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https://jp.reuters.com/article/financial-crisis2008-lehman-idJPKCN1LU087
2018年9月14日 / 11:45 / 1日前更新
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リーマン破綻10年、それぞれの人生再建
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[ロンドン 11日 ロイター] - それは後に、世界的な金融危機を象徴するイメージとして知られる写真となった。破綻へと坂道を転落し始めていた米投資銀行リーマン・ブラザーズのロンドン事業所で、窓に背を向けて緊急会議に出席する行員20人あまりの姿が写されている。
2008年9月11日に撮影されたこの写真に写っているギウォン・ムーアさんは、当時の行内は、金融市場を覆いつつあったパニックとはまったく異なる雰囲気だったと振り返る。
「行内は当時、ほとんどお祭りのような雰囲気だった。仕事はまったくしていなかったが、みんな出社し、おしゃべりにかまけていた」と、ムーアさんは言う。
カメラがとらえたのは、上司が部下らに対し、同社の株価は急落しているが大丈夫だと告げている場面だという。
「上層部は、従業員を再び仕事に集中させないといけないと考えたようだ」と、ムーアさん。「さぼらずに仕事に戻れ、と言われた。さっきまでやっていたことと同じことをするのだから、誰も真面目に受け止めなかったと思う。われわれとビジネスをしてくれる取引先などなかった」
それから4日、米政府はリーマン救済を断念。すでに市場に広がっていた混乱が拡大し、金融システムが壊れ、世界経済は深刻な不況に陥った。
ムーアさんが働いていた債券部門は、他行に売却されなかった。経営破たんから2週間後、ムーアさんのセキュリティーカードは使えなくなり、解雇された。
ムーアさんは、ファンドマネジャーとして再就職を果たすまで、6カ月間失業していた。いまは故郷オーストラリアで働いている。
<失業>
金融危機は、公務員のエリック・リップスさんの生活も揺さぶった。リップスさんも、よく知られている当時のロイターの写真に登場している。
09年の年末、リップスさんは、ニューヨークの就職フェアで面接の長い列に並んでいるところを撮影された。
当時の米国の失業率は10%と、1980年代初め以来の高い水準に上昇していた。
リップスさんは寒空の下、ベージュのトレンチコートに身を包み、カメラをまっすぐ見つめている。その表情には、当時のたくさんの人が感じていた絶望が浮かんでいた。
「幸いなことにお金はあったので、その日暮らしになることはなかった」と、リップスさん。「それでも、失業状態がどれぐらい続くか分からず、少しナーバスになっていた」と言う。
数ヵ月後、リップスさんはニューヨークの児童支援員として採用され、いまもその仕事を続けている。
当時の英国財務相だったアリスター・ダーリング氏は、リーマン破綻の直前に、経済が危機に向かっていると警告を発したところ、エコノミストや政治家から大反発を受けたと振り返る。
「それでも、金融システムの混乱が非常に破滅的になることが見えていた」と、ダーリング氏は言う。
労働党の下院議員に転じたダーリング氏は、10年に誕生した保守党新政権が、5年以内に財政赤字を解消する方針を決めたことで、金融危機のダメージが一層拡大したと考えている。
「緊縮財政と一般的に呼ばれるものにより、不況が長引いた。回復にはずっと長い時間がかかっており、まだ完全ではない」と、ダーリング氏は言う。
<移住>
実際、世界の金融システムがメルトダウン寸前まで行き、その後に欧州の複数の国で債務危機が起きたダメージは、今も多くの人に深い傷を残している。
ホセマヌエル・アベルさんは職を失い、12年に妻子を残して故郷スペインを離れた。昨年帰国するまで、ドイツで低賃金の仕事に従事していた。
いまアベルさんは、大西洋に面した町チピオナのレストランに臨時で雇われ、ウエイターとして1日17時間働いている。だが、夏が終わって観光客が去れば、解雇されるだろうと話す。
スペインの失業率は、13年に27%近くに達した。今年第2四半期は約15%まで下がったが、経済が回復し始めて5年が経過しても、まだ他国の水準に比べて大幅に高い。
