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資産38億円から生活保護に転落した男性はどう復活したのか
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180805-00000004-moneypost-bus_all
マネーポストWEB 8/5(日) 16:00配信 週刊ポスト2018年8月10日号
生活保護から年収3000万円に返り咲いた生き方とは(イメージ)
35歳で起業した直後、次々と病に襲われ、38億円の資産家から一転全てを失い、生活保護を受ける状態に陥り、また返り咲いた人生を送る男性がいる。彼はなぜ復活できたのか、その生き方を知る諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が紹介する。
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ファンドマネジャーとして活躍してきた並木秀之さん(65歳)はジェットコースターのように上り下りの激しい人生を送ってきた。
起業し38億円の資産家になったが、すべてを失って一時、生活保護を受ける。そこからまた年収3000万円の高給取りに返り咲いていく。
その並木さんが自分の「強み」をはっきりと自覚したのは、32歳のときだった。そのころ彼は大手会計事務所に勤務していた。上司や同僚はエリートばかり。能力の差に引け目を感じたという。
倒産会社の破たん処理に携わっていたとき、企業のトップとともに壇上に並び、債権者の前で土下座することがある。並木さんも、その列に加わり、何の抵抗もなく、深々と土下座していた。
しかし、上司や同僚は違った。土下座しながら、手をブルブル震わせ屈辱に耐えている。それを見て、「私はこの仕事に向いている」と気がついた。弱者であることが、自分の強みだと気づいたのだ。それから彼は自称「土下座専任」になり、優秀な同僚たちのなかで、次第に成果を上げていく。
バブル景気の追い風に乗った彼は、35歳で、破たんした会社を整理する会社を起業した。会社を整理しながら、土地や建物を売る不動産業も行い、利益を上げるようにした。借金もあったが、資産は38億円にもなった。
でも、どうして屈辱的な土下座も、平気でできたのだろう。それを理解するには、彼の生い立ちに触れなければならない。
並木さんは、脊髄分裂症という先天性の障害をもっていた。そのために歩行障害があり、脚をひきずって歩く。排せつ障害もある。おむつが必要で、小学校時代などは、「クラスの仲間の前で、下痢を起こしてしまったらどうしよう」と、いつも冷や冷やしていたという。
父親は、小学校5年のときに他界。母子家庭の貧しい暮らしのなかで、母親に連れられて通院を続けてきた。つらい思い出なのだろうと思ったら、「おいしいものを食べさせてもらえたので、痛い治療も忘れた」とあっけらかんと言う。
人間は自分の行いに救われることがある
ぼくの好きな作家フランツ・カフカは絶望名人だ。彼はラブレターにこんなことを書いている。
「未来に向かって歩くことはぼくにはできません。将来に向かってつまずくことはできます。いちばんうまくできるのは倒れたままでいることです」
並木さんは、カフカとは違って、楽観的に生き抜こうとする。次々と困難が押し寄せ、絶望するひまがなかったのかもしれない。というのも、35歳で起業した直後、彼は膀胱がんになる。それをはじまりに、肝臓がん、皮膚がん、前立腺がん、白血病と、5つのがんに襲われることになるのだ。
治療を受けながら仕事を続けていたが、40歳のとき、白血病になって決断を迫られた。主治医から会社運営は無理といわれ、会社を閉じざるを得なくなったのだ。
3億4000万円で買った物件を、1500万円で売るというような悔しい思いをしながら、あっという間に丸裸になってしまった。会社整理のプロが、自分の会社を破たんさせてしまう立場になるとは、何とも皮肉である。
でも、人間は自分の行いに救われることがある。会社をたたんだ並木さんを救ったものは、2つあった。
1つは、コワい人たちの人情だ。破たん整理という仕事は、銀行などの金融機関だけでなく、任侠の世界の人たちも相手にしなければならない。彼は、一番、二番抵当の銀行への返済額を少し削って、コワい人たちにも分配できるように工面してきた。それに恩義を感じた人たちが病院に見舞いに来て、ドンと札束を置いていった。見れば、100万円も入っている。こんなにもらっていいのかなと戸惑いながら、無収入の彼には、本当に助けになったという。
もう一つは、区役所の担当者だった。治療費と生活費に困窮するようになったが、生活保護を受けることにはどうしても抵抗があった。そのとき、当時住んでいた品川区の生活保護の担当者がこう言ったのだ。
「並木さん、あなたからは今までさんざん住民税を取っていますから、これくらいもらってもいいのです」
うれしかった。絶対に早く脱出するぞと誓い、生活保護を受けることにした。その誓い通り、彼はシティバンクに再就職し、闘病しながら高収入を得るようになっていく。
いま65歳になった並木さんは、一般社団法人をつくり、障害者や母子家庭の子どもへの進学支援や、シングルマザーの自立支援をしている。
「格差なんて生ぬるい、もう階級ですよ」
努力だけで貧困から脱することは難しい。それを彼は「階級」と表現した。
働き方改革関連法が成立したが、日本から過労死を失くすだけでなく、失敗しても何度でも再チャレンジできるような仕組みができるといいなと思う。35歳の壁を、若い人をつぶす壁ではなく、弱さを強さに変えてステップアップできるような壁にしたいと心から思う。
●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『人間の値打ち』『忖度バカ』。
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