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江東区・有明は、日本の都市計画失敗の象徴的エリアだ…なぜ「げんなり」するのか
http://biz-journal.jp/2018/06/post_23553.html
2018.06.02 文=榊淳司/榊マンション市場研究所主宰、住宅ジャーナリスト Business Journal
東京ビッグサイト(「Wikipedia」より/Morio)
私はマンションの資産価値について、あれこれと評価することを職業としている。東京23区と川崎市の大半で、新築マンションの建設現場をほとんど見ている。
それぞれ、エリアごとに大きな特徴がある。世田谷区は幹線道路から離れて奥まったところは、やたらと道路が狭かったりする。たぶん、昔のあぜ道をそのまま公道にしたのだろう。それに比べて、江東区の深川エリアでは道路がわりあいにゆったりつくられている。第二次世界大戦のときにアメリカ軍の空襲で焼け野原となったので、その後の区画整理で道路を広く確保できたのではないかと、勝手に想像している。
川崎市の北部や練馬区も街並みが伸びやかだ。ともに起伏が多いので、もともと稲作には不向き。山林や畑だったところを住宅地に転換したので、街区形成にも余裕があったのだと思う。
東京という街は、徳川家康が江戸に入府するまではただの野原か山林だった。隅田川がよく氾濫したので、そこに定着して田畑を耕す者も少なかったのだろう。今はビルやマンションだらけで地形がわかりにくいが、結構起伏がある。特に港区や文京区などは坂が多い。
家康は江戸に入府すると、まずは隅田川の水害対策に取り組んだ。その流れを一部分離して、今の荒川を掘削したのだ。完成は家康の死後数十年後。しかし、荒川ができたことで、水害への懸念はかなり緩和された。
江戸城が築かれ、町民の住む街区も形成された。今の日本橋から銀座にかけては、江戸時代の町割りがそのまま街区形成されている。基本は碁盤の目。大阪の街も、中心エリアは京都に似せた碁盤の目になっている。その京都は8世紀に唐の都・長安を模した碁盤の目で街区を形成した。こうした街づくりは、日本の歴史における都市計画の元祖といえる。
日本という国は明治維新と第二次世界大戦という2つの大きな節目を経て、都市のあり方が大きく変わっている。特に先の大戦後の日本は民間主導の経済大国へと発展する過程を経験した。敗戦時の人口は約7200万人。それが2008年には約1億2800万人まで増えた。当然、その需要を満たす住まいが必要である。それは既存の街区のなかだけでは賄えないので、新しい街がどんどんつくられた。代表的なのは、多摩ニュータウンや千里ニュータウンである。
■有明の都市計画が失敗している理由
「都市計画」というワードがよく使われた。何もない広大な土地に、ゼロから街をつくっていくのである。しかし、昭和時代から始まった都市計画は、概ね失敗したといえる。いろいろなメディアが「住みたい街ランキング」といった調査結果を発表する。そのなかに、昭和以降の都市計画で生まれた街がどれほど入っているのか?
何年か前、東京都江東区の豊洲が上位に入ったことがあった。しかし、あの市場移転問題と「毒洲」騒ぎで、今後のランキング入りはほぼ絶望的。大阪の千里ニュータウンは昭和の一時期、ものすごい人気があったが今はさほどでもない。東京の多摩ニュータウンなど、最近では少子高齢化や人口流出関連のマイナス情報を流すニュースしか見かけなくなった。
東京都江東区の埋立地には、東京オリンピックの競技会場となる有明というエリアがある。ここにはビックサイトと呼ばれる国際展示場があって、1年を通じてさまざまなイベントが開催される。そのイベントのために有明を訪れた人も多いことだろう。
もちろん、私は何回も行った。マンションの現地調査でもよく行く。イベントへはゆりかもめやりんかい線を使う。行くたびに、うんざりさせられる。なぜなら、やたらと歩かされるからだ。それも、人工的で無味乾燥な風景のなかを。マンションの現地調査は車を使うが、あの荒涼とした風景にもげんなりする。無機質な街並みを何分も見続けなければならない。
私は江東区の有明こそが、日本の都市計画が失敗している象徴的なエリアだと思っている。あの地を訪れる人の過半数が、否定的な感触を持っているのではないか。
有明の都市計画が失敗している最大の理由は、自動車の便を優先していることだ。そして、土地をゆったりと使いすぎている。所用のあるポイントからポイントへ移動するのに、やたらと歩かなければならない。しかも、その移動には風景を愛でるという楽しみが皆無。あれでは、あの街を好きになる人は増えない。
日本人は季節の細やかな変化を眺めて喜ぶという、心の繊細さを大切にしている。路地裏の風景や、人の息遣いを感じる街が好きなのだ。大雑把なことは「がさつ」だと敬遠する。都市計画でつくられた街は、いってしまえばすべて大雑把。日本人の細やかな心に響くところが少ない。だから、都市計画でつくられたどの街も、住みたい街にはランキングされない。
■街というものは生き物
10年ほど前まで、都市計画でつくられたなかでは比較的人気が高かった街に千葉県の海浜幕張というところがある。マンションが林立するのは、「幕張ベイタウン」という街区。
ここは日本人が都市計画でつくった数ある人工都市のなかでは、比較的成功したほうだと私は考えていた。しかし、最近は急速に人気を失いつつある。タウン内のマンションの市場価値も大幅に下落している。
理由はいくつか考えられる。東日本大震災で液状化したのは、そのキッカケ。そもそも、都心から遠い。さらに、マンションの立地が駅から遠い。タウン内の世代交代が進まず、そろそろ高齢化が目立ってきている。だから、若い世代が憧れなくなってきた。
私は、街というものは生き物だと考えている。そこに住む人間は細胞である。そこで子どもを産み、育てれば細胞分裂。また、その魅力にひかれて多くの違う細胞(=人間)が集まってくる。そうやって街という生き物が成長・発展していく。その街をつくり、変化させているのはそこに集まった人間たち。街づくりの主役は、彼らだ。
ところが、都市計画によって生まれた街というのは、人工的に器を用意して、他のエリアから溢れた人間を強引に集めたようなもの。そこに集まった人間たちは、そもそも街づくりに参加できない。できるのは、そこで息をする(=生きる)ことだけ。それでは街は原設計者が描いた通りのままで、いつまでも変化が起きない。魅力も生まれない。昭和以降の都市計画は、こういう構図ですべて失敗したといっていい。
現在、日本は都市計画を行う必要性がなくなった。人口が減り始めた今、新しい街をつくる必要はない。千葉ニュータウンや港北ニュータウンは惰性で今でも開発が続いているが、経済的なマクロ視点ではなんら必要はない。江東区の有明も、五輪が終われば元の荒涼たる埋立地に戻って、将来性を見いだせない。いずれ、不動産価値の下落も顕在化するだろう。
これからの都市政策は、必要性のない都市計画を惰性で続けるよりも、どのようにして現実にある街を有効活用するかに、その重心を移すべきである。
(文=榊淳司/榊マンション市場研究所主宰、住宅ジャーナリスト)
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