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「傷だらけの地銀」と付き合う際に警戒すべき3つのリスク
https://diamond.jp/articles/-/174989
2018.7.18 山崎 元:経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員 ダイヤモンド・オンライン
地方銀行ビジネスの袋小路
金融庁の調査によると、地方銀行全106行のうち約4割の40行が、2018年3月期決算で、本業の収益が3期以上連続で赤字となったという。
ここで本業の収益とは、個人や企業向けの融資で得られる利息と、投資信託などの販売手数料などといった稼ぎから、人件費などの関連経費を差し引いたものだ。
地銀は本業の融資では稼げないため、株式や債券などの有価証券を運用して利益を確保する姿勢を強めている。金融庁が31行・グループを調べたところ、23行で過度にリスクをとっているなどの問題点が見つかったという。
金融庁の調査を逆に読むと、調査対象の31行・グループのうち8行は過度なリスクを取っていないことになるのだから、全ての地方銀行が喫緊の問題を抱えているわけではない。個別には、経営状態が良い地方金融機関があるはずだ。
しかし、地銀、第二地銀、信用金庫、信用組合といった地方金融機関の多くにあって、ビジネスモデルが行き詰まっていることは、状況認識として間違いあるまい。
最近になって、スルガ銀行や東日本銀行などで、銀行ビジネスの常識からは考えられないような悪質でかつ大規模な不正が発覚したが、これらは、地方金融機関の「普通にやっていたのでは儲からない」状況の一つの表れなのだろう。
金融行政の「手遅れ」
地方金融機関の収益状況の悪化に際して、日銀の金融政策の影響が小さくないことは、金融機関そのものに対しても、監督官庁である金融庁の行政への評価にあっても、斟酌することがフェアだろう。
マイナス金利政策に加えて、長期金利をほぼゼロ%に固定したイールド・カーブ・コントロールの影響は、金融機関にとって甚大だった。
3期を務めて、「史上最強の長官」との呼び声も高かった森信親・金融庁長官時代の金融行政は、「フィデューシャリー・デューティー(顧客本位の業務運営)」の徹底や、つみたてNISAの導入などによる投資の振興などにあって画期的だったと筆者は評価する。
だが、地方金融機関の経営に対しては、「日本型金融排除」(有望な事業であっても担保がないと融資しないような消極的な貸出姿勢を指す)への批判など、実質的な意味の乏しい建前論にこだわる一方で、経営状態が悪化する地方金融機関に「時間を与えすぎた」ように思う。
担保や保証はなくても、ビジネスを“目利き”的に評価して、有望な対象にはリスクと期待収益を考慮した上で貸し出しを行うような、情報力の優位を活かした融資は、真に社会的に望ましいが、過去の(ほぼ)全ての銀行にとって、実力的には「やりたくてもできなかった理想」である。
「ミドルリスク・ミドルリターン」のビジネスは、データが単純、1件当たりが小口、数が多いといった個人向けのローンでは成立しやすいが、1件当たりの金額が大きい法人向けの融資では成功へのハードルが高い。日本振興銀行や、新銀行東京の失敗を見ても、「理屈上、マーケットがあるはずだ」ということと、「マーケットを現実に利用可能だ」ということとの間のギャップは大きい。
経営基盤が脆弱な地方銀行にも、正しい“銀行道”を求めてチャンスを与えたことは、フェアではあったとしても、彼らの実力を考えると、無用な時間的猶予だったのではないか。
もっとも、地方金融機関の現在の窮状の行政的責任を、森長官時代にばかり求めるのは、フェアではない。
そもそも金融行政当局は、バブル崩壊後の不良債権が問題だった時期に、大手銀行をメガバンクにまとめて潰れにくい状況に持っていくことに注力したが、本来経営基盤が脆弱であるにもかかわらず、地銀を始めとする地方金融機関については、経営統合に導くなどの手当てが、「必要だが、手が回らなかった」課題であった。いわば、過去の金融行政の「やり残し」が地銀分野である。
例えば、考えてみると、メガバンクにあって一方の収益を支える国際業務が不在の地銀こそ、より手厚い自己資本が必要なはず。だが、国際業務を手掛ける銀行よりも、国内に特化する銀行の必要自己資本比率を低く設定していたことは、奇妙だったように思う。
