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日本の「働き方改革」が、若者たちの「未来」に影を落とす?
https://www.newsweekjapan.jp/yokoyama/2018/05/post.php
2018年05月28日(月)16時00分 横山信弘のハードワーク思考 ニューズウィーク
「やりがい」ある仕事ほど、時間をかけて試行錯誤しなければできるようにならない bizvector-iStock.
<創造的な仕事をしたい若者はしばらくの間「長時間労働」が必要だ>
私は企業の現場に入って目標を絶対達成させるコンサルタントです。目標を絶対達成させるわけですから、制度を作ったり、従業員のスキルアップをするだけでは足りません。クライアント企業が期待するのは結果だからです。そのせいもあり、私は世に溢れる「きれいごと」を見抜く感度が、普通の人より高くなっていると自負しています。
現場でコンサルティングをしていて最近すごく気になるのが、「働き方改革」がもたらす負の側面です。日本人はもっと働き方を変え、長時間労働を是正しなければならない、多様な働き方ができる職場に変えていかなければならない、という意見には、心から賛同します。今の日本企業において、ムダなことをやっている暇などないし、新しい発想で産業を生み出す創造的な取り組みをもっとしていくべきです。
しかし気になるのは、長時間労働の是正とセットになって必ず出てくる「生産性」という言葉です。「生産性」、「生産性」と言われる割には、本当に「生産性」という意味がわかっている人は多くありません。
生産性とは、生み出された付加価値と、そこに費やされた資産との比率のことです。生産性を上げるためには、資産を減らすか、付加価値を増やすか、もしくはその両方が必要です。
すでに期待どおりの付加価値が出ている職場であれば、時間や労力という資産を減らすことで生産性はアップします。したがって、長時間労働を減らしていい職場は、すでに組織が求めているリターンを得ていることが条件です。
私が現場に入る企業は結果が出ていない企業ばかりですから、時間やお金、労力といった、資産を減らすという選択肢はありません。投入すべき資産を増やしますが、それ以上の付加価値も上げることで、生産性アップを実現します。
「生産性」を高めるうえで、絶対になくしてはいけない概念が、ここです。十分な資産を投入してもいないのに「減らす」ことばかりを考えている人は、生産性という意味を誤解しているのです。
■若者たちに必要な「長時間労働」
つまり、なんでもかんでも「長時間労働」を是正すればいい、ということではないのです。
私は社会に出たばかりの人、その仕事に不慣れな人は、しばらくのあいだ長時間労働が不可欠だと考えています。(1日の勤務時間を長くすることとは違います)
なぜなら仕事で成果を出すためには、まず肩の力を抜くことからはじめなければならないからです。仕事に不慣れで心も体も緊張した状態では、自分が持っているポテンシャルを発揮することはできません。
どんなに運動神経がよくても、一度もスキーをやったことがない人がすぐ滑れることがないのと同じ。心や体が、新しい作業や環境に慣れて肩の力が抜けるまでは、それなりの時間を充当することが賢明です。
そのためには、生産性を考えず、慣れるべき作業に長時間費やしてもいい環境をまず確保することです。
「わかる」と「できる」は違います。何度も何度も大きな声で挨拶する練習をするから、体が覚えるのです。繰り返し見積書を作成するから、資料作りのコツを覚えるのです。一度にいろいろなものを覚えようとせず、どんな小さな作業も「できる」まで長時間労働することが大事です。
(繰り返しますが、長時間労働=長時間勤務ではありません)
ベテラン社員が成果を出すのに6時間かかったのに対し、若手社員はその3倍の18時間が必要なときもあるでしょう。理由は、スキルや知識、習慣といった「資産」がまだ足りないからです。創意工夫したり試行錯誤するための時間という「資産」をじゅうぶんに蓄積する必要があり、それを減らせば、投入すべき資産の総量が足りなくなって、期待通りの付加価値を出せなくなるのです。
ですから、若者に対しては始めから「生産性」「効率化」を唱えないことです。最近は仕事に「やりがい」を求める若者が増えています。「やりがい」のある仕事を、短時間でマスターできることなどありません。とくにクリエイティビティの高い仕事には、必ず試行錯誤がつきもの。
つまり付加価値の高い「やりがい」のある仕事をしたければ、そこに投入すべき資産(スキルや知識、時間)を多く求められる、ということです。
高度情報化時代となり、どんなに優れたノウハウや仕組みを手に入れられるようになっても、苦労せずに(少ない資産で)何かを成し遂げられることはありません。
以前は一合目から登った富士山を、最近は四合目から登れるようになった、ぐらいのことです。たいした知識もなく、訓練もせず、中途半端な装備で頂上まで到達するほど、正しい成果を出すまでの道のりは甘くありません。
■「あたりまえの基準」とは?
