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シリコンバレー成長信仰の危険なツケ
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/04/post-10020.php
2018年4月24日(火)16時30分 ウィル・オリマス(スレート誌記者) ニューズウィーク
米議会の前に設置されたフェイスブックへの抗議するパネル Aaron Bernstein-REUTERS
<成長持続を至上命題としてきた企業を次々襲う事故や非難、スキャンダル――使命を口実にした無謀な競争のリスクは>
ベストなものが勝つのではない、誰もが使うものが勝つ――フェイスブックの経営幹部アンドリュー・ボスワースは2年ほど前、社員宛てのメモにそう書いていた。それがなぜか今になってリークされた。大量のデータ流出で同社が批判の矢面に立たされているこの時期に。
「醜い真実だが」、とメモは続く。「人をつなぐ」のが当社の使命であり、そのためには成長が不可欠なのだと。書かれたのは、シカゴで男が射殺される瞬間の映像がフェイスブックでライブ配信された翌日とされる。
ボスワースはリーク後に、あれは自分の見解ではなく、社内の議論を促すための挑発だったと弁明。マーク・ザッカーバーグCEOも、あれには誰も賛成していないとコメントした。
そうだろうか。表立っては口にしなくとも、シリコンバレーには成長至上主義の信奉者が珍しくない。ワイアード誌によれば、かつてザッカーバーグは毎週金曜日の全社ミーティングを、「支配するぞ」の掛け声で締めくくっていたという。
フェイスブックだけではない。シリコンバレーに輝く急成長企業のいくつかで、ボスワースの言う「醜い真実」が明らかになってきた。問題は、成長したければ無謀なまでに突っ走れという企業体質だ。
配車サービスのウーバーでは3月中旬に自動運転中の車両が死亡事故を起こし、新任のCEOダラ・コスロシャヒが同社の成長至上主義を自己批判する事態となっている。
続く3月下旬に死亡事故を起こした電気自動車のテスラも、車両が自動運転モードで走行していた事実を認めた。その野心的な量産車「モデル3」も本格的な生産体制が整わず、赤字は膨らみ株価は停滞。もはやCEOのイーロン・マスクがエイプリルフールに投稿した「テスラ倒産」のジョーク画像に笑っている場合ではない。
■速度超過で制御不能に
シリコンバレーのヒーローたちが苦しんでいる理由はさまざまだが、共通点がある。市場を制覇するには技術革新を続ける必要があり、そのためにはユーザーの不慮の死もやむを得ない、と考えている節がある点だ。
フェイスブックは人々の興味や偏見、不安、妄想に付け込んで広告やニュースを配信するシステムを完成させ、巨大なソーシャルネットワークを築いた。「ここまで来れたのは成長戦術のおかげだ」。ボスワースは2年前にそう書いていた。「私たちが限界に挑み続けていなければ、今の成功の半分にも達していなかっただろう」
しかし成長の極限を追い続けた結果、フェイスブックはミャンマー(ビルマ)のイスラム系少数民族ロヒンギャの大量虐殺をあおったとされるヘイトスピーチやプロパガンダに利用される事態に陥った。既にミャンマーでも商業、社会活動の重要な手段になっているから、撤退するわけにもいかない。
ユーザーが動画をライブ配信できるフェイスブック・ライブも、その利便性ゆえに批判されている。殺人や自殺のシーンを簡単にオンライン配信できるからだ。ザッカーバーグはスナップチャットやツイッターのペリスコープなどに対抗するため、この機能の導入に「夢中になって」いたという。
どんなに非難されても、フェイスブックはひたすら成長を優先させてきた。ユーザーのプライバシーやソーシャルメディアへの過剰依存、ニュースフィードがメディアやスポンサー、選挙、社会全体に及ぼす影響にも目をつぶってきた。
さすがのフェイスブックも、今は腰を低くしている。外国からの選挙介入や差別的な広告、ユーザー情報の悪用などに真摯に対処する姿勢を見せている。
1月には、ユーザーの利用時間が減るリスクを承知でニュースフィードのアルゴリズムを変更すると発表した。その数週間後には、アメリカとカナダでアクティブなユーザー数が初めて減少したことも認めた。
フェイスブックは映画『スピード』のバスのようだ。爆弾が仕掛けられていて、時速80キロを切ると爆発してしまう。だから経営陣は、誰かが巻き添えになるのを承知でアクセルを踏み続けてきた。
最近になって初めてブレーキを踏んだように見えるが、さて速度が落ち過ぎて爆発しないかと、みんな固唾をのんで見守っている。ただし本当の問題は、速度を上げ過ぎて制御できなくなっていることだろう。
シリコンバレーの企業にとっては成長が全て。新興企業専門の投資家ポール・グレアムは12年の「スタートアップ=成長」と題するエッセイで、成功に「必要なのは成長だけ」だと書いていた。
■自動運転で歩行者が死亡
成長速度の維持と事業を正しく管理することは、しばしば矛盾する。その調整に苦しむのはフェイスブックだけではない。グーグル傘下のYouTubeは最近、自社の管理システムが十分でなかったために、フェイクニュースや陰謀説を排除できなかったことを認めた。
4月3日にはアメリカ在住の動画投稿者がYouTube本社で銃を乱射する事件が発生。この女性は、1月に同社が小規模クリエーターに対して広告掲載の条件を厳格化したことに不満を募らせていたとされる。