森長官時代以前の地銀は、「過保護に放任」されてきた。そして、「手が回らなかった」時期から、随分と時間を空費して、森長官の時代を迎えることになった。
地方銀行が抱えるリスクの所在
地方金融機関の業績悪化の原因については、「日銀の金融政策」と「地方の人口減少」が挙げられることが多い。
二つのうち、日銀の金融政策は確かに少々、気の毒ではあった。長期金利のイールドまで固定するのではなく、もっと大胆に財政的な措置を使って、早くインフレ目標の「2%」を達成すべきだったと筆者は考える。
一方、人口減少については、前々から分かっていたことであり、経営や行政の不作為は批判されて然るべきだ。
とはいえ、ここまできてしまった現状にあって、地方金融機関のリスク要因は何だろうか。
筆者なりに、順番をつけるなら、個別金融機関レベルでは、有価証券などによる資産運用のリスクの顕在化が最も心配だ。金融庁から見ても「過度なリスク」を取っている地方金融機関が多数あるということは、リスクの見えにくい(例えば時価評価を回避できる)運用などにあって、実質的に大きなリスクを取っている金融機関が少なくないことが想像に難くない。
望ましいことではないが、法人向けの証券ビジネスの定石として、収益が悪化した金融機関は、無理なリスクを取って、大きな手数料を払ってくれる可能性が大きい「超上客」候補だ。急激に収益が悪化した地銀などは、証券マンにとって、胸がどきどきするような大口見込み客だ。目先の収益を作る必要性が大きく、担当者は個人の人事評価を気にしており、金融マンなので中途半端に金融商品の知識があるから、「絶好の潜在顧客(カモ!)」なのである。
次に心配なのは、スルガ銀行で一早く問題化した「貸家向けローン」の不良化だ。相続対策を強調するセールスなどと相まって、貸家向けのローンは既にバブルの時期のピークをも大きく超えている。近年建築された多くの貸家にあって、十分な店子がつくとは思えないし、有休状態のまま持ちこたえることができるオーナーが相当数いるとしても、貸出の不良化は避けられないだろう。
加えて、個人向けに拡大している「カードローン」も、長期的には債権の不良化が心配だ。もっとも、このビジネスは、銀行が総量規制(借手の年収の3分の1まで)の枠外にあることのビジネス倫理の面が、先に問題になるかもしれない。金融庁の新長官に内定した遠藤俊英氏は、現時点では銀行の個人向けのカードローンに対して寛大であるようにお見受けするが、今後の対応に注目したい。
個人が警戒すべき三つのリスク
地域金融機関と接触する可能性のある個人にとって、警戒すべきリスクが三つある。
第1に、収益が奮わない金融機関が、投資信託や貯蓄性保険などの運用商品のセールスに力を入れて、個人客がこれに引っ掛かるリスクだ。店頭で銀行員がセールスする運用商品は、つみたてNISA対応商品など一部の例外を除いて、手数料が高過ぎて避けた方がいい「地雷」的なものばかりだ。「運用商品は、決して銀行では買わない」と決めておくといい。例外は、個人向け国債変動金型10年満期だけだろう。
第2に、そろそろ経営基盤の弱い金融機関の預金の安全性に、警戒心を持つべき頃合いだ。運用にリスクを抱えている金融機関は、金融市場の変動によって、突然苦境に陥る場合がある。特殊な銀行であった日本振興銀行の例を除いて、過去にそうであったように、金曜日の銀行閉店時間後から土日の間に処理ができて、預金者は損をしないという状況が今後も期待できるとは思わない方がいい。少なくとも、預金保険の上限(1人1行1000万円まで)は意識して守っておきたい。
第3のリスクは、読者の息子さん・娘さんが、地方銀行に就職するリスクだ。これまで「いい就職先」であった金融機関も、ビジネスモデルが行き詰まっているのだから、「地雷」的な(というよりも「時限爆弾」的か)就職先になる可能性が大きい。家庭全体のレベルでは、これが最大のリスクかもしれない。
もちろん、程度の差はあっても、メガバンクにも同類の問題は忍び寄っているはずだ。
(経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員 山崎 元)
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