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私がこの10年で目の当たりにした、中国が世界中で欧州と日本を席捲していく様
http://biz-journal.jp/2018/08/post_24302.html
2018.08.06 文=篠崎靖男/指揮者 Business Journal
南アフリカ・ダーバン(「Getty Images」より)
僕は今、南アフリカのインド洋側の都市、ダーバンで仕事をしています。1497年にヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ周りのインド航路を発見して以来、ヨーロッパとアジアを結ぶ拠点として発展してきた港湾都市です。
当地のオーケストラは、100年前の英国植民地時代に建てられた、華麗なコロニアル様式(植民地時代の建築様式)をコンサート会場として使用しています。とてつもなく巨大な建物で、英国がどれほど植民地から搾取してきたかを、今もなお見せつけるようです。
ダーバン周辺はサトウキビ栽培にも適した土地で、英国は植民地のインドから多くの労働者を連れてきて働かせました。そこで製造した砂糖をダーバン港からヨーロッパに運び込み、英国はますます栄えていったわけです。ダーバンは今でもインド系住民の比率が高く、カレーが名物料理のひとつでもあります。ちなみに、インド独立の英雄であるガンジーも、一時期ダーバンに逃げていたことがあります。
現在のダーバンは、アフリカ大陸最大の港湾都市でもあります。特に、ソマリアの海賊に船をシージャックされる事件が多発した際には、ソマリア沖を通過するスエズ運河航路を避け、日数と経費がかさむのにもかかわらず、アフリカ航路を取る船舶が急激に増えたため、大型コンテナ船でダーバン湾はパンク状態になりました。港に停泊しているのは、日本では見たこともないような巨大コンテナ船ばかりです。実は、日本には巨大コンテナ船に対応できる深さを備えた港湾がないそうで、上海、釜山のようなハブ港に荷下ろしされた荷物が、小さめのコンテナ船に載せられて日本に運ばれるのです。
1980年代を振り返れば、神戸港が世界4位のコンテナ取扱量で、アジアのハブ港の役割を果たしていましたが、近年、コンテナ船は巨大化しており、その流れに日本が乗り遅れてしまったことは残念です。2015年の国土交通省の調査では、名古屋港が日本最高で世界19位です。ちなみに1位は上海港で、総取扱貨物量は名古屋港の3.7倍です。
■急速に勢力を拡大した中国
僕がダーバンのオーケストラを初めて指揮してから10年になります。毎年訪れて指揮をしているので、毎年ダーバンの港の変化を見つめています。最初の頃はA.P.モラー・マースク(デンマーク)、MSC(スイス)のような欧米系の大手海運会社のコンテナ船が、「世界の海は自分たちのもの」とでも言うような雰囲気で停泊していました。しかし、間もなく状況は一変します。中国系の会社の船がその場を奪い始めたのです。その後、中国の船舶がダーバン港の主役になるまではあっという間でした。
そんな時期に、南アフリカ駐在の日系商社のほぼすべての支店長と会食の場があり、彼らに「このままだと、日本は中国に追い抜かれる」と話したのですが、彼らは鼻で笑うだけでした。しかし、実際には僕の予想よりもはるかに早く、2011年には中国がGDP世界第2位に踊り出て、今もその座にあります。
このころが、ひとつの分岐点だったのかもしれません。当時、経済都市ヨハネスブルクのホテルは、中国人でいっぱいになりました。日本で、「南アフリカは治安が悪いんじゃないの? 気軽に行っても大丈夫?」などと様子見をしていた時に、中国人は南アフリカのみならずアフリカ全土に進出していたのです。その姿を見ると、大航海時代にヨーロッパの列強がアフリカに進出していったような勢いを感じます。
それは数字にも裏付けられています。港湾取扱貨物量世界ランキングを見ると、2000年はシンガポール、オランダ・ロッテルダム、米・サウスルイジアナ、中国・上海、香港の順番で、まだ欧米が上位でしたが、15年には、上海、シンガポール、中国・青島、中国・広州、ロッテルダムと、中国が大躍進しています。コンテナ取扱量を見ると、ベスト10のうちの6つは中国の港で、それ以外は、シンガポール、ロッテルダム、豪・ポートヘッドランド、韓国・釜山です。つまり、この15年間で世界的物流はすっかり変わったのです。
■ダーバンのオーケストラの再興
南アフリカはアフリカのなかでも飛びぬけて経済規模が大きく、ほかの国と比較すると生活も安定しています。確かに治安が良いとはいえませんが、現在はロシアや中国とともにBRICSの一員として、世界の注目を浴びる国に急成長しています。特に2010年のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会開催をきっかけに、インフラも随分と整備されました。
17世紀後半からオランダ系の移民が入り込んだ土地ですが、その後、英国の植民地となり、独立後も英国から経済や文化の強い影響を受け続けています。ところで、「アパルトヘイト」をご存じでしょうか。1948年に施行された悪名高い人種隔離政策です。白人と有色人種は居住場所まで隔離されました。簡単に言うと、移民の白人が、先住者の黒人を追い出したわけです。1994年に撤廃されましたが、アパルトヘイト施行中は、黒人はまともな教育すら受けられませんでした。僕が初めて訪れた頃は、まだホテルのフロントには白人が必ず1人はいたものです。やはり、黒人だけでは心許無かったのかもしれませんし、当時は、僕も実際にそう感じていました。しかし、それが最近では、しっかりと教育を受けた黒人だけでフロントがしっかりと回るようになりました。教育の重要性を感じます。
現在、南アフリカには3つのメジャーオーケストラがあります。アパルトヘイト時代には、国家の文化予算のほとんどは白人につぎ込まれていたので多くのオーケストラがあり、英国をはじめ西欧からもたくさんの音楽家が集まっていました。しかし、アパルトヘイトが終息し、人種の比率に応じて国家予算をつけることになったため、少数派である白人文化であるオーケストラはすべて倒産の憂き目を見たのです。
それは、今、指揮をしているダーバンのオーケストラも同じでした。その後、彼らも復興を目指しますが、大きな問題にぶち当たりました。多くの楽員はすでに職を求めて国を離れていたのです。しかしながら他方では、1989年にドイツで「ベルリンの壁」が崩壊したことで、ロシアや東欧の優秀な楽員は自国から出たがっていました。彼らも、「再び暗黒の共産主義に戻るのではないか」と不安だったのでしょう。これをチャンスと、ダーバンのオーケストラは東欧に出向いて楽員の誘致を図り、その結果、著名なオーケストラのコンサートマスターをはじめ、多くの優秀な音楽家を手に入れることができたのです。今もなお、彼らのルーツであるスラブ系の音楽、チャイコフスキーや、リムスキー・コルサコフの楽曲は特別な演奏となります。
さて、今週の仕事は、「女性の日」の特別コンサートです。人種はもちろん、性別も超えて南アフリカは発展しています。国連は、3月8日を「国際女性の日」と決めていますが、南アフリカでは8月9日を「国民の女性の日」として祝日に制定しています。
(文=篠崎靖男/指揮者)
●篠ア靖男
桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。
2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団など、各国の主要オーケストラを指揮。
2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。
国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。
現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。ジャパン・アーツ所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/
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