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コンビニ従業員やタクシー運転手に「過剰な負担」を強いる日本の未来 「フィンテックの社会的費用」とは何か
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55935
2018.06.08 松岡 真宏 フロンティア・マネジメント代表取締役 現代ビジネス
増え続ける「支払い方法」
オフィス近くの昼時のスーパー。4台並ぶレジには、それぞれレジ担当の従業員が配置されている。そのうちの一人は、東南アジア出身とみられる若い男。流暢ではないものの、一生懸命に日本語を話す姿勢に好感を持ち、私は彼のレジに並んだ。
このスーパーのレジでは、バーコードを読み取って会計をするだけでなく、袋詰めも同時に行う。昼時なので、買い物の中心は、お弁当、焼きたてピザ、ヨーグルトなど様々だ。
事前にしっかりトレーニングされたのであろう。お弁当には箸、焼きたてピザにはプラスチック製のナイフとフォーク、ヨーグルトには小さなスプーン。彼はミスなく、必要なものを手際よくレジ袋に入れる。
支払いの合計金額が、レジに表示される。すると、彼は日本語で「Tポイントカードはお持ちですか?」と聞いてくる。Tポイントカードを持っていない私は「いえ持っていません」と答えて、持参したスイカを見せた。彼は、スイカでの支払いに、これまた即座に対応する。見事なものだ。
タクシー運転手も、消費者の要望に必死に応えることを要求されている。
海外のタクシーは、支払い方法が限られている。現金のみ。あるいはクレジットカード。中国ではスマホでの支払い。一方、我が国ではどうであろうか。前述のスイカをはじめ、多くの支払い方法が林立している。先日乗車したタクシーで運転手に聞いてみたら、「お客さん、数えたことないけど、最近は20種類以上の支払い方法があるから対応が大変なんですよ」とのこと。
コンビニでも状況は同様である。現金で弁当やソフトドリンクを買うという、かつての牧歌的な風景はもはやない。コンサートチケットの購入、税金の支払い、宅配便の受け取りなど、コンビニの店員の業務は増え続け、負荷も増すばかりである。
最近では、民泊の鍵の受け渡しをコンビニ各社が開始することを発表した。あまりに煩雑な業務が多いため、中国人留学生のアルバイト先としては、コンビニは今や敬遠されているという。
こうした事実から、おそらくまだ誰も指摘していない、ある重大な問題を見て取ることができる。それは、我が国のサービス業の末端に、労働生産性や労働装備率といった経済指標には表れにくい大きな「負荷」が押し付けられているということだ。
昨年話題になった宅配便のドライバー不足は、その序章だったのかもしれない。日本の宅配ドライバーには、他国では類を見ない複雑な業務フローが課されている。昨今のフィンテックブームを見るにつけ、こうしたサービス業の末端への負荷が更に増すのではないかと危惧される。
末端に過剰な負荷がかかる社会
ある大手専門店チェーンの経営者である多根幹雄氏の著書『スイス人が教えてくれた「がらくた」ではなく「ヴィンテージ」になれる生き方』(主婦の友社、2016年)に、興味深いスイスの事例が紹介されている。
スイスの交通機関では、おつりが出ない券売機があるそうだ。人々はおつりがないようにお金を持って駅に行く。多少不便だが、おつりが出ない券売機は作りがシンプルで安く製造できるし、釣銭を補充する必要がなく、日々のオペレーションコストも低く抑えられるとか。冒頭で指摘した、サービス業の末端に過剰な負荷がかかっている日本とは、発想が大きく異なっている。
日本ではこうした状況で、今後さらにフィンテックで新しい支払方法が導入されようとしている。確かに、技術的には素晴らしいものが継続的に出てくるのであろう。また、一人の消費者として見ると、スマホなど携帯端末を上手く使いこなす人にとっては、この上なく便利な社会が到来すると思われる。
このような変化について、高齢者をはじめ携帯端末などのデジタル機器をうまく使いこなせない人と、使いこなせる人とのリテラシー格差問題を考える論考は少なくない。
しかし本稿では、消費者側(使う側)の格差問題ではなく、今後急速に台頭してくる問題として、「サービスを提供する側」の負荷の問題を提起したいと思う。これは「フィンテックの社会的費用」と呼ぶこともできる。
「社会的費用」という考え方
1974年、一冊の本が刊行され話題となった。東京大学経済学部教授の宇沢弘文氏が著した『自動車の社会的費用』。モータリゼーションが消費者の生活を変え、自動車産業が日本経済を牽引し始めた時期、全く異なる視点で自動車の抱える問題点を指摘した名著である。
宇沢氏は、当時社会問題となっていた排気ガスによる公害や交通事故死の社会全体のコストを見積もり、それを「自動車の社会的費用」と定義した。算出された金額は、自動車1台あたり200万円だという。
自動車の社会的費用と同様に、いま我々は、今後大きく世の中を変えると期待される「フィンテックの社会的費用」を考える必要があるのではなかろうか。
