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深センで始まった工場移転、「世界の工場」を襲う人件費・家賃高騰
https://diamond.jp/articles/-/179226
2018.9.10 高須正和:メイカーフェア深セン/シンガポール ダイヤモンド・オンライン
深セン市の人件費、家賃はますます高騰し、製造業は労働者の確保が難しくなり、移転する会社も出てきた。今も世界中の製造業が集積し、珠江デルタが「世界の工場」となっていることが、深センから多くのハードウエア企業が誕生するきっかけとなったが、製造業はいつまで深センにとどまるのか。
深セン市宝安区にあるジェネシスの工場。フル稼働で人手が足りない状況
もう労働者が採用できない
工業地帯も都市化へ
「本当はあと30人ぐらい採用したいが、労働者が集まらない」
深センに工場を構え、日本向けのICT機器を製造するJENESIS(ジェネシス)の藤岡淳一社長は語る。同社は100人に満たない規模ながら、日本向けのタブレット製造台数ではここ数年ベスト10に入り、タクシー会社の車載端末やドライブレコーダー、最近では翻訳機など、多くのICT機器を手掛けている。
1000〜数千といった少ロットから製造を請け負う同社では、ラインの組み替えが頻繁に発生するため、他の工場より多くの熟練工を抱えている。秩序だって整頓された同社の工場は従業員に人気の職場で、離職率は、一般的な中国の製造業とは一線を画す低さだ。それでも、ここ数ヵ月は労働者の確保に苦しんでいるという。
「当社の工場は日本向けの小ロット多品種生産なので、他の工場よりは熟練工の割合が多い。期間限定の臨時工に比べて、長期雇用の工場労働者が採用しづらくなっている」と藤岡社長。
ジェネシスのここ数年の業績は上り調子で、取材した日もラインはフル稼働していた。以前の深センなら、そうした景気のいい工場には残業代を目当てに労働者が集まってきたが、ここ数ヵ月はどうも様子が違うという。
「臨時工の給与も上がっていて、かつちょっと年がいった人とか、レベルが下がっている。臨時工の給与を熟練工に比べて極端に上げたり、レベルの低い人をラインに入れると、今の形では操業しづらい。会社全体としては余裕があり、労働者の賃金を上げることは可能だが、それでは問題解決につながらない。これまであまりなかったケースだ」と藤岡社長は語る。
労働者確保の難しさと労働者確保の困難さから、一部のラインに自動化機器を入れつつある。熟練工を多く抱えることで小ロット多品種に取り組んでいる同社では珍しい試みだ
深センは中国各地から出稼ぎの人が集まる街だ。ジェネシスがある宝安区は、深センの郊外として市内の工場の移転先となって、急速に開発が進んできた。ほんの3〜4年前には工場ばかりだった宝安区にも、ついにショッピングセンターや高級マンションが建設されるようになった。出稼ぎ民にも、ウエートレスや出前運びといった工場以外の仕事の選択肢が現れ、工場労働者を志す人が減ってきたことで、このエリアでも工場に人が集まらなくなってきた。
多品種少量生産をする場合、部品メーカーや検査会社といった協力企業との関係を密にする必要があり、工場は都市部にあるほうが望ましい。しかし、望むような労働者を確保するには、車で1〜2時間ほど先の、寮住まいで働くのをいとわないような人々が暮らす郊外にまで足を伸ばさないと難しくなってきた。
東莞からアフリカへ
5万人規模の工業団地を
こうした状況下、ドラスチックな対策をしている中国企業もある。
埃塞俄比亚中国华坚国际轻工业城 CN
華堅集団がエチオピアで運営している工場。中国政府も協力している
深セン市に隣接する東莞市で靴製造を行う大手製造業の華堅集団は、2011年からアフリカのエチオピアに進出し、現地で5000人を雇用する大工場を運営している。中国人300人、アフリカ人4700人からなる工場はすでに年間200万足の靴を生産し、多くはアメリカ向けの輸出を行っている。