長年、絶対達成のコンサルタントをしていて思うことがあります。それは、どんな時代になっても、変わらず目標を達成させる人は「あたりまえの基準」が高い人である、ということです。そのような人は、目標を達成させることが「あたりまえ」だと受け止めているので、他責にすることなく自分のチカラでどんな事態をも打開していきます。
さてこの「あたりまえの基準」について解説する前に、そもそも「あたりまえのこと」とは何か、について私なりの言葉で説明します。「あたりまえのこと」とは、誰かから【3回】も念を押されたら腹が立つことだと覚えてください。
たとえば、常日ごろからビジネス書を読むことが「あたりまえ」になっている人が、「仕事に関連する本ぐらい読みなさい」と誰かに言われたらイラッとするでしょう。1回なら無視できますが、2回も3回も同じことを言われたら、
「あたりまえだろう! 仕事に役立つ本は定期的に買って読んでるよ」
と言い返したくなるはずです。この人にとって、それが「あたりまえのこと」だからです。
しかし本を読まない人にとっては、読書が「あたりまえ」になっていません。「自己投資のために本ぐらい読みなさい」と言われたらイラッとせず、「そうですね」「キチンと読みます」などと言って素直に受け入れます。そのように指摘されても仕方がない現状があるから腹が立つこともないでしょう。
自分で決めたことはキチンとやり切ることが「あたりまえ」。目標があれば、それを絶対達成するのが「あたりまえ」。どんな目標でも達成させる人、常に結果を出す人は、このように「あたりまえ」と感じている基準が高いのです。
■「限界の基準」も高いか?
「あたりまえの基準」が高い人は、同時に「限界の基準」も高いと言えるでしょう。「限界の基準」とは、けっこう大変だけれど頑張ればそれぐらいはできるだろう、という目安です。
たとえば月に10冊本を読むことが「あたりまえ」になっている人がいるとします。しかし世の中には、毎日2冊とか3冊も本を読むことが「あたりまえ」になっている人もいます。月に60冊も90冊も読む計算となります。
しかし月に10冊本を読む人にとっては、
「そりゃあ、毎日2冊、月に60冊の本を読めと言われたら不可能ではないけど、現実には難しい。どんなに頑張っても週に5冊、月に20冊が限界」
と言うはず。したがってこの人にとっての「あたりまえの基準」は、月10冊の読書。苦労することなくできます。「限界の基準」は、月20冊。頑張れば月20冊の読書もできる、ということです。しかし、誰かに「読め」と言われないかぎり読書しない人にとっては、本を読まないことが「あたりまえ」ですから、この方の「あたりまえの基準」は月0冊です。そして
「どんなに頑張っても週に1冊が限界。私は本を読むのが遅いから」
と言うのであれば、「限界の基準」は月4冊です。「あたりまえの基準」が低いと「限界の基準」も低くなることが普通です。
■「限界の基準」は一定のレベルまで高まり続ける
「以前は限界だと思っていたが、いつの間にか限界ではなくなっていた」
このようなことは、よくある話です。「こんなハードなスケジュールをこなすなんて、とても無理だ」と思っていたのに、がむしゃらにやっていたら意外にもこなすことができた。
「限界だと思っていたが、限界じゃなかった」
ということです。
やってみないとわからないわけですから、勝手に自分で限界を決めつけるのはよくありません。本当に無理だと思っていたことでも、限界を超えるつもりで頑張ってみたら、無理じゃなくなってきた、ということです。
筋トレがまさに好例です。40キロのバーベルを持ち上げることができなかった人が、50キロ、60キロ......と持ち上げられるようになるには、無理だと思っても気合いで持ち上げていくうちに「限界だ」と感じなくなっていくのです。
筋トレと同じ要領で、「限界の基準」は上がり続けるものです。
私は現在、現場コンサルティングを続けながら、年間100回を超えるセミナー、年間100通以上のメルマガの発行、年間200前後のコラムの執筆、年間50本の動画の配信、年間1〜2冊の書籍の出版を、コンサルティング会社の社長業もしながら続けています。周囲からは、「寝てないんじゃないか」「休んでないんじゃないか」と心配されます。しかし当の私はまるで限界に達しているとは受け止めていません。
毎月100キロのランニングや、毎月1回のボランティア活動、毎月20回以上の「家メシ」の調理もしています。子どもの勉強もそれなりに見ているつもりです。
以前は「限界だ」と思っていた状況が、慣れてくると「あたりまえのこと」となり、「限界の基準」だったものが「あたりまえの基準」にすり替わっていきます。
私よりもはるかに多くの事業を手掛け、いくつも会社を経営し、たくさんの団体の幹部を引き受け、全国で講演し、執筆をし続ける方もいます。私の基準からすると、完全に「限界」を超えているのですが、その方にとっては、それが普通であり「あたりまえ」の日常なのです。能力の差もあるのでしょうが、刺激に馴れていくことで「頑張ればできる限界量」が徐々に高まっていくことはあるのです。
■「働き方改革時代」の若者たちに必要なこと
この「あたりまえの基準」が、その人にとっての最大の資産です。したがって、生産性を上げたければ、まずこの「基準」を高めることからはじめましょう。
「それはちょっと出来かねます」「今の私では無理です」「限界です」などが口癖の人は、「あたりまえの基準」も「限界の基準」も低い人材のまま。常識的なことであても、「そこまでやらなくてもいいだろう」と無意識のうちに捉える癖がついてしまいます。
「あたりまえの基準」を高めるには、まず「限界の基準」を高めていくことが必要です。頑張らないとできないと判断する量の仕事をこなしていきます。結局は「ハードワーク」をどれだけ長期間やったのか、その歴史が問われるということです。
「働き方改革」もいいですが、あまりに「短時間で効率よく成果を出したい」と思い過ぎないこと。まずは、ある一定の基準に達することが先決です。これからの若者には、長期の視点で「生産性」を高める工夫が、よりいっそう求められます。
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