現在使用されている現金やクレジットカードやスイカが一瞬で消滅し、新しい仕組みに収れんされる格好で1つか2つの支払い方法に限定されるという変化であれば、社会的コストはサービス業各社の設備投資だけである。これとて決して小さな痛みではなく、フィンテックの進展に対応するための設備投資に耐えられない中小企業にとっては大きな負担であり、ある種の社会的費用と言える。
中小企業が設備投資負担で次々と存在を否定されれば、各業界の競争状況は緩和される。競争の緩和は商品やサービスの価格上昇圧力となり、消費者やユーザーが得ていた利益は、産業側で生き残った大手企業へと移されることとなる。
ただ現実的には、現金やクレジットカードで支払う消費者が、急にいなくなることはありえない。現在使用されている支払方法を温存したまま、新しい支払い方法を次々と付加していくことは、サービス業の末端を担う人々の悩みをさらに大きくしていく。
フィンテックを駆使した消費者一人一人の利便性の追求は、はたして社会全体の便益が拡大する方向に向かっているのであろうか。サービス業の末端を担う人々の苦労の増加が、消費者の利便性の亢進と対になっているだけであり、単なるトレードオフになっている可能性はないだろうか。
「職人芸」では生産性が上がらない
私は何も社会派ぶって、技術の前進に背を向けようと言いたいのではない。むしろ、合理的に、かつ全体最適的に前進すべきだと思っている。具体的には、フィンテックを利用した技術開発の際、サービス業の末端の作業環境を十分に考慮してプロセスを進める必要性があると考える。
かつて、コンビニで投資信託や金融商品を販売しようとして、実験を始めた銀行があった。それ自体は、一人の消費者という部分最適で見れば、利便性の向上につながるかもしれない。しかし実際は、投資信託や金融商品の販売には一取引当たりの時間がある程度必要であり、コンビニのレジに長い列ができてしまって、実験は中止となったと聞く。
サービス業における本質的な生産性の向上は、「職人芸や熟練工しかできない技術」が、「普通の人が、ある程度普通にできる技術」に変化してゆくことで起こる。
例えば、1980年代に導入されたPOSレジ。それ以前のレジは、熟練したレジ打ち専門の従業員がブラインドタッチで商品を見ながら金額を打ち込んでいた。しかし、POSレジが導入され、バーコードを読み取るだけで会計ができるようになった。この結果、誰でも短時間の訓練でレジ業務ができるようになり、日本の小売業の生産性を爆発的に上昇させた。
同様に、一昔前のスーパーの精肉や鮮魚の売り場は、バックヤードで勤務する、塊肉や丸魚をさばく職人の技量に支えられていた。しかし現在、多くのスーパーでは、精肉や鮮魚はセンターで加工しており、店舗では陳列して販売するだけとなっている。もちろん、精肉や鮮魚の職人たちにとって機械化が進むことは嬉しいことではないが、結果として産業全体の生産性は上がり、消費者はより廉価での商品購買が可能となっている。
事ほど左様に、「職人芸→一般の人の仕事」という公式が成り立つことが、サービス業の生産性を向上させるためには欠かせない。
「技術一辺倒」ではない技術開発を
今後増加することが期待されている高齢者や外国人の従業員を考えると、熟練工や高学歴の人しかできない業務プロセスをベースになりたっているサービス業は、生産性のアップなど期待できない。
諸外国ではサービス業に外国人が多く就労しているが、日本では今のところ首都圏での就労が先行している。我が国では、この観点からまだまだ変化が必要なのではなかろうか。
人手不足が深刻になってきた昨今、サービス業各社は控えていた設備投資を久しぶりに増加させている。マクロ経済学的に見れば、従業員一人当たりの資産は労働装備率と呼ばれ、労働装備率が上昇することでサービス業の生産性の上昇が期待されている。これ自体は悪い事ではない。
しかし、繰り返し述べている通り、既に我が国のサービス業の末端では、諸外国と比べて従業員に過剰な負荷がかかっている。この負荷を軽減するサポートなしで、ここに新たにフィンテックに代表される新技術が導入されてゆくことは、「フィンテックの社会的費用」を加速度的に増加させることとなる。
ただでさえ、サービス業の末端従業員は就労希望者から敬遠されるようになっている。彼らの負担がこれ以上増せば、担い手の減少に拍車がかかるだけでなく、労務管理も難しくなるだろう。さらにいえば、こうした層のストレスを爆発させないことは、民主政治を安定させるためにも必須と思われる。
企業経営の側面で言えば、単にシェア拡大のためではなく、こうした末端の負荷を軽減するために企業間の連携やM&Aを進めることこそが、本質的な社会全体の生産性上昇につながるのではないかと思われる。
言葉としては矛盾があるが、「技術偏重ではない技術開発」が、今こそ求められているのではなかろうか。
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