ツイッターには荒らしやボット(自動投稿ソフト)、ロシアのスパイがあふれている。同社のライブ動画配信サービスのペリスコープは、未成年者の性的搾取に悪用されている。
ウーバーの成長速度を、称賛するか批判するかは立場によって異なるだろう。既存のタクシー業界を脅かし、規制をかいくぐり、競合他社に圧勝して配車サービス市場を支配している。障害を乗り越えるためならスパイ行為や妨害工作もしてきた。自動運転技術に参入したのも、自動車市場全体を支配する好機とみたからだ。
3月にはウーバーの試験車両が、自動運転車としては世界で初めて歩行者を殺した。アリゾナ州の砂漠の暗い夜道で歩行者をはねたのだ。運転補助者は前を見ていなかった(報道によれば、人が運転していても避け難かった事故だったとされる)。
ライバル勢に比べて技術力が高いわけでもないのに、ウーバーは真っ先に自動運転車の路上走行試験を始めた。しかし事故後にアリゾナ州で許可を取り上げられ、更新期限を迎えたカリフォルニア州でも再申請しないことを決めた。「正しいかどうかより、成長を重視し過ぎた。競争ばかり考えたのは間違いだった」。3月末のニューヨーカー誌は、そんなコスロシャヒCEOの発言を報じていた。
そして電気自動車のテスラ。シリコンバレーで屈指の大胆かつ誇り高き起業家イーロン・マスクの会社だ。彼は多くの不可能と思われることを成し遂げてきた。だがテスラも戦略の見直しを迫られている。
価格3万5000ドルの「モデル3」で量産車市場に進出するはずだったが、量産技術の確立に手間取って、いまだに生産ペースが上がらない。品質にも問題が指摘され、生産計画は何度も修正されている。そしてついに、社債も格下げされた。
3月下旬には著名な業界アナリストがレポートを発表し、テスラは工場の完全自動化にこだわり過ぎて「墓穴を掘った」と評している。
テスラは3月末に、同月23日にカリフォルニア州マウンテンビューで中央分離帯に激突して炎上した「モデルX」がオートパイロットで走行していた事実を認めた。この事故では運転手が死亡している。
16年にもオートパイロットで走行中の「モデルS」がフロリダ州で死亡事故を起こしており、その技術の安全性には疑問が噴出している。まだ人間の監督なしで安全に走行できるレベルに達していないのに、テスラは危険な車を売って公衆を危険にさらしている。
それでもテスラは、自動運転車が救う命は奪う命よりも多いと弁明した。フェイスブックのボスワースが「人をつなぐ」使命の崇高さを強調し、ウーバーが雇用の増加や経済活性化の効果を強調したのと同じだ。
■求められる政府の介入
この3社はいずれも「使命」を重視している。株主の利益よりも崇高な目的を掲げて活動していると自任している。彼らが世のため人のためになっていることは事実だろう。しかしボスワースのメモが示すとおり、こうした企業では成長と使命が不可分になりやすい。
「人と人が身近になる世界」だの「持続可能な輸送手段の台頭を加速する」だのと高邁なミッションを掲げれば、不適切な手段を正当化するのも楽になる。
例えばフェイスブックは16年に、中国市場再参入をにらんで、ひそかに検閲ツールを開発した。ニューヨーク・タイムズ紙によれば、ザッカーバーグは当時、「完全に自由な会話はできなくても、そこに加わっていることが当社のためになる」と語っていたそうだ。口では世界をオープンにと言いながら、独裁政権に検閲の道具を渡すようでは高邁な使命が泣く。
ボスワースの「醜い真実」はシリコンバレー全体に当てはまる。なるべく早く、なるべく大きくならなければ生き残れないというのが、超競争社会に生きる彼らのメンタリティーだ。コンテンツ配信から運送業まで、自動化をめぐる競争は21世紀の合理化競争の要であり、勝たねばというプレッシャーの下で倫理や規制は二の次にされる。
死に物狂いの競争に歯止めをかけられるのは誰か。市場だろうか。投資家の不安は、フェイスブックやテスラの株価を押し下げた。ツイッターではフェイスブックやウーバーのボイコット運動が起きている。会社のイメージダウンで優秀な人材の確保が困難になれば、長期的な影響は大きいだろう。
しかし市場が社会への悪影響に目をつぶり、野放図な成長を歓迎するなら、シリコンバレーは成長最優先の姿勢を変えないだろう。そうであれば、残るは政治の介入しかなさそうだ。
シリコンバレーは一貫して政治の介入を嫌い、政府もまた技術革新の速さを口実に介入を避けてきた。特に共和党議員は企業の「自主規制」を支持し、「緩めの規制」を訴えるロビイストに弱い。ロビイストの主張の前提となっているのは、企業は議員や役人よりもテクノロジーに通じており、節度を持って利用できるという考えだ。
企業のほうが技術に詳しいのは間違いない。自分たちが管轄する技術について、役人はたびたび無知をさらす。自称ハイテク通の議員たちも、いまだシリコンバレーに説明責任を負わせる枠組みを作れずにいる。
デジタル・プライバシー法や自動運転車の明確な安全基準。そうした規則が十分な議論を経て策定され、施行されるなら好ましいことだ(あいにく政治の議論は拙速になりがちだが)。
社会正義のためならば、どんな企業も野心の暴走にブレーキをかけるはず――そんな期待が裏切られた以上、仕方がない。シリコンバレーにも一定の倫理規制が必要だろう。暴走が死につながる前に。
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