中国政府はエチオピアで多くの公共事業を行っており、同国での影響力を高めたいという思惑から、華堅集団の進出については中国政府の評価は高いが、同社が進出したのはあくまで彼らのビジネスのためで、政府の差し金ではない。今も本社は東莞市にあり、東莞の工場ではより高品質な靴が生産されている。
東莞市には深センに比べるとより大規模で少品種大量生産の工場が多いが、こちらの賃金も深センに劣らず高騰している。短期では設計・開発が深セン、製造が東莞ほか周辺地域という構造が成り立っているが、それが何十年も続くかはわからない。
左:現時点で4700人のエチオピア人が働いている/右:工場は積極的に拡大中。空港と見まがうサイズの建物にはまだ労働者の採用と教育が間に合わないラインも並ぶ中、新しい棟も続々建設されている
左:簡単な金型もエチオピア工場で加工されている/右:品質管理など、すべての工程を中国人が技術指導しながらトレーニングしている
今のエチオピアの1人当たり賃金は月に80ドルに届かず、深センの10%程度。進出した起業家は「20年前の深センと同じだ。ここでうまく行けば、20年間の成長ができる」と語る。
華堅集団がエチオピアで生産する靴は東莞でのものより安く、製造が簡単なものにとどまっている。そもそも決まった時間に工場で働く習慣のないアフリカ人たちを相手に工場を運営するのはとてもチャレンジングなビジネスで、今のところこれほど大規模な進出は華堅集団だけだ。「仕事には初めと終わりがある」「合図によってそろってスタートし、そろって終わる」というところから教育しながら工場を運営するのは簡単ではない。
もしも彼らが成功し、エチオピアへの進出が「割に合う」ビジネスとなったら、もっと多くの中国企業が進出するだろうが、まだ結論を出すには早い。
世界の工場の未来は?
新しいエコシステムは生まれるか
深センがイノベーションの中心地となるに至った“源泉”については、本連載これまでに何度も触れてきた。第3回「深セン電気街の凄み、アキバやシリコンバレーを超える開発力」で触れた、新規参入を促進するモジュール化されたBtoBの中間成果物「公板」は、そうした製造業の厚みが生み出したものである。
そして第15回「深セン電気街で自社ブランド電機製品増殖中、中国なのにFacebookも駆使」で触れたように、そうした製造業の厚みを背景に、深センから多くの自社ブランド、新発明が生まれてきた。
もちろん今も深センは世界の工場だ。今回の話はあくまで数千万人が働くこの地帯の、ごく最近でごく狭い場所をピックアップしたにすぎない。人手不足が騒がれる日本でも、リストラする会社も応募が殺到する会社もあるように、何事にも例外はあるし、この地域全体は今も製造業の街に変わりない。
ファーウェイ(華為技術)やフォックスコン(鴻海精密工業)といった大企業の中核製造施設は、今も深セン周辺にある。地価と人件費の高騰に耐えかねた製造業の移転先も、まずは深センから車で2〜3時間の佛山や恵州といった珠江デルタ周辺である。あと数年、少なくとも2〜3年は珠江デルタは世界の工場であり続けるだろう。
問題はその先だ。10年、20年先もここが世界の工場であり続けるという未来予測は難しい。
では、製造業の中心地でなくなった深センに、どんな未来がありうるだろうか。
香港もシンガポールも、数十年前はブリキのおもちゃやブラウン管テレビの組み立てをしていた、欧米先進国のための労働力供給地だった。今は違う産業で、引き続き成長を続けている。成長期の人間から乳歯が抜け、成長痛があるように、都市の成長にも段階がある。
深センでは、これまでの産業集積を土台にして、新たなハードウエア産業が勃興しているし、高学歴者(特に米国などからの留学組)が企業のために集まる場所にもなりつつある。そうした別の形のイノベーションの担い手を中心に、新しいエコシステムが生み出されれば、今後もこの地は成長していくのだろう。
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