「ウエイターとして働くことに不満はない。どんな仕事でも、尊敬されるべきだと思う」と、アベルさんは言う。「私には経験やスキルがあり、今後生かしたい」
同時にアベルさんは、友人たちと地域政党を結成し、19年の地方選に打って出ようと準備を進めている。
「子供たちには、私みたいな苦難を経験してほしくない」。アベルさんはそう話し、「この素晴らしい場所から移住して仕事を探さなければならないような目にあってほしくない」と付け加えた。
<東京>
東京の為替ディーラーの深澤努さんは、リーマン破綻から10年がたつ今も、トウキョウフォレックス上田ハーローで働いている。リーマン・ショックの後、市場から去った顧客もいるという。
日本経済は大きな打撃を受けた、と深澤さん。しかし、徐々に回復していると感じている。ゆっくりと、でも着実に世界の金融市場に追いつきつつあると話す。
愛沢光さんは当時、東京・歌舞伎町でホストとして働いていた。リーマン破綻後、人々が真っ先に財布の紐を締めたのは、クラブなどで遣う遊興費だったと話す。
愛沢さんは現在、クラブ3店を経営し、スタッフ70人以上を抱えている。ベンチャービジネスも2つ立ち上げた。
2008年金融危機から10年、その後の人生
(文責:William Schomberg、撮影:Reuters photographers)
ゾンビ企業、リーマン破綻が生んだ「危険な卵」
Edward Chancellor
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[ロンドン 11日 ロイター BREAKINGVIEWS] - 経済はゴムボールのようなものだ。地面に強く打ちつけるほど、跳ね返る力も強い。普通はそうだ。だがリーマン・ブラザーズが破綻した後、西側経済は1930年以降、最も深刻な不況を経験した。
その後の回復も明らかにさえないものだった。驚くべき数のゾンビ企業が誕生するのを、市場は目の当たりにした。取るに足らないこれら企業は、安い資本を今なお食い物にし、増殖しているようだ。
通常、急速な景気後退後に経済が回復する理由は明らかだ。
景気停滞時には、多くの企業が経営の建て直しを図り、赤字企業は行き詰まる。その結果、資本と労働者は、より生産的な事業に再分配される。旧式の設備は最新テクノロジーに、時代遅れの慣行は新たな組織形態に置き換えられる。ビジネスの効率性が高まれば、投資も増え、雇用を生む。
倒産は回復にとって不可欠だ。「倒産のない資本主義は、地獄のないキリスト教のようなものだ」という格言もある。オーストリアの著名経済学者ヨーゼフ・シュンペーターは、資本主義の原動力は創造的破壊にあると説くが、まさにそれを体現している。
この過程において、金利は必要不可欠な役割を担う。シュンペーターの言う「金利の真の機能」は、経済活動に対する「ブレーキ、あるいは支配者」としての役割である。ハードルレート(投資判断となる利回り)を設定することにより、金利は資本の利用を制限する。
金利は経済活動のテンポを決めると、金融ジャーナル「グランツ・インタレスト・レート・オブザーバー」のジェームズ・グラント氏は言う。それはバスケットボールでシュートを打たなければならない制限時間(ショットクロック)のようだと、同氏は主張する。無駄な時間は1秒たりともない。
信用危機が発生すると、金利は急上昇し、創造的破壊は過熱状態に陥る。「国の豊かさは、経験する危機の破壊力によって測定可能」だと、景気循環を研究した19世紀の経済学者、クレマン・ジュグラーは指摘した。
世界金融危機時、社債に対する金利は急上昇した。2008年11月、米ジャンク債利回りは20%を上回った。そこで米連邦準備理事会(FRB)が動いた。バランスシートを拡大し、フェデラルファンド(FF)金利をゼロに切り下げた。そして、焦げ付いた融資を引き受けて、投資家に対し不良債権を買うための融資を行った。そのようなパニック状態に陥った金利はまもなく消えうせた。
経済が回復すると、格付け会社は意外なことに気が付いた。リセッション(景気後退)の間、ジャンク債の累積デフォルト率は17%と、これより前に発生した2度の景気後退時と比べて、半分程度の水準にすぎなかった。「FRBの特例措置が、死にかけていた企業をよみがえらせた」との見方を、ハイイールド債アナリストのマーティン・フリッドソン氏は示した。
