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月収200万円!中国人デート嬢の日本で稼ぎまくった半生
https://diamond.jp/articles/-/174481
2018.7.11 根本直樹:ライター ダイヤモンド・オンライン
写真はイメージです
DOL特集『隣の中国人“ディープチャイニーズ”たちの肖像』では、ビジネス的に成功を収めた人から、市井に生きる名もなき人まで、さまざまな分野にいる在日中国人を紹介していく。第6回の今回、登場するのは元デートクラブ嬢の中国人女性。かつては売春という違法行為で大金を稼いだ。当然、名前も顔も出すことはできないが、現在は小さな地方都市で、元公務員の夫と2人で静かに暮らしている。そんな彼女の半生を追った。(ライター 根本直樹)
月収200万円の中国人元デート嬢
今は静かに田舎暮しを送っていた
「30代半ばから44歳まで、歌舞伎町で体を張って稼いできたけど、後悔は全然ないよ。体はきつかったけど、毎日、充実してた。自分だけを頼りにお金を稼いで、危ない目に遭いながらも、何とか切り抜けてきた。お金を貯めて、生活の基盤を作って、今は田舎で平穏に暮らすことができてる。自分、よくやったって、誇らしい気持ちね」
現在、埼玉県北部のある市に住む劉湘(仮名)はこの夏、還暦を迎える。かつては、新宿歌舞伎町の中国人デートクラブで月収150万〜200万円を稼ぐ売れっ子だった。源氏名は“ホナミ”だ。
上海出身の彼女は1996年に来日するとすぐにデート嬢となり、2002年までの約7年間、文字通り“身を粉にして”稼ぎまくった。その間の平均年収は約1500万円。当然、税金など払うわけもない。生活費を年間400万円程度に抑え、残りは上海に残してきた内縁の夫と一人娘への仕送りと貯金にあてた。両親のために、マンションも購入した。
ホナミは7年間、身を粉にして稼ぎまくった
「デートクラブを辞めたとき、手元に残ったのは4000万円ちょっと。私は水商売始めたの遅かったからこの程度だけど、1億円以上貯めた女もたくさんいるよ。引退後は上海料理屋さんでもやろうと思ったけど、私、もともと商売苦手。お金貸して返ってこないとかたくさんあるよ。だから貯金には手をつけず、マッサージ屋さんや居酒屋でアルバイトをしながら、再婚を目指したの。いい人見つけて、上海に残してきた子どもも呼んで、日本で静かに暮らす。それが夢だったの」
色白でふくよかなホナミは、せいぜい50代前半くらいにしか見えないが、その目元をよく見ると、深い皺が刻まれていた。
連日大盛況だった
大陸系デートクラブ
取材メモによれば、筆者がホナミと出会ったのは1998年8月の下旬のことだった。週刊誌の潜入取材で、歌舞伎町区役所通りの雑居ビルの地下にあった中国人デートクラブ『夢恋』(すでに閉店)を訪れたときのことである。
当時の歌舞伎町は、クラブやスナックからエステまで、“大陸系風俗”が大盛り上がりを見せていた時期。特に隆盛を誇っていたのがデートクラブや違法エステなどの「本番系風俗」である。
夜の歌舞伎町のメインストリートである「区役所通り」を根城にするベテランの中国人キャッチによれば、当時は50軒以上の大陸系デートクラブが凌ぎを削っていたという(現在は3分の1程度に減った)。
ママは最低でも3億円貯金か
荒稼ぎしていた中国人デートクラブ
『夢恋』は、この手の店としては大箱で、連日大盛況。常時30名近い女性を抱え、“勝ち組”と言われていた。やり手のママが上海出身だったため、女性の大半も上海及びその周辺の出身者だった。30歳前後から40代前半くらいまでの妙齢の女性が多かったが、美人が多いと評判の店でもあった。
そもそもデートクラブとはどんな店なのか。端的に言えば、“売春斡旋飲み屋”なのだが、店内の様子は普通のクラブと何ら変わるところはない。テーブル上にはウィスキーのボトルが置かれ、客の横にはドレス姿の女性がつき、接客をする。売春斡旋と言っても、店内で女性がヌードになることも、性的なサービスがあるわけでもない。
システムは、どの店もだいたい同じだ。日本人は座って1万円(常連の中国人は同胞料金で半額というパターンが多い)。時間制限も、指名料もなし。カラオケも無料。飲み放題、歌い放題である。しかも、普通のクラブのように女性が横につき、接客してくれる。
違うのは、その女性たちのすべてが「お持ち帰り可」なこと。客は気に入った女性がいなければ飲むだけで帰ってもかまわないし、持ち帰りをしたければ、飲み代の1万円とは別にショート(2時間程度)で3万円、ロング(泊まり)で5万円を女性に直接支払うことになる。
ホナミは言う。「店側の取り分は飲み代の1万円だけ。女性は、店からの給料とか保証は全然ない。客を掴んではじめてお金になる。客がつかなければボランティアで、ホステスやるのと同じ。だからみんな必死だったよ」
店側の取り分が飲み代の1万円のみとは安いように思えるが、女性に一切給料やギャラを払う必要がないので、客が入れば入るほど安定的に儲かった。ホナミも言う。
「あの頃、平日で30人、週末は50人近い客が来てた。キャッチに払う歩合はあるにしても、月に1000万円以上の売り上げが確実にあったね。あの店のママ、最低でも3億円は貯金があるんじゃないかって言われてたね」
同胞による緊縛事件も横行
90年代の歌舞伎町デートクラブ事情
当時の歌舞伎町では、景気のよさそうなデートクラブや違法エステを狙った“緊縛強盗”が大流行。閉店直後の店や、経営者やママの自宅に武器を持った男たちが侵入し、ターゲットを縛り上げ、カネの在りかや銀行カードの暗証番号を吐かせて大金を奪うのである。強盗犯の大半は彼女たちの同胞、つまり中国人だった。たまに新聞沙汰になることもあったが、事件の多くは表に出ることもなく闇に消えた。
「私の知り合いのママも何人かやられたよ。犯人は、だいたい福建省出身の不良たちよ。抵抗して、顔をナイフで切られたママもいる。でも、みんな違法な店やってるから、警察に言えない。せっかく貯めたお金、全部取られて、帰国した女性もけっこういるよ」(ホナミ)
90年代の歌舞伎町は、さまざまな中国勢力が渦巻く“危険な街”だった。しかし、そこで働く中国女性たちは、常に背中を気にしながらも、“いかにもコールガール”といった派手な服に身を包み、たくましく街を闊歩し、痰を吐き、カネを稼ぎまくっていたのだ。
ホナミもそんな“中国女”の1人だった。
次回は、窃盗団や闇カジノ、地下銀行、偽装結婚、パチンコの裏ロム師など、当時の在日中国人たちが黒く、グレーに彩ってきた歌舞伎町の裏面史を紹介しながら、ホナミの後半生を追う。
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