらなる労働生産性の上昇に努め、そのことがさらなる成長と、賃金の上昇につながるという物語が語られている。
労働生産性の上昇が、賃金の上昇につながるという議論を、次のグラフ(図3)をもとに、考えてみよう。
◆図3:労働生産性上昇率と所得分配
【注】 1)労働生産性は実質国内総生産を就業者と総実労働時間で除した値を用いた。
2)時間当たり実質賃金は現金給与総額の実質賃金指数を総実労働時間の指数で除した値を用いた(数値は事業所規模30人以上のものとし、1960年代までは製造業の値を、1970年代以降は調査産業計の値を用いた)。
3)上昇率は各年代の最初の値から10年分を用い、期間平均値を100とした指数をタイムトレンド関数で特定し、その傾きの値を1年分の上昇率として示した(ただし、1950年代は、労働生産性は1955年から、時間当たり実質賃金は1952年からを計測、また、2010年代は2010年から2017年までを計測した)。
4)(賃上げ分)は現金給与総額の実質賃金指数を、3)と同じ方法で計測した実質賃金(1人当たり)上昇率を用いた。
5)(時短分)は2)の時間当たり実質賃金の上昇率から4)の実質賃金上昇率を差し引いた値とした(時間当たり実質賃金の上昇率=実質賃金(1人当たり)上昇率−労働時間増加率、の関係にあるが、「−労働時間増加率」は「労働時間削減率」として正の値で示される((時短分)は、この式における「−労働時間増加率」に該当する))。
【資料出所】内閣府「国民経済計算」、総務省統計局「労働力調査」、厚生労働省「毎月勤労統計調査」をもとに作成
まず、労働生産性の上昇は、労働条件の向上には有益なものだ。労働者一人当たりで生産できるものが増えれば、それに応じて賃金の引き上げを求めることもできる。
しかし、それには、経営者側に対する労働組合の交渉力が不可欠で、そこに足らざるものがあれば、労働生産性が上昇しても賃金(時間当たりの実質賃金)が低下するということが起こり得るのだ。
このことが事実として進行したのが、2000年代、2010年代という時代だった。
労働生産性が上昇しても、賃金は増えず、労働分配率が低下して、国内市場は停滞が続くことになった。輸出型の大企業は利益を増やし、その資金は、輸出向けの大量生産設備への再投資やより大きな利回りを求め資産運用に流れることになった。
労働生産性の上昇から労働条件の向上を生み出し、国内経済の成長や健全な社会発展につなげていくには、ナショナルセンターによる将来社会の構想力と単組の労働条件交渉力とが有効に結びつかなくてはならないのだ。
労働分配率は
なぜ下がり続けたのか
一方で、働き手や労働組合は、労働生産性の上昇分を労働条件の向上として実現するのに、「賃上げ」によるのか「時短」によるのか、を大局的に判断することが避けられない。
労働生産性の上昇分は、賃上げによって分配を受けることもできれば、時短によって受けることもできる。いまの日本の社会情勢を踏まえた時、どのような戦略をとることが労使交渉を有利にすすめ、より多くの成果を得られるのか、歴史に学んで、判断する必要がある。
1950年代の日本社会では、労働生産性の上昇に対し、時短分はマイナスとなっている。これは労働時間が延び、時間当たりの賃金率は引き下げられたということだ。当時は貧しく、働き手は仕事があるだけでうれしかったのであり、より多く働いてより多くの貨幣所得を得ることに意味を見いだした。
その後、豊かな社会に向かうなかで、時短分のプラスがでてきたが、労働生産性の多くの部分は、賃上げによって分配されている。多くの働き手にとって貨幣所得の獲得こそが「豊かさ」であり、かつての春闘はそうした時代の雰囲気を色濃く反映していた。
1990年代の一時期、労働生産性の上昇は時短によって分配されたことがあったが、これは週休2日制が広がったことによるもので、これを実現した労働基準法の改正は、1980年代の貿易摩擦激化を背景に、海外から日本人の働き過ぎの是正を求められた「外圧頼み」だったことはよく知られている。
1980年代以降の労働運動は、残念ながら、自ら所得分配の方針を生み出せず、、経営側に対する交渉力を再構築することができないままだった。このことが、2000年代以降の労働分配率の継続的な低下につながった。
所得の分配は
賃上げより労働時間短縮で
労働組合は、どうすれば一人ひとりの働き手の気持ちを受け止め、労働条件交渉に力を結集させることができるのか、速やかに、議論を呼びかける必要がある。
将来不安をかかえ、とにかく賃上げで貨幣所得を多く得る方が安心だと感じる人は少なくない。しかし本来は、その貨幣所得を用いて、いかに豊かな生活を実現するかが目的だったはずだ。日本社会の現実に向き合い、踏み込んで議論しなくてはならない。
今のところ、日本社会では、「賃上げ」に比べ「時短」の魅力はあまり高くはない。それは労働時間が短くなったとしても、そのことに価値を感じるといったことが少ないからだ。
しかし、貨幣価値とは異なる領域で、新たな価値軸を見いだすことができるなら、事態は新たな展開へと向かうのではないだろうか。
労働時間が減れば、働く人たちは家庭に帰り、また、地域社会の活動にもより有意義な形で参加することができる。人々の連帯のもとに豊かな地域社会を創造する活動には、潜在的な期待が大きいのではないか。企業別労働組合である単組は、産別組織、ナショナルセンターと連携しながら、それぞれの地域社会の中で、新たな価値を語り、「GDPの拡大」「賃上げ」とは別の価値軸を生み出していくべきだ。
周回遅れの成長希求路線
新しい価値観が必要
経済成長の「呪縛」から解放されるためには、日本が置かれた状況や世界の経済について正しい認識を共有し、GDPが増え、貨幣所得が増えることが、本当に、働く者にとっての幸せなのか、じっくり考えてみる必要がある。
労働生産性の上昇を労働時間の短縮にふり向ける社会とは、労働投入量を削減し、その分、経済成長を抑制する社会だ。そんな経済社会で、貨幣所得を獲得する機会を失いながら、「豊かさ」を感じることができるためには、これまでの価値観から新しい価値観へと大きな転換を必要とする。
しかしこの課題は今に始まったことではない。
かつて、故大平正芳首相は将来社会を展望して、「経済の時代から文化の時代へ」ということを語り、経済成長、大規模な都市化、近代合理主義に基づく物質文明などは、必ず限界を迎えるとの問題意識を国民に投げかけた。
あれから40年がたつのに、周回遅れのような「経済成長希求路線」が続いているのは、経済成長という価値観以外に、何ら新しい価値観を生み出すことができないでいるからだ。
真の豊かさとは何かを、保守政治の立場からも、労働運動の立場からも、創造的に思索すべき時だ。
(大東文化大学経済研究所兼任研究員 石水喜夫)
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