倒産企業の少なさはその恩恵なのかもしれない。だが過去10年において、米国の生産性伸び率は戦後平均の半分以下に落ち込んでいる。
米労働省労働統計局によると、景気が回復しても、新たなビジネスによって雇用は以前ほど創出されてはいない。米国経済は長きにわたり過剰な生産能力を抱えていたにもかかわらず、過去の同様な時期と比べて、倒産する企業が少ない。企業の利子支払い費用はかつてないほど低くなっているが、債務返済に苦労する米ゾンビ企業が増えている。
経済協力開発機構(OECD)は2016年、先進国企業の1割がゾンビ企業だと発表した。
さまざまな理由から、こうした企業は経済成長に悪影響を及ぼす。
投資もあまりせず、生み出す雇用も少ない。より効率の良いビジネスを締め出し、新規参入を阻むバリアの役割をする。また、産業がゾンビ企業に支配されると、収益性が低下し新たな投資意欲がなくなる。ゾンビ企業の不良債権に頭を悩ます銀行は新規の融資を渋るようになる。
「あまりに多くのリソースが生産性の低い分野やゾンビ企業に投じられたままなら、ある特定の革新的ビジネスへの投資が与える好影響の広がりが阻まれることになる」と、経済学者のフィル・モーラン氏は書いている。そして、生産性が向上しなければ、労働者の所得も持続的に伸びることはない。
国際決済銀行(BIS)によると、リーマン・ショック後、ゾンビ企業の増加やその生存率と、金利低下との間には密接な関係が見られるという。この現象は1990年代、「バブル経済」崩壊後の日本で初めて確認された。当時、日本銀行はゼロ金利政策を始動させた。ゾンビ企業は昨今、寿命が延びたとBISは指摘する。債務を減らす圧力に以前ほどさらされなくなったからだ。
Stefanel SpA
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この問題は米国に限ったことではない。欧州では、ゾンビ企業はさらにまん延している。最悪なケースのいくつかはイタリアに存在する。アパレルブランドのステファネル(STEP.MI)がその最たる例だ。スペインのザラのような大手ライバル企業に勝てず、ステファネルはこの10年あまりで損失が山積し、債務再編を迫られている。
2014年以降、同社の株価は70%下落しているものの、銀行による債務返済猶予や欧州中央銀行(ECB)のマイナス金利政策のおかげで同社はいまだに生き延びている。ゾンビ企業は、イタリアの銀行のバランスシートに計上されている山のような不良債権に大きな責任を負っている。その中には、大手モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ(モンテ・パスキ)(BMPS.MI)も含まれる。
世界大恐慌の再来は何が何でも防がなければならないというのは、政策立案者の間に共通する考えである。これは、過去10年に行われてきた金融政策における大規模な実験の論拠となった。
通説に反して、世界大恐慌は大きな災難ではなかった。25万社近くが倒産したが、自動車製造や航空宇宙などの産業において生き残った企業は、新しく、より生産的なテクノロジーに投資するための確かな領域を与えられた。
経済学者のアレクサンダー・フィールド氏は、1930年代について、「20世紀の中で最も技術的に進歩した10年間」だと表現している。その次の10年間、つまり1940年代における米国の経済生産は1929年以前の動向に戻ってしまった。米国の戦後世代にとっては、まるで恐慌は一度も起きなかったかのようだ。
今度ばかりは楽観していられないかもしれない。サマーズ元米財務長官と国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストを務めたオリビエ・ブランチャード氏は、最近発表した論文の中で、米国の経済生産(労働年齢の成人1人当たり)は回復基調にあるが、1929年の世界恐慌以降に経験した回復より脆弱だと指摘している。
今年の経済成長は上向き、賃金も上昇している。しかし、この「トランプ景気」が崩壊した場合、新たな「大恐慌」から世界を救ったリーマン後の中央銀行当局者は、その代わりに「大停滞」をもたらしたとの歴史の審判を受けるのかもしれない。
*